浮気刀と忍法帖:聳え立つのは密室城

ヤマモトユウスケ

文字の大きさ
24 / 37

《鳥の一党、あおばずく》 その一

しおりを挟む

 道場に足を踏み入れた芥川三茶様は、まず笹木小四郎に頭を下げた。

「お久しぶりでございますな、黒康様。帰ってきていたなら、顔を見せてくださればよかったのに」

 小四郎は気まずそうに目を逸らして、ごほんと咳をする。

「……今は笹木小四郎だ。そう呼んでくれ、じじい。どこから話を聞いていた?」
「立ち合いの途中から。ですが、内容は想像できております。さて、榊原殿」

 生真面目な顔の家老は、いっそすがすがしい顔で、自分を見た。

「儂は、いかがしたらよいでしょうか。さっそく江戸に参り、大目付、力原野心様の沙汰を賜りましょうか。それとも、この場で腹を召しましょうか」
「芥川様。本当なのですか?」

 謎解きをした、自分達が問うことではないかもしれない。

「本当に、あなたが主君殺しを……?」

 あおばには、十年来の恨みがあったから不思議ではない、なんて言ったけれど。黒姫様を預かり、世話をし、守り続けると誓うような忠臣が、主君殺しをやっただなんて、人間不信になりそうな事実だ。
 家老は微笑む。

「そんな人には見えない、と? お優しいのは結構ですが、榊原殿。会って三日で、儂のすべてを知ったような気になられるな。黒勝様を殺したのは、儂です。ずっと殺したかった。十年前の、あの日から」

 懐かしむように言う。

「黒忠様も、義黒様も、これで浮かばれましょう。ああ、殺しを隠し通せなかったのは、たいそう悔しく思いますが」
「……では、黒勝様殺しを認めるということで、よろしいですか」

 自分の問いかけに、御家老はしっかりとうなずいた。

「ええ。もはや隠し通す意味もない。黒姫様がお子を授かるまでは黙っているつもりでしたが、黒康様――、否、小四郎様がお守りくださるなら、儂はもはや不要。小四郎様、黒葛家のこと、黒姫様のこと、何卒よろしくお願い申し上げまする」
「……一度は逃げた俺だ。二度はないと誓おう」

 沈痛な顔で、小四郎が言う。おみつさんややちよ婆が、目じりに涙を浮かべて、その光景を見守っていた。これにて一件落着……、というには嫌な終わり方だ。ひとり遺された黒姫様の涙ゆえに調査を進めた結果が、姫が唯一、心を開いている老人の自白だなんて。
 たとえ真実だとしても、受け入れがたい。

「待ってください」

 あおばは別のところが腑に落ちないようだった。

「笹木様、再度の確認でございますが、黒鉄庵は開いていたのでございますね? 天守を出る際、かんぬきをかけられましたか?」
「ああ、開いていた。遺体も見たから、たしかだ。あと、黒鉄庵の構造的に、外からかんぬきをかけることは出来んだろう」

 当たり前のことを、当たり前のように言う。

「それがおかしいのでございます。芥川様は、黒鉄庵の躙り口を抉じ開けたとおっしゃいました。ならば、笹木様のあと、誰かが黒鉄庵の躙り口を閉め、かんぬきをかけたことになってしまいます」
「儂が閉めたのです。それで、不思議はなくなるでしょう」

 芥川様はそう言った。

「それもまた、おかしいのでございます。芥川様が閉めたとすれば、殺した直後でなければ辻褄が合いません。いつ、かんぬきを閉めたというのでございますか」
「朝、黒鉄庵に赴いたときに、ですな」
「その際は、武官の方々と一緒だったと仰られましたでしょう。二の丸が荒らされているのを見て焦り、天守へ兵と共に向かったと。ひとりで黒鉄庵の扉を閉める暇は、なかったはずでございますが」
「彼らの目を、欺いたのです。彼らが目を離した隙に、やり遂げました」
「武官の目が逸れたと? 血の匂いが漂う天守で、全員が黒鉄庵から目を離した瞬間があったというのですか」
「ええ、あったのです」

 堂々と、穏やかに。芥川様は、覚悟を決めているのだ、と気づく。それがどんな覚悟なのかはわからない。

「そもそも、どうやって外からかんぬきをおかけになったのですか。具体的に教えてくださいませ」
「……言えません。ですが、やったのは、儂なのです。すべて、儂です」

 芥川様は、すっと、道場の床に正座した。

「かくなる上は、やはりこの場で腹を召しましょう。小四郎様、介錯をお願いできますか」
「できん」

 小四郎が力強く言った。

「それは俺が許さん」
「なぜでございますか。儂は、御父上を討ったのです。介錯されるならば、あなた以外におりますまい。さあ、この爺を、せめて黒葛家の手で終わらせてくだされ」
「だから、できん」
「小四郎様――黒康様! 何卒、この不忠者に、裁きを! お願いいたします!」

 悲痛さすら感じる老爺の叫びに、しかし、小四郎は困ったように頬を掻いた。

「あのな。ここ、松井坂殿の道場だぞ?」

 生真面目な家老が「あ」と口を丸くした。はらはらしながら見守っていたおみつさんとやちよ婆と赤龍法師も「あ」の顔だ。……たぶん、自分も。
 笹木小四郎は難しい顔で、芥川様の肩を叩いた。

「ま、なんだ。一旦、場所を変えて仕切り直しと行こうじゃねえか。俺は立ち合いに負けたからな、妹にも会いに行かなきゃならねえし。……妹には、兄貴が生きていた以上の衝撃を与えちまうことになるだろうがよ」

 そうだ。黒姫様に、このことをお話しなければならないのだ。気が重い。


 芥川様と小四郎と共に、屋敷に戻る。
 おみつさんとやちよ婆は茶屋に、赤龍法師は黒墨寺に帰ってもらった。まだ、話を聞く必要があるかもしれないので、町から離れないように、とは言づけてあるけれど、見張る必要はないと判断した。……芥川様が自白したし、来栖城に忍び込んだ罪に関しては、黒葛家が改易になる以上、裁くものがいないし。
 重い気持ちで、本邸の座敷で黒姫様に事の次第を報告すると、童女はまずじろりと小四郎を睨みつけ、「ふん」と鼻を鳴らした。次いで、芥川様に視線を向ける。

「じい。正直に申せ。やっとらんじゃろう」
「いえ、黒姫様。儂がやったのです」

 畳に頭をこすりつけたまま、芥川様は顔を上げようとしない。

「いや、じいではない。性根を考えれば、暗殺はない。正々堂々と討ち取った上で、切腹を選ぶ……、ということも、しない」

 黒姫様による芥川様への人物評は、自分達のものとは異なっていた。

「ただ、問題を先送りにして、見守る――事実、見守ってきた。そうじゃろ。長年、それこそ、わたくしが生まれる前から耐えてきた。耐えることに慣れ切ってしまうほどに」

 耐えることに、慣れ切る――。
 なんというか、腹にずしんと来る言葉だ。十年間、良いとは言えない主の元で、家系への忠心だけで……。ただ一度のお勤めすら嫌がる自分とは、まるで違う生き方。

「そんな男が、機会があるからといって、今さら主君を殺すか? 父上は優れた主ではなかったが、放っておけば、いずれ天寿を全うする。その場合、来栖が改易するか、存続するかはわたくしに男児がいるかどうか次第だったはずじゃ。そこのが帰って来ん限りはな」

 そこの、で小四郎が指さされた。小四郎が気まずそうに頬を掻く。

「……まあ、黒勝が天寿を全うしていたら、帰っては来なかっただろうけどな。逃げた俺が家督を継いだら、それこそ黒葛家の恥になるだろうし」
「逃げた時点で恥じゃろ、暗愚兄」

 暗愚兄って、すごい罵倒だな。行燈男と根暗女よりひどい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

乳首当てゲーム

はこスミレ
恋愛
会社の同僚に、思わず口に出た「乳首当てゲームしたい」という独り言を聞かれた話。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...