砂の花

高千穂ゆずる

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レナ

<2>

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「意味がわかんないんだけど」
 腰が抜けてへたり込んでしまっている男が震える声で言った。
「薬が欲しいんならやるからさ。見逃してくれよ」
 ジャケットのポケットから取り出した錠剤をシートごと放り出す。
「そんなものはいらない」
 やっと発した言葉には憎しみがこもっていた。
「子どもを放り出して男とヤるとか薬とか、生きる価値ないでしょ」
 ふ、と少年は笑った。柔らかな髪が首の動きに合わせて揺れる。
「お……おまえ、あの女の息子?」
 男の視線が、少し離れた場所で横たわっている女の死体に向けられる。少年は男から目も背けずに続けた。
「違うけど……? でも無関係ってわけでもないから殺しにきただけ」
「俺は関係ないだろ」
「そう思うの? 図々しいね」
「だって、俺はただ」
「ただセックスしたかっただけ? 薬飲んで楽しみたかっただけ?」
 少年の顔から表情が消えた。
「そんなくだらないことに子どもを巻き込むなよ」
 男の悲鳴は廃ビルの壁に吸い込まれていく。黒とも灰色とも言えない仄暗い空間の中にーー。

    ごそごそと寝返りを打つ恋人の身体に手を伸ばし、レナが眠そうな声を上げた。
「眠れなかった?」
「……そういうわけじゃないんだが……いや、そうかもしれないな。なんだか身体がだるい」
    レナに背中を向けていた恋人が、くるりと向きをこちらへ変えた。引き締まった胸筋は、パジャマの上からでもわかるほど厚く鍛えられていた。
    遮光カーテンのおかげで部屋の中は薄暗い。窓ーーテラス寄りに寝ているレナはベッドからサイドチェストへ手を伸ばし、ライトを点けた。
    柔らかいオレンジ色の明かりでも、目覚めたばかりの目には眩しかったらしい。
    両目を瞬いている年下の恋人、ルイスの頬をレナは愛しげに撫でた。
「ルイス、やっぱり寝不足なんだって。夕べも遅くまで仕事してたじゃん。あたしん家に泊まりに来てるときくらい、パソコンと顔を突き合わせるのやめなよ」
    ルイスの額にかかる前髪を指で弄びながら、
「今日は非番でしょ?    あたしも店を休むから1日まったりしようぜ」とふざける。
「そういうのはやめてくれっていつも言っているだろ。俺の休みに合わせる必要はないんだ。俺は、こうしてこの部屋で義姉さんの生活を肌で感じることができるだけで満足なんだよ」
    義姉さんと呼ぶ癖は、恋人という関係になっても一向に直らない。癖なのか、何かそこに意味が含まれているのかレナにはわからない。ただただまどろっこしいだけで。
「自営業の特権でしょ」
    少し拗ねたように見せながら、義弟の前髪を指に絡ませるとその手をルイスに掴まれた。じっと見つめてくる自分とは似つかない青い瞳を見返していると、ルイスが意地悪するように掴んだレナの掌に唇を押し当ててキスを始めた。
「ちょっと、くすぐったいっ」
    手を引いてみたが、ルイスはニヤニヤと笑って離さないどころか、さらに強い力でレナの手首を握り締めた。
「わかったから。店は休まないからこの手を離して。ついでに言うけど、アンタはもう少しこのまま寝ていて。朝食の準備ができたら起こすから……わかった?」
    自分を子供扱いしていることに不満はあったが、ルイスは大仰な仕草で手を広げるとレナを解放した。
「眠れなくても目を瞑ってるだけで休めるものよ。お義姉ちゃんの言うことがちゃんと聞けたイイ子にはご褒美が出るって知ってた?    何がいい?」
    レナは口元を緩ませながら、ルイスの唇を啄んだ。
「温かいココアが……飲み……たい」
    やはり疲れていたのだろう。だらしなく緩んだ笑顔のままルイスは眠りについた。
    レナはルイスが確実に眠ったことを確認するとベッドを降りた。
    寝室を出て、レナはバスルームへと向かう。柔らかな起毛素材のパジャマを着込んでいたルイスと違い、レナはシャツにボクサーパンツという薄着だ。
    十月も終わりに近づいた晩秋。部屋の中とはいえ寒い。だが、平熱が高いルイスと密着して寝ていたおかげでレナの身体はぽかぽかと温かいままだった。
    天然カイロ、と呟いてレナは笑う。
    廊下を挟んだ寝室の向かいにバスルームはある。その手前にランドリールームがあり、レナはそこで裸になると脱いだばかりのシャツや下着を洗濯機へ放り込んだ。
    レナの白い肌には殴り書きされたような傷跡がいくつもある。一番古い傷の記憶は、わめき散らす母親に頭を殴られ、視界が血で真っ赤になったもので、その傷は今も額の生え際に残っている。
    ドット柄のような円形のケロイド痕は火が点いたままのタバコを押しつけられたものだ。
    三十歳を越えた今では気にもならないこれらだが、思春期の頃は目にするのが嫌で、古傷を消す為に新しい傷をなぞって作ったりもした。
    いわゆる自傷行為だ。
    それを止めさせてくれたのがルイスだった。
「んー……気持ちいい」
    熱めのシャワーを浴びると、身体の芯が覚醒していくのがわかる。
    短めのシャワーを終えると、お気に入りのオーガニックコットンのタオルで全身を拭く。
    素っ裸のままで寝室まで戻り着替えを済ませ、今度はキッチンへ向かった。
    普段の朝食を野菜ジュースだけで済ませているレナだが、ルイスが来ているときは別だ。
    ヴァイツェンミッシュブロートをざくざくとスライスし、レーズンバターをたっぷり塗る。前日に買い置きしておいた野菜を使い、サラダも添える。
    レナの口から歌がこぼれ始めた。恋人の為に作る食事は調理の時間さえ楽しくて愛しいのだ。
    壁掛け時計に視線をやると、時間は九時ぴったりだった。
    淹れたてのコーヒーを自分専用のカップへ注ぎ、白のプレートへ朝食を載せ、ダイニング兼リビングへと移動する。
    ルイスのココアは起こしてからにしよう。
    テレヒを点け、ソファへ腰を下ろす。
「今日はどんなヤツを持ってくるかな」
    不意にレナが呟いた。
    その、思い出し笑いのニヤついた顔とは対照的に、テレビは堅苦しい政治のニュースを流していた。




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