異世界で出会った王子様は狼(物理)でした。

ヤマ

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5.就職面接には気合がものをいう

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「いやもう俺たちが正解分かんねぇわ」
「お頭は分かってて出してんのかな」
「そうだろ。正解って言ってんだから」

 移動も徒労に終わったようで、書斎のドアが開かれそこから四対の目が覗いていた。
 クレイグが気がついていないはずは無いのだが、放置しているので俊も敢えて口を出さなかった。

 クレイグの猛攻に集中力を切らさないようにするので精一杯だったのもある。

「503÷12」
「41、余り11です」
「正解だな。じゃあ889×49」
「43,561です」
「……312×447」
「えっと、139,464」

 時折机の上でエアそろばんを弾きながら答える。
 正解しているようで良いのだが、かれこれ三十問ほど続けて解いているので疲れてきた。
 社会人になってからは暇つぶしにフラッシュ暗算をするのみなのでやはり腕が鈍っている。
 それにしても。

 「もうよくねぇ?」 

 背後の筋肉少年が俊の気持ちをそのまま代弁した。クレイグの即興問題を前もって対処しておくなんて無理なのだから俊が数字に強いことは十分証明された。
 自分で言うのも何だが、簿記もかじったことはあるしこの状況で俊は出納係に打って付けだと思う。

 それなのにクレイグの口は「採用」の一言を禁じられたように数式を紡ぎ、俊が正解する度にますます重苦しい雰囲気を纏って頭を抱えている。
 まるで俊を雇ったら世界の終わりだといわんばかりだ。

 確かに特に好かれるような手柄をあげた覚えはないが、この状況で採用を拒むほど嫌われていたとは。
 仲を取り持つには彼との絆が必須だというのに、こんな初手で躓いてどうするのか。
 俊は目眩を覚えた。

「疲れたか?」

 数式以外の単語に俊の意識が急にはっきりした。
 ご機嫌斜めな表情は変わらないが、クレイグの声にはこちらを慮る調子があった。

「いえ……はい、疲れました」

 軟弱者と思われないために嘘をついた方が良いかと一瞬考えたが、俊は結局正直に答えた。
 クレイグはそうか、と前髪を無意味にかき上げた。

 なぜか俊以上にどうしたら良いのか分からないと言う顔をしていた。

 俊の困惑は酷くなった。嫌ならさっさと不採用にすれば良いものを。
 気遣ったり全く訳が分からない。

「最後の問題だ。これに正解したら採用してやる」
「やったー!」

 思わず飛び出た歓声は俊のものではない。
 驚いている俊の背後をクレイグが睨むとギンが慌てて口を閉じた。
 クレイグは近くの棚から一冊の薄い本を取り出し、最初の方の頁を開いた。

「ただし、五秒で答えろ」

 クレイグは胸元から銀の鎖のついた懐中時計を取り出し、鎖と同じ色の蓋を開けると俊の前に静かに置いた。

「7+7-7×7-7÷7+1+7×7-7×2+1-50+7+7+7×7-7÷7+1+7×7-7×2+1-50は?」

 俊が返事をする間もなくクレイグは一気に数式を言い終えた。
 はぁ? と誰かがまたも俊の気持ちを代弁した。

 だが感謝している暇はない。
 途中までは計算できたが呆気にとられているうちに何か聞き逃している気がする。

 時計の形状は元の世界とほぼ同じだった。
 黒色の数字が付された黄金色の文字盤の上、細長い針がち、ち、と無情に秒を刻む。

 パニックに陥りそうな中、秒針が五回目の「ち、」を鳴らす直前で、俊は勢いまかせに叫んだ。

「ゼロ!!」

 かれこれ十数分、椅子の上から一ミリも動いていないのに俊は息切れしていた。
 俊の答えの余韻が消えるとまたも静寂が広がった。

 クレイグはこの世の厄介ごとを全て背負い込んだような顔をしていた。
 それなのになんだか少しだけホッとした声で、「合格だ」と言った。

「やったー!!」

 バァン! と扉が開いて真っ先に飛び込んできたのはギンだった。
 彼は俊を立たせると両手で俊の手を掴み、ぐるぐると回した。
 三半規管がやられそうになりながらも、もう少しで気が狂うところだっただのお前は救世主だだの、取りあえず彼が謝辞を述べているらしいことは分かった。
 重責からの解放に興奮し奔放になったギンの腕はいきなり俊を放し、クレイグに固い握手を求めにいった。

 放り出される形になった俊はあわや本棚にぶつかるというところで、パンチパーマの男性の腕に支えられた。
 ひえ、と本能的に出そうになった悲鳴を何とか飲み込んでいると、ぐ、と音がしそうな力強いサムズアップとともにニヒルなウィンクが飛んできた。
 どうやら良くやったと言うことらしい。
 お茶目。

「お前すげぇな。学修処でもこんなやつ見たことねぇし、頭ん中どうなってんだ」

 エバンと名乗った筋肉少年がいつの間に隣にいて、感心しすぎて呆れたといった器用な顔をしている。

「あー、他の才能全部これに費やした感じかな」
「いやいや良くやったぞ少年! これでうちの帳簿管理は安泰だ」

 エバンに自虐気味に答えていると、左肩に重たい衝撃が走りそちらへ崩れそうになった。
 サンタもといディアンが立派な顎髭を撫で、心底ニコニコしながら俊の肩に手を置いたのだ。

「だよなぁ。ギンに向いてるとはどう考えても思えなかったし」

 エバンが小憎たらしい顔をギンに向け、ギンがイーと歯を見せて威嚇する素振りをした。

「まあでもギン以外はもっと駄目だったからな。字自体読めない奴もいるくらいだ」

 カールが細い瞳をもっと細めながら厳かに言った。

「そうだぞ。俺が一番マシだったのはお前等のせいだ。つまり今現在うちの財政管理がボロボロなのはお前等のせいだ」

「いやそれはまた違うだろ」
「何にせよ少年が来てくれて良かった。そう言えばお前の名前をまだ訊いていなかったな」

 ピカピカの頭と同じくらいキラキラした黒い瞳でディアンがこちらを見る。

「俊です。宜しくお願いします。あのでも少年という歳では」
「俊、ギン」

 喧噪は水を打ったように静まり返った。
 自己紹介よりもまずディアンの認識を改めたかった俊も思わず口を噤み、発言者へと体の向きを変えた。
 クレイグはちょっと来い、と二人を呼ぶと他の三人に外へ出るよう目線で促した。
 エバンは口を尖らせながら、ディアンとカールはまだニコニコしながらそれに従った。

「ギン、まだ仕事は終わった訳じゃねぇぞ。引き継ぎはしっかりやれ」

 俊が採用された瞬間より数字から解き放たれると思っていたギンはあからさまに肩を落とした。
 それでもしぶしぶ承諾したギンに一つ頷くとクレイグの金色の瞳が俊の方を向いた。

 きゅ、と俊は身をすくませた。
 先ほどから何度も相対しているのに一向に慣れる気配が無い自分が情けない。

「この建物はこの書斎以外ならどこでも自由に使って良い。だがしばらく、お前が信用に足る奴だと多数決で決まるまでは外へ出るのは控えてもらう。部屋は余ってるからここに寝泊まりしても良いが、帰宅する際はここへ来たときと同じように俺か誰かが適当な場所まで送っていく。目隠しはいらないが道が分からないよう窓の無い馬車に乗ってもらう。良いか?」
「は、はい」

 俊はこくこくと頷いた。
 疑問符が付いていたが否と言える雰囲気ではなかった。
 勿論掴んだ好機をみすみすふいにする気はないが。

「食事はカールの担当だ。共用部分の掃除は当番制だ。その他の分からないことはギンに訊け」

 カラクリ人形のようにまたもこくこく頷いた。

「あと、俺に対しても誰に対してもここでは敬語は使わなくて良い」

 え、と俊は人形から人間に戻ってクレイグとギンの顔を見た。ギンはうんうんと肯定している。

「ここは身分や歳に関係無く集まった者達のたまり場みたいなもんだからな。一応俺が頭だから最終決定や有事の判断はするが、基本的に合議制を取ってる。上下を感じさせるようなものは要らねぇ」

 決然とした声に俊が何も言えずにいると、もう良いぞ、とクレイグは二人に恩赦を与えた。
 だがあーあ、とギンが背伸びをしながら扉から出て行っても俊はそこに立っていた。

 仮にも狼国の第一王子が一般庶民、しかも根無し草相手にそこまで考えているとは思っていなかった。
 クレイグルートで出現した暁の霧キャラはギンだけで、確かにため口だったがギンの性格上の演出だと思っていた。

 そう言えば何故彼が狼国を出奔しかつ死亡したことになっていたのか、ネタバレには書いていなかった。

「……何だよ」

 クレイグの困ったような顔を見て俊は慌てて室内を見回し、二人きりになったことに気がついた。

「え、あ、えっと……」
「……さっきの最後の問題、きちんと計算したのか?」

 何か用ありげに居座ったにも関わらず、いきなり逃げ出すのは失礼かも知れないと何もできずにいるとクレイグが訊いてきた。
 ぶっきらぼうな言い方だがもしかして俊に気を遣ってくれたのだろうか。

「実はしてないで……じゃない、してない」

 クレイグが片眉を上げた。俊は肩を竦めて見せた。
 ここまでくればいきなり切り捨て御免になることもあるまい。

「同じ数字が続く問題はだいたい打ち消し合ってキリの良い数字や1、もしくはゼロになるんだ。それで最後に7の二乗に1を足した50のマイナスが出てきたらゼロだろうと勝負に出たんだ」

 クレイグの聞き方から考えるに計算するには五秒では足りないと知っていたのだろう。
 だから正直に答えたのだが、言い終わって沈黙が下りると途端に不安になった。チラリとクレイグを下から窺い見て俊は目を丸くした。

「軟弱者にしか見えねぇのに意外に度胸あんな。時間制限がある中でそこまで考えられるだけの頭もある」

 驚いたことにクレイグは笑っていた。綺麗な目を細めて、楽しそうに。
 だが俊の視線に気がついたクレイグは瞬時にもとの難しい顔に戻った。

「もう行けよ」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、目尻が赤らんだのを見てしまったので照れ隠しにしか思えなかった。
 横柄で傲慢な男性を想像していたのにこれではタダの好青年ではないか。
 まぁ攻略対象なのだし、乙女が惚れる要素があるに決まっているのだが……。

 俊はいきなり顔を真っ赤に染め、一歩後ずさった。クレイグが不思議そうに首を傾げた。

「じゃ、じゃあそう言うことで。採用してくれてありがとうな!」

 俊は極めて素早く踵を返した。
 そうだった。
 彼は攻略対象だった。

 今までは俊が不審な行動を取っていたため立場上厳しく当たっていたのかもしれないが、ヒロインが不在の今、攻略対象と二人きりになってはいけない。

「……おい」
「っ!」

 後ろから肩を掴まれ、緊張が走った。

「お前に一つ言っておくことがある」

 俊が振り返るのを遮るようにすぐ耳元で低い甘い声がした。
 ぞわ、と暖かい息がかかった耳殻からさざ波のような柔らかい刺激が全身を巡った。

「俺に、必要以上に近づくな」

 恐ろしいほど静かな声が一音一音俊の鼓膜に刻まれた。返事をする暇は無かった。仮にあったとしても場に相応しい言葉など俊には分からなかった。

 クレイグは俊を扉の外へ押し出すと、まるで決別のように書斎の扉を閉めた。

 再びお祭り騒ぎを始めていた面々に後ろから羽交い締めにされ、輪に加わることになった。
 扉の奥でクレイグが忌ま忌ましげに彼自身に悪態を吐いたことに気がつかなかった。
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