悪役令嬢の兇器はドス黒い鈍器《パイプ椅子》です ~前世は病弱、今世は物理最強。魔法もチートも私には勝てません~

みやもと春九堂@月館望男

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【第15部】大陸横断大工事編 ~神の雷を買い取り、断絶の壁をブチ抜いて、最愛(既読スルー男)に右ストレートを叩き込みますわ~

第161話 三界への礼節:空と大地、それと愛しき兄弟に捧ぐ乾杯

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 夜が訪れた。
 乾いた風が、荒野の砂を巻き上げて夜の闇へと消えていく。
 頭上には、これまでの人生で見上げたどの空よりも近く、それでいて圧倒的な質量を伴って迫る満天の星空があった。
 ここは、大陸を東西に結ぶ交易路――後にわたしたちが「黒鋼大回廊」として整備することになる、未だ名のなき荒野の只中だ。

 パチパチと爆ぜる焚き火の音が、静寂を心地よく揺らしている。
 その炎を囲むのは、わたしたち「V&C商会」の遠征メンバーと、タクラの民の末裔たち、そして新たな仲間となった獣人とエルフたちだ。

「――主賓に、歓迎の杯を」

 部族の長老がおごそかにそう告げると、獣の革で作られた酒袋が回された。
 注がれたのは、馬乳を発酵させた独特の酸味を持つ酒――クミスだ。白濁した液体が、木彫りの杯の中で揺れている。
 わたしは、その酒をすぐに口には運ばなかった。
 彼らの流儀ルールを、先ほどの挨拶で見知っていたからだ。

 わたしの隣で、長老が自らの杯に指先を浸す。
 その皺だらけの指を、夜空へと弾いた。

「空に」

 飛沫が星明かりを反射して煌めく。
 続いて、長老は指先を大地へと向ける。

「大地に」

 最後に、彼はその指を自身の胸の前で一度止め、焚き火の向こう――見えざる先人たちが眠る闇へと弾いた。

「祖霊に」

 それは、食事や飲酒、あるいは家畜の命を頂く際に行われる、彼らにとっての日常的な儀礼だった。
 貴重な水分を、栄養を、一滴たりとも無駄にできないこの過酷な環境において、あえてそれを「こぼす」行為。
 かつてのわたしなら――前世の効率主義に毒されていた頃のわたしなら、「勿体ない」「非合理的だ」と切り捨てていたかもしれない。

(……ああ、なんて)

 揺らめく炎の向こうで、その所作はあまりにも厳かだった。
 胸の奥が締め付けられるほどに、美しかった。
 自分たちが生きているのは、空の恵みと、大地の支えと、過去から繋がれてきた命の連鎖のおかげである。
 その感謝を、言葉ではなく「喪失(捧げること)」で示す。
 自らの身を削ることで、世界と繋がる。

 それは、わたしの魂の奥底に眠っていた、遠い記憶を呼び覚ます。
 前世の日本。八百万の神々。いただきます、という言葉の意味。山の神に御神酒を捧げる作法。
 文化は違えど、根底にある「祈り」の形は、酷く似ていた。
 そしてそれは、この過酷な世界で生きる人間が持つ、根源的な強さと優しさの証明でもあった。

「……郷に入っては、郷に従いますわ」

 わたしは静かに呟き、自分の杯に人差し指を浸した。
 冷たい液体が指先に絡む。
 視線を上げる。そこには、宝石箱をひっくり返したような星空。
 かつて、病室の窓から切り取られた四角い空しか知らなかったわたしが見たかった、無限の世界。
 指先を弾く。しずくが空へ還る。

「空に」

 視線を下ろす。わたしの足元には、どこまでも続く荒野。
 これからわたしたちが道を切り拓き、鉄路を敷き、人々の営みを繋いでいく大地。
 指先を弾く。しずくが乾いた砂に吸い込まれる。

「大地に」

 そして、わたしは三度目の動作のために、指を浸した。
 けれど、それをどこに向けるべきか、一瞬だけ迷った。
 祖霊、先祖。わたしには、この世界のヴィータヴェン家の歴代当主たちへの深い信仰心はない。
 前世の家族への思いも、すでに遠いものとなりつつある。
 でも、捧げるべき相手は、確かにいた。

 瞼を閉じる。暗闇の中に、あの日の記憶が蘇る。
 冷たくなっていく小さな手。けれど、最期まで燃え続けていた、世界への憧れを宿した瞳。

(……ノア)

 心の中で、最愛の義弟の名を呼ぶ。
(見ていて? ノア。お姉ちゃんは今、世界の真ん中にいるのよ)
 貴方が憧れた世界は、教科書に載っていたような綺麗なだけの場所じゃなかった。
 魔物は出るし、商売敵は汚い手を使うし、道は悪いし、ご飯が不味い店だって山ほどある。
 理不尽で、残酷で、弱肉強食が当たり前の場所。
 でもね、ノア。

(こんなにも、美しいわ)

 誰かのために祈る姿が。命を繋ごうとする営みが。
 言葉も通じない異国の民と、こうして同じ火を囲んで笑い合える夜が。
 貴方が生きたかった世界は、こんなにも広くて、眩しい。
 わたしは濡れた指先を、夜の闇のどこかにいるであろう彼に向けて、優しく弾いた。

「――祖霊と、愛しき魂の兄弟ブラザーに」

 ポツリとこぼれた言葉は、風の音にかき消されたけれど。
 胸のつかえが取れたような、不思議な清々しさがあった。

「ふふ、レヴィちゃんったら。すっかり馴染んでるね~」

 その神聖な空気を、間の抜けた声が和ませる。
 隣を見れば、アリスが口の周りをタレでべとべとにしながら、骨付き肉にかぶりついていた。
 彼女もまた、見よう見まねで儀式を行ったようだが、その指先からはすでに「早く食べたい」という欲望が溢れ出ていたに違いない。

「アリス、少しは情緒というものを学びなさいな。……あと、口元が汚れていてよ」

 わたしの指摘などどこ吹く風で、聖女は幸せそうに咀嚼を続ける。

「んぐっ、んぐ……だってぇ、このお肉、めちゃくちゃ美味しいんだもん! スパイスが効いてて、噛めば噛むほど肉汁がジュワ~って!」

「……まったく」

 わたしは呆れつつも、自分も一口、杯の中身を煽った。
 強い酸味と共に、野生的な香りが鼻腔を抜ける。喉が焼けるように熱い。
 けれど、それは「生きている」という強烈な実感をもたらす味だった。
 一方、焚き火の対角線側では、わたしの有能な部下が熱心に活動していた。

「……なるほど、この香草『クミン』に近い香りの実を、乾燥させて粉末に……。これは保存食の加工に使えますね。防腐効果と、食欲増進作用……メモメモ」

「ミリア、仕事熱心なのは結構だけれど、今は宴の時間よ。貴女も座りなさい」

 ミリアは、わたしの言葉に弾かれたように顔を上げた。

「あ、レヴィーネ様! 申し訳ありません、つい……この地域の食材利用法が、あまりにも合理的で興味深くて」

 彼女は恐縮しながらも、瞳をキラキラさせて戻ってきた。
 ミリアは「レヴィーネ様」と呼び、アリスは「レヴィちゃん」と呼ぶ。
 この三角関係こそが、今のわたしの日常だ。

「彼らは、家畜を一頭潰したら、肉も、内臓も、血も、骨も、皮も、全て使い切るんです。命を無駄にしない。……その精神は、レヴィーネ様が常々仰っている『食材への敬意』と同じだなって」

 ミリアの感心したような言葉に、わたしは満足げに頷いた。

「ええ、その通りよ。……奪った命は、自身の血肉に変えて、明日を生きる力にする。それが礼儀というものですわ」

 わたしは目の前に差し出された皿から、焼きたての羊肉を手に取った。
 ナイフなどない。手掴みだ。ワイルドに齧り付く。
 ガリッ、と焦げた表面の香ばしさと共に、中から熱々の脂が溢れ出した。

「……んっ、素晴らしいわ!」

 思わず声が出た。
 羊特有の癖のある匂いを、香草の鋭い香りが絶妙に中和し、むしろ食欲をそそる芳香へと昇華させている。
 噛みしめるたびに、繊維がほぐれ、濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。

「この脂の甘み……! そこに酸味の効いた酒を流し込むと、口の中がさっぱりして、また次の一口が欲しくなる……無限機関永久運動ですわね、これは!」

「あはは、レヴィちゃんもスイッチ入っちゃった! これ、絶対日本酒……じゃなかった、トヨノクニの『コメの酒』にも合うよねぇ」

 アリスが同意を求めてくる。
 たしかに、トヨノクニの芳醇な酒との相性は抜群だろう。

「ええ、間違いありませんわ。……ミリア、このスパイスの配合、のちほど詳しく聞き出して商会のレシピに加えなさい。トヨノクニでの新メニュー候補よ」

「はいっ! すでにサンプルは確保しました!」

 有能な宰相候補の返事を聞きながら、宴の様子を見渡す。
 広場には、トヨノクニからの炊き出しだけでなく、キャラバンに同行していた西方の商人たちが即席の屋台を並べ、活気ある呼び込みを始めていた。
 そこかしこから、スパイシーな煙と、発酵した独特の酸っぱい匂いが漂ってくる。

「おう、なんやこれ、どえりゃあ白い酒だがね。ドブロクきゃあ?」

 ヒデヨシが、遊牧民から差し出された革袋を受け取り、中身を木杯に注ぐ。
 先ほどわたしが口にした『馬乳酒クミス』だ。

「すっぺぇ! ……んん? でもこれ、微炭酸で……喉越しがええがね! 脂っこい肉料理の後にゃあ、どえりゃあサッパリするわい!」

 彼の驚きに、現地の男が応える。

「ガハハ! だろう? これを飲めば砂漠の夜も寒くない!」

 赤蠍族の男たちが笑いながら、ヒデヨシの背中を叩く。
 一方、別の屋台では、黒鉄組の若い衆が、大鍋を覗き込んで首を傾げていた。
 商人が、皿に山盛りのビリヤニと、羊肉の煮込みを乗せて差し出す。

「食わず嫌いは損だよ! 俺たちの自慢の米だ、食ってみな!」

 若い衆の一人が、恐る恐るスプーンで口に運ぶ。
 粘り気はなく、口の中でパラリと解ける感触。だが、その瞬間、彼の表情が一変した。

「……! うめぇッ!!」

 彼は驚愕に目を剥いた。
 トヨノクニの「銀シャリ」とは対極にある、パラパラとした食感。

「なんだこれ! トヨノクニの米とは全然違う! 粘り気がない分、米の一粒一粒がスパイスと肉汁を吸い込んでやがる!」

 若い衆の言葉に、周囲の者たちも次々とスプーンを伸ばす。
 モチモチの白米こそ至高と信じていた彼らの常識が、物理的(味覚的)に更新されていく。
 その光景を眺めながら、わたしは馬乳酒を優雅に口にした。

「……ふふ。分かりましたか、皆さん」

 わたしの声に、ビリヤニを頬張る部下たちがこちらを向く。

「世界は広いですのよ。……トヨノクニの米も素晴らしいですが、この土地の風土には、この米が合う。どちらが上ではなく、どちらも『美味しい』。……それを知ることこそが、旅の醍醐味ですわ」

「へいっ! 姐さんの言う通りです! おかわり!」

 胃袋が開かれれば、心も開かれる。
 東西の男たちは、互いの酒を酌み交わし、互いの米を食らいながら、夜更けまで笑い合った。
 こうして、西から東へ。
 風景が変わるように、鍋の中身も少しずつ変わりながら、一行は大陸中央を目指して進んでいくのだった。

「「「ウオオオオオッッ!!!」」」

 オアシスの夜空に、種族を超えた歓声が響き渡る。
 紛争地帯は、一夜にして巨大な「多国籍建設キャンプ」へと生まれ変わった。
 東へ。雪だるま式に膨れ上がるわたしたちの行軍は、もはや誰にも止められない。
 次なる目的地は、大陸を分かつ最大の難所――『大断裂帯』だ。
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