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第40章:『歴史を紐解く電波と影』
第196話:【影から来た調査員】
「――はい、本日の収録はここまでです。お疲れ様でした、組長」
深夜のStudio MAD-KICHI。
防音壁に囲まれたメインフロアに、渉外統括ディレクター・八咫凛の涼やかな声が響いた。
マイクの電源が落とされ、機材のインジケーターが静かに明滅を繰り返す。俺はヘッドホンを外し、深くリクライニングチェアに背中を沈めながら、大きく息を吐き出した。
『たってやる。サテライト』の収録終わり。
相変わらず、8割の狂気とエグい下ネタ、そして限界ギリギリのパロディを全力でマイクに叩きつけるこの時間は、尋常ではないエネルギーを消費する。だが、その疲労感すらも俺にとっては極上のスパイスだ。
「おう、お疲れ。今日もなかなか際どいラインを攻めちまったが……まあ、ウチのリスナーなら余裕で咀嚼してくれるだろ」
「ええ。コンプライアンスの境界線での反復横跳びは、すでに当スタジオの伝統芸能ですから。音声データの編集とノイズ除去は理華さんに回しておきます」
凛は手元のタブレットを淀みなく操作しながら、淡々と事後処理を進めていく。
思春期の頃は自身の内向的な性格や対人関係に悩み、殻に閉じこもりがちだった彼女だが、今やこのスタジオにおいて、俺の放つ予測不能な狂気を最も冷徹に、かつ完璧にマネジメントする不可欠な右腕だ。その研ぎ澄まされた情報処理能力には、いつも舌を巻く。
俺はサイドテーブルのコーヒーを一口啜り、ふと、頭の中に浮かんだ思いつきを口にした。
「なぁ、凛。さっきの収録中、何気なく話しててふと思ったんだがよ」
「はい。何でしょう?」
「『たってやる。』がサテライトでこれだけ自由にやれてるんだ。だったら……『いってやる。』の方も、サテライト化したら面白いんじゃないか?」
凛のタブレットを打つ指が、ピタリと止まった。
『いってやる。』。
それは、MAD-KICHIが誇るメインコンテンツ『たってやる。』の姉妹番組として、今年の春に1~2回だけ放送したきりになっている幻の企画だ。
狂気と下ネタで構成される「8割」の成分を完全に封印し、残りの「2割」――すなわち、俺の持つ歴史的探究心や、知的な好奇心、真面目なトーンでの歴史跡散策や考察のみに特化した、極めて硬派な番組である。
「なるほど。『いってやる。』の復活ですか」
凛は顎に手を当て、即座に脳内でシミュレーションを始めたようだ。
「春に実施した際は、実際に現地へ赴くロケ形式だったため、組長のスケジュールと物理的な移動コストがネックとなっていました。ですが……サテライト形式、つまりこのスタジオ内から配信するということですか?」
「その通りだ。何もわざわざクソ暑い中、足を使って現地に行く必要はねえ。今は現代だぜ?」
俺はニヤリと笑い、デスクの上のメインモニターを指差した。
「Google MAPのストリートビューやGoogle Earthを使えば、世界中の歴史跡の現在を、舐め回すようにこの目で見ることができる。そこにWikipediaやネット上の歴史的文献、古地図のデータを組み合わせれば、スタジオの椅子に座ったままでも、十分に濃密な歴史語りとバーチャル散策が可能だ。違うか?」
凛の瞳の奥で、計算の光が鋭く瞬いた。
「……素晴らしい着眼点です、組長。移動コストはゼロ、必要なのはネット環境と組長の話術のみ。それでいて、知的な『2割』の層にアプローチできる。十分、強力なコンテンツになり得ますね。すぐにでも企画書に落とし込みましょう」
「だろう? アクション・ファーストだ。こっちもすぐに試してみるか」
俺は勢いよく立ち上がりかけたが――ふと、ある懸念が頭をよぎり、再びドカッと椅子に座り直した。
「……いや、待てよ」
「どうされましたか?」
「俺一人で調べて、俺一人で語る。それだと、どうしても取り上げる歴史や場所に『俺個人の偏り』が出ちまう。俺の興味がある時代や、好きな武将の跡地ばかりになっちまうのは、エンタメとして広がりがない。客観的な視点から歴史を掘り起こし、俺にプレゼンしてくれるような……『専属の調査員(リサーチャー)』みたいな存在が欲しいところだな」
その言葉を聞いた瞬間、凛の表情がスッと引き締まった。
「組長。お言葉ですが……」
彼女は、冷静なトーンで告げた。
「つい最近も、スタジオの稼働規模拡大に伴ってスタッフを増やしたばかりです。これ以上の新規採用などと言い出せば、ウチの鉄の金庫番である『涼華』が黙っていませんよ。ただでさえ、組長の突発的なアクション・ファーストによる謎の経費精算で、彼女の胃壁は限界を迎えているのですから」
「うっ……」
執行統括ディレクター・柊涼華。スタジオの財務と予算を完璧に握る彼女の、あの冷たく軽蔑するような眼差しを想像し、俺は思わず冷や汗をかいた。確かに、今のタイミングで「新しいスタッフを雇いたい」などと言えば、涼華に首を物理的に絞められかねない。
「あぁ、分かってるよ。流石に今の時期に新規採用となれば、涼華のヤツも烈火の如く怒るだろう。だがな、俺は『雇う』とは言ってねえ」
「と、おっしゃいますと?」
「『スタッフ』として内部に取り込むから人件費という固定費になる。そうじゃなくて、外部のプロフェッショナルな『専属調査員』として『業務提携』するんだ。企画ごとの外注費として処理すれば、涼華の目も多少は誤魔化せる……いや、納得させられるはずだ」
俺の苦肉の策とも言える屁理屈を聞いて、凛は小さくため息をついた。
「……組長のその悪知恵の働く速度には、感服いたします。ですが、業務提携とはいえ、MAD-KICHIの狂気と『2割の真面目さ』を両立して理解できる、そんな都合の良い人財がすぐに見つかるとは思えませんが」
「そこなんだよな。どっかに歴史に強くて、フットワークの軽いヤツはいねえかな……」
俺が天井を仰いでぼやいていると、凛が何かを思い出したように、静かに口を開いた。
「……組長。もし、本当にそのような『調査』に特化した外部の人間をお探しでしたら……ちょうど一人、心当たりがあります」
「なに? 本当か?」
「はい。実は私の『従姉妹』に、そうした情報収集や調査を生業にしている者がいるのです」
従姉妹。その単語を聞いて、俺の記憶の引き出しが開いた。
かつて凛は、思春期を迎えるまで極めて引っ込み思案で、自分の殻に閉じこもりがちな少女だった。そんな彼女を外の世界へと連れ出し、現在のような凛とした強さを持つきっかけを作ってくれたのが、底抜けに明るい性格の「従姉(年上の従妹)」だったはずだ。
「従姉妹って言えば……前にお前を変えてくれたっていう、あの陽キャの親族のことか?」
「あぁ、いえ。そちらは『姉』の方です。私が今回ご紹介するのは、その『妹』の方になります」
凛はそう言って、タブレットの画面をスッとスワイプし、一枚のデータを俺のモニターに転送した。
「彼女の専門は、現代における素行調査、歴史的背景の解明、そしてあらゆる情報の収集と整理です。組長の求める『偏りのないリサーチ』を行うには、これ以上ない適任かと」
「へぇ……面白えじゃねえか。善は急げだ。早速、その従妹さんに会わせてくれ」
* * *
そして、数日後。
俺の目の前にある組長室のソファには、一人の若い女性が静かに腰を下ろしていた。
「初めまして。尾鷲渚(おわせ なぎさ)と申します」
一切の抑揚のない、静かで透明な声。
彼女は深く頭を下げ、そしてゆっくりと顔を上げた。
凛の血筋であることを強く納得させる、息を呑むほどの美貌。
背中まで伸びた艶やかな長い黒髪が、彼女の動くたびにサラリと流れる。
だが、凛が「冷徹な知性」を感じさせる美しさだとすれば、この尾鷲渚という女性から感じるのは「底知れぬ静寂」だ。
その切れ長の瞳には、喜怒哀楽といった感情の揺れが一切見えない。まるで凪いだ夜の海のように、ただ静かに、俺という人間を観察し、分析しているかのような、芯の強さと冷やかさを漂わせていた。
「おう。俺がこのStudio MAD-KICHIの代表、マジキチ組長だ。まあ、堅苦しい挨拶は抜きにしようや」
俺がニヤリと笑いかけると、渚は瞬き一つせず、静かに頷いた。
「渚さん。急な呼び出しに応じてくれて感謝します。組長、彼女の出身は三重県になります。そして、その『尾鷲』という名が示す通り……」
凛が横から補足を入れる。
「私の家系は、古くから伊賀の地に伝わる隠密、および情報伝達の技術を継承しております。現代風に言えば、しがないリサーチャー兼探偵のようなものですが」
渚の淡々とした言葉に、俺は思わず膝を打った。
「なるほどねぇ! 三重の出身で、情報収集のプロフェッショナル。まさに現代に生きる『忍者』の末裔ってわけだ。こいつは俄然面白くなってきたぜ」
歴史を紐解く番組の専属調査員が、本物の忍者の末裔。
エンタメの神様が、またしても俺に極上のカードを配ってくれたらしい。
「組長。どうされますか? 彼女の経歴と能力は、私が保証いたしますが」
凛が進行を促す。
俺はソファから立ち上がり、渚を見下ろして不敵な笑みを浮かべた。
「能力が本物かどうかは、俺自身の目で確かめさせてもらう。よし、とりあえずアンタの話や意気込みを聞く『面談』を、今から始めるとしようか。……アンタがこのスタジオの歴史に名を刻むかどうかは、これからのアンタのアクション次第だぜ」
渚は表情を全く変えぬまま、ただ一言、「承知いたしました」と静かに答えた。
影から現れた、現代のくノ一。
『いってやる。サテライト』の新たな歯車が、今、静かに回り始めようとしていた。
* * *
さて。
Minapikoの1stアルバム『フルーツバスケット』の怒涛の制作が終わったと思ったら、次はこれだ。
実を言うとな、この『いってやる。サテライト』の企画と、尾鷲渚という新キャラクターの登場。これらは、先週のあの狂気に満ちたアルバム制作と、完全に「同時進行」で俺の頭の中で動いていた内容でもあるんだ。
事の発端は、作中でも描いた通りだ。
『たってやる。サテライト』の収録をしている時、俺自身の何気ない会話の中で、ふと閃いたんだよ。
「狂気と下ネタの『たってやる。』が、これだけサテライト形式で自由に、しかもリスナーの妄想を巻き込んで面白く実現できている。だったら、あの真面目な歴史散策番組である『いってやる。』も、同じ形式でやれるんじゃないか?」ってな。
実際に外を歩き回らなくても、今はとんでもなく便利な時代だ。
Google MAPのストリートビューで現地の空気を疑似体験し、Google Earthで地形の起伏を俯瞰し、Wikipediaやデジタルアーカイブ化された歴史的文献を引用する。
それらを駆使すれば、スタジオに居ながらにして、むしろ現地に行くよりも深く、多角的に歴史を紐解くことができると確信した。
ただ、な。
そうなってくると、一つの壁にぶち当たる。俺一人の頭の中だけで企画を回すと、どうしても「俺の好きな時代」「俺の好きな武将」ばかりに偏っちまうんだ。
エンタメとして、それは広がりがない。
そう考えた俺は、アクション・ファーストの精神に則り、まずは器(ハコ)を作ることから始めた。
『たってやる。サテライト』の時と同じように、即席で『いってやる。サテライト』専用のLP(ランディングページ)を臨時で立ち上げ、リスナーからの情報提供や要望を受け付けるフォームを設置したんだ。
(もしかすると、熱心な読者の中には、あのLPの存在に既に気づいているヤツもいるかもしれないな)。
もちろん、下ネタ一切なしのゴリゴリの歴史番組だ。リスナーからのメッセージなんて皆無に等しいかもしれない。誰も聴いてくれないかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。それは些細な問題に過ぎないんだ。
一番大事なのは、「俺自身が心の底から楽しみながら、その知的な欲求を満たせるかどうか」だ。俺が楽しんでいれば、その熱量は必ず誰かに伝播する。MAD-KICHIの根底にあるのは、常にその自己満足のエネルギーだからな。
そして、話を本編のプロットに戻す。
俺一人の知識の偏りをなくし、この『いってやる。サテライト』に新しい風を吹き込むためには、どうしても新たな「広告塔」のような存在――俺とは全く違う視点から歴史を斬ってくれる専門家が必要だと考えた。
その試行錯誤の末に生み出されたのが、今回の『尾鷲渚(おわせ なぎさ)』という存在だ。
凛の従妹であり、伊賀忍者の末裔。そして、感情を見せない現代の調査員。
この新たなキャラクターが、これからスタジオにどんな化学反応を起こし、どのような展開を見せていくのか。
それは全て、創作者である俺自身の気分と、アクション次第ってことだ。
狂気のアルバムの裏で、静かに産声を上げていた知的な企み。
俺の好奇心が尽きない限り、このスタジオの拡張は終わらないぜ。
深夜のStudio MAD-KICHI。
防音壁に囲まれたメインフロアに、渉外統括ディレクター・八咫凛の涼やかな声が響いた。
マイクの電源が落とされ、機材のインジケーターが静かに明滅を繰り返す。俺はヘッドホンを外し、深くリクライニングチェアに背中を沈めながら、大きく息を吐き出した。
『たってやる。サテライト』の収録終わり。
相変わらず、8割の狂気とエグい下ネタ、そして限界ギリギリのパロディを全力でマイクに叩きつけるこの時間は、尋常ではないエネルギーを消費する。だが、その疲労感すらも俺にとっては極上のスパイスだ。
「おう、お疲れ。今日もなかなか際どいラインを攻めちまったが……まあ、ウチのリスナーなら余裕で咀嚼してくれるだろ」
「ええ。コンプライアンスの境界線での反復横跳びは、すでに当スタジオの伝統芸能ですから。音声データの編集とノイズ除去は理華さんに回しておきます」
凛は手元のタブレットを淀みなく操作しながら、淡々と事後処理を進めていく。
思春期の頃は自身の内向的な性格や対人関係に悩み、殻に閉じこもりがちだった彼女だが、今やこのスタジオにおいて、俺の放つ予測不能な狂気を最も冷徹に、かつ完璧にマネジメントする不可欠な右腕だ。その研ぎ澄まされた情報処理能力には、いつも舌を巻く。
俺はサイドテーブルのコーヒーを一口啜り、ふと、頭の中に浮かんだ思いつきを口にした。
「なぁ、凛。さっきの収録中、何気なく話しててふと思ったんだがよ」
「はい。何でしょう?」
「『たってやる。』がサテライトでこれだけ自由にやれてるんだ。だったら……『いってやる。』の方も、サテライト化したら面白いんじゃないか?」
凛のタブレットを打つ指が、ピタリと止まった。
『いってやる。』。
それは、MAD-KICHIが誇るメインコンテンツ『たってやる。』の姉妹番組として、今年の春に1~2回だけ放送したきりになっている幻の企画だ。
狂気と下ネタで構成される「8割」の成分を完全に封印し、残りの「2割」――すなわち、俺の持つ歴史的探究心や、知的な好奇心、真面目なトーンでの歴史跡散策や考察のみに特化した、極めて硬派な番組である。
「なるほど。『いってやる。』の復活ですか」
凛は顎に手を当て、即座に脳内でシミュレーションを始めたようだ。
「春に実施した際は、実際に現地へ赴くロケ形式だったため、組長のスケジュールと物理的な移動コストがネックとなっていました。ですが……サテライト形式、つまりこのスタジオ内から配信するということですか?」
「その通りだ。何もわざわざクソ暑い中、足を使って現地に行く必要はねえ。今は現代だぜ?」
俺はニヤリと笑い、デスクの上のメインモニターを指差した。
「Google MAPのストリートビューやGoogle Earthを使えば、世界中の歴史跡の現在を、舐め回すようにこの目で見ることができる。そこにWikipediaやネット上の歴史的文献、古地図のデータを組み合わせれば、スタジオの椅子に座ったままでも、十分に濃密な歴史語りとバーチャル散策が可能だ。違うか?」
凛の瞳の奥で、計算の光が鋭く瞬いた。
「……素晴らしい着眼点です、組長。移動コストはゼロ、必要なのはネット環境と組長の話術のみ。それでいて、知的な『2割』の層にアプローチできる。十分、強力なコンテンツになり得ますね。すぐにでも企画書に落とし込みましょう」
「だろう? アクション・ファーストだ。こっちもすぐに試してみるか」
俺は勢いよく立ち上がりかけたが――ふと、ある懸念が頭をよぎり、再びドカッと椅子に座り直した。
「……いや、待てよ」
「どうされましたか?」
「俺一人で調べて、俺一人で語る。それだと、どうしても取り上げる歴史や場所に『俺個人の偏り』が出ちまう。俺の興味がある時代や、好きな武将の跡地ばかりになっちまうのは、エンタメとして広がりがない。客観的な視点から歴史を掘り起こし、俺にプレゼンしてくれるような……『専属の調査員(リサーチャー)』みたいな存在が欲しいところだな」
その言葉を聞いた瞬間、凛の表情がスッと引き締まった。
「組長。お言葉ですが……」
彼女は、冷静なトーンで告げた。
「つい最近も、スタジオの稼働規模拡大に伴ってスタッフを増やしたばかりです。これ以上の新規採用などと言い出せば、ウチの鉄の金庫番である『涼華』が黙っていませんよ。ただでさえ、組長の突発的なアクション・ファーストによる謎の経費精算で、彼女の胃壁は限界を迎えているのですから」
「うっ……」
執行統括ディレクター・柊涼華。スタジオの財務と予算を完璧に握る彼女の、あの冷たく軽蔑するような眼差しを想像し、俺は思わず冷や汗をかいた。確かに、今のタイミングで「新しいスタッフを雇いたい」などと言えば、涼華に首を物理的に絞められかねない。
「あぁ、分かってるよ。流石に今の時期に新規採用となれば、涼華のヤツも烈火の如く怒るだろう。だがな、俺は『雇う』とは言ってねえ」
「と、おっしゃいますと?」
「『スタッフ』として内部に取り込むから人件費という固定費になる。そうじゃなくて、外部のプロフェッショナルな『専属調査員』として『業務提携』するんだ。企画ごとの外注費として処理すれば、涼華の目も多少は誤魔化せる……いや、納得させられるはずだ」
俺の苦肉の策とも言える屁理屈を聞いて、凛は小さくため息をついた。
「……組長のその悪知恵の働く速度には、感服いたします。ですが、業務提携とはいえ、MAD-KICHIの狂気と『2割の真面目さ』を両立して理解できる、そんな都合の良い人財がすぐに見つかるとは思えませんが」
「そこなんだよな。どっかに歴史に強くて、フットワークの軽いヤツはいねえかな……」
俺が天井を仰いでぼやいていると、凛が何かを思い出したように、静かに口を開いた。
「……組長。もし、本当にそのような『調査』に特化した外部の人間をお探しでしたら……ちょうど一人、心当たりがあります」
「なに? 本当か?」
「はい。実は私の『従姉妹』に、そうした情報収集や調査を生業にしている者がいるのです」
従姉妹。その単語を聞いて、俺の記憶の引き出しが開いた。
かつて凛は、思春期を迎えるまで極めて引っ込み思案で、自分の殻に閉じこもりがちな少女だった。そんな彼女を外の世界へと連れ出し、現在のような凛とした強さを持つきっかけを作ってくれたのが、底抜けに明るい性格の「従姉(年上の従妹)」だったはずだ。
「従姉妹って言えば……前にお前を変えてくれたっていう、あの陽キャの親族のことか?」
「あぁ、いえ。そちらは『姉』の方です。私が今回ご紹介するのは、その『妹』の方になります」
凛はそう言って、タブレットの画面をスッとスワイプし、一枚のデータを俺のモニターに転送した。
「彼女の専門は、現代における素行調査、歴史的背景の解明、そしてあらゆる情報の収集と整理です。組長の求める『偏りのないリサーチ』を行うには、これ以上ない適任かと」
「へぇ……面白えじゃねえか。善は急げだ。早速、その従妹さんに会わせてくれ」
* * *
そして、数日後。
俺の目の前にある組長室のソファには、一人の若い女性が静かに腰を下ろしていた。
「初めまして。尾鷲渚(おわせ なぎさ)と申します」
一切の抑揚のない、静かで透明な声。
彼女は深く頭を下げ、そしてゆっくりと顔を上げた。
凛の血筋であることを強く納得させる、息を呑むほどの美貌。
背中まで伸びた艶やかな長い黒髪が、彼女の動くたびにサラリと流れる。
だが、凛が「冷徹な知性」を感じさせる美しさだとすれば、この尾鷲渚という女性から感じるのは「底知れぬ静寂」だ。
その切れ長の瞳には、喜怒哀楽といった感情の揺れが一切見えない。まるで凪いだ夜の海のように、ただ静かに、俺という人間を観察し、分析しているかのような、芯の強さと冷やかさを漂わせていた。
「おう。俺がこのStudio MAD-KICHIの代表、マジキチ組長だ。まあ、堅苦しい挨拶は抜きにしようや」
俺がニヤリと笑いかけると、渚は瞬き一つせず、静かに頷いた。
「渚さん。急な呼び出しに応じてくれて感謝します。組長、彼女の出身は三重県になります。そして、その『尾鷲』という名が示す通り……」
凛が横から補足を入れる。
「私の家系は、古くから伊賀の地に伝わる隠密、および情報伝達の技術を継承しております。現代風に言えば、しがないリサーチャー兼探偵のようなものですが」
渚の淡々とした言葉に、俺は思わず膝を打った。
「なるほどねぇ! 三重の出身で、情報収集のプロフェッショナル。まさに現代に生きる『忍者』の末裔ってわけだ。こいつは俄然面白くなってきたぜ」
歴史を紐解く番組の専属調査員が、本物の忍者の末裔。
エンタメの神様が、またしても俺に極上のカードを配ってくれたらしい。
「組長。どうされますか? 彼女の経歴と能力は、私が保証いたしますが」
凛が進行を促す。
俺はソファから立ち上がり、渚を見下ろして不敵な笑みを浮かべた。
「能力が本物かどうかは、俺自身の目で確かめさせてもらう。よし、とりあえずアンタの話や意気込みを聞く『面談』を、今から始めるとしようか。……アンタがこのスタジオの歴史に名を刻むかどうかは、これからのアンタのアクション次第だぜ」
渚は表情を全く変えぬまま、ただ一言、「承知いたしました」と静かに答えた。
影から現れた、現代のくノ一。
『いってやる。サテライト』の新たな歯車が、今、静かに回り始めようとしていた。
* * *
さて。
Minapikoの1stアルバム『フルーツバスケット』の怒涛の制作が終わったと思ったら、次はこれだ。
実を言うとな、この『いってやる。サテライト』の企画と、尾鷲渚という新キャラクターの登場。これらは、先週のあの狂気に満ちたアルバム制作と、完全に「同時進行」で俺の頭の中で動いていた内容でもあるんだ。
事の発端は、作中でも描いた通りだ。
『たってやる。サテライト』の収録をしている時、俺自身の何気ない会話の中で、ふと閃いたんだよ。
「狂気と下ネタの『たってやる。』が、これだけサテライト形式で自由に、しかもリスナーの妄想を巻き込んで面白く実現できている。だったら、あの真面目な歴史散策番組である『いってやる。』も、同じ形式でやれるんじゃないか?」ってな。
実際に外を歩き回らなくても、今はとんでもなく便利な時代だ。
Google MAPのストリートビューで現地の空気を疑似体験し、Google Earthで地形の起伏を俯瞰し、Wikipediaやデジタルアーカイブ化された歴史的文献を引用する。
それらを駆使すれば、スタジオに居ながらにして、むしろ現地に行くよりも深く、多角的に歴史を紐解くことができると確信した。
ただ、な。
そうなってくると、一つの壁にぶち当たる。俺一人の頭の中だけで企画を回すと、どうしても「俺の好きな時代」「俺の好きな武将」ばかりに偏っちまうんだ。
エンタメとして、それは広がりがない。
そう考えた俺は、アクション・ファーストの精神に則り、まずは器(ハコ)を作ることから始めた。
『たってやる。サテライト』の時と同じように、即席で『いってやる。サテライト』専用のLP(ランディングページ)を臨時で立ち上げ、リスナーからの情報提供や要望を受け付けるフォームを設置したんだ。
(もしかすると、熱心な読者の中には、あのLPの存在に既に気づいているヤツもいるかもしれないな)。
もちろん、下ネタ一切なしのゴリゴリの歴史番組だ。リスナーからのメッセージなんて皆無に等しいかもしれない。誰も聴いてくれないかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。それは些細な問題に過ぎないんだ。
一番大事なのは、「俺自身が心の底から楽しみながら、その知的な欲求を満たせるかどうか」だ。俺が楽しんでいれば、その熱量は必ず誰かに伝播する。MAD-KICHIの根底にあるのは、常にその自己満足のエネルギーだからな。
そして、話を本編のプロットに戻す。
俺一人の知識の偏りをなくし、この『いってやる。サテライト』に新しい風を吹き込むためには、どうしても新たな「広告塔」のような存在――俺とは全く違う視点から歴史を斬ってくれる専門家が必要だと考えた。
その試行錯誤の末に生み出されたのが、今回の『尾鷲渚(おわせ なぎさ)』という存在だ。
凛の従妹であり、伊賀忍者の末裔。そして、感情を見せない現代の調査員。
この新たなキャラクターが、これからスタジオにどんな化学反応を起こし、どのような展開を見せていくのか。
それは全て、創作者である俺自身の気分と、アクション次第ってことだ。
狂気のアルバムの裏で、静かに産声を上げていた知的な企み。
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