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賢者アルベリヒの書斎は、古い紙とインクの匂いで満ちていた。彼の言葉は、部屋の静寂の中に重く響く。
王位継承問題。それは、一介のプレイヤーである俺が関わっていい領域を、遥かに超えているように思えた。
「ご存知の通り、国王陛下には二人の王子がおられる。第一王子のアレクシオス様と、第二王子のルシウス様じゃ」
アルベリヒは、ゆっくりと話し始めた。その声には、深い疲労の色が滲んでいる。彼のストレス値は、依然として高いままだ。
「第一王子のアレクシオス様は、武勇に優れ、決断力もある。多くの貴族や軍部の者たちが、彼こそが次期国王に相応しいと考えておる」
彼は言葉を切り、書庫の棚から分厚い革張りの本を取り出した。
「しかし……その政策は、あまりにも急進的じゃ。富国強兵を掲げ、周辺諸国への関税を大幅に引き上げ、軍備を現在の三倍にまで拡張しようとしておられる。一歩間違えれば、この国を再び戦火に巻き込みかねん」
なるほど。典型的なタカ派の王子様か。リーダーシップはあるが、そのやり方は敵を作りやすい。下手をすれば、孤立しかねない危険な香りがするタイプだな。
「一方、第二王子のルシウス様は、心優しく、慈悲深いお方じゃ。芸術を愛し、民の暮らしを第一に考える平和主義者。貧しい者への減税や、文化事業への投資を積極的に進めておられる」
アルベリヒは別の棚に目をやり、溜息をついた。
「だが、その優しさ故に、一部の貴族からは『弱腰』『王の器ではない』と見なされておる。国防を疎かにし、国庫を無駄遣いしている、と陰で囁く者も少なくない」
こちらはハト派の王子様か。民からの人気は高そうだが、政治の世界では甘いと見られてしまうのかもしれない。国を守る力がなければ、優しさも無力だ。
「二人の王子、それぞれに長所と短所がある。そして、貴族たちはそれぞれの王子を担ぎ上げ、水面下で激しい派閥争いを繰り広げておる。このままでは、いずれ王国を二分する内乱に発展しかねん。それが、わしの最大の懸念じゃ」
アルベリヒは、深く長いため息をついた。彼の悩みの根源は、この国の未来そのものにあった。俺は、ただのゲームだと思っていたこの世界が、生々しい現実感を帯びてくるのを感じていた。
「それで、俺に何ができるというのですか?俺は政治のことも、軍事のことも分かりません」
俺がそう言うと、アルベリヒは静かに首を振った。
「お主に求めているのは、政治的な手腕ではない。わしが本当に知りたいのは、二人の王子が、心の奥底で何を考えているのか、ということなのじゃ」
「本心、ですか?」
「うむ。アレクシオス様は、本当に戦争を望んでおられるのか。それとも、何か別の目的が?ルシウス様は、本当に王としての覚悟をお持ちなのか。それとも、重圧から逃れたいだけなのか。わしには、それが分からん」
賢者という立場が、逆に彼らの本心を知る邪魔になっている。それは、ある意味で皮肉なことだった。
「立場上、彼らもわしには本音を語ろうとはせん。取り繕った、建前の言葉しか返ってこんのじゃ。わしは賢者である前に、王の臣下でもあるからのう」
「そこで、お主の力が必要なのじゃ。お主ならば、何のしがらみもない、ただの旅人として、彼らの懐に入り込むことができるやもしれん。そして、その不思議な力で、彼らの本当の心の内を引き出してほしい」
俺のユニークスキル《傾聴》と《カウンセリング》が、国家の行く末を左右する鍵になるかもしれない。とんでもない話になってきたが、同時に、俺の心は奇妙に落ち着いていた。
『クエスト【賢者の憂鬱】を受注しました』
『目的:第一王子アレクシオス、第二王子ルシウスと対話し、彼らの真意を探る』
やはり、これもクエストだったか。しかも、今回は国家の根幹に関わる、とんでもないスケールのクエストだ。
「……分かりました。俺にできることがあるのなら、協力します」
俺が覚悟を決めてそう答えると、アルベリヒは心底ほっとしたような表情を見せた。彼のストレス値が、88から70へと大きく下がったのが分かる。俺が引き受けただけで、彼の心の重荷は少し軽くなったらしい。
「おお、そうか!引き受けてくれるか!恩に着るぞ、ケイ殿」
「いえ。ですが、俺は王子様にお会いしたこともありません。どうやって接触すればいいんでしょうか?」
「それについては、心配いらん。わしからエリアーナに命じて、お主が両王子に謁見できるよう、よしなに取り計らわせよう」
アルベリヒは少し考えてから、ポンと手を打った。
「表向きは、『辺境の地に伝わる、珍しいハーブティーを献上しに来た若者』ということにでもしておけばよかろう。お主、そういう心得があるそうじゃな?」
俺が生産スキルを持っていることまで、すでにお見通しか。さすがは賢者、といったところか。
「ありがとうございます。助かります」
「うむ。して、まずはどちらの王子から会ってみるかな?お主の好きな方で構わんが」
俺は少し考えた。タカ派で、多くの貴族を味方につけている第一王子アレクシオス。心優しく、民を思うが、頼りないと見られている第二王子ルシウス。
どちらから会うかで、今後の展開も変わってくるかもしれない。ここは、まず現状で優勢とされている第一王子から話を聞いてみるのがいいだろう。彼の考え方を知ることで、この国の現状がより深く理解できるはずだ。
「では、第一王子のアレクシオス様から、お会いしてみたいです」
「分かった。では、そのように手配しよう。エリアーナ、聞こえておるな?」
アルベリヒがそう言うと、部屋の隅の影から、すっとエリアーナが現れた。いつからそこにいたんだ。全く気配を感じなかった。
「はっ。かしこまりました。明日の午後、アレクシオス王子が剣の訓練を終えられた後、お時間をいただけるよう調整いたします」
仕事が早い。さすがは賢者の側近だ。
「うむ、頼んだぞ。……ケイ殿、今日はもう遅い。城に部屋を用意させるから、ゆっくり休むがよい」
「いえ、俺には自分の家がありますので、そちらに帰ります。お気遣い、ありがとうございます」
先日ガイウスさんから譲り受けたコテージのことを思い出し、俺はそう答えた。
「そうか。ならば、気をつけて帰るのじゃぞ。エリアーナ、ケイ殿を裏門まで送って差し上げなさい」
「承知いたしました」
俺はアルベリヒに一礼し、エリアーナと共に賢者の書斎を後にした。城の廊下を歩きながら、エリアーナが俺に話しかけてきた。その声は、さっきまでの無機質なものとは違い、どこか人間味を帯びていた。
「ケイ殿、賢者様のこと、よろしくお願いいたします。あの方は、いつも一人で全てを背負い込んでしまわれる。最近はろくに眠ってもおられず、食事も喉を通らないご様子で……」
彼女は、本当に賢者のことを心配しているようだった。
「あなた様のような方が現れて、本当に良かった。私には、あの方のお心を軽くして差し上げることはできませんから」
「俺は、大したことはできませんよ」
「いいえ。あなたは、私たちが持ち得ない、特別な力をお持ちです。……期待しておりますわ」
彼女の言葉は、少しだけプレッシャーだったが、同時に俺への信頼の証でもあった。俺は、その期待に応えなければならない。
裏門でエリアーナと別れ、俺は夜道をコテージへと急いだ。月明かりに照らされた銀の森が、どこか神秘的に見える。自分の拠点が、まるで隠れ家のようで、少しだけ誇らしい気持ちになった。
コテージに戻り、暖炉に火を入れる。パチパチと薪がはぜる音を聞きながら、今日の出来事を、ゆっくりと反芻した。
パン屋の娘、元騎士団長、そして国の賢者。俺がこの世界に来てから出会った人々は、皆、深い悩みを抱えていた。そして、俺の力が、彼らの心を少しだけ軽くすることができた。
今度の相手は、二人の王子だ。彼らは、一体どんな悩みを抱えているのだろうか。俺のカウンセリングは、国の未来を変えることができるのだろうか。
期待と不安が入り混じった、不思議な高揚感を覚えながら、俺はソファに身を沈めた。明日からの、未知の出会いに思いを馳せているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。
王位継承問題。それは、一介のプレイヤーである俺が関わっていい領域を、遥かに超えているように思えた。
「ご存知の通り、国王陛下には二人の王子がおられる。第一王子のアレクシオス様と、第二王子のルシウス様じゃ」
アルベリヒは、ゆっくりと話し始めた。その声には、深い疲労の色が滲んでいる。彼のストレス値は、依然として高いままだ。
「第一王子のアレクシオス様は、武勇に優れ、決断力もある。多くの貴族や軍部の者たちが、彼こそが次期国王に相応しいと考えておる」
彼は言葉を切り、書庫の棚から分厚い革張りの本を取り出した。
「しかし……その政策は、あまりにも急進的じゃ。富国強兵を掲げ、周辺諸国への関税を大幅に引き上げ、軍備を現在の三倍にまで拡張しようとしておられる。一歩間違えれば、この国を再び戦火に巻き込みかねん」
なるほど。典型的なタカ派の王子様か。リーダーシップはあるが、そのやり方は敵を作りやすい。下手をすれば、孤立しかねない危険な香りがするタイプだな。
「一方、第二王子のルシウス様は、心優しく、慈悲深いお方じゃ。芸術を愛し、民の暮らしを第一に考える平和主義者。貧しい者への減税や、文化事業への投資を積極的に進めておられる」
アルベリヒは別の棚に目をやり、溜息をついた。
「だが、その優しさ故に、一部の貴族からは『弱腰』『王の器ではない』と見なされておる。国防を疎かにし、国庫を無駄遣いしている、と陰で囁く者も少なくない」
こちらはハト派の王子様か。民からの人気は高そうだが、政治の世界では甘いと見られてしまうのかもしれない。国を守る力がなければ、優しさも無力だ。
「二人の王子、それぞれに長所と短所がある。そして、貴族たちはそれぞれの王子を担ぎ上げ、水面下で激しい派閥争いを繰り広げておる。このままでは、いずれ王国を二分する内乱に発展しかねん。それが、わしの最大の懸念じゃ」
アルベリヒは、深く長いため息をついた。彼の悩みの根源は、この国の未来そのものにあった。俺は、ただのゲームだと思っていたこの世界が、生々しい現実感を帯びてくるのを感じていた。
「それで、俺に何ができるというのですか?俺は政治のことも、軍事のことも分かりません」
俺がそう言うと、アルベリヒは静かに首を振った。
「お主に求めているのは、政治的な手腕ではない。わしが本当に知りたいのは、二人の王子が、心の奥底で何を考えているのか、ということなのじゃ」
「本心、ですか?」
「うむ。アレクシオス様は、本当に戦争を望んでおられるのか。それとも、何か別の目的が?ルシウス様は、本当に王としての覚悟をお持ちなのか。それとも、重圧から逃れたいだけなのか。わしには、それが分からん」
賢者という立場が、逆に彼らの本心を知る邪魔になっている。それは、ある意味で皮肉なことだった。
「立場上、彼らもわしには本音を語ろうとはせん。取り繕った、建前の言葉しか返ってこんのじゃ。わしは賢者である前に、王の臣下でもあるからのう」
「そこで、お主の力が必要なのじゃ。お主ならば、何のしがらみもない、ただの旅人として、彼らの懐に入り込むことができるやもしれん。そして、その不思議な力で、彼らの本当の心の内を引き出してほしい」
俺のユニークスキル《傾聴》と《カウンセリング》が、国家の行く末を左右する鍵になるかもしれない。とんでもない話になってきたが、同時に、俺の心は奇妙に落ち着いていた。
『クエスト【賢者の憂鬱】を受注しました』
『目的:第一王子アレクシオス、第二王子ルシウスと対話し、彼らの真意を探る』
やはり、これもクエストだったか。しかも、今回は国家の根幹に関わる、とんでもないスケールのクエストだ。
「……分かりました。俺にできることがあるのなら、協力します」
俺が覚悟を決めてそう答えると、アルベリヒは心底ほっとしたような表情を見せた。彼のストレス値が、88から70へと大きく下がったのが分かる。俺が引き受けただけで、彼の心の重荷は少し軽くなったらしい。
「おお、そうか!引き受けてくれるか!恩に着るぞ、ケイ殿」
「いえ。ですが、俺は王子様にお会いしたこともありません。どうやって接触すればいいんでしょうか?」
「それについては、心配いらん。わしからエリアーナに命じて、お主が両王子に謁見できるよう、よしなに取り計らわせよう」
アルベリヒは少し考えてから、ポンと手を打った。
「表向きは、『辺境の地に伝わる、珍しいハーブティーを献上しに来た若者』ということにでもしておけばよかろう。お主、そういう心得があるそうじゃな?」
俺が生産スキルを持っていることまで、すでにお見通しか。さすがは賢者、といったところか。
「ありがとうございます。助かります」
「うむ。して、まずはどちらの王子から会ってみるかな?お主の好きな方で構わんが」
俺は少し考えた。タカ派で、多くの貴族を味方につけている第一王子アレクシオス。心優しく、民を思うが、頼りないと見られている第二王子ルシウス。
どちらから会うかで、今後の展開も変わってくるかもしれない。ここは、まず現状で優勢とされている第一王子から話を聞いてみるのがいいだろう。彼の考え方を知ることで、この国の現状がより深く理解できるはずだ。
「では、第一王子のアレクシオス様から、お会いしてみたいです」
「分かった。では、そのように手配しよう。エリアーナ、聞こえておるな?」
アルベリヒがそう言うと、部屋の隅の影から、すっとエリアーナが現れた。いつからそこにいたんだ。全く気配を感じなかった。
「はっ。かしこまりました。明日の午後、アレクシオス王子が剣の訓練を終えられた後、お時間をいただけるよう調整いたします」
仕事が早い。さすがは賢者の側近だ。
「うむ、頼んだぞ。……ケイ殿、今日はもう遅い。城に部屋を用意させるから、ゆっくり休むがよい」
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彼女は、本当に賢者のことを心配しているようだった。
「あなた様のような方が現れて、本当に良かった。私には、あの方のお心を軽くして差し上げることはできませんから」
「俺は、大したことはできませんよ」
「いいえ。あなたは、私たちが持ち得ない、特別な力をお持ちです。……期待しておりますわ」
彼女の言葉は、少しだけプレッシャーだったが、同時に俺への信頼の証でもあった。俺は、その期待に応えなければならない。
裏門でエリアーナと別れ、俺は夜道をコテージへと急いだ。月明かりに照らされた銀の森が、どこか神秘的に見える。自分の拠点が、まるで隠れ家のようで、少しだけ誇らしい気持ちになった。
コテージに戻り、暖炉に火を入れる。パチパチと薪がはぜる音を聞きながら、今日の出来事を、ゆっくりと反芻した。
パン屋の娘、元騎士団長、そして国の賢者。俺がこの世界に来てから出会った人々は、皆、深い悩みを抱えていた。そして、俺の力が、彼らの心を少しだけ軽くすることができた。
今度の相手は、二人の王子だ。彼らは、一体どんな悩みを抱えているのだろうか。俺のカウンセリングは、国の未来を変えることができるのだろうか。
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