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【第10部】東の島国・トヨノクニ開国(物理)編 ~悪役令嬢、黒船になる。鎖国? ならば「開国(物理)」して、美味しいお米と温泉をいただきます
第083話 出島制圧:入国審査はデコピンで。役人が空を飛んだついでに、快男児(リョウマ)を拾いました
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魔導戦艦「ヴィータヴェン号」による、物理的な「入港」から数分後。
もうもうと立ち込めていた土煙が海風に流され、港の惨状が露わになった。
そこは異様な静寂に包まれていた。
無理もない。空から降ってきたわけではないが、海から突っ込んできた巨大な「黒い城」が、港湾施設の一部を粉砕して鎮座しているのだ。
瓦礫の山となった岸壁。ひしゃげた倉庫。半壊した番所。
そして、その頂点に立つ、漆黒のドレスを纏った異国の美女。
「……ば、化け物だ……」
「南蛮の妖怪だ……! 魂を抜かれるぞ!」
「大砲も効かんかった……鉄の船か!?」
腰を抜かした侍たちが、刀や火縄銃を構える手も震わせながら、ジリジリと後ずさる。
彼らの目に映るわたしは、さぞかし恐ろしい「侵略者」に見えていることだろう。
……心外ね。わたしはただ、美味しいご飯を食べに来ただけの、善良な観光客だというのに。ただ少し、ブレーキの場所を忘れて、アクセルをベタ踏みしてしまっただけよ。
「レヴィちゃん、完全に敵地だよ……。どうするの? このまま戦争?」
背後でアリスが杖を構えながら、周囲を警戒している。
彼女の目には、かつてサン・ルーチャでマフィアに囲まれた時の緊張感が戻っていた。魔力は満タン、いつでも広範囲殲滅魔法が撃てる状態だ。
「戦争? 冗談じゃないわ」
わたしは鉄扇をパチンと閉じた。
「言ったでしょう? これは『来訪』よ。……ただ、少しばかり玄関の扉が固かったから、ノックの音が大きくなってしまっただけ」
「ノックで玄関が大破してるんですが……」
ミリアが瓦礫を見ながら冷静にツッコむ。彼女はすでに魔導計算機を片手に、破壊した施設の損害賠償額と、これから売りつける商品の利益率を計算し始めているようだ。たくましいこと。
その時、遠巻きに囲んでいた人垣が割れ、一人の男が大股で進み出てきた。
立派な羽織袴を身につけ、腰には大小二本の刀。そして、額には冷や汗をかきながらも、尊大な態度を崩さない中年男。
この港を管理する役人――「奉行」のようだ。取り巻きの侍たちが、彼の周りを固めている。
「ええい、控えよ、控えよ! 異人の分際で、神聖なるトヨノクニの土を踏むとは何事か!」
奉行は震える指でわたしを指差し、裏返った金切り声を上げた。
「貴様ら、直ちに立ち去れ! さもなくば、この場の侍たちに命じ、貴様らを斬り捨ててくれるわ! 大筒を持て! 船ごと吹き飛ばしてしまえ!」
彼の合図で、数百人の侍たちが槍や刀を構え、ジリジリと包囲を狭めてくる。
殺気というよりは、恐怖に裏打ちされた自暴自棄な敵意。
厄介な手合いだ。追い詰められた鼠は猫を噛むというが、彼らは今、自分たちが得体の知れない「怪物」の前に放り出されたと思っている。
「……ふぅ。話が通じないわね」
わたしはため息をつき、瓦礫の山からひらりと飛び降りて、石畳(だったもの)の上に降り立った。
カツン、とヒールの音が響く。
その音だけで、侍たちがビクリと肩を跳ねさせ、一歩下がった。
「お役人様。わたくしたちは争いを望んでおりませんの」
わたしは淑女の笑みを浮かべ、優雅に一歩近づいた。
「ただ、船旅で疲れましたので……少しの間、ここを休息の地としてお借りしたいだけですわ。もちろん、相応の対価はお支払いしますけれど?」
「黙れ! 神州の土は、穢れた金などで買えるものではない!」
奉行は顔を真っ赤にして激昂した。
聞く耳を持たない典型的な石頭だ。いや、それだけではない。彼の目には、異質なものに対する根源的な嫌悪と、自分の地位を脅かされることへの恐怖が張り付いている。
そして、あろうことか――奉行はズカズカと歩み寄り、わたしの胸ぐらを掴もうと、汚れた手を伸ばしてきたのだ。
「その薄汚い口を閉じろ! この南蛮のアマが!」
――ピキッ。
わたしのこめかみに青筋が浮かぶ。
薄汚い? アマ?
……百歩譲って「侵略者」呼ばわりは甘んじて受け入れよう。事実、港を壊したのはわたしだ。
だが、レディに対してその口の利き方は、万死に値する。
それに、「穢れ」などという言葉で他者を蔑むその精神性が、何よりも気に入らない。
「……汚いのは、あなたのその手よ」
わたしは奉行の手が届くより速く、彼の鼻先へと右手を突き出した。
握り拳ではない。
中指を親指で弾く構え。子供の遊びのような、しかし今のわたしが放てば凶器となる型。
「空の旅へご招待してあげるわ。……頭を冷やしてらっしゃい」
わたしは指先に魔力ではなく、純粋な筋力を集中させた。
バネのように収縮する筋肉。
「――デコピンッ!!」
バチンッ!!!
乾いた破裂音が、港に響き渡った。
わたしの指先が、奉行の脂ぎった額のド真ん中を捉えた音だ。
衝撃波が発生し、周囲の空気が歪む。
「ぐばっ!?」
奉行の体は、まるでゴムボールのように軽々と宙に舞った。
物理法則を無視した弾道を描き、きりもみ回転しながら空の彼方へ。
ヒュルルルルル……キラッ☆
遥か遠くの空で、キランと光って見えなくなる。
漫画のような吹き飛び方だ。
シーン……。
侍たちが、口をポカンと開けて空を見上げている。
彼らの主人が、指一本で星になった光景を、脳が処理しきれていないのだ。
刀を構えたまま硬直する者、腰を抜かす者、現実逃避して笑い出す者。
「……さて」
わたしは指先の埃をフッと吹き払い、凍りついている侍たちを見回した。
「他に、空を飛びたい方は?」
「ひ、ひぃぃぃぃッ!?」
「あ、悪魔だ……! 人間業じゃねえ!」
「奉行様が……お星様に……!」
侍たちが悲鳴を上げて武器を取り落とす。
戦意喪失。当然の結果だ。
圧倒的な力の差を見せつけられれば、生物は本能的に屈服する。それが自然の摂理。
わたしは彼らを殺しに来たわけではない。ただ、道を空けさせたいだけなのだ。
「ふふっ、ご理解いただけて嬉しいわ。……ミリア、仕事よ」
「はいッ! お任せください!」
わたしの合図で、背後からミリアが飛び出してきた。
彼女は巨大リュックを下ろすと、中から「ジャラララッ!」と景気の良い音を立てて、大きな革袋を取り出した。
袋の口を開け、中身を無造作に地面へぶちまける。
チャリン、チャリーン!
太陽の光を反射して輝く、黄金の山。
カジノ「グランド・パレス」から賠償金として巻き上げたり、無人島のダンジョンで回収した、最高純度の金貨や宝石だ。
その輝きは、荒廃した港には不釣り合いなほど眩しい。
「あ、あれは……金!?」
「見たこともない量だ……!」
「小判じゃねえ……全部、純金か!?」
侍たちの目が、恐怖から欲望へと変わる。
この国は鎖国中だ。しかも、遠目に見る限り街は寂れ、人々は痩せている。経済的に困窮しているのは明らかだ。
そこへ、一生かかっても拝めないような大金が転がってきたのだ。心が揺れないはずがない。
「これらは『入港税』および『施設修繕費』、そして……皆様への『心付け』ですわ」
わたしは鉄扇で黄金の山を指し示した。
「わたくしたちは、この一角――通称『出島(仮)』を、当面の間、拠点として使用させていただきます。……文句のある方は?」
わたしが冷ややかに問うと、侍たちは顔を見合わせ、そして一斉に武器を捨てて平伏した。
「あ、ありません!」
「どうぞお使いください!」
「ようこそトヨノクニへ!」
「奉行様? はて、そんな人いましたっけ?」
侍たちが金貨を拾い集め始める。
現金なものだ。だが、それが人間というもの。
恐怖と利益。この二つを同時に与えれば、大抵の交渉は成立する。彼らも生きるのに必死なのだ。
「ミリア、看板を」
「はいっ!」
ミリアが手際よく杭を打ち込み、一枚の看板を掲げた。
『V&C商会 トヨノクニ支部(仮設店舗)』。
さらに、彼女は手早く簡易テントを設営し、リュックから商品(味噌と醤油の小瓶)を並べ始めた。
「さあさあ! 異国の珍味、そして万能調味料! 今なら開店記念セール中ですよ! お金がなくても物々交換受け付けます!」
……早いわね。それに味噌と醤油の本家に殴り込みにきて、とりあえず売ってみようという根性が、相変わらずたくましい。
港の一角が、あっという間にわたしたちの「領土」と化した。
ヴィータヴェン号が巨大な防波堤となり、テントが拠点の中心となる。
「やれやれ……。とりあえず、足場は確保できたわね」
わたしは安堵のため息をつき、海風に吹かれた。
第一関門突破。
次は、情報の収集と、食料の確保だ。お米と温泉の情報、そしてこの国の現状について、詳しく知る必要がある。
そう思って振り返ろうとした、その時だった。
パチ、パチ、パチ……。
乾いた拍手の音が、瓦礫の陰から聞こえてきた。
「……こりゃあ痛快じゃき! 役人をあそこまで綺麗に飛ばすとは、黒船の大砲より凄まじいぜよ!」
独特の訛りのある、快活な男の声。
わたしは瞬時に警戒態勢に入り、声の主を睨んだ。
「……誰?」
崩れた倉庫の屋根の上。
そこに、一人の男が胡座をかいて座っていた。
ボサボサの黒髪を後ろで束ね、着流しに革のブーツという、和洋折衷の奇妙な出で立ち。
腰には刀ではなく、南蛮渡来の短銃が一丁、無造作に下げられている。
顔立ちは精悍だが、その目じりには悪戯っぽい笑い皺が刻まれている。
男はニカッと笑い、軽やかに屋根から飛び降りた。
トンッ。着地音がない。かなりの手練れだ。
「怪しいもんじゃあないきに。……わしはリョウマ。この港で、しがない海運業を営んじゅうもんじゃ」
リョウマと名乗った男は、人懐っこい笑みを浮かべて近づいてきた。
その瞳は、好奇心と、計算高い光で輝いている。
「おんしたちの船が見えた時から、こりゃあ面白いことになると思うてな。高みの見物をさせてもろうちょった」
「……見世物じゃないわよ」
「いやいや、立派な見世物じゃった! あの堅物の奉行が星になるところなんざ、一生の語り草になるぜよ! 胸がすいたわい!」
リョウマは豪快に笑い、わたしの肩をバンと叩こうとした――が、直前で止めた。
わたしの殺気を感じ取ったのだろう。彼は両手を上げて「降参」のポーズをとった。
「おっと、すまんすまん。……おんし、強いのう。ただの力自慢じゃあない。歴戦の武人の気配がするき」
「……お褒めに預かり光栄ね。それで? 何のご用かしら」
わたしは警戒を解かず、冷たく問いかけた。
この男、ただの野次馬ではない。
鎖国中のこの国で、異国風の格好をし、銃を持っている。そして何より、この状況を楽しんでいる。
「部外者」の匂いがする。
「用というほどでもないが……。おんしたち、この国は初めてじゃろ? 右も左もわからん状態で、いきなり奉行を飛ばしてしもうて……この先、どうするつもりじゃ?」
「どうするも何も、観光よ。美味しいご飯を食べて、温泉に入るの」
わたしが答えると、リョウマは目を丸くし、そして腹を抱えて笑い出した。
「観光!? ぶははははッ! こりゃ傑作じゃ! 黒船で乗り込んできて、役人を吹っ飛ばして、言うことが『観光』か! おんし、最高にイカれちゅうな!」
「失礼ね。本気よ」
「わかっちゅう、わかっちゅうきに。……けんどな、お嬢さん。今のこの国は、おんしが思うような楽しい場所じゃあないぜよ?」
リョウマの表情が、ふと真面目なものに変わった。
その瞳の奥に、憂いのような色が走る。
「飯? 温泉? ……そんな余裕のあるもんは、今のトヨノクニには残っちゃおらん。あるのは飢えと、恐怖と、諦めだけじゃ」
彼は港の奥、城下町の方角を顎でしゃくった。
「見とうせ。活気があるように見えるかえ?」
言われてみれば、港の騒ぎを聞きつけた野次馬たちが遠巻きに見ているが、彼らの服装はボロボロで、痩せこけている。
侍たちでさえ、着物は継ぎ接ぎだらけで、頬がこけていた。
先ほどの奉行だけが、不自然に小太りだったことに思い当たる。
これは、単なる貧困ではない。搾取の匂いがする。
「……将軍家による『圧政』、というやつかしら」
「ご明察。……今の将軍、アシカガ・ムネノリは狂っちょる。もともとトヨノクニの将軍家は、代々『剣聖』の称号を受け継ぐ武門の頂点。ムネノリ様もまた、歴代最強と謳われるほどの剣の使い手で、人格者じゃった。……あの『刀』を手にするまではな」
リョウマは声を潜め、忌々しそうに吐き捨てた。
「数年前、古い遺跡から発掘されたという一振りの刀……妖刀『魂喰』。それを手にしてから、将軍は変わってしもうた。民から米を奪い、侍から刀を奪い……この国を、巨大な牢獄に変えてしもうたがじゃ」
リョウマは悔しそうに拳を握りしめた。
「わしはな、この国を変えたいがぜよ。外の世界と商売をして、新しい風を入れて、民が腹一杯食える国にしたい。……けんど、鎖国の壁は厚くてのう。手詰まりじゃった」
彼はわたしを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、野心と、そして純粋な愛国心が宿っていた。
「そこへ現れたのが、おんしたちじゃ。……黒い城に乗って、理不尽をデコピンで吹き飛ばす、規格外の女」
リョウマはニヤリと笑い、手を差し出した。
「どうじゃ? 手を組まんか? わしがこの国を案内しちゃる。……美味しい飯のありかも、いい温泉の場所も、わしなら知っちゅうぞ?」
交渉成立だ。
この国の事情通であり、志を持つ男。彼となら、面白くなりそうだ。
わたしは、彼の差し出した手を強く握り返した。
「いいわ、乗ったわリョウマ。……わたしの名前はレヴィーネ。こっちは相棒のアリスと、ミリアよ」
「レヴィーネか。いい名じゃ! よろしく頼むぜよ、姐さん!」
「姐さん……?」
またその呼び名か。ハニマル領でも、サン・ルーチャでもそう呼ばれた気がする。どうやらわたしには、荒くれ者たちを惹きつける何かがあるらしい。
まあいい。強力なコネクションを持つ現地ガイドを確保できたのは大きい。
「それじゃあ早速、案内してもらいましょうか。……まずは、この国の『食』のレベルを確認したいの」
「食、か。……まあ、期待はせんほうがええが、心当たりはあるき。ついてきとうせ!」
リョウマの先導で、わたしたちは港を後にし、城下町へと足を踏み入れた。
そこには、わたしの想像を超える「飢え」の現実が待っていた。
もうもうと立ち込めていた土煙が海風に流され、港の惨状が露わになった。
そこは異様な静寂に包まれていた。
無理もない。空から降ってきたわけではないが、海から突っ込んできた巨大な「黒い城」が、港湾施設の一部を粉砕して鎮座しているのだ。
瓦礫の山となった岸壁。ひしゃげた倉庫。半壊した番所。
そして、その頂点に立つ、漆黒のドレスを纏った異国の美女。
「……ば、化け物だ……」
「南蛮の妖怪だ……! 魂を抜かれるぞ!」
「大砲も効かんかった……鉄の船か!?」
腰を抜かした侍たちが、刀や火縄銃を構える手も震わせながら、ジリジリと後ずさる。
彼らの目に映るわたしは、さぞかし恐ろしい「侵略者」に見えていることだろう。
……心外ね。わたしはただ、美味しいご飯を食べに来ただけの、善良な観光客だというのに。ただ少し、ブレーキの場所を忘れて、アクセルをベタ踏みしてしまっただけよ。
「レヴィちゃん、完全に敵地だよ……。どうするの? このまま戦争?」
背後でアリスが杖を構えながら、周囲を警戒している。
彼女の目には、かつてサン・ルーチャでマフィアに囲まれた時の緊張感が戻っていた。魔力は満タン、いつでも広範囲殲滅魔法が撃てる状態だ。
「戦争? 冗談じゃないわ」
わたしは鉄扇をパチンと閉じた。
「言ったでしょう? これは『来訪』よ。……ただ、少しばかり玄関の扉が固かったから、ノックの音が大きくなってしまっただけ」
「ノックで玄関が大破してるんですが……」
ミリアが瓦礫を見ながら冷静にツッコむ。彼女はすでに魔導計算機を片手に、破壊した施設の損害賠償額と、これから売りつける商品の利益率を計算し始めているようだ。たくましいこと。
その時、遠巻きに囲んでいた人垣が割れ、一人の男が大股で進み出てきた。
立派な羽織袴を身につけ、腰には大小二本の刀。そして、額には冷や汗をかきながらも、尊大な態度を崩さない中年男。
この港を管理する役人――「奉行」のようだ。取り巻きの侍たちが、彼の周りを固めている。
「ええい、控えよ、控えよ! 異人の分際で、神聖なるトヨノクニの土を踏むとは何事か!」
奉行は震える指でわたしを指差し、裏返った金切り声を上げた。
「貴様ら、直ちに立ち去れ! さもなくば、この場の侍たちに命じ、貴様らを斬り捨ててくれるわ! 大筒を持て! 船ごと吹き飛ばしてしまえ!」
彼の合図で、数百人の侍たちが槍や刀を構え、ジリジリと包囲を狭めてくる。
殺気というよりは、恐怖に裏打ちされた自暴自棄な敵意。
厄介な手合いだ。追い詰められた鼠は猫を噛むというが、彼らは今、自分たちが得体の知れない「怪物」の前に放り出されたと思っている。
「……ふぅ。話が通じないわね」
わたしはため息をつき、瓦礫の山からひらりと飛び降りて、石畳(だったもの)の上に降り立った。
カツン、とヒールの音が響く。
その音だけで、侍たちがビクリと肩を跳ねさせ、一歩下がった。
「お役人様。わたくしたちは争いを望んでおりませんの」
わたしは淑女の笑みを浮かべ、優雅に一歩近づいた。
「ただ、船旅で疲れましたので……少しの間、ここを休息の地としてお借りしたいだけですわ。もちろん、相応の対価はお支払いしますけれど?」
「黙れ! 神州の土は、穢れた金などで買えるものではない!」
奉行は顔を真っ赤にして激昂した。
聞く耳を持たない典型的な石頭だ。いや、それだけではない。彼の目には、異質なものに対する根源的な嫌悪と、自分の地位を脅かされることへの恐怖が張り付いている。
そして、あろうことか――奉行はズカズカと歩み寄り、わたしの胸ぐらを掴もうと、汚れた手を伸ばしてきたのだ。
「その薄汚い口を閉じろ! この南蛮のアマが!」
――ピキッ。
わたしのこめかみに青筋が浮かぶ。
薄汚い? アマ?
……百歩譲って「侵略者」呼ばわりは甘んじて受け入れよう。事実、港を壊したのはわたしだ。
だが、レディに対してその口の利き方は、万死に値する。
それに、「穢れ」などという言葉で他者を蔑むその精神性が、何よりも気に入らない。
「……汚いのは、あなたのその手よ」
わたしは奉行の手が届くより速く、彼の鼻先へと右手を突き出した。
握り拳ではない。
中指を親指で弾く構え。子供の遊びのような、しかし今のわたしが放てば凶器となる型。
「空の旅へご招待してあげるわ。……頭を冷やしてらっしゃい」
わたしは指先に魔力ではなく、純粋な筋力を集中させた。
バネのように収縮する筋肉。
「――デコピンッ!!」
バチンッ!!!
乾いた破裂音が、港に響き渡った。
わたしの指先が、奉行の脂ぎった額のド真ん中を捉えた音だ。
衝撃波が発生し、周囲の空気が歪む。
「ぐばっ!?」
奉行の体は、まるでゴムボールのように軽々と宙に舞った。
物理法則を無視した弾道を描き、きりもみ回転しながら空の彼方へ。
ヒュルルルルル……キラッ☆
遥か遠くの空で、キランと光って見えなくなる。
漫画のような吹き飛び方だ。
シーン……。
侍たちが、口をポカンと開けて空を見上げている。
彼らの主人が、指一本で星になった光景を、脳が処理しきれていないのだ。
刀を構えたまま硬直する者、腰を抜かす者、現実逃避して笑い出す者。
「……さて」
わたしは指先の埃をフッと吹き払い、凍りついている侍たちを見回した。
「他に、空を飛びたい方は?」
「ひ、ひぃぃぃぃッ!?」
「あ、悪魔だ……! 人間業じゃねえ!」
「奉行様が……お星様に……!」
侍たちが悲鳴を上げて武器を取り落とす。
戦意喪失。当然の結果だ。
圧倒的な力の差を見せつけられれば、生物は本能的に屈服する。それが自然の摂理。
わたしは彼らを殺しに来たわけではない。ただ、道を空けさせたいだけなのだ。
「ふふっ、ご理解いただけて嬉しいわ。……ミリア、仕事よ」
「はいッ! お任せください!」
わたしの合図で、背後からミリアが飛び出してきた。
彼女は巨大リュックを下ろすと、中から「ジャラララッ!」と景気の良い音を立てて、大きな革袋を取り出した。
袋の口を開け、中身を無造作に地面へぶちまける。
チャリン、チャリーン!
太陽の光を反射して輝く、黄金の山。
カジノ「グランド・パレス」から賠償金として巻き上げたり、無人島のダンジョンで回収した、最高純度の金貨や宝石だ。
その輝きは、荒廃した港には不釣り合いなほど眩しい。
「あ、あれは……金!?」
「見たこともない量だ……!」
「小判じゃねえ……全部、純金か!?」
侍たちの目が、恐怖から欲望へと変わる。
この国は鎖国中だ。しかも、遠目に見る限り街は寂れ、人々は痩せている。経済的に困窮しているのは明らかだ。
そこへ、一生かかっても拝めないような大金が転がってきたのだ。心が揺れないはずがない。
「これらは『入港税』および『施設修繕費』、そして……皆様への『心付け』ですわ」
わたしは鉄扇で黄金の山を指し示した。
「わたくしたちは、この一角――通称『出島(仮)』を、当面の間、拠点として使用させていただきます。……文句のある方は?」
わたしが冷ややかに問うと、侍たちは顔を見合わせ、そして一斉に武器を捨てて平伏した。
「あ、ありません!」
「どうぞお使いください!」
「ようこそトヨノクニへ!」
「奉行様? はて、そんな人いましたっけ?」
侍たちが金貨を拾い集め始める。
現金なものだ。だが、それが人間というもの。
恐怖と利益。この二つを同時に与えれば、大抵の交渉は成立する。彼らも生きるのに必死なのだ。
「ミリア、看板を」
「はいっ!」
ミリアが手際よく杭を打ち込み、一枚の看板を掲げた。
『V&C商会 トヨノクニ支部(仮設店舗)』。
さらに、彼女は手早く簡易テントを設営し、リュックから商品(味噌と醤油の小瓶)を並べ始めた。
「さあさあ! 異国の珍味、そして万能調味料! 今なら開店記念セール中ですよ! お金がなくても物々交換受け付けます!」
……早いわね。それに味噌と醤油の本家に殴り込みにきて、とりあえず売ってみようという根性が、相変わらずたくましい。
港の一角が、あっという間にわたしたちの「領土」と化した。
ヴィータヴェン号が巨大な防波堤となり、テントが拠点の中心となる。
「やれやれ……。とりあえず、足場は確保できたわね」
わたしは安堵のため息をつき、海風に吹かれた。
第一関門突破。
次は、情報の収集と、食料の確保だ。お米と温泉の情報、そしてこの国の現状について、詳しく知る必要がある。
そう思って振り返ろうとした、その時だった。
パチ、パチ、パチ……。
乾いた拍手の音が、瓦礫の陰から聞こえてきた。
「……こりゃあ痛快じゃき! 役人をあそこまで綺麗に飛ばすとは、黒船の大砲より凄まじいぜよ!」
独特の訛りのある、快活な男の声。
わたしは瞬時に警戒態勢に入り、声の主を睨んだ。
「……誰?」
崩れた倉庫の屋根の上。
そこに、一人の男が胡座をかいて座っていた。
ボサボサの黒髪を後ろで束ね、着流しに革のブーツという、和洋折衷の奇妙な出で立ち。
腰には刀ではなく、南蛮渡来の短銃が一丁、無造作に下げられている。
顔立ちは精悍だが、その目じりには悪戯っぽい笑い皺が刻まれている。
男はニカッと笑い、軽やかに屋根から飛び降りた。
トンッ。着地音がない。かなりの手練れだ。
「怪しいもんじゃあないきに。……わしはリョウマ。この港で、しがない海運業を営んじゅうもんじゃ」
リョウマと名乗った男は、人懐っこい笑みを浮かべて近づいてきた。
その瞳は、好奇心と、計算高い光で輝いている。
「おんしたちの船が見えた時から、こりゃあ面白いことになると思うてな。高みの見物をさせてもろうちょった」
「……見世物じゃないわよ」
「いやいや、立派な見世物じゃった! あの堅物の奉行が星になるところなんざ、一生の語り草になるぜよ! 胸がすいたわい!」
リョウマは豪快に笑い、わたしの肩をバンと叩こうとした――が、直前で止めた。
わたしの殺気を感じ取ったのだろう。彼は両手を上げて「降参」のポーズをとった。
「おっと、すまんすまん。……おんし、強いのう。ただの力自慢じゃあない。歴戦の武人の気配がするき」
「……お褒めに預かり光栄ね。それで? 何のご用かしら」
わたしは警戒を解かず、冷たく問いかけた。
この男、ただの野次馬ではない。
鎖国中のこの国で、異国風の格好をし、銃を持っている。そして何より、この状況を楽しんでいる。
「部外者」の匂いがする。
「用というほどでもないが……。おんしたち、この国は初めてじゃろ? 右も左もわからん状態で、いきなり奉行を飛ばしてしもうて……この先、どうするつもりじゃ?」
「どうするも何も、観光よ。美味しいご飯を食べて、温泉に入るの」
わたしが答えると、リョウマは目を丸くし、そして腹を抱えて笑い出した。
「観光!? ぶははははッ! こりゃ傑作じゃ! 黒船で乗り込んできて、役人を吹っ飛ばして、言うことが『観光』か! おんし、最高にイカれちゅうな!」
「失礼ね。本気よ」
「わかっちゅう、わかっちゅうきに。……けんどな、お嬢さん。今のこの国は、おんしが思うような楽しい場所じゃあないぜよ?」
リョウマの表情が、ふと真面目なものに変わった。
その瞳の奥に、憂いのような色が走る。
「飯? 温泉? ……そんな余裕のあるもんは、今のトヨノクニには残っちゃおらん。あるのは飢えと、恐怖と、諦めだけじゃ」
彼は港の奥、城下町の方角を顎でしゃくった。
「見とうせ。活気があるように見えるかえ?」
言われてみれば、港の騒ぎを聞きつけた野次馬たちが遠巻きに見ているが、彼らの服装はボロボロで、痩せこけている。
侍たちでさえ、着物は継ぎ接ぎだらけで、頬がこけていた。
先ほどの奉行だけが、不自然に小太りだったことに思い当たる。
これは、単なる貧困ではない。搾取の匂いがする。
「……将軍家による『圧政』、というやつかしら」
「ご明察。……今の将軍、アシカガ・ムネノリは狂っちょる。もともとトヨノクニの将軍家は、代々『剣聖』の称号を受け継ぐ武門の頂点。ムネノリ様もまた、歴代最強と謳われるほどの剣の使い手で、人格者じゃった。……あの『刀』を手にするまではな」
リョウマは声を潜め、忌々しそうに吐き捨てた。
「数年前、古い遺跡から発掘されたという一振りの刀……妖刀『魂喰』。それを手にしてから、将軍は変わってしもうた。民から米を奪い、侍から刀を奪い……この国を、巨大な牢獄に変えてしもうたがじゃ」
リョウマは悔しそうに拳を握りしめた。
「わしはな、この国を変えたいがぜよ。外の世界と商売をして、新しい風を入れて、民が腹一杯食える国にしたい。……けんど、鎖国の壁は厚くてのう。手詰まりじゃった」
彼はわたしを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、野心と、そして純粋な愛国心が宿っていた。
「そこへ現れたのが、おんしたちじゃ。……黒い城に乗って、理不尽をデコピンで吹き飛ばす、規格外の女」
リョウマはニヤリと笑い、手を差し出した。
「どうじゃ? 手を組まんか? わしがこの国を案内しちゃる。……美味しい飯のありかも、いい温泉の場所も、わしなら知っちゅうぞ?」
交渉成立だ。
この国の事情通であり、志を持つ男。彼となら、面白くなりそうだ。
わたしは、彼の差し出した手を強く握り返した。
「いいわ、乗ったわリョウマ。……わたしの名前はレヴィーネ。こっちは相棒のアリスと、ミリアよ」
「レヴィーネか。いい名じゃ! よろしく頼むぜよ、姐さん!」
「姐さん……?」
またその呼び名か。ハニマル領でも、サン・ルーチャでもそう呼ばれた気がする。どうやらわたしには、荒くれ者たちを惹きつける何かがあるらしい。
まあいい。強力なコネクションを持つ現地ガイドを確保できたのは大きい。
「それじゃあ早速、案内してもらいましょうか。……まずは、この国の『食』のレベルを確認したいの」
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