異世界で出会った王子様は狼(物理)でした。

ヤマ

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43.名前を呼んで

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 奥の寝室に移動し寝台に飛び乗ったクレイグの横に俊も座る。
 だがそう易々と寝させてくれるわけでは無かった。

「教育係との鍛錬はちゃんとやってるか?」から始まりお前はまず剣の持ち方がなってないだの、腰が引けてるから力が入らないんだだの怒涛のダメ出しをされた。
 平常であればうんざりしそうだが、身を守る必要がある俊を心配した故のことだと知っている。俊は真剣に耳を傾けた。

 だがふと俊は一抹の不安に駆られた。ゲームの知識などもう役に立たない。この期に及んで脇役でしかない俊が何かした所で運命を変えられるのだろうか。

「お前は体が小さいからその分小回りが……おい、大丈夫か?」

 狼がいぶかし気に覗き込んでくる。俊は少し悩んでから正直に口を開いた。

「ごめんなんか……実感がないというか、報われる気がしなくなってきて」

  何か言いたげに金の瞳は眇められ、俊は自嘲気味に笑った。

「こういう運命に振り回されてそれを乗り越えてって波乱万丈な人生は主役が送るものだろ。脇役の俺には無縁なんだと思ってたんだ。俺みたいなのはなんとか定年まで地味に働いて、せめて老後は好きなことして楽しめれば万々歳だろうって」

 クレイグの隣はとても暖かい。張り詰めていた糸も切れ、ぽつりぽつりと話し始めると止まらなかった。
    珍しく数学以外で饒舌な俊をクレイグはじっと見つめていた。

「十歳くらいの頃クラスの主役みたいな女子にそろばんとか暗算を馬鹿にされたんだ。悔しかったけど立ち向かうわけでもなく、人前では隠すようになった。悪目立ちしたくなかったからだけど、俺から数字を取ったら本当に特徴が無くてさ、教室の風景素材みたいだなって言われたよ。好きなことを馬鹿にされてもヘラヘラ笑うのが癖になってたせいもあるかな。それでも同じようなオタクの友達も居るしまあまあ楽しんでたんだけどさ……」

 俊は言葉を詰まらせた。だがクレイグは口も挟まず待っていてくれた。

「かと言って数学や計算以外に得意なこともないし、食べていけるのなんてほんのひと握りの数学者になる大志も冒険心もなくて、穏当に数学教師になった。両親はそれでも俺が数学を捨てなかった事を凄く喜んでくれた。初任給で美味しいご飯食べに行こうって約束してた。でも……その三日前に事故で呆気なく死んだんだ。両親も脇役なんだなってなんかその時に思って……」

 俊だって冴えない人生を送って地味な事故で死んで、やっと王子様と言うキャラ属性を与えられたかと思えば捨て駒として死ぬ。異世界と地球で脇キャラの使い回しをしているとしか思えない。

 転生してからは二度目の人生でくらい、と己を奮い立たせていたが、ここにきてまた諦念が押し寄せていた。俊は自嘲を深くした。

 だが一気に喋ってしまってから、王が健在なのに辻褄が合わないと気がついた。

「両親って言うのは蝶国の王のじゃなくて、育ての親のことで」

 アリア曰く、俊は王宮で産まれた訳ではなく、数年前に女性関係にも血気盛んなアランの落胤として探し出されたのだという。なんと第五と第二十王子も同じらしい。

 慌てて帳尻を合わせるも背後のクレイグに動きが無い。興味の無いことをつらつら聞かせたせいでうんざりされているのかも知れない。

「なんか重くなってごめんな。もう両親の事故からは立ち直ってるんだ。まあ俺が掴みたかった老後の幸せも、ヒロインとクレイグにかかってるし、他力本願だし、脇役人生まっしぐらって感じで情けないな」

 上半身を起こし、重くなった雰囲気を変えようと笑う。
 モブキャラらしく運命に抗えず死んだとしても、クレイグが助かる手助けができたなら転生してきた意味は十分あった。
 別にヒーローになりたいわけでもない。多少出番があったところで、相手が決まっているヒロインに横恋慕して彼氏と不仲になった時だけ日の目を見る様な盛り上げ駒が関の山だ。

 --人違いだったようだ。

 突然、男の声が脳裏によみがえった。俊は後ろを振り返るが誰もいない。
 この声を聞いたことがある。聞いて、そしてやっぱり、と思ったのだ。特別な役割を与えられたと喜んでも、どうせ人違いというオチが待っている。そう諦めたのだ。

 だが詳しい状況が思い出せない。落ち着かない気分のまま、俊はクレイグに向き直った。

「えっと、もちろん率先して死にたいわけじゃないし、ちゃんと身は守るよ。ちょっと急な変化に頭が付いていかないだけだし、……ってなに?」

 クレイグの頭に押され、俊は横に倒れ込んだ。倒れ込んだ先には狼の柔らかいお腹があった。
 ふわ、と足の上に大きい尻尾が置かれた。極上の毛皮に包まれているようだ。ひやりと冷たい鼻が頬をくすぐる。

「お前が転生者なのはなんとなく気がついてた」
「ええ!?」

 何故それを知っているのかと重厚な毛皮に埋もれかけていた頭を上げる。

「この世界、とかポンズ? がどうとか前に言ってただろ」

 最初に狼姿のクレイグに首根っこを掴まれていた時のことだ。そう言えば数分後には美味しくいただかれて仕舞うのだと自棄になっていろいろ口走った気がする。
 別の意味でいただかれてしまったけれど。

「主役なんていないんだ」

 真摯な声が頭に響く。

「どれだけ平坦だろうと人はそれぞれ自分の世界を生きてる。人生の特殊さや派手さは幸福度とは比例しない。お前もお前の親も俺もお前を背景って言う奴だって、お前や誰かの世界の一部だ。そこに主役だの脇役だのの差は無い。役なら下りられる。だがどんな憂き目にあっても自分の世界からは逃げられはしない」

 目の前の数奇な運命を背負わされた狼を俊は見つ返した。

「俺はお前がへらへら笑ってるとは思わない。状況を観察して揉め事を起こさないよう気を配ってのことだ。立派な処世術だ」

 それに、と彼は牙の間から唸るように続けた。

「お前は生来の気質で優しい。俺の正体を知った時も変わらず俺に笑いかけてくる、普通の人間みたいに扱ってくる。まあ童貞コンプレックスには面食らったが。……ずっと自分を偽ってきた俺は、お前の笑顔に救われた。俺はお前の笑った顔自体結構す、……嫌いじゃない」

 驚いて目を見開くと狼は居心地悪そうに目を細めた。

「くさかったな今の」

 顔をそらそうとしたクレイグの首に俊は腕を巻き付け、抱きついた。
 クレイグは焦ったように目を見開いたが、腕に力を込めた俊を引き剥がしはしなかった。くぐもった声で俊が有り難うと伝えると、滑らかな頬を俊のそれに擦り付け応えてくれてた。

 暖かい毛皮から伝わる鼓動がとても心地よく、先ほどの言葉と相まって胸に刺さっていた棘が鋭利さを失っていく。

「まぁつまり気にすんなってことだ」

 いきなり語彙力不足に陥ったクレイグに、俊は笑いながら顔を上げた。驚くほど穏やかな気持ちだった。

 持てる限りの力で運命に抗おうと思った。何処までできるかは誰にも分からない。
 ゲームはもう俊の知るシナリオから逸脱している。
 俊が諦め悪く足掻いたって罰は当たらない。

「当て馬の中でも、ラストで彼を追いかけるって決めたヒロインを空港にバイクに二ケツで送っていく見せ場くらいあれば良いなと思ってたけど、認識を改めることにする」
「何言ってるか全然分かんねぇけど、それ結構美味しい役じゃねぇ?」

 ふふ、と笑うとクレイグも楽しげに体を震わせた。まあバイク乗れないんだけど。そう口を滑らせたせいで馬の乗り方を教えてやる、とまた一つ宿題が増えてしまった。

「そう言えばお前、俺に謝りたかったってなんだ?」

 ゲホッと何も口に入っていないのに噎せかけた。金の瞳にはいたずらに目を輝かせている。美形は狼でも美形なのだからずるい。

「いや……俺、ずっとお前の気持ち無視して自分のことしか考えてなかったなって」

 ドギマギしているのを誤魔化すため枕の柄を興味も無いのにいじくった。謝りたかった、が聞こえていたと言うことはもう一つも……。

「仲良くなりたかったのは?」

 ほらやっぱり!
 う、だの、あ、だの母音しか口からは出なくて顔が熱くなる。先の質問にはしどろもどろながら答えられていたので、ギャップが際立ってしまう。

「ヒロインとくっつけるためにか?」
「え?」
「お前、まだ俺とヒロインをくっつけるとか思ってんのか?」
「ちょ、ちょっと待って」

 険の立った声で畳みかけられて、さらに顔が迫ってくる。狼でも明らかに虫の居所が悪そうなのが見て取れる。
 思わずクレイグの顔を手で制止して顔を背けた。

「……悪い」

  クレイグは我に返ったように天井を振り仰いだ。窓から見えるのは夜の風景。西の空には満月に近い月が存在を主張している。
 クレイグは俊の側から退くと頭を振り、立ち上がった。

「やっぱ狼のままでもやべぇから帰る」

 一瞬、意味がくみ取れなかった。目をぱちくりさせているとクレイグは少し困ったようなそれでも是非を言わせない表情を俊に向けた。

「襲いそうだから帰るって言ってるんだ」

 先ほどまでと明らかに変わった雰囲気に、言われた内容に肩が揺れた。

 そうだった。満月の夜がピークなだけで発情期はその日だけとは限らない。彼が今、普通に見えるのはその忍耐力と理性の強さのお陰だ。スウィから手紙を受け取ったその足で駆けつけてくれたが、本来ならば地下牢に身を置いていたはずだ。
 だが、そうだとしても。

「別に帰らなくても……い、いつもと同じようにすれば。いや俺が嫌になったとかなら話は別だけど」

 喋りながら顔がまた上気していく。クレイグの発情期に付き合っているだけの筈なのに、何故か俊が望んでいるみたいだ。
 俯いてしまったのでクレイグの表情は分からない。だが赤くなっている耳を冷やすように濡れた鼻先が擦れた。

「そのために来たんじゃない。それに疲れてるだろう。無理はしなくて良い」
「む、無理なんかしてないよ」

 こちらを慮る声に胸が痛くなる。狼姿であれば性欲を抑えられると言っても、結局は彼は自身を牢に閉じ込めておかなければいけなかった。
 彼はおくびにも出さないが、あんな冷たい場所で眠りたいわけがない。

「二回付き合って貰っただけでも十分だ。借りは必ず返す」

 無理はしていない。緊張はするが、無理なんかではない。貸しをつくったつもりもなかった。そして彼が思っているだろう憐憫の情では絶対にない。

 俊の無言をどう捕らえたのか、クレイグは大きな尻尾を振って俊に背を向けベッドから降りた。

「あ、待っ……」

 このままでは彼は行ってしまう。
 明日もきっと俊を求めない。そして来月の満月も。

 俊はぎゅ、と一度下唇を噛みしめ、震える口を開いた。

「ク、クレイグ……!」
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