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第2話 ……ありがと、おとうさん
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朝日が、割れた窓から細い光を差し込んでいた。焚き火はすっかり熄えて、白い煙だけが漂っている。
俺は、硬いベッド代わりの藁の上で体を起こした。肩が重い。昨日、無理な体勢で寝たせいかもしれない。
視線をずらすと──毛布の中から、かすかに寝息が聞こえた。
少女は、まだ眠っている。小さな手をぎゅっと握りしめ、顔をうずめるようにしている。
「……無防備なもんだな」
思わず口をついて出た声は、かすかに笑っていた。
おかしなものだ。つい昨日まで、誰にも心を許さず、ただ生き延びるためだけに薬草を摘んでいたってのに。
そっと立ち上がり、炉の残り火を掻き立てる。湿った薪を足すと、ぼうっと火が灯った。
小屋の中に、じんわりと温もりが戻ってくる。
「さて……」
俺は腰の袋を探った。中から、昨日の採集で摘んだ薬草を引っ張り出す。
癒し草、風避け草、腹持ち草……それと、少しだけだが、滋養効果のあるマーレルの葉もあった。
「こいつを煎じて、少しでも回復させねぇとな」
口の中で呟きながら、小鍋に湯を沸かす。火加減を調整するのも慣れたもんだ。
元・王国魔導師、今や辺境の世捨て人。肩書きだけ立派で、やってることは小間使いだ。
だが、俺にはこれしかない。
魔法も、解析も、戦術も──すべてを捨てた。あの日、捨てざるを得なかった。
カン、カン、と小鍋をかき混ぜる音が、小屋に響く。
そのとき。
「……ん、く、くぅ……」
かすかな声。
振り向くと、少女がもぞもぞと身をよじっていた。眉をひそめ、寝言のように何かを呟く。
「……おとうさん……いっちゃ、やだぁ……」
胸が、ぎゅうっと締めつけられる感覚に襲われた。
こんな小さな子供が、こんな森で一人、どんな思いで倒れていたのか。想像しただけで、喉の奥がひりつく。
「……大丈夫だ」
俺は、そっと少女の頭を撫でた。
細くて、ふわふわした白銀の髪。泥と汗で絡まっていたが、それでも柔らかい感触だった。
「もう……ひとりにしねぇよ」
誰に誓うでもなく、俺は言った。
少女の表情が、すこしだけ和らぐ。
俺は、鍋を火から下ろした。香り立つ湯気が、胃の腑にやさしく沁みそうな匂いを漂わせる。
「目が覚めたら、これを飲ませてやるか」
火を弱め、少女のそばに座る。
しばらく、何もせず、ただ見守った。
*
「……ん、んん……」
ようやく、少女が目を覚ました。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ぼんやりと俺を見上げる。
「おはようだ」
俺は、できるだけ低い声で言った。脅かさないように。
少女は、しばらくぽかんとして──ふわ、と笑った。
「おとうさん……!」
「……おう」
こいつは、俺をおとうさんだと信じきっているらしい。
訂正するべきなのかもしれないが、今はそんな気にもなれなかった。
「少しは、楽になったか?」
「……うん」
小さな声で頷く。声はまだ弱々しいが、意志が感じられた。
「……おなか、へった……」
「そりゃそうだろうな」
俺は苦笑して、小鍋を持ち上げた。
「ちょうど、いいもんがある。飲めるか?」
「うん!」
少女は、もぞもぞと身体を起こそうとする。だが、まだ力が入らないらしく、うまくいかない。
俺は、そっと背中を支えてやった。
「……ありがと、おとうさん」
「気にすんな」
匙で、少し冷ました薬草スープをすくい、口元に運ぶ。
少女は、おずおずと口を開け──一口、二口と飲み込んだ。
「……あったかい……」
「だろ」
少しずつ、少しずつ。
少女は、夢中でスープを飲み干した。
その姿を見ていると、妙な感情が胸に湧き上がる。
満たされるような、くすぐったいような、そんな気持ちだ。
「……なぁ」
ふと、俺は声をかけた。
「おまえ、名前は?」
少女は、ぴたりと動きを止めた。
大きな赤い瞳が、ふるふると揺れる。
「……わかんない、の……」
か細い声だった。
「おぼえて、ないの……」
──そうか。
記憶喪失、か。
だとすれば、なおさら。
「……名前がなきゃ、呼びようがねぇな」
「……」
少女は、不安そうに俺を見つめる。
その表情を見て、俺は考えた。
適当な呼び名をつけてやるか。それとも──。
「……フィリア」
ぽつりと、俺は言った。
「フィリア、だ。おまえの名前は、今日からフィリアだ」
「フィリア……」
少女──いや、フィリアは、ゆっくりとその言葉を口にした。
「……フィリア、だね!」
「ああ」
嬉しそうに笑う顔に、自然と目を細めた。
「フィリア。おまえは、俺の娘だ」
俺は、そう宣言した。
フィリアは、ぱあっと顔を輝かせて、俺に抱きついてきた。
「おとうさんっ!」
ああ、くそ。
俺は、もう、引き返せないところまで来ちまった。
──守るって決めたんだ。
フィリアを、この命に代えても。
俺は、硬いベッド代わりの藁の上で体を起こした。肩が重い。昨日、無理な体勢で寝たせいかもしれない。
視線をずらすと──毛布の中から、かすかに寝息が聞こえた。
少女は、まだ眠っている。小さな手をぎゅっと握りしめ、顔をうずめるようにしている。
「……無防備なもんだな」
思わず口をついて出た声は、かすかに笑っていた。
おかしなものだ。つい昨日まで、誰にも心を許さず、ただ生き延びるためだけに薬草を摘んでいたってのに。
そっと立ち上がり、炉の残り火を掻き立てる。湿った薪を足すと、ぼうっと火が灯った。
小屋の中に、じんわりと温もりが戻ってくる。
「さて……」
俺は腰の袋を探った。中から、昨日の採集で摘んだ薬草を引っ張り出す。
癒し草、風避け草、腹持ち草……それと、少しだけだが、滋養効果のあるマーレルの葉もあった。
「こいつを煎じて、少しでも回復させねぇとな」
口の中で呟きながら、小鍋に湯を沸かす。火加減を調整するのも慣れたもんだ。
元・王国魔導師、今や辺境の世捨て人。肩書きだけ立派で、やってることは小間使いだ。
だが、俺にはこれしかない。
魔法も、解析も、戦術も──すべてを捨てた。あの日、捨てざるを得なかった。
カン、カン、と小鍋をかき混ぜる音が、小屋に響く。
そのとき。
「……ん、く、くぅ……」
かすかな声。
振り向くと、少女がもぞもぞと身をよじっていた。眉をひそめ、寝言のように何かを呟く。
「……おとうさん……いっちゃ、やだぁ……」
胸が、ぎゅうっと締めつけられる感覚に襲われた。
こんな小さな子供が、こんな森で一人、どんな思いで倒れていたのか。想像しただけで、喉の奥がひりつく。
「……大丈夫だ」
俺は、そっと少女の頭を撫でた。
細くて、ふわふわした白銀の髪。泥と汗で絡まっていたが、それでも柔らかい感触だった。
「もう……ひとりにしねぇよ」
誰に誓うでもなく、俺は言った。
少女の表情が、すこしだけ和らぐ。
俺は、鍋を火から下ろした。香り立つ湯気が、胃の腑にやさしく沁みそうな匂いを漂わせる。
「目が覚めたら、これを飲ませてやるか」
火を弱め、少女のそばに座る。
しばらく、何もせず、ただ見守った。
*
「……ん、んん……」
ようやく、少女が目を覚ました。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、ぼんやりと俺を見上げる。
「おはようだ」
俺は、できるだけ低い声で言った。脅かさないように。
少女は、しばらくぽかんとして──ふわ、と笑った。
「おとうさん……!」
「……おう」
こいつは、俺をおとうさんだと信じきっているらしい。
訂正するべきなのかもしれないが、今はそんな気にもなれなかった。
「少しは、楽になったか?」
「……うん」
小さな声で頷く。声はまだ弱々しいが、意志が感じられた。
「……おなか、へった……」
「そりゃそうだろうな」
俺は苦笑して、小鍋を持ち上げた。
「ちょうど、いいもんがある。飲めるか?」
「うん!」
少女は、もぞもぞと身体を起こそうとする。だが、まだ力が入らないらしく、うまくいかない。
俺は、そっと背中を支えてやった。
「……ありがと、おとうさん」
「気にすんな」
匙で、少し冷ました薬草スープをすくい、口元に運ぶ。
少女は、おずおずと口を開け──一口、二口と飲み込んだ。
「……あったかい……」
「だろ」
少しずつ、少しずつ。
少女は、夢中でスープを飲み干した。
その姿を見ていると、妙な感情が胸に湧き上がる。
満たされるような、くすぐったいような、そんな気持ちだ。
「……なぁ」
ふと、俺は声をかけた。
「おまえ、名前は?」
少女は、ぴたりと動きを止めた。
大きな赤い瞳が、ふるふると揺れる。
「……わかんない、の……」
か細い声だった。
「おぼえて、ないの……」
──そうか。
記憶喪失、か。
だとすれば、なおさら。
「……名前がなきゃ、呼びようがねぇな」
「……」
少女は、不安そうに俺を見つめる。
その表情を見て、俺は考えた。
適当な呼び名をつけてやるか。それとも──。
「……フィリア」
ぽつりと、俺は言った。
「フィリア、だ。おまえの名前は、今日からフィリアだ」
「フィリア……」
少女──いや、フィリアは、ゆっくりとその言葉を口にした。
「……フィリア、だね!」
「ああ」
嬉しそうに笑う顔に、自然と目を細めた。
「フィリア。おまえは、俺の娘だ」
俺は、そう宣言した。
フィリアは、ぱあっと顔を輝かせて、俺に抱きついてきた。
「おとうさんっ!」
ああ、くそ。
俺は、もう、引き返せないところまで来ちまった。
──守るって決めたんだ。
フィリアを、この命に代えても。
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