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CASE2:木原愛花
13:元の鞘に収まる
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あれから5日、隆臣くんからの連絡はなかった。毎日押しかけてくるのかと思っていたけど、仕事があるからか流石にそんなことはしなかった。
仕事終わりにでも寄ってくれるのかと少し期待していた私は、身勝手に落胆した。
そしてその週の土曜日。彼は私の元へとやって来た。私の大好きな鶏卵饅頭を片手に、プロポーズの時に着ていたスーツを身に纏って。
「なんで鶏卵饅頭……。朝から並んだの?」
「並んだ。だって、愛花の好きなショートケーキは生クリームが母乳に良くないって聞いて。乳腺が詰まるんだっけ?愛花、最近ケーキを避けてたし気にしてるかなと」
「調べたんだ」
「うん」
「そっか……」
調べてくれたんだという喜びと、食べ物について話したことあるのにその時は聞いてなかったんだという悲しさが混ざり合う。
どんな顔をすれば良いのかわからない私は俯いて、拳をギュッと握りしめた。
すると、あずさが温め直した鶏卵饅頭と一緒に桃の緑茶を出してくれた。
桃の香りが鼻腔をくすぐる。この香り、とても好きだ。
心が少しだけ柔らいだ私は再び顔を上げ、隆臣くんを見据える。
「何の用?」
「…‥そんな冷たい言い方しないでくれよ」
「ごめん。そんなつもりなかったんだけど、緊張してるのかも」
「それは俺も同じ。……愛花、これ」
隆臣くんは大きく深呼吸をして、自分の欄だけを記入した離婚届を私に差し出した。
離婚したくないと縋っていた彼が冷静にこれを出してくるとは思わなくて、私は一瞬息を呑んだ。
「これは愛花に預ける。愛花が俺とはもう無理だと思うのなら出してくれて構わない」
「隆臣く……」
「で、でも!もし!もしまだ愛花に俺と夫婦を続ける気があるなら、少しだけ待って欲しい」
「…………」
「姉ちゃんに家事を教わってきたんだ。あれから毎日定時で仕事を切り上げて姉ちゃんのとこに通った」
「……そう、なんだ」
「俺、家事って料理と洗濯と掃除くらいだと思ってた。でも違ったんだ。姉ちゃんにはシャンプーの詰め替えも日用品のストックの確認も、ドラム式洗濯機のフィルター掃除も、全部家事なんだって怒られた」
隆臣くんは自嘲するように笑って、姉からもらったという家事リストを私に見せてくれた。
よく見ると彼の手にはいくつも絆創膏が貼られていた。きっと慣れない手つきで包丁を触ったせいだろう。
私はその傷を愛おしく思ってしまった。
「そういえば、シャンプーが切れてたこと一度もないなって思い出したんだ。なくなりそうだなと思ったらいつの間にか補充されてたから、それが普通なんだと思ってた。でも、その話を姉ちゃんにしたら言われたよ。そういう細かくて面倒臭いこと、今までは愛花ちゃんが全部やってくれてたんだよって。俺、ようやく気づいた」
「うん……」
「愛花、今まで本当にごめん。愛花の頑張りを、優しさを、思いやりを当たり前みたいに享受して雑に消費して……、本当にごめん」
「……うん」
「まだまだ家事のスキルは全然だし、育児に関しては右も左も分からない。だから胸張って俺のこと頼ってくれなんて、情けないけどまだ言えない。正直言って、こんな俺と一緒に暮らしても愛花の負担はそんなに減らないと思う」
「はは……。それは正直すぎるでしょ」
「でも俺はやっぱり別れたくない。愛花の夫として、翠の父親として生きていきたい。だから、もう一度チャンスをもらえないだろうか」
隆臣くんは流れるような仕草で床に膝をつき、私に頭を下げた。
そこまでするとは思ってなかった私は慌てて椅子を降り、彼に目線を合わせた。
「や、やめてよ。そこまでしなくていい」
「迷惑なのはわかってる。これは全部俺の都合だ。でも俺は離婚したくない」
「隆臣くん……」
「あ、あと!!母さんのことならもう心配しなくていい。母さんとはもう会わなくてもいいから!」
「………え?」
「姉ちゃんに言われたんだ。母さんのしてることは嫁いびりだって……。産後の辛い時期に用もなく押しかけて、家事も育児も手伝うことなくダメ出しだけして帰るなんてイジメ以外のなんでもないって言われた」
「……お姉さん、そんなこと言ったんだ」
そういえば、隆臣くんより5つ年上のお義姉さんは昔から私のことを可愛がってくれていた。
なんで私はそのことを忘れていたんだろう。
もしかしたらお義母さんのことは、隆臣くんが頼れないならお義姉さんに頼れば良かったのかもしれない。
私は隆臣くんの家族ってだけでお義姉さんのことも無意識に敵認定していたようだ。
「流石に自分の親だし、親の世話を姉ちゃんだけに任せるわけにはいかないから俺自身は縁を切ることができないけど、翠と愛花は母さんに会わなくていいよ。俺の実家にも行かなくていい」
「……いいの?」
「うん」
「そっか……。あ、ありがとう」
私は心の底から安堵した。どうやら、自分で思っていた以上にお義母さんのことは大きなストレスになっていたらしい。
私は合図を送るように床に置かれた隆臣くんの指先に触れた。すると隆臣くんは合図を返すように私の手を握ってくれた。
「隆臣くん。私は対等なパートナーが欲しいの。翠を一緒に育ててくれる人が欲しいの」
「うん」
「一緒に喜んで一緒に悩んで、時には泣いて。そうしてあの子が巣立っていくまで私の隣を歩いてくれる人が欲しいの」
「うん」
「隆臣くんは本当にそうできるの?」
「できる!」
「本当に?」
「うん!」
私の目をまっすぐに見つめて力強く返事をする彼の瞳は涙で揺らいでいた。
安易な判断かもしれないけど、信じてみようかなと思った。
「じゃあ、まだ離婚しない」
私がそう言うと、隆臣くんは大粒の涙を流して私を抱きしめた。
彼の肩越しに見える千景とあずさは、安堵した母親の顔をして微笑んでいた。
それは私の結婚式の時、私の花嫁姿を見た時の顔と同じだった。
「母親気取りかよぉ」
二人の顔を見て、私はまた泣いた。
最近は泣きすぎて涙が枯れてしまいそうだ。
仕事終わりにでも寄ってくれるのかと少し期待していた私は、身勝手に落胆した。
そしてその週の土曜日。彼は私の元へとやって来た。私の大好きな鶏卵饅頭を片手に、プロポーズの時に着ていたスーツを身に纏って。
「なんで鶏卵饅頭……。朝から並んだの?」
「並んだ。だって、愛花の好きなショートケーキは生クリームが母乳に良くないって聞いて。乳腺が詰まるんだっけ?愛花、最近ケーキを避けてたし気にしてるかなと」
「調べたんだ」
「うん」
「そっか……」
調べてくれたんだという喜びと、食べ物について話したことあるのにその時は聞いてなかったんだという悲しさが混ざり合う。
どんな顔をすれば良いのかわからない私は俯いて、拳をギュッと握りしめた。
すると、あずさが温め直した鶏卵饅頭と一緒に桃の緑茶を出してくれた。
桃の香りが鼻腔をくすぐる。この香り、とても好きだ。
心が少しだけ柔らいだ私は再び顔を上げ、隆臣くんを見据える。
「何の用?」
「…‥そんな冷たい言い方しないでくれよ」
「ごめん。そんなつもりなかったんだけど、緊張してるのかも」
「それは俺も同じ。……愛花、これ」
隆臣くんは大きく深呼吸をして、自分の欄だけを記入した離婚届を私に差し出した。
離婚したくないと縋っていた彼が冷静にこれを出してくるとは思わなくて、私は一瞬息を呑んだ。
「これは愛花に預ける。愛花が俺とはもう無理だと思うのなら出してくれて構わない」
「隆臣く……」
「で、でも!もし!もしまだ愛花に俺と夫婦を続ける気があるなら、少しだけ待って欲しい」
「…………」
「姉ちゃんに家事を教わってきたんだ。あれから毎日定時で仕事を切り上げて姉ちゃんのとこに通った」
「……そう、なんだ」
「俺、家事って料理と洗濯と掃除くらいだと思ってた。でも違ったんだ。姉ちゃんにはシャンプーの詰め替えも日用品のストックの確認も、ドラム式洗濯機のフィルター掃除も、全部家事なんだって怒られた」
隆臣くんは自嘲するように笑って、姉からもらったという家事リストを私に見せてくれた。
よく見ると彼の手にはいくつも絆創膏が貼られていた。きっと慣れない手つきで包丁を触ったせいだろう。
私はその傷を愛おしく思ってしまった。
「そういえば、シャンプーが切れてたこと一度もないなって思い出したんだ。なくなりそうだなと思ったらいつの間にか補充されてたから、それが普通なんだと思ってた。でも、その話を姉ちゃんにしたら言われたよ。そういう細かくて面倒臭いこと、今までは愛花ちゃんが全部やってくれてたんだよって。俺、ようやく気づいた」
「うん……」
「愛花、今まで本当にごめん。愛花の頑張りを、優しさを、思いやりを当たり前みたいに享受して雑に消費して……、本当にごめん」
「……うん」
「まだまだ家事のスキルは全然だし、育児に関しては右も左も分からない。だから胸張って俺のこと頼ってくれなんて、情けないけどまだ言えない。正直言って、こんな俺と一緒に暮らしても愛花の負担はそんなに減らないと思う」
「はは……。それは正直すぎるでしょ」
「でも俺はやっぱり別れたくない。愛花の夫として、翠の父親として生きていきたい。だから、もう一度チャンスをもらえないだろうか」
隆臣くんは流れるような仕草で床に膝をつき、私に頭を下げた。
そこまでするとは思ってなかった私は慌てて椅子を降り、彼に目線を合わせた。
「や、やめてよ。そこまでしなくていい」
「迷惑なのはわかってる。これは全部俺の都合だ。でも俺は離婚したくない」
「隆臣くん……」
「あ、あと!!母さんのことならもう心配しなくていい。母さんとはもう会わなくてもいいから!」
「………え?」
「姉ちゃんに言われたんだ。母さんのしてることは嫁いびりだって……。産後の辛い時期に用もなく押しかけて、家事も育児も手伝うことなくダメ出しだけして帰るなんてイジメ以外のなんでもないって言われた」
「……お姉さん、そんなこと言ったんだ」
そういえば、隆臣くんより5つ年上のお義姉さんは昔から私のことを可愛がってくれていた。
なんで私はそのことを忘れていたんだろう。
もしかしたらお義母さんのことは、隆臣くんが頼れないならお義姉さんに頼れば良かったのかもしれない。
私は隆臣くんの家族ってだけでお義姉さんのことも無意識に敵認定していたようだ。
「流石に自分の親だし、親の世話を姉ちゃんだけに任せるわけにはいかないから俺自身は縁を切ることができないけど、翠と愛花は母さんに会わなくていいよ。俺の実家にも行かなくていい」
「……いいの?」
「うん」
「そっか……。あ、ありがとう」
私は心の底から安堵した。どうやら、自分で思っていた以上にお義母さんのことは大きなストレスになっていたらしい。
私は合図を送るように床に置かれた隆臣くんの指先に触れた。すると隆臣くんは合図を返すように私の手を握ってくれた。
「隆臣くん。私は対等なパートナーが欲しいの。翠を一緒に育ててくれる人が欲しいの」
「うん」
「一緒に喜んで一緒に悩んで、時には泣いて。そうしてあの子が巣立っていくまで私の隣を歩いてくれる人が欲しいの」
「うん」
「隆臣くんは本当にそうできるの?」
「できる!」
「本当に?」
「うん!」
私の目をまっすぐに見つめて力強く返事をする彼の瞳は涙で揺らいでいた。
安易な判断かもしれないけど、信じてみようかなと思った。
「じゃあ、まだ離婚しない」
私がそう言うと、隆臣くんは大粒の涙を流して私を抱きしめた。
彼の肩越しに見える千景とあずさは、安堵した母親の顔をして微笑んでいた。
それは私の結婚式の時、私の花嫁姿を見た時の顔と同じだった。
「母親気取りかよぉ」
二人の顔を見て、私はまた泣いた。
最近は泣きすぎて涙が枯れてしまいそうだ。
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