6 / 71
【第一章】六條の姫君(一)
しおりを挟む
世はすでに三代将軍家光の時代になっていた。長く大御所として、幕政に隠然たる勢力をほこってきた二代将軍秀忠は、 寛永九年(一六三二)世を去った。
その葬儀は芝の増上寺にて、わずか十数人の参列者という簡素さだった。できるだけ質素に、民の妨げにならぬようにというのが、秀忠の遺言だったといわれる。
徳川も二代将軍の世までは、華美をできるだけつつしみ、金銭の浪費をおしんできた。しかしいよいよ本格的に家光の世をむかえてからは、徐々に変化していく。やがては華やかな元禄の世をむかえることとなり、そのことが玉の運命をも大きく左右していくのである。
寛永十四年(一六三七)、十歳になった玉は六條家に奉公にだされる。六條家は、村上源氏の流れをくむ公家の名門である。
ここではじめて当主有純の愛娘満子と出会い、その召使いとなる。以後、半生を共に歩むこととなる両者の宿命的とさえいえる出会いだった。満子は玉より三つ年上だった。
最初玉が満子から受けた印象といえば、あまり良いものではなかった。
「この人は阿呆か?」
というのが本音だった。いかにも良家の令嬢といった感じで、カルタをやっても覚えがわるく、瞬時の判断ができない。玉と満子で勝負事をすれば、だいたい玉が勝った。
黙って終日、庭の鯉をながめていることもあった。玉にしてみれば、それだけで一日が終わって何が楽しいのか不思議になるほど、満子はあきることなく鯉をながめている。ついには雨が降りだしてもなお、満子は鯉の観察を続けた。
恐らく満子としても、このまま何事もなく、名門六條家の姫君として終わる運命を予期していたのかもしれない。だが、やがて時代は彼女をして、予想だにしていなかった方角へ歩ませることとなる。
少なくとも、後年幕閣の人をして「第二の春日局」と恐れさせたほどである。だたの凡庸な姫君でなかったことは確かだ。その胸中には、常に強い思いが宿っていたはずである。
事実満子は、姫様育ちでありながら時として木に登ることもある。あれいは同じ年ごろの公家衆の男の子等にまじって遊び、時として喧嘩して、男の子等を泣かすこともあった。
こうした満子に対し、玉は時としていたずら心を持つこともあった。
玉はちょうどいたずら盛りである。ある時近くにある神社の境内に、こっそりと忍びこんだ。
中にはご神体らしき石が置いてあった。
「ほんまにこれに霊験などあるんやろうか? ただの石じゃありませんか?」
玉はご神体を神社の外にもちだして、近くの草わらに放置する。そして同じほどの大きさの石を持ちだしては、新たな神社の御神体とした。やがて人々が訪れては、ただの石に祈りをささげていく。玉はおかしくなった。
玉は生まれつき悪知恵がはたらくのである。特に姫様育ちで、どこかおっとりしたところがある満子は、絶好のいたずらの対象となった。ある時は満子が育てていた植物に、薬を大量にかけて枯らしてしまった。またある時は台所に忍びこみ、満子の食事に大量の塩をかけたりもした。
しかし時としていたずらが過ぎることもあった。ある夏の暑いさかりのことである。
その葬儀は芝の増上寺にて、わずか十数人の参列者という簡素さだった。できるだけ質素に、民の妨げにならぬようにというのが、秀忠の遺言だったといわれる。
徳川も二代将軍の世までは、華美をできるだけつつしみ、金銭の浪費をおしんできた。しかしいよいよ本格的に家光の世をむかえてからは、徐々に変化していく。やがては華やかな元禄の世をむかえることとなり、そのことが玉の運命をも大きく左右していくのである。
寛永十四年(一六三七)、十歳になった玉は六條家に奉公にだされる。六條家は、村上源氏の流れをくむ公家の名門である。
ここではじめて当主有純の愛娘満子と出会い、その召使いとなる。以後、半生を共に歩むこととなる両者の宿命的とさえいえる出会いだった。満子は玉より三つ年上だった。
最初玉が満子から受けた印象といえば、あまり良いものではなかった。
「この人は阿呆か?」
というのが本音だった。いかにも良家の令嬢といった感じで、カルタをやっても覚えがわるく、瞬時の判断ができない。玉と満子で勝負事をすれば、だいたい玉が勝った。
黙って終日、庭の鯉をながめていることもあった。玉にしてみれば、それだけで一日が終わって何が楽しいのか不思議になるほど、満子はあきることなく鯉をながめている。ついには雨が降りだしてもなお、満子は鯉の観察を続けた。
恐らく満子としても、このまま何事もなく、名門六條家の姫君として終わる運命を予期していたのかもしれない。だが、やがて時代は彼女をして、予想だにしていなかった方角へ歩ませることとなる。
少なくとも、後年幕閣の人をして「第二の春日局」と恐れさせたほどである。だたの凡庸な姫君でなかったことは確かだ。その胸中には、常に強い思いが宿っていたはずである。
事実満子は、姫様育ちでありながら時として木に登ることもある。あれいは同じ年ごろの公家衆の男の子等にまじって遊び、時として喧嘩して、男の子等を泣かすこともあった。
こうした満子に対し、玉は時としていたずら心を持つこともあった。
玉はちょうどいたずら盛りである。ある時近くにある神社の境内に、こっそりと忍びこんだ。
中にはご神体らしき石が置いてあった。
「ほんまにこれに霊験などあるんやろうか? ただの石じゃありませんか?」
玉はご神体を神社の外にもちだして、近くの草わらに放置する。そして同じほどの大きさの石を持ちだしては、新たな神社の御神体とした。やがて人々が訪れては、ただの石に祈りをささげていく。玉はおかしくなった。
玉は生まれつき悪知恵がはたらくのである。特に姫様育ちで、どこかおっとりしたところがある満子は、絶好のいたずらの対象となった。ある時は満子が育てていた植物に、薬を大量にかけて枯らしてしまった。またある時は台所に忍びこみ、満子の食事に大量の塩をかけたりもした。
しかし時としていたずらが過ぎることもあった。ある夏の暑いさかりのことである。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
【アラウコの叫び 】第3巻/16世紀の南米史
ヘロヘロデス
歴史・時代
【毎週月曜07:20投稿】
3巻からは戦争編になります。
戦物語に関心のある方は、ここから読み始めるのも良いかもしれません。
※1、2巻は序章的な物語、伝承、風土や生活等事を扱っています。
1500年以降から300年に渡り繰り広げられた「アラウコ戦争」を題材にした物語です。
マプチェ族とスペイン勢力との激突だけでなく、
スペイン勢力内部での覇権争い、
そしてインカ帝国と複雑に様々な勢力が絡み合っていきます。
※ 現地の友人からの情報や様々な文献を元に史実に基づいて描かれている部分もあれば、
フィクションも混在しています。
動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
insta:herohero_agency
tiktok:herohero_agency
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる