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第26話 金貨の貸付と、風呂場の誤解
しおりを挟む一行は、セオドニックの街へと続く巨大な門をくぐった。
ディノッゾは、天を突くほどの高い壁を見上げ、あの日の光景を思い出していた。
(……ああ、間違いない。あの時、馬鹿みたいに高く跳んだ時に、かすかに見えたのはこれだったんだ)
長かった。本当に、長い道のりだった。
死の淵を何度も覗き、泥水を啜り、不味い肉を食い、人ならざるものに怯え続けた日々。その全てが、今、終わりを告げたのだ。
ディノッゾの目から、自然と涙が一筋、頬を伝った。
「やっとだ……!」
安堵の声が漏れる。だが、次の瞬間、彼の思考は、極めて現実的な欲望に支配されていた。
(そうだ、魔石だ! 確か、魔石は高いと言っていたな。サイクロプス三体分……A級が三つか? なら、相当な額になるはずだ。よし、これで当面、自堕落な生活ができる!)
そんな、小物感満載のたくらみに、ディノッゾの口元がだらしなく緩んだ。
兵士に道案内され、一行は街のメインストリートを進む。ディノッゾは、てっきり宿に直行するものだと思っていた。だが、セスティーナが向かった先は、ひときわ大きく、荘厳な石造りの建物。皇国聖騎士団の本部だった。
逆らえるはずもなく、ディノッゾはそのまま従うしかなかった。
「ようこそ、セオドニック騎士団本部へ。長旅でお疲れでしょう。このあと、宿にご案内いたします」
応接室に通されたディノッゾとリリアに、セスティーナは優雅に微笑んだ。
「ですが、その前に、お召し替えを」
その言葉に、ディノッゾは自分たちの姿を見下ろした。
森でのサバイバル生活で服は汚れ、血と汗と泥の臭いが染みついている。あちこち破れており、その見た目はごろつきか浮浪者同然だ。
(自分はともかく、リリアにこんな格好をさせ続けるわけにはいかねえ)
「……ああ、そうだな。助かる。着替えたら、宿に……」
ディノッゾが、そう言いかけた、その時だった。
彼は、最も単純で、最も重要な事実を思い出した。
(……いや、待てよ)
彼の顔から、すっと血の気が引いた。
(金がない)
ドラゴンに吹き飛ばされたあの日、なけなしの財産が入っていた革袋も、荷物も、何もかもが崖の下だ。回収など出来るはずもなかったから、二人とも、今は完全な無一文なのだ。
宿代どころか、服一枚買う金もない。
セスティーナが侍女に新しい服を持ってくるよう指示を出す。その、あまりにもスムーズに進む話の流れを、ディノッゾは脂汗をかきながら、慌てて遮った。
「ま、待ってくれ、セスティーナさん!」
「はい、ディノッゾ殿。何か?」
「いや、その……悪いんだが、金が無いんだ。服を買う金も、宿代も、一文無しでな」
ディノッゾの、あまりにも率直な告白に、セスティーナは一瞬きょとんとした。そして、すぐに優雅な微笑みを浮かべると、腰に下げていた革の財布を取り出し、中から金貨を数枚取り出した。
「では、これを」
「いや、貰うわけには……」
「お貸しするだけです」セスティーナは、ディノッゾの言葉を遮った。「変に思われたくありませんから。明日ギルドで魔石を換金されるのでしょう? その時にお返しいただければ結構です。ですが、当面の資金がないと、何かとご不安でしょうから」
彼女の、あまりにも理路整然とした、そして相手を立てた申し出に、ディノッゾはぐうの音も出なかった。
「……すまねえ。助かる」
彼は、素直に金貨を受け取った。
「では、話がまとまりましたところで、まずはお疲れを癒してください。お風呂の準備をさせます」
その言葉に、ディノッゾの顔が曇った。彼は、隣にいるリリアの小さな手を、そっと握る。
(……そうか、風呂か。だが、リリアを一人にするのは……)
彼は、意を決すると、セスティーナに向き直って、とんでもなく不器用な言葉を口にした。
「なあ、セスティーナさん。その、風呂なんだが……一緒にお願いしたい」
「…………はい?」
セスティーナの笑顔が、固まった。
次の瞬間、彼女の白い肌が、耳まで一気に真っ赤に染め上がる。
(い、い、い、一緒にお風呂……!? わ、私と、この男と、少女の三人で!? こ、この男は、一体何を……!? これが、噂に聞く『夜のお誘い』!? し、しかし、あまりにも唐突すぎる……! 私の心の準備が……!てっきりあれは夜伽までないと、もうしばらく・・・)
彼女が、聖騎士の威厳も忘れて完全に狼狽えているのを見て、ディノッゾは、ようやく自分の言葉が足りていないことに気がついた。
「あ、いや、そうじゃなくて!」
彼は、慌てて手を横に振った。
「セスティーナさんも返り血を浴びたから、風呂に入るだろう? だから、この子を頼みたくてさ。」
ディノッゾは、リリアの頭に優しく手を置く。
「もう14(じゅうし)だから、俺と一緒ってわけにはいかねえだろ。けど、知らない者の中に、この子を一人にしたくねえんだ」
その、不器用だが、リリアを心の底から案じている言葉。
セスティーナは、自分の早とちりが、恥ずかしくてたまらなかった。そして同時に、目の前の男の深い優しさに、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「……そ、そうですよね! 失礼いたしました!」
彼女は、咳払いを一つすると、聖騎士の威厳を取り戻し、リリアに優雅に微笑みかけた。
「リリアさん、私とお風呂、行きますか?」
「はい、セスティーナ様!」
リリアが、嬉しそうに元気よく返事をした。
話がまとまり、セスティーナがリリアを女子浴場へと案内していく。そして、ディノッゾと、むさ苦しい防衛隊長だけがその場に残された。
「隊長殿。ディノッゾ殿を、男子浴場へ」
「はっ! ……しかし、私はまだ任務が……」
そんな暇はない、と断ろうとした隊長の言葉は、セスティーナの氷のような目配せによって、喉の奥に消えた。
「……ははっ。私が、浴場にご案内いたします、ディノッゾ殿!」
隊長は、引きつった笑顔で、ディノッゾの背中を叩いた。
こうして、ディノッゾは、むさ苦しい男たちと共に、久しぶりの湯を浴びることになったのだった。
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