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第18話 伝説の秘薬『虹色の涙』
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「すごい霧だな、すぐ前も見えないぞ」
ゼロが、崖の上から谷底をのぞき込みながら言った。
彼の言う通り、牛乳のような色の霧はあまりにも濃い。
谷の深さすら、全く分からなかった。
まるで、雲の海が目の下に広がっているかのようだ。
「地図によれば、この崖のどこかに谷底へ下りるための隠された道があるはずだ」
私は、バエルさんから預かった古い地図を広げた。
古い皮の紙には、複雑な模様と共に古い文字で何かが書かれている。
普通の人が見ても、ただの落書きにしか見えないだろう。
しかし、私にはその文字が何を意味しているのか理解できた。
前の人生で、趣味で学んだ古代の暗号の知識が今ここで役立ったのだ。
「……『月の光が、道を示す』か」
私が、地図の文字を読み解いて呟く。
「月の光、今は真昼間だぞ」
ゼロが、不思議そうな顔をした。
「ええ、つまり普通のやり方では道は見つからないということです。おそらく、この崖のどこかにある特定の場所に特定の条件がそろった時だけ道が現れる仕掛けなのでしょう」
「面倒なことをしてくれる」
ゼロは、吐き捨てるように言った。
「ですが、ヒントはあります」
私は、地図に描かれた奇妙な模様を指差した。
それは、星の並び方のようだった。
「この模様は、この世界の夜空には存在しない星の並びです。ですが、私が昔読んだ本に出てきた星座ととてもよく似ています」
「これはオリオン座で、そしてこれが北斗七星です。この二つの星座が、ある一点で交わる場所を示している」
私は、自分の知識をもとに地図の謎を解き明かしていく。
ゼロは、私の話に半信半疑といった様子だったが黙って耳を傾けていた。
「この崖の岩の表面を、よく見てください。長年の雨風で分かりにくくなっていますが、星の形に似た模様がいくつか刻まれています」
私は、崖の壁を指差した。
確かに、よく見るといくつかの岩に人が作った模様が彫られているのが分かる。
「あの模様を、地図の星座の通りに線で結んでいく。そうすれば、隠された道の入り口が見つかるはずです」
私の推理に、ゼロは目を見開いた。
「……お前、本当に何者なんだ。まるで、この地図を作った本人みたいじゃないか」
「ただの、知識ですよ」
私は、にこりとほほ笑んでみせた。
そして、早速作業に取りかかる。
私たちは、崖のふちを慎重に移動しながら星の模様が刻まれた岩を探し出した。
そして、その位置を地図に書き込んでいく。
それは、まるで巨大なパズルを解いているかのようだった。
全ての星の印を見つけ出し、線で結びつけた時。
そこに現れたのは、一つの巨大な扉の形だった。
「あったぞ、ここだ」
ゼロが、興奮したように声を上げた。
私たちが立っている場所のすぐ下、崖の中ほどに不自然なほど平らな岩壁がある。
そこが、隠された扉に違いない。
「問題は、どうやってあの扉を開けるかですね」
扉には、鍵穴も取っ手も見当たらない。
ただ、なめらかな岩の壁があるだけだ。
「月の光、か」
私は、もう一度地図に目を落とした。
そこには、満月のような絵が描かれている。
「もしかして、夜になるまで待たなければならないのでしょうか」
「いや、それじゃあ日が暮れてしまう。何か、別の方法があるはずだ」
ゼロが、腕を組んで考え込んでいる。
その時、私の足元にいたノクスが「にゃあ」と一声鳴いた。
そして、私のカバンに前足でちょいちょいとさわる。
「どうしたの、ノクス」
ノクスは、カバンの中を示すように何度も鳴いた。
私は、不思議に思いながらカバンの中を探る。
そして、あるものに手がふれた瞬間はっとした。
それは、森の中で倒した巨大蜘蛛の糸だった。
あの糸は、銀色に輝きまるで月の光のようにも見える。
「……まさか」
私は、蜘蛛の糸を少しだけ引き出した。
そして、それを太陽の光にかざしてみる。
すると、糸は光をはね返してキラキラと美しく輝いた。
「月の光は、夜の月だけじゃない。太陽の光をはね返す、銀色の糸。これこそが、扉を開ける鍵だったんだわ」
私は、自分の推理に自信を持った。
そして、蜘蛛の糸を一本の長いロープのように編み上げていく。
「ゼロ、これを扉の中心にあるくぼみに向かって投げてください。正確に、お願いしますよ」
「……分かった、やってみよう」
ゼロは、私が作った銀色のロープを受け取ると崖のふちに立った。
そして、集中するように深く息を吸い込む。
彼の腕が、しなやかに動いた。
銀色のロープが、美しい線を描いて宙を舞う。
ロープの先は、少しもずれずに扉の中心にある小さなくぼみに吸い込まれていった。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……。
地面がゆれるような音と共に、巨大な岩の扉がゆっくりと内側へ向かって開き始めた。
扉の向こうには、暗く長い下り階段が続いている。
「やったぞ、リリア」
ゼロが、子供のようにはしゃいだ。
私も、ほっとしてため息をつく。
「さあ、行きましょう。本当の冒険は、ここからです」
私たちは、顔を見合わせてうなずき合った。
そして、フェンとノクスを先頭に暗い階段を慎重に下りていく。
階段は、どこまでも続いているように感じられた。
湿った空気と、カビのにおいが鼻をつく。
十分ほど下っただろうか。
不意に、目の前が明るくなった。
階段の終わりは、谷底の霧の中へとつながっていたのだ。
私たちは、ついに霧の谷の内部へと足を踏み入れた。
そこは、まさに夢のような世界だった。
濃い霧が、周りの景色を白く染め上げている。
しかし、不思議と息苦しさは感じない。
むしろ、きれいな空気が肺を満たしていくようだった。
地面には、見たこともないような奇妙な植物が生えている。
青白く光るキノコや、水晶のように透き通った花。
それらが、霧の中でぼんやりと光を放ちあたりを淡く照らしていた。
「すごい……、本当に別世界だな」
ゼロが、感心した声を漏らした。
私も、目の前に広がる光景に言葉を失っていた。
ここには、この世界の決まりとは違う何かが働いている。
そう感じさせる、不思議な雰囲気がただよっていた。
「薬草は、この谷のどこかにあるはず。手分けして探しましょう」
「ああ、だが離れすぎるなよ。この霧の中では、簡単にはぐれてしまいそうだ」
私たちは、慎重に谷底を探し始めた。
霧の中を歩いていると、方向の感覚がくるってくる。
足元の光る植物だけが、唯一の目印だった。
フェンとノクスが、私たちの周りを警戒するように歩き回っている。
彼らの優れた感覚がなければ、私たちはとっくの昔に道に迷っていただろう。
しばらく歩き続けた時、フェンが立ち止まり鼻をくんくんと鳴らし始めた。
そして、ある一点に向かって低くうなる。
「どうした、フェン。何か見つけたのか」
フェンは、私の言葉に「わん」と一声鳴いた。
そして、霧の奥へと駆け出していく。
「待って、フェン」
私たちは、あわててその後を追った。
フェンが向かった先には、小さな泉があった。
その泉の水は、まるで溶かした月のように銀色に輝いている。
そして、泉の中央にある小さな島。
そこに、一輪の花が咲いていた。
その花は、七色に輝く花びらを持っていた。
花の中心からは、金色の光があふれ出している。
周りの霧が、その光に照らされてまるでオーロラのように揺れていた。
間違いない、あれこそが地図に書かれていた幻の薬草『虹色の涙』だ。
「あった……、本当にあったんだ」
ゼロが、ぼうぜんと呟いた。
私も、その美しさに心をうばわれていた。
万病を治し、年を取らなくなる効果さえあると伝えられる伝説の秘薬。
それが今、私たちの目の前にある。
しかし、事はそう簡単ではなかった。
私たちが泉に近づこうとした、その時。
泉の水面が、大きく波立った。
そして、中から一匹の巨大な生き物が姿を現す。
それは、水晶でできた巨大な蛇だった。
その体は、日の光を浴びてキラキラと輝いている。
頭には、王冠のような角が生えていた。
伝説の薬草を守る、番人なのだろう。
水晶の蛇は、私たちを侵入者と見なした。
そして、おどすようにシューッと鋭い音を立てる。
その瞳は、冷たい宝石のように私たちをにらみつけていた。
その体からは、巨大蜘蛛とは比べ物にならないほどの圧倒的な魔力が放たれている。
これは、普通の相手ではない。
ゼロが、短剣を構えた。
「リリア、お前は下がっていろ。こいつは、俺が……」
「いいえ」
私は、ゼロの言葉をさえぎった。
「ここは、私に任せてください」
私は、一歩前に進み出た。
そして、水晶の蛇とまっすぐに向き合う。
フェンとノクスが、私を守るように両脇を固めた。
私は、武器を構えなかった。
ただ、静かに蛇を見つめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「私たちは、あなたと戦うつもりはありません。ただ、その花を少しだけ分けていただきたいのです」
私の言葉に、蛇は不思議そうな顔をした。
人間の言葉を、理解しているのだろうか。
「私たちは、その花を自分の欲のために使うつもりはありません。病に苦しむ、多くの人々を救うために使うのです」
「どうか、私たちの願いを聞き入れてはいただけませんか」
私は、深く頭を下げた。
無駄なことかもしれない、そう思った。
魔物相手に、話し合いなど通用するはずがない。
しかし、この番人からは悪い気配が感じられなかった。
ただ、自分の役目をまじめに果たそうとしているだけなのだ。
ならば、力でうばうのではなく気持ちでうったえるべきだと私は判断した。
水晶の蛇は、しばらくの間何も言わずに私を見下ろしていた。
その宝石のような瞳が、私の心の奥底まで見ているかのように感じられる。
重い沈黙が、その場に流れた。
ゼロは、息をのんで成り行きを見守っている。
やがて、蛇はゆっくりと頭を下げた。
そして、その長いしっぽで泉の中央にある『虹色の涙』を一本だけ器用に摘み取る。
そして、それを私の目の前にそっと差し出した。
「……」
私は、信じられないといった気持ちでその光景を見ていた。
番人が、自ら薬草を差し出してくれたのだ。
「……ありがとうございます」
私は、震える手でその七色に輝く花を受け取った。
花は、手に取ると温かく優しい光を放っている。
水晶の蛇は、役目を終えたかのように再びゆっくりと泉の中へと姿を消していった。
後に残されたのは、静かに波打つ銀色の水面だけだった。
「……うそだろ」
ゼロが、ぼうぜんとした声で言った。
「戦いもせずに、伝説の秘薬を手に入れたっていうのか。お前、どんな魔法を使ったんだ」
「魔法じゃありませんよ、ただ気持ちが通じただけです」
私は、手の中の花を愛おしそうに見つめた。
これで、領地の未来は大きく変わるだろう。
薬草園の計画も、さらに大きなものにできる。
「さあ、帰りましょう。私たちの仕事は、まだ始まったばかりなのですから」
私は、ゼロに向かってほほ笑みかけた。
ゼロは、まだ信じられないといった顔をしていた。
やがて、あきらめたように肩をすくめる。
「……分かったよ。もう、お前のやることにいちいち驚くのはやめだ」
私たちは、幻の薬草を手に霧の谷を後にした。
帰り道は、うそのように穏やかだった。
谷の入り口をふさいでいた岩の扉も、私たちが通り抜けると静かに閉じていく。
まるで、私たちの訪問を許してくれたかのようだった。
森を抜けて、屋敷の姿が見えてきた時。
私は、ふと足を止めた。
屋敷の周りが、何やら騒がしい。
遠くからでも、たくさんのたいまつの光が見える。
そして、どなるような声も聞こえてきた。
「どうしたんだ、一体」
ゼロが、不思議そうに呟く。
嫌な予感が、私の胸をよぎった。
私たちは、顔を見合わせると屋敷へと向かって駆け出した。
屋敷の前に着いた私たちは、目の前の光景に言葉を失う。
そこには、よろいを着た十数人の兵士たちの姿があった。
そして、その中央には見覚えのある男が立っている。
王都の近衛騎士団の、団長だ。
兵士たちに囲まれて、縄で縛られているのは父のアルフォンスと母のイザベラだった。
ヘクターとセシリアも、兵士に押さえつけられている。
「これは、一体どういうことです」
私が叫ぶと、騎士団長がこちらを振り返った。
その顔には、冷たい笑みが浮かんでいる。
「おお、これはリリア嬢。ちょうど、お前を探していたところだ」
「アークライト子爵アルフォンスとその家族に、国家反逆罪の疑いがかかった。よって、全員王都まで連れて行かせてもらう」
「国家反逆罪、ですって」
ゼロが、崖の上から谷底をのぞき込みながら言った。
彼の言う通り、牛乳のような色の霧はあまりにも濃い。
谷の深さすら、全く分からなかった。
まるで、雲の海が目の下に広がっているかのようだ。
「地図によれば、この崖のどこかに谷底へ下りるための隠された道があるはずだ」
私は、バエルさんから預かった古い地図を広げた。
古い皮の紙には、複雑な模様と共に古い文字で何かが書かれている。
普通の人が見ても、ただの落書きにしか見えないだろう。
しかし、私にはその文字が何を意味しているのか理解できた。
前の人生で、趣味で学んだ古代の暗号の知識が今ここで役立ったのだ。
「……『月の光が、道を示す』か」
私が、地図の文字を読み解いて呟く。
「月の光、今は真昼間だぞ」
ゼロが、不思議そうな顔をした。
「ええ、つまり普通のやり方では道は見つからないということです。おそらく、この崖のどこかにある特定の場所に特定の条件がそろった時だけ道が現れる仕掛けなのでしょう」
「面倒なことをしてくれる」
ゼロは、吐き捨てるように言った。
「ですが、ヒントはあります」
私は、地図に描かれた奇妙な模様を指差した。
それは、星の並び方のようだった。
「この模様は、この世界の夜空には存在しない星の並びです。ですが、私が昔読んだ本に出てきた星座ととてもよく似ています」
「これはオリオン座で、そしてこれが北斗七星です。この二つの星座が、ある一点で交わる場所を示している」
私は、自分の知識をもとに地図の謎を解き明かしていく。
ゼロは、私の話に半信半疑といった様子だったが黙って耳を傾けていた。
「この崖の岩の表面を、よく見てください。長年の雨風で分かりにくくなっていますが、星の形に似た模様がいくつか刻まれています」
私は、崖の壁を指差した。
確かに、よく見るといくつかの岩に人が作った模様が彫られているのが分かる。
「あの模様を、地図の星座の通りに線で結んでいく。そうすれば、隠された道の入り口が見つかるはずです」
私の推理に、ゼロは目を見開いた。
「……お前、本当に何者なんだ。まるで、この地図を作った本人みたいじゃないか」
「ただの、知識ですよ」
私は、にこりとほほ笑んでみせた。
そして、早速作業に取りかかる。
私たちは、崖のふちを慎重に移動しながら星の模様が刻まれた岩を探し出した。
そして、その位置を地図に書き込んでいく。
それは、まるで巨大なパズルを解いているかのようだった。
全ての星の印を見つけ出し、線で結びつけた時。
そこに現れたのは、一つの巨大な扉の形だった。
「あったぞ、ここだ」
ゼロが、興奮したように声を上げた。
私たちが立っている場所のすぐ下、崖の中ほどに不自然なほど平らな岩壁がある。
そこが、隠された扉に違いない。
「問題は、どうやってあの扉を開けるかですね」
扉には、鍵穴も取っ手も見当たらない。
ただ、なめらかな岩の壁があるだけだ。
「月の光、か」
私は、もう一度地図に目を落とした。
そこには、満月のような絵が描かれている。
「もしかして、夜になるまで待たなければならないのでしょうか」
「いや、それじゃあ日が暮れてしまう。何か、別の方法があるはずだ」
ゼロが、腕を組んで考え込んでいる。
その時、私の足元にいたノクスが「にゃあ」と一声鳴いた。
そして、私のカバンに前足でちょいちょいとさわる。
「どうしたの、ノクス」
ノクスは、カバンの中を示すように何度も鳴いた。
私は、不思議に思いながらカバンの中を探る。
そして、あるものに手がふれた瞬間はっとした。
それは、森の中で倒した巨大蜘蛛の糸だった。
あの糸は、銀色に輝きまるで月の光のようにも見える。
「……まさか」
私は、蜘蛛の糸を少しだけ引き出した。
そして、それを太陽の光にかざしてみる。
すると、糸は光をはね返してキラキラと美しく輝いた。
「月の光は、夜の月だけじゃない。太陽の光をはね返す、銀色の糸。これこそが、扉を開ける鍵だったんだわ」
私は、自分の推理に自信を持った。
そして、蜘蛛の糸を一本の長いロープのように編み上げていく。
「ゼロ、これを扉の中心にあるくぼみに向かって投げてください。正確に、お願いしますよ」
「……分かった、やってみよう」
ゼロは、私が作った銀色のロープを受け取ると崖のふちに立った。
そして、集中するように深く息を吸い込む。
彼の腕が、しなやかに動いた。
銀色のロープが、美しい線を描いて宙を舞う。
ロープの先は、少しもずれずに扉の中心にある小さなくぼみに吸い込まれていった。
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……。
地面がゆれるような音と共に、巨大な岩の扉がゆっくりと内側へ向かって開き始めた。
扉の向こうには、暗く長い下り階段が続いている。
「やったぞ、リリア」
ゼロが、子供のようにはしゃいだ。
私も、ほっとしてため息をつく。
「さあ、行きましょう。本当の冒険は、ここからです」
私たちは、顔を見合わせてうなずき合った。
そして、フェンとノクスを先頭に暗い階段を慎重に下りていく。
階段は、どこまでも続いているように感じられた。
湿った空気と、カビのにおいが鼻をつく。
十分ほど下っただろうか。
不意に、目の前が明るくなった。
階段の終わりは、谷底の霧の中へとつながっていたのだ。
私たちは、ついに霧の谷の内部へと足を踏み入れた。
そこは、まさに夢のような世界だった。
濃い霧が、周りの景色を白く染め上げている。
しかし、不思議と息苦しさは感じない。
むしろ、きれいな空気が肺を満たしていくようだった。
地面には、見たこともないような奇妙な植物が生えている。
青白く光るキノコや、水晶のように透き通った花。
それらが、霧の中でぼんやりと光を放ちあたりを淡く照らしていた。
「すごい……、本当に別世界だな」
ゼロが、感心した声を漏らした。
私も、目の前に広がる光景に言葉を失っていた。
ここには、この世界の決まりとは違う何かが働いている。
そう感じさせる、不思議な雰囲気がただよっていた。
「薬草は、この谷のどこかにあるはず。手分けして探しましょう」
「ああ、だが離れすぎるなよ。この霧の中では、簡単にはぐれてしまいそうだ」
私たちは、慎重に谷底を探し始めた。
霧の中を歩いていると、方向の感覚がくるってくる。
足元の光る植物だけが、唯一の目印だった。
フェンとノクスが、私たちの周りを警戒するように歩き回っている。
彼らの優れた感覚がなければ、私たちはとっくの昔に道に迷っていただろう。
しばらく歩き続けた時、フェンが立ち止まり鼻をくんくんと鳴らし始めた。
そして、ある一点に向かって低くうなる。
「どうした、フェン。何か見つけたのか」
フェンは、私の言葉に「わん」と一声鳴いた。
そして、霧の奥へと駆け出していく。
「待って、フェン」
私たちは、あわててその後を追った。
フェンが向かった先には、小さな泉があった。
その泉の水は、まるで溶かした月のように銀色に輝いている。
そして、泉の中央にある小さな島。
そこに、一輪の花が咲いていた。
その花は、七色に輝く花びらを持っていた。
花の中心からは、金色の光があふれ出している。
周りの霧が、その光に照らされてまるでオーロラのように揺れていた。
間違いない、あれこそが地図に書かれていた幻の薬草『虹色の涙』だ。
「あった……、本当にあったんだ」
ゼロが、ぼうぜんと呟いた。
私も、その美しさに心をうばわれていた。
万病を治し、年を取らなくなる効果さえあると伝えられる伝説の秘薬。
それが今、私たちの目の前にある。
しかし、事はそう簡単ではなかった。
私たちが泉に近づこうとした、その時。
泉の水面が、大きく波立った。
そして、中から一匹の巨大な生き物が姿を現す。
それは、水晶でできた巨大な蛇だった。
その体は、日の光を浴びてキラキラと輝いている。
頭には、王冠のような角が生えていた。
伝説の薬草を守る、番人なのだろう。
水晶の蛇は、私たちを侵入者と見なした。
そして、おどすようにシューッと鋭い音を立てる。
その瞳は、冷たい宝石のように私たちをにらみつけていた。
その体からは、巨大蜘蛛とは比べ物にならないほどの圧倒的な魔力が放たれている。
これは、普通の相手ではない。
ゼロが、短剣を構えた。
「リリア、お前は下がっていろ。こいつは、俺が……」
「いいえ」
私は、ゼロの言葉をさえぎった。
「ここは、私に任せてください」
私は、一歩前に進み出た。
そして、水晶の蛇とまっすぐに向き合う。
フェンとノクスが、私を守るように両脇を固めた。
私は、武器を構えなかった。
ただ、静かに蛇を見つめる。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「私たちは、あなたと戦うつもりはありません。ただ、その花を少しだけ分けていただきたいのです」
私の言葉に、蛇は不思議そうな顔をした。
人間の言葉を、理解しているのだろうか。
「私たちは、その花を自分の欲のために使うつもりはありません。病に苦しむ、多くの人々を救うために使うのです」
「どうか、私たちの願いを聞き入れてはいただけませんか」
私は、深く頭を下げた。
無駄なことかもしれない、そう思った。
魔物相手に、話し合いなど通用するはずがない。
しかし、この番人からは悪い気配が感じられなかった。
ただ、自分の役目をまじめに果たそうとしているだけなのだ。
ならば、力でうばうのではなく気持ちでうったえるべきだと私は判断した。
水晶の蛇は、しばらくの間何も言わずに私を見下ろしていた。
その宝石のような瞳が、私の心の奥底まで見ているかのように感じられる。
重い沈黙が、その場に流れた。
ゼロは、息をのんで成り行きを見守っている。
やがて、蛇はゆっくりと頭を下げた。
そして、その長いしっぽで泉の中央にある『虹色の涙』を一本だけ器用に摘み取る。
そして、それを私の目の前にそっと差し出した。
「……」
私は、信じられないといった気持ちでその光景を見ていた。
番人が、自ら薬草を差し出してくれたのだ。
「……ありがとうございます」
私は、震える手でその七色に輝く花を受け取った。
花は、手に取ると温かく優しい光を放っている。
水晶の蛇は、役目を終えたかのように再びゆっくりと泉の中へと姿を消していった。
後に残されたのは、静かに波打つ銀色の水面だけだった。
「……うそだろ」
ゼロが、ぼうぜんとした声で言った。
「戦いもせずに、伝説の秘薬を手に入れたっていうのか。お前、どんな魔法を使ったんだ」
「魔法じゃありませんよ、ただ気持ちが通じただけです」
私は、手の中の花を愛おしそうに見つめた。
これで、領地の未来は大きく変わるだろう。
薬草園の計画も、さらに大きなものにできる。
「さあ、帰りましょう。私たちの仕事は、まだ始まったばかりなのですから」
私は、ゼロに向かってほほ笑みかけた。
ゼロは、まだ信じられないといった顔をしていた。
やがて、あきらめたように肩をすくめる。
「……分かったよ。もう、お前のやることにいちいち驚くのはやめだ」
私たちは、幻の薬草を手に霧の谷を後にした。
帰り道は、うそのように穏やかだった。
谷の入り口をふさいでいた岩の扉も、私たちが通り抜けると静かに閉じていく。
まるで、私たちの訪問を許してくれたかのようだった。
森を抜けて、屋敷の姿が見えてきた時。
私は、ふと足を止めた。
屋敷の周りが、何やら騒がしい。
遠くからでも、たくさんのたいまつの光が見える。
そして、どなるような声も聞こえてきた。
「どうしたんだ、一体」
ゼロが、不思議そうに呟く。
嫌な予感が、私の胸をよぎった。
私たちは、顔を見合わせると屋敷へと向かって駆け出した。
屋敷の前に着いた私たちは、目の前の光景に言葉を失う。
そこには、よろいを着た十数人の兵士たちの姿があった。
そして、その中央には見覚えのある男が立っている。
王都の近衛騎士団の、団長だ。
兵士たちに囲まれて、縄で縛られているのは父のアルフォンスと母のイザベラだった。
ヘクターとセシリアも、兵士に押さえつけられている。
「これは、一体どういうことです」
私が叫ぶと、騎士団長がこちらを振り返った。
その顔には、冷たい笑みが浮かんでいる。
「おお、これはリリア嬢。ちょうど、お前を探していたところだ」
「アークライト子爵アルフォンスとその家族に、国家反逆罪の疑いがかかった。よって、全員王都まで連れて行かせてもらう」
「国家反逆罪、ですって」
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その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
姉の忘れ形見を育てたいだけなのに、公爵閣下の執着が重いんですが!?~まっすぐ突き進み系令嬢の公爵家再建計画
及川えり
ファンタジー
突然届いた双子の姉からの手紙。
【これをあなたが読んでいるころにはわたしはもう死んでいることでしょう。わたしのことは探さないでね。双子を引き取ってもらえないかしら?】
姉の遺言通り双子を育てようと姉の嫁ぎ先へと突入する。
双子を顧みなかったという元夫のウィルバート公爵に何とか双子を引き取れるよう掛け合うが、話の流れからそのまま公爵家に滞在して双子を育てる羽目に。
だが、この公爵家、何かおかしい?
異常に気付いたハンナは公爵家に巣くう膿をとりのぞくべく、奮闘しはじめる。
一方ハンナを最初は適当にあしらっていたウィルバートだったが、ハンナの魅力に気付き始め……。
ハンナ・キャロライン・バーディナ 22歳
バーディナ伯爵家令嬢
✖️
ウィルバート・アドルファス・キングスフォード 26歳
キングスフォード公爵
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