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第5章 奪還作戦
66話 奪還作戦⑻
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身体を半分窓の外に出したレインリットは、今にも壊れそうな扉を凝視していた。廊下からは言い争う男たちの怒声と、金属がぶつかる音、そして身の毛のよだつような乾いた破裂音が聞こえてくる。
今は、扉に何か重い物をぶつけるような音が連続している真っ最中だ。
――さあ、行くわよ。ここから降りるのよ、レインリット!
破られるのは時間の問題で、しかしレインリットは一歩の勇気が持てないでいた。木登りとはわけが違う。あれだけ頑丈に作ったはずのシーツ製の梯子も、脚を掛けた段階でギチギチという嫌な音を立てる。階下の方だろうか。エドガーの声が聞こえたような気がしたレインリットは、胸元のチャームに祈った。
――お兄様、私に勇気を!
レインリットは意を決して梯子を両手で持つと、そろそろと片脚を下ろす。しかし、布なので安定せず、うまく次の足早に降りられない。ぐずぐずしているうちに、部屋の方から恐れていた音が聞こえていた。
「いないぞ!」
「そんなはずはない、探せ!」
バキッという扉が壊れる音と共に、軍人たちが入ってきたらしい。レインリットは慌ててもう片方の脚を下ろし、そして二段くらい一気に滑り落ちてしまった。衝撃で体重がかかり、布が千切れるような不吉な音がする。そしてゆらゆらと身体が揺れ、あまりの高さに目眩がしそうになった。
「おい、寝室の窓に布の梯子があるぞ」
「逃げられたか?」
もう見つけられてしまった。レインリットの背筋にひやりとしたものが走る。下を見ればまだ地面は遠く、梯子を握る手にますます力が入った。そして、レインリットの命の危機に勝手にあの力が発動したのか、指先が淡く光り始める。
「おっと、そこまでだよ。抵抗しなければ痛い目には遭わせないと約束しよう!」
とその時、一際大きな声がして、レインリットの心臓がドッと跳ねた。
――見つかってしまった!
恐る恐る上を見たレインリットだったが、窓には誰の姿もない。周りを見ても、他の窓から顔を出している人影はなかった。声が入り乱れ、レインリットは固唾を飲んで耳を澄ませる。
「何だ貴様は!」
「何だって、正義の味方さ。ソルダニア帝国海軍、マクシミリアン・グリーブス大尉……まあ、覚えておかなくて結構だよ」
「まさかこの騒動、お前が首謀者か!」
「捕らえろ!」
「そうはいきますか。悪の手から囚われのご令嬢を救い出さなくては……ね!」
部屋の中では何がなんだかわからない会話が始まり、何かが壊れる音や、呻き声が響き渡ってきた。ソルダニア帝国海軍の大尉だと言った人は、今日来るはずの使者だろうか。そう理解したレインリットの心に勇気が湧いてくる。エドガーが、もうすぐそこにまで来てくれていると感じられたから。
――そうだわ、今のうちに降りなきゃ!
この隙にと、レインリットは脚を進める。しかし、もう一段降りたところで梯子が変に揺れ始めた。上を見上げると、隣の部屋の窓からあの横柄な伍長が身を乗り出しているではないか。レインリットは息を飲むと、落ちないように梯子に必死でしがみついた。
「見つけたぞ、この生意気な小娘が!」
獲物を見つけた獣のように、伍長は残忍な顔でレインリットを見下ろしてきた。
「しまった! ダニエル、隣の部屋だ。あの男を止めろ!」
「了解……ぐあっ、お前ら、邪魔をするな!」
「くくっ、油断したな。そら、怖いか、ああ?」
伍長が掴んだ梯子をわざとのように揺らし、ますます布に負担がかかっていく。ドレスが邪魔になり思うように身体を動かせないレインリットは、段々と手が痺れていく感覚に呼吸が乱れ始めた。
「やめて、ゆらさ、ないで!」
「ああ? 聞こえないな」
本当に聞こえていないのか、それともレインリットの反応を愉しんでわざと聞こえないふりをしているのかわからないが、部屋の中ではまだ誰かが争っているような声や音が聞こえている。
――ここから飛び降りたら、きっと怪我をするわ。
ソランスターの屋敷は、一階部分が非常に高く設計されている。今レインリットがぶら下がっているのは、普通の二階建てくらいの位置だ。加えてレインリットは訓練された軍人ではない。着地した際に、その細い脚が折れてしまうかもしれなかった。
「どうした? 手を離せば楽になるぞ」
狂気染みた笑い声を上げる伍長に、レインリットはゆっくりと片手を離して上に向けてかざした。
「ん? 今さら助けを乞うのか」
「貴方の助けなど、死んでもいりません!」
「な、なんだ、その光は……ぎゃあぁぁぁっ!」
レインリットは上にいる伍長を見ないように、かざした手から光を放つ。傷付ける意思を持って放たれた光は、真っ直ぐに伍長に向かった。バチバチという音と焦げ臭い匂い、そして、身の毛のよだつような絶叫にレインリットはギュッと目を閉じる。
人を傷付けるために力を使ってしまったことに、心臓がバクバクと鳴り響く。伍長がどうなったのかわからないが、ぐずぐずはしていられない。レインリットは揺れる身体を出来るだけ真っ直ぐに保ちながらそろそろと片脚を下ろし――
「きゃあっ!」
うまく脚を下ろすことができず、踏み外してしまった。腕の力だけで掴まるレインリットは、ブルブルと震え始めた腕から力を抜かないように懸命に頑張る。しかし、非力な自分の筋肉では自分の体重すら支えることができない。
――お、落ちる、誰か、エドガー様!
すると、まるで願いが届いたかのように、揺れていた梯子がピタリと安定した。
「今引き上げるから、頑張って妖精ちゃん」
代わりに上から聞こえてきた優しい声は、レインリットを妖精と呼んだ。レインリットを妖精に例える人は今ではエドガーだけだ。すがるような目で見上げると、そこには金髪の見知らぬ男性が梯子を掴んでいた。シャナス公国海軍とはまた別の軍服は、どこのものか思い出せないが、どこかで見たことがある。
「だ、駄目です、もう……手が」
レインリットは、その誰かわからぬ人に向かい、必死に訴える。すると、金髪の男性が明らかに焦り始めた。
「もう少し、頑張って……ああ、エドガーは、エドガーはまだか!」
「エドガー、様?」
「そうだよ、僕はエドガーの親友のマクシミリアンさ。ああ、布が」
ビリビリと嫌な音を立てた布が片方、今にも千切れそうだ。それをどうにも出来ないと悟ったのだろう。金髪の男性は、聞いたこともないような渾身の大声で助けを呼んだ。
「エドガー!! 外だ、君の妖精が落ちる!!」
すると、どこからか盛大に硝子が割れる音が響き、バキバキと壊される木の音と共に、誰かの足音が迫ってきた。
――エドガー様、私……もう。
レインリットの手から力が抜けそうになったその時、
「レインリット、大丈夫だ! 私が受け止めるから、飛べ!」
待ち焦がれ続けた、レインリットの愛する者の頼もしい声が聞こえた。
今は、扉に何か重い物をぶつけるような音が連続している真っ最中だ。
――さあ、行くわよ。ここから降りるのよ、レインリット!
破られるのは時間の問題で、しかしレインリットは一歩の勇気が持てないでいた。木登りとはわけが違う。あれだけ頑丈に作ったはずのシーツ製の梯子も、脚を掛けた段階でギチギチという嫌な音を立てる。階下の方だろうか。エドガーの声が聞こえたような気がしたレインリットは、胸元のチャームに祈った。
――お兄様、私に勇気を!
レインリットは意を決して梯子を両手で持つと、そろそろと片脚を下ろす。しかし、布なので安定せず、うまく次の足早に降りられない。ぐずぐずしているうちに、部屋の方から恐れていた音が聞こえていた。
「いないぞ!」
「そんなはずはない、探せ!」
バキッという扉が壊れる音と共に、軍人たちが入ってきたらしい。レインリットは慌ててもう片方の脚を下ろし、そして二段くらい一気に滑り落ちてしまった。衝撃で体重がかかり、布が千切れるような不吉な音がする。そしてゆらゆらと身体が揺れ、あまりの高さに目眩がしそうになった。
「おい、寝室の窓に布の梯子があるぞ」
「逃げられたか?」
もう見つけられてしまった。レインリットの背筋にひやりとしたものが走る。下を見ればまだ地面は遠く、梯子を握る手にますます力が入った。そして、レインリットの命の危機に勝手にあの力が発動したのか、指先が淡く光り始める。
「おっと、そこまでだよ。抵抗しなければ痛い目には遭わせないと約束しよう!」
とその時、一際大きな声がして、レインリットの心臓がドッと跳ねた。
――見つかってしまった!
恐る恐る上を見たレインリットだったが、窓には誰の姿もない。周りを見ても、他の窓から顔を出している人影はなかった。声が入り乱れ、レインリットは固唾を飲んで耳を澄ませる。
「何だ貴様は!」
「何だって、正義の味方さ。ソルダニア帝国海軍、マクシミリアン・グリーブス大尉……まあ、覚えておかなくて結構だよ」
「まさかこの騒動、お前が首謀者か!」
「捕らえろ!」
「そうはいきますか。悪の手から囚われのご令嬢を救い出さなくては……ね!」
部屋の中では何がなんだかわからない会話が始まり、何かが壊れる音や、呻き声が響き渡ってきた。ソルダニア帝国海軍の大尉だと言った人は、今日来るはずの使者だろうか。そう理解したレインリットの心に勇気が湧いてくる。エドガーが、もうすぐそこにまで来てくれていると感じられたから。
――そうだわ、今のうちに降りなきゃ!
この隙にと、レインリットは脚を進める。しかし、もう一段降りたところで梯子が変に揺れ始めた。上を見上げると、隣の部屋の窓からあの横柄な伍長が身を乗り出しているではないか。レインリットは息を飲むと、落ちないように梯子に必死でしがみついた。
「見つけたぞ、この生意気な小娘が!」
獲物を見つけた獣のように、伍長は残忍な顔でレインリットを見下ろしてきた。
「しまった! ダニエル、隣の部屋だ。あの男を止めろ!」
「了解……ぐあっ、お前ら、邪魔をするな!」
「くくっ、油断したな。そら、怖いか、ああ?」
伍長が掴んだ梯子をわざとのように揺らし、ますます布に負担がかかっていく。ドレスが邪魔になり思うように身体を動かせないレインリットは、段々と手が痺れていく感覚に呼吸が乱れ始めた。
「やめて、ゆらさ、ないで!」
「ああ? 聞こえないな」
本当に聞こえていないのか、それともレインリットの反応を愉しんでわざと聞こえないふりをしているのかわからないが、部屋の中ではまだ誰かが争っているような声や音が聞こえている。
――ここから飛び降りたら、きっと怪我をするわ。
ソランスターの屋敷は、一階部分が非常に高く設計されている。今レインリットがぶら下がっているのは、普通の二階建てくらいの位置だ。加えてレインリットは訓練された軍人ではない。着地した際に、その細い脚が折れてしまうかもしれなかった。
「どうした? 手を離せば楽になるぞ」
狂気染みた笑い声を上げる伍長に、レインリットはゆっくりと片手を離して上に向けてかざした。
「ん? 今さら助けを乞うのか」
「貴方の助けなど、死んでもいりません!」
「な、なんだ、その光は……ぎゃあぁぁぁっ!」
レインリットは上にいる伍長を見ないように、かざした手から光を放つ。傷付ける意思を持って放たれた光は、真っ直ぐに伍長に向かった。バチバチという音と焦げ臭い匂い、そして、身の毛のよだつような絶叫にレインリットはギュッと目を閉じる。
人を傷付けるために力を使ってしまったことに、心臓がバクバクと鳴り響く。伍長がどうなったのかわからないが、ぐずぐずはしていられない。レインリットは揺れる身体を出来るだけ真っ直ぐに保ちながらそろそろと片脚を下ろし――
「きゃあっ!」
うまく脚を下ろすことができず、踏み外してしまった。腕の力だけで掴まるレインリットは、ブルブルと震え始めた腕から力を抜かないように懸命に頑張る。しかし、非力な自分の筋肉では自分の体重すら支えることができない。
――お、落ちる、誰か、エドガー様!
すると、まるで願いが届いたかのように、揺れていた梯子がピタリと安定した。
「今引き上げるから、頑張って妖精ちゃん」
代わりに上から聞こえてきた優しい声は、レインリットを妖精と呼んだ。レインリットを妖精に例える人は今ではエドガーだけだ。すがるような目で見上げると、そこには金髪の見知らぬ男性が梯子を掴んでいた。シャナス公国海軍とはまた別の軍服は、どこのものか思い出せないが、どこかで見たことがある。
「だ、駄目です、もう……手が」
レインリットは、その誰かわからぬ人に向かい、必死に訴える。すると、金髪の男性が明らかに焦り始めた。
「もう少し、頑張って……ああ、エドガーは、エドガーはまだか!」
「エドガー、様?」
「そうだよ、僕はエドガーの親友のマクシミリアンさ。ああ、布が」
ビリビリと嫌な音を立てた布が片方、今にも千切れそうだ。それをどうにも出来ないと悟ったのだろう。金髪の男性は、聞いたこともないような渾身の大声で助けを呼んだ。
「エドガー!! 外だ、君の妖精が落ちる!!」
すると、どこからか盛大に硝子が割れる音が響き、バキバキと壊される木の音と共に、誰かの足音が迫ってきた。
――エドガー様、私……もう。
レインリットの手から力が抜けそうになったその時、
「レインリット、大丈夫だ! 私が受け止めるから、飛べ!」
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