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「………………え?」
床に座り込んだグレイスは自分の左手を見つめ、大きく目を見開いた。
覚えのない指輪がそこにあることに困惑しているようだ。
「さっき、盗んでないって言ってましたけど……、それならどうして指輪がそこにあるのですか?」
「グレイス……、お前……」
「……え、ち、ちが。ちがう。ちがう。知らない。私、知らない」
「知らないって、そんなわけないでしょ?自分でつけなきゃ誰がつけるんですか」
「違う。違うの!本当に知らないの!!信じてよ!!」
「信じられるわけないでしょう。ほら、君の自慢の部下たちだって君を疑っていますよ?」
「え?そんなこと……。みんな……、みんなはわかってくれるよね……?」
グレイスは縋るように他のメイドたちの方を振り返る。
けれど彼女たちは一歩引いて、軽蔑の眼差しをグレイスに向けた。
「…….え?な、なんで?どうして?どうして信じてくれないの?私、盗んでない。やってない!」
先ほどまでつけていなかったはずの指輪がそこにあるという不可思議な状況にも関わらず、誰も信じてくれない。耐えきれなくなったグレイスはポロポロと涙を流し始めた。
その涙は今まで見せていた嘘の涙などではなく、アンリエッタは泣いて無実を訴えていたあの時のニコルを思い出してしまった。
「ミゲル。もういい。…………やっぱりいい。これは正しくないわ」
アンリエッタは静かに首を横に振る。
ミゲルは小さくため息をこぼして、いつの間にかグレイスの手から回収していた指輪を、アンリエッタに渡した。
「甘すぎ」
「……ごめん」
呆れるミゲルにアンリエッタは謝るしかできない。
「アンリエッタ?ミゲル?どういうことだ?」
「……クロード。グレイスは指輪を盗んでいないわ。私がミゲルに頼んで、彼女に窃盗の罪を着せてもらったの」
困惑するクロードにアンリエッタは正直に話した。
すると、それまで泣いていたグレイスはみるみるうちに顔を真っ赤にして声を荒げた。
「……何よ、それ。サイッテー!あり得ない!!」
厳しい視線をアンリエッタに向けるグレイス。
アンリエッタは彼女の膝をついて目線を合わせると、ジッとその青緑色の瞳を見据えた。
「ええ、そうね。あなたの言う通りよ。私のした事は最低なことだったわ。……でもこれ、あなたがニコルにやったことでしょう?」
「は、はあ?」
「ミゲルに聞いたのよ。刑事さんは事件が起きた時、真っ先に第一発見者を疑うんですって」
「そ、それが何よ」
「確かブラックオパールの耳飾りも、あなたのイリスの髪飾りも、見つけたのはあなただったはずよね?」
「だったら何よ」
「別に、何もないわ。ただ……、こういうことが行われていた可能性は十分にあるなと思って」
そう言うと、アンリエッタはミゲルから受け取ったピンクダイヤの指輪を袖の中に隠し、グレイスに自分の手のひらを見せた。
そして次に、腕を下におろして袖から手のひらに指輪を滑らせると、拳をぎゅっと握り、グレイスの前に突き出した。
「な、何がしたいの?」
グレイスは彼女が何をしているのかわからず、困惑するばかりだ。
アンリエッタはそんな彼女に再び手のひらを見せた。
すると当たり前だが、ピンクダイヤの指輪がそこにはあった。
「こんなふうに捜索するふりをして引き出しを開け、あらかじめ服の袖に隠していた耳飾りを手のひらに滑らせ、あたかも今さっき見つけたかのように見せることは可能だと思わない?」
ブラックオパールの耳飾りもイリスの髪飾りも、手のひらの収まるくらいに小さいものだ。
あらかじめ袖に仕込ませていても、誰も気づかない。
その状態でニコルの部屋に行って本人に鍵を開けさせれば、事前に部屋に忍び込んで証拠となる宝石を隠しておく必要もない。
「私やクロードの立ち会いを待たずに捜索を始めたのは、この方法を勘付かれないようにするためね?あなたに先導された他の子たちは初めからニコルが犯人だと決めつけているから、捜索の時にあなたが多少怪しい動きをしていても気がつかないでしょうけど、私やクロードが見ていたらすぐに怪しいと気づくもの」
「で、出鱈目よ!証拠はあるの!?」
「ないわよ。でもこの方法を使えば、誰でもニコルに罪を着せることが可能だわ。そして、あなたにはそれをしてもおかしくないと思えるだけの動機がある。……違う?」
証拠はなくとも、状況を鑑みれば分が悪いのはグレイスの方だろう。アンリエッタはそう告げた。
グレイスは何も言い返せないのか、静かに俯く。表情は見えないが、彼女がグッと下唇を噛んでいるのはすぐにわかった。
「アンリエッタ……」
「ごめんなさい、クロード。結局私には大した調査なんてできなかった。だからニコルの無実を証明する証拠は用意できていない。でも、この件は犯人不明で終わらせ、証拠不十分としてニコルの謹慎を解きたいと思ってる。……それでもいい?」
アンリエッタはゆっくりと立ち上がると、クロードの方を振り返った。
申し訳なさそうな顔をする彼女に、クロードは「いいよ」と言って笑った。
「……アンリエッタは真面目だな」
「どこがよ」
「誰もニコルの無実を証明しろ言ってないのに」
結局、宝石は手元に戻って来ているのだから、アンリエッタはただ、皆がニコルを信用できるように持っていけばそれでよかったのだ。
今後、ニコルと他の者たちが一緒に働けるような環境を作れたらそれでよかった。
「それなのに、律儀に証拠集めとか犯人探しとか」
「う、うるさい」
「何なら、メイドたちの態度の悪さを理由に全員入れ替えてもよかったんだぞ?そうすればニコルの謹慎もすぐに解けただろうに」
「そんなことできる訳ないでしょ!?」
「どうして?」
「だって、せっかくあなたが用意してくれた環境なのに……」
本当は、ニコルに言われなくてもちゃんとわかっていた。クロードが色んなことを考えてこの屋敷を用意してくれたことも、それを嬉しく思ってしまった自分の気持ちにも気づいていた。
ただ、認めたくなくて意地を張っていただけだ。
アンリエッタは彼に背を向けると、そっけなく呟いた。
「…………いつも、ありがとう」
顔は見えない。だが、髪の隙間から見え隠れする耳はほのかに赤く色づいている。
クロードはその姿にキュンと胸を打たれた。
「え……、ど、どうしたの。急に。お礼とか。今そういうこと言う場面だったか?」
「別に、ただ何となく言いたくなっただけよ」
「なら、こっち見て言えよ」
「それはいや」
「お願い。少しだけでいいから」
クロードはアンリエッタの肩に触れ、横から顔を覗き見た。
すると、彼女の顔はまるでリンゴみたいに赤く染まっていた。
「……ア」
「うるさい!」
「……まだ何も言ってないじゃないか」
「う、ううううるさいうるさいうるさい!」
自分の顔を見てニヤつくクロードに、恥ずかしさがピークに達したアンリエッタはポカポカと彼の胸を殴った。クロードは彼女のその姿が可愛いくて、「あはは」笑いながら素直に殴られている。
徐々に作られていく二人だけの世界。蚊帳の外に放り出された使用人たちを代表して、ミゲルがその世界に水を差した。
「イチャついてるところ悪いんですけど、処分はどうするつもりですか?」
半眼になり、ジッと二人を見つめるミゲル。
彼の指摘に我に返ったアンリエッタはスススッとクロードと距離を取り、何ごともなかったかのようにスンとした顔をして腕を組んだ。
「とりあえずこの屋敷からは出て行ってもらいたいわね」
「今更取り繕っても無理があるぞ、アンリエッタ」
「もう!一々うるさいわね!」
「というか、それだけ?」
「……何が?」
「いや、屋敷から追い出すだけで終わらせるつもりなのかと思って」
クロードは険しい顔をしてアンリエッタからメイドたちの方へと視線を移した。
グレイスを含めたメイドたちビクッと肩を跳ねさせ、お仕着せのエプロンをキュッと握る。
きっとすでに、屋敷を追い出されるだけでは済まないことを理解しているのだろう。
「お前たちは商会プティアンジュから除名する」
クロードは冷たく言い放った。
『プティアンジュのメイド』という肩書きを失うこと。それはスラム出身で身寄りのない彼女たちにとっては死刑宣告も同然だった。
「い、いや。いやだよ、クロード!」
「ま、待ってください!会長……!」
「そんな……!プティアンジュを解雇されたら私たちはどうなるのですか!?」
「知るかよ。自分で撒いたタネだろ?お前たちのようなメイドがいると、商会の名誉に関わる。他の、真面目に頑張っている奴らにも失礼だ」
スラム出身の、礼儀作法どころか常識さえ知らない娘たちに一から教育を施した。
給金の高い貴族家で働けるように徹底して指導した。
指導は彼女たちの警戒心を解くところから始めるため、指導期間はかなり長かったが、その間も商会は彼女達に衣食住を与え、給金も出した。
そうしてどこに出しても恥ずかしくないメイドに仕上げた。
それなのに……。
「裏切られた気分だよ」
クロードは少し悲しそうに呟いた。
自分たちがしでかしたことをようやく理解したのか、メイドたちは顔を号泣しながらその場に崩れ落ちる。
アンリエッタはその光景を困惑しながら眺めていた。
「こんなに取り乱す理由がわかりませんか?」
「ミゲル……」
「彼女たちは全員スラム出身ですからね。商会から除名されたら、身元保証人がいなくなる。そして身元を保証してくれる人がいなければ、まともなところでは働けない」
平民だろうと貴族だろうと、ほとんどの場合、働く時には身元保証人が必要だ。それは変な奴を雇って問題を起こされたくない雇用側からしたら当然のこと。
だが、そのせいでスラム出身者は一生スラムから出ることが叶わず、生きていくためにはスラムで非合法な仕事をするしかない。
「負のループなんです」
窃盗や恐喝で金を稼ぐ者。薬物の密輸に手を染める者。殺しで金を得る者。頭のおかしな薬物中毒者に、やつれた売春婦。
周りにまともな大人がいない環境で育った子どもは正しい生き方を知らない。
だから彼らもまた、大きくなるとクソみたいな大人たちと同じように非合法な仕事で食い繋ぐようになる。そして望まぬ妊娠をして子どもを産み、その子どもはやがて大人になり、また非合法な仕事で食い繋ぎ……。終わらない負のループ。
クロードはそんな負のループの中にいた少年少女を保護し、商会を通して仕事を斡旋することで彼らの人生を救っていたのだ。
「どこの街にも孤児院もありますが、あそこは保護が目的ですから、最低限の教育しかしてくれません。成人すれば孤児たちは追い出されます。そこからは結局自分で生きていくしかない。僕は孤児院に保護されたのに、スラムに戻ってきた大人を何人も見てきました」
「そう、なんだ……」
「そういう現実を知っているから、会長はいつもこう言ってます。『保護して、衣食住を与えてやるだけでは未来につながらない。仕事を与え、真っ当に生きる術を教えてやらねばならない』って」
「……クロードは、立派ね」
「彼女たちはそんな会長の思いを無碍にしたんです。散々よくしてもらっておいて……。怒るのも無理はない。きっと、彼女たちはもうまともなところでは働けないでしょうね。最悪の場合、またスラムに戻り、体を売って生活することになるかと」
「……」
「一度普通の暮らしを知ってから再び地獄へ戻るのは、死ぬより辛いことでしょうね」
そう言うと、ミゲルはフッと乾いた笑みをこぼした。
そういう世界で生きてきた自身の過去を思い出しているかのような冷めた笑みに、アンリエッタは胸が苦しくなる。
そこは貴族として産まれ、生きてきたアンリエッタの知らない世界。平和なこの国の隠された闇。
「ミゲル」
「はい、なんでしょう」
「私、またミゲルに嫌われちゃうかも」
「……え?」
「ごめんね」
そう言うと、アンリエッタはスッと顔を上げ、背筋を伸ばした。そしてミゲルが止めるのも聞かずにクロードとメイドたちの間に立ち、彼を見据えた。
「クロード。そこまでしなくてもいいわ。この子達は、私の前からいなくなってくれたらそれでいい。それだけで十分よ」
「アンリエッタ?」
「あなたの判断に口を出す権利なんて私にはないけれど、それでも………お願い」
悲痛な表情でこちらを見上げる彼女に、クロードは眉を顰めた。
「アンリエッタ。ケジメはつけさせるべきだ。ここでそういう優しさはいらない」
「そんなんじゃないわ。私はただ、この子達が解雇されたことによって、変な噂が広がるのを恐れているだけよ」
「噂?」
「ええ。だってそうでしょ?結婚してすぐに夫が自分の商会の従業員を大量解雇だなんて、噂好きの貴族たちにネタを提供しているようなものじゃない?きっと有る事無い事、いろいろ噂されるに決まってる。それでもし、万が一にでも『アンリエッタ・ペリゴールは使用人からいじめられていた』なんて噂が流れたら、私、恥ずかしくて外を歩けないわ」
アンリエッタはファサッと長い蜂蜜色の髪を後ろに靡かせ、腕を組んで偉そうに言った。
メイドたちの救済をあくまでも自分のためだと言い張る彼女に、クロードの口元には自然と笑みが溢れる。
(変わらないなぁ)
やはり人間の本質はそう簡単には変わらないらしい。
素直さは失われたが、それ以外は今も昔も同じだ。
お人よしな性格も、すぐに顔を赤くするところも全部、変わらない。
クロードはふうっと小さく息を吐いた。
「甘い」
「甘党だからね。お菓子好きだし」
「はは、どういう理屈だよ。……でもまあ、うん。わかった。君が言うなら仕方がない」
他でもない、君が言うなら。
クロードはそう呟くと、グレイスには1ヶ月の謹慎と降格処分、他のメイドには3ヶ月の減給処分を言い渡し、全員に半年間の養成所での再教育を命じた。
そして全員に、荷物をまとめ、即刻屋敷から出ていくよう指示を出した。
床に座り込んだグレイスは自分の左手を見つめ、大きく目を見開いた。
覚えのない指輪がそこにあることに困惑しているようだ。
「さっき、盗んでないって言ってましたけど……、それならどうして指輪がそこにあるのですか?」
「グレイス……、お前……」
「……え、ち、ちが。ちがう。ちがう。知らない。私、知らない」
「知らないって、そんなわけないでしょ?自分でつけなきゃ誰がつけるんですか」
「違う。違うの!本当に知らないの!!信じてよ!!」
「信じられるわけないでしょう。ほら、君の自慢の部下たちだって君を疑っていますよ?」
「え?そんなこと……。みんな……、みんなはわかってくれるよね……?」
グレイスは縋るように他のメイドたちの方を振り返る。
けれど彼女たちは一歩引いて、軽蔑の眼差しをグレイスに向けた。
「…….え?な、なんで?どうして?どうして信じてくれないの?私、盗んでない。やってない!」
先ほどまでつけていなかったはずの指輪がそこにあるという不可思議な状況にも関わらず、誰も信じてくれない。耐えきれなくなったグレイスはポロポロと涙を流し始めた。
その涙は今まで見せていた嘘の涙などではなく、アンリエッタは泣いて無実を訴えていたあの時のニコルを思い出してしまった。
「ミゲル。もういい。…………やっぱりいい。これは正しくないわ」
アンリエッタは静かに首を横に振る。
ミゲルは小さくため息をこぼして、いつの間にかグレイスの手から回収していた指輪を、アンリエッタに渡した。
「甘すぎ」
「……ごめん」
呆れるミゲルにアンリエッタは謝るしかできない。
「アンリエッタ?ミゲル?どういうことだ?」
「……クロード。グレイスは指輪を盗んでいないわ。私がミゲルに頼んで、彼女に窃盗の罪を着せてもらったの」
困惑するクロードにアンリエッタは正直に話した。
すると、それまで泣いていたグレイスはみるみるうちに顔を真っ赤にして声を荒げた。
「……何よ、それ。サイッテー!あり得ない!!」
厳しい視線をアンリエッタに向けるグレイス。
アンリエッタは彼女の膝をついて目線を合わせると、ジッとその青緑色の瞳を見据えた。
「ええ、そうね。あなたの言う通りよ。私のした事は最低なことだったわ。……でもこれ、あなたがニコルにやったことでしょう?」
「は、はあ?」
「ミゲルに聞いたのよ。刑事さんは事件が起きた時、真っ先に第一発見者を疑うんですって」
「そ、それが何よ」
「確かブラックオパールの耳飾りも、あなたのイリスの髪飾りも、見つけたのはあなただったはずよね?」
「だったら何よ」
「別に、何もないわ。ただ……、こういうことが行われていた可能性は十分にあるなと思って」
そう言うと、アンリエッタはミゲルから受け取ったピンクダイヤの指輪を袖の中に隠し、グレイスに自分の手のひらを見せた。
そして次に、腕を下におろして袖から手のひらに指輪を滑らせると、拳をぎゅっと握り、グレイスの前に突き出した。
「な、何がしたいの?」
グレイスは彼女が何をしているのかわからず、困惑するばかりだ。
アンリエッタはそんな彼女に再び手のひらを見せた。
すると当たり前だが、ピンクダイヤの指輪がそこにはあった。
「こんなふうに捜索するふりをして引き出しを開け、あらかじめ服の袖に隠していた耳飾りを手のひらに滑らせ、あたかも今さっき見つけたかのように見せることは可能だと思わない?」
ブラックオパールの耳飾りもイリスの髪飾りも、手のひらの収まるくらいに小さいものだ。
あらかじめ袖に仕込ませていても、誰も気づかない。
その状態でニコルの部屋に行って本人に鍵を開けさせれば、事前に部屋に忍び込んで証拠となる宝石を隠しておく必要もない。
「私やクロードの立ち会いを待たずに捜索を始めたのは、この方法を勘付かれないようにするためね?あなたに先導された他の子たちは初めからニコルが犯人だと決めつけているから、捜索の時にあなたが多少怪しい動きをしていても気がつかないでしょうけど、私やクロードが見ていたらすぐに怪しいと気づくもの」
「で、出鱈目よ!証拠はあるの!?」
「ないわよ。でもこの方法を使えば、誰でもニコルに罪を着せることが可能だわ。そして、あなたにはそれをしてもおかしくないと思えるだけの動機がある。……違う?」
証拠はなくとも、状況を鑑みれば分が悪いのはグレイスの方だろう。アンリエッタはそう告げた。
グレイスは何も言い返せないのか、静かに俯く。表情は見えないが、彼女がグッと下唇を噛んでいるのはすぐにわかった。
「アンリエッタ……」
「ごめんなさい、クロード。結局私には大した調査なんてできなかった。だからニコルの無実を証明する証拠は用意できていない。でも、この件は犯人不明で終わらせ、証拠不十分としてニコルの謹慎を解きたいと思ってる。……それでもいい?」
アンリエッタはゆっくりと立ち上がると、クロードの方を振り返った。
申し訳なさそうな顔をする彼女に、クロードは「いいよ」と言って笑った。
「……アンリエッタは真面目だな」
「どこがよ」
「誰もニコルの無実を証明しろ言ってないのに」
結局、宝石は手元に戻って来ているのだから、アンリエッタはただ、皆がニコルを信用できるように持っていけばそれでよかったのだ。
今後、ニコルと他の者たちが一緒に働けるような環境を作れたらそれでよかった。
「それなのに、律儀に証拠集めとか犯人探しとか」
「う、うるさい」
「何なら、メイドたちの態度の悪さを理由に全員入れ替えてもよかったんだぞ?そうすればニコルの謹慎もすぐに解けただろうに」
「そんなことできる訳ないでしょ!?」
「どうして?」
「だって、せっかくあなたが用意してくれた環境なのに……」
本当は、ニコルに言われなくてもちゃんとわかっていた。クロードが色んなことを考えてこの屋敷を用意してくれたことも、それを嬉しく思ってしまった自分の気持ちにも気づいていた。
ただ、認めたくなくて意地を張っていただけだ。
アンリエッタは彼に背を向けると、そっけなく呟いた。
「…………いつも、ありがとう」
顔は見えない。だが、髪の隙間から見え隠れする耳はほのかに赤く色づいている。
クロードはその姿にキュンと胸を打たれた。
「え……、ど、どうしたの。急に。お礼とか。今そういうこと言う場面だったか?」
「別に、ただ何となく言いたくなっただけよ」
「なら、こっち見て言えよ」
「それはいや」
「お願い。少しだけでいいから」
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すると、彼女の顔はまるでリンゴみたいに赤く染まっていた。
「……ア」
「うるさい!」
「……まだ何も言ってないじゃないか」
「う、ううううるさいうるさいうるさい!」
自分の顔を見てニヤつくクロードに、恥ずかしさがピークに達したアンリエッタはポカポカと彼の胸を殴った。クロードは彼女のその姿が可愛いくて、「あはは」笑いながら素直に殴られている。
徐々に作られていく二人だけの世界。蚊帳の外に放り出された使用人たちを代表して、ミゲルがその世界に水を差した。
「イチャついてるところ悪いんですけど、処分はどうするつもりですか?」
半眼になり、ジッと二人を見つめるミゲル。
彼の指摘に我に返ったアンリエッタはスススッとクロードと距離を取り、何ごともなかったかのようにスンとした顔をして腕を組んだ。
「とりあえずこの屋敷からは出て行ってもらいたいわね」
「今更取り繕っても無理があるぞ、アンリエッタ」
「もう!一々うるさいわね!」
「というか、それだけ?」
「……何が?」
「いや、屋敷から追い出すだけで終わらせるつもりなのかと思って」
クロードは険しい顔をしてアンリエッタからメイドたちの方へと視線を移した。
グレイスを含めたメイドたちビクッと肩を跳ねさせ、お仕着せのエプロンをキュッと握る。
きっとすでに、屋敷を追い出されるだけでは済まないことを理解しているのだろう。
「お前たちは商会プティアンジュから除名する」
クロードは冷たく言い放った。
『プティアンジュのメイド』という肩書きを失うこと。それはスラム出身で身寄りのない彼女たちにとっては死刑宣告も同然だった。
「い、いや。いやだよ、クロード!」
「ま、待ってください!会長……!」
「そんな……!プティアンジュを解雇されたら私たちはどうなるのですか!?」
「知るかよ。自分で撒いたタネだろ?お前たちのようなメイドがいると、商会の名誉に関わる。他の、真面目に頑張っている奴らにも失礼だ」
スラム出身の、礼儀作法どころか常識さえ知らない娘たちに一から教育を施した。
給金の高い貴族家で働けるように徹底して指導した。
指導は彼女たちの警戒心を解くところから始めるため、指導期間はかなり長かったが、その間も商会は彼女達に衣食住を与え、給金も出した。
そうしてどこに出しても恥ずかしくないメイドに仕上げた。
それなのに……。
「裏切られた気分だよ」
クロードは少し悲しそうに呟いた。
自分たちがしでかしたことをようやく理解したのか、メイドたちは顔を号泣しながらその場に崩れ落ちる。
アンリエッタはその光景を困惑しながら眺めていた。
「こんなに取り乱す理由がわかりませんか?」
「ミゲル……」
「彼女たちは全員スラム出身ですからね。商会から除名されたら、身元保証人がいなくなる。そして身元を保証してくれる人がいなければ、まともなところでは働けない」
平民だろうと貴族だろうと、ほとんどの場合、働く時には身元保証人が必要だ。それは変な奴を雇って問題を起こされたくない雇用側からしたら当然のこと。
だが、そのせいでスラム出身者は一生スラムから出ることが叶わず、生きていくためにはスラムで非合法な仕事をするしかない。
「負のループなんです」
窃盗や恐喝で金を稼ぐ者。薬物の密輸に手を染める者。殺しで金を得る者。頭のおかしな薬物中毒者に、やつれた売春婦。
周りにまともな大人がいない環境で育った子どもは正しい生き方を知らない。
だから彼らもまた、大きくなるとクソみたいな大人たちと同じように非合法な仕事で食い繋ぐようになる。そして望まぬ妊娠をして子どもを産み、その子どもはやがて大人になり、また非合法な仕事で食い繋ぎ……。終わらない負のループ。
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「どこの街にも孤児院もありますが、あそこは保護が目的ですから、最低限の教育しかしてくれません。成人すれば孤児たちは追い出されます。そこからは結局自分で生きていくしかない。僕は孤児院に保護されたのに、スラムに戻ってきた大人を何人も見てきました」
「そう、なんだ……」
「そういう現実を知っているから、会長はいつもこう言ってます。『保護して、衣食住を与えてやるだけでは未来につながらない。仕事を与え、真っ当に生きる術を教えてやらねばならない』って」
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「……」
「一度普通の暮らしを知ってから再び地獄へ戻るのは、死ぬより辛いことでしょうね」
そう言うと、ミゲルはフッと乾いた笑みをこぼした。
そういう世界で生きてきた自身の過去を思い出しているかのような冷めた笑みに、アンリエッタは胸が苦しくなる。
そこは貴族として産まれ、生きてきたアンリエッタの知らない世界。平和なこの国の隠された闇。
「ミゲル」
「はい、なんでしょう」
「私、またミゲルに嫌われちゃうかも」
「……え?」
「ごめんね」
そう言うと、アンリエッタはスッと顔を上げ、背筋を伸ばした。そしてミゲルが止めるのも聞かずにクロードとメイドたちの間に立ち、彼を見据えた。
「クロード。そこまでしなくてもいいわ。この子達は、私の前からいなくなってくれたらそれでいい。それだけで十分よ」
「アンリエッタ?」
「あなたの判断に口を出す権利なんて私にはないけれど、それでも………お願い」
悲痛な表情でこちらを見上げる彼女に、クロードは眉を顰めた。
「アンリエッタ。ケジメはつけさせるべきだ。ここでそういう優しさはいらない」
「そんなんじゃないわ。私はただ、この子達が解雇されたことによって、変な噂が広がるのを恐れているだけよ」
「噂?」
「ええ。だってそうでしょ?結婚してすぐに夫が自分の商会の従業員を大量解雇だなんて、噂好きの貴族たちにネタを提供しているようなものじゃない?きっと有る事無い事、いろいろ噂されるに決まってる。それでもし、万が一にでも『アンリエッタ・ペリゴールは使用人からいじめられていた』なんて噂が流れたら、私、恥ずかしくて外を歩けないわ」
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メイドたちの救済をあくまでも自分のためだと言い張る彼女に、クロードの口元には自然と笑みが溢れる。
(変わらないなぁ)
やはり人間の本質はそう簡単には変わらないらしい。
素直さは失われたが、それ以外は今も昔も同じだ。
お人よしな性格も、すぐに顔を赤くするところも全部、変わらない。
クロードはふうっと小さく息を吐いた。
「甘い」
「甘党だからね。お菓子好きだし」
「はは、どういう理屈だよ。……でもまあ、うん。わかった。君が言うなら仕方がない」
他でもない、君が言うなら。
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(……私の体が、勝手に動いている!?)
「地獄で悔いろ、下郎が。このエデン・アーヴィスの目の黒いうちは、ヴィオラ様に指一本触れさせはしない!」
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