29 / 37
《鳥の一党、あおばずく》 その六
しおりを挟む翌朝のことである。
離れで目覚め、支度を整えた自分とあおばが本邸に行くと、女房が血相を変えて駆け寄ってきた。
「榊原様! 門に、こんなものが!」
と、手渡されたのは、矢だ。折った紙が括りつけられてある。
「矢文? え、誰から?」
「御曹司、矢文をわかるように放つ阿呆はおりません。匿名で送れるのが利点なのでございますから」
そりゃそうだ。
紙を開くと、赤い墨で『調査を辞め、江戸に帰れ。さもなくば命の覚悟をせよ。』と記されている。自分達宛てである。
「昨日のおみつさん達の反応を見るに、拙者らに帰ってほしい町人は、ごまんといるだろうからね。芥川様に関する誤解も、そのうち解けていくだろうさ。それに、もしも誰かが襲ってきたとしても、拙者が返り討ちにしてくれる」
安心させようと思って、そんなことを言ってみたが、あおばは顎に指を当てて考え込んでいる。自分の言葉を聞いていたかどうかも怪しい。
「……あおば? どうしたんだい?」
「いえ、御曹司。これは……、ひょっとすると、光明が見えたかもしれません」
あおばが、いつも通りのすまし顔を、ほんの少しほころばせた。
「わかりませんか、御曹司。誰かが、やつがれ達を脅しているのでございます」
……と、いうと?
「調査を続けられると困る誰かが、まだこの国、この町にいるのだと、そう申しております」
座敷に向かいながら、考える。女房には、黒姫様達を連れてきてもらうよう頼んだ。
「そりゃまあ、黒幕は調査を続けられたら嫌だろうけどさ。これが光明になるっていうのかい?」
座敷の畳に、あおばは昨日と同様、二枚の紙を広げる。
「二の三でございます。下手人の気持ちになってお考え下さいませ。もしも、御曹司が証拠を見つけ、燃やすなどして隠蔽したら、次はどういたしますか?」
どう、って。黒勝様を殺し、証拠を破壊したとすれば……。やること、ないよな。もう。やることないなら、うーん。
「か……帰る、とか? いや、ごめん、また適当なことを言った」
「いえ、御曹司。正解でございます。正確には――、逃げるはずなのでございます」
はっとして、紙を見つめる。
二の三、なんのために、城内を荒らしたのか。
――解、証拠を持ち去るため。
証拠を持ち去ったのなら、来栖に残る意味はない。疑われないうちに、さっさと来栖を去ればいい。御用金を受け取っていた黒幕が来栖以外の人間で、下手人もその手先なら、来栖に居座る理由はなにもない。
「待て、根暗女。そも、その矢文が真の下手人から送られたものだとは限らんだろう」
黒姫様と小四郎、後ろ手で縛られた芥川様が、座敷に入ってきた。
「早まった町人が送ったものでないと、どうして言える?」
「断言することはできません、黒姫様。ですが、仮定の仮定の、さらに仮定として。下手人から送られたものだとすれば、我が方にひとつ、打開の策が生まれるのでございます」
下手人が逃げない理由はなんだ? まだ、帰れない理由は。自分達もまた、帰れないのだが、下手人もそうなのだとすれば。
「拙者達が、すべての謎を解き終わっていないのと同じく……、下手人は、すべての証拠を破壊し終わっていない……?」
全員の視線が、自分に突き刺さる。あおばがうなずいた。
「まさしく。どこかに、黒幕を示す証拠が残っているのではないかと。あの夜、誰かが証拠を消すため城を荒らし、しかし……、それは見つからなかったのではないでしょうか」
そうだ。芥川様は言っていた――「なにも盗られたものはない」と。
証拠は、まだどこかに残っているのだ。
それでも、真の下手人には余裕があったのだろう。江戸から来た自分達に、芥川様が「己がやった」と申し出て、これで事件は終わるはずだったのだから。
なのに、自分達は帰らない。まだ調査を続けるとすら言っている。ゆえに、下手人が焦って矢文を送ったのだとすれば。
「恐れながら献言いたしますれば、先にその証拠を手に入れれば、必然、黒幕に――全ての謎の答えに、辿り着けるのではないかと、やつがれは愚考いたします」
なるほど、これは光明だった。
そうと決まれば、自分達がやるべきは、証拠がどこにあるかを考えることだった。
棒手振りから買った納豆と女房が炊いた米で、朝餉を手早く済まし、座敷の畳に荷物を置く。
「二の丸から引き揚げた、書類の数々じゃ。書簡、帳簿、資料……、歌集も見直すのか?」
黒姫様が首をかしげる。書類の山を見て、小四郎が嫌そうにうめいた。
「てかよ、黒幕の手の者が城を漁って、見つけられなかったんなら、俺達にも見つけられないんじゃねえか」
「見つからなければ見つからないで、証拠は城にはなかったのだと結論できます。四人がかりでかかれば、本日中になんとか」
なんとかする、というより、なんとかなれ、という祈りに近い。明日、自分達は江戸に発たねばならない。最後の一筋の光を掴めなければ、終わる。
「歌集はともかく、もう昨日見た帳簿は外していいだろう。証拠にならないし、黒幕にもつながらない。もっとわかりやすいなにかが、あるはずだ」
と、願う。
「普請関係の書類だらけじゃな。図案が多い……、黒鉄庵の図面もあるぞ。包丁番が残した料理の指南書もあるな」
それはちょっと見たいが、いますべきことではない。
あおばが、歌集をものすごい勢いでめくる。
「しかし、わかりやすいなにかとなれば、黒勝様があえて残された証拠なのでしょうか。黒幕に対する切り札として。ならば、誰が見ても一見して『それ』だとわかるものだと愚考いたします。署名入りの書簡のような、わかりやすい証拠などではないかと」
料理本をめくり終わった黒姫様が、座敷の柱に縛り付けられた老爺を睨んだ。
「おい、じい。貴様、実は証拠を押さえておるのではないか? あるいは、それがなにか、知っておるのではないか」
小四郎が猿ぐつわを外した。
「……儂が殺したと申しております」
老爺は、それだけ言って、また黙った。
「……ああ。そも、証拠があれば、じいがそれを使って黒幕と交渉しておるか。愚問じゃったな、悪い」
それもそうか。証拠があれば、黒幕と交渉できる。芥川様の望みは黒葛家の存続、再興だ。黒幕側の摘発ではない。むしろ、裏で協力し合える可能性すらあった。十年前、黒幕から隠密を借りた――という仮定だけが先行している――黒勝様のように。
結果として、おそらくは黒幕の指示が記された書簡などを頼って、芥川様が帳簿をつけることになったはず。
「芥川様は役方上がりのご家老なんだろ? 帳簿以外の書類全般に精通していたはず。とすれば、二の丸にあるもので、知らないものはなかったと思う」
書類を漁る手を止め、考える。
「……黒姫様と小四郎殿は、引き続き書類にあたってください。拙者は来栖城へ行きます」
「城に? なにも残っておらんぞ、あそこには」
「いえ、ひとつ、黒葛黒勝様が残したものがございます。黒鉄庵の図案を頂いていってもかまいませんか?」
下手人も、黒鉄庵の中は物色しただろうから、望みは薄い。
だが、賭けてみる価値はあるように思えた。
しかし、残念ながら、黒鉄庵からはなにも見つからなかった。
床下や排煙管の中さえも、頭を突っ込んで覗いてみたのに。
時間を無駄にした……、と焦りながら屋敷に戻ると、黒姫様と小四郎が、やはり書類の山を前に焦燥した顔で手を動かしている。
「あったか? ……その顔はなかった顔じゃな。こちらもじゃ」
じりじりと過ぎていく時間に、焦りだけが蓄積していく。
昼餉は、朝に炊いた米と棒手振りから買った漬物で湯漬けにして、早々に済ませることにした。いつも通り、黒姫様は芥川様に毒見をさせるというので、自分達は先にいただく。少しでも時間が惜しかった。本日ばかりは、あおばも一緒に食う。
あおばが湯漬けに口をつける。自分はまだ熱そうなので、少し待ち――。
――かしゃん、と陶器の割れる音がする。あおばが、茶碗を膳の上に落っことしていた。
「あおば? どうした」
珍しい無作法に、あおばの顔を覗き見ると、目が濁り、肌が土色に染まっていた。
「御、ぞ……」
一瞬、頭が真っ白になり――、「おい、行燈男! しっかりせい!」――黒姫様の声で現実に引き戻される。
毒だ。あおばに、毒が盛られた。
「あんたら、湯漬けに口付けんな! あおば、しっかりしろ、いま助けるからな」
「ど、どうすんだ、十一郎、おい」
「とにかく吐かせる! たらいで水持ってこい!」
あおばの体を縁側まで引きずる。
小四郎が持ってきたたらいから柄杓で水を汲み、無理やり口の中に水を流し込む。びくびくと跳ねる体を押さえつけて水を飲ませたら、庭に向けてうつぶせに寝かせて、あおばの口に二本指を突っ込む。
「ゆるせ、あおば」
その奥、喉に中指で触れる。水音を立てて、あおばが嘔吐した。水を飲ませ、吐かせる。その行為を二度繰り返して、胃の中身を吐かせきると、あおばがうっすらと目を開けた。
「あおば! 聞こえるか。薬はどこだ?」
震える指が、庭の先を指さす。離れだ。草履も履かずに庭に飛び出し、一直線に離れに向かって、あおばの荷物を引っ掴んで座敷に戻る。小四郎と黒姫様と、芥川様までもが、心配そうに介抱してくれている。
荷物から、薬の入った箱を取り出す。忍びの丸薬は、よく効く。
……効いてくれないと困る。水で薬を飲ませ、震える体を抱きしめる。
「医者! 早く!」
「あいわかった。暗愚兄、走って医者を呼んでこい。町で一番の医者じゃ。それから、女房全員、ここに集めよ。昼餉を用意したのは誰か、わたくしが直々に問い正す。あと……」
黒姫様がいろいろな指示を出していたが、その内容はぜんぶ、頭の上を通り過ぎて行く。
自分はただ、気を失った竹馬の友を抱いて、その弱々しい鼓動が止まないことだけを、ずっと祈っていた。
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる