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第1話 神々の遺産、あるいは百円ライター
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眩しさに目を細めた。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない巨大な樹木の群生だ。
俺はさっきまで、都内の薄暗いオフィスでエクセルと格闘していたはずだ。
蛍光灯の寒々しい白さではない。圧倒的な太陽の熱量。
二十四時間営業のブラック企業。三日連続の徹夜。
心臓が妙なリズムを刻み、視界が歪んだ瞬間に意識が途絶えた記憶がある。
どうやら俺は死んだらしい。
それも、サブカルチャーで使い古された異世界転生というやつだろう。
足元はふかふかの苔に覆われている。
空気は驚くほど澄んでいて、肺の奥まで洗われる心地だ。
排気ガスとタバコの煙に塗れたあの世界とは、根本的な解像度が違う。
俺の目の前には、虚空に浮かぶ半透明のウィンドウがあった。
『現代通販(モダン・カタログ)』
「……はは、マジかよ」
笑うしかなかった。
死んでまで仕事の道具を見ることになるとはな。
だが、今の俺は自由だ。
もう上司の罵声に怯える必要も、納期のプレッシャーに胃を焼く必要もない。
俺はこの世界で、ただ寝て過ごす。
決めた。
誰にも邪魔されず、のんびりと隠居生活を満喫してやる。
まずは現状把握だ。
俺の服装は、あの忌々しいスーツではない。
動きやすいチノパンに、使い古したパーカー。
そして、なぜかコンビニの緑色のエプロンを羽織っていた。
完全に店員の格好だ。
化繊の感触が肌に馴染む。
この世界の住人が見れば、最高級のシルクすら凌駕する神の織物に見えるだろう。
ポケットを探ると、一台のスマートフォンが出てきた。
電池残量は百パーセント。
電波は圏外だが、この『現代通販』のアプリだけが異常な輝きを放っている。
画面をタップする。
ヌルヌルと動くレスポンス。
現世のスマホよりも遥かに高性能な処理速度を感じる。
これは単なる通信端末ではない。
この世界の理(ことわり)そのものに干渉する、特権的なデバイスだ。
「まずは、火が必要だな」
画面を操作する。
カテゴリから日用品を選び、使い捨てライターを検索した。
価格は百円。
支払い方法は……。
俺の手元には、いつの間にか一袋の金貨があった。
ずっしりとした重み。
神様からの退職金といったところか。
袋から一枚を取り出し、スマホの画面にかざしてみる。
『チャージしますか?』
ポップアップが表示される。
迷わず「YES」を選択した。
金貨が光の粒子となって分解され、画面の中に吸い込まれていく。
『残高:1,000,000円』
レートは金貨一枚で百万円か。
悪くない。
今の俺は、百円のライターを買うのに百万円の金貨を崩すことも厭わない。
圧倒的な「余裕」がここにある。
注文ボタンをタップする。
その瞬間、目の前の空間がデジタルノイズのように揺れた。
黄金の粒子が渦を巻き、一箇所の点に収束していく。
物理法則が書き換わる音。
世界が悲鳴を上げているようだ。
眩い閃光とともに、俺の手のひらに一つの物体が具現化した。
百円ショップで売っている、安っぽい透明なプラスチックのライターだ。
中には液化ガスが充填されている。
「おお、本当に届いた」
俺は親指でレバーを押し下げる。
カチッ、という小気味いい音。
次の瞬間、先端から安定したオレンジ色の炎が立ち上がった。
「……嘘だろ」
俺は目を見開いた。
このライターから放たれる熱量が、おかしい。
ただの小さな炎のはずなのに、周囲の空気が一瞬で膨張した。
ボッ!!!
爆発的な熱波が拡散する。
近くの地面に生えていた雑草が、炎に触れてもいないのに熱を帯びて炭化していく。
足元の土が熱に耐えかねて、ガラス質に変貌して結晶化した。
大気中のマナが強制的に燃焼させられている。
これは、火魔法などというチャチな代物ではない。
恒星の欠片を直接手元に顕現させたに等しい、破壊の権化だ。
大賢者が命を削って放つ究極魔法ですら、この熱量には及ばないだろう。
俺は慌てて指を離す。
「なんだこれ。出力設定を間違えてないか?」
どうやら、このスキルで取り寄せた商品は、この世界の物理法則を無視した「概念武装」として出力されるらしい。
百円のライターが、国を一つ焼き尽くす戦略兵器になりかねない。
俺はスマホの設定画面を開き、アイテムの出力を調整する。
『セーフティモード:ON』
これでいい。
俺の指先一つで、破壊神の力は日常の道具へと姿を変える。
万能感が指先から脳髄へと駆け巡った。
喉が渇いた。
次に俺は、ドリンクのカテゴリーから天然水を選択した。
価格は百十円。
再び黄金の粒子が舞い、冷えたペットボトルが現れる。
外気との温度差で、ボトルの表面に水滴が結露している。
この世界において、氷を使わずに冷却された水が存在すること自体が奇跡だ。
シュパッ、と軽快な音を立ててキャップを開ける。
一口飲んだ瞬間、体中に衝撃が走った。
「……うまっ」
ただの水だ。
だが、その浸透圧が異常だった。
長年の不摂生でボロボロだった内臓が、瑞々しく再生していく感覚がある。
細胞の一つ一つが歓喜の声を上げ、壊死しかけていた組織が瞬時に修復されていく。
肌の表面から老廃物が黒い霧となって霧散し、全身が羽が生えたように軽くなった。
これ、ただのミネラルウォーターじゃないぞ。
エリクサーか何かの間違いじゃないのか。
俺はボトルのラベルを眺める。
どこからどう見ても、見覚えのあるメーカーのロゴだ。
だが、この世界において、不純物が一切ない「純粋な水(ピュア・ウォーター)」は、神の涙にも等しい価値を持つのだろう。
俺の体調は、前世の全盛期すら超えて、生命体としての極致に達していた。
俺は周囲を見渡す。
ここはどうやら森の奥深くだ。
まずは人のいる場所へ向かわなければならない。
俺はスマホをポケットに放り込み、ゆっくりと歩き出した。
「面倒だな。誰か迎えに来てくれないかな」
独り言をこぼしながら進む。
足取りは軽い。
重力すらも俺に味方しているかのように、一歩踏み出すだけで数メートル先へと進んでいく。
数分後、視界が開けた。
そこには、巨大な城壁に囲まれた街が見えた。
中世ヨーロッパを思わせる、石造りの建物が並んでいる。
あそこなら、店を開くのに丁度いい場所があるかもしれない。
俺は一歩ずつ、その街を目指して歩を進める。
街道に出ると、数台の馬車が通り過ぎていった。
木製の車輪が軋む音。
馬を駆る者たちが、俺の格好を見て不審そうな顔をしている。
無理もない。
この世界の住人からすれば、俺のパーカーやエプロンは見たこともない高級な生地に見えるはずだ。
ポリエステルと綿の混紡。
その均一な織り目、鮮やかな染色、そして光沢。
光の反射の仕方が、手織りの麻や羊毛とは根本的に違う。
未知の技術体系で作られた「神の衣」を纏う男。
俺はなるべく目立たないように、顔を伏せて歩いた。
街の入口には、大きな門があった。
武装した兵士たちが、入街者のチェックを行っている。
俺は列に並び、自分の番を待った。
前の商人が、通行税として銀貨を数枚支払っている。
銀貨はくすんでいて、形も歪だ。
鋳造技術の低さが窺える。
俺も財布から金貨を一枚取り出した。
「次、そこのお前。身分証を見せろ」
鎧に身を包んだ兵士が、威圧的な態度で俺を見下ろす。
顔には歴戦の傷跡があり、腰の剣には血の匂いが染み付いている。
俺は首を振った。
「身分証なんて持ってない。これで通してくれ」
俺は金貨を親指で弾き、兵士に向かって放った。
空中で金貨が回転し、太陽の光を受けて閃光を放つ。
兵士が反射的にそれを受け取る。
その瞬間。
兵士の目が、一瞬で点になった。
「……は? なんだ、この輝きは」
彼は震える手で金貨を受け取った。
それは、この世界の王国の金貨とは比較にならないほど、純度が高く精密な彫刻が施されたものだ。
俺がスキルで支払うために用意された、特製の通貨。
『造幣局プルーフ貨幣セット』クラスの、完全なる円形。
側面には、ミクロン単位のギザギザ(ふち飾り)が刻まれている。
不純物が混ざったこの世界の金貨とは、物質としての格が違う。
兵士は金貨を噛もうとして、やめた。
そんな不敬な真似ができる代物ではないと、本能が悟ったのだ。
彼は急に顔色を変えて直立不動になった。
全身から冷や汗が噴き出しているのが分かる。
「も、申し訳ございません! 貴方様のような高貴な方が、このような場所を歩いておられるとは!」
兵士の声が裏返った。
「いや、ただの通りすがりだが」
「そんなはずはございません! その神々しいまでの装束、そして見たこともない純金! どこかの大帝国の皇子様に違いありません! いや、もしや天界からの御使いであらせられますか!?」
兵士は地面に膝をつき、額を土に擦り付けて深々と頭を下げた。
ガチャリ、と鎧が音を立てる。
周囲の通行人たちが、一斉にこちらを注目する。
行商人たちも、馬車に乗った貴族らしき人物も、俺の姿を見て息を呑んでいる。
パーカーのフードを目深に被った謎の男。
その男に、門番が最敬礼をしている異常事態。
やばい、完全に目立っている。
俺は溜息をついた。
「いいから。街に入ってもいいか?」
「もちろんです! 特級の宿をご紹介しましょうか!? それとも王城へ早馬を出しましょうか!?」
「いい。適当に探す」
俺は逃げるように、門をくぐった。
背後で兵士たちが「開門! 国賓級の通過だ!」と叫んでいるのが聞こえるが、無視だ。
賑やかな大通りを避け、裏路地へと入っていく。
石畳はデコボコで、汚水が流れている場所もある。
だが、俺にはここが丁度いい。
路地の突き当たりに、空き家を見つけた。
窓ガラスは割れ、屋根も一部が剥がれ落ちているボロ小屋だ。
壁にはツタが絡まり、廃墟特有の静けさが漂っている。
誰の所有物でもなさそうだ。
「よし、ここをコンビニにするか」
俺はスマホを取り出し、[店舗構築メニュー]を開いた。
スキルのレベルが上がったのか、いつの間にか新しい項目が追加されていた。
[初期店舗セット:五万ゴールド]。
残高は十分にある。
俺は迷わず注文ボタンを押した。
指先が画面に触れた瞬間。
世界が書き換わった。
ボロ小屋の残骸が光の粒子となって分解される。
腐った木材も、崩れた石壁も、分子レベルで再構成されていく。
代わりに、滑らかなコンクリートの床が敷き詰められた。
埃一つない、鏡のような平面。
真っ白な壁が立ち上がり、大きな強化ガラスの自動ドアが設置される。
異世界の建材にはない、完全なる直線と平面で構成された空間。
天井には高輝度のLED照明が並び、店内を真昼のように照らし出した。
外の薄暗さとは隔絶された、人工の光。
エアコンの室外機が低い駆動音を立て始め、店内の温度を一瞬で快適な二十五度に調整する。
棚には、まだ何も並んでいない。
だが、そこにあるのは、俺がよく知るコンビニの姿だった。
異世界の汚い路地裏に、忽然と現れた現代日本のコンビニエンスストア。
その異質感は、まるで神殿か宇宙船のようだ。
「ふぅ。とりあえず、寝る場所は確保できたな」
俺はカウンターの奥にある事務室へ入り、折りたたみ式のベッドを注文した。
パイプの骨組みに、低反発のマットレス。
清潔なシーツの匂い。
柔らかいマットレスの感触が、疲れた体に心地よい。
店を本格的に稼働させるのは、明日でいい。
俺は目をつぶった。
視界に飛び込んできたのは、見たこともない巨大な樹木の群生だ。
俺はさっきまで、都内の薄暗いオフィスでエクセルと格闘していたはずだ。
蛍光灯の寒々しい白さではない。圧倒的な太陽の熱量。
二十四時間営業のブラック企業。三日連続の徹夜。
心臓が妙なリズムを刻み、視界が歪んだ瞬間に意識が途絶えた記憶がある。
どうやら俺は死んだらしい。
それも、サブカルチャーで使い古された異世界転生というやつだろう。
足元はふかふかの苔に覆われている。
空気は驚くほど澄んでいて、肺の奥まで洗われる心地だ。
排気ガスとタバコの煙に塗れたあの世界とは、根本的な解像度が違う。
俺の目の前には、虚空に浮かぶ半透明のウィンドウがあった。
『現代通販(モダン・カタログ)』
「……はは、マジかよ」
笑うしかなかった。
死んでまで仕事の道具を見ることになるとはな。
だが、今の俺は自由だ。
もう上司の罵声に怯える必要も、納期のプレッシャーに胃を焼く必要もない。
俺はこの世界で、ただ寝て過ごす。
決めた。
誰にも邪魔されず、のんびりと隠居生活を満喫してやる。
まずは現状把握だ。
俺の服装は、あの忌々しいスーツではない。
動きやすいチノパンに、使い古したパーカー。
そして、なぜかコンビニの緑色のエプロンを羽織っていた。
完全に店員の格好だ。
化繊の感触が肌に馴染む。
この世界の住人が見れば、最高級のシルクすら凌駕する神の織物に見えるだろう。
ポケットを探ると、一台のスマートフォンが出てきた。
電池残量は百パーセント。
電波は圏外だが、この『現代通販』のアプリだけが異常な輝きを放っている。
画面をタップする。
ヌルヌルと動くレスポンス。
現世のスマホよりも遥かに高性能な処理速度を感じる。
これは単なる通信端末ではない。
この世界の理(ことわり)そのものに干渉する、特権的なデバイスだ。
「まずは、火が必要だな」
画面を操作する。
カテゴリから日用品を選び、使い捨てライターを検索した。
価格は百円。
支払い方法は……。
俺の手元には、いつの間にか一袋の金貨があった。
ずっしりとした重み。
神様からの退職金といったところか。
袋から一枚を取り出し、スマホの画面にかざしてみる。
『チャージしますか?』
ポップアップが表示される。
迷わず「YES」を選択した。
金貨が光の粒子となって分解され、画面の中に吸い込まれていく。
『残高:1,000,000円』
レートは金貨一枚で百万円か。
悪くない。
今の俺は、百円のライターを買うのに百万円の金貨を崩すことも厭わない。
圧倒的な「余裕」がここにある。
注文ボタンをタップする。
その瞬間、目の前の空間がデジタルノイズのように揺れた。
黄金の粒子が渦を巻き、一箇所の点に収束していく。
物理法則が書き換わる音。
世界が悲鳴を上げているようだ。
眩い閃光とともに、俺の手のひらに一つの物体が具現化した。
百円ショップで売っている、安っぽい透明なプラスチックのライターだ。
中には液化ガスが充填されている。
「おお、本当に届いた」
俺は親指でレバーを押し下げる。
カチッ、という小気味いい音。
次の瞬間、先端から安定したオレンジ色の炎が立ち上がった。
「……嘘だろ」
俺は目を見開いた。
このライターから放たれる熱量が、おかしい。
ただの小さな炎のはずなのに、周囲の空気が一瞬で膨張した。
ボッ!!!
爆発的な熱波が拡散する。
近くの地面に生えていた雑草が、炎に触れてもいないのに熱を帯びて炭化していく。
足元の土が熱に耐えかねて、ガラス質に変貌して結晶化した。
大気中のマナが強制的に燃焼させられている。
これは、火魔法などというチャチな代物ではない。
恒星の欠片を直接手元に顕現させたに等しい、破壊の権化だ。
大賢者が命を削って放つ究極魔法ですら、この熱量には及ばないだろう。
俺は慌てて指を離す。
「なんだこれ。出力設定を間違えてないか?」
どうやら、このスキルで取り寄せた商品は、この世界の物理法則を無視した「概念武装」として出力されるらしい。
百円のライターが、国を一つ焼き尽くす戦略兵器になりかねない。
俺はスマホの設定画面を開き、アイテムの出力を調整する。
『セーフティモード:ON』
これでいい。
俺の指先一つで、破壊神の力は日常の道具へと姿を変える。
万能感が指先から脳髄へと駆け巡った。
喉が渇いた。
次に俺は、ドリンクのカテゴリーから天然水を選択した。
価格は百十円。
再び黄金の粒子が舞い、冷えたペットボトルが現れる。
外気との温度差で、ボトルの表面に水滴が結露している。
この世界において、氷を使わずに冷却された水が存在すること自体が奇跡だ。
シュパッ、と軽快な音を立ててキャップを開ける。
一口飲んだ瞬間、体中に衝撃が走った。
「……うまっ」
ただの水だ。
だが、その浸透圧が異常だった。
長年の不摂生でボロボロだった内臓が、瑞々しく再生していく感覚がある。
細胞の一つ一つが歓喜の声を上げ、壊死しかけていた組織が瞬時に修復されていく。
肌の表面から老廃物が黒い霧となって霧散し、全身が羽が生えたように軽くなった。
これ、ただのミネラルウォーターじゃないぞ。
エリクサーか何かの間違いじゃないのか。
俺はボトルのラベルを眺める。
どこからどう見ても、見覚えのあるメーカーのロゴだ。
だが、この世界において、不純物が一切ない「純粋な水(ピュア・ウォーター)」は、神の涙にも等しい価値を持つのだろう。
俺の体調は、前世の全盛期すら超えて、生命体としての極致に達していた。
俺は周囲を見渡す。
ここはどうやら森の奥深くだ。
まずは人のいる場所へ向かわなければならない。
俺はスマホをポケットに放り込み、ゆっくりと歩き出した。
「面倒だな。誰か迎えに来てくれないかな」
独り言をこぼしながら進む。
足取りは軽い。
重力すらも俺に味方しているかのように、一歩踏み出すだけで数メートル先へと進んでいく。
数分後、視界が開けた。
そこには、巨大な城壁に囲まれた街が見えた。
中世ヨーロッパを思わせる、石造りの建物が並んでいる。
あそこなら、店を開くのに丁度いい場所があるかもしれない。
俺は一歩ずつ、その街を目指して歩を進める。
街道に出ると、数台の馬車が通り過ぎていった。
木製の車輪が軋む音。
馬を駆る者たちが、俺の格好を見て不審そうな顔をしている。
無理もない。
この世界の住人からすれば、俺のパーカーやエプロンは見たこともない高級な生地に見えるはずだ。
ポリエステルと綿の混紡。
その均一な織り目、鮮やかな染色、そして光沢。
光の反射の仕方が、手織りの麻や羊毛とは根本的に違う。
未知の技術体系で作られた「神の衣」を纏う男。
俺はなるべく目立たないように、顔を伏せて歩いた。
街の入口には、大きな門があった。
武装した兵士たちが、入街者のチェックを行っている。
俺は列に並び、自分の番を待った。
前の商人が、通行税として銀貨を数枚支払っている。
銀貨はくすんでいて、形も歪だ。
鋳造技術の低さが窺える。
俺も財布から金貨を一枚取り出した。
「次、そこのお前。身分証を見せろ」
鎧に身を包んだ兵士が、威圧的な態度で俺を見下ろす。
顔には歴戦の傷跡があり、腰の剣には血の匂いが染み付いている。
俺は首を振った。
「身分証なんて持ってない。これで通してくれ」
俺は金貨を親指で弾き、兵士に向かって放った。
空中で金貨が回転し、太陽の光を受けて閃光を放つ。
兵士が反射的にそれを受け取る。
その瞬間。
兵士の目が、一瞬で点になった。
「……は? なんだ、この輝きは」
彼は震える手で金貨を受け取った。
それは、この世界の王国の金貨とは比較にならないほど、純度が高く精密な彫刻が施されたものだ。
俺がスキルで支払うために用意された、特製の通貨。
『造幣局プルーフ貨幣セット』クラスの、完全なる円形。
側面には、ミクロン単位のギザギザ(ふち飾り)が刻まれている。
不純物が混ざったこの世界の金貨とは、物質としての格が違う。
兵士は金貨を噛もうとして、やめた。
そんな不敬な真似ができる代物ではないと、本能が悟ったのだ。
彼は急に顔色を変えて直立不動になった。
全身から冷や汗が噴き出しているのが分かる。
「も、申し訳ございません! 貴方様のような高貴な方が、このような場所を歩いておられるとは!」
兵士の声が裏返った。
「いや、ただの通りすがりだが」
「そんなはずはございません! その神々しいまでの装束、そして見たこともない純金! どこかの大帝国の皇子様に違いありません! いや、もしや天界からの御使いであらせられますか!?」
兵士は地面に膝をつき、額を土に擦り付けて深々と頭を下げた。
ガチャリ、と鎧が音を立てる。
周囲の通行人たちが、一斉にこちらを注目する。
行商人たちも、馬車に乗った貴族らしき人物も、俺の姿を見て息を呑んでいる。
パーカーのフードを目深に被った謎の男。
その男に、門番が最敬礼をしている異常事態。
やばい、完全に目立っている。
俺は溜息をついた。
「いいから。街に入ってもいいか?」
「もちろんです! 特級の宿をご紹介しましょうか!? それとも王城へ早馬を出しましょうか!?」
「いい。適当に探す」
俺は逃げるように、門をくぐった。
背後で兵士たちが「開門! 国賓級の通過だ!」と叫んでいるのが聞こえるが、無視だ。
賑やかな大通りを避け、裏路地へと入っていく。
石畳はデコボコで、汚水が流れている場所もある。
だが、俺にはここが丁度いい。
路地の突き当たりに、空き家を見つけた。
窓ガラスは割れ、屋根も一部が剥がれ落ちているボロ小屋だ。
壁にはツタが絡まり、廃墟特有の静けさが漂っている。
誰の所有物でもなさそうだ。
「よし、ここをコンビニにするか」
俺はスマホを取り出し、[店舗構築メニュー]を開いた。
スキルのレベルが上がったのか、いつの間にか新しい項目が追加されていた。
[初期店舗セット:五万ゴールド]。
残高は十分にある。
俺は迷わず注文ボタンを押した。
指先が画面に触れた瞬間。
世界が書き換わった。
ボロ小屋の残骸が光の粒子となって分解される。
腐った木材も、崩れた石壁も、分子レベルで再構成されていく。
代わりに、滑らかなコンクリートの床が敷き詰められた。
埃一つない、鏡のような平面。
真っ白な壁が立ち上がり、大きな強化ガラスの自動ドアが設置される。
異世界の建材にはない、完全なる直線と平面で構成された空間。
天井には高輝度のLED照明が並び、店内を真昼のように照らし出した。
外の薄暗さとは隔絶された、人工の光。
エアコンの室外機が低い駆動音を立て始め、店内の温度を一瞬で快適な二十五度に調整する。
棚には、まだ何も並んでいない。
だが、そこにあるのは、俺がよく知るコンビニの姿だった。
異世界の汚い路地裏に、忽然と現れた現代日本のコンビニエンスストア。
その異質感は、まるで神殿か宇宙船のようだ。
「ふぅ。とりあえず、寝る場所は確保できたな」
俺はカウンターの奥にある事務室へ入り、折りたたみ式のベッドを注文した。
パイプの骨組みに、低反発のマットレス。
清潔なシーツの匂い。
柔らかいマットレスの感触が、疲れた体に心地よい。
店を本格的に稼働させるのは、明日でいい。
俺は目をつぶった。
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