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第21話 舞踏会の準備と二つの贈り物
建国記念舞踏会まで、あと一週間。
王宮は華やかな喧騒に包まれ始めていた。しかし、私に与えられた広大な執務室だけは、まるで別世界のように静寂に支配されている。いや、静寂というよりは、張り詰めた緊張感に満ちていた。
その原因は、部屋の中央に鎮座する一体のマネキン。
それに着せられた、夜空のように深い青色のドレスだ。
「……どうしましょう、これ」
私は頭を抱えて、大きなため息をついた。
皇帝の隣に立つ。それは実質的に、未来の王妃候補として国中の貴族にお披露目されることを意味する。ただでさえ「ぽっと出の田舎貴族」だとやっかみの対象になっているというのに。こんなことをすれば、嫉妬と敵意の嵐が吹き荒れるに違いない。
前世で例えるなら、入社半年の新人OLがいきなりCEO直轄の全社横断プロジェクトリーダーに抜擢され、そのうえ創立記念パーティーで社長の隣でスピーチをしろと言われているようなものだ。あまりにも無理な話だった。
(私にそんな大役、務まるわけがない……)
ドレスの美しい輝きとは裏腹に、私の心は重く沈んでいた。
「ミカ嬢。何をそんなに悩んでいる」
いつの間にか背後に立っていたレオン様の、静かな声がした。彼はいつものように、私の護衛として部屋の隅に控えていたはずだった。
「だって、このドレス……。私なんかが着こなせるわけがありません。それに、陛下の隣なんて……」
「そんなことはない」
彼の声は、迷いのない即答だった。
私が振り返ると、彼の蒼い瞳がまっすぐに私を見つめていた。
「君は君が思っている以上に美しい。そのドレスはきっと、君によく似合う」
そのあまりにもストレートな言葉に、私の心臓がドクンと大きく鳴った。
彼は、お世辞や社交辞令を言えるような器用な人ではない。だからこそ、その言葉が何のフィルターもなく、私の心の奥深くにすとんと落ちてきた。
「それに」と、彼は続けた。
「君は、ただ着飾って陛下の隣に立つだけの存在ではないだろう?」
「え?」
「君のことだ。きっとこの舞踏会ですら、君の『お片付け』の舞台にするつもりなんだろう?」
彼の蒼い瞳が、全てを見透かしたように私を見つめる。
その通りだった。私が悩んでいたのは、自分の立場だけではない。この舞踏会を、いかにして自分の土俵に持ち込むか。その一点だった。
これは、この国の貴族社会という古く淀んだシステムを、内側から改革するための絶好の機会なのだから。
私の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かぶのを、彼は見逃さなかった。
心得たとばかりに、静かに頷く。
「……必要なものがあれば何でも言え。俺が必ず用意する」
「ありがとうございます、レオン様。では早速ですが……」
私は彼に、一枚のリストを手渡した。
そこには舞踏会で『接触』すべき主要な貴族たちの名前と、彼らが抱える領地の問題点、そして解決策の提案がびっしりと書き込まれていた。
リストを見たレオン様は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの真剣な表情に戻った。
「……承知した。彼らの動向は騎士団の者を使って、事前に探っておこう」
それから舞踏会までの数日間、私の毎日は多忙を極めた。
昼間は筆頭監査官として山積みの業務をこなし、夜は舞踏会のための準備に追われた。
準備と言っても、ドレスを眺めてうっとりするようなものではない。
私はスキルを使い、建国以来、全ての舞踏会の記録をデータベース化した。
誰が、誰と、どのくらいの時間会話をしていたか。どのような派閥が形成され、そして崩壊していったか。貴族社会の複雑な人間関係と、権力構造の変遷。それを完全に可視化したのだ。
(ふふふ……。これで当日のシミュレーションは完璧ね。誰がキーパーソンで、誰がトラブルメーカーか一目瞭然だわ)
まるで巨大プロジェクトのリスク分析をするように、私は着々と準備を進めていた。
そんなある日の午後。
私の執務室に、皇帝陛下がふらりと姿を現した。
「ミカ。準備は進んでいるか?」
「はい、陛下。おかげさまで」
私が机の上に広げた、膨大な分析資料を指し示すと、陛下は満足げに微笑んだ。
「君にこれをやろう」
そう言って彼が私に差し出したのは、小さなベルベットの小箱だった。
開けてみると、中には星屑を散りばめたような、美しいサファイアのネックレスが収められていた。
「これは……」
「君のドレスによく似合うと思ってな。舞踏会で着けてくれると、嬉しい」
そのネックレスは一目で、国宝級の価値があることが分かった。そしてそのデザインは、まるであつらえたかのように、陛下から賜ったドレスと完璧に調和していた。
「……ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
私がそれを受け取ると、陛下はそっと私の背後に回り、私の髪を優しくかき分けた。
そして冷たい金属の感触と共に、そのネックレスを私の首にかけてくれる。彼の指先が私のうなじに触れるたびに、びくりと体が震えた。
鏡に映る彼の顔は、すぐ間近にあった。その金の瞳が、熱っぽく私を見つめている。
「……やはりよく似合う。君は、私の一番の宝だ」
その囁くような声と、吐息がかかるほどの距離感に、私の思考は完全にショート寸前だった。
その甘すぎる空気を、断ち切ったのは扉をノックする音だった。
「失礼します」
入ってきたのは、レオン様だった。
彼は私と陛下のあまりにも近い距離を見て、一瞬その動きを止めた。
そして、その眉間に深い、深い皺が刻まれる。
「……レオンか。何か用か?」
陛下が少しだけ、不機嫌そうな声で尋ねた。
「はっ。ミカ嬢に、お届け物です」
レオン様はそう言うと、一つの質素だが、丁寧に作られた木箱を私に差し出した。
「これは?」
「舞踏会では慣れない靴で、足が痛むだろうと思ってな。中に薬草を調合した、痛みを和らげる軟膏が入っている」
そのあまりにも実用的で、そして彼らしい不器用な優しさに、私の胸の奥がじんわりと温かくなった。
きらびやかな宝石と、手作りの軟膏。
皇帝陛下からの、独占欲を示す華やかな贈り物。
そして騎士団長からの、私を心から気遣う実直な贈り物。
二つの全く違う形の愛情。そのどちらもが私にとっては、かけがえのない宝物だった。
私は二人の英雄からの重すぎる愛情に嬉しい悲鳴を上げそうになるのをこらえ、来たるべき決戦の舞台――建国記念舞踏会へと覚悟を決める。
この舞踏会で、私はただの飾り物の姫ではない。
この国の未来を『お片付け』する、最強の監査官なのだから。
王宮は華やかな喧騒に包まれ始めていた。しかし、私に与えられた広大な執務室だけは、まるで別世界のように静寂に支配されている。いや、静寂というよりは、張り詰めた緊張感に満ちていた。
その原因は、部屋の中央に鎮座する一体のマネキン。
それに着せられた、夜空のように深い青色のドレスだ。
「……どうしましょう、これ」
私は頭を抱えて、大きなため息をついた。
皇帝の隣に立つ。それは実質的に、未来の王妃候補として国中の貴族にお披露目されることを意味する。ただでさえ「ぽっと出の田舎貴族」だとやっかみの対象になっているというのに。こんなことをすれば、嫉妬と敵意の嵐が吹き荒れるに違いない。
前世で例えるなら、入社半年の新人OLがいきなりCEO直轄の全社横断プロジェクトリーダーに抜擢され、そのうえ創立記念パーティーで社長の隣でスピーチをしろと言われているようなものだ。あまりにも無理な話だった。
(私にそんな大役、務まるわけがない……)
ドレスの美しい輝きとは裏腹に、私の心は重く沈んでいた。
「ミカ嬢。何をそんなに悩んでいる」
いつの間にか背後に立っていたレオン様の、静かな声がした。彼はいつものように、私の護衛として部屋の隅に控えていたはずだった。
「だって、このドレス……。私なんかが着こなせるわけがありません。それに、陛下の隣なんて……」
「そんなことはない」
彼の声は、迷いのない即答だった。
私が振り返ると、彼の蒼い瞳がまっすぐに私を見つめていた。
「君は君が思っている以上に美しい。そのドレスはきっと、君によく似合う」
そのあまりにもストレートな言葉に、私の心臓がドクンと大きく鳴った。
彼は、お世辞や社交辞令を言えるような器用な人ではない。だからこそ、その言葉が何のフィルターもなく、私の心の奥深くにすとんと落ちてきた。
「それに」と、彼は続けた。
「君は、ただ着飾って陛下の隣に立つだけの存在ではないだろう?」
「え?」
「君のことだ。きっとこの舞踏会ですら、君の『お片付け』の舞台にするつもりなんだろう?」
彼の蒼い瞳が、全てを見透かしたように私を見つめる。
その通りだった。私が悩んでいたのは、自分の立場だけではない。この舞踏会を、いかにして自分の土俵に持ち込むか。その一点だった。
これは、この国の貴族社会という古く淀んだシステムを、内側から改革するための絶好の機会なのだから。
私の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かぶのを、彼は見逃さなかった。
心得たとばかりに、静かに頷く。
「……必要なものがあれば何でも言え。俺が必ず用意する」
「ありがとうございます、レオン様。では早速ですが……」
私は彼に、一枚のリストを手渡した。
そこには舞踏会で『接触』すべき主要な貴族たちの名前と、彼らが抱える領地の問題点、そして解決策の提案がびっしりと書き込まれていた。
リストを見たレオン様は一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの真剣な表情に戻った。
「……承知した。彼らの動向は騎士団の者を使って、事前に探っておこう」
それから舞踏会までの数日間、私の毎日は多忙を極めた。
昼間は筆頭監査官として山積みの業務をこなし、夜は舞踏会のための準備に追われた。
準備と言っても、ドレスを眺めてうっとりするようなものではない。
私はスキルを使い、建国以来、全ての舞踏会の記録をデータベース化した。
誰が、誰と、どのくらいの時間会話をしていたか。どのような派閥が形成され、そして崩壊していったか。貴族社会の複雑な人間関係と、権力構造の変遷。それを完全に可視化したのだ。
(ふふふ……。これで当日のシミュレーションは完璧ね。誰がキーパーソンで、誰がトラブルメーカーか一目瞭然だわ)
まるで巨大プロジェクトのリスク分析をするように、私は着々と準備を進めていた。
そんなある日の午後。
私の執務室に、皇帝陛下がふらりと姿を現した。
「ミカ。準備は進んでいるか?」
「はい、陛下。おかげさまで」
私が机の上に広げた、膨大な分析資料を指し示すと、陛下は満足げに微笑んだ。
「君にこれをやろう」
そう言って彼が私に差し出したのは、小さなベルベットの小箱だった。
開けてみると、中には星屑を散りばめたような、美しいサファイアのネックレスが収められていた。
「これは……」
「君のドレスによく似合うと思ってな。舞踏会で着けてくれると、嬉しい」
そのネックレスは一目で、国宝級の価値があることが分かった。そしてそのデザインは、まるであつらえたかのように、陛下から賜ったドレスと完璧に調和していた。
「……ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
私がそれを受け取ると、陛下はそっと私の背後に回り、私の髪を優しくかき分けた。
そして冷たい金属の感触と共に、そのネックレスを私の首にかけてくれる。彼の指先が私のうなじに触れるたびに、びくりと体が震えた。
鏡に映る彼の顔は、すぐ間近にあった。その金の瞳が、熱っぽく私を見つめている。
「……やはりよく似合う。君は、私の一番の宝だ」
その囁くような声と、吐息がかかるほどの距離感に、私の思考は完全にショート寸前だった。
その甘すぎる空気を、断ち切ったのは扉をノックする音だった。
「失礼します」
入ってきたのは、レオン様だった。
彼は私と陛下のあまりにも近い距離を見て、一瞬その動きを止めた。
そして、その眉間に深い、深い皺が刻まれる。
「……レオンか。何か用か?」
陛下が少しだけ、不機嫌そうな声で尋ねた。
「はっ。ミカ嬢に、お届け物です」
レオン様はそう言うと、一つの質素だが、丁寧に作られた木箱を私に差し出した。
「これは?」
「舞踏会では慣れない靴で、足が痛むだろうと思ってな。中に薬草を調合した、痛みを和らげる軟膏が入っている」
そのあまりにも実用的で、そして彼らしい不器用な優しさに、私の胸の奥がじんわりと温かくなった。
きらびやかな宝石と、手作りの軟膏。
皇帝陛下からの、独占欲を示す華やかな贈り物。
そして騎士団長からの、私を心から気遣う実直な贈り物。
二つの全く違う形の愛情。そのどちらもが私にとっては、かけがえのない宝物だった。
私は二人の英雄からの重すぎる愛情に嬉しい悲鳴を上げそうになるのをこらえ、来たるべき決戦の舞台――建国記念舞踏会へと覚悟を決める。
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