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第五章 母との対話と進路
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由香は、高校三年生になった。
クラスメイトは二年からほとんど持ち上がりのため、これからも学校生活は楽しくなりそうであった。
「よかった~!」と由香は心から安堵した。
ところが、学校生活がうまく行くと、今度は母親との心の距離が気になりはじめた。
もともと関係性はうまく行ってなかったが、学校生活を成り立たせることで精一杯で、由香は見て見ぬふりをして過ごしていたのだ。
母は、楽しそうな由香を見ると不機嫌になることがあった。
特に仕事で辛いことがあった場合に「由香だけが楽しむなんてズルい」という態度をあらわにした。
しかし、飲み屋で働き養ってもらっている分、由香はこれ以上何も言えなかった。
馴染んで楽しくなった学校生活から一転して、自宅に帰って不機嫌な母に会うのが耐えらなくなっていた。
喫茶店で、手持ち無沙汰に時間を潰すことも増えた。
喫茶店のおじさんは、何かあったのか察していたのか、深入りせず、いつもの笑顔で受け入れてくれた。
ポスターを作ることが楽しいと文化祭の時に気付いてから「デザイナーになりたい」という夢を抱き始め、母親にはまだ報告できずにいた。
「言っても受け止めてもらえないかもしれない、どうしよう…諦めて高卒で就職したらいいのかな…」
由香はグルグル悩んでいた。
考えがまとまらなかったので、ようやく喫茶店の人達に相談しようと決心した。
由香の曇り空のような気分を代弁するかのように、店内にはアンニュイなジャズが流れている。
憂鬱な日は私も家でジャズをかけようと思いつつ、由香はおじさんにカレーをオーダーした後、おじさんが暇になるまでぼんやり座って待つことにした。
すると、思いがけずノアが泣きじゃくり「大事にしてほしい…!」と由香の袖をつかんでやってきた。
「ノアは、私が何か悩みを抱えている時に、いつも突然現れるね…」
そう思いながらも、由香は感情を公にしているノアを見て胸を痛めた。
自分の代わりにノアが泣いてくれているのだろうか。それともノア自身に何か嫌なことでもあったのだろうか。
「大事にしてほしいというのは、ノアのこと?私のこと…?」とおそるおそる由香が聞くと、「そんなの両方だよ。本心を大事にしてほしいって言ったのに」と強い口調で返ってきた。
その瞬間、由香は【ノアは子どもの頃の私自身だ】と直感した。
思考するより早く、体と感情がそう言っていた。
食べ物の好みもすごく似てるし、私が悲しい時は、すでに会った時点で悲しんでくれていることすらあった。
うすうす、心の奥底では気付いていた。
…しかし、さすがに現実世界では、さすがにそんなこと、あり得ないだろう。
きっとノアの共感力が高いだけだよね、と由香は結論づけた。
由香はノアをぎゅっと抱きしめて「ごめんね、自分を大切にするね」と告げた。
泣き疲れたノアは、ふてくされつつも納得したのか、そのまま喫茶店を後にした。
ノアの姿が頭に焼き付いたまま、結局おじさんには相談できず、その日のカレーは、なんだかしょっぱい味がした。
その日の帰り道、由香は「私が楽しそうにしていてお母さんが不機嫌になるのは、きっとお母さん自身が無理をして、今を楽しんでないからだ」と悟った。
母への経済的負担は大きかったかもしれないが、果たしてそのことで私自身の人生を害されてもいいのだろうか。
泣きじゃくるノアを思い出しては「私の心は私だけのもの。私が守らなきゃ」と決意した。
帰宅すると、母親はすでに出勤しており家にいなかった。
翌日、勇気を出して喫茶店に寄らずに早く帰宅し、出勤前の身支度をしている母親に向かって
「今まで私を養ってくれてありがとう」と切り出した。
「え?突然何よ?」
「…あのね、私、卒業後はデザイナーになるために専門学校に行こうと思う、奨学金を使うよ。経済的な負担にお母さんに迷惑をかけてきたかもしれないけど、罪悪感のような意識を持ったまま、私自身の人生の楽しみを小さくしてしまうのは、違うと思うの。私は私という人間で、お母さんと同じではないから。だから私のために無理しないで。私は私の心に従って生きるから。お母さんはお母さんの人生を生きてほしい」
…上手く伝わっただろうか。でも思った本心をそのまま詰め込んだ。
すると母はハッとしたような顔で、「…別に由香のために自分を犠牲にしてるとは思ってない…それでも、そんな風に思わせてごめんね」と言った。
そして「奨学金はありがたいけど、この田舎に専門学校はないでしょ?一人暮らしするなら、少しだけど毎月仕送りするよ」と続けた。
思いがけない返事に、由香は嬉しかったが、うまく感情が表現できず、泣き笑いのようになった。
母は、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
出勤する母親を玄関で見送ると、その足で喫茶店に向かい、おじさんとノアに報告した。
もちろん二人は喜んでくれて、おじさんからサービスとして、具とケチャップが増し増しのオムライスが出てきた。これまで喫茶店で食べた中で、一番美味しく感じた。これまで、一番だと思っていたカレーを超えた。
そして
高校三年生の半ばを過ぎると、由香は奨学金をもらうために、これまで以上に勉学に励んだ。勉学に励んでいる間は、喫茶店に通うペースも落ちついていた。
やるだけのことをやって、AO入試を迎える前日、心細さから喫茶店に向かうと、「お、やっと来た!」とおじさんから赤色の「学業成就」のお守りをもらった。
ノアがおじさんにことづけたお守りだそうだ。この2人のエネルギーが込められているなら、入試もうまく行くかもしれないと、由香は急に心強く思った。
AO入試当日、お守りを制服のポケットに入れて、面接前にぎゅっと握りしめ、落ち着いて面接に臨むことができた。これで落ちたら仕方ないな、と思えるレベルまで力を出し切れた。
結果発表までの間、ソワソワしながらも、同じくAO入試組や推薦入試組と、映画、水族館、動物園など色々遊んで過ごした。
「アクション映画は好きじゃないし、水族館はイルカショー見たいし、動物園は名物のゴリラだけ見れたら満足!」
そんな風に、人に合わせるだけでなく、楽しいと思ったものは楽しい、つまらないと思ったものはつまらないと言えるまでになっていた。
さらに由香は、喫茶店での鍋パーティももう一度やりたいと言い出して、また常連で集まることになった。
最初に集まった時と同じく、話してもOKだし話さなくてもOKという雰囲気に癒された。
トランプの大富豪すら楽しいと思える自分を、由香は誇りに思っていた。
一瞬一瞬が輝いて、不安もなくて、楽しかった。
クラスメイトは二年からほとんど持ち上がりのため、これからも学校生活は楽しくなりそうであった。
「よかった~!」と由香は心から安堵した。
ところが、学校生活がうまく行くと、今度は母親との心の距離が気になりはじめた。
もともと関係性はうまく行ってなかったが、学校生活を成り立たせることで精一杯で、由香は見て見ぬふりをして過ごしていたのだ。
母は、楽しそうな由香を見ると不機嫌になることがあった。
特に仕事で辛いことがあった場合に「由香だけが楽しむなんてズルい」という態度をあらわにした。
しかし、飲み屋で働き養ってもらっている分、由香はこれ以上何も言えなかった。
馴染んで楽しくなった学校生活から一転して、自宅に帰って不機嫌な母に会うのが耐えらなくなっていた。
喫茶店で、手持ち無沙汰に時間を潰すことも増えた。
喫茶店のおじさんは、何かあったのか察していたのか、深入りせず、いつもの笑顔で受け入れてくれた。
ポスターを作ることが楽しいと文化祭の時に気付いてから「デザイナーになりたい」という夢を抱き始め、母親にはまだ報告できずにいた。
「言っても受け止めてもらえないかもしれない、どうしよう…諦めて高卒で就職したらいいのかな…」
由香はグルグル悩んでいた。
考えがまとまらなかったので、ようやく喫茶店の人達に相談しようと決心した。
由香の曇り空のような気分を代弁するかのように、店内にはアンニュイなジャズが流れている。
憂鬱な日は私も家でジャズをかけようと思いつつ、由香はおじさんにカレーをオーダーした後、おじさんが暇になるまでぼんやり座って待つことにした。
すると、思いがけずノアが泣きじゃくり「大事にしてほしい…!」と由香の袖をつかんでやってきた。
「ノアは、私が何か悩みを抱えている時に、いつも突然現れるね…」
そう思いながらも、由香は感情を公にしているノアを見て胸を痛めた。
自分の代わりにノアが泣いてくれているのだろうか。それともノア自身に何か嫌なことでもあったのだろうか。
「大事にしてほしいというのは、ノアのこと?私のこと…?」とおそるおそる由香が聞くと、「そんなの両方だよ。本心を大事にしてほしいって言ったのに」と強い口調で返ってきた。
その瞬間、由香は【ノアは子どもの頃の私自身だ】と直感した。
思考するより早く、体と感情がそう言っていた。
食べ物の好みもすごく似てるし、私が悲しい時は、すでに会った時点で悲しんでくれていることすらあった。
うすうす、心の奥底では気付いていた。
…しかし、さすがに現実世界では、さすがにそんなこと、あり得ないだろう。
きっとノアの共感力が高いだけだよね、と由香は結論づけた。
由香はノアをぎゅっと抱きしめて「ごめんね、自分を大切にするね」と告げた。
泣き疲れたノアは、ふてくされつつも納得したのか、そのまま喫茶店を後にした。
ノアの姿が頭に焼き付いたまま、結局おじさんには相談できず、その日のカレーは、なんだかしょっぱい味がした。
その日の帰り道、由香は「私が楽しそうにしていてお母さんが不機嫌になるのは、きっとお母さん自身が無理をして、今を楽しんでないからだ」と悟った。
母への経済的負担は大きかったかもしれないが、果たしてそのことで私自身の人生を害されてもいいのだろうか。
泣きじゃくるノアを思い出しては「私の心は私だけのもの。私が守らなきゃ」と決意した。
帰宅すると、母親はすでに出勤しており家にいなかった。
翌日、勇気を出して喫茶店に寄らずに早く帰宅し、出勤前の身支度をしている母親に向かって
「今まで私を養ってくれてありがとう」と切り出した。
「え?突然何よ?」
「…あのね、私、卒業後はデザイナーになるために専門学校に行こうと思う、奨学金を使うよ。経済的な負担にお母さんに迷惑をかけてきたかもしれないけど、罪悪感のような意識を持ったまま、私自身の人生の楽しみを小さくしてしまうのは、違うと思うの。私は私という人間で、お母さんと同じではないから。だから私のために無理しないで。私は私の心に従って生きるから。お母さんはお母さんの人生を生きてほしい」
…上手く伝わっただろうか。でも思った本心をそのまま詰め込んだ。
すると母はハッとしたような顔で、「…別に由香のために自分を犠牲にしてるとは思ってない…それでも、そんな風に思わせてごめんね」と言った。
そして「奨学金はありがたいけど、この田舎に専門学校はないでしょ?一人暮らしするなら、少しだけど毎月仕送りするよ」と続けた。
思いがけない返事に、由香は嬉しかったが、うまく感情が表現できず、泣き笑いのようになった。
母は、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
出勤する母親を玄関で見送ると、その足で喫茶店に向かい、おじさんとノアに報告した。
もちろん二人は喜んでくれて、おじさんからサービスとして、具とケチャップが増し増しのオムライスが出てきた。これまで喫茶店で食べた中で、一番美味しく感じた。これまで、一番だと思っていたカレーを超えた。
そして
高校三年生の半ばを過ぎると、由香は奨学金をもらうために、これまで以上に勉学に励んだ。勉学に励んでいる間は、喫茶店に通うペースも落ちついていた。
やるだけのことをやって、AO入試を迎える前日、心細さから喫茶店に向かうと、「お、やっと来た!」とおじさんから赤色の「学業成就」のお守りをもらった。
ノアがおじさんにことづけたお守りだそうだ。この2人のエネルギーが込められているなら、入試もうまく行くかもしれないと、由香は急に心強く思った。
AO入試当日、お守りを制服のポケットに入れて、面接前にぎゅっと握りしめ、落ち着いて面接に臨むことができた。これで落ちたら仕方ないな、と思えるレベルまで力を出し切れた。
結果発表までの間、ソワソワしながらも、同じくAO入試組や推薦入試組と、映画、水族館、動物園など色々遊んで過ごした。
「アクション映画は好きじゃないし、水族館はイルカショー見たいし、動物園は名物のゴリラだけ見れたら満足!」
そんな風に、人に合わせるだけでなく、楽しいと思ったものは楽しい、つまらないと思ったものはつまらないと言えるまでになっていた。
さらに由香は、喫茶店での鍋パーティももう一度やりたいと言い出して、また常連で集まることになった。
最初に集まった時と同じく、話してもOKだし話さなくてもOKという雰囲気に癒された。
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一瞬一瞬が輝いて、不安もなくて、楽しかった。
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