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黒の鴉は清らかな声に音の泉を蘇らせる
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「あの、宜しいですか?」
「はい」
香夜は、自身の役目を終えて『選定会』のホールをあとにしようとする役人を呼び止める。
「....ピアノが置いてある場所を教えて頂けますか?」
役人は振り返り、一瞬思案してから、「ご案内します」と手と身体で方向を指し示した。
◇
ガチャリ....。
「こちらです」
通された部屋は防音室になっていて、奥の壁際に黒いグランドピアノが置かれている。室内には、バイオリンやハープ、他にも様々な楽器が綺麗に並べられていた。
地下にあるため、陽の光は届かない。
代わりに、天井や壁に照明が多く取り付けられていて、細かく照度を調整できるよう配慮されている。
「....ありがとう」
香夜は、迷いなくピアノまで足を進め、愛おしそうに。再会を喜ぶように。長い指でそっと鍵盤の蓋を撫でた。
「....弾いても構いませんか」
「もちろんです。来客の方からご希望があれば、いつでも奏でられるよう手入れはしておりますので。どうぞご自由に、お使い下さい」
そう言って頭を下げた役人は、それ以上長居はせず下がっていった。
ドアが静かに閉まると、香夜は椅子に座りピアノに向かう。
.....カタリ。
黒光りする鍵盤の蓋を開ける音が響いた。
「...ごめん。やっぱり僕は....これからもーー」
小さな後悔と、それを上回る喜びを含んだ表情で....香夜はピアノに語りかける。
そうしてーー。
姿勢を整えて....目を閉じ、深く息を吸った。
ゆっくりと....綺麗な目が開いた瞬間。
香夜は奏で始めるーー。
~~~♪
今しがた、見つけたばかりの.....
『彼女』の声、歌、香り、姿。全てを思い浮かべて。
ただそれだけで....息を吹き返すように堰を切って溢れ出す香夜の中の『音』。
全身を巡って、彼の美しい指先から....
自分の内側を表現する音楽となって流れていく。
どれだけ聴こうとしても....昔みたいに、自分の中の大切な『音』が、聴こえてこなかった。
もう枯れたのだと....そう思っていた。
でもーー。
今、水が湧き出る泉の如く、香夜の全てに満ちていく『音』は、早く奏でてくれと言わんばかりの勢いだ。
ひとつひとつが意味を持つ『音』。
そんな、弾きたいと思える『音』たちが繋がったピアノの音色は、聴く者を圧倒する不思議な魅力があったーー。
ーー『八咫烏』。
神話に登場する導きの神であり、『太陽の化身』と言われる鴉。
彼の音には、聴く人を導く奇跡の力が宿っている。
賞賛の意を込めて、香夜をそう比喩する者がいるのも頷けるほどにーー。
◇
♪~~~......。
『.....香夜さん』
ピクリ。
止んだ音と同時に、香夜の耳に...自分の名を呼ぶ声が響いた。
もちろん、本当に呼ばれたわけではない。
だが、確かに。
今、彼の耳に届いた声は...きっと彼の欲望だ。
「....三村 透子さん」
確かめるように名を紡いだ彼の顔は、
どこか恍惚としていたーー。
*****
「透子?どこ行くんだ」
翌日。透子は朝から入念に支度して、家を出ようと玄関で靴を履いていた。
そこへ、ちょうど部屋から起き出してきた父・良太が声をかける。寝癖のついた髪に、胸までありそうな腹巻きが巻かれた、いかにも部屋着の格好で、ぼりぼりとお腹をかいている。
「あー...気分転換」
「気分転換...?」
透子は、ペロッと舌を出しながら説明した。
「うん。....昨日、お父さんは別室にいたから、もちろんわからないと思うんだけど....何かこう....居心地悪かったの」
「あー、まぁな。国の要人も役人も居て、他の花嫁候補者も居て。そりゃ、気疲れするよな」
良太は察したみたいに、うんうんと頷いている。
「うーん、それもあるんだけど....」
「....あるんだけど?」
「...........」
ところが、透子は他にも何か言いたげだ。
良太は、首を傾げて先を促したが、透子はそれ以上話さなかった。
(あの人....)
ぽりぽりと頬をかきながら、透子の頭の中は昨日のことでいっぱいになっていくーー。
◇
「では、次はーー」
後方の席に座った国の要人達。
フォーマルな場に相応しい装いで、自分の両隣にズラッと並んで座る、他の『花嫁候補者』達。
肝心の獣人の方の姿は見えない。
普段正体を明かすことのない彼らに配慮して、『花嫁候補者』には詳しく語られることはなく....もしかしたら別室に居るのかもしれないと考えた。
広く、豪華絢爛なホールの前方に設置されたスクリーン横に立つ役人が、集められた25人の女性達の情報をつらつらと読み上げていく。
確かに、場のかたい雰囲気や普段会うことのない人々に、気疲れしたのはあるだろう。
でもーー。
チラリ。
透子は、与えられた自身の席に座りながら....視線だけ“ある場所“に向ける。
(....さっきの人)
要人達に混じって、端の方の席に。
先ほど、中庭で言葉を交わした『鴉矢 香夜』が座っていた。
そのただならぬオーラは、例え隠れる位置に居ても、すぐにわかってしまう。
座席から考えて、彼もきっと国の要人のひとりなのだ。もちろん、それはいい。国の要人に歌を聴かれたのは赤面ものだが....まぁ、過ぎてしまったことは仕方がない。
....仕方がないのだがーー。
(どうして...ずっと見てるの?)
彼はじっと...その神秘的なシトリン色の瞳を、透子だけに。....透子ただひとりだけに、向けていたーー。
気のせいかと、一度目を逸らし.....
また、しばらくしてチラリと彼の方向を見遣っても。
やはり、ばっちりと視線が絡む。
ビクッ。
その度に、肩を揺らして、慌てて視線を前に向けるということを繰り返していた。
しかもーー。
(....なんか、嬉しそう?)
考えすぎだとは思うが、視線が絡む度に、彼が絶妙に嬉しそうな顔をしている気がして。透子はソワソワ落ち着かなくなった。
結局、『花嫁選定会』の時間中ずっと、彼と目が合い続けて....その居心地の悪さに、終わる頃にはぐったりとしていたのだ。
楽しみにしていたはずの可愛いお店探索も、あまりの疲労感に気力がないと早々に諦めて帰路についた。
今日は、たっぷり睡眠をとろうと決めてーー。
◇
(....でも、まだ変な感じなんだよね)
早めに帰宅して、ぐっすり眠ったはずなのに。
今朝、目覚めても昨日のことが....彼の印象的な瞳の色が、透子の頭の中を占領していた。
一人の男性の姿が脳裏にずっと焼き付いているなんて、初めてだ。
だから、透子は、気分転換に買い物にでも行くことにした。もう会うこともないのだから、こんなよくわからない気持ちなんて、さっさと切り替えてしまいたくてーー。
「ま、いいや。とにかく、電車間に合わなくなるから、そろそろ行くね?」
「お?おお!そうか、うん。今日は予定もないし、せっかくの休日だしな。楽しんでこいよ!」
場の空気を切り替えるように言って、玄関のドアを開けた娘に、良太は笑顔で手を振り見送ってくれた。
「はーい!お土産に、お父さんの好きな和菓子買ってきてあげるね」
「はは、楽しみにしてるよ。車には気をつけてな」
「うん。行ってきます!」
そして、透子は街へ出かけていった。
*****
「むふふ~。可愛いものたくさん見つけちゃった」
透子はウキウキと両手に紙袋を下げて、街の通りを歩いていた。沢山のお店が建ち並ぶ通りは休日で賑わっている。
今日は天気も最高にいい。
ビルの谷間に見えるのは澄んだ青だ。
透子はすっかり気分が良くなって、通りの端に置かれたベンチへと足を向けた。
薄茶色のベンチに腰掛けて、荷物を一旦隣に置いて、一息つく。
次はどこに行こうかと考えながら、晴れ渡る空と飛び交う鳥たちを眺めた。
「....透子さん」
「.....え?」
と、その時。数メートル先から呼ばれて...透子は声のした方向を見遣る。
「......う、そ」
思わず本音が漏れた。信じられなかった。
そこに居たのは、昨日初めて会った人物。
今日、透子が気分転換にやってくることになった理由のひとり。もう会うことはないと思っていた、鴉矢 香夜で、またあの....何とも嬉しそうな、ソワソワ落ち着かなくなる心地の笑みを、透子に向けていたからだ。
「はい」
香夜は、自身の役目を終えて『選定会』のホールをあとにしようとする役人を呼び止める。
「....ピアノが置いてある場所を教えて頂けますか?」
役人は振り返り、一瞬思案してから、「ご案内します」と手と身体で方向を指し示した。
◇
ガチャリ....。
「こちらです」
通された部屋は防音室になっていて、奥の壁際に黒いグランドピアノが置かれている。室内には、バイオリンやハープ、他にも様々な楽器が綺麗に並べられていた。
地下にあるため、陽の光は届かない。
代わりに、天井や壁に照明が多く取り付けられていて、細かく照度を調整できるよう配慮されている。
「....ありがとう」
香夜は、迷いなくピアノまで足を進め、愛おしそうに。再会を喜ぶように。長い指でそっと鍵盤の蓋を撫でた。
「....弾いても構いませんか」
「もちろんです。来客の方からご希望があれば、いつでも奏でられるよう手入れはしておりますので。どうぞご自由に、お使い下さい」
そう言って頭を下げた役人は、それ以上長居はせず下がっていった。
ドアが静かに閉まると、香夜は椅子に座りピアノに向かう。
.....カタリ。
黒光りする鍵盤の蓋を開ける音が響いた。
「...ごめん。やっぱり僕は....これからもーー」
小さな後悔と、それを上回る喜びを含んだ表情で....香夜はピアノに語りかける。
そうしてーー。
姿勢を整えて....目を閉じ、深く息を吸った。
ゆっくりと....綺麗な目が開いた瞬間。
香夜は奏で始めるーー。
~~~♪
今しがた、見つけたばかりの.....
『彼女』の声、歌、香り、姿。全てを思い浮かべて。
ただそれだけで....息を吹き返すように堰を切って溢れ出す香夜の中の『音』。
全身を巡って、彼の美しい指先から....
自分の内側を表現する音楽となって流れていく。
どれだけ聴こうとしても....昔みたいに、自分の中の大切な『音』が、聴こえてこなかった。
もう枯れたのだと....そう思っていた。
でもーー。
今、水が湧き出る泉の如く、香夜の全てに満ちていく『音』は、早く奏でてくれと言わんばかりの勢いだ。
ひとつひとつが意味を持つ『音』。
そんな、弾きたいと思える『音』たちが繋がったピアノの音色は、聴く者を圧倒する不思議な魅力があったーー。
ーー『八咫烏』。
神話に登場する導きの神であり、『太陽の化身』と言われる鴉。
彼の音には、聴く人を導く奇跡の力が宿っている。
賞賛の意を込めて、香夜をそう比喩する者がいるのも頷けるほどにーー。
◇
♪~~~......。
『.....香夜さん』
ピクリ。
止んだ音と同時に、香夜の耳に...自分の名を呼ぶ声が響いた。
もちろん、本当に呼ばれたわけではない。
だが、確かに。
今、彼の耳に届いた声は...きっと彼の欲望だ。
「....三村 透子さん」
確かめるように名を紡いだ彼の顔は、
どこか恍惚としていたーー。
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「透子?どこ行くんだ」
翌日。透子は朝から入念に支度して、家を出ようと玄関で靴を履いていた。
そこへ、ちょうど部屋から起き出してきた父・良太が声をかける。寝癖のついた髪に、胸までありそうな腹巻きが巻かれた、いかにも部屋着の格好で、ぼりぼりとお腹をかいている。
「あー...気分転換」
「気分転換...?」
透子は、ペロッと舌を出しながら説明した。
「うん。....昨日、お父さんは別室にいたから、もちろんわからないと思うんだけど....何かこう....居心地悪かったの」
「あー、まぁな。国の要人も役人も居て、他の花嫁候補者も居て。そりゃ、気疲れするよな」
良太は察したみたいに、うんうんと頷いている。
「うーん、それもあるんだけど....」
「....あるんだけど?」
「...........」
ところが、透子は他にも何か言いたげだ。
良太は、首を傾げて先を促したが、透子はそれ以上話さなかった。
(あの人....)
ぽりぽりと頬をかきながら、透子の頭の中は昨日のことでいっぱいになっていくーー。
◇
「では、次はーー」
後方の席に座った国の要人達。
フォーマルな場に相応しい装いで、自分の両隣にズラッと並んで座る、他の『花嫁候補者』達。
肝心の獣人の方の姿は見えない。
普段正体を明かすことのない彼らに配慮して、『花嫁候補者』には詳しく語られることはなく....もしかしたら別室に居るのかもしれないと考えた。
広く、豪華絢爛なホールの前方に設置されたスクリーン横に立つ役人が、集められた25人の女性達の情報をつらつらと読み上げていく。
確かに、場のかたい雰囲気や普段会うことのない人々に、気疲れしたのはあるだろう。
でもーー。
チラリ。
透子は、与えられた自身の席に座りながら....視線だけ“ある場所“に向ける。
(....さっきの人)
要人達に混じって、端の方の席に。
先ほど、中庭で言葉を交わした『鴉矢 香夜』が座っていた。
そのただならぬオーラは、例え隠れる位置に居ても、すぐにわかってしまう。
座席から考えて、彼もきっと国の要人のひとりなのだ。もちろん、それはいい。国の要人に歌を聴かれたのは赤面ものだが....まぁ、過ぎてしまったことは仕方がない。
....仕方がないのだがーー。
(どうして...ずっと見てるの?)
彼はじっと...その神秘的なシトリン色の瞳を、透子だけに。....透子ただひとりだけに、向けていたーー。
気のせいかと、一度目を逸らし.....
また、しばらくしてチラリと彼の方向を見遣っても。
やはり、ばっちりと視線が絡む。
ビクッ。
その度に、肩を揺らして、慌てて視線を前に向けるということを繰り返していた。
しかもーー。
(....なんか、嬉しそう?)
考えすぎだとは思うが、視線が絡む度に、彼が絶妙に嬉しそうな顔をしている気がして。透子はソワソワ落ち着かなくなった。
結局、『花嫁選定会』の時間中ずっと、彼と目が合い続けて....その居心地の悪さに、終わる頃にはぐったりとしていたのだ。
楽しみにしていたはずの可愛いお店探索も、あまりの疲労感に気力がないと早々に諦めて帰路についた。
今日は、たっぷり睡眠をとろうと決めてーー。
◇
(....でも、まだ変な感じなんだよね)
早めに帰宅して、ぐっすり眠ったはずなのに。
今朝、目覚めても昨日のことが....彼の印象的な瞳の色が、透子の頭の中を占領していた。
一人の男性の姿が脳裏にずっと焼き付いているなんて、初めてだ。
だから、透子は、気分転換に買い物にでも行くことにした。もう会うこともないのだから、こんなよくわからない気持ちなんて、さっさと切り替えてしまいたくてーー。
「ま、いいや。とにかく、電車間に合わなくなるから、そろそろ行くね?」
「お?おお!そうか、うん。今日は予定もないし、せっかくの休日だしな。楽しんでこいよ!」
場の空気を切り替えるように言って、玄関のドアを開けた娘に、良太は笑顔で手を振り見送ってくれた。
「はーい!お土産に、お父さんの好きな和菓子買ってきてあげるね」
「はは、楽しみにしてるよ。車には気をつけてな」
「うん。行ってきます!」
そして、透子は街へ出かけていった。
*****
「むふふ~。可愛いものたくさん見つけちゃった」
透子はウキウキと両手に紙袋を下げて、街の通りを歩いていた。沢山のお店が建ち並ぶ通りは休日で賑わっている。
今日は天気も最高にいい。
ビルの谷間に見えるのは澄んだ青だ。
透子はすっかり気分が良くなって、通りの端に置かれたベンチへと足を向けた。
薄茶色のベンチに腰掛けて、荷物を一旦隣に置いて、一息つく。
次はどこに行こうかと考えながら、晴れ渡る空と飛び交う鳥たちを眺めた。
「....透子さん」
「.....え?」
と、その時。数メートル先から呼ばれて...透子は声のした方向を見遣る。
「......う、そ」
思わず本音が漏れた。信じられなかった。
そこに居たのは、昨日初めて会った人物。
今日、透子が気分転換にやってくることになった理由のひとり。もう会うことはないと思っていた、鴉矢 香夜で、またあの....何とも嬉しそうな、ソワソワ落ち着かなくなる心地の笑みを、透子に向けていたからだ。
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