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第2話 一口食べたら、もう戻れない
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子犬の喉が、ゴクリと鳴った。
その刹那、銀色のペーストから解放された魔力が、衝撃波となって通路を駆け抜ける。
周囲の壁に張り付いていた発光苔が、あまりのエネルギー密度に耐えきれず、一斉に真っ白な光を放って弾け飛んだ。
爆風が私の髪を激しくなびかせる。
けれど、私の目の前にいる小さな命は、その嵐の中心で静かに変化を始めていた。
「わぁ……やっぱり、相性ぴったりだったみたい」
私の指を懸命に舐めとるその姿に、思わず笑みがこぼれる。
【調育料理:銀の月光ペースト】。
これは、対象が持つ潜在能力の栓を、力付くで引き抜く料理だ。
ガリガリだった子犬の体格が、見る間に膨らんでいく。
皮膚の下で筋肉が波打ち、折れそうだった四肢が太く、逞しく作り替えられていく。
ボロボロだった銀の毛並みは、まるで星屑を織り込んだような極上のシルクへと変貌し、暗闇の中で自ら発光し始めた。
「ふ、ふぎゅぅ……っ!」
子犬が、初めて力強い声を上げた。
それはもう、死にかけの鳴き声ではない。
大気を震わせ、遺跡の構造そのものを共鳴させる、王の咆哮の片鱗。
先ほどまで子犬だったはずの生き物は、今や私の腰の高さまである立派な若獣へと成長していた。
その瞳に宿る緋色は、もはや死の色ではない。
燃え盛る業火のような、圧倒的な生命の輝きだ。
「クゥン、クゥン!」
さっきまでの威厳はどこへやら、彼は私の顔を熱烈に舐めまわしてきた。
舌がざらりとしていて、ちょっと痛い。
でも、その熱量こそが、私の料理が正解だった証拠だ。
「はいはい、分かったから。もう元気ね」
私がその頭を撫でると、彼はうっとりと目を細めた。
伝説の神獣フェンリル。
神話では神々の喉笛を食い破り、世界を夜に変えたとされる終末の獣。
それが今、私の前で尻尾をちぎれんばかりに振っている。
もしカイやエレナがこの光景を見たら、泡を吹いて倒れるんじゃないかしら。
想像するだけで、口角が上がってしまう。
「さて、あなた、お名前はどうする? ずっと『子犬』じゃ可哀想だし」
フェンリルは期待に満ちた目で私を見上げている。
銀の毛並みが綺麗だから、そうね。
「ルナ。今日からあなたの名前はルナよ。よろしくね」
「ワンッ!」
ルナが力強く吠えた。
その直後、遺跡の奥から、無数の不気味な音が響いてきた。
カサカサ、カサカサ。
硬い節足が岩を削る音。
そして、粘り気のある糸が空気を切り裂く音。
暗闇の向こうから、巨大な複眼がいくつも浮かび上がる。
「……あら。お客様かしら?」
現れたのは、遺跡の守護者とも呼ばれる『大地の土蜘蛛』の群れだった。
一匹一匹が馬車ほどの大きさがあり、その脚には鋼鉄をも断ち切る鋭い棘が生えている。
通常、S級の探索者パーティが十数人で挑んでも全滅しかねない凶悪な魔獣だ。
それが二十匹以上、私たちを包囲するように壁や天井を埋め尽くしている。
彼らの狙いは明白。
ルナが放った圧倒的な魔力の香りに引き寄せられてきたのだ。
「ねぇ、ルナ。食事の後の運動、できる?」
私が問いかけると、ルナの雰囲気が一変した。
甘えていた仕草が消え、全身の毛が逆立つ。
その周囲に、バチバチと銀色の電光が走り始めた。
土蜘蛛のリーダー格が、威嚇するように鋭い鳴き声を上げ、天井から猛スピードで飛びかかってくる。
巨大な牙が、私の頭上へ迫る。
「あ、そこ、土足厳禁なんだけどな」
私のツッコミが終わるより速く、銀色の閃光が視界を塗りつぶした。
ルナが動いたのではない。
ただ、彼が前脚を軽く一振りしただけだ。
それだけで、大気が真空状態を作り出し、飛びかかってきた土蜘蛛を文字通り粉砕した。
肉片すら残らない。
ただの衝撃波だけで、S級魔獣が霧散したのだ。
残りの土蜘蛛たちが、一瞬で硬直した。
彼らの単純な本能が、ようやく理解したのだ。
目の前にいるのは、自分たちが手を出していい存在ではない。
捕食者ではなく、神。
逆らえば絶滅、触れれば消滅。
「グルルルル……」
ルナの低い唸り声が、通路に満ちる。
蜘蛛たちは蜘蛛の子を散らすように――文字通り、壁を必死に駆け上がって逃げ出そうとした。
けれど、ルナはそれを許さない。
彼にとって、私は命の恩人であり、唯一無二の主だ。
その主に牙を向けた不届き者を、彼は生かして帰すつもりはないらしい。
「あ、ルナ。あんまり暴れすぎると天井が落ちちゃうから、ほどほどにね」
私の言葉が届いたのか、ルナは鼻で一つ鳴くと、今度は優雅に歩き出した。
逃げる蜘蛛たちの足元に、銀色の魔法陣が展開される。
瞬間、そこから無数の氷の棘が噴出し、全ての土蜘蛛を串刺しにした。
断末魔の声すら上がらない。
ただ、静寂と、氷りついた蜘蛛の彫刻だけが残された。
「……完璧。やっぱり、離乳食にあの魔力結晶を混ぜて正解だったわね」
私は満足げに頷いた。
これなら、この遺跡での生活もかなり快適になりそうだ。
聖王国の連中が「死の場所」と恐れたここも、私にとっては最高の素材の宝庫でしかない。
さて、蜘蛛の糸は丈夫だから、後でベッドの材料にしようかしら。
私はルナの背中に手を置き、さらに奥へと進む。
目指すは、この遺跡の心臓部。
そこには、もっと珍しくて美味しい食材が眠っているはずだから。
その刹那、銀色のペーストから解放された魔力が、衝撃波となって通路を駆け抜ける。
周囲の壁に張り付いていた発光苔が、あまりのエネルギー密度に耐えきれず、一斉に真っ白な光を放って弾け飛んだ。
爆風が私の髪を激しくなびかせる。
けれど、私の目の前にいる小さな命は、その嵐の中心で静かに変化を始めていた。
「わぁ……やっぱり、相性ぴったりだったみたい」
私の指を懸命に舐めとるその姿に、思わず笑みがこぼれる。
【調育料理:銀の月光ペースト】。
これは、対象が持つ潜在能力の栓を、力付くで引き抜く料理だ。
ガリガリだった子犬の体格が、見る間に膨らんでいく。
皮膚の下で筋肉が波打ち、折れそうだった四肢が太く、逞しく作り替えられていく。
ボロボロだった銀の毛並みは、まるで星屑を織り込んだような極上のシルクへと変貌し、暗闇の中で自ら発光し始めた。
「ふ、ふぎゅぅ……っ!」
子犬が、初めて力強い声を上げた。
それはもう、死にかけの鳴き声ではない。
大気を震わせ、遺跡の構造そのものを共鳴させる、王の咆哮の片鱗。
先ほどまで子犬だったはずの生き物は、今や私の腰の高さまである立派な若獣へと成長していた。
その瞳に宿る緋色は、もはや死の色ではない。
燃え盛る業火のような、圧倒的な生命の輝きだ。
「クゥン、クゥン!」
さっきまでの威厳はどこへやら、彼は私の顔を熱烈に舐めまわしてきた。
舌がざらりとしていて、ちょっと痛い。
でも、その熱量こそが、私の料理が正解だった証拠だ。
「はいはい、分かったから。もう元気ね」
私がその頭を撫でると、彼はうっとりと目を細めた。
伝説の神獣フェンリル。
神話では神々の喉笛を食い破り、世界を夜に変えたとされる終末の獣。
それが今、私の前で尻尾をちぎれんばかりに振っている。
もしカイやエレナがこの光景を見たら、泡を吹いて倒れるんじゃないかしら。
想像するだけで、口角が上がってしまう。
「さて、あなた、お名前はどうする? ずっと『子犬』じゃ可哀想だし」
フェンリルは期待に満ちた目で私を見上げている。
銀の毛並みが綺麗だから、そうね。
「ルナ。今日からあなたの名前はルナよ。よろしくね」
「ワンッ!」
ルナが力強く吠えた。
その直後、遺跡の奥から、無数の不気味な音が響いてきた。
カサカサ、カサカサ。
硬い節足が岩を削る音。
そして、粘り気のある糸が空気を切り裂く音。
暗闇の向こうから、巨大な複眼がいくつも浮かび上がる。
「……あら。お客様かしら?」
現れたのは、遺跡の守護者とも呼ばれる『大地の土蜘蛛』の群れだった。
一匹一匹が馬車ほどの大きさがあり、その脚には鋼鉄をも断ち切る鋭い棘が生えている。
通常、S級の探索者パーティが十数人で挑んでも全滅しかねない凶悪な魔獣だ。
それが二十匹以上、私たちを包囲するように壁や天井を埋め尽くしている。
彼らの狙いは明白。
ルナが放った圧倒的な魔力の香りに引き寄せられてきたのだ。
「ねぇ、ルナ。食事の後の運動、できる?」
私が問いかけると、ルナの雰囲気が一変した。
甘えていた仕草が消え、全身の毛が逆立つ。
その周囲に、バチバチと銀色の電光が走り始めた。
土蜘蛛のリーダー格が、威嚇するように鋭い鳴き声を上げ、天井から猛スピードで飛びかかってくる。
巨大な牙が、私の頭上へ迫る。
「あ、そこ、土足厳禁なんだけどな」
私のツッコミが終わるより速く、銀色の閃光が視界を塗りつぶした。
ルナが動いたのではない。
ただ、彼が前脚を軽く一振りしただけだ。
それだけで、大気が真空状態を作り出し、飛びかかってきた土蜘蛛を文字通り粉砕した。
肉片すら残らない。
ただの衝撃波だけで、S級魔獣が霧散したのだ。
残りの土蜘蛛たちが、一瞬で硬直した。
彼らの単純な本能が、ようやく理解したのだ。
目の前にいるのは、自分たちが手を出していい存在ではない。
捕食者ではなく、神。
逆らえば絶滅、触れれば消滅。
「グルルルル……」
ルナの低い唸り声が、通路に満ちる。
蜘蛛たちは蜘蛛の子を散らすように――文字通り、壁を必死に駆け上がって逃げ出そうとした。
けれど、ルナはそれを許さない。
彼にとって、私は命の恩人であり、唯一無二の主だ。
その主に牙を向けた不届き者を、彼は生かして帰すつもりはないらしい。
「あ、ルナ。あんまり暴れすぎると天井が落ちちゃうから、ほどほどにね」
私の言葉が届いたのか、ルナは鼻で一つ鳴くと、今度は優雅に歩き出した。
逃げる蜘蛛たちの足元に、銀色の魔法陣が展開される。
瞬間、そこから無数の氷の棘が噴出し、全ての土蜘蛛を串刺しにした。
断末魔の声すら上がらない。
ただ、静寂と、氷りついた蜘蛛の彫刻だけが残された。
「……完璧。やっぱり、離乳食にあの魔力結晶を混ぜて正解だったわね」
私は満足げに頷いた。
これなら、この遺跡での生活もかなり快適になりそうだ。
聖王国の連中が「死の場所」と恐れたここも、私にとっては最高の素材の宝庫でしかない。
さて、蜘蛛の糸は丈夫だから、後でベッドの材料にしようかしら。
私はルナの背中に手を置き、さらに奥へと進む。
目指すは、この遺跡の心臓部。
そこには、もっと珍しくて美味しい食材が眠っているはずだから。
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