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帰りたくありません
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元婚約者への復讐を終えた私は、一旦イチさんたちの隠れ家に戻っていた。明日にはロエリアの街中にデニスさんの訃報が響くことを思うと、自分のしでかしたことの大きさにちょっとだけびっくりする。
「帰りたくありません、じゃねえよ。帰れよ」
夜が明け白みだした頃。優雅に椅子に座ってお湯を飲んでいたところ(この家にはコーヒーもココアもない)、モモくんが私に家に帰れと言い出したのである。
「もうしばらくここにいさせてよ、モモくん」
「駄目に決まってんだろ。あんた、ここがどこだかわかってんのか?」
「どこって、イチさんとモモくんのお家でしょ? シェアハウスみたいな」
「違う、殺し屋の隠れ家だ。何でそんな危険の代名詞みたいな場所にいたがるんだよ」
彼は呆れたような表情で言う。うん、どんな顔をしていても、元がいいと様になるとはこのことね。
「……」
「何見てんだよ」
「いや、モモくんの目ってほんとに大きいなと思って……それにまつ毛だってバッサバサじゃない。肌も私より全然白いし……女として負けた気分だわ」
「勝手に勝負を挑んで負けてんじゃねえ……顔だったら、イチの方がいいだろ」
「イチさんは美しい、モモくんは可愛いって感じかな。ベクトルが違うよね」
話題に上がったイチさんは、絶賛床でお眠り中だった。無防備な寝顔は可愛いとよく言うが、彼の場合、寝姿さえも美しいままである。
それはもう、逆にムカついてくるくらい。
「……あんただって、世間一般じゃ可愛いって部類じゃないのか?」
「もしかして、私のこと褒めてくれてる?」
「褒めてねえ。客観的事実だ」
「もしかして照れてる? モモくん可愛いー」
「ガキ扱いするなって言っただろうが!」
鬱陶しい絡み方をする私から逃げるように、彼は台所へ向かう。私たちのためにと用意してくれていた軽食の残りをひょいとつまんで、満足そうに指をペロッと舐めた。
「モモくんの料理、すごく美味しかったよ。ごちそうさま」
「さっきも聞いた……それに、料理ってもんでもない。残り物で適当に作っただけだしな」
「容姿以外も負けた気がするよ……」
生まれてこの方一度も調理場に立ったことがない私からしたら、パンを焼くことすら立派な料理なのだ。
「そもそも、イチ以外の奴に食わせることなんて滅多にないからな。美味かったならよかった」
「……そう言えば、二人はどうして殺し屋なんてやってるの?」
「どういう意味だ?」
「どういう意味って……イチさんもモモくんも、話してて全然悪い人じゃなさそうだし……わざわざ殺し屋をやらなくても、他にやれることが……」
「ねえよ」
食い気味に、彼は言った。
女の子のような可愛らしい声が、少しだけ大人びた気がする。
「俺たちに殺し屋以外の道はねえ……特に、俺とイチはな」
「……二人以外にも、仲間がいるんだっけ? 『カンパニー』って名前なんだよね」
「ああ。他にも何人か、どうしようもない奴らがな」
どうしようもない、とこぼしたモモくんの顔は。
何だか、笑っているように見えた。
「元々、みんな仲が良かったの? 仲良しグループみたいな」
「……殺し屋を何だと思ってんだ、あんた。まあ、良い線はいってるけどな」
「ってことは、昔からの知り合い?」
「十数年ってとこだ」
十数年?
それって、十六歳のモモくんからしたらほとんど一生だ。そんなに長い付き合いの人たち同士で、殺し屋をやってるってこと?
「じゃあイチさんとも、ずっと一緒にいるんだね」
「あいつは……特別だからな。俺が面倒見てやらねえといけないんだ」
「……ふふっ」
「何で急に笑うんだよ」
「あ、ごめんごめん。モモくん、イチさんのお母さんみたいだなって思って」
お互い対等なパートナー、というより、そっちの方がしっくりくる。
十七年間、他人と深く関わってこなかった私には、二人の関係がとても眩しく見えた。
「だれがあんな奴の母親だよ、やめてくれ。俺たちはただ、互いに補い合ってるだけだ……昔からな」
「……」
彼は床で眠るイチさんを眺めながら、優しい声色でそう言った。
きっと、私には到底わからない絆というやつが、この二人にはあるのだろう。
私は、彼らのことをもっと知りたいと思った……殺し屋に興味津々なんて、傍から見たらやばい女だけれど、それでも。
もう少しだけ、イチさんとモモくんと一緒にいたいと。
そう――思ってしまったのだ
「……ねえ、モモくん」
「なんだよ」
「イチさんやモモくんの苗字って、教えてくれるものなのかな?」
二人のことを知るには、やっぱり名前や出自に関して訊くのが一番だろう。殺し屋という特殊な性質上、教えてもらえないかもしれないけれど、訊くだけなら無料だ。
しかし。
そんな気楽な感じで発した質問に――モモくんは眉をひそめた。
「……俺とイチに、苗字はない」
「……え、そうなの?」
「正確に言えば、そもそも名前がない」
名前がない、と語る彼の表情を見て。
可愛いだなんて――口が裂けても言えなかった。
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