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第18章 おじさんとじいさん
第222話
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じいさんが店に来てから、三日も経たないうちに、その姿は村のあちこちで見かけるようになった。
朝は川沿いで寝転がって空を見上げ、昼は店の前でタバコをくゆらせ、夕方には森の縁を杖でつつきながらふらふら歩く。
「ここは風がよいのう」と、誰に言うでもなく呟き、「眠りも深い。夢すら見んほどじゃ」と笑っていた。
「……で、いつまで居るつもりだ?」
コーヒーを出したついでにそう尋ねると、じいさんは椅子に深く沈みながら、まるで春先の猫のようにうにゃりと伸びた。
「決めておらん。が、こうしてふらふらするのも悪くないのう。空気が甘いし、腹も壊さん」
「勝手にしてくれ。ただし、静かに暮らしてくれ。騒ぎを起こすなら、他所へ行け」
「ほほう、静けさを重んじるとは、歳のわりに殊勝な」
「うるさいのが嫌いなだけだ」
「気が合うのう。わしも騒がしいのは苦手じゃ」
そう言って、また笑った。
その翌日、村にちょっとした騒ぎが起きた。
朝方、畑の近くを通ったら、妙に地面が柔らかい。足を取られるほどではないが、ふかふかと弾むような感触があった。
目を向けると、普段は鍬を担いで朝から晩まで土を耕している村人たちが、口をあんぐりと開けて畑のど真ん中に立ち尽くしていた。
「……何があった?」
「あのじいさんさ!」
畑の脇に腰を下ろしていたじいさんが、のほほんとした顔で杖を膝に立てていた。
「どうやら、畑を“耕してしまった”らしい」
村人の話をまとめるとこうだった。
朝、いつものように畑に向かうと、そこはすでに整然と耕され、雑草は消え、土はふっくらと均されていた。
耕した形跡はまったくない。鍬の跡も、足跡も見えない。ただ、あらゆる作物が植えやすいよう整地され、畝も自然な曲線を描いていた。
「魔法じゃよ」と、じいさんは悪びれもせず言った。
「余計な手間は省けるうちに省くのが年寄りの知恵よ。筋を痛めても、治すのは面倒じゃからのう」
それを聞いた村人は、口を尖らせながらも、「……まあ助かったから、いいか」と複雑な顔で頭を掻いていた。
俺は俺で、何も言わずに店に戻った。
静かにしてくれとは言ったが、たしかに畑を騒がせたわけじゃない。
労力を省き、音を立てず、誰も傷つけずに片付けるなら、まあいいか──そんな心境だった。
それからさらに二日。
焙煎を終えた午後、カウンターに腰を下ろしてタバコに火をつけた瞬間、店の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、村の若者──エリックという名前だったか。
「レンジさん!あのじいさん、実は……!」
肩で息をしながら、彼はまくし立てた。
「……宮廷筆頭魔導士だったって、ほんとうなんですか?」
俺はカップを置いて、煙を吐いた。
「誰の話だ?」
「馬車の御者が!王都の使いの人だって言ってました!『あの人がここにいるなら、国に知らせなければ』って」
「で?」
「つまり……すごい人なんです。国一番の魔導士だったらしいんです。十年前まで、王宮で、魔法軍団の総指揮官──」
「本人はなんて言ってた?」
「……『もう肩書きは捨てたのじゃ』って……」
俺は煙草の火をもう一度吸い込み、少し間を置いてから言った。
「なら、そうなんだろ」
「でも……!」
「肩書きで飲むコーヒーなんて、うまくもなんともない」
それ以上、エリックは何も言わず、黙って頷いて店を出ていった。
夕方、じいさんがいつものようにふらりと現れた。
「……なんか言われたか?」
「ふむ? 若いのが、わしの昔話を聞きに来おったな。まあ、退屈しのぎに少し話してやった」
「それで?」
「『あれがあの御方か……』などと仰々しく言っておったが……わしは、もう“あの御方”ではない」
「だろうな」
「ただの、煙草と珈琲が気に入ったじいさんじゃ」
「なら、それでいい」
「ほっほっほ、気が合うのう」
そう言って、じいさんは椅子に座り、湯気の立つコーヒーを両手で包み込むように持った。手の節は太く、古傷がいくつも刻まれていたが、その指先は震え、それでも大切そうにカップを支えていた。
朝は川沿いで寝転がって空を見上げ、昼は店の前でタバコをくゆらせ、夕方には森の縁を杖でつつきながらふらふら歩く。
「ここは風がよいのう」と、誰に言うでもなく呟き、「眠りも深い。夢すら見んほどじゃ」と笑っていた。
「……で、いつまで居るつもりだ?」
コーヒーを出したついでにそう尋ねると、じいさんは椅子に深く沈みながら、まるで春先の猫のようにうにゃりと伸びた。
「決めておらん。が、こうしてふらふらするのも悪くないのう。空気が甘いし、腹も壊さん」
「勝手にしてくれ。ただし、静かに暮らしてくれ。騒ぎを起こすなら、他所へ行け」
「ほほう、静けさを重んじるとは、歳のわりに殊勝な」
「うるさいのが嫌いなだけだ」
「気が合うのう。わしも騒がしいのは苦手じゃ」
そう言って、また笑った。
その翌日、村にちょっとした騒ぎが起きた。
朝方、畑の近くを通ったら、妙に地面が柔らかい。足を取られるほどではないが、ふかふかと弾むような感触があった。
目を向けると、普段は鍬を担いで朝から晩まで土を耕している村人たちが、口をあんぐりと開けて畑のど真ん中に立ち尽くしていた。
「……何があった?」
「あのじいさんさ!」
畑の脇に腰を下ろしていたじいさんが、のほほんとした顔で杖を膝に立てていた。
「どうやら、畑を“耕してしまった”らしい」
村人の話をまとめるとこうだった。
朝、いつものように畑に向かうと、そこはすでに整然と耕され、雑草は消え、土はふっくらと均されていた。
耕した形跡はまったくない。鍬の跡も、足跡も見えない。ただ、あらゆる作物が植えやすいよう整地され、畝も自然な曲線を描いていた。
「魔法じゃよ」と、じいさんは悪びれもせず言った。
「余計な手間は省けるうちに省くのが年寄りの知恵よ。筋を痛めても、治すのは面倒じゃからのう」
それを聞いた村人は、口を尖らせながらも、「……まあ助かったから、いいか」と複雑な顔で頭を掻いていた。
俺は俺で、何も言わずに店に戻った。
静かにしてくれとは言ったが、たしかに畑を騒がせたわけじゃない。
労力を省き、音を立てず、誰も傷つけずに片付けるなら、まあいいか──そんな心境だった。
それからさらに二日。
焙煎を終えた午後、カウンターに腰を下ろしてタバコに火をつけた瞬間、店の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、村の若者──エリックという名前だったか。
「レンジさん!あのじいさん、実は……!」
肩で息をしながら、彼はまくし立てた。
「……宮廷筆頭魔導士だったって、ほんとうなんですか?」
俺はカップを置いて、煙を吐いた。
「誰の話だ?」
「馬車の御者が!王都の使いの人だって言ってました!『あの人がここにいるなら、国に知らせなければ』って」
「で?」
「つまり……すごい人なんです。国一番の魔導士だったらしいんです。十年前まで、王宮で、魔法軍団の総指揮官──」
「本人はなんて言ってた?」
「……『もう肩書きは捨てたのじゃ』って……」
俺は煙草の火をもう一度吸い込み、少し間を置いてから言った。
「なら、そうなんだろ」
「でも……!」
「肩書きで飲むコーヒーなんて、うまくもなんともない」
それ以上、エリックは何も言わず、黙って頷いて店を出ていった。
夕方、じいさんがいつものようにふらりと現れた。
「……なんか言われたか?」
「ふむ? 若いのが、わしの昔話を聞きに来おったな。まあ、退屈しのぎに少し話してやった」
「それで?」
「『あれがあの御方か……』などと仰々しく言っておったが……わしは、もう“あの御方”ではない」
「だろうな」
「ただの、煙草と珈琲が気に入ったじいさんじゃ」
「なら、それでいい」
「ほっほっほ、気が合うのう」
そう言って、じいさんは椅子に座り、湯気の立つコーヒーを両手で包み込むように持った。手の節は太く、古傷がいくつも刻まれていたが、その指先は震え、それでも大切そうにカップを支えていた。
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【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
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