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誦文歌
別離
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河内忠親が世を去ったのは、寛弘三年正月二十二日の午の三つ時だった。
都は墨でも混ぜたような暗い雲に蓋をされていた。道も木々も家々も、止むことなく降る雪にうっすらと覆われていた。
忠親の死を看取った一人娘、雪世の落ち着きぶりは、忠親配下の放免たちを半ば感じ入らせ半ば戦かせた。日頃から大人しいことで知られる彼女が、さらぬ別れに泣き伏すどころか、自ら進んで立ち働き、周りにてきぱきと葬いの指図をしたからだ。何かに取り憑かれたのでは、と勘繰る者まであったのは無理もない事だった。
北枕に直された遺体は屏風で囲われた。枕元には灯が点された。忠親が生前それを固辞したため、屋根などに登って『魂呼』をする者はいなかった。
野辺送りの地は阿弥陀ヶ峰の麓、鳥辺野にすることを雪世が決めた。貴人の墓を憚って、北側の相応しい場所が選ばれた。荼毘には付さず土葬だった。盛り固めた土の上には綺麗な石が据えられ、卒塔婆も立てられた。
検非違使別当藤原斎信はじめ、上役たちの名で届いた見舞いの品々は右から左へ追善の料に当てられた。新しく贖った墨染めの衣に袖を通して、雪世は一年間の服喪に入った。
放免の一人がある異変に気付いたのは、一介の看督長としては破格の立派さだったと言っていい忠親の葬送の儀式が滞りなく済んだ、その三日後のことだった。
葬儀の翌日には止んだはずの、都を白く染めた雪が、河内邸にだけは飽かず降り続けているというのだ。
「その降り方ってのがあまりにも狙い澄ましているもんで、これはおかしいという話になりまして」
囲炉裏を囲んで、真咲と美葛、妙泉尼、もゆらの四人が会している。妙泉尼の庵を訪ねて来た真咲は、挨拶もそこそこに、その目で見た怪異のことを身振り手振りを交えて語るのだった。
「庭と言わず屋根と言わず、こんもり積もった雪、雪、雪。重たくて湿ったやつなもんで、古い屋敷はぎしぎしみしみし悲鳴を上げ通しなんです。下ろしたり掻いたりも続けちゃいますけど、このままじゃきっと、屋敷はひしゃげちまう。どうしたもんでしょう」
美葛の目に、真咲は三四日前に会った時よりも少し痩せたように見えた。ただ、分かる違いと言えばそれくらいのもの。恩人である忠親の死を真っ直ぐに受け止め、乗り越えているようでひとまず安心した。
その身に負った傷や怪我のせいでじわじわと死に至る。そんな山の仲間は少なくなかった。心も同じに違いない、と美葛は思うのだ。見えはしないが、ひどく損なえば膿んで腐って、それが元で息絶えてしまう。母の死に際して美葛自身がそうなりかけていたように。真咲が同じようにならなかったことは何よりだった。
「美葛」
珍しく妙泉尼に名を呼ばれた。美葛は居住まいを正した。いつもの脇息に凭れた美貌の尼僧は、やはりいつもと同じ尊大さで美葛に顎をしゃくった。
「お前、行ってその場を検めておやり。ただの雪ならそれで良し。術ならそれをかけた者がいる。呪いならそのための道具なり何なりが見つかる」
美葛は、すぐには返事をできなかった。
妙泉尼に一礼した真咲が美葛の方に向き直った。
「頼まれてくれるか、美葛。この通り」
「……私なんかに頼っていいの?」
「おい、どうした? そんな情けない顔して」
不満で不安で不愉快そうな、暗い面持ちなのに違いなかった。真咲に見せたいものではない。それでも美葛には、愛想もなくそっぽを向くことしかできなかった。
もゆらが真咲に向かって小さな肩をすくめてみせた。
「先頃お師匠様が供養してくださった遊女と妖狐の件からこちら、ずっとこんな調子なんです。お仲間の変化を見破れなかった己を恥じて、落ち込んでいるのでしょう」
「そんなんじゃないよ」
美葛は唇を尖らせた。そんなんじゃなくもないことは己が一番よく分かっていた。
ただ、そのせいばかりという訳でもまたない。胸のもやもやは日を追って増すばかりで、不満や不安や不愉快の源がどこにあるのかも定かには知れない。美葛自身、己の心を掴みかねているのだ。
本当に求めているのは何か――。
消え去る前に狐の薫里が残した言葉が、美葛の心を掻き乱し続けていた。
信太の里にいた半年前には、せっかく憧れの都にやって来ながらこのような心持ちになるとは思いもしなかった。今やその憧れにさえ影が差して感じられた。
都の気の流れは日を追って澱み、穢れつつあるという、白雀に化けた不知也の言葉もしきりと思い出された。
彼が強く勧めた通り、この地を去るべきなのかもしれない。美葛は真剣にそう思った。物知らずな狐に都は刺激が強すぎる。一握りの物持ちに数多くの貧しい者が寄って集る姿。人を謀り、騙し、罪を犯してでも今を生き延びようとする者たち。人と人ならざるものとが、互いに相容れないものと知りながら、それでも隣り合わせに生き続けている様。都にいれば山よりもずっと多く向き合うことになるそれらすべてが、今は辛い。
美葛の横顔を見守る様子だった真咲が、上目遣いに問うてきた。
「里に帰りたいのか」
「……分からない」
修行はきっとどこでもできる。都にも里にも拘ることはない。そんな当たり前のことが一抹の寂しさと共に頭をよぎった。途端に、広い天地に一匹だけでいるような寂しさに囚われた。堪らず真咲に問いかけた。
「真咲は? 真咲も迷ってたよね? お母さんとの約束を果たして、忠親様の見送りも終わって、これからどうするの?」
「俺はこのまま都に留まる」
間髪入れない返事だった。思いの揺るぎなさが瞳に表れていた。
「忠親様に返し切れなかった恩を、天涯孤独の身になられた雪世様にお仕え申し上げることで、少しずつでもお返ししたい考えだ」
都は墨でも混ぜたような暗い雲に蓋をされていた。道も木々も家々も、止むことなく降る雪にうっすらと覆われていた。
忠親の死を看取った一人娘、雪世の落ち着きぶりは、忠親配下の放免たちを半ば感じ入らせ半ば戦かせた。日頃から大人しいことで知られる彼女が、さらぬ別れに泣き伏すどころか、自ら進んで立ち働き、周りにてきぱきと葬いの指図をしたからだ。何かに取り憑かれたのでは、と勘繰る者まであったのは無理もない事だった。
北枕に直された遺体は屏風で囲われた。枕元には灯が点された。忠親が生前それを固辞したため、屋根などに登って『魂呼』をする者はいなかった。
野辺送りの地は阿弥陀ヶ峰の麓、鳥辺野にすることを雪世が決めた。貴人の墓を憚って、北側の相応しい場所が選ばれた。荼毘には付さず土葬だった。盛り固めた土の上には綺麗な石が据えられ、卒塔婆も立てられた。
検非違使別当藤原斎信はじめ、上役たちの名で届いた見舞いの品々は右から左へ追善の料に当てられた。新しく贖った墨染めの衣に袖を通して、雪世は一年間の服喪に入った。
放免の一人がある異変に気付いたのは、一介の看督長としては破格の立派さだったと言っていい忠親の葬送の儀式が滞りなく済んだ、その三日後のことだった。
葬儀の翌日には止んだはずの、都を白く染めた雪が、河内邸にだけは飽かず降り続けているというのだ。
「その降り方ってのがあまりにも狙い澄ましているもんで、これはおかしいという話になりまして」
囲炉裏を囲んで、真咲と美葛、妙泉尼、もゆらの四人が会している。妙泉尼の庵を訪ねて来た真咲は、挨拶もそこそこに、その目で見た怪異のことを身振り手振りを交えて語るのだった。
「庭と言わず屋根と言わず、こんもり積もった雪、雪、雪。重たくて湿ったやつなもんで、古い屋敷はぎしぎしみしみし悲鳴を上げ通しなんです。下ろしたり掻いたりも続けちゃいますけど、このままじゃきっと、屋敷はひしゃげちまう。どうしたもんでしょう」
美葛の目に、真咲は三四日前に会った時よりも少し痩せたように見えた。ただ、分かる違いと言えばそれくらいのもの。恩人である忠親の死を真っ直ぐに受け止め、乗り越えているようでひとまず安心した。
その身に負った傷や怪我のせいでじわじわと死に至る。そんな山の仲間は少なくなかった。心も同じに違いない、と美葛は思うのだ。見えはしないが、ひどく損なえば膿んで腐って、それが元で息絶えてしまう。母の死に際して美葛自身がそうなりかけていたように。真咲が同じようにならなかったことは何よりだった。
「美葛」
珍しく妙泉尼に名を呼ばれた。美葛は居住まいを正した。いつもの脇息に凭れた美貌の尼僧は、やはりいつもと同じ尊大さで美葛に顎をしゃくった。
「お前、行ってその場を検めておやり。ただの雪ならそれで良し。術ならそれをかけた者がいる。呪いならそのための道具なり何なりが見つかる」
美葛は、すぐには返事をできなかった。
妙泉尼に一礼した真咲が美葛の方に向き直った。
「頼まれてくれるか、美葛。この通り」
「……私なんかに頼っていいの?」
「おい、どうした? そんな情けない顔して」
不満で不安で不愉快そうな、暗い面持ちなのに違いなかった。真咲に見せたいものではない。それでも美葛には、愛想もなくそっぽを向くことしかできなかった。
もゆらが真咲に向かって小さな肩をすくめてみせた。
「先頃お師匠様が供養してくださった遊女と妖狐の件からこちら、ずっとこんな調子なんです。お仲間の変化を見破れなかった己を恥じて、落ち込んでいるのでしょう」
「そんなんじゃないよ」
美葛は唇を尖らせた。そんなんじゃなくもないことは己が一番よく分かっていた。
ただ、そのせいばかりという訳でもまたない。胸のもやもやは日を追って増すばかりで、不満や不安や不愉快の源がどこにあるのかも定かには知れない。美葛自身、己の心を掴みかねているのだ。
本当に求めているのは何か――。
消え去る前に狐の薫里が残した言葉が、美葛の心を掻き乱し続けていた。
信太の里にいた半年前には、せっかく憧れの都にやって来ながらこのような心持ちになるとは思いもしなかった。今やその憧れにさえ影が差して感じられた。
都の気の流れは日を追って澱み、穢れつつあるという、白雀に化けた不知也の言葉もしきりと思い出された。
彼が強く勧めた通り、この地を去るべきなのかもしれない。美葛は真剣にそう思った。物知らずな狐に都は刺激が強すぎる。一握りの物持ちに数多くの貧しい者が寄って集る姿。人を謀り、騙し、罪を犯してでも今を生き延びようとする者たち。人と人ならざるものとが、互いに相容れないものと知りながら、それでも隣り合わせに生き続けている様。都にいれば山よりもずっと多く向き合うことになるそれらすべてが、今は辛い。
美葛の横顔を見守る様子だった真咲が、上目遣いに問うてきた。
「里に帰りたいのか」
「……分からない」
修行はきっとどこでもできる。都にも里にも拘ることはない。そんな当たり前のことが一抹の寂しさと共に頭をよぎった。途端に、広い天地に一匹だけでいるような寂しさに囚われた。堪らず真咲に問いかけた。
「真咲は? 真咲も迷ってたよね? お母さんとの約束を果たして、忠親様の見送りも終わって、これからどうするの?」
「俺はこのまま都に留まる」
間髪入れない返事だった。思いの揺るぎなさが瞳に表れていた。
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