独身おじさんの異世界おひとりさまライフ〜金や評価は要りません。コーヒーとタバコ、そして本があれば最高です〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第2章 おじさんとコーヒー

第41話

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朝日が昇りきる前、俺はひとり、店の奥の作業室に立っていた。

「さて……今日は水出しだな」

そう口に出してみても、誰が応えるわけでもない。
それでも、こんな独り言が妙に心地いい。

棚から取り出したのは、大ぶりのガラスジャグと、細長いフィルター。
見た目は至ってシンプルだが、こいつが本命だ。

コーヒー豆は、特別に浅煎りのものを選んだ。
この世界の太陽の下で育った、少し柑橘系の酸味を持つ小粒の豆。
昨日までの熱を使った抽出とは違い、今日のコーヒーは"冷たさ"が主役だ。

「まずは挽き具合だな……」

豆をグラインダーにかける。
手回し式のグラインダーからは、ザリ……ザリ……と乾いた音が響いた。

中粗挽き。
水出し用には、これくらいがちょうどいい。

粉をフィルターにセットし、冷えた湧き水をゆっくりと注いでいく。

コポコポ、と小さな泡が立つ。
冷水が、静かに粉に染み込んでいく様子を見ているだけで、妙な満足感がある。

「こんなもんか」

蓋を閉め、ガラスジャグを棚の奥に置く。

これから、最低でも八時間。
できれば一晩寝かせたい。

待つしかない。

急ぎたければ、いくらでも万能生成スキルを使って完成させられる。
けれど──それは、違う。

この時間を、楽しむのがいい。

そう決めた以上、余計な手は出さない。

「……さて」

店のカウンターに戻り、タバコに火を点ける。

深く一口。
肺の中に煙を満たし、ゆっくり吐き出す。

「何もないってのも、悪くないな」

水出しコーヒーが完成するまで、やることはない。
本を読むもよし、裏庭で土いじりをするもよし。

結局俺は、いつものように椅子に身を沈め、本を手に取った。

内容は、この世界の食文化に関する古文書だ。
今では失われた調理法や、古代の香辛料の話が延々と続く。

「ほう……発酵させた乳に香草を混ぜる、か。意外と悪くないかもな」

ふと、頭に新しいアイデアが浮かぶ。
珈琲に合う何かが作れるかもしれない。

そんなふうに、思考を遊ばせるのもまた楽しい。

本を閉じ、カウンター越しに外を眺める。

森の緑が風に揺れ、小さな湖がきらきらと光っている。
マーレ村は、今日も穏やかだった。

昼過ぎには、ちらほらと顔なじみの村人たちが立ち寄った。
コーヒーを一杯だけ飲んで帰っていく者、タバコを買いに来る者。

誰も長居はしない。
俺も、深くは干渉しない。

それがいい。

「レンジさん、いつも、ありがとうな……」

「……ああ」

短いやりとりだけを交わし、またひとりに戻る。

そうして、ゆっくりと、日が傾き始めた頃だった。

ガラスジャグに目をやる。

水と粉の境界線が、わずかに変わっている。
透明だった水が、じんわりと琥珀色に染まり始めていた。

「……いい感じだな」

もう少し。
焦るな、俺。

再び本に戻る。
今度は、古代農耕技術の章だ。

雨乞いの儀式、魔法の農具、伝説の種──
ファンタジックな話に混じって、実用的な情報もちらほら見える。

「ふむ……乾燥法、か」

未来の珈琲作りに役立つかもしれない。

そんなことを考えているうちに、時間は過ぎていった。

──そして、夕方。

ジャグの液体は、しっかりと色づき、香りも立ってきた。

「そろそろだな」

フィルターを外し、丁寧にサーブ用のピッチャーに移す。

透明なグラスを用意して、氷を二、三個落とす。

そこに、静かに水出しコーヒーを注ぐ。

琥珀色の液体が、氷に当たって低く音を立てた。

「……よし」

グラスを手に取り、一口。

──柔らかい。

苦味も酸味も、ぎりぎりまで抑えられ、それでいて、甘みだけがふわりと舌に残る。

水のように軽いが、しっかりとコーヒーのコクがある。

「やるじゃねえか……」

苦笑しながら、もう一口。

タバコに火を点ける。
冷たいコーヒーと、温かな煙草。

相反するものが、互いを引き立て合う。

誰にも邪魔されない時間。
誰にも縛られない空間。

これこそが、俺の望んだ異世界ライフだ。

「……最高だな」

ガラス越しに見える夕焼けを眺めながら、ゆっくりとグラスを傾けた。
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