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《鳥の一党、あおばずく》 その一
しおりを挟む道場に足を踏み入れた芥川三茶様は、まず笹木小四郎に頭を下げた。
「お久しぶりでございますな、黒康様。帰ってきていたなら、顔を見せてくださればよかったのに」
小四郎は気まずそうに目を逸らして、ごほんと咳をする。
「……今は笹木小四郎だ。そう呼んでくれ、じじい。どこから話を聞いていた?」
「立ち合いの途中から。ですが、内容は想像できております。さて、榊原殿」
生真面目な顔の家老は、いっそすがすがしい顔で、自分を見た。
「儂は、いかがしたらよいでしょうか。さっそく江戸に参り、大目付、力原野心様の沙汰を賜りましょうか。それとも、この場で腹を召しましょうか」
「芥川様。本当なのですか?」
謎解きをした、自分達が問うことではないかもしれない。
「本当に、あなたが主君殺しを……?」
あおばには、十年来の恨みがあったから不思議ではない、なんて言ったけれど。黒姫様を預かり、世話をし、守り続けると誓うような忠臣が、主君殺しをやっただなんて、人間不信になりそうな事実だ。
家老は微笑む。
「そんな人には見えない、と? お優しいのは結構ですが、榊原殿。会って三日で、儂のすべてを知ったような気になられるな。黒勝様を殺したのは、儂です。ずっと殺したかった。十年前の、あの日から」
懐かしむように言う。
「黒忠様も、義黒様も、これで浮かばれましょう。ああ、殺しを隠し通せなかったのは、たいそう悔しく思いますが」
「……では、黒勝様殺しを認めるということで、よろしいですか」
自分の問いかけに、御家老はしっかりとうなずいた。
「ええ。もはや隠し通す意味もない。黒姫様がお子を授かるまでは黙っているつもりでしたが、黒康様――、否、小四郎様がお守りくださるなら、儂はもはや不要。小四郎様、黒葛家のこと、黒姫様のこと、何卒よろしくお願い申し上げまする」
「……一度は逃げた俺だ。二度はないと誓おう」
沈痛な顔で、小四郎が言う。おみつさんややちよ婆が、目じりに涙を浮かべて、その光景を見守っていた。これにて一件落着……、というには嫌な終わり方だ。ひとり遺された黒姫様の涙ゆえに調査を進めた結果が、姫が唯一、心を開いている老人の自白だなんて。
たとえ真実だとしても、受け入れがたい。
「待ってください」
あおばは別のところが腑に落ちないようだった。
「笹木様、再度の確認でございますが、黒鉄庵は開いていたのでございますね? 天守を出る際、かんぬきをかけられましたか?」
「ああ、開いていた。遺体も見たから、たしかだ。あと、黒鉄庵の構造的に、外からかんぬきをかけることは出来んだろう」
当たり前のことを、当たり前のように言う。
「それがおかしいのでございます。芥川様は、黒鉄庵の躙り口を抉じ開けたとおっしゃいました。ならば、笹木様のあと、誰かが黒鉄庵の躙り口を閉め、かんぬきをかけたことになってしまいます」
「儂が閉めたのです。それで、不思議はなくなるでしょう」
芥川様はそう言った。
「それもまた、おかしいのでございます。芥川様が閉めたとすれば、殺した直後でなければ辻褄が合いません。いつ、かんぬきを閉めたというのでございますか」
「朝、黒鉄庵に赴いたときに、ですな」
「その際は、武官の方々と一緒だったと仰られましたでしょう。二の丸が荒らされているのを見て焦り、天守へ兵と共に向かったと。ひとりで黒鉄庵の扉を閉める暇は、なかったはずでございますが」
「彼らの目を、欺いたのです。彼らが目を離した隙に、やり遂げました」
「武官の目が逸れたと? 血の匂いが漂う天守で、全員が黒鉄庵から目を離した瞬間があったというのですか」
「ええ、あったのです」
堂々と、穏やかに。芥川様は、覚悟を決めているのだ、と気づく。それがどんな覚悟なのかはわからない。
「そもそも、どうやって外からかんぬきをおかけになったのですか。具体的に教えてくださいませ」
「……言えません。ですが、やったのは、儂なのです。すべて、儂です」
芥川様は、すっと、道場の床に正座した。
「かくなる上は、やはりこの場で腹を召しましょう。小四郎様、介錯をお願いできますか」
「できん」
小四郎が力強く言った。
「それは俺が許さん」
「なぜでございますか。儂は、御父上を討ったのです。介錯されるならば、あなた以外におりますまい。さあ、この爺を、せめて黒葛家の手で終わらせてくだされ」
「だから、できん」
「小四郎様――黒康様! 何卒、この不忠者に、裁きを! お願いいたします!」
悲痛さすら感じる老爺の叫びに、しかし、小四郎は困ったように頬を掻いた。
「あのな。ここ、松井坂殿の道場だぞ?」
生真面目な家老が「あ」と口を丸くした。はらはらしながら見守っていたおみつさんとやちよ婆と赤龍法師も「あ」の顔だ。……たぶん、自分も。
笹木小四郎は難しい顔で、芥川様の肩を叩いた。
「ま、なんだ。一旦、場所を変えて仕切り直しと行こうじゃねえか。俺は立ち合いに負けたからな、妹にも会いに行かなきゃならねえし。……妹には、兄貴が生きていた以上の衝撃を与えちまうことになるだろうがよ」
そうだ。黒姫様に、このことをお話しなければならないのだ。気が重い。
芥川様と小四郎と共に、屋敷に戻る。
おみつさんとやちよ婆は茶屋に、赤龍法師は黒墨寺に帰ってもらった。まだ、話を聞く必要があるかもしれないので、町から離れないように、とは言づけてあるけれど、見張る必要はないと判断した。……芥川様が自白したし、来栖城に忍び込んだ罪に関しては、黒葛家が改易になる以上、裁くものがいないし。
重い気持ちで、本邸の座敷で黒姫様に事の次第を報告すると、童女はまずじろりと小四郎を睨みつけ、「ふん」と鼻を鳴らした。次いで、芥川様に視線を向ける。
「じい。正直に申せ。やっとらんじゃろう」
「いえ、黒姫様。儂がやったのです」
畳に頭をこすりつけたまま、芥川様は顔を上げようとしない。
「いや、じいではない。性根を考えれば、暗殺はない。正々堂々と討ち取った上で、切腹を選ぶ……、ということも、しない」
黒姫様による芥川様への人物評は、自分達のものとは異なっていた。
「ただ、問題を先送りにして、見守る――事実、見守ってきた。そうじゃろ。長年、それこそ、わたくしが生まれる前から耐えてきた。耐えることに慣れ切ってしまうほどに」
耐えることに、慣れ切る――。
なんというか、腹にずしんと来る言葉だ。十年間、良いとは言えない主の元で、家系への忠心だけで……。ただ一度のお勤めすら嫌がる自分とは、まるで違う生き方。
「そんな男が、機会があるからといって、今さら主君を殺すか? 父上は優れた主ではなかったが、放っておけば、いずれ天寿を全うする。その場合、来栖が改易するか、存続するかはわたくしに男児がいるかどうか次第だったはずじゃ。そこのが帰って来ん限りはな」
そこの、で小四郎が指さされた。小四郎が気まずそうに頬を掻く。
「……まあ、黒勝が天寿を全うしていたら、帰っては来なかっただろうけどな。逃げた俺が家督を継いだら、それこそ黒葛家の恥になるだろうし」
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