マイベストフレンド

ちょこ

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 オフィスで爆発してしまいそうなとき、ガマンならないとき、そのほか諸々が危なそうなとき、ワタシは席を立つことにしている。

 トイレへ急ぎ、個室に入り、大きく深呼吸をする。腕をあげ、伸ばせるところめいっぱいまで伸びをしてから、ゆっくり腕をさげ、洗濯ピンチに吊るされた自分の身体がイメージできるくらいにまで脱力する。

 姿勢を戻したら今度は、ぐるぐると背泳ぎの要領で腕をまわし、右回り左回りとぐりぐり首をまわし、わさわさと手首足首をふる。こうすると、ある程度の不快感は緩和される。それでもダメなときは、冷たい水で何回も、長々と手を洗って物理的に身体を冷やす。危険回避術として、ワタシはこんな行動をしている。



「ひどかったね、さっきの」

 蛇口から自動で流れ出たり止まったりする水と、汚れてもいない自分の手とを見るでもなく眺めているところへ声をかけられた。顔をあげるとそこには社外研修で話したカノジョがいた。

「見てたの?」

 水に手を濡らしたまま問い返す。

「うん。部長っていつもああだよね」

「あれで体裁を保てるとか、思ってるのかな?」

「たとえバレバレのウソを口にしていたとしてもね」

「おかしいよね」

「おかしい」

 帰り道、最近話題になっている海岸に立ち寄った。遠方の客先に部長を伴って出かけた同僚がそんな話をしていたことを覚えていた先輩社員は、書類に部長の承認印をもらうついでに、そのときのことを訊ねた。

「江川海岸、行かれたんですって?」

 あきらかに、ご機嫌取りの口調だった。

「いいですよね、あの海岸。海中電柱あるんでしょ? 僕も一度見てみたかったけど、最近撤去されちゃったっていうじゃないですか。残念だなぁ、ちょっと間に合わなかった」

 調子よくペラペラと話す先輩社員に、

「たしかに私はその海岸には行ったことがあるけれど、どうして君が知っているんだね?」

「えっ? いや、このあいだ林くんがそんなようなことを言っていたので」

「林? 林がなんと言ったか知らないが、なんであいつはそんなことを知っているんだ? おかしいな」

「あれ、ご一緒されたんではないのですか?」

「一緒? 私と林が?」

 部内の誰もが俯き、耳と心を閉じていたことだろう。二人が一緒に海中電柱を見たという話はそこにいるみんなに伝わっていた。それなのに、白々しく認めようとしない部長の言動に知らぬふりをするのは至難の業だ。林さんの不在も追い風になったのだろう。部長は一人で芝居を続けている。

 話をしたくない部長の気持ちを、先輩社員も早々に察して話を切り上げればいいのに、「おかしいなぁ」などと首を傾げて、ぐずぐずとしている。

 いたたまれない気持ちになってワタシは席を立った。そうしてトイレにやって来ての、この会話だった。

「なんかさ、部長と話をするの、イヤになっちゃうよね。仕事のことでも仕事じゃなくっても」

「わかる」

「なにか話をされても、それがすべて本当かどうか怪しんで聞かなくちゃいけないみたいな気がするっていうか……」

「そうだね」

「知られたくない行動なら、先に口止めしておくとか、そもそもそんな行動をしないようにするとか、どうしてできないのかな」

「最初からそれができる人なら演技なんてしないでしょ」

「だよね。ニコニコしててさ、一見、人当たりが良さそうに見せかけて、その実、腹になにかある。部長っていつもそんな感じだよね。知ってた? じーっと見つめ返すとフッと視線を反らすんだよ、部長って。ああ、モヤモヤする」

「知ってる。たしかにそういうときあるよね」

「でしょ! ……ああ、ごめんね。グチ聴いてもらっちゃって」

 謝りながらワタシは蛇口から手を離した。両手はもうすでに冷たくなっていたけれど、やっと冷やすことができたように思う。

「今日は部長、このまま席にいるだろうけれど、定時まであと一時間ちょっとの辛抱だよ。がんばって無視していて」

 励ますように笑って、カノジョは去っていった。

 いい人だな。ワタシはそう思った。そしてこのとき以来、ワタシの日々のモヤモヤは、カノジョが聴き、癒してくれるようになった。


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