独身おじさんの異世界おひとりさまライフ〜金や評価は要りません。コーヒーとタバコ、そして本があれば最高です〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第19章 おじさんと燻製

第238話

燻製を続けていると、素材よりも先に、煙の匂いのほうが気になり出す瞬間がある。

肉も魚も卵も、どれだけ仕込んでも、煙の質が良くなければ、仕上がりは落ち着かない。

焦げたような苦味、乾いた木の埃臭さ、妙に刺すような鋭さ──そういうものが一瞬でも混じれば、味に尾を引く。

ある程度の経験を積んだところで、ようやく「煙そのもの」を弄ってみようか、という気になった。

きっかけは、畑の裏手にある香草の束だった。

村の女たちが摘んでくる、タイムやセージ、ローズマリーにバジル。

コーヒーと合わせるには強すぎる香りだが、火を通したときに立ちのぼる匂いは、燻製の煙と不思議と相性がいい。

一度、チーズを燻している最中に風で飛ばされたセージの枝が火皿に落ちたことがあった。

そのときの煙が、妙に丸く、甘く、香ばしくて──それが頭に残っていた。

まずは、いつもの桜とナラのブレンドに、乾かしたタイムを細かく砕いて加えてみる。

焙煎機で使うふるいを使って、粉にならない程度に粗く挽く。

火皿の上で、チップと混ぜる。指先で攪拌すると、甘い木の香りの中に、すっと抜けるような清涼感が立ち上がる。

その匂いを胸いっぱいに吸い込んで、火を入れた。

すぐに煙が上がる。色はいつもと変わらないが、立ち上る速度と、匂いの広がりが違う。

鋭さがなく、丸く、やや湿った印象。だが、鼻に残る残香は強い。

今日はチーズとナッツを燻す。

どちらも香りに敏感な素材だ。煙の質が変われば、味への影響も如実に出る。

燻製器の温度を五十度に固定し、まずナッツをセットする。クルミとアーモンド、それから試しにマカダミアに似た異世界豆。

網の上に広げ、香草煙が立ちこめる空間に満たす。

三十分後、煙の質が落ちないようにチップを追加しながら、次にチーズを吊るした。

今回は、軽く干した白チーズを麻紐で括っている。

煙の中に時間が満ちていく。

俺は外で煙草を吸いながら、少し離れたところから煙の動きを見る。

店の裏手からは、淡く甘い香りが流れていた。

猫が一匹、煙のほうに鼻を向けて、しばらくじっとしていたが、すぐに前足で顔を拭いて寝転がった。

「気に入ったか」

呟きながら、俺は煙の厚みに合わせて風の入りを調整する。

今回は、タイムのあとにセージも加えてみた。独特の草っぽさが、煙の中ではどんな風に変わるかを確かめる。

結果から言えば、香りが一段深くなった。

タイムの清涼感に、セージの重みが加わって、煙がどこか“層”を持つようになる。

複数の香りが重なりながら、順番に鼻に届く。

チーズにそれがどう染みるか。

火を落とし、箱を開けると、濃厚な煙がふわりと広がった。

中から出てきたチーズは、表面にわずかに艶があり、香りが明らかに違う。

いつものように、ただ燻しただけの香りではない。

何層にも分かれて届く複雑さがある。甘さとほろ苦さの混じった芳香。

一口食べて、すぐに確信した。

この煙は、生きている。

木だけでは出せない香り。香草の命が、煙を通して素材に染み込んでいた。

「……これは、煙の味じゃなく、煙の記憶だな」

煙草の香りともまた違う、時間の質感がある。

タイムとセージが、それぞれ違う役目で煙に溶けていく。

それに気づいた瞬間、他の香草でも試したくなった。

次はローズマリー。あの針のような香りが、どう変わるか。

あるいは、ミント。煙に混ぜれば、清涼感を残したまま熱が引いていくかもしれない。

素材ではなく、香りの配合を探る。

焙煎と似ているようで、まったく別の道。

けれど、俺の中で何かがつながった感触があった。

この煙は、まだまだ深くなる。
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