夏の終わりに

佐城竜信

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その日千里は母親が死んだときの夢を見た。いや、今日だけじゃない。彰久が振られてからの三日間、千里は毎日のように悪夢にうなされた。
「あたしのせいだ……」
千里はベッドの上で枕に突っ伏しながら呟いた。
「あたしが余計なこと言わなければ、彰久は今頃……」
千里は後悔に苛まれていた。もし自分があの時、あんなことを言わなければ彰久は自分の気持ちを伝えていなかったかもしれない。そうすれば、彰久は真理に振られることもなかったはずだ。
「あたしが……」
身体が重い。頭が痛い。全身が鉛になったみたいだ。
「あたしが……全部悪いんだ」
罪の意識が千里の心を蝕んでいく。
「あたしが……あたしが……」
涙が溢れてくる。一週間後にバスケの試合があるのに、練習にも集中できてない。このままではレギュラーから外されてしまうだろう。それだけは嫌だ。絶対に負けられない試合なのに……。
「千里、集中できてないみたいだけど大丈夫?」
体育館でバスケの練習をしている最中に、由香里が心配そうに声をかけてきた。
「はい……。ちょっと調子が悪いだけですから、問題ありません」
「……嘘だよね?」
由香里の目が鋭くなる。
「千里、正直に言いなよ。何があったのかわからないけど、悩み事があるなら相談に乗るよ?」
「いえ、これは自分で解決しないとダメなんです」
「嘘つかないで。千里、今物凄く調子が悪いんじゃないの?彰久君が言ってたよ、千里は毎年この時期になるとお母さんのことを思い出して辛そうにしてるって」
「…………」
千里は何も答えられなかった。それは紛れもない事実だったからだ。
「だから、話せる範囲でいいから教えて?私は千里の力になりたいの」
「……ありがとうございます。でも、今は話す気になれません。だから……」
「そう……。でも、今の状態じゃとても試合になんて出せない。それはわかるよね?」
由香里の言葉に、千里は無言のまま小さく首を縦に動かした。
「じゃあ、今日のところは帰ってゆっくり休みなよ。特効薬を呼んであげるから」
「特効薬?」
千里の言葉に答えずに、由香里は電話を掛ける。
「あ、もしもし?うん、そう。お願いできるかな?……ありがとう。助かるよ」
どうやら誰かを呼んだらしい。一体誰を呼ぶのだろうか?
「三十分くらいかかるって。それまで休んでて」
「は、はあ……」
それからしばらくして、体育館に一人の男性が入ってくる。
「峰岸先輩、千里の調子はどんな感じですか?」
「芳しくはないね」
「そうですか……」
男性は由香里に話しかけると、こちらに近づいてきた。
「……彰久?」
「おう。三日ぶりだな、千里」
目の前に現れたのは彰久であった。
「どうしてここに?」
「どうしてもこうしても、お前のことが気になって来たんだよ」
「なんで?なんでそんなこと言うの?」
千里は信じられないという表情で尋ねる。
「あたしのせいで彰久がお姉ちゃんにフラれたのに、なんでそんなに普通に接せられるわけ?あたしのせいで、ショックで道場にも来なくなっちゃったんでしょ?おかしいじゃん!」
「別におかしくなんかねえよ。俺にとって一番大切なのは、千里と楽しく過ごすことだ。それに、俺は真理姉に告白なんてしてないし、別にショックで道場に来られなかった、ってわけでもないんだよ」
「えっ……?でも、真理姉が……」
「真理姉がどうかしたか?もしかして、真理姉に何か言われたのか?」
彰久は優しい表情で千里に尋ねた。
「真理姉のことは関係ないよ。でも、彰久が真理姉に告白したのをあたし見てたし……」
「ああ、逆にそこしか見てなかったんだろ?ちゃんと最後まで見とけよな」
「え……?」
千里は意味がわからず呆然とする。すると由香里が声をかけてきた。
「彰久君。真理お姉さんのことを異性としてじゃなくてお姉さんとして好きだ、って前に言ってたよね?」
「ああ、その通りだよ。確かに千幸には告白する、とは言ったけどさ。今まで姉として、そして鏑木家の長女として育ててくれた感謝を伝えただけだよ」
「そんな……」
千里は唖然として何も言えなくなってしまった。
「じゃあ、どうしてネックレス何て買ったの?あれって真理姉へのプレゼントでしょ?」
「真理姉に告白するつもりは毛頭無いけどさ。せめて気持ちだけでも伝えたかったんだよ。それにあれはネックレスじゃない。あれはネックレスじゃない。あれは……いや、あれがなんだったのかは真理姉から直接聞いてくれ」
彰久は少し恥ずかしそうな様子で答えたが、すぐに真剣な顔つきになって千里を見つめる。
「千里、とりあえず今日は帰ろう。顔色も悪いし、練習を続けるのは無理だと思うぞ」
「うん……。わかったよ」
千里は素直に従うことにした。これ以上彰久を困らせたくはなかったし、なによりも体調が優れなかったのだ。
「じゃあ、今日は帰ります。ありがとうございました」
「いえいえ。彰久君も千里のことよろしくね」
彰久は力強くうなずくと、千里と一緒に学校を後にした。
彰久と千里が去った後の体育館。そこで一人残された由香里は呟いた。
「まったく……。みんな不器用なんだから……」



「……ただいま」
「おかえりなさい。千里、部活じゃなかったの?」
千里が家に帰り着くと、真理が出迎えてくれた。
「ちょっと気分が悪くなって、早退してきた……」
「そうなの?大丈夫?」
「うん……。平気」
千里は力無く笑う。そんな千里を見て、真理は心配そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
彰久は真理に告白をしなかった、と聞いたが。それが本当なのか千里にはわからない。もしかしたら、告白をしたけれどフラれてしまったのではないか。そんな考えが頭を過る。
(もしそうだとしたら、あたしがあんなことを言わなければ……。)
後悔の念が千里の心を締め付ける。だが、いくら後悔しても真理に振られたという事実は変わらない。
「千里、本当に大丈夫?もしかして熱でもあるんじゃ……」
真理が額に手を当てようとする。千里は慌ててそれを避けた。
「だ、大丈夫だってば!ほら、あたし元気だし!」
「そう……?」
「うん、そうそう」
千里は無理やり笑顔を作った。そんな千里を見て、真理は悲しそうに目を伏せる。
「……やっぱり私に遠慮してるんでしょう?」
「違うよ。これはあたしの問題だから」
「……そう。それならいいんだけど……」
真理は悲しそうな顔のまま台所に向かう。そして、食器棚からマグカップを取り出して紅茶を入れた。
「はい、これ飲んで落ち着きなさい」
「ありがとう」
千里は差し出された紅茶を受け取る。そして一口飲むと、ホッとする温かさが身体中に広がるのを感じた。
「美味しい……」
「そう、良かった」
「真理姉は……」
千里はそう言いかけて、口を閉ざす。今自分が聞こうとしていることは、真理の傷口に塩を塗るような行為ではないかと思ったからだ。それでも彰久が真理に何を送ったのか、やはり知りたい気持ちはあった。
「どうしたの?言いかけたなら最後まで言ってよ」
「いや、その……。お姉ちゃん、彰久から何か貰ったりしないの?」
千里がそう聞くと、真理は嬉しそうに微笑みながら答えた。
「実は貰っちゃったんだよね。ロケット」
「ロケット?ネックレスじゃなくて?」
「そうそう。写真とか入れられるやつ。それも、こんなに素敵なものを」
そう言って真理は、今自分が首からかけているネックレスを指差す。そこには綺麗な星型のペンダントトップがついている。
「そっか……。よかったね」
「うん、すごく嬉しい」
千里は心の底から安心した。真理が喜んでいる姿を見て、自分も幸せな気持ちになる。
「ほら、こんなに素敵な写真が入っているのよ」
真理が見せてきた写真の中には、二つの写真が入っている。一つは子供の頃の千里と真理。それに父親である正義と、母親が並んでいる家族写真だ。そしてもう一つには、子供の頃の彰久とその両親が映っている家族写真が入っていた。
その写真を眺める真理は、とても幸せそうな表情をしている。まるで、宝物を見つけた子供のように。きっとこの写真は、真理にとってかけがえのない思い出なのだろう。それを想像するのは容易だった。
「ねえ、千里。あなた最近悩んでるみたいだけど、どうかしたの?」
突然の質問に千里の心臓が跳ね上がる。
「べ、別になんでもないけど……」
「嘘。何でもないことないでしょう?」
「……」
真理は心配そうに千里を見つめている。千里は観念して全てを話すことに決めた。
「あたし、お姉ちゃんに謝らないとダメだよね」
「なんで?なんで千里が私に謝る必要あるの?」
「だってあたしのせいで、真理姉は彰久に告白されて断らないといけなくなったんだよ?だから……」
「私は千里のせいで告白されたわけじゃないよ。それに、私は彰久君に女性として好きだって告白されたわけじゃないの」
「え……?」
真理の言葉の意味が理解できず、千里は困惑する。
「どういうこと……?」
「聞きたい?その時の話」
「……聞かせて」
真理はゆっくりと話し始めた。
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