七瀬菜々

文字の大きさ
上 下
23 / 39
CASE2:木原愛花

10:ラフ・メイカー(2)

しおりを挟む
 高校最後の文化祭。
 相変わらずの姑息な二枚舌で、ゆかりの友達という安寧と文芸部という癒しを同時に手に入れていた私は、バチが当たったんだと思った。
 
『祥子と私と愛花の三人でさ、2年がやってるカラオケ大会に出ようよ』

 ゆかりが言い出した。歌が苦手な私は断ったが、曲は私の好きやつでいいからと半ば強制的にエントリーさせられた。
 そうして予定時刻に中庭のステージ横のテントに行くと、ゆかりも祥子もいなかった。  
 すぐに嵌められたと分かった。彼女たちはこの頃、こういう“約束したのに待ち合わせ場所にいない”という地味な嫌がらせにハマっていたから。
 
『ど、どうしますか?』

 後輩が困った顔をして聞いてきた。辞退も可能だと言ってくれた。
 けれど、私が辞退したら進行が狂うのだろう。彼らの眼差しはそのまま出てくれと言っていた。
 どうせ嗤われるのはいつものこと。自分から進んでピエロを演じて来たのだ。今更無くして困る評価もプライドも私にはない。
 私は堂々と、笑顔で後輩からマイクを受け取り、ステージに上がった。
 ステージの上から観客を見下ろすと、視界の端にはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるゆかりと祥子がいた。
 楽しそうで何よりだ。
 二人はきっとこの後、私が恥をかく姿を散々楽しんでから私の元へと駆け寄り、軽く、空気よりも軽く『ごめーん』と言うだろう。そして私はそれを笑って許すんだ。私にはこの後の展開が手に取るようにわかる。
 思う存分、嗤うがいいさ。
 私は両手でマイクを握り締め、大きく息を吸い込んだ。

『3年1組、山田愛花でーす!BUMP OF CHICKENのラフ・メイカーを歌いますっ!』

 声高らかに宣言する。そしてテントの方へ合図を出した。
 すると、後輩の後ろから二人の女生徒がものすごい勢いでステージに飛び出して来た。
 
『な、んで……?』

 飛び込み参加の新山あずさと戸村千景は後輩からマイクを奪い取ると、早く曲を流すよう促した。


 *


「自信満々に飛び出してくるものだから、歌が得意なのかと思ったら二人とも超音痴でさー。結局、観客に笑われる人間が二人増えただけだったなぁ。ふふっ」

 あの時のことを思い出し、私は思わず吹き出してしまう。
 でもあの時、一緒に笑われてくれる人がいるのは心強かった。二人が一緒だったから、あのステージは恥ずかしかったけど楽しかった。


 一夜が明け、わざわざ仕事を休んであずさの家まで迎えに来てくれた健気な隆臣くんに、私は昔話をした。
 隆臣くんは全く関係のない話をする私に、ただ困惑した。
 
「あの後さ、ステージを見ていた隆臣くんがみんなの前でゆかりたちを糾弾してくれたよね」
「そ、そうだっけ?」
「嬉しかったよ、とても。そのおかげであの二人から離れることができたし、本当に救われたの。ありがとう」
「……うん?えっと、愛花。何の話?」
「私にとって隆臣くんは大事な恩人だって話だよ。隆臣くんは私を助けてくれた。少女漫画のヒーローみたいに。だから私をあなたを好きになった。あなたに恋をした。そして恋が実ったから結婚した」
「…………うん」
「でもね、恋が愛に変わることはなかった」

 私は朝一番で役所に取りに行った緑の紙を隆臣くんの前に出した。手が少し震える。
 
「な……んで?」
  
 本当にこの展開は予想していなかったようだ。隆臣くんは目を丸くしたまま固まってしまった。
 ダイニングテーブルを挟んで向かいに座る彼の姿から、察するに昨夜は眠れていないのだろう。スーツもシャツも昨日のままだし、目の下には立派なクマが出来ている。
 きっとすごく心配してくれたのだろう。すごく不安にさせたのだろう。
 けれどその姿を見ても、私の心は動かない。

「昨日の朝、喧嘩したから?だったら謝るよ。ごめん。キツく言いすぎた」
「はは……、違うよぉ」
「じゃあ何で?俺、何かした?」

 隆臣くんの声が次第に震えてくる。
 でも、そっかぁ。この人はどうして離婚を切り出されているのか、本当にわからないのかぁ。
 私が怒りを爆発させたところで何も伝わってなかったんだと思うと、自然と乾いた笑みが溢れる。

「何かした、じゃないよ。何もしてないよ」
「じゃあどうして!?」
「何もしてないからだよ。洗濯も掃除も料理も言われないとやらないし、育児に関しては言ってもやらない。お義母さんの対応は丸投げ……。だからだよ。私ね、もう疲れちゃった」
「ご、ごめん」
「もういいよ。今更謝られてもって感じ」
「で、でも!言ってくれたら俺だって手伝ったのに」

 隆臣くんは苦しそうに顔を歪ませる。
 きっと、怒りを爆発させる前に相談して欲しかった、とでも言いたいのだろう。
 だけど……。
 
「言ったよぉ。隆臣くんが聞き流してただけだよ」
「……え?」
「というか、って何?家事も育児も隆臣くんにとっては手伝うものなの?」
「……え?え?」
「あ、わかんない?わかんないかぁ……」
「ごめん……」

 それもわからないのか。私はもうウンザリだった。
 すると、リビングで翠と遊んでいた千景が不意にこちらを振り向いた。

「手伝うって言葉が出るってことは、家事も育児も自分のことじゃないって思ってる証拠だよ。隆臣くん」「先生……」
「そゆこと。千景、ありがとう」

 私がお礼を言うと、千景は優しく笑って再び翠と遊び出した。
 千景は私の気持ちを察して必要なことだけを隆臣くんに伝えた。それ以上の余計な口を出さない。
 あずさもそう。二人はいつも私のことを理解して、私の求めているものをくれる。
 私は昨日からずっと一緒にいてくれて、今は翠のお世話までしてくれている友人の姿を見つめた。

 いつだって私の心に寄り添って、私に笑顔をくれるのはこの二人。

「でもさー、1番の理由は違うんだ。離婚したい1番の理由は隆臣くんが何もしないことじゃないの」
「……じゃあ何なんだよ」
「1番の理由はね、比べちゃうからなの」
「くら、べる?」
「あずさと千景だったら、気づいてくれるのに、助けてくれるのにって思ってしまうのよ」

 綺麗に掃除したこと。ご飯を作るのがしんどいこと。眠れていないこと。
 
「ふとした時に思うの。あずさも千景も私の辛さに気づいてくれるのに、どうして一番気づいて欲しいはずの隆臣くんは私のこと無視するんだろうって……。そう考えだしたらもうダメでさ」
「そんなこと言われても……」
「そうだよ。そんなこと言われても、だよ。私だって自分が理不尽なこと言ってるってわかってる。友達と夫を比べて、友達みたいにしてくれないって怒るのは間違いだとわかってるよ」

 “なんで私ばっかり”って思ってるうちはまだ平和だった。まだ理解してもらおうと頑張ることができた。
 けれど相手を誰かと比べるようになると、もうダメ。不躾にも他の誰かと比べて出来てないところを探して、そして少しずつ嫌いになっていく。

「私、隆臣くんのことを嫌いになりたくない。でも今のままじゃ、顔も見たくないくらいに嫌いになりそうなの」

 隆臣くんのことはずっと好きなままでいたい。だから別れたい。
 矛盾しているかもしれないけれど、これが私の本心。

「隆臣くん。好きだよ。大好き。だから、終わりにしよう?」


しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

あかりの燈るハロー

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:32

【連載版】婚約破棄ならお早めに

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:98,895pt お気に入り:3,118

【完結】潔く私を忘れてください旦那様

恋愛 / 完結 24h.ポイント:846pt お気に入り:4,603

継母の心得

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:74,529pt お気に入り:24,116

「今日でやめます」

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:31,383pt お気に入り:260

趣味を極めて自由に生きろ! ただし、神々は愛し子に異世界改革をお望みです

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:44,083pt お気に入り:11,932

転生王子、記憶と才能チートで謳歌する!

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:106pt お気に入り:0

ごきげんよう、旦那さま。離縁してください。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7,064pt お気に入り:341

処理中です...