【完結】胎

七瀬菜々

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CASE2:木原愛花

11:ラフ・メイカー(3) side隆臣

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「俺のことは好きなのに別れたいってどういうこと?」

 愛花の言っていることはよくわからなかった。
 ただ一つ言えるのは、愛花の心はもう決まってしまっているということ。
 俺がどれだけこれから頑張るからと言っても、泣いて縋っても、愛花は穏やかな笑みを浮かべて、ただ『ごめんね』と言うだけだった。
 愛しい妻はまだ好きだという言葉は嘘なんじゃないかと思うほど、何の感情もない目を俺に向ける。

 息苦しい沈黙。BGM代わりに流していた子ども向けの教育番組は気がついたらアニメに変わり、昆虫の番組に変わっていた。
 
「愛花……。翠ちゃん、そろそろ授乳なんじゃない?」

 見かねた新山が一旦、話し合いを中断しようと愛花に授乳を促した。愛花はそれはそれは愛おしそうに翠を抱き上げ、別室に向かう。
 その瞬間の彼女の横顔は母親そのもので、彼女の中での優先順位の一番が俺ではなく娘になったのだということを明確に示していた。

「ま、待って……」

 俺はそれが寂しくて、別室に行こうとする愛花に手を伸ばした。
   けれど、その手は先生によって塞がれた。
 
「先生……」
「隆臣くん。今日はもう帰りな」
「でも!」
「でも、じゃない」

 先生は刺すような鋭い視線を俺に向ける。その瞳に俺はびくりと体を震わせた。新山はそんな俺の姿に苦笑した。

「隆臣くん。愛花の実家は今、お姉さん家族が帰って来てるそうなの。だからね、今週中はこの家にいると思う」
「えっと、それはつまり……」
「愛花が会ってくれるかどうかは別だけど、隆臣くんが愛花を説得したいのなら、それを止めはしないということだよ」
「いいのか……?」
「もちろん、愛花が会いたくないって言うなら会わせないけどね」
「あ、ありがとう!」

 新山は結婚しても昔と変わらず優しいし、いい奴だ。

「新山。俺、頑張るから!」

 まだ愛花に会える。説得するチャンスがある。これで終わったわけじゃない。そう思うと俺は安堵のため息を漏らした。
 今週は毎日ここへ足を運ぼう。そうだ、お弁当でも作ってこようかな。俺が家事を頑張っている姿を見せれば、愛花の気持ちも変わるかもしれない。
 だがそう言うと、先生も新山も呆れたようにため息をこぼした。

「隆臣くん、よく考えてね」
「何を?」
「愛花はね、単純に君が家事をしてくれないことが嫌で離婚したいと言ってるわけじゃないんだよ?それはあくまでも理由のうちの一つ」
「……えと、それはどういう意味?」
「隆臣くんには愛花を思いやる気持ちが足りないんだよ。例えば晩御飯がデリバリーだった時、愛花のことを思う気持ちがあれば『手抜き』なんて言えないはずでしょ?普通は、いつもキチンとご飯を用意していた妻がデリバリーを使ったら、何かそうせざるを得ない事情があったのかもしれないって考えられるんじゃない?……まあ、何の理由もなくデリバリー使ったりすることももちろんあるけど、愛花の置かれた環境を知ってたら、疲れてるのかなって思えるはずだよ」
「……」
「それにさっきの、お弁当を作ればって……、愛花の都合なんて何も考えてないよね?隆臣くんが愛花と別れたくないから、求められてもないお弁当を作って家事を頑張ってるアピールしたいだけだよね?」
「あ……」
「あのね、隆臣くんは基本、全部自分本位なんだよ」

 新山は穏やかに微笑みながら、辛辣なセリフを吐いた。
 言葉が胸に深く突き刺さるのは、思い当たる節があるからだろう。

「相手のことを思う心があれば、相手が求めていることはわかるはずだよ。それができなくとも、せめて何がしてほしいかを聞けるはずだよ」
「新山、俺……」
「隆臣くんは昔、愛花の笑顔の裏に隠された心に気づけたじゃん。どうして今は求めるばかりで気づけなくなってしまったの?」
「……そう、だな。そうだよな」 

 いつから俺は、愛花に求めるばかりになっていたんだろう。俺は目を瞑り、過去を思い返した。
 確か、同棲し始めた頃は愛花がご飯を作ってくれたら美味しい、ありがとうって言っていた気がする。
 作ってくれたからと、洗い物は自分からしていし、洗濯ものは……、綺麗に畳むのは苦手だけど愛花に指摘されながらも畳んでた。 
 それなのに、いつからだろう。
 ああ。そうだ。同棲を始めて1年くらい経った時期だ。ちょうど重要なプロジェクトを任された頃。
 あの頃の俺は、上司から『この仕事がうまくいけば昇進は確実』と言われていたこともあって、自由に使える時間を仕事に全振りしていた。仕事を成功させて、早く愛花にプロポーズしたくて必死だったのだ。
 しかし仕事を頑張れば頑張るほど、当然家のことなどできる筈もなくて……。あの時期は家事の負担を全て愛花に押し付けていた。
 愛花は俺の頑張りたい気持ちを汲んでくれて、文句の一つも言わずに家事を担ってくれた。そして疲れて仕事から帰って来た俺にいつも『おつかれさま。こんな時間まで頑張ってすごいね』と言ってくれた。
 あの頃の俺にとって、愛花と住む家は居心地がよかった。
 安らげる場所で甘えられる場所で、上げ膳据え膳の生活が遅れる場所。
 俺はずっとこんな生活を続けていきたいと思っていた。
 だからだろうか。仕事が落ち着いても、俺は以前のようには戻らなかった。家事は俺の仕事じゃないと思うようになっていた。
 愛花が当たり前みたいに全部担ってくれるから、俺もそれを当たり前に感じていた。

「俺、最低だな……」

 ようやく自分の過ちを自覚できた気がした。
 新山はそんな俺の肩をポンと叩き、またあの笑顔を見せた。容赦のない指摘をするときの笑顔だ。
 
「あとさ、容赦ないと思うかもだけど、もう一つ言わせて?」
「お、追い打ちをかける気だな?」
「うん」
「……ありがとう、新山。怖いけど、聞きたい。俺は変わりたい」

 愛花に相応しい男になりたい。そう言って、俺は新山を見据えた。
 
「隆臣くん……。じゃあ言うね」
「ああ」
「君はさ、ここに来てから一度でも翠ちゃんのことを気にした?」
「………………え?」
「君は愛花のことばっかりだよね。翠ちゃんのことは何も聞かなかった。突然見知らぬ家に連れてこられた翠ちゃんのこと、心配すらしなかったよね?」
「そ、それは……」

 言われて、はたと気がついた。その通りだ。俺は翠のことを気にも留めなかった。
 昨夜、愛花を探し回っている時も、そして今も……。俺は翠のことなど一度も頭に浮かばなかった。父親なのに。まるで我が子のことなどどうでも良いみたいに、俺は愛花のことばかり気にしていた。
 そのことに気づいた途端、ゾッとした。自分で自分が気持ち悪かった。

「隆臣くん、翠ちゃんってさ他人よりも小さく産まれたよね?」
「ああ……」
「愛花はきっとすごく心配したはずだよ。先生に大丈夫って言われても、保育器の中にいる我が子の姿には少なからず不安を覚えたはずだよ。隆臣くんはそんな愛花の気持ちに寄り添ってあげたことある?愛花と同じように翠ちゃんのこと心配した?」
「心配はしたよ!」
「今は?」
「いや、今はもう人並みになったし……」
「多分、愛花は今も心配してるよ。我が子のことだもん」

 愛花の育児ノートには細かい体重の増加量、授乳の回数や排泄の記録がびっしりと書かれていたと新山は言う。
 俺はそんなノートがあることすら知らなかった。

「私だったらの話で悪いけど、私だったら自分の子どものことにまるで興味がない父親とか、嫌いを通り越してもはや怖いと思って避けるかも」
「……そうか」
「隆臣くん。親は愛花だけじゃないよ?君も、翠ちゃんの親なんだよ?お父さんなんだよ?」
「ああ……、そうだな」


 新山の言葉は俺に痛みを与えた。
 俺は愛花にまた来ると言うこともできず、新山の家を後にした。
 
 
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