独身おじさんの異世界おひとりさまライフ〜金や評価は要りません。コーヒーとタバコ、そして本があれば最高です〜

旅する書斎(☆ほしい)

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第18章 おじさんとじいさん

第224話

祭の朝、焙煎を終えて店の前に立っていた俺の耳に、鍋をかき回す音と、野菜を刻む包丁の軽快な音が届いてきた。

村の広場ではすでに大鍋が並び、女たちが忙しなく動いていた。

季節祭の仕込みだ。とはいえ、気負った雰囲気ではなく、笑い声の混ざるごく普通の風景。

そこに、いつの間にかじいさんが混じっていた。

ローブの袖を軽く捲り、頭にはいつものつば広の帽子。腰を据えた鍋のそばで、にんじんを前にして首をかしげている。

「どうした?」

と声をかけると、じいさんは包丁を持った手を上下にひょいと動かして見せた。

「いや、包丁というのは苦手でのう。手の力加減がよう分からん。硬いものも柔らかいものも、同じように力が入ってしまう」

「じゃあ、何で手伝ってる」

「呼ばれたからじゃ。断る理由もなかったしの」

「それで野菜は?」

「こうする」

言うが早いか、じいさんは杖を軽く振った。

鍋の脇に置かれていたにんじん、じゃがいも、大根、玉ねぎが、ふわりと空に浮かび上がる。

目の前に広がるは、小さな食材の群舞。野菜たちがくるくると回転しながら整列し、まるで見えない刃が走るように、表面から滑らかに切り落とされていく。

切断面はまっすぐで、厚みはぴたりと揃っている。

手を一切動かすことなく、均一な厚さの輪切りが空中で整列していった。

「ほう……」

隣で見ていた村の女性が思わず声を漏らす。

「……お見事。まるで尺に合わせたかのよう」

「ふむ。五分厚に揃えてみた。味噌汁にはこのくらいがよかろう」

くるくると舞う野菜たちは、次々と鍋の脇の木桶へ吸い込まれていく。

「……その包丁、要らないじゃない」

と誰かが呟くと、じいさんはけらけら笑った。

「見た目だけは、料理人らしくせんとな」

「どこがじゃい」

と別の女が突っ込むと、周囲に笑いが広がった。

にんじんは輪切り、じゃがいもは半月、大根は短冊。玉ねぎは繊維に沿って薄切り。いずれも手本のような切り口で、香りまで変わったように思える。

「じいさん、その魔法……名前あるの?」

と、近くの男の子が尋ねる。

じいさんはちょっと考えてから答えた。

「“食彩円舞曲”じゃ」

「なんか強そう!」

「強いぞ。野菜が泣き出すくらい繊細に切れる」

「野菜泣くの!?」

「嘘じゃ」

そう言ってまた笑う。

鍋がどんどん仕上がっていくなか、じいさんの周りには人が集まり、誰もがその所作を見つめていた。

道具を使わず、手を汚さず、それでいて精緻な作業。

それが決して偉ぶった様子ではなく、どこまでも飄々としている。

魔法というより、呼吸のようだった。

「じゃあ、あとは任せるぞ」

と誰かが言って、その場を離れたのを皮切りに、徐々に周囲の人間が他の作業に戻っていく。

じいさんはというと、浮かせた野菜を一切乱すことなく刻み続けていた。

まるで踊るように切り分けられる具材。

その切り口のすべてに、無駄がなかった。

遠巻きに見ていた俺が煙草に火をつけると、じいさんはふとこちらを見て、にやりと笑った。

「魔法ってのはな、手間を減らすものじゃなく、手間の質を変えるものなんじゃよ」

「なるほどな」

「時間を削って急ぐより、精度を上げて穏やかに進める。それが一番疲れん」

「贅沢な使い方だ」

「歳を取ると、贅沢じゃないことなんて、何も面白くなくなる」

鍋の湯気が立ち上る。

切り揃えられた野菜たちは、完璧なバランスで鍋の中に沈んでいった。火に煮えはじめた香りが、辺りに広がる。

「良い出汁が出るぞ」

「腕も舌も、まだまだ衰えてないな」

「目は悪くなったがの。味は覚えておる」

その日の味噌汁は、村の誰もが「妙にうまい」と言った。

誰が作ったと聞かれれば、皆が口を揃えて「魔法のじいさんだよ」と答えた。
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