39 / 44
3章:静かなる祈り
風
しおりを挟む
風のない午後だった。
陽の光が、足元に影を落とす。
遊ぶ子供たちの声も、遠くに感じられる。
“北の端”の午後はいつも静かだが、今日は特にそう感じられた。
クラリスは、セラヴィアを探していた。ようやく、村はずれに立つ木に、もたれかかったその姿を見つけると、薬草の入った籠を抱えたまま、手を振り大きな声で呼びかける。セラヴィアもそれに気づき、小さく片手を上げて応じた。
「セラヴィアさん」
「……あら、少し慌てて? ……どうかしたの?」
いつもと変わらぬ、彼女のけだるげな返事が返ってくる。
今朝方降っていた雨の所為か、空気は少し湿っていた。日差しの強さも手伝って、少し蒸し暑い。
セラヴィアの背中には汗がしっとりと滲んでいた。
「……エルバさんから、セラヴィアさんにこれをって。何かあったんですか?」
そう言うと、クラリスは袋にしまっていたネックレスを、セラヴィアに渡した。
「エルバ婆から……?」
「これって、エルバさんがいつも身に着けていたネックレスですよね? まだ王都にいらっしゃったときに手に入れたものだとかで自慢されていたので」
この北の端には不似合いなつくりのネックレス。派手さはないが、繊細な彫刻が施され、誰もが見とれてしまう美しさがあった。もし賊が村に押し入ることがあるなら、真っ先に狙われるに違いないと、クラリスは思っていた。
「ああ……これね……。多分、こないだの加護のお礼かな……」
「加護ですか?」
「そうよ……そうね……エルバ婆も……もうすぐかもね……」
「もうすぐって……?」
クラリスははっとすると、大袈裟にため息をつく。
「なんてこというんですか。確かにお年はめされていらっしゃいますが、まだまだ元気なご様子でしたよ」
「……ほんとに?」
クラリスはセラヴィアの言葉に眉をひそめた。「この人は、何を気にしているのだろう」……ただ、彼女のその愁いを帯びた声が、クラリスに少し引っかかるものを感じさせていたことも事実だった。
「でもねえ……人は、いつかは死ぬものよ……」
静かな声で、セラヴィアは言った。
──しばらくして、クスリと笑う。……どうやら冗談のつもりだったらしい。まったく笑えない質の悪い冗談。
「もう。怖いこと言わないで下さい。誰も死にません!」
クラリスは、元気よくそういうと、怒ったように、視線をそらした。
「クラリスさーん!」
遠くから呼び声が聞こえる。髪の毛を二つに結った少女が、二人の下へ近づいてきた。
「噂をすれば……ってね」
セラヴィアがからかうように小さくつぶやく。
「セラヴィアさん!」
クラリスは、窘めるように少し強い口調で言った。
少女は、クラリスの前まで駆けて来ると、膝に手をし、息を切らせながら言う。
「おばあちゃんが、痛みがひどいって、足が……歩けなくて……」
「あなた、エルバさんのおうちの子よね? 大丈夫。すぐに行くわ」
少女がうなずく。セラヴィアは、立ち上がろうとしたクラリスの背に、視線を向けていた。
クラリスは籠を持つと、振り返り、セラヴィアに早口で尋ねる。
「セラヴィアさん、張り薬と、あと……」
「いいわよ……私の物、いつでも好きに使っていいから……」
「ありがとうございます!」
クラリスは、返事を聞くと急ぎ足でセラヴィアの使っている納屋へと向かっていった。セラヴィアは、その姿が見えなくなるまで見つめていた。
* * *
村の奥にある小さな家。小さなベッドに、年老いた女性が、横向きに丸くなって横たわっていた。
浅く息をしている中、時折小さな呻き声が漏れる。
「エルバさん、クラリスです。すぐに楽になりますからね」
クラリスは、そっと膝をついた。
少女が背後で見守っている。
「少し、触れますね」
クラリスが歌うように願いを心に紡ぐ。
“手をそっと脚に置く”
“深く祈るように”
“言葉はなく”
“ただ目を閉じ”
“静かに心を澄ませる”
“思いを心に念じる”
空気が、一瞬震えるような気配を見せたかと思うと、波紋のように静寂が広がっていく。
クラリスの手のひらが、ほんのりと淡い光に包まれた。
その光は、エルバの年老いた身体へと優しく染み入り、しばらくするとエルバの眉間の皺が、すこしだけほどけた。
やがて、クラリスはその手をゆっくりと離した。
光はすぐに消え、代わりに、重い吐息が彼女の唇から漏れる。
「ありがとう……クラリスさん」
少女が静かに頭を下げた。
「また、なにかあれば、いつでも言ってね」
ベッドの上では、エルバが体を起こし、そばに置いてあった水を口にしているところだった。その様子にクラリスは胸を撫で下ろす。やがてクラリスが立ち上がろうとしたとき、彼女の背後からエルバの声が聞こえた。
「いつもすまないね……まあ、こんな痛みも、“神の祝福”だと思って受け入れられるようにならないと……だね」
クラリスは驚いてエルバの目を見た。
「でも、それじゃ……」
エルバは、まるで自分の孫を諭すように優しい目でクラリスを見つめると、「それでいいんだよ」と微笑んだ。
その後、クラリスはエルバに簡単な処置を行うと外に出た。
少女や、エルバの家族らに、見送られながら、セラヴィアの納屋へと戻ろうとする。
クラリスはふと空を見上げた。
──風が吹いていた。
さっきまで止まっていた空気が、木々をざわめかせる。
クラリスが視線を遠くにやると、少し離れた木陰に、セラヴィアが立っていた。
「来てたんですか」
「うん。……いい風」
セラヴィアの髪が、風に揺れていた。その細い指が頬にかかる髪を撫でる。
「元気だった? エルバ婆?」
「ええ、とっても」
セラヴィアは、クラリスをじっと見つめる。
やがて、小さくため息をつき、
「そう……」
とだけ言うと、その木にもたれかかった。
風に乱れた髪を直そうともせず、目を閉じる。
セラヴィアは心地よさそうに、ただ、その風に身を預けていた。
「セラヴィアさん?」
クラリスの呼びかけは風に消えセラヴィアには届かなかった。
陽の光が、足元に影を落とす。
遊ぶ子供たちの声も、遠くに感じられる。
“北の端”の午後はいつも静かだが、今日は特にそう感じられた。
クラリスは、セラヴィアを探していた。ようやく、村はずれに立つ木に、もたれかかったその姿を見つけると、薬草の入った籠を抱えたまま、手を振り大きな声で呼びかける。セラヴィアもそれに気づき、小さく片手を上げて応じた。
「セラヴィアさん」
「……あら、少し慌てて? ……どうかしたの?」
いつもと変わらぬ、彼女のけだるげな返事が返ってくる。
今朝方降っていた雨の所為か、空気は少し湿っていた。日差しの強さも手伝って、少し蒸し暑い。
セラヴィアの背中には汗がしっとりと滲んでいた。
「……エルバさんから、セラヴィアさんにこれをって。何かあったんですか?」
そう言うと、クラリスは袋にしまっていたネックレスを、セラヴィアに渡した。
「エルバ婆から……?」
「これって、エルバさんがいつも身に着けていたネックレスですよね? まだ王都にいらっしゃったときに手に入れたものだとかで自慢されていたので」
この北の端には不似合いなつくりのネックレス。派手さはないが、繊細な彫刻が施され、誰もが見とれてしまう美しさがあった。もし賊が村に押し入ることがあるなら、真っ先に狙われるに違いないと、クラリスは思っていた。
「ああ……これね……。多分、こないだの加護のお礼かな……」
「加護ですか?」
「そうよ……そうね……エルバ婆も……もうすぐかもね……」
「もうすぐって……?」
クラリスははっとすると、大袈裟にため息をつく。
「なんてこというんですか。確かにお年はめされていらっしゃいますが、まだまだ元気なご様子でしたよ」
「……ほんとに?」
クラリスはセラヴィアの言葉に眉をひそめた。「この人は、何を気にしているのだろう」……ただ、彼女のその愁いを帯びた声が、クラリスに少し引っかかるものを感じさせていたことも事実だった。
「でもねえ……人は、いつかは死ぬものよ……」
静かな声で、セラヴィアは言った。
──しばらくして、クスリと笑う。……どうやら冗談のつもりだったらしい。まったく笑えない質の悪い冗談。
「もう。怖いこと言わないで下さい。誰も死にません!」
クラリスは、元気よくそういうと、怒ったように、視線をそらした。
「クラリスさーん!」
遠くから呼び声が聞こえる。髪の毛を二つに結った少女が、二人の下へ近づいてきた。
「噂をすれば……ってね」
セラヴィアがからかうように小さくつぶやく。
「セラヴィアさん!」
クラリスは、窘めるように少し強い口調で言った。
少女は、クラリスの前まで駆けて来ると、膝に手をし、息を切らせながら言う。
「おばあちゃんが、痛みがひどいって、足が……歩けなくて……」
「あなた、エルバさんのおうちの子よね? 大丈夫。すぐに行くわ」
少女がうなずく。セラヴィアは、立ち上がろうとしたクラリスの背に、視線を向けていた。
クラリスは籠を持つと、振り返り、セラヴィアに早口で尋ねる。
「セラヴィアさん、張り薬と、あと……」
「いいわよ……私の物、いつでも好きに使っていいから……」
「ありがとうございます!」
クラリスは、返事を聞くと急ぎ足でセラヴィアの使っている納屋へと向かっていった。セラヴィアは、その姿が見えなくなるまで見つめていた。
* * *
村の奥にある小さな家。小さなベッドに、年老いた女性が、横向きに丸くなって横たわっていた。
浅く息をしている中、時折小さな呻き声が漏れる。
「エルバさん、クラリスです。すぐに楽になりますからね」
クラリスは、そっと膝をついた。
少女が背後で見守っている。
「少し、触れますね」
クラリスが歌うように願いを心に紡ぐ。
“手をそっと脚に置く”
“深く祈るように”
“言葉はなく”
“ただ目を閉じ”
“静かに心を澄ませる”
“思いを心に念じる”
空気が、一瞬震えるような気配を見せたかと思うと、波紋のように静寂が広がっていく。
クラリスの手のひらが、ほんのりと淡い光に包まれた。
その光は、エルバの年老いた身体へと優しく染み入り、しばらくするとエルバの眉間の皺が、すこしだけほどけた。
やがて、クラリスはその手をゆっくりと離した。
光はすぐに消え、代わりに、重い吐息が彼女の唇から漏れる。
「ありがとう……クラリスさん」
少女が静かに頭を下げた。
「また、なにかあれば、いつでも言ってね」
ベッドの上では、エルバが体を起こし、そばに置いてあった水を口にしているところだった。その様子にクラリスは胸を撫で下ろす。やがてクラリスが立ち上がろうとしたとき、彼女の背後からエルバの声が聞こえた。
「いつもすまないね……まあ、こんな痛みも、“神の祝福”だと思って受け入れられるようにならないと……だね」
クラリスは驚いてエルバの目を見た。
「でも、それじゃ……」
エルバは、まるで自分の孫を諭すように優しい目でクラリスを見つめると、「それでいいんだよ」と微笑んだ。
その後、クラリスはエルバに簡単な処置を行うと外に出た。
少女や、エルバの家族らに、見送られながら、セラヴィアの納屋へと戻ろうとする。
クラリスはふと空を見上げた。
──風が吹いていた。
さっきまで止まっていた空気が、木々をざわめかせる。
クラリスが視線を遠くにやると、少し離れた木陰に、セラヴィアが立っていた。
「来てたんですか」
「うん。……いい風」
セラヴィアの髪が、風に揺れていた。その細い指が頬にかかる髪を撫でる。
「元気だった? エルバ婆?」
「ええ、とっても」
セラヴィアは、クラリスをじっと見つめる。
やがて、小さくため息をつき、
「そう……」
とだけ言うと、その木にもたれかかった。
風に乱れた髪を直そうともせず、目を閉じる。
セラヴィアは心地よさそうに、ただ、その風に身を預けていた。
「セラヴィアさん?」
クラリスの呼びかけは風に消えセラヴィアには届かなかった。
5
あなたにおすすめの小説
聖女らしくないと言われ続けたので、国を出ようと思います
菜花
ファンタジー
ある日、スラムに近い孤児院で育ったメリッサは自分が聖女だと知らされる。喜んで王宮に行ったものの、平民出身の聖女は珍しく、また聖女の力が顕現するのも異常に遅れ、メリッサは偽者だという疑惑が蔓延する。しばらくして聖女の力が顕現して周囲も認めてくれたが……。メリッサの心にはわだかまりが残ることになった。カクヨムにも投稿中。
聖女を追放した国が滅びかけ、今さら戻ってこいは遅い
タマ マコト
ファンタジー
聖女リディアは国と民のために全てを捧げてきたのに、王太子ユリウスと伯爵令嬢エリシアの陰謀によって“無能”と断じられ、婚約も地位も奪われる。
さらに追放の夜、護衛に偽装した兵たちに命まで狙われ、雨の森で倒れ込む。
絶望の淵で彼女を救ったのは、隣国ノルディアの騎士団。
暖かな場所に運ばれたリディアは、初めて“聖女ではなく、一人の人間として扱われる優しさ”に触れ、自分がどれほど疲れ、傷ついていたかを思い知る。
そして彼女と祖国の運命は、この瞬間から静かにすれ違い始める。
婚約破棄されたら、実はわたし聖女でした~捨てられ令嬢は神殿に迎えられ、元婚約者は断罪される~
腐ったバナナ
ファンタジー
「地味で役立たずな令嬢」――そう婚約者に笑われ、社交パーティで公開婚約破棄されたエリス。
誰も味方はいない、絶望の夜。だがそのとき、神殿の大神官が告げた。「彼女こそ真の聖女だ」と――。
一夜にして立場は逆転。かつて自分を捨てた婚約者は社交界から孤立し、失態をさらす。
傷ついた心を抱えながらも、エリスは新たな力を手に、国を救う奇跡を起こし、人々の尊敬を勝ち取っていく。
聖女業に飽きて喫茶店開いたんだけど、追放を言い渡されたので辺境に移り住みます!【完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
聖女が喫茶店を開くけど、追放されて辺境に移り住んだ物語と、聖女のいない王都。
———————————————
物語内のノーラとデイジーは同一人物です。
王都の小話は追記予定。
修正を入れることがあるかもしれませんが、作品・物語自体は完結です。
「可愛げがない」と婚約破棄された公爵令嬢ですが、領地経営をしていたのは私です
希羽
恋愛
「お前のような可愛げのない女との婚約は破棄する!」
卒業パーティの会場で、婚約者である第二王子デリックはそう宣言し、私の義妹ミナを抱き寄せました。 誰もが私が泣き崩れると思いましたが――正直、せいせいしました。 だって、王子の領地経営、借金返済、結界維持、それら全ての激務を一人でこなしていたのは「可愛げのない」私だったのですから。
「承知しました。では、あとはミナと二人で頑張ってください」
私は手切れ金代わりに面倒な仕事を全て置いて国を出ました。 すると、国境で待っていたのは、隣国ガルガディア帝国の冷徹皇太子ことクライド様。なぜか彼は私を溺愛し、帝国で最高の地位と環境を与えてくれて……。
「聖女はもう用済み」と言って私を追放した国は、今や崩壊寸前です。私が戻れば危機を救えるようですが、私はもう、二度と国には戻りません【完結】
小平ニコ
ファンタジー
聖女として、ずっと国の平和を守ってきたラスティーナ。だがある日、婚約者であるウルナイト王子に、「聖女とか、そういうのもういいんで、国から出てってもらえます?」と言われ、国を追放される。
これからは、ウルナイト王子が召喚術で呼び出した『魔獣』が国の守護をするので、ラスティーナはもう用済みとのことらしい。王も、重臣たちも、国民すらも、嘲りの笑みを浮かべるばかりで、誰もラスティーナを庇ってはくれなかった。
失意の中、ラスティーナは国を去り、隣国に移り住む。
無慈悲に追放されたことで、しばらくは人間不信気味だったラスティーナだが、優しい人たちと出会い、現在は、平凡ながらも幸せな日々を過ごしていた。
そんなある日のこと。
ラスティーナは新聞の記事で、自分を追放した国が崩壊寸前であることを知る。
『自分が戻れば国を救えるかもしれない』と思うラスティーナだったが、新聞に書いてあった『ある情報』を読んだことで、国を救いたいという気持ちは、一気に無くなってしまう。
そしてラスティーナは、決別の言葉を、ハッキリと口にするのだった……
聖女を怒らせたら・・・
朝山みどり
ファンタジー
ある国が聖樹を浄化して貰うために聖女を召喚した。仕事を終わらせれば帰れるならと聖女は浄化の旅に出た。浄化の旅は辛く、聖樹の浄化も大変だったが聖女は頑張った。聖女のそばでは王子も励ました。やがて二人はお互いに心惹かれるようになったが・・・
【完結】聖女と結婚するのに婚約者の姉が邪魔!?姉は精霊の愛し子ですよ?
つくも茄子
ファンタジー
聖女と恋に落ちた王太子が姉を捨てた。
正式な婚約者である姉が邪魔になった模様。
姉を邪魔者扱いするのは王太子だけではない。
王家を始め、王国中が姉を排除し始めた。
ふざけんな!!!
姉は、ただの公爵令嬢じゃない!
「精霊の愛し子」だ!
国を繁栄させる存在だ!
怒り狂っているのは精霊達も同じ。
特に王太子!
お前は姉と「約束」してるだろ!
何を勝手に反故してる!
「約束」という名の「契約」を破っておいてタダで済むとでも?
他サイトにも公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる