小泉藍は怪異を欲している

遠野紫

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EP1 存在しないバス停

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[存在しないバス停]
普段使っているバス停からバスに乗り込むと、いつの間にか実際には存在しない場所に辿り着いていると言う事象が観測された。そのバス停で下りてしまうと裏の世界に連れていかれてしまうという。

――――――

「私、小泉藍こいずみらんは怪異を欲しています」
「……はあ。それで同好会の予算の件なのですが」

 ドヤ顔でそう言い放った少女の名は小泉藍。オカルト同好会の会長である。そして彼女の隣にいる男は生徒会の一人だ。
 そんな彼は当然のように小泉藍の渾身の一言を無かったことにして話を続けようとしている。それもそのはずだった。彼女がオカルトクレイジーであることはこの学校の誰もが知っているのだから。

「単刀直入に言えば、来年度からオカルト同好会の予算が増えます。僕としては不本意ですが、オカルト同好会が開発する機器はどれも高性能だとどの部活からも声が上がっていますからね」
「そんなこと言わなくても良いではありませんか。まあそれはそれとして、私たちの作った機器が貴方たちのお役に立てているのなら何よりです。それにしても予算増額ですか……予算が増えるのであればさらに怪異探索に使える額も増えますね。ふふっ」
「オカルト方面で使うのは構いませんが、増額した分の成果はきちんと出してくださいね」

 嬉しそうに話を進める藍に対して、彼は呆れたようにそう言った。もはや何を言っても無駄だと言うフェイズにまで達しているのだろう。

「それでは僕はこれで」
「お疲れさまでした。あ、そうです。そろそろ新年度ですし、新しく入学してくる知り合いで我がオカルト同好会に入ってくれそうな生徒を紹介してもらえませんか?」
「はぁ……流石に身内を売るようなことは出来ませんよ。それではお疲れ様でした」

 彼は藍の要求をさらりと受け流して去って行った。
 バタンとドアの閉じる音が静かな部屋に響いた後、しばらくの間他の音が鳴ることも無く静寂が部室を埋め尽くす。そんな中、最初にその静寂を打ち破ったのは同好会のメンバーである佐々木桜ささきさくらだった。

「予算が増えたのは良かったわね。これでまた占いの道具が買えるわ♪」

 彼女の名は佐々木桜。占いが好きで好きであまりにも好き過ぎるあまりに、こんなオカルト同好会などと言うとんでもないものに入ってしまった哀れな生徒……などでは一切無く、彼女もまたヤバイ占いクレイジーなのである。
 と言うのも、バイト代をほとんど全て占い関係の道具や書籍に使い込んでしまう程、占いにのめり込んでいるのだ。

「占いの道具も良いけど、機器の材料とかマイコンとかも買わせてよね」

 うっきうきで占いの道具を買おうとしている桜を嗜めるように一人の少女が口を開いた。彼女も同じく同好会メンバーである宝田楓たからだかえでだ。彼女は特段オカルトには興味が無かったのだが、会長である小泉藍がガジェット好きであることから意気投合。趣味の電子工作をする場所としてこのオカルト同好会を提供してもらうことで、同好会存続のための名前貸しをすることにしたのだった。

 そんな幽霊部員のような彼女だが、実際のところ彼女の持つ知識や経験は豊富であり、小泉藍と協力して作り出した機器はかなりの高性能であった。実際にその機器を提供してもらっている他の部の者もそこは認めており、学校及び生徒会が不本意ながらもオカルト同好会を存続させて予算を出さないと行けなくなった要因である。

「そうだったわね。まずはあなたにこの同好会に残ってもらわないと不味いんだったわ」
「来年度の予算はだいたい1.5倍らしいですからね。電子機器関係の予算は今までの1.1倍にして……」
「1.2倍……いや1.3は貰う」

 小泉藍の言葉を遮るようにして楓はそう言い放った。

「……1.15倍」
「駄目、1.3倍。これは譲れない」
「……はぁ、わかりました。電子機器関係の費用を1.3倍にして、残りを私たちで分けましょうか」

 これ以上争っても意味が無いと判断したのか、小泉藍の方が折れたようだ。

「そうね。それじゃあその残りの内の九割が私で藍ちゃんが一割かしら」
「そうですね。私が九割で桜さんが一割です」

 両者ともバッチバチの状態であり、全くと言って良い程互いに譲る気は無かった。電子機器に関してはこの同好会の存続に関わるために下手に口出しは出来ない。だが残りは違う。残りの分はどちらがどう使おうが極論同好会には関係が無いのだ。
 オカルト同好会なのにそれはどうなのかと誰もが思うだろう。だがそもそもこの同好会自体が生徒会や学校にとってあまり良い物として扱われていないのだ。つまりは機器開発以外の予算がどういう使い方をされていようが今更なのである。

「わかりました。それなら公平にジャンケンで勝敗を決めましょう。公平にですよ」
「良いわね。乗ったわ!」

 これまたこのままでは埒が明かないと考えたのか、藍は彼女にジャンケンを提示した。
 それを桜は快く受け入れたため、すぐさま二人はジャンケンの構えを取った。
 
 そして二人は気合を入れて、己の最善と思える手を繰り出したのだった。

「「ジャンケンポン!!」」

――――――

「やはり、何度戦っても勝てませんね……」

 結局、藍は桜とのジャンケンに負けていた。と言うのも、佐々木桜は運要素の絡む勝負で負けたことが無いのだ。それを怪しく思っていた小泉藍は何度も彼女に運絡みの勝負を挑んでは敗北を繰り返している。

「これだけ勝ち続けるとなると、いよいよオカルト案件なのでは無いでしょうか。……ですが世の中には確率に勝ち続ける方もいると聞きますからね。仮に3割の確率を三回連続で引くとしたら約2.7パーセント。それを引いた豪運の持ち主もいるみたいですし……っと、いつの間にやらバスが来ていましたね」

 ぶつぶつと物思いに耽っていた彼女の前にいつの間にかバスが現れていた。

「危ない危ない、乗り過ごしてしまう所でした」

 急いでバスに乗り込んだ藍だったが、この時彼女は気付いていなかった。たった今乗り込んだはずのバス亭の名前が全く見覚えの無い物に差し替わっていることに。

 それから数分が経った頃。

「……おや?」

 彼女はようやく何か異変に気付いたようだった。

「これは……見覚えのない道に見覚えのないバス停の数々。間違いありません。『存在しないバス停』ですね」

 彼女は自らの置かれている状況から、即座にその正体を見抜いていた。
 存在しないバス停。それは所詮はただの噂。バスに乗った瞬間に、今乗ったはずのバス停が全く見覚えのないバス停に差し替わっているというもの。そしてそのままバスに乗り続け、最終的にたどり着いたバス停で下りてしまうと裏の世界に連れていかれてしまうという。
 そんなどこから現れたのかもわからないただの噂。それが、今彼女の目の前で実際に起こっていた。

「まさか怪異の方が向こうから来てくださるとは。新年度を前に縁起が良いことですね。……いえ、普通の方からしたら縁起が悪いのでしょうか」

 今まさに怪異の中にいるというのに、彼女は余裕そうだ。挙句の果てには怪異に巻き込まれながらに縁起が良いなどと言っている。だがそれこそが彼女がオカルトクレイジーと呼ばれる所以なのだ。
 怪異を欲し怪異を求める異常者でありオカルト同好会の会長、小泉藍なのである。

「さて、せっかくですしこのまま乗っていたらどこまで連れていかれてしまうのか確認してみましょうか」

 藍は何かをするでも無く、ただひたすらに進み続けるバスに揺られ続けている。その間もバスの外は徐々に暗さを増していき、いつしか真っ暗になってしまっていた。それもただ暗いだけでは無い。一切の街灯も建物の明かりも無い、真っ暗闇なのだ。
 全てを飲み込んでしまいそうな程に……それこそ光すらも飲みこみそうな濃密な闇がバスの窓の外には広がっている。そんな状況にあるにも関わらず、彼女は怯えることも焦ることも無かった。……むしろ、興奮していた。

「これは凄い……ここまでの闇は久しぶりに見ましたよ。それに行き先の名前もどんどん文字化けをしていますし、いよいよ佳境と言ったところでしょうか……!」

 荒くなっていく息遣い。目は見開き、もはや瞳孔すらも見開いている。頬を染め上げながらひたすらに興奮していくその様は、まるですぐ目の前に推しているアイドルでもいるかのようだ。
 とは言っても実際のところ彼女にとっては怪異こそが推しと言っても過言では無いため、要素だけ取り出してみれば違和感は無い。ただ、何も知らない者がその姿を見れば異質そのものでしか無い。それだけはどうやっても否定は出来ないだろう。

「……終点。……終点」
「おや、ここで終わりですか」

 車内アナウンスは生気の無い声でバスが終点に辿り着いたことを伝える。と言っても今の彼女にとってはそのアナウンスすらも興奮するための材料でしかなかった。

「それでは早速……!」

 藍は一切の躊躇いも無く速足で駆け降りて行く。外の光景を少しでも早く見たいという心の表れだろう。

「……ほう」

 バスを降りた彼女の目の前に広がっていたのは鬱蒼とした森だった。隙間から遠くを見ることすら出来ない程に密集していて、中に入らなければその向こうを確認することは出来ないだろう。
 そして、そんな状況で彼女がする行動は一つだった。

「よし、入りましょうか」

 藍はこれまた何の躊躇いも無く、その森の中へと入っていった。

――――――

「何も無くてつまらない森ですね。進んでも進んでもひたすら木々ばかり。何かこう異形の怪物でも出て来てくれたら面白いんですけど」

 正体不明の森に対して変な方向に文句を言いつつ、藍はずんずん森の奥へと進んでいく。まるで恐怖と言う感性が無いとでも言うかの様に。いや、実際無いのだろう。

「歩けど歩けど、面白いものは見当たらず……いえ、これはもしや」

 森の中を歩き続けたことで藍は何かに気付いたのか、カバンの中からカッターナイフを取り出して近くの木に傷を付け始めた。

「これで良し。あとは……」

 カッターをしまった藍は再び歩き始めた。しかし数分後、何かを発見しその足を止めた。

「全く同じ傷跡……やはり読み通りでしたね」

 彼女の目の前には先ほど彼女自身が傷をつけたあの木が立っていたのだ。つまり彼女がこの短時間の内に全く同じ場所に戻ってきていることになる。
 確かに森の中では方向感覚が狂うと言うが、だとしてもこれは極端すぎる結果だ。環形彷徨かんけいほうこうによって円形に歩いてしまっていたとしても、この短時間で全く同じ場所に戻って来るとなると円が狭くなり過ぎる。
 当然だがそこまで極端な動きになれば本人が気づくはずだろう。つまるところ、どう考えても非現実的な結果となるのだ。

 しかし、彼女はその非現実性を求めていた。

「ふふっ少し面白くなってきましたね。どれだけ進んでも同じところをループする状態……と言ったところでしょうか。となると結界系の怪異がこの森の正体だと考えられますか……」

 目の前で起こっている非現実的な現象によって藍のオカルト魂に火が付いてしまったようだ。ぶつぶつとひたすらに独り言を続けては自分自身で納得している。傍から見ていると挙動不審な不審者でしか無いだろう。
 定期的にこんな状態になるのだから、オカルトクレイジーと周りが呼ぶのも不可抗力ではある。

「本格的に面白くなってきましたね。ではそろそろ呼びましょうか。メブキさん、出番ですよ」
「おお、やっと我の出番か!」

 藍がメブキと言う名を呼ぶと共に、彼女の影から一人の少女がぬるっと現れたのだった。
 身長が低く顔立ちも幼い。そんな小学校低学年くらいの容姿をしている少女だが、ただの少女だと思えない視覚的な要素が一つあった。
 腕が三本あるのだ。何も違和感なく動かしている辺り痛みや苦しさなどそう言ったものは無いのだろうが、それでも見た目が異質であることに変わりはない。何より藍の影から出て来たと言う時点で、彼女が人間で無いことは確定しているようなものだった。

「メブキさん、この空間の端はわかりますか?」
「うーん、なんかモヤモヤしていてわかりにくいな」
「やっぱりそうですか。貴方がそう言うのならこの空間がループ系の怪異によるものであるのはほぼ確定ですね」

 異形の少女を前に藍は淡々と話を進めて行く。そもそもメブキは彼女が呼び出したため、驚くことも変に考えることも無いのは当たり前なのだが。

「ふーむ、ではまたアレやっちゃいましょうか」
「お、アレか?」

 藍の提案を聞いたメブキは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねながら笑顔を浮かべた。それだけを見れば年相応の可愛らしい少女といった様相だ。

「ではメブキさん、お願いしますね」
「おうおう! やってやろうぞ!」

 藍はそう言うとメブキから少し離れた場所へと移動した。そして藍がある程度離れたのを確認したメブキは三本目の腕を高く振り上げ、目を閉じて何かを呟き始めた。

「天をも貫く稲妻よ。我の名のもとにその権威を示せ……!!」

 中二病患者が喜んで反応しそうなその呟きが終了すると共に、眩い閃光が二人を包み込む。そして少し遅れて轟音が辺りに轟いたのだった。

 その数秒後には轟音は過ぎ去り、パチパチと木々が燃える音だけが二人の耳に流れ込んでいく。

「前々から思ってはいましたがやはり凄い威力ですね」
「ふふん、当たり前だ。我にかかればこの程度何でもないわ」

 藍にとってこの閃光と轟音は何度も経験のあるもののようで、一切の驚きも無く全く持って平然としている。その隣でメブキは藍にその威力を褒められたことで偉そうにふんぞり返っている。
 行った内容はともかく、見た目だけならまるで仲の良い姉妹と言ったところだろうか。

「ウァ……ァァァ!!」

 そんな仲睦まじい二人に水を差すように、呻き声のようなものが辺りに響いた。

「……出ましたね」

 藍の視線の先。空間がガラスのようにひび割れているそこから黒い靄のようなものが現れた。

「あれが今回の獲物か。よし、我に任せろ!」
「あ、待ってください」
「あの程度なら楽々……むぉぉっ!?」

 メブキは藍の制止を無視して飛び出していく。が、そんな彼女を横から何か大きな物体が撥ね飛ばした。

「あーだから言ったのに……大丈夫ですかメブキさん」
「うーむ、少し頭がぐわんぐわんするが怪我は無いぞ」
「それなら良かったです。でもどこか痛かったらすぐに言うんですよ?」

 ぶんぶんと頭を振りながらそう答えるメブキの頭を藍は優しく撫でる。そうやって頭を撫でられたメブキはにへへと可愛らしい声を出しながら蕩けた表情を浮かべている。
 二人を取り巻く空気感はたった今彼女が撥ね飛ばされたとは思えない程に蕩けた雰囲気だった。それはつまりあの程度の衝撃では彼女にとって何の問題も無いと言う事でもある。

「ふむ? あれには見覚えがありますね。……なるほど、そう言う事ですか」

 メブキを撥ねた物体を確認した藍は何かに納得したかのように頷く。
 その物体は先ほどまで藍が乗っていたバスによく似ていたが、中は真っ黒で運転手と思われる者もいない。

「あのバスでこの森まで連れて来られたのかと思っていましたが……どうやら違ったようですね」
「えっ違うのか!?」

 藍の言葉にメブキは驚いたようにそう返す。目を丸くしており、心の底から驚いているといった様子だ。

「ええ。最初から私たちは……いえ、今は話し込んでいる場合では無さそうですね」

 藍はそう言いメブキに警戒を促す。と言うのも、先ほど呻き声を上げていた靄が徐々に人の形を構築し始めたのだ。

「アァ……久々に良い獲物が引っかかったと思ったのになァ。まさかこんな変なモンを連れているとは思わなかったなァ」
「む、変なモノとは心外な。これでも私はオカルト同好会の会長なんですよ。確かに少し変な所があることは自覚していますが……」
「アァ? アンタじゃねえそっちのちっこいのだよ」

 靄は複数本ある異形な指を器用に使ってメブキの方を指す。

「む、我か?」
「妙な気配がするなァ、アンタ。俺たちと似ているようでどこか違う……」
「そんなことは良いのです。せっかく出会えたのですし、ここは是非記念写真でも」
「ハァ!? 誰が獲物と記念写真なんか撮るかよ! というより、怪異を前にして一切恐怖心を出さねえとはよォ……アンタ、何モンなんだァ?」

 異形の靄を前に当然のように話を進めて行く藍に、靄はこれまた当然の疑問を投げかけた。とは言え当然と言えば当然の疑問ではある。

「何者……ですか。うーん、オカルト同好会会長……としか」
「それはさっき聞いた。そういうことじゃねえんだよなァ……いや、良い。獲物にそんなコト聞いても意味は無えしなァ」
「獲物獲物と言っておるが……それは、この我を前にして言っておるのか?」
「グッ……!? 何だ、体が……動かねェ!?」

 メブキは先程までの可愛らしかった姿からは想像もつかない程に凄みのある声色で靄の前に出る。と同時に靄はその体を小刻みに震えさせ始めた。まるで捕食者を前にした獲物のように。

「おいおいどうなっていやがるんだァ。恐怖している……のか? 俺がァ?」
「ほう、我を前にしてその形を保てるか。怪異としてはかなり強いと見えるな。……何人喰った?」
「ゥ゛ッッ!?」

 一層ドスの効いた声でそう問うメブキ。それによって靄はどんどん委縮していく。
 メブキが睨みながら近づいて行く度に、靄が少しづつ後退りしていく。だが一定距離下がったところで靄はその歩みを止めた。

「クソッ、端だ……! こうなったらやるしかねえよなァ!!」
「甘いわ!」

 靄の中から複数の異形の腕と指が現れ、メブキの小さな体を包み込む。しかし次の瞬間にはそのどれもが焼け焦げていた。

「な、なんなんだよアンタはァ……!」
「我はメブキだ。それ以外の何者でもない」
「ふざけんな……そんなの、答えになって無ェ……」

 目の前にまで迫っていたメブキによって靄はその体の全てを焼かれ消失した。その瞬間周囲の木々は消え、藍とメブキの二人はバス停に立っていた。
 そこは最初藍がバスに乗ったバス停だった。

「あら? どうやら戻って来たようですね」
「そのようだな。ふぅ、それなりの怪異ではあったが……やはりこう、歯ごたえが足りんな」
「まあまあ。貴方が本気になれる怪異だとそれこそ世界の危機レベルでも無いと難しいのではありませんか?」
「それもそうだが……不味い、人が来た!」

 メブキはそう言うと急いで藍の影の中に戻っていった。彼女は腕が三本の少女というあまりにも非現実的な姿をした存在であるためこれも当然の反応ではある。
 結果、ギリギリ間に合ったようですれ違った人は特に何か反応を示すことは無かった。

「……それでは帰りましょうか」
 
 すれ違った人が見えなくなったことを確認した藍は自身の影に向かって穏やかな声色でそう言い、今度は本物のバスに乗って自宅へと帰ったのだった。

――――――

 その夜、彼女の自室にて。

「結局、奴は何だったのだ?」
「そうですね。明確な答えはありませんがそれはまあ怪異なので仕方のないことです。ですが、推測なら出来ます」

 藍はやたらとケミカルに光り輝くゲーミングチェアに座りながら、不敵な笑みを浮かべた。他にも彼女の自室には必要性があるのか無いのかよくわからない機能を積んだ物がやたらと多いのだが、それも全て彼女の新しいもの好きという性格によるものだった。
 好奇心が旺盛な彼女がひたすらにガジェットを集めたことで出来上がった、ある種の天国でもあり地獄でもある。

「おお……だが藍がその顔になる時はだいたい夜更かしコースだからのぉ……」
「大丈夫ですよ。今回は短くまとめます」
「お主の大丈夫が大丈夫だったこと、今までにあまり無かったような気がするのだが……」
「まあまあ、それはそれで置いておきましょう。さて、先ほどの怪異の事でしたね」

 呆れた顔でそう言うメブキを尻目に、藍は導き出した推論を語り始めたのだった。

「まずは怪異に取り込まれた瞬間ですね。これはもう迷うことなく、バスに乗った瞬間でしょう。乗った時には気づきませんでしたが、気付けば全く見覚えの無い道を走っていましたからこれはほぼ確定と見て良いはずです」
「バスに乗る時もそうだったが、藍は自分の世界に入ると周りが見えなくなるから見ていて危なっかしいのだ。もう少し気を付けてはくれないか」

 メブキの表情は先ほどまでの藍に対する呆れを凝縮したかのようなものから、藍を心配に思うそれに変わっている。それだけ彼女から見て普段の藍の行動は危なっかしいのだろう。だが当の本人は特に気にしている様子は無い。

「心配してくれるのはありがたいのですが、生憎とこれは性分なのです」
「そんなことだろうとは思ったわ。我が付いているとはいえ、怪異を前にすればお主はただの人間なのだ。もうすこし慎重になってくれても良いだろう?」
「……そうですね。ありがとうございます」

 本気で心配しているメブキの思いが伝わったのか、藍は感謝の言葉を述べた後彼女の頭を優しく撫でた。しかしその表情はどこか曇ったものだった。

「にへー」

 藍に撫でられ蕩けた表情を浮かべるメブキ。幸せそうなその顔を見たためか藍もまた癒しを感じているようで、曇った表情もどこかへと吹き飛んでいた。
 
「ふふっ、本当にメブキさんは撫でられるのが好きですね」
「うむ、こうされているとなんだか体の奥が温かくなるのだ。それに力も湧いてくる。まるで母親に抱擁されているかのようで何と心地良いものか」
「……さて、かなり脱線してしまいましたが、次はあの森についてですね」
「そうだったな。それで、あの森についても何か心当たりはあるのか?」
「ええ。あれは特定の範囲内を永遠にループさせる性質を持っていました。そうですね……言わば小規模の結界でしょうか。各地に伝わる伝承にもあのような結界の類が観測されています」

 藍はそう言うと壁際にある本棚から分厚い本を取り出し、それをメブキの前に広げて見せた。

「これです。天狗の神隠しもそうですし、かの有名なマヨイガもある種の結界でしょう」
「確かに。言われてみるとそうだの」
「そこで今回の怪異なのですが、恐らくバスの中が既に結界の中……噂で言う所の裏の世界だったのでしょう。ですので、そもそも私たちはバスから降りてすらいないと考えるのが自然でしょうね」
「なるほどな。バスの入り口から向こう側全てが奴の作り出した結界の中という事か」
「まあ、推測でしかありませんが」
「推測も良いのだが、たまには本人に答えを聞かんか? 我の力があれば奴らも口を割るだろうよ」
「……それでは駄目です」

 メブキの何気ない一言。だがその一言に藍は過剰に反応した。

「本人に確認してしまえばそれは不確かなものでは無くなってしまう。要は本人による情報があっては内容が確定してしまうのです」
「お、おぉ……? それで良いのでは無いのかの?」
「駄目なんです。怪異は何と言うかこう、不確かで不安定で、掴みようのない存在でないといけないんです。私は答えを知りたいのではなく、そこに至るまでの過程を楽しみたい。何なら考察や推論は答えと全く違っても良いんです。いや、いっそもう答えは知りたくないです。そう言う人間なんです」
「……何と言うか、難儀な人間なのだな」

 まくしたてる藍を見ながらメブキは再び呆れた顔で彼女を見つめていた。

「……こほん、取り乱しましたね」
「……なんかもう、今更取り繕う必要は無いぞ?」
「では続きです。ここで現れたあの靄がこの怪現象を起こしていた正体なのでしょう。見たところそれなりに強いものでしたね」
「お主、分かるのか!?」

 メブキは藍が怪異の質についてわかることに驚いたようで思わず叫んでいた。
 と言うのも本来人間は怪異を知覚することは出来ても、その怪異がどのようなものなのかはわからないものなのだ。

「いえ、ただの経験則と言うか知識ですよ。結界系の怪異はだいたいそれなりに強力なものが多いんです。何しろ狭い範囲とは言え世界を新しく構築するのですから。それが出来るとなると怪異としての格もそれなりのものになるでしょう」
「なるほど情報からそう考えたということだな。だが間違ってはいない。実際、あ奴はかなりの数の人を喰っておったろうな」

 そう言いながら、メブキの表情は徐々に怒りのそれへと変わっていった。

「人のために怒れるなんて、あなたは本当に良い子ですね」
「当然のことだ。我は人を守らねばならぬ存在だからな。まあ、その……今はこんな体になっていてあまり大きくは言えんのだがな……」

 メブキは自信満々に叫んだかと思えば、すぐに委縮してぼそぼそとそう零した。何か訳ありといった様子だが、そんな彼女を藍は優しく抱きしめたのだった。

「大丈夫です。メブキさんは立派ですよ。こうして今まで私を守ってきたじゃありませんか」
「むぅ……だが……」
「安心してください。私も協力しますから」
「藍がそう言うのなら……って、お主が危険に晒されているのはお主自身が無鉄砲に怪異に突っ込んでいくからなのだが!?」
「……良い感じの雰囲気でしたがバレてしまいましたか」
 
 藍は自らの行動を棚に置いてメブキを励ましていたのだが、流石に彼女も気付いたようだった。

「でもまあ、怪異を倒すことはメブキさんのためでもあるので」
「本当にそうなんだろうな……? 我を都合よく使っているだけじゃないだろうかのぉ?」
「そんなことはありませんよ。はい、では最後の仕上げです」

 パンと手を叩き、藍は話の方向を無理やりに変えた。

「あの靄が怪異の中心であることは確定でしょう。事実、メブキさんに追い込まれていた時に反対側にワープしませんでした。術者本人であれば結界の端から端まで飛べないと考えてもおかしくはありませんし」
「うん? 別にワープ出来てもそれはそれでおかしくは無いと思うのだが」
「結界内での色々な処理は基本的に術者が行いますからね。となれば怪異自体はその結界を管理する側となるので基本的にワープは出来ないはずです。要は自分自身では自分の姿を見ることが出来ないのと同じような物ですね」
「なるほど……?」

 メブキは藍の説明を聞いて微妙に納得したような納得してないような表情を浮かべた。

「しかし怪異としての力は確かなものが有りました。わざわざ無限ループする結界を作って獲物が弱った所を狙うだなんて、何とも用意周到な怪異でしたね。それでもまあメブキさんの前には手も足も出ないんですけど」

 そう言いながら藍は先ほどと同じようにメブキの頭を撫で始める。

「ぬぅ~、ことあるごとに頭を撫でるでない」
「嫌でしたか?」
「い、嫌とは言っていないぞ! だが、もしこれが習慣化して外で見られでもしたら……」
「安心してください。外でこんな光景を見られてしまったらそれはもう恥ずかしいとかそれどころでは無くなります。貴方の姿、それだけ異質ですから」

 藍はメブキの3本目の腕を見ながらそう言った。

「……ああ、藍がやたらと我に構ってくる理由が分かった気がするわ」
「あら、それはどういう理由でしょうか」
「白々しいことこの上ないな! お主の影にいる我がお主が何と呼ばれているのか知らないわけが無いんだが!?」
「ふふっそうですね。私はオカルト同好会会長にして、オカルトクレイジーと呼ばれる女ですから」

 藍はメブキを撫でる手を止めないまま、不敵に笑いながらそう言い放った。

「さて、もう時間も遅いですし寝ましょうか」
「夜更かしコースにならなかった……だと?」
「あら? 今から夜更かしコースにしてさしあげてもよろしいのですが」
「いや、それは駄目だ。流石の我であっても眠いものは眠いのだ」
「今日は頑張っていましたからね。ほら、一緒に」

 一足先にベッドに乗っていた藍がメブキを呼ぶ。

「うむ!」

 そこに勢いよくメブキが飛び込んだ。

「それではおやすみなさい」

 部屋の明かりが消え、闇が二人を包み込んでいく。しかしその闇は怪異が作り出すような重く苦しいものでは無い。明日を迎えるための前段階と言えるそれは、二人を温かく包み込んでいた。
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