9 / 132
第2章:深淵編(夜の街と消えた境界線)
第8話:深淵からの招待状
しおりを挟む
「今、商店街の入り口にいるんすか? マジで?」
俺はスマホを片手に、八キロの行軍を一時停止した。画面の向こう、配信『たってやる。』のコメント欄が、かつてない速度で流れていく。
『組長、奇跡だ!』『今夜、伝説が生まれるぞ!』
常連リスナーの一人、ハンドルネーム「おじぃ」が、たまたま仕事で俺の配信ルートの近くに来ているという。これまで電子の波を通じてしか繋がっていなかった魂が、物理的な距離をゼロにしようとしていた。
「面白え。今すぐ行く。逃げるなよ」
俺は「キチガイミックス」の錠剤を三錠、噛み砕いた。ニンニクとマカの刺激が、夜の冷気に冷まされた身体を再点火する。
目的の商店街。シャッターの閉まった店が並ぶ、寂れたアーケードの下。俺は「おじぃ」の顔を知らない。だが、そんなことは些細な問題だ。
俺の性格上、人見知りなんて言葉は辞書にない。怪しいサングラスをかけた男、一人で虚空を見つめる老人、足早に過ぎ去るサラリーマン。俺は手当たり次第に、笑顔で声をかけまくった。
「よお、アンタか?おじぃか?」「人違いです」「あんた、俺のリスナーか?」「警察呼びますよ」
そんなやり取りを十回ほど繰り返しただろうか。普通なら心が折れるか、不審者として通報される場面だ。だが、俺はダル絡みをエネルギーに変える男だ。断られれば断られるほど、声に艶が出てくる。
そしてついに、自販機の影でスマホを見つめながら、ニヤニヤと笑っている中年男を見つけた。
「……アンタだな、おじぃ」
「く、組長!? マジで声かけまくってるからすぐ分かりましたよ!」
俺たちは、閉まった酒屋の前に置かれていた、錆びついたドラム缶をテーブルにして向かい合った。
「乾杯だ。ようこそ、現実の深淵へ」
俺はコンビニで買ってきた缶チューハイを開けた。アルコール度数三パーセント。かつての俺を知る奴が見れば、腰を抜かして笑うだろう。若い頃は、アホほどハイボールを浴び、ジョッキを空にする速度で人生を駆け抜けてきた。だが、四十を過ぎてからというもの、めっきり酒に弱くなった。今では、この低アルコールの泡が、俺の脳を程よくバグらせる最適な燃料だ。
俺は基本的に、家では一滴も飲まない。無機質な部屋で一人飲む酒ほど、虚しいものはないからだ。酒は、外で飲むものだ。そして、エグい下ネタと、この腐りきった社会への毒を吐き散らしながら、誰かと共鳴するためにある。
「組長、さっきの『たってやる。』の配信、震えましたよ。あのセクハラ・ラリーの持論、あれこそが今の日本に足りないものだ!」
「分かってるじゃねえか、おじぃ。今の奴らは、摩擦を恐れすぎてツルツルの脳みそになっちまってるんだ。いいか、人間ってのはな、泥酔して、全裸になって、月に向かって吠えるくらいの狂気を持ってて、ようやく一人前なんだよ」
ドラム缶の上で、缶がぶつかる音が響く。アルコールが回り始めると、俺の脳内タイムスリップが始まった。
「全裸、ですか……」
「ああ、そうだ。昔の話だ。泥酔して、服を脱ぎ捨てて、都会のど真ん中を堂々と歩いたことがある。あの時の解放感、お前には分かるか? 社会という名の拘束衣をすべて脱ぎ捨てて、ただの『肉の塊』として夜の街と一体になる。警察のサイレンさえも、俺を祝福するファンファーレに聞こえたもんさ」
おじぃは、憧憬と恐怖が混じった目で俺を見つめている。今、目の前にいるのは「無難な会社員」ではない。かといって、画面の中の「配信者」でもない。ドラム缶を囲み、エグい下ネタで盛り上がり、理不尽な世界を笑い飛ばす、ただの「マジキチ組長」だ。
ここには、会社員としての常識なんて一ミリも通用しない。役職も、年齢も、コンプライアンスも、ドラム缶の錆と一緒に夜の闇に溶けて消えた。
「組長……俺、今日ここで死んでもいいっす」
「バカ言え。死ぬなら、もっと面白いことをやり遂げてからにしろ。いいか、俺たちの戦いはこれからだ」
缶チューハイの最後の一口を飲み干し、俺は再び立ち上がった。残りの距離を歩かなければならない。配信はまだ続いている。
「おじぃ、楽しかったぞ。アンタも今日から、Studio MAD-KICHIの隠れ構成員だ。明日から職場で、一番嫌いな上司にダル絡みしてこい。それができなきゃ、タイムシフトは聴かせねえぞ」
「……はい! やってやりますよ!」
俺は千鳥足にもならない確かな足取りで、商店街を抜けた。夜の街のさらに奥底。そこには、金でも名誉でも買えない「狂気の連帯」が確実に存在していた。
家路につく道すがら、俺はスマホに語りかけた。
「……お前ら、聞いたか?これがおじぃとのリアルだ。これが、境界線が消えた瞬間の音だ」
やりたい放題。
酒に弱くなっても、俺の魂の純度は上がる一方だ。
次回のタイムシフトは、間違いなく過去最高の「劇薬」になる。俺は夜の闇に向かって、全裸にはならないまでも、剥き出しの心で高らかに笑い声を上げた。
俺はスマホを片手に、八キロの行軍を一時停止した。画面の向こう、配信『たってやる。』のコメント欄が、かつてない速度で流れていく。
『組長、奇跡だ!』『今夜、伝説が生まれるぞ!』
常連リスナーの一人、ハンドルネーム「おじぃ」が、たまたま仕事で俺の配信ルートの近くに来ているという。これまで電子の波を通じてしか繋がっていなかった魂が、物理的な距離をゼロにしようとしていた。
「面白え。今すぐ行く。逃げるなよ」
俺は「キチガイミックス」の錠剤を三錠、噛み砕いた。ニンニクとマカの刺激が、夜の冷気に冷まされた身体を再点火する。
目的の商店街。シャッターの閉まった店が並ぶ、寂れたアーケードの下。俺は「おじぃ」の顔を知らない。だが、そんなことは些細な問題だ。
俺の性格上、人見知りなんて言葉は辞書にない。怪しいサングラスをかけた男、一人で虚空を見つめる老人、足早に過ぎ去るサラリーマン。俺は手当たり次第に、笑顔で声をかけまくった。
「よお、アンタか?おじぃか?」「人違いです」「あんた、俺のリスナーか?」「警察呼びますよ」
そんなやり取りを十回ほど繰り返しただろうか。普通なら心が折れるか、不審者として通報される場面だ。だが、俺はダル絡みをエネルギーに変える男だ。断られれば断られるほど、声に艶が出てくる。
そしてついに、自販機の影でスマホを見つめながら、ニヤニヤと笑っている中年男を見つけた。
「……アンタだな、おじぃ」
「く、組長!? マジで声かけまくってるからすぐ分かりましたよ!」
俺たちは、閉まった酒屋の前に置かれていた、錆びついたドラム缶をテーブルにして向かい合った。
「乾杯だ。ようこそ、現実の深淵へ」
俺はコンビニで買ってきた缶チューハイを開けた。アルコール度数三パーセント。かつての俺を知る奴が見れば、腰を抜かして笑うだろう。若い頃は、アホほどハイボールを浴び、ジョッキを空にする速度で人生を駆け抜けてきた。だが、四十を過ぎてからというもの、めっきり酒に弱くなった。今では、この低アルコールの泡が、俺の脳を程よくバグらせる最適な燃料だ。
俺は基本的に、家では一滴も飲まない。無機質な部屋で一人飲む酒ほど、虚しいものはないからだ。酒は、外で飲むものだ。そして、エグい下ネタと、この腐りきった社会への毒を吐き散らしながら、誰かと共鳴するためにある。
「組長、さっきの『たってやる。』の配信、震えましたよ。あのセクハラ・ラリーの持論、あれこそが今の日本に足りないものだ!」
「分かってるじゃねえか、おじぃ。今の奴らは、摩擦を恐れすぎてツルツルの脳みそになっちまってるんだ。いいか、人間ってのはな、泥酔して、全裸になって、月に向かって吠えるくらいの狂気を持ってて、ようやく一人前なんだよ」
ドラム缶の上で、缶がぶつかる音が響く。アルコールが回り始めると、俺の脳内タイムスリップが始まった。
「全裸、ですか……」
「ああ、そうだ。昔の話だ。泥酔して、服を脱ぎ捨てて、都会のど真ん中を堂々と歩いたことがある。あの時の解放感、お前には分かるか? 社会という名の拘束衣をすべて脱ぎ捨てて、ただの『肉の塊』として夜の街と一体になる。警察のサイレンさえも、俺を祝福するファンファーレに聞こえたもんさ」
おじぃは、憧憬と恐怖が混じった目で俺を見つめている。今、目の前にいるのは「無難な会社員」ではない。かといって、画面の中の「配信者」でもない。ドラム缶を囲み、エグい下ネタで盛り上がり、理不尽な世界を笑い飛ばす、ただの「マジキチ組長」だ。
ここには、会社員としての常識なんて一ミリも通用しない。役職も、年齢も、コンプライアンスも、ドラム缶の錆と一緒に夜の闇に溶けて消えた。
「組長……俺、今日ここで死んでもいいっす」
「バカ言え。死ぬなら、もっと面白いことをやり遂げてからにしろ。いいか、俺たちの戦いはこれからだ」
缶チューハイの最後の一口を飲み干し、俺は再び立ち上がった。残りの距離を歩かなければならない。配信はまだ続いている。
「おじぃ、楽しかったぞ。アンタも今日から、Studio MAD-KICHIの隠れ構成員だ。明日から職場で、一番嫌いな上司にダル絡みしてこい。それができなきゃ、タイムシフトは聴かせねえぞ」
「……はい! やってやりますよ!」
俺は千鳥足にもならない確かな足取りで、商店街を抜けた。夜の街のさらに奥底。そこには、金でも名誉でも買えない「狂気の連帯」が確実に存在していた。
家路につく道すがら、俺はスマホに語りかけた。
「……お前ら、聞いたか?これがおじぃとのリアルだ。これが、境界線が消えた瞬間の音だ」
やりたい放題。
酒に弱くなっても、俺の魂の純度は上がる一方だ。
次回のタイムシフトは、間違いなく過去最高の「劇薬」になる。俺は夜の闇に向かって、全裸にはならないまでも、剥き出しの心で高らかに笑い声を上げた。
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
