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数日が経つと、その影響は、素人の私にもわかるほど、はっきりと現れ始めたのだ。
いつものように仕事帰りに〈モンス飯亭〉を訪れると、カウンターには私の他に、一人か二人の常連客がいるだけだった。いつもなら、冒険者たちの威勢のいい声や、仕事終わりのサラリーマンたちの楽しそうな笑い声で賑わっている時間帯なのに、今日はやけに静かだ。
「……こんばんは、女将さん」
「いらっしゃい、レナちゃん」
女将さんは、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれる。けれど、その笑顔の裏に、どこか寂しさが滲んでいるように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「今日は、なんだか静かですね」
「そうだねぇ。みんな、新しいもの好きだからねぇ。“エーテル”さんの魔法料理とやらに、興味津々なんだろうさ」
カウンターを拭きながら、女将さんは少しだけ遠い目をして呟いた。その言葉に、私は胸がちくりと痛むのを感じた。
ギルドでも、最近は“エーテル”の話題で持ちきりだった。
「“エーテル”の料理、食べた?マジで魔法だったぜ!肉が口の中でとろけるとか、そういうレベルじゃないんだ。炎の精霊が目の前で肉を焼いてくれるんだぜ!」
「わかる!私は魚料理を食べたんだけど、水の玉に包まれたまま運ばれてきて、目の前でそれが弾けて、中からふわっふわの魚が出てくるの!もう、エンターテイメントよ!」
若い冒険者たちは、目を輝かせながらそんな風に語り合っている。目新しさや、派手な演出が、彼らの心を掴んでいるのは明らかだった。
もちろん、〈モンス飯亭〉の常連客の中には、「あんなのは見世物だ。俺は女将さんの煮込みが一番だね」と言って、変わらず通い続けてくれる人たちもいる。
けれど、客足が明らかに遠のいているのは事実だった。
その日の夜、私はいつものようにカウンターで一人、お酒を飲んでいた。女将さんが作ってくれたのは、『地竜のハラミを使った肉豆腐』。甘辛い出汁が、じっくりと煮込まれたハラミと豆腐に染み込んでいて、体の芯から温まるような、優しい味わいだ。
「……美味しいです、女将さん」
「そうかい?よかった」
私たちは、それ以上、言葉を交わさなかった。ただ、静かに時間が流れていく。
私は、この店の雰囲気が、女将さんの料理が、そして、ここで過ごす時間が、大好きだった。この場所が、なくなってしまうことなんて、考えたくもない。
(私に、何かできることはないのかしら……)
元Sランク冒険者としての力?いや、それは違う。私はもう、戦わないと決めたのだ。それに、これは力で解決するような問題ではない。
では、ギルドの受付嬢として?新しい店の評判を落とすような噂を流す?そんな卑怯な真似は、私が許さないし、女将さんも決して望まないだろう。
(……だめだわ。私にできることなんて、何もないじゃない)
無力感に苛まれながら、私は熱燗をくいっと煽った。お酒の熱さが、不甲斐ない自分の胸に染みるようだった。
その時、店の暖簾が、カラン、と音を立てて開いた。
入ってきたのは、意外な人物だった。
「やあ、こんばんは。……今夜は、少し静かだね」
落ち着いた声でそう言ったのは、先日この店で出会った、学者のアランさんだった。
「アランさん!こんばんは」
「いらっしゃいませ、アランさん」
私と女将さんが声を揃えると、アランさんはにこやかに微笑み、私の隣の席に腰を下ろした。
「実は、先日教えてもらった資料のおかげで、研究が大きく進展してね。そのお礼も兼ねて、またここの美味しい料理をいただきに来たんだ。……何か、おすすめはあるかい?」
アランさんの言葉に、女将さんの顔が、ぱっと明るくなったように見えた。
「まあ、それはようございました!それなら、今夜はとっておきがありますよ。ちょうど今、最高の『ロックリザードの味噌漬け焼き』が焼き上がったところです。これに合う、とびきりの日本酒もご用意しましょう」
「ほう、ロックリザードの味噌漬け!それは興味深い。ぜひ、いただこう」
女将さんは、嬉しそうに厨房へと向かう。その足取りは、先ほどまでとは比べ物にならないくらい、軽やかに見えた。
(……そうか)
私は、目の前の光景を見て、はっとした。
私がすべきことは、難しいことじゃない。
ただ、これまでと変わらず、この店に通い、女将さんの料理を「美味しい」と心から楽しむこと。そして、その魅力を、私の言葉で、私の表情で、周りの人たちに伝えていくこと。
それこそが、この〈モンス飯亭〉を愛する一人の客として、私にできる、唯一で最大のことなのかもしれない。
アランさんの前に、香ばしい匂いを漂わせるロックリザードの味噌漬け焼きが置かれる。彼もまた、一口食べると、その美味しさに目を丸くしていた。
「これは……!素晴らしい……!味噌のコクと、肉の旨みが完璧に調和している……!こんな料理は、初めてだ……!」
その感動した様子を見て、私は自分のことのように嬉しくなり、思わず口元が緩んだ。
「でしょう?女将さんの手にかかれば、どんな魔獣だって、最高のご馳走になるんですよ」
私とアランさん、そして女将さん。
三人だけの静かな店内だったけれど、そこには、どんな高級レストランにも負けない、温かくて、幸せな空気が流れていた。
外でどんな派手な魔法が使われようと、この路地裏には、確かな「本物の味」と、それを愛する人々の笑顔がある。
きっと、大丈夫。この灯りは、決して消えたりしない。
私は、新しく注がれた熱燗を、ゆっくりと味わいながら、そう確信した。
いつものように仕事帰りに〈モンス飯亭〉を訪れると、カウンターには私の他に、一人か二人の常連客がいるだけだった。いつもなら、冒険者たちの威勢のいい声や、仕事終わりのサラリーマンたちの楽しそうな笑い声で賑わっている時間帯なのに、今日はやけに静かだ。
「……こんばんは、女将さん」
「いらっしゃい、レナちゃん」
女将さんは、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれる。けれど、その笑顔の裏に、どこか寂しさが滲んでいるように見えたのは、私の気のせいだろうか。
「今日は、なんだか静かですね」
「そうだねぇ。みんな、新しいもの好きだからねぇ。“エーテル”さんの魔法料理とやらに、興味津々なんだろうさ」
カウンターを拭きながら、女将さんは少しだけ遠い目をして呟いた。その言葉に、私は胸がちくりと痛むのを感じた。
ギルドでも、最近は“エーテル”の話題で持ちきりだった。
「“エーテル”の料理、食べた?マジで魔法だったぜ!肉が口の中でとろけるとか、そういうレベルじゃないんだ。炎の精霊が目の前で肉を焼いてくれるんだぜ!」
「わかる!私は魚料理を食べたんだけど、水の玉に包まれたまま運ばれてきて、目の前でそれが弾けて、中からふわっふわの魚が出てくるの!もう、エンターテイメントよ!」
若い冒険者たちは、目を輝かせながらそんな風に語り合っている。目新しさや、派手な演出が、彼らの心を掴んでいるのは明らかだった。
もちろん、〈モンス飯亭〉の常連客の中には、「あんなのは見世物だ。俺は女将さんの煮込みが一番だね」と言って、変わらず通い続けてくれる人たちもいる。
けれど、客足が明らかに遠のいているのは事実だった。
その日の夜、私はいつものようにカウンターで一人、お酒を飲んでいた。女将さんが作ってくれたのは、『地竜のハラミを使った肉豆腐』。甘辛い出汁が、じっくりと煮込まれたハラミと豆腐に染み込んでいて、体の芯から温まるような、優しい味わいだ。
「……美味しいです、女将さん」
「そうかい?よかった」
私たちは、それ以上、言葉を交わさなかった。ただ、静かに時間が流れていく。
私は、この店の雰囲気が、女将さんの料理が、そして、ここで過ごす時間が、大好きだった。この場所が、なくなってしまうことなんて、考えたくもない。
(私に、何かできることはないのかしら……)
元Sランク冒険者としての力?いや、それは違う。私はもう、戦わないと決めたのだ。それに、これは力で解決するような問題ではない。
では、ギルドの受付嬢として?新しい店の評判を落とすような噂を流す?そんな卑怯な真似は、私が許さないし、女将さんも決して望まないだろう。
(……だめだわ。私にできることなんて、何もないじゃない)
無力感に苛まれながら、私は熱燗をくいっと煽った。お酒の熱さが、不甲斐ない自分の胸に染みるようだった。
その時、店の暖簾が、カラン、と音を立てて開いた。
入ってきたのは、意外な人物だった。
「やあ、こんばんは。……今夜は、少し静かだね」
落ち着いた声でそう言ったのは、先日この店で出会った、学者のアランさんだった。
「アランさん!こんばんは」
「いらっしゃいませ、アランさん」
私と女将さんが声を揃えると、アランさんはにこやかに微笑み、私の隣の席に腰を下ろした。
「実は、先日教えてもらった資料のおかげで、研究が大きく進展してね。そのお礼も兼ねて、またここの美味しい料理をいただきに来たんだ。……何か、おすすめはあるかい?」
アランさんの言葉に、女将さんの顔が、ぱっと明るくなったように見えた。
「まあ、それはようございました!それなら、今夜はとっておきがありますよ。ちょうど今、最高の『ロックリザードの味噌漬け焼き』が焼き上がったところです。これに合う、とびきりの日本酒もご用意しましょう」
「ほう、ロックリザードの味噌漬け!それは興味深い。ぜひ、いただこう」
女将さんは、嬉しそうに厨房へと向かう。その足取りは、先ほどまでとは比べ物にならないくらい、軽やかに見えた。
(……そうか)
私は、目の前の光景を見て、はっとした。
私がすべきことは、難しいことじゃない。
ただ、これまでと変わらず、この店に通い、女将さんの料理を「美味しい」と心から楽しむこと。そして、その魅力を、私の言葉で、私の表情で、周りの人たちに伝えていくこと。
それこそが、この〈モンス飯亭〉を愛する一人の客として、私にできる、唯一で最大のことなのかもしれない。
アランさんの前に、香ばしい匂いを漂わせるロックリザードの味噌漬け焼きが置かれる。彼もまた、一口食べると、その美味しさに目を丸くしていた。
「これは……!素晴らしい……!味噌のコクと、肉の旨みが完璧に調和している……!こんな料理は、初めてだ……!」
その感動した様子を見て、私は自分のことのように嬉しくなり、思わず口元が緩んだ。
「でしょう?女将さんの手にかかれば、どんな魔獣だって、最高のご馳走になるんですよ」
私とアランさん、そして女将さん。
三人だけの静かな店内だったけれど、そこには、どんな高級レストランにも負けない、温かくて、幸せな空気が流れていた。
外でどんな派手な魔法が使われようと、この路地裏には、確かな「本物の味」と、それを愛する人々の笑顔がある。
きっと、大丈夫。この灯りは、決して消えたりしない。
私は、新しく注がれた熱燗を、ゆっくりと味わいながら、そう確信した。
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