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黒の鴉は、嫉妬の炎に抗えない(十二章の『その後』です)
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「透子さん」
「.....え、香夜さん」
今朝の気まずさからか、彼の姿を見つけて、視線を彷徨わせた透子。でも、ゆっくり歩み寄る夫に、顔を俯けながらも返事を返す。
「今日は何もなかったので、迎えに来ました。そろそろ終わる頃かと思って」
「あ、ありがとうございます...」
「荷物、持ちましょうか」
言って、手を伸ばした時だ。
「透子さん!」
愛おしい妻の名を呼ぶ、男性の声が耳に届いた。
「あ....高瀬さん」
「高瀬....」
妻がその男の名を紡いで、思わずポソリと香夜の口から滑り落ちる呟き。
それは、透子にも、高瀬と呼ばれた男にも、届きはしなかった。
すぐそばにあった透子の気配は、次の瞬間には、自分のそばから離れていたからーー。
「どうされたんですか?」
タタタッと、夫に見向きもしないで、料理教室のドアから出てきた『高瀬』に走り寄る妻・透子。まるで香夜から逃げるような仕草に、彼の中の何かがぷつんと切れる音がした。
「エプロン、忘れてましたよ」
「あ、本当!ありがとうございます、助かりました」
「いえ。そういえば、英語かなり上達してますね。今日なんて、ほとんど聞き間違えることなく進められてましたし」
「えへへ、お恥ずかしい。最初の頃は、高瀬さんがいたから何とか授業についていけてました。感謝しかありません」
「はは、いやいや。この短期間で、ここまで聞き取れるようになるとは、本当、感心します。僕こそ、自分の国の言葉で話せる友人ができて、授業が楽しみになってますよ。感謝、感謝です」
数メートル先で、視線を交わして話す二人。
和やかな雰囲気が、彼らを取り巻いていた。
透子は肩の力を抜いて話しているのが、一目でわかる。
言葉が通じない環境での毎日の暮らし。
懸命に努力して、言語を習得する日々。
そんななか息抜きに通った教室で、言葉が通じる相手が居たら、仲良くなっていくのは無理もない。
わかっている。
気持ちとしては、理解しているつもりだ。
でもーー。
どうして、そんなに笑顔なの?
どうして、そんなにリラックスしてるの?
エプロンを渡す男の指がかすっても、そんなに柔らかな表情で.....
僕が触れたら...
僕が近くに居るだけでも....
あんなに、かたくなるのにーー。
「あ、透子さん。もし良ければ今度、うちのお店に来ませんか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。甘いもの、お好きそうでしたし。うち、和菓子も少しばかり作っていて。今度、洋菓子と和菓子を調和させて新作を作るつもりなんです。アドバイスいただけませんか?」
「うわぁ、いき....ーーっ」
「透子さん」
グッと腕を掴んで引き寄せた。
誘いに乗ろうとしていた彼女の身体は、後ろに傾き、香夜の胸が受け止めた。
「...いつも、妻がお世話になってます。夫の 鴉矢 香夜です。せっかくのお誘いですが、一人で行かせるのは気がかりでして。僕もご一緒させて頂けるのでしたら、喜んでお伺いさせて頂きます」
「え...香夜さん?」
戸惑う透子の声がするが、関係ない。
これは黙っていられない案件だ。
彼の店に行く?
客もスタッフもいなければ、二人きりじゃないか。
しかも、新作のお菓子のアドバイスだなんて。
店の開けた場所じゃなく、奥まで入り込んだら、誰の目も届かないかもしれない。
冗談じゃない。
「あ....も、申し訳ありません。ご主人がいらっしゃるのに気づかず....失礼致しました」
香夜の存在に気づき、さらには、目が笑っていない明らかな牽制の意を含んだ凄みのある笑顔に、高瀬が怯んで頭を下げる。
「いえ、随分仲良くして頂いているそうで。ありがとうございます」
「........っ、あ、は、はい。こちらこそ」
「.............」
変わらず笑顔だが、敵意に満ちたオーラに当てられて、高瀬はおろおろ視線を彷徨わせていた。
店の話は、それ以上でない。
もともと、透子を狙っての誘いだったのか。
香夜の怒気を感じ取り、やめておいたのか。
賢明だ。
この話は消えたと判断して、早々に立ち去る。
「...では、そろそろ時間ですので。エプロン、わざわざありがとうございました。これ、僕がプレゼントしたもので。妻も気に入っていたので、助かります」
「....そう、ですか。では」
「ああ、もし今後、妻をお誘い頂けるのであれば、何であれ先に僕にお話し願えますか。男性と二人きりは許容できないし、したくもありませんので」
「.....はい」
念の為、釘を刺しておいた。
これ以上、大切な透子に変な虫がつきそうな状況は耐えられない。
高瀬は、眉を下げて頷いた。
きっともう誘ってこないだろう。
「あ...すみません、高瀬さん。では」
透子は、二人のやりとりにあたふたしながら何もできず。背を向けた香夜の手に引かれて、帰宅の途についた。
「透子さん」
「.....え、香夜さん」
今朝の気まずさからか、彼の姿を見つけて、視線を彷徨わせた透子。でも、ゆっくり歩み寄る夫に、顔を俯けながらも返事を返す。
「今日は何もなかったので、迎えに来ました。そろそろ終わる頃かと思って」
「あ、ありがとうございます...」
「荷物、持ちましょうか」
言って、手を伸ばした時だ。
「透子さん!」
愛おしい妻の名を呼ぶ、男性の声が耳に届いた。
「あ....高瀬さん」
「高瀬....」
妻がその男の名を紡いで、思わずポソリと香夜の口から滑り落ちる呟き。
それは、透子にも、高瀬と呼ばれた男にも、届きはしなかった。
すぐそばにあった透子の気配は、次の瞬間には、自分のそばから離れていたからーー。
「どうされたんですか?」
タタタッと、夫に見向きもしないで、料理教室のドアから出てきた『高瀬』に走り寄る妻・透子。まるで香夜から逃げるような仕草に、彼の中の何かがぷつんと切れる音がした。
「エプロン、忘れてましたよ」
「あ、本当!ありがとうございます、助かりました」
「いえ。そういえば、英語かなり上達してますね。今日なんて、ほとんど聞き間違えることなく進められてましたし」
「えへへ、お恥ずかしい。最初の頃は、高瀬さんがいたから何とか授業についていけてました。感謝しかありません」
「はは、いやいや。この短期間で、ここまで聞き取れるようになるとは、本当、感心します。僕こそ、自分の国の言葉で話せる友人ができて、授業が楽しみになってますよ。感謝、感謝です」
数メートル先で、視線を交わして話す二人。
和やかな雰囲気が、彼らを取り巻いていた。
透子は肩の力を抜いて話しているのが、一目でわかる。
言葉が通じない環境での毎日の暮らし。
懸命に努力して、言語を習得する日々。
そんななか息抜きに通った教室で、言葉が通じる相手が居たら、仲良くなっていくのは無理もない。
わかっている。
気持ちとしては、理解しているつもりだ。
でもーー。
どうして、そんなに笑顔なの?
どうして、そんなにリラックスしてるの?
エプロンを渡す男の指がかすっても、そんなに柔らかな表情で.....
僕が触れたら...
僕が近くに居るだけでも....
あんなに、かたくなるのにーー。
「あ、透子さん。もし良ければ今度、うちのお店に来ませんか?」
「いいんですか?」
「もちろんです。甘いもの、お好きそうでしたし。うち、和菓子も少しばかり作っていて。今度、洋菓子と和菓子を調和させて新作を作るつもりなんです。アドバイスいただけませんか?」
「うわぁ、いき....ーーっ」
「透子さん」
グッと腕を掴んで引き寄せた。
誘いに乗ろうとしていた彼女の身体は、後ろに傾き、香夜の胸が受け止めた。
「...いつも、妻がお世話になってます。夫の 鴉矢 香夜です。せっかくのお誘いですが、一人で行かせるのは気がかりでして。僕もご一緒させて頂けるのでしたら、喜んでお伺いさせて頂きます」
「え...香夜さん?」
戸惑う透子の声がするが、関係ない。
これは黙っていられない案件だ。
彼の店に行く?
客もスタッフもいなければ、二人きりじゃないか。
しかも、新作のお菓子のアドバイスだなんて。
店の開けた場所じゃなく、奥まで入り込んだら、誰の目も届かないかもしれない。
冗談じゃない。
「あ....も、申し訳ありません。ご主人がいらっしゃるのに気づかず....失礼致しました」
香夜の存在に気づき、さらには、目が笑っていない明らかな牽制の意を含んだ凄みのある笑顔に、高瀬が怯んで頭を下げる。
「いえ、随分仲良くして頂いているそうで。ありがとうございます」
「........っ、あ、は、はい。こちらこそ」
「.............」
変わらず笑顔だが、敵意に満ちたオーラに当てられて、高瀬はおろおろ視線を彷徨わせていた。
店の話は、それ以上でない。
もともと、透子を狙っての誘いだったのか。
香夜の怒気を感じ取り、やめておいたのか。
賢明だ。
この話は消えたと判断して、早々に立ち去る。
「...では、そろそろ時間ですので。エプロン、わざわざありがとうございました。これ、僕がプレゼントしたもので。妻も気に入っていたので、助かります」
「....そう、ですか。では」
「ああ、もし今後、妻をお誘い頂けるのであれば、何であれ先に僕にお話し願えますか。男性と二人きりは許容できないし、したくもありませんので」
「.....はい」
念の為、釘を刺しておいた。
これ以上、大切な透子に変な虫がつきそうな状況は耐えられない。
高瀬は、眉を下げて頷いた。
きっともう誘ってこないだろう。
「あ...すみません、高瀬さん。では」
透子は、二人のやりとりにあたふたしながら何もできず。背を向けた香夜の手に引かれて、帰宅の途についた。
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