浮気刀と忍法帖:聳え立つのは密室城

ヤマモトユウスケ

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《鳥の一党、あおばずく》 その六

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 翌朝のことである。
 離れで目覚め、支度を整えた自分とあおばが本邸に行くと、女房が血相を変えて駆け寄ってきた。

「榊原様! 門に、こんなものが!」

 と、手渡されたのは、矢だ。折った紙が括りつけられてある。

「矢文? え、誰から?」
「御曹司、矢文をわかるように放つ阿呆はおりません。匿名で送れるのが利点なのでございますから」

 そりゃそうだ。
 紙を開くと、赤い墨で『調査を辞め、江戸に帰れ。さもなくば命の覚悟をせよ。』と記されている。自分達宛てである。

「昨日のおみつさん達の反応を見るに、拙者らに帰ってほしい町人は、ごまんといるだろうからね。芥川様に関する誤解も、そのうち解けていくだろうさ。それに、もしも誰かが襲ってきたとしても、拙者が返り討ちにしてくれる」

 安心させようと思って、そんなことを言ってみたが、あおばは顎に指を当てて考え込んでいる。自分の言葉を聞いていたかどうかも怪しい。

「……あおば? どうしたんだい?」
「いえ、御曹司。これは……、ひょっとすると、光明が見えたかもしれません」

 あおばが、いつも通りのすまし顔を、ほんの少しほころばせた。

「わかりませんか、御曹司。誰かが、やつがれ達を脅しているのでございます」
 ……と、いうと?

「調査を続けられると困る誰かが、まだこの国、この町にいるのだと、そう申しております」

 座敷に向かいながら、考える。女房には、黒姫様達を連れてきてもらうよう頼んだ。

「そりゃまあ、黒幕は調査を続けられたら嫌だろうけどさ。これが光明になるっていうのかい?」

 座敷の畳に、あおばは昨日と同様、二枚の紙を広げる。

「二の三でございます。下手人の気持ちになってお考え下さいませ。もしも、御曹司が証拠を見つけ、燃やすなどして隠蔽したら、次はどういたしますか?」

 どう、って。黒勝様を殺し、証拠を破壊したとすれば……。やること、ないよな。もう。やることないなら、うーん。

「か……帰る、とか? いや、ごめん、また適当なことを言った」
「いえ、御曹司。正解でございます。正確には――、逃げるはずなのでございます」

 はっとして、紙を見つめる。

  二の三、なんのために、城内を荒らしたのか。
  ――解、証拠を持ち去るため。

 証拠を持ち去ったのなら、来栖に残る意味はない。疑われないうちに、さっさと来栖を去ればいい。御用金を受け取っていた黒幕が来栖以外の人間で、下手人もその手先なら、来栖に居座る理由はなにもない。

「待て、根暗女。そも、その矢文が真の下手人から送られたものだとは限らんだろう」

 黒姫様と小四郎、後ろ手で縛られた芥川様が、座敷に入ってきた。

「早まった町人が送ったものでないと、どうして言える?」
「断言することはできません、黒姫様。ですが、仮定の仮定の、さらに仮定として。下手人から送られたものだとすれば、我が方にひとつ、打開の策が生まれるのでございます」

 下手人が逃げない理由はなんだ? まだ、帰れない理由は。自分達もまた、帰れないのだが、下手人もそうなのだとすれば。

「拙者達が、すべての謎を解き終わっていないのと同じく……、下手人は、すべての証拠を破壊し終わっていない……?」

 全員の視線が、自分に突き刺さる。あおばがうなずいた。

「まさしく。どこかに、黒幕を示す証拠が残っているのではないかと。あの夜、誰かが証拠を消すため城を荒らし、しかし……、それは見つからなかったのではないでしょうか」

 そうだ。芥川様は言っていた――「なにも盗られたものはない」と。
 証拠は、まだどこかに残っているのだ。
 それでも、真の下手人には余裕があったのだろう。江戸から来た自分達に、芥川様が「己がやった」と申し出て、これで事件は終わるはずだったのだから。
 なのに、自分達は帰らない。まだ調査を続けるとすら言っている。ゆえに、下手人が焦って矢文を送ったのだとすれば。

「恐れながら献言いたしますれば、先にその証拠を手に入れれば、必然、黒幕に――全ての謎の答えに、辿り着けるのではないかと、やつがれは愚考いたします」

 なるほど、これは光明だった。


 そうと決まれば、自分達がやるべきは、証拠がどこにあるかを考えることだった。
 棒手振りから買った納豆と女房が炊いた米で、朝餉を手早く済まし、座敷の畳に荷物を置く。

「二の丸から引き揚げた、書類の数々じゃ。書簡、帳簿、資料……、歌集も見直すのか?」

 黒姫様が首をかしげる。書類の山を見て、小四郎が嫌そうにうめいた。

「てかよ、黒幕の手の者が城を漁って、見つけられなかったんなら、俺達にも見つけられないんじゃねえか」
「見つからなければ見つからないで、証拠は城にはなかったのだと結論できます。四人がかりでかかれば、本日中になんとか」

 なんとかする、というより、なんとかなれ、という祈りに近い。明日、自分達は江戸に発たねばならない。最後の一筋の光を掴めなければ、終わる。

「歌集はともかく、もう昨日見た帳簿は外していいだろう。証拠にならないし、黒幕にもつながらない。もっとわかりやすいなにかが、あるはずだ」

 と、願う。

「普請関係の書類だらけじゃな。図案が多い……、黒鉄庵の図面もあるぞ。包丁番が残した料理の指南書もあるな」

 それはちょっと見たいが、いますべきことではない。
 あおばが、歌集をものすごい勢いでめくる。

「しかし、わかりやすいなにかとなれば、黒勝様があえて残された証拠なのでしょうか。黒幕に対する切り札として。ならば、誰が見ても一見して『それ』だとわかるものだと愚考いたします。署名入りの書簡のような、わかりやすい証拠などではないかと」

 料理本をめくり終わった黒姫様が、座敷の柱に縛り付けられた老爺を睨んだ。

「おい、じい。貴様、実は証拠を押さえておるのではないか? あるいは、それがなにか、知っておるのではないか」

 小四郎が猿ぐつわを外した。

「……儂が殺したと申しております」

 老爺は、それだけ言って、また黙った。

「……ああ。そも、証拠があれば、じいがそれを使って黒幕と交渉しておるか。愚問じゃったな、悪い」

 それもそうか。証拠があれば、黒幕と交渉できる。芥川様の望みは黒葛家の存続、再興だ。黒幕側の摘発ではない。むしろ、裏で協力し合える可能性すらあった。十年前、黒幕から隠密を借りた――という仮定だけが先行している――黒勝様のように。
 結果として、おそらくは黒幕の指示が記された書簡などを頼って、芥川様が帳簿をつけることになったはず。

「芥川様は役方上がりのご家老なんだろ? 帳簿以外の書類全般に精通していたはず。とすれば、二の丸にあるもので、知らないものはなかったと思う」

 書類を漁る手を止め、考える。

「……黒姫様と小四郎殿は、引き続き書類にあたってください。拙者は来栖城へ行きます」
「城に? なにも残っておらんぞ、あそこには」
「いえ、ひとつ、黒葛黒勝様が残したものがございます。黒鉄庵の図案を頂いていってもかまいませんか?」

 下手人も、黒鉄庵の中は物色しただろうから、望みは薄い。
 だが、賭けてみる価値はあるように思えた。


 しかし、残念ながら、黒鉄庵からはなにも見つからなかった。
 床下や排煙管の中さえも、頭を突っ込んで覗いてみたのに。
 時間を無駄にした……、と焦りながら屋敷に戻ると、黒姫様と小四郎が、やはり書類の山を前に焦燥した顔で手を動かしている。

「あったか? ……その顔はなかった顔じゃな。こちらもじゃ」

 じりじりと過ぎていく時間に、焦りだけが蓄積していく。
 昼餉は、朝に炊いた米と棒手振りから買った漬物で湯漬けにして、早々に済ませることにした。いつも通り、黒姫様は芥川様に毒見をさせるというので、自分達は先にいただく。少しでも時間が惜しかった。本日ばかりは、あおばも一緒に食う。

 あおばが湯漬けに口をつける。自分はまだ熱そうなので、少し待ち――。
 ――かしゃん、と陶器の割れる音がする。あおばが、茶碗を膳の上に落っことしていた。

「あおば? どうした」

 珍しい無作法に、あおばの顔を覗き見ると、目が濁り、肌が土色に染まっていた。

「御、ぞ……」

 一瞬、頭が真っ白になり――、「おい、行燈男! しっかりせい!」――黒姫様の声で現実に引き戻される。
 毒だ。あおばに、毒が盛られた。

「あんたら、湯漬けに口付けんな! あおば、しっかりしろ、いま助けるからな」
「ど、どうすんだ、十一郎、おい」
「とにかく吐かせる! たらいで水持ってこい!」

 あおばの体を縁側まで引きずる。
 小四郎が持ってきたたらいから柄杓で水を汲み、無理やり口の中に水を流し込む。びくびくと跳ねる体を押さえつけて水を飲ませたら、庭に向けてうつぶせに寝かせて、あおばの口に二本指を突っ込む。

「ゆるせ、あおば」

 その奥、喉に中指で触れる。水音を立てて、あおばが嘔吐した。水を飲ませ、吐かせる。その行為を二度繰り返して、胃の中身を吐かせきると、あおばがうっすらと目を開けた。

「あおば! 聞こえるか。薬はどこだ?」

 震える指が、庭の先を指さす。離れだ。草履も履かずに庭に飛び出し、一直線に離れに向かって、あおばの荷物を引っ掴んで座敷に戻る。小四郎と黒姫様と、芥川様までもが、心配そうに介抱してくれている。
 荷物から、薬の入った箱を取り出す。忍びの丸薬は、よく効く。
 ……効いてくれないと困る。水で薬を飲ませ、震える体を抱きしめる。

「医者! 早く!」
「あいわかった。暗愚兄、走って医者を呼んでこい。町で一番の医者じゃ。それから、女房全員、ここに集めよ。昼餉を用意したのは誰か、わたくしが直々に問い正す。あと……」

 黒姫様がいろいろな指示を出していたが、その内容はぜんぶ、頭の上を通り過ぎて行く。
 自分はただ、気を失った竹馬の友を抱いて、その弱々しい鼓動が止まないことだけを、ずっと祈っていた。

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