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ギルバートの威圧感は凄まじい。
並の人間なら、その声を聞いただけで失神するか、腰を抜かして逃げ出すだろう。
だが、私の体内には王国の全魔力が渦巻いている。
彼の殺気など、心地よいそよ風のようなものだ。
「死ぬために来たのではありません。生きるために、ここに来たのです」
私はフードを脱ぎ、銀色の髪を風にさらした。
ギルバートの視線が、私の瞳に定まる。
彼はわずかに眉を動かし、私の背後にある「死の森」へと視線を移した。
「この森の魔物は、王国の騎士団が束になっても敵わぬ凶悪なものばかりだ。追い返される前に、立ち去れ」
「いいえ。私がここに価値があることを、今すぐ証明してみせますわ」
私がそう言った瞬間、森の奥から地響きが聞こえてきた。
黒い霧を切り裂いて現れたのは、三つの頭を持つ巨大な魔獣、キマイラだ。
体長は十メートルを超え、その咆哮だけで周囲の木々がなぎ倒される。
検問所にいた人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。
「ちっ、こんな時に……! 全員下がれ! 我らだけで食い止める!」
ギルバートが大剣を引き抜き、部下たちに指示を出す。
しかし、キマイラはすでに跳躍していた。
その巨大な爪が、逃げ遅れた子供の頭上に振り下ろされようとしている。
私は一歩、前へ出た。
「邪魔よ」
右手を軽く掲げ、人差し指をキマイラに向ける。
呪文を唱える必要すらない。
ただ「消えろ」という意思を、魔力として放つだけだ。
指先から放たれた一筋の青白い閃光が、夕闇を真っ白に塗りつぶした。
光はキマイラの眉間を貫き、その巨体を内側から結晶化させていく。
咆哮を上げる暇もなかった。
キマイラは空中で完全な水晶の像へと変わり、地面に激突して粉々に砕け散った。
キラキラと輝く破片が、雪のように周囲へ降り注ぐ。
「……なっ……!?」
ギルバートが剣を構えたまま、石のように硬直している。
彼の部下たちも、口をパクパクとさせて声を出せないでいる。
今のキマイラは、王国なら百人規模の討伐隊を組まなければ倒せない災厄級の個体だ。
それを、ただの小娘が指先一つで、文字通り塵にした。
「これで、少しは話を聞く気になりましたか?」
私は何事もなかったかのように微笑み、ギルバートを見上げた。
彼は信じられないものを見る目で私を凝視し、やがて大剣を鞘に収めた。
「……貴様、何者だ。その魔力、ただの聖女のレベルではない」
「ただの亡命者ですよ。前の職場では、無能だと言われて追い出されましたけれど」
「無能……? これでか?」
ギルバートは呆れたように吐き捨て、私の顔をじっと見つめた。
その瞳には、恐怖ではなく、底知れない興味の色が浮かんでいる。
「面白い。貴様のような規格外を野放しにする王国の気が知れんが、我らにとっては幸運だ」
彼は漆黒の籠手を脱ぎ、傷跡の残る大きな手を私に差し出した。
「歓迎しよう。我が暗黒騎士団の居城へ。貴様の力、存分に振るってもらうぞ」
「ええ、喜んで。その代わり、私のプライバシーと、美味しい食事は保障してくださいね」
私はその手を取り、力強く握り返した。
こうして、私の新しい人生が始まった。
暗黒騎士団の本拠地は、森の最深部に建つ堅固な黒石の城だ。
周囲には常に強力な魔物が徘徊しているが、私が一瞥をくれるだけで彼らは震えて霧の中に消えていく。
城に入ると、そこにいた騎士たちが一斉に膝を突いた。
「団長、その御方は……?」
「今日から我らの賓客だ。いや、この辺境の守護女神だと言ってもいい」
ギルバートの言葉に、騎士たちがどよめく。
私は彼らに向かって、優雅に一礼した。
「サラと申します。これから、この土地を少しばかり住みやすくさせていただきますわ」
私は城の中庭に立ち、地面に手を触れた。
「聖なる種」の力を、ほんのわずかだけ解放する。
どす黒く汚染されていた大地に、清浄な魔力が染み渡っていく。
枯れていた井戸から透き通った水が噴き出し、荒れた地面からは青々とした芝生と、色鮮やかな花々が芽吹いた。
さらに魔力で編み上げた防衛結界を城全体に張り巡らせる。
これまで騎士たちが命懸けで維持していた防衛ラインが、一瞬で完璧な要塞へと変貌した。
「……信じられん。伝説の楽園が、一夜にして現れたようだ」
ギルバートが周囲を見渡し、呆然と呟く。
彼の頬にある古傷が、驚きでわずかに引き攣っていた。
「まだ序の口ですよ。これからもっと驚かせて差し上げます」
私は満足げに頷き、自分のために用意された部屋へと向かった。
窓の外を見れば、北の冷たい夜空が広がっている。
ふと、王国の方向を見やった。
今頃、あそこでは大騒ぎが起きているはずだ。
魔導装置の停止により、上下水道は詰まり、街灯は消え、保存されていた食料は腐り始めているだろう。
そして何より、国を護る「聖なる盾」が消えたことで、魔物たちの侵入を許しているに違いない。
エドワード。
あなたは私を「無能」と呼び、断頭台へ送った。
なら、その「無能」がいなくなった世界を、存分に味わうといいわ。
翌朝、私はギルバートに案内され、城の食堂へと向かった。
そこには、昨日の戦いぶりを聞きつけた騎士たちが、期待に満ちた目で待ち構えていた。
「聖女様! 俺たちの怪我も治してくださるって本当ですか!」
「飯が急に美味くなったんだが、これもあんたの魔法か?」
屈強な男たちが、まるで子供のように私を囲んで騒ぎ立てる。
ギルバートが「静かにしろ」と一喝するが、その口元も心なしか緩んでいた。
私は差し出された焼きたてのパンを一口齧り、その香ばしさに目を細めた。
「ええ、何でも仰ってください。私の力は、私を大切にしてくれる人のためにだけありますから」
その時、城門の方から騒がしい鐘の音が響き渡った。
見張りの兵士が、息を切らして食堂へ駆け込んでくる。
「団長! 国境付近に王国の使者が現れました! 王太子エドワードの名で、サラ様の身柄を要求しています!」
食堂の空気が、一瞬で凍りついた。
ギルバートが椅子の手すりを握りつぶし、立ち上がる。
「……抜かせ。我が領地に土足で踏み込んでおいて、客人を渡せだと?」
私はゆっくりと紅茶を飲み干し、優雅に立ち上がった。
「構いませんわ。私が直接、お話しして差し上げます」
「サラ、貴様……」
「安心してください。今の私に、あの方々の言葉は一ミリも届きませんから」

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