元Sランク受付嬢の、路地裏ひとり酒とまかない飯

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「森の賢者」の噂は、その後も数日間、ギルドの話題の中心だった。
目撃情報がいくつか寄せられ、その姿はやはりフクロウに似ていて、人間と同じくらいの大きさがあるらしい。
ギルドとしては、引き続き慎重な調査を進めつつ、冒険者たちには刺激しないよう注意を促している。
私自身は、特に何か変わったことがあるわけでもなく、いつも通りの受付業務をこなし、定時になれば〈モンス飯亭〉か、あるいは新しいお店を開拓する日々だ。

そんなある日のこと、仕事帰りにいつものように〈モンス飯亭〉の暖簾をくぐると、カウンターには見慣れない先客がいた。
といっても、冒険者風の男性が一人、静かにお酒を飲んでいるだけだ。
この店は常連が多いけれど、時々こうして新しいお客さんが来ることもある。

「いらっしゃい、レナちゃん。いつもの席、空いてるわよ」

女将さんがにこやかに声をかけてくれる。
私は軽く会釈して、カウンターの端の、私の定位置とも言える席に腰を下ろした。

「今日は何にしようかな……」

壁に掛けられた手書きのメニューを眺める。
定番の魔獣肉のグリルもいいし、新鮮な魚介を使った料理も捨てがたい。
女将さんの作るものは何でも美味しいから、いつも迷ってしまう。

「レナちゃん、今日はね、ちょっと珍しいものが入ったのよ。『砂漠マンモスのタンシチュー』なんてどうかしら?」

「砂漠マンモスのタンシチュー……!?」

思わず声が大きくなってしまった。
砂漠マンモスなんて、それこそ伝説級の魔獣だ。
そのタンが手に入るなんて、一体どんなルートを使えば……。
いや、そこを詮索するのは野暮というものだ。

「そ、それは……ぜひお願いします!」

期待に胸を膨らませて待っていると、やがて目の前に、ほかほかと湯気を立てるシチュー皿が運ばれてきた。
見た目は普通のビーフシチューと変わらないけれど、漂ってくる香りがどこか違う。
濃厚で、それでいてスパイシーな、食欲を刺激する香りだ。

スプーンでタンを一切れすくってみる。
驚くほど柔らかく、スプーンがすっと入っていく。
口に運ぶと、まずタンの濃厚な旨みが舌の上でとろけ、その後にデミグラスソースの深いコクと、ほんのりとしたスパイスの風味が追いかけてくる。

「……美味しい……!なにこれ、タンが口の中でとろける……!」

あまりの美味しさに、言葉を失うほどだ。
普通の牛肉のタンとは比べ物にならないくらい、柔らかくてジューシー。
それでいて、臭みは全くなく、ただただ濃厚な旨みだけが口の中に広がる。

「ふふ、気に入ってくれたみたいね。砂漠マンモスのタンはね、何日もかけてじっくり煮込まないと、この柔らかさは出ないのよ。手間暇かけただけの価値はあるでしょう?」

女将さんが満足そうに微笑む。
確かに、この味は家庭では絶対に出せない。
プロの技と、貴重な食材が組み合わさった、まさに至高の一品だ。

夢中でシチューを食べていると、隣に座っていた冒険者風の男性が、ふとこちらに視線を向けたのに気づいた。
特に何か話しかけてくるわけではないけれど、私のあまりの食べっぷりに、少し興味を引かれたのかもしれない。
ちょっと恥ずかしいけれど、美味しいものを前にすると、ついつい我を忘れてしまうのだ。

シチューを半分ほど食べたところで、赤ワインを注文した。
この濃厚なシチューには、きっと赤ワインが合うはずだ。
女将さんが選んでくれた赤ワインは、程よい渋みとフルーティーな香りが特徴で、タンシチューとの相性も抜群だった。

ワインを飲みながら、ゆっくりと残りのシチューを味わう。
一口食べるごとに、体の隅々まで温かいものが染み渡っていくような感覚。
日々の疲れも、悩みも、全部この美味しいシチューが溶かしてくれるようだ。

「はぁ……本当に、幸せ……」

思わず、そんな言葉が口から漏れた。
すると、隣の男性が、くすりと小さく笑ったのが聞こえた。
別に、聞かせるつもりはなかったのだけれど。

「本当に美味しそうに召し上がりますね」

不意に、その男性が話しかけてきた。
落ち着いた、感じの良い声だ。
年齢は、私と同じくらいか、少し上だろうか。
冒険者にしては、どこか学者っぽい雰囲気も漂わせている。

「あ、すみません、つい……。でも、本当に美味しいんですよ、このシチュー」

少し照れながら答えると、男性はにっこりと微笑んだ。

「いえいえ、見ているこちらも幸せな気分になります。その砂漠マンモスのタンシチュー、私もいただこうかな」

そう言って、男性も女将さんにタンシチューを注文した。
なんだか、自分の好きなものを他の人にも勧めて、それが受け入れられるというのは、ちょっと嬉しいものだ。

「女将さんの料理は、どれも絶品ですから。きっとお口に合いますよ」

「それは楽しみだ。実は、この街に来たのは初めてでね。美味しいものが食べられる店を探していたんだ」

「初めてなんですか?それなら、この〈モンス飯亭〉は大当たりですよ。何を食べても美味しいですし、女将さんの人柄も最高ですから」

私がそう言うと、女将さんがカウンターの奥から「あらあら、レナちゃんったら、褒めすぎよ」と照れたように声をかけてきた。
店内に、和やかな笑いが広がる。

やがて、男性の前にもタンシチューが運ばれてきた。
彼もまた、一口食べると目を丸くして、その美味しさに感動しているようだった。

「これは……本当に素晴らしい味だ。噂に違わぬ名店だな」

「でしょう?私も、この店があるから毎日頑張れるようなものですから」

その後、私たちは自然な流れで、少しだけ言葉を交わした。
男性の名前はアランさんと言って、古代遺跡の研究をしている学者らしい。
今回は、この地方にある未踏の遺跡を調査するためにやってきたのだという。

「古代遺跡の研究ですか。なんだか、ロマンがありますね」

「ははは、ロマンだけでは食べていけないけどね。でも、未知のものを発見する喜びは、何物にも代えがたいよ」

アランさんはそう言って、楽しそうに笑った。
学者でありながら、どこか冒険者のような好奇心と探究心も持ち合わせている人のようだ。
話していても面白いし、何より、美味しいものを美味しそうに食べる姿は見ていて気持ちがいい。

「もしよかったら、この街のことで何か知りたいことがあれば、私でよければお教えしますよ。ギルドの受付をしているので、情報だけはそれなりに持っているつもりですから」

「それはありがたい。実は、調査に必要な古い文献を探しているんだが、なかなか見つからなくてね。心当たりのある古書店とか、ギルドの資料室に何か情報があったりしないだろうか」

「古書店ですか……。いくつか心当たりはありますし、ギルドの資料室も、閲覧許可が下りれば確認できるかもしれません。明日、ギルドにいらしていただければ、少し調べてみますよ」

「本当かい?それは助かるよ。ぜひお願いしたい」

アランさんは心底嬉しそうな顔をした。
人助けというほど大げさなことではないけれど、自分の知識や経験が誰かの役に立てるというのは、やっぱり嬉しいものだ。
元Sランク冒険者としての経験も、こういう形でなら活かせるのかもしれない。

美味しい食事をきっかけに、新しい出会いがある。
それもまた、〈モンス飯亭〉の魅力の一つなのだろう。

アランさんが先に会計を済ませて店を出て行った後、私もそろそろお暇しようかと腰を上げた。

「女将さん、ごちそうさまでした。今日のタンシチューも、本当に絶品でした」

「どういたしまして。アランさんとも、なんだかいい雰囲気だったじゃない。学者さんなんて、レナちゃんには珍しいお友達ね」

女将さんが、少しからかうような目で見てくる。

「もう、友達だなんて、そんな……。ただ、少しお話をしただけですよ」

「あら、そうかしら?でも、レナちゃんが楽しそうで、私も嬉しかったわよ」

その言葉に、私は少しだけ頬が熱くなるのを感じた。
確かに、アランさんとの会話は楽しかった。
美味しいものを共有できる相手がいるというのは、いいものだ。

〈モンス飯亭〉を出ると、夜空には満月が煌々と輝いていた。
なんだか、今日はいつもより心が弾んでいるような気がする。
新しい出会いと、美味しい料理。
それだけで、人生はこんなにも豊かになるのだ。

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