2 / 5
**
しおりを挟むオフィスで爆発してしまいそうなとき、ガマンならないとき、そのほか諸々が危なそうなとき、ワタシは席を立つことにしている。
トイレへ急ぎ、個室に入り、大きく深呼吸をする。腕をあげ、伸ばせるところめいっぱいまで伸びをしてから、ゆっくり腕をさげ、洗濯ピンチに吊るされた自分の身体がイメージできるくらいにまで脱力する。
姿勢を戻したら今度は、ぐるぐると背泳ぎの要領で腕をまわし、右回り左回りとぐりぐり首をまわし、わさわさと手首足首をふる。こうすると、ある程度の不快感は緩和される。それでもダメなときは、冷たい水で何回も、長々と手を洗って物理的に身体を冷やす。危険回避術として、ワタシはこんな行動をしている。
「ひどかったね、さっきの」
蛇口から自動で流れ出たり止まったりする水と、汚れてもいない自分の手とを見るでもなく眺めているところへ声をかけられた。顔をあげるとそこには社外研修で話したカノジョがいた。
「見てたの?」
水に手を濡らしたまま問い返す。
「うん。部長っていつもああだよね」
「あれで体裁を保てるとか、思ってるのかな?」
「たとえバレバレのウソを口にしていたとしてもね」
「おかしいよね」
「おかしい」
帰り道、最近話題になっている海岸に立ち寄った。遠方の客先に部長を伴って出かけた同僚がそんな話をしていたことを覚えていた先輩社員は、書類に部長の承認印をもらうついでに、そのときのことを訊ねた。
「江川海岸、行かれたんですって?」
あきらかに、ご機嫌取りの口調だった。
「いいですよね、あの海岸。海中電柱あるんでしょ? 僕も一度見てみたかったけど、最近撤去されちゃったっていうじゃないですか。残念だなぁ、ちょっと間に合わなかった」
調子よくペラペラと話す先輩社員に、
「たしかに私はその海岸には行ったことがあるけれど、どうして君が知っているんだね?」
「えっ? いや、このあいだ林くんがそんなようなことを言っていたので」
「林? 林がなんと言ったか知らないが、なんであいつはそんなことを知っているんだ? おかしいな」
「あれ、ご一緒されたんではないのですか?」
「一緒? 私と林が?」
部内の誰もが俯き、耳と心を閉じていたことだろう。二人が一緒に海中電柱を見たという話はそこにいるみんなに伝わっていた。それなのに、白々しく認めようとしない部長の言動に知らぬふりをするのは至難の業だ。林さんの不在も追い風になったのだろう。部長は一人で芝居を続けている。
話をしたくない部長の気持ちを、先輩社員も早々に察して話を切り上げればいいのに、「おかしいなぁ」などと首を傾げて、ぐずぐずとしている。
いたたまれない気持ちになってワタシは席を立った。そうしてトイレにやって来ての、この会話だった。
「なんかさ、部長と話をするの、イヤになっちゃうよね。仕事のことでも仕事じゃなくっても」
「わかる」
「なにか話をされても、それがすべて本当かどうか怪しんで聞かなくちゃいけないみたいな気がするっていうか……」
「そうだね」
「知られたくない行動なら、先に口止めしておくとか、そもそもそんな行動をしないようにするとか、どうしてできないのかな」
「最初からそれができる人なら演技なんてしないでしょ」
「だよね。ニコニコしててさ、一見、人当たりが良さそうに見せかけて、その実、腹になにかある。部長っていつもそんな感じだよね。知ってた? じーっと見つめ返すとフッと視線を反らすんだよ、部長って。ああ、モヤモヤする」
「知ってる。たしかにそういうときあるよね」
「でしょ! ……ああ、ごめんね。グチ聴いてもらっちゃって」
謝りながらワタシは蛇口から手を離した。両手はもうすでに冷たくなっていたけれど、やっと冷やすことができたように思う。
「今日は部長、このまま席にいるだろうけれど、定時まであと一時間ちょっとの辛抱だよ。がんばって無視していて」
励ますように笑って、カノジョは去っていった。
いい人だな。ワタシはそう思った。そしてこのとき以来、ワタシの日々のモヤモヤは、カノジョが聴き、癒してくれるようになった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる