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Act・12
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その日も、いつものように、蒼子を抱いて芝生広場に行き、海から吹き上がってくる風に心を寄せ合っていた。ふっと、蒼子が呟いた。
「横になってもいい?」
「苦しい?」
晴海は自分の胸に頭をもたれかけさせ、肩を抱いていた蒼子の顔を覗き込んだ。
「ちょっとね......」
晴海はそっと蒼子の身体を芝生に横たえ、自分も横になった。
「腕をお貸ししましょう。お姫様」
晴海は冗談めかした言葉をかけ、蒼子の頭がある芝生の上に左手を回した。
「ありがとう」
蒼子は晴海に腕枕をしてもらうと、彼の胸に左手を添えて胸の中へ潜り込んだ。
「温かい。晴海君の心臓の音が心地いい」
蒼子はゆっくりと目をつむった。
「蒼子......」
晴海はそっと蒼子の髪を撫でた。しばらく晴海の鼓動を聞いていた蒼子は、満足そうに真上を向いた。晴海はそっと身体を起こして左腕に体重を乗せて横向きに寝ころんだ。蒼子の目から、一筋の涙が流れた。
「肉体は大地に還る。でも魂は、あの青い空へ還りたい......」
蒼子は左手を高くあげた。晴海は蒼子の指先が示す空を見上げたのち、再び彼女の瞳を見つめた。
「僕の魂も蒼子の魂も、きっと空へと還ってく」
晴海は蒼子の左手を右手でしっかりと握りしめた。
「この指先から、僕らはあの空へと溶けていくんだ」
「そうね。私は先にあの空になるわね。晴海君。私の人生は、最高だった......」
蒼子は静かに目を閉じた。つ――――っと、一筋の涙がこぼれた。
「晴海君。起こしてくれる?」
蒼子の頬に右手を当てて、涙を拭おうとした晴海の手首を彼女は握った。晴海は、蒼子の背中に両腕を回すと抱きしめ、蒼子の顎を自分の肩に載せると、そっと身体を起こしていった。彼女は晴海の背中に両腕を回して抱きついていた。蒼子を抱きしめた晴海は、あまりにも細すぎて、そのまま淡雪になって消えてしまうのではないかと思った。
だから、自分の腕から消えてしまわないように、深く、深く抱きしめ、同時にその身体をしっかりと記憶するために、その手を緩めなかった。
「ありがとう。あなたの航海はまだ始まったばかりよ。その航海日誌を、時々空にいる私に読み聞かせてね」
蒼子は呟くと晴海から手をほどいた。晴海も名残惜しかったが、そっと蒼子の身体を自由にした。
「きっちり生きるんだぞ!」
突然、蒼子が悪戯っぽい声を発した。眼にはいっぱい涙を浮かべていたが、小さなえくぼをつくって笑っていた。
晴海は蒼子の顎を自分の肩に載せると、両腕できつく抱きしめて立ち上がった。
「うぉぉぉぉ――――!」
叫ぶ晴海の腕の中で蒼子が軽々と舞った。二人とも、眦からたくさんの涙がしながら、晴海の足が限界になるまで芝生広場を走り続けた。
その日を境に、蒼子は点滴を受ける身体となった。 もう、美術館に行くこともできなくなった。それでも晴海は蒼子のもとへと通った。
「今日もきれいな風景だったよ。海は本当に悠然とした青一色だった。それが水平線に向かってだんだんと青色を強くしていくんだ。ホライゾン・ブルーだよ。そしてそのまま、真っ青な空へと続いていた。僕の魂は空を志向し、風に乗って一気に空へと舞い上がるんだ」
晴海は優しく蒼子にささやいた。
「そう。晴海君の目は、今日もあの青い空を見つめてきたのね」
蒼子ははかない声で呟いた。
蒼子の身体が限界に近付き始めていた。 痛み止めの医療用麻薬の量が増え、蒼子の意識がもうろうとする日々が続いていた。晴海はそれでも、蒼子のそばを離れなかった。
「蒼子。今日も風は、僕の魂を空へと誘ってたよ」
晴海の声に、蒼子はゆっくりと目を開けた。
「痛み止めの量がかなり増えてるって、自分でもわかる。だんだんと意識がぼんやりとする時間が長くなってきてるもん。だからね。晴海君。最期にこれだけは、あなたに伝えておきたい」
「なぁに?」
晴海は「最期」という言葉に泣きそうになったが、ぐっとこらえて蒼子の右手を両手で握った。
「私が死んだら、いっぱい、いっぱい泣いてね。でも、いつまでも泣かないで。もうずっと感じてたことがあるの。私の意識の中に、晴海君の存在を感じることが多くなってきてたの。うまく説明できないんだけれど、私の中に、この世のすべてがあるような感覚で、その中にあなたがいるの。その感覚が、日に日に強くなってるの」
蒼子はそこでいったん言葉を切った。晴海の目に、空からF灘を両手で抱え込んでいる蒼子の上半身が重なった。
(蒼子は、こうなろうとしてるんだ。こう望んでるんだ)
晴海は脳裏に浮かぶその映像を見ながらも、蒼子の手を再度強く握った。蒼子は静かに目を閉じた。
「私が逝ったら、いつか必ず次の『魂の片割れ』を探してね。私の代わりに......じゃないの。あなたの『片割れ』は、私の片割れでもあるの。だって、私は晴海君の魂を、もう自分の中に取り込んでると思う」
「うん。僕が見上げる空には、蒼子が両手を広げて僕を抱きしめてる映像が浮かぶ。蒼子はそこへ逝くんだって、僕にはわかる」
晴海は、握っている蒼子の右手にそっとキスをした。
「だから私のことで、いつまでも泣かないでね」
「わかった。いっぱい泣くね。でも、いつまでも泣かないって約束する」
「うん......」
蒼子の閉じた瞼から、すぅっと一筋の涙が耳の方へと流れて行った。
満足げに微笑むと、そのまま蒼子は沈黙した。
「横になってもいい?」
「苦しい?」
晴海は自分の胸に頭をもたれかけさせ、肩を抱いていた蒼子の顔を覗き込んだ。
「ちょっとね......」
晴海はそっと蒼子の身体を芝生に横たえ、自分も横になった。
「腕をお貸ししましょう。お姫様」
晴海は冗談めかした言葉をかけ、蒼子の頭がある芝生の上に左手を回した。
「ありがとう」
蒼子は晴海に腕枕をしてもらうと、彼の胸に左手を添えて胸の中へ潜り込んだ。
「温かい。晴海君の心臓の音が心地いい」
蒼子はゆっくりと目をつむった。
「蒼子......」
晴海はそっと蒼子の髪を撫でた。しばらく晴海の鼓動を聞いていた蒼子は、満足そうに真上を向いた。晴海はそっと身体を起こして左腕に体重を乗せて横向きに寝ころんだ。蒼子の目から、一筋の涙が流れた。
「肉体は大地に還る。でも魂は、あの青い空へ還りたい......」
蒼子は左手を高くあげた。晴海は蒼子の指先が示す空を見上げたのち、再び彼女の瞳を見つめた。
「僕の魂も蒼子の魂も、きっと空へと還ってく」
晴海は蒼子の左手を右手でしっかりと握りしめた。
「この指先から、僕らはあの空へと溶けていくんだ」
「そうね。私は先にあの空になるわね。晴海君。私の人生は、最高だった......」
蒼子は静かに目を閉じた。つ――――っと、一筋の涙がこぼれた。
「晴海君。起こしてくれる?」
蒼子の頬に右手を当てて、涙を拭おうとした晴海の手首を彼女は握った。晴海は、蒼子の背中に両腕を回すと抱きしめ、蒼子の顎を自分の肩に載せると、そっと身体を起こしていった。彼女は晴海の背中に両腕を回して抱きついていた。蒼子を抱きしめた晴海は、あまりにも細すぎて、そのまま淡雪になって消えてしまうのではないかと思った。
だから、自分の腕から消えてしまわないように、深く、深く抱きしめ、同時にその身体をしっかりと記憶するために、その手を緩めなかった。
「ありがとう。あなたの航海はまだ始まったばかりよ。その航海日誌を、時々空にいる私に読み聞かせてね」
蒼子は呟くと晴海から手をほどいた。晴海も名残惜しかったが、そっと蒼子の身体を自由にした。
「きっちり生きるんだぞ!」
突然、蒼子が悪戯っぽい声を発した。眼にはいっぱい涙を浮かべていたが、小さなえくぼをつくって笑っていた。
晴海は蒼子の顎を自分の肩に載せると、両腕できつく抱きしめて立ち上がった。
「うぉぉぉぉ――――!」
叫ぶ晴海の腕の中で蒼子が軽々と舞った。二人とも、眦からたくさんの涙がしながら、晴海の足が限界になるまで芝生広場を走り続けた。
その日を境に、蒼子は点滴を受ける身体となった。 もう、美術館に行くこともできなくなった。それでも晴海は蒼子のもとへと通った。
「今日もきれいな風景だったよ。海は本当に悠然とした青一色だった。それが水平線に向かってだんだんと青色を強くしていくんだ。ホライゾン・ブルーだよ。そしてそのまま、真っ青な空へと続いていた。僕の魂は空を志向し、風に乗って一気に空へと舞い上がるんだ」
晴海は優しく蒼子にささやいた。
「そう。晴海君の目は、今日もあの青い空を見つめてきたのね」
蒼子ははかない声で呟いた。
蒼子の身体が限界に近付き始めていた。 痛み止めの医療用麻薬の量が増え、蒼子の意識がもうろうとする日々が続いていた。晴海はそれでも、蒼子のそばを離れなかった。
「蒼子。今日も風は、僕の魂を空へと誘ってたよ」
晴海の声に、蒼子はゆっくりと目を開けた。
「痛み止めの量がかなり増えてるって、自分でもわかる。だんだんと意識がぼんやりとする時間が長くなってきてるもん。だからね。晴海君。最期にこれだけは、あなたに伝えておきたい」
「なぁに?」
晴海は「最期」という言葉に泣きそうになったが、ぐっとこらえて蒼子の右手を両手で握った。
「私が死んだら、いっぱい、いっぱい泣いてね。でも、いつまでも泣かないで。もうずっと感じてたことがあるの。私の意識の中に、晴海君の存在を感じることが多くなってきてたの。うまく説明できないんだけれど、私の中に、この世のすべてがあるような感覚で、その中にあなたがいるの。その感覚が、日に日に強くなってるの」
蒼子はそこでいったん言葉を切った。晴海の目に、空からF灘を両手で抱え込んでいる蒼子の上半身が重なった。
(蒼子は、こうなろうとしてるんだ。こう望んでるんだ)
晴海は脳裏に浮かぶその映像を見ながらも、蒼子の手を再度強く握った。蒼子は静かに目を閉じた。
「私が逝ったら、いつか必ず次の『魂の片割れ』を探してね。私の代わりに......じゃないの。あなたの『片割れ』は、私の片割れでもあるの。だって、私は晴海君の魂を、もう自分の中に取り込んでると思う」
「うん。僕が見上げる空には、蒼子が両手を広げて僕を抱きしめてる映像が浮かぶ。蒼子はそこへ逝くんだって、僕にはわかる」
晴海は、握っている蒼子の右手にそっとキスをした。
「だから私のことで、いつまでも泣かないでね」
「わかった。いっぱい泣くね。でも、いつまでも泣かないって約束する」
「うん......」
蒼子の閉じた瞼から、すぅっと一筋の涙が耳の方へと流れて行った。
満足げに微笑むと、そのまま蒼子は沈黙した。
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