【完結】胎

七瀬菜々

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CASE2:木原愛花

12:ラフ・メイカー(4)

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 授乳はとうに終わっていた。でも三人が話すところに出ていけなかった。

「あずさ、余計なこと言わないでよ」

 隆臣くんが帰ってから、リビングに顔を出した。腕の中の翠はぐっすりと眠っている。
 千景はあずさを睨む私を宥めようとしたが、私の口は止まってくれなかった。

「どうして隆臣くんにチャンスを与えるようなことを言うの?私は離婚したいの。余計なことしないでよ」
「あれ?余計なことだった?」
「余計なことだよ!」
「そっか、それはごめんね。あはは」
「…………は?何笑ってんの?」

 私が怒ってるのに、あずさは軽く笑いながら謝った。それが無性に腹立たしくて、私の中の怒りが加速した。
 私たち夫婦のことに巻き込んだばかりか、寝床まで提供してくれている人に怒る権利なんて、私にはないのに。

「残念だよ、あずさ」
「何が?」
「あずさは私を理解してくれてると思ってた。言わなくても、離婚の意思が固いことは理解してくれてると思ってたのに」

 今私は自分の思い通りにならないことに苛立ちを感じている。だからこれが理不尽だということは自分でもわかってる。それなのにどうしてだろう。止まらない。
 すると、そんな私の態度に我慢できなかったのか、千景が横から割って入った。

「ちょっと愛花。それは無いんじゃない?あずさはあんたのためを思って」
「私のため?私はそんなこと頼んで無いけど」
「はあ!?」
「千景、だめ。やめて」
「でも……」
「いいから」

 あずさは千景を宥めた。千景と私の初対面の時のように、飼い主と猛獣みたいに。

「愛花、そうだよ。私は愛花じゃないから言ってくれなきゃわかんないよ。……そしてそれは、隆臣くんだってそうだよ。彼だって言わなきゃわかってくれないよ」
「なんで隆臣くんの話になるの?私、隆臣くんにはちゃんと言ってきたもん!」
「本当に?本当にちゃんと話した?どうせ言ってもわからないって諦めてなかった?喧嘩になるのが面倒で、もういいって話を終わらせてなかった?」
「そ、それは……」
「隆臣くんってさ、基本的に鈍いから軽く言っただけでは伝わらないと思うんだよね」
「……っ!」
「別に理解力のない相手のレベルに合わせてやる必要はないと思うし、愛花は今、翠ちゃんのお世話でそれどころじゃないから、隆臣くんに理解を求めるのがしんどいって気持ちはわかるんだよ。だから愛花が本当に隆臣くんのことをどうでもいいと思ってるならこのままでいいと思うんだ。…………でも、そうじゃないでしょう?」 

 あずさは背の低い私の目線に合わせるように少し屈んで、私の目をじっと見据えた。
 その目はあの時と同じ。文芸部に誘ってくれたあの時と同じ、全てを見透かしたような目で。
 私は心の内を隠すように目を逸らせた。正論が痛い。

「……その目、やめてよ」

 見透かさないでよ。隠してるのに。
 そうだよ。あずさの言う通りだよ。隆臣くんには『ちゃんと言った』って言ったけど、本当はキチンと伝えたわけじゃない。
 一度で理解してくれないといつも、へそを曲げて『もういい』と突き放していた。

「愛花。本当は離婚、したくないんじゃないの?」
「……そんなことない」
「本当に?愛花の性格なら、本当に離婚したい人に『好きだけど離婚したい』なんて言い方しないと思うけどな」
「……」
「あんな言い方をしたら隆臣くんが諦めつかないことくらい、愛花ならわかるはずでしょう?それなのに、わざわざ未練を残させるようなことを言ってた。それは愛花自身に未練があるからだと、私は思うな」
「……名探偵気取りかよ」
「ありゃ?違った?」
「違わない……。違わないよぉ!ばかぁ!」

 本当は離婚なんてしたくない。好きだから一緒にいたい。でももう頑張りたくない。疲れた。期待しなくていい分、翠と二人の方がきっと楽だ。

「本当は頑張りたいんだよ?まだ隆臣くんと家族になりたいって思ってるんだよ?でも頑張れないの。疲れるの。私は翠を育てるのでいっぱいいっぱいなの」

 “旦那は育てるもの”なんて言うけど、私には隆臣くんを立派な父親に育てる気力なんてない。
 本当に翠を育てるので精一杯で、できることなら育児以外に時間を使いたくないくらい。そのくらい私の家事育児は壊滅的に要領が悪い。
 そう言って子どもみたいに泣いていると、あずさは愚図る赤子をあやすみたいに私の頭を優しく撫でた。

「愛花はもう頑張らなくていいよ。これから頑張るのは隆臣くんの方だから」
「…………?」
「愛花はただ、隆臣くんを待っててあげればいい。自分のレベルに追いつくまで」
「あずさ……」
「まあ、追いつくのが遅すぎたらサッサと捨ててしまうのもアリだけどね!」

 あずさは悪戯っ子のように舌を出して戯けて見せた。
 そこからはもう、涙腺が馬鹿になってダメだった。気がつくと私は翠を抱きしめたまま、小一時間泣いていた。
 


「あはは、目やばっ」

 目元が赤く腫れた私の顔を見て、千景が笑う。あずさは苦笑しながら、保冷剤をタオルに包んで渡してくれた。

「ちょっと千景。笑いすぎ」
「だ、だって……。あははっ!」
「むうー!!ちーちゃんなんか嫌いだ!」

 私はとりあえず、笑うのをやめない千景の脛に蹴りを入れて黙らせた。
 悶絶する千景なんて無視だ、無視。

「あずちゃん。ごめんね」
「んー?何が?」
「酷いこと言ったから」
「気にしてないよ」
「それに、ランチ会の時も……」
「ランチ会?」
「ほら、私が妊娠報告した時の」
「………あー、あの時ね」
「私、無神経だったなって。ちーちゃんに言われるまで気づけなくて」
「いいよー、そんなの。謝らないで。私は何も言ってなかったんだし。それに仮に事情を知ってたとしても私に気を使う必要はないよ。他人の都合で自分の妊娠を隠さなきゃいけないなんておかしいもの」
「あずちゃん……」
「あの時は私も余裕なくてさ、ごめんね。嫌な態度とったよね。あの時の私は余裕なくて、ほんとやな奴だったと思う」
「そんなことないよ!本当に、そんなことない!」
「そんなことあるよ。ごめんね」
「いやいや、こっちがごめんなんだってば!謝んないでよ」
「いやいやいや」
「いやいやいやいや」
「……ははっ。二人して何してんのさ」
「だってー!」
「むぅー!」
「愛花。もう年齢的に『むぅー』はきつい」
「なっ!ちーちゃんひどい!」
「そう?私は可愛いと思うけど。まあ、愛花じゃなきゃ許されないけどね」
「やーん。あずちゃーん!だいすきー!」
「もう!あずさはそうやってすぐ甘やかすんだから」
「別に甘やかしてないけど」
「やだっ。私のために喧嘩しないでっ」
「はあ?ヒロインぶってんなよ、こいつー!」

 千景は私に覆い被さると脇をくすぐった。
 あずさは近くに寝転がせていた翠を抱き上げ安全な場所に移動させる。
 ……それをされると千景の攻撃が激しくなるんだけどな、と思ったが案の定、千景は私が泣くまでくすぐり続けた。
 結局その日は何をしても楽しくて、おかしくて、三人でずっと笑ってた。夕方に帰宅した聡さんは箸が落ちても笑う私たちを見て困惑していた。



 その夜、短い睡眠の中で夢を見た。
 高校最後の文化祭の夢。
 ステージを降りた私に担任の先生が聞いた。

 『お前にとってのラフ・メイカーは誰だ?』

 きっと先生は気づいていたんだろう。私が教室でゆかりと祥子にいじめられていることを。そして、それでも一人になるのが怖くて二人から離れないことを。

 『そんなの、決まってます』

 あの時の私は隆臣くんがゆかりたちを糾弾してくれるまで、先生の質問に答えられなかったけど、今なら即答できる。
 私に笑顔をくれる人は、友達のフリしたあの二人じゃない。 

 私に笑顔をくれるのは、戸村千景と新山あずさだ。
 
 
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