如月を待つ

玉星つづみ

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2月10日(土)

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「一緒にホットケーキ作ろう」

 それが、如月きさらぎからのお願いだった。昨日、賭けをして私が負けたから、聞かないわけにはいかない。別に変なお願いじゃなかったし、それなら叶えられそうだった。

 土曜日は朝から、お母さんは仕事、お兄ちゃんは部活で、家には私一人。そのタイミングを見計らい、如月と一緒にキッチンへ向かう。

「オレ、料理したことないんだよね」

 如月はそう言いながら腕をまくる。

「あ、指輪外しといてよ。汚れちゃうかもしれないから」

 如月の指にはゴツい指輪がいくつかついていた。その中に、見覚えがある指輪が一つ。アメジストがついた指輪だ。初めて如月と会った時、彼が忘れていった指輪。
 その指輪を大事そうに置いた如月は、少し寂しそうな笑顔を浮かべていた。私がそれに気づいてすぐ、もとの顔に戻ってしまった。

「手、洗わなきゃ」

 ちゃんとハンドソープを使って念入りに手を洗う如月を見ながら、意外とそういう常識はあるんだなと思った。

「で、どうやって作るの?」

「ホットケーキなら、ホットケーキミックスを使えば簡単」

 卵と牛乳を混ぜて、ホットケーキミックス入れて混ぜれば生地の出来上がり。粉の重さを量る必要もないし、ふるいにかけたりする必要もない。めちゃくちゃ簡単だ。
 でもお兄ちゃんは、なんでか知らんが失敗してたから、今回も少し気をつけないといけないかもしれない。料理をしたことがないという如月は頼りない。

「じゃあまず、卵割って」

「コンコン、パカッ、ってやるやつね」

 如月は卵を優しく打ちつけた。ちゃんと加減はできているみたい。

「ここの割れてるところに少しだけ力入れると割れるはず」

 卵の白身と黄身がボウルの中に落ちた。

「おぉ、できた」

 如月は器用だった。器用というか、丁寧だ。意外だ、何となく雑そうだと思っていたのに。

「じゃあそれ混ぜといて。私、牛乳用意するから」

 牛乳を軽量カップに入れる。分量より少しだけ多くなってしまったけど、まあいいだろう。

「牛乳、入れるよ」

 ボウルに牛乳を注ぎ入れる。
 如月はゆっくりとかき混ぜた。ここではよく混ぜておいた方がいいような気がした。

「そしたら、ホットケーキミックスを混ぜて、生地は完成」

 粉がこぼれないように慎重に入れた。こぼすと掃除が面倒だ。

 如月はぐるぐると生地をかき混ぜた。丁寧だったから、粉が飛び散ることはなかった。

「混ぜるのって面白くない?」

「そう?」

 彼はじっとボウルの中を観察していた。私も真似してみる。

「だんだん粉がなくなっていくのとかさ、面白いじゃん?」

「言われてみれば、そうかも」

 幼い頃、ホットケーキの生地を混ぜるのが好きだった。幼い私は、如月と同じようなことを思っていたんだろうか。

 生地は混ざり合って、少しダマが残っているぐらいになった。

「それぐらいでいいよ」

「でもまだちゃんと混ざってないよ?」

「それでいい。混ぜすぎると膨らまなくなっちゃうから」

 少しダマを残すのがポイントだと、ホットケーキミックスの袋に書いてあったのだ。

「もう焼く?」

「うん」

 フライパンを準備する。大きめのものにした。

「フライパン温めてる間にお皿用意しといて」

「はーい」

 フライパンが十分温まってから、生地を丸く流す。

「どれぐらいでひっくり返すの?」

「表面がぶつぶつしてきたら」

 生地を全部焼くのは意外と時間がかかる。フライパンの前にいると暑いし、ただ突っ立ってホットケーキを眺めているのはつまらない。だから、この時間はあんまり好きじゃない。

うたちゃんはホットケーキ好き?」

「食べる方の話? それとも作る方?」

 ホットケーキを食べるのは好きだ。ふわふわでほんのり甘くて美味しい。
 作るのは、嫌いってわけでもないけど好きでもない。普通だ。

「作る方」

「普通かな。焼くの面倒くさいし」

「そうなんだ」

 でも小さい頃は、お母さんやお兄ちゃんと一緒に作るのが好きだった。ホットケーキが特別好きってわけでもないのに、作りたいから毎日おねだりしていたぐらい。
 今は一人でも大抵の料理なら作れるから、一緒に料理なんてやらない。ご飯を食べる時間すらバラバラなことがある。

「オレはさ、人が一緒に料理をしてるのが楽しそうで羨ましかった。ずっとやってみたかったんだ」

 如月の姿は普通、人間には見えない。誰かと一緒に料理なんてできない。それって、きっとすごく寂しいことだ。今まで、如月はどうやって寂しさを乗り越えてきたんだろう。

「やってみてわかったけど、料理って、見てるよりか自分でやった方が断然、楽しいね」

 如月はへにゃりと笑った。頬が少しだけ赤いのは、嬉しいからだろう。

「詩ちゃん、お願い聞いてくれてありがとう」

 ババ抜きしたときは性格が悪かったのに、今はこんなに素直に感謝を伝えてくるなんて。なんだか、調子が狂わされる。

「あ、もう裏返していいんじゃない?」

 何となく胸のあたりがむず痒くて、私は如月の意識を逸らす。

「オレやってもいい? うまくできるかわからないけど」

「じゃあ如月、お願い。形が崩れても美味しければいいでしょ」

 フライ返しを如月に渡す。
 
 彼はむむっとホットケーキと睨めっこした。深呼吸して、ホットケーキとフライパンの間にフライ返しを差し込む。
 そんなに緊張しなくてもいいのに、とは思ったけど、集中しているようだから言わないでおく。
 如月は落ち着いてホットケーキを裏返す。形は崩れなかった。裏面もちゃんと焼けている。

「え、うまくない? オレ天才かもしれん」

「うまいね。お兄ちゃんより断然上手」

 ちなみに、お兄ちゃんはホットケーキをひっくり返すとき、勢い余ってフライパンから追い出してしまった。ホットケーキは見るも無残な姿になってしまっていた。ホットケーキが可哀想だった。

「この調子で焼いていこう」

 焼けたホットケーキは、お皿に盛り付けた。何枚か形が歪なのはあるけど、手作りだから仕方ない。

「バターと、メープルシロップ……はないから、はちみつでいい?」

「うん」

 バターを乗せて、はちみつをたっぷりかける。

「すごい。パッケージの写真みたい」

「だね。いいんじゃない?」

 思ったよりも美味しそうにできたから、写真を撮っておいた。

「早く食べよ!」

 ホットケーキをテーブルに運び、席に着いた。
 朝ご飯にはちょっと遅くなってしまったから、早く食べたくて仕方がない。

「いただきまーす」

 如月が食べ始めたから、私も食べた。

 ホットケーキミックスで作ったホットケーキは、久しぶりに食べた。優しい味がする。
 そういえばホットケーキミックスの賞味期限大丈夫だったかな。ずいぶん前から使ってない気がするけど……まあ多分、大丈夫だろう。

「どう? 美味しい?」

「うん、美味しいよ」

 如月はニッコリと笑った。

「頑張って焼いた甲斐があったね」

 如月は器用だから、私がついていなくても一人で料理ができそうだ。簡単なレシピじゃなくても楽々作ってしまえる気がする。
 でも、一緒にやるのは結構楽しかった。久々にこの楽しさを思い出した。またやってもいいかな、と思った。

「そういえば、如月が何か食べてるとこってあんま見ないけど、精霊はご飯食べなくて大丈夫なの?」

「うん。食べれるけど、食べなくても全然平気」

 だけど、如月は食べることが好きそうに見えた。この前、ワッフルを食べたときも、美味しそうに食べていたから。

「また一緒に何か作ろうよ。クッキーとか、今度バレンタインだからチョコとか」

「そっか、バレンタインじゃん」

 誰かに渡す予定なんてなかったからあまり意識してなかったけど、二月はそんなイベントもある。
 節分があって、バレンタインもあって、二月は意外と楽しい月なのかもしれない。

「次はオレ一人で料理して、詩ちゃんに食べてもらうっていうのもいいかも。詩ちゃん、美味しそうに食べてくれるから。可愛いんだよね」

「それはどうも」

 私たちはホットケーキを食べ終わった後、ボウルとか泡立て器とか、調理に使ったものを一緒に洗った。面倒くさい洗い物も、二人でやったら楽だったし、そんなに苦じゃなかった。
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