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CASE2:木原愛花
9:ラフ・メイカー(1)
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駅直結の商業施設の屋上広場。
ライトアップされた世界遺産の城をバックにSNS用の動画を撮る若者たち。
私はそんな彼女たちを眺めながら、ひとり、ホットのルイボスティーを飲む。
紙コップから伝わる熱が私の冷えた手をじんわりと温めた。
「寒いねぇ、翠ちゃん」
昼間の暖かさはどこへやら。頬を撫でる風の冷たさを感じた私はここへ来たことを後悔した。
ずっと家に引きこもっていたから気がつかなかった。いつのまにか季節は巡り、もう秋になっていた。
私はベビーカーで眠る翠にそっと毛布をかけ、軽く頬に触れる。良かった。冷えてはなさそうだ。
「……さて、これからどうしようかな」
隆臣くんが仕事から帰る前に家を出て来たところまでは良かったが、その後どうするかなんて考えていなかった。相変わらず詰めが甘い。
私はスマホを取り出した。隆臣くんからはエグい量の不在着信が来ていたが、それは無視してメッセージアプリを開く。そして上から順に頼れそうな人を探した。だが、誰に連絡すれば良いかわからない。
実家に帰る?でも今週は姉家族が帰って来ている。今帰るわけにはいかない。実家に行けるのは早くても来週だ。
円さんに相談する?でもあそこは一番上の子が受験生だ。邪魔はできない。
じゃあ千景は?いや、それもダメだ。千景は今、アシスタントさんとルームシェアしてるって言ってた。
じゃあ……、あずさ?
「はは……。それこそダメでしょ」
多分、私が頼めば優しいあずさはきっと泊めてくれるだろう。けれどだからこそ、甘えてはならない。
不妊に悩んでいる彼女の家に赤子を連れてお邪魔するなど、図々しいにも程がある。
私はもう彼女を傷つけたくはない。
「はあ……。どうしよう」
とりあえずどこかホテルを取るか。こんな急に泊まれるところあるかな。私はスマホでホテルを探しながら、視線をベビーカーの横に並べたスーツケースに向けた。
スーツケースの中身は貴重品と3日分くらいの服。あとは全部翠のための物で埋まってる。
隆臣くんにプレゼントしてもらった服も靴もバッグもアクセサリーも、全部置いて来た。
だって余計なものは荷物になるだけ。今の私には翠以外に大事なものなんてない。手放したくないほど大事なものなんて、何もないもの。
でも、どうしてかな。おかしいな。視界が滲む。
私は周りの目を気にして、顔を伏せた。
覚悟を決めて出て来たくせに一人になることを怖がるな。
顔を上げなきゃ。強くならなきゃ。私は母親なのだから。
「名乗るほど大した名じゃないが」
「誰かがこう呼ぶ、ラフ・メイカー」
急に聞こえた懐かしい歌詞に音痴すぎる歌声。
いつも私を力ずくで暗闇から引き上げてくれる声だ。
私はまさかと思いながらも、ゆっくりと振り返った。
雲に隠れた月が顔を出す。その灯に照らされて現れたヒーローは悪戯っぽい笑みを浮かべ、見つけたと呟いた。
「ラフ・メイカー?冗談じゃない………。ほんと、冗談じゃないよぉ……。何でいるんだよぉ……」
「あはは!すごい泣くじゃん」
「ほら、愛花。ハンカチ」
「ううぅ……。ちーちゃぁあん!あずちゃぁあん!!」
「はいはい。ほらみんな見てるから。恥ずかしいから」
あずさはハンカチで私の顔を乱暴に拭いた。
どうしてここにいるんだろう。メッセージも電話もしてないのに。二人からだって何の連絡も来てないのに。
「なんで場所がわかったのよぅ」
「ああ。実はね、隆臣くんから連絡があったのよ。愛花と翠ちゃんがいなくなったから、一緒に探して欲しいって。でも愛花のことだから、私たちが連絡しても大丈夫とか言って、素直に場所を吐かないでしょ?」
「うっ……」
「だから愛花には連絡せずに、愛花の行動範囲の中から赤ちゃんを連れて行けそうな場所をピックアップして、そこを虱潰しに探していこうってなったの」
「愛花は詰めが甘いから、もし勢いに任せて飛び出したのならホテルとかに入ってる可能性は低いしねー」
「ぐうの音も出ないよ、ちーちゃん」
「でも、まさかこんなに早く見つかるとは思わなかった。もっと時間かかると思ってたわ」
「ほんと、千景のおかげだね」
「え、そうなの?」
「うん。千景が愛花は景色いいとこ好きだし、イルミネーションとか毎年必ず行くから、可能性が高いのはこの辺だって当ててくれたんだよ」
「どう?名探偵でしょ?」
千景は「真実はいつも一つ」と人差し指を伸ばし、私の鼻先をちょんとついた。
「名探偵すぎるよぉ。どうしてそんなに私のことがわかるのさぁ!?」
隆臣くんはわかってくれなかったのに、どうしてこの二人は何も言わなくても私のことがわかるのだろう。
私が不思議そうに何で?どうして?と繰り返していると、あずさと千景は顔を見合わせて笑った。
「だって、ねぇ?」
「友達だから?」
友達。その言葉に私はまた涙腺が崩壊した。
あずさは慌ててまた私の顔にハンカチを押し当てる。
優しい。好き。大好き。私はおんおん泣いた。
「あずちゃぁん!大好きー!」
「お、おおお落ち着け、愛花。とりあえず移動しよう。ここにいたら風邪引くよ」
「や、やだ!帰りたくない!」
「帰らない、帰らない。一旦あずさの家に行くだけ」
「……え?あずちゃんの家?」
「愛花、スーツケース持って出て来たってことは帰るつもりなかったんでしょ?」
「う、うん」
「だったら帰らなくていいよ。今日は私の家に泊まりな?ね?」
「いいの?」
「いいよ。いいに決まってるじゃん。聡も是非って言ってたし、おいで!」
あずさは私の肩を抱き、立ち上がらせると、ベンチに置いていた私のリュックを背負った。
千景はスーツケースを持ってくれた。
私は顔を上げ、服の袖で涙を拭い、翠が眠るベビーカーを押した。
一人では抱えきれない荷物だったのに、二人がいると荷物が減った。
何だか身も心も軽くなった気がした。
夜、あずさの家でスーツケースの中身を出した時、私は思い出した。
本当は思い出を一つだけ、持って出て来たことを。
スーツケースの底に隠したのは、無意識に持ち出していた友達の証。
幸せの青い鳥が表紙に描かれた、文芸部の部誌。
ライトアップされた世界遺産の城をバックにSNS用の動画を撮る若者たち。
私はそんな彼女たちを眺めながら、ひとり、ホットのルイボスティーを飲む。
紙コップから伝わる熱が私の冷えた手をじんわりと温めた。
「寒いねぇ、翠ちゃん」
昼間の暖かさはどこへやら。頬を撫でる風の冷たさを感じた私はここへ来たことを後悔した。
ずっと家に引きこもっていたから気がつかなかった。いつのまにか季節は巡り、もう秋になっていた。
私はベビーカーで眠る翠にそっと毛布をかけ、軽く頬に触れる。良かった。冷えてはなさそうだ。
「……さて、これからどうしようかな」
隆臣くんが仕事から帰る前に家を出て来たところまでは良かったが、その後どうするかなんて考えていなかった。相変わらず詰めが甘い。
私はスマホを取り出した。隆臣くんからはエグい量の不在着信が来ていたが、それは無視してメッセージアプリを開く。そして上から順に頼れそうな人を探した。だが、誰に連絡すれば良いかわからない。
実家に帰る?でも今週は姉家族が帰って来ている。今帰るわけにはいかない。実家に行けるのは早くても来週だ。
円さんに相談する?でもあそこは一番上の子が受験生だ。邪魔はできない。
じゃあ千景は?いや、それもダメだ。千景は今、アシスタントさんとルームシェアしてるって言ってた。
じゃあ……、あずさ?
「はは……。それこそダメでしょ」
多分、私が頼めば優しいあずさはきっと泊めてくれるだろう。けれどだからこそ、甘えてはならない。
不妊に悩んでいる彼女の家に赤子を連れてお邪魔するなど、図々しいにも程がある。
私はもう彼女を傷つけたくはない。
「はあ……。どうしよう」
とりあえずどこかホテルを取るか。こんな急に泊まれるところあるかな。私はスマホでホテルを探しながら、視線をベビーカーの横に並べたスーツケースに向けた。
スーツケースの中身は貴重品と3日分くらいの服。あとは全部翠のための物で埋まってる。
隆臣くんにプレゼントしてもらった服も靴もバッグもアクセサリーも、全部置いて来た。
だって余計なものは荷物になるだけ。今の私には翠以外に大事なものなんてない。手放したくないほど大事なものなんて、何もないもの。
でも、どうしてかな。おかしいな。視界が滲む。
私は周りの目を気にして、顔を伏せた。
覚悟を決めて出て来たくせに一人になることを怖がるな。
顔を上げなきゃ。強くならなきゃ。私は母親なのだから。
「名乗るほど大した名じゃないが」
「誰かがこう呼ぶ、ラフ・メイカー」
急に聞こえた懐かしい歌詞に音痴すぎる歌声。
いつも私を力ずくで暗闇から引き上げてくれる声だ。
私はまさかと思いながらも、ゆっくりと振り返った。
雲に隠れた月が顔を出す。その灯に照らされて現れたヒーローは悪戯っぽい笑みを浮かべ、見つけたと呟いた。
「ラフ・メイカー?冗談じゃない………。ほんと、冗談じゃないよぉ……。何でいるんだよぉ……」
「あはは!すごい泣くじゃん」
「ほら、愛花。ハンカチ」
「ううぅ……。ちーちゃぁあん!あずちゃぁあん!!」
「はいはい。ほらみんな見てるから。恥ずかしいから」
あずさはハンカチで私の顔を乱暴に拭いた。
どうしてここにいるんだろう。メッセージも電話もしてないのに。二人からだって何の連絡も来てないのに。
「なんで場所がわかったのよぅ」
「ああ。実はね、隆臣くんから連絡があったのよ。愛花と翠ちゃんがいなくなったから、一緒に探して欲しいって。でも愛花のことだから、私たちが連絡しても大丈夫とか言って、素直に場所を吐かないでしょ?」
「うっ……」
「だから愛花には連絡せずに、愛花の行動範囲の中から赤ちゃんを連れて行けそうな場所をピックアップして、そこを虱潰しに探していこうってなったの」
「愛花は詰めが甘いから、もし勢いに任せて飛び出したのならホテルとかに入ってる可能性は低いしねー」
「ぐうの音も出ないよ、ちーちゃん」
「でも、まさかこんなに早く見つかるとは思わなかった。もっと時間かかると思ってたわ」
「ほんと、千景のおかげだね」
「え、そうなの?」
「うん。千景が愛花は景色いいとこ好きだし、イルミネーションとか毎年必ず行くから、可能性が高いのはこの辺だって当ててくれたんだよ」
「どう?名探偵でしょ?」
千景は「真実はいつも一つ」と人差し指を伸ばし、私の鼻先をちょんとついた。
「名探偵すぎるよぉ。どうしてそんなに私のことがわかるのさぁ!?」
隆臣くんはわかってくれなかったのに、どうしてこの二人は何も言わなくても私のことがわかるのだろう。
私が不思議そうに何で?どうして?と繰り返していると、あずさと千景は顔を見合わせて笑った。
「だって、ねぇ?」
「友達だから?」
友達。その言葉に私はまた涙腺が崩壊した。
あずさは慌ててまた私の顔にハンカチを押し当てる。
優しい。好き。大好き。私はおんおん泣いた。
「あずちゃぁん!大好きー!」
「お、おおお落ち着け、愛花。とりあえず移動しよう。ここにいたら風邪引くよ」
「や、やだ!帰りたくない!」
「帰らない、帰らない。一旦あずさの家に行くだけ」
「……え?あずちゃんの家?」
「愛花、スーツケース持って出て来たってことは帰るつもりなかったんでしょ?」
「う、うん」
「だったら帰らなくていいよ。今日は私の家に泊まりな?ね?」
「いいの?」
「いいよ。いいに決まってるじゃん。聡も是非って言ってたし、おいで!」
あずさは私の肩を抱き、立ち上がらせると、ベンチに置いていた私のリュックを背負った。
千景はスーツケースを持ってくれた。
私は顔を上げ、服の袖で涙を拭い、翠が眠るベビーカーを押した。
一人では抱えきれない荷物だったのに、二人がいると荷物が減った。
何だか身も心も軽くなった気がした。
夜、あずさの家でスーツケースの中身を出した時、私は思い出した。
本当は思い出を一つだけ、持って出て来たことを。
スーツケースの底に隠したのは、無意識に持ち出していた友達の証。
幸せの青い鳥が表紙に描かれた、文芸部の部誌。
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