黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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八話

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前髪が風に揺れ、上手く見えなかったが、妃乃環の視線は、何処か、惚けているようだった。

「出来た?」

「…え。ああぁ。出来たよ」

視線を反らした妃乃環の頬が、少し赤らんでるように見え、首を傾げた。

「ほら。こっちに座っておくれよ」

ゆっくりと立ち上がり、料理が並ぶちゃぶ台の前に座ると、両隣に、妃乃環と紅夜が腰を下ろした。

「はい。どうぞ」

茶碗と碗が、目の前に置かれたのを見つめ、箸を手に持ち、静かに手を合わせた。

「頂きます」

味噌汁を口にし、茶碗を持って、次々に料理を口に運ぶ。
次第に、雪椰達の目が大きくなり、驚いたような顔になった。

「マジかよ…」

「信じられん」

大皿の料理を口に放り込み、白米をかっ込んで、味噌汁を啜る。
その姿に驚いた羅偉と季麗の呟きに、紅夜は、クスクス笑った。

「蓮花様が寝込んだ後は、いつも、こんな感じなんだよ。あ。はいはい」

茶碗を突き出すと、紅夜は、それを受け取り、白米が山盛りにされて返された。
白米を口に運んで、味噌汁を啜ると、妃乃環が、クスッと笑った。

「寝込むと、大食いになるのか?」

「ほふいはいひふ」

「これ!口に物を入れて喋るんじゃないよ。行儀悪い」

「ふぁ~い」

妃乃環に怒られ、食事に集中した。

「あの…今、なんて言ったんですか?」

「特異体質って言ったんだ。蓮花様は、寝込んだ後、寝ていた日数分の食事量になるんだよ」

「そんな事して、お腹壊さない?」

「それも、蓮花様の特異体質で、なんともないのさ」

阿華羽が、新たな料理を持って現れると、空いた大皿と取り替えた。

「貴女は?」

「阿華羽だよ」

阿華羽の持ってきた料理を口に入れて、顔を少しだけしかめた。

「しょっぱい」

その料理を指差すと、雪椰達は、それぞれで、小さく首を振った。

「何がなんだか、分かんなくなってきた」

「それが蓮花様よ」

天井から垂らした糸に座ったまま、斜め後ろに八蜘蛛が現れた。
羅偉が首を傾げると、八蜘蛛は、クスクスと笑った。

「八蜘蛛よ?宜しく」

妖艶な笑みを浮かべた八蜘蛛を見つめ、雪椰達は、口を半開きにしたまま会釈した。
八蜘蛛は、そんな雪椰達から、斜め前にある背中に視線を移した。

「蓮花様は、周りに溢れる活力と、ご自身が食した命から力を得て、その身を保っている。今回みたいに、怪我をされて、寝込んでしまうと、周りからの活力だけで、その身を保たせ、ある程度、傷が癒え、少しの力を蓄えると、今度は、力を元に戻そうと、こうして、大量の命を食されるのよ」

妃乃環に、味噌汁のおかわりを請求してるのを見つめ、雪椰達は、何度も頷いた。

「更に、今の蓮花様は、食した命をすぐ力に変えようとする為、消化速度が、普段の十倍以上の早さ。だから、お腹も壊さないの。分かったかしら?」

「もうないの?」

八蜘蛛が説明をしている間も、ひたすら食べ続け、目の前の料理も、白米も、味噌汁も、全部、綺麗に食べきると、雪椰達は、口を半開きにしたまま、呆然としていた。

「もう食材がないんだよ」

「ふぅ~ん」

「斑尾達が、買って来るまで、もう少し寝ていたらどうだい?」

肩に掛けられた物を見て、紅夜を見上げた。

「直してくれたの?」

紅夜は、優しく微笑んだのを見てから、綺麗に直っている浴衣に触れ、微笑みを浮かべた。

「ありがとう」

「…どぉ…いたし…まして」

障子にもたれ掛かり、縁側に顔を出した紅夜に、首を傾げると、妃乃環は、溜め息をついた。

「たらしだねぇ」

「しかも、天然のね」

妃乃環と阿華羽の言ってる事が、よく分からず、首を傾げてから、横目で、雪椰達を見ると、ボーッとしていた。

「彼らは、どうして、ここに?」

「蓮花様が目覚めるまで、ここに置いとくれって、しつこく、頼まれたんだよ。だから、仕方なくねぇ」

「そうなんだ。ごめんね?心配掛けて」

向き直ると、雪椰達は、小さく首を振った。
そんな雪椰達を見て、口を開こうとした時、庭から大声が響いた。

「蓮花様ーーー!!」

振り返ると、狐の姿の白夜と黒猫の姿の流青が、庭を走り抜け、胡座で座ってる膝に、頬を擦り付けて、嬉しそうに喉を鳴らした。

「ごめんね?心配掛けて」

「ホント。心配したんだからね?」

「蓮花様が、無事なら、それだけで良いよ」

流青と白夜の頭を撫でなから、小さく笑い、視線を雪椰達に戻した。

「…君達との契約、しなかったんじゃなく、出来なかったの」

「どうゆう事だ」

影千代の目付きが、厳しくなり、そっと、視線を反らすように、妃乃環の方に頭を向け、流青を見下ろした。

「普通の人間なら、簡単に契約出来るかもしれない。でも、私は、筆頭式神よりも、強い力を持つ妖かしとじゃなきゃ、契約が出来ない。私の筆頭は斑尾。斑尾以上の力を持たない君達と契約をしたところで、斑尾との式契約が優先され、君達との契約は、無効になってしまう」

気持ち良さそうに、目を細めてる流青に、優しく微笑んだ。

「なら、最初に、言えば良かっただろ」

ぶっきらぼうな羅偉の声に、頭を撫でていた手を止めた。

「あの時…今の話をしたところで、君達は、信じてくれた?」

左に流していた前髪の隙間から、横目で、雪椰達に、一瞬だけ、視線を向け、すぐに畳を見下ろした。

「君達は、里の為、一族の為にココに来た。私が、どんな存在かを全く知らない状態で。そんな状態で、私の言葉を信じられた?」

ゆっくりと視線を向け、苦痛の表情を浮かべると、雪椰達の眉が、哀しく、苦しそうに寄せられた。

「私を…信じてくれた?」

静かに流れ込んだ風が、吐き出された言葉を連れ、雪椰達の元へと置いて逃げ去る。
庭の草花の香りが、頬を掠め、孤独の花が芽吹いたが、白夜達の暖かさが、その花を枯らした。
それは、とても複雑で、とても空しいモノだった。

「蓮花様~。寝ないの?」

気遣った流青を見下ろした。

「そうだね…一緒に寝ようか」

「良いの?」

優しく微笑んで頷くと、白夜は、慌てたように、体を起こした。

「ズルいぞ!」

「言った者勝ちだよ~」

「ねぇ~。蓮花様~。俺も一緒寝たい~」

尻尾を振りながら、小馬鹿にした流青を無視して、白夜は、甘えるように、膝に頬擦りをした。

「ダメだよ?僕が、先に言ったんだから」

「お前が決めんなよ。一緒寝れば良いだろ」

「白夜と一緒なんて嫌」

「なんでだよ」

「だって、寝相悪いんだもん」

「お前だって、寝言うるせぇだろ」

「歯軋りよりも良いから」

挟まれた状態で、二人の醜い言い合いが始まってしまい、苦笑いしていると、妃乃環が、流青の頭を軽く叩いた。

「いい加減におしよ」

「白夜もおやめよ」

紅夜が、白夜の背中を軽く叩くと、二人で、その小さな頬を膨らませた。

「だって、白夜が、生意気なんだもん」

「それはお前だろ!!」

「それ以上、蓮花様を困らせるなら、吊るすわよ?」

指を鳴らした八蜘蛛を見て、二人は、腹のに額を着け、顔を埋めるようにしながら、カタカタと、小さな肩を揺らした。

「全く。第三のアンタらが、格付け外のアタシらより、弱くてどうすんだい」

「式神にも、格付けがあるんですか?」

不思議そうに、首を傾げた雪椰に、苦笑いしたまま、顔を向けた。

「ありますよ。式神自体、様々な種類があって、その格付けは、多種多様です。私の場合、斑尾が筆頭、第二が亥鈴と理苑、第三が白夜、流青、楓雅、仁刃、酒天シュテン、慈雷夜です」

「彼女達は、入らないんですか?」

妃乃環達を見て、眉を八の字にした。

「人によっては、女妖も格付けに入ることもありますが、夜月の格付けは、男妖だけなんです。女妖や子妖、それから、式神同士の間に産まれた妖かしは、格付け外になるんですけど…なんでか、格付け外の方が、強いんですよね」

雪椰達は、鼻で溜め息をつき、困ったような顔をした。

「何処の世界でも、女の子の方が強いんだね」

「まぁ。彼女たちは、白夜達と同様に、私と力を共用してるから余計だと思います」

「ちょっと良いか」

場の空気が和んだ時、影千代を見て、首を傾げた。

「はい?」

「力を共用すると言っているが、古い書物には、その様なことは、一切書かれていなかった。お前は、どうして、それが出来るんだ」

「それは、契約方法の問題ですね」

羅偉が、首を傾げた。

「契約方法って、倒した妖かしを自分の式神にするんだろ?」

「一般的に有名なのは、その方法だけど、私達の場合、互いに互いの名を預け合う契約方法。だから、互いが互いの力を使えるように共用されるの」

その時、大きなアクビが出てしまい、八蜘蛛が、肩を抱くように触れた。

「蓮花様。そろそろ、お休みになったらどうです?」

「そうだね。白夜。流青。行こう?」

目を擦りながら立ち上がり、白夜と流青を連れ、妃乃環達に見送られながら、縁側から自室に向かった。
部屋に入るのを見届けてから、妃乃環達は、背伸びをして、立ち上がった。

「さて。そろそろ、買い出しに行った斑尾達が、戻って来る頃だねぇ」

「もう、そんな時間かい?」

「蓮花様の事になると早いわねぇ」

「あら。お互い様じゃないかしら?」

妃乃環達が、クスクスと笑い合うのを雪椰達は、ボーッと見つめていた。

「さ!夕飯の支度するよ!アンタらも手伝いな」

雪椰達は、何度も頷き、妃乃環達と一緒に台所に向かい、大量の食器を洗い始めた。
居眠りをしていた斑尾は、紅夜に叩き起こされ、楓雅と仁刃、慈雷夜を連れて、スーパーで、大量の食材を購入した。
その後、急いで帰宅し、台所のテーブルに、それらを置くと、斑尾は、すぐ部屋に向かった。
静かに襖を開け、寝ているはずの姿はなく、縁側に座り、風を浴びる背中が見えた。
斑尾は、布団に寝ている白夜と流青を横目で見下ろし、溜め息をつきながら隣に立った。

「大丈夫なのか?」

閉じていた目をゆっくりと開け、静かに、斑尾を見上げると、優しい風が、互いの髪を揺らした。

「大丈夫」

その姿に、ゆっくり微笑むと、斑尾も、安心したように、優しく微笑んで隣に座った。

「阿呆が」

「うるさい」

互いに呟き、その肩に頭を乗せると、斑尾は、頭に頬を寄せ、支え合うように、寄り添い合うようにして、太陽が傾き、オレンジ色に、染まり始めた空をゆっくり、雲が流れて行くのを見上げ、優しくそよぐ風に身を委ねた。
ただ優しく、穏やかな時間が、二つの影を包み込む。
その心地良さに、気付けば、そのまま、ゆっくりと眠りに落ちていた。
横目で見つめてから、静かに眠る肩を抱き、その時間を残さず、味わうように、ゆっくりと目を閉じた。
寄り添い合う二つの影を見つめ、小さな笑みを溢しながら、そっと、離れた妃乃環達に、一緒にいた皇牙が、廊下を進みながら聞いた。

「あの二人は、好き合ってるの?」

「そうさ」

台所に戻り、夕飯の支度を始めながら、妃乃環が答えると、雪椰は、淋しそうな顔をした。

「でもねぇ。好き合っていても、あの二人は、あれ以上の関係になれないんだよ」

羅偉が首を傾げると、季麗が、馬鹿にしたように鼻で笑った。

「小鬼には分からんか」

「なら、お前には分かんのかよ」

「あぁ。分かる」

「なんだよ」

「小鬼には、まだ早い」

「馬鹿にすんなよ!」

「羅偉ちゃん。男女の関係ってことだよ」

羅偉の頬が、一気に真っ赤になった。

「しかし、どうして、あれ以上になれんのだ」

妃乃環と紅夜は、溜め息をついた。

「式神とその主。その関係が、二人をそれ以上にさせないのよ」

妃乃環の代わりに、米を研いでいた八蜘蛛が答えた。

「なんでだよ。別に、式と主だからって、そんなの関係ねぇだろ?」

羅偉が、いつもの調子に戻り、ジャガイモの皮剥きをしていた阿華羽が、哀しそうに目を伏せた。

「式神契約を結んでしまったら、どんなに、想い合っていても、一緒になれない」

「だから、なんでだよ!」

妃乃環が、玉ねぎの皮を剥きながら、静かに答えた。

「式神となった妖かしは、主に忠誠を誓ったも同然なのさ。だから、主に対して、邪な行動は、出来ないんだよ。そうじゃなきゃ、無理矢理、式神となった妖かしに殺されちまうだろ?」

それが現実だった。
本来の式契約は、妖かしを倒した陰陽師が、その妖かしを仕えさせる為に結ばれる事が多く、その妖かしは、主となった陰陽師を憎む方が多い。
式契約には、そんな怨みを抱いた妖かしから、主となる陰陽師を守る効果があった。
それは、当人同士の意志など関係なく、契約を結んだ瞬間から、その効果が発動され、どんなに想い合っても、軽く触れ合うだけで、それ以上の事が出来なくなる。

「斑尾は蓮花様の為に、その想いを捨て、蓮花様を守る為の盾になったんだよ」

「だから、あんな風に言ったんですね」

雪椰の呟きに、妃乃環達は、静かに目を閉じて、ゆっくりと頷いた。

『捨てなければならない想いもあるのだ!!』

それは、斑尾自身が抱えていた想いだった。

「昔は、それが辛くて、式契約を解除する者もいたんだよ」

「なら、そうすれば…」

「出来ないだろうね」

菜門の声を遮り、紅夜は、手を止めた。

「斑尾の契約を解除する時は、私らの契約も解除されるさ」

「何故だ」

「そうゆう人だからさ」

それっきり、妃乃環達は、黙って、夕飯の支度に集中した。
そんな妃乃環達の背中から、淋しく哀しい雰囲気が漂い、雪椰達も、それ以上、何も聞かずに手伝った。
それから、雪椰達と同じくらいの食事量を三日続け、四日目からは、少しずつ量を減らし、一週間を掛けて、以前の食事の量に戻した。
まだ完治していないが、傷も癒え、仕事を再開すると、約束通り、雪椰達は、里へと帰って行った。
斑尾達との生活に戻ったが、以前とは違う事が一つあった。
時々、雪椰達が手土産を持って、遊びに来るのだ。
その日も、フラフラと、皇牙が遊びに来た。

「蓮花ちゃ~ん。お久ぁ~」

ニコニコと笑いながら、手土産を掲げて、皇牙は、顔を出すと、首を傾げた。

「あれ?お出掛け?」

「いいえ。今、帰って来たとこですよ」

「そっか。じゃ、居間で待ってるね~」

久々に着たスーツの上着を脱ぎ、ハンガーに掛け、着替えと浴衣を持って、襖を開けると、皇牙と軽く手を振り合ってから、洗面所に向かった。
取引先との打合せで、疲れを感じ、シャワーを浴びる為、お風呂場のドアを開けた。
湯気が立ち込める中、熱めのシャワーを浴び、髪や顔を洗い、ボディーソープを泡立てる。

「なかなか、そそる体だ」

浴槽から聞こえた声に、顔を向けると、目を細めて、浴槽に浸かる季麗の姿があった。
その気配に気付けず、驚きで、パクパクと口を動かした。

「何を驚いている」

季麗の声で、我に返り、バッと、その場に屈んで、自分の体を抱き締めるように腕で隠した。

「なんでここにいるの!?」

「愛しい女に会うのに、場所など関係ない」

「関係ある!!出てって!!」

風呂桶を投げたが、季麗は、それを避け、歩み寄った。

「来るな!!変態!!」

「そんなに褒めるな」

「褒めてない!!来ないで!!」

ピチャピチャと、濡れた床を歩く季麗の足音が近付く中、肩を小さく震わせた。

「そう騒ぐな。俺が、洗って…」

体に焼き付いた痕に、季麗は、驚いた顔をしたまま、固まっていた。

「お前…これは…」

季麗の手が、近付くのを感じ取った。

「いっ!!イヤーーーー!!」

恥ずかしさと恐怖で、叫び声を上げながら、季麗に向かい手を翳した。

「蓮花!!」

強い風を起こすと、斑尾が、ドアを開け、季麗の体は、洗面所に吹き飛んだ。

「どうしたの!?」

洗面所に、皇牙、雪椰、羅偉、影千代も顔を出し、壁際で、グッタリと座り込む季麗を見下ろした。

「季麗ちゃん?こんな所で何してるの?」

皇牙に、声を掛けられても、季麗は、床を見つめていた。

「季麗…まさかとは、思いますが、蓮花さんに何か良からぬ事を?」

「季麗!!てめぇ!!」

「羅偉。騒ぐな」

溜め息混じりに、影千代が羅偉を止め、皇牙と雪椰は、季麗に冷たい視線を向けた。
そんな中、風呂場で小刻みに肩を震わせる姿に、斑尾が溜め息をついた。

「どうしたんだい?」

そこに、妃乃環と八蜘蛛が現れ、現状を理解して、盛大な溜め息をついて、風呂場に向かい、静かにドアを閉めた。

「あれは…なんだ…」

洗面所から出て行こうとした斑尾は、季麗の呟きに、鼻を鳴らしながら廊下に出た。

「お前達には関係ない」

「そうゆう事ではない!!蓮花のアレは一体なんなんだ!!」

追うように廊下に出た季麗に、斑尾は、大きな溜め息をついた。

「服くらい着ろ」

「答えろ!!」

季麗が斑尾の胸ぐらを掴むと、皇牙が慌てて、その肩を掴んで止めに入った。

「季麗ちゃん!落ち着いて」

皇牙の言葉も聞かず、季麗は斑尾に詰め寄った。

「答えろ!!蓮花の痣はなんだ!!」

薄らと涙が浮かぶ季麗の目を見つめ、斑尾は、静かに溜め息をつき、その手首を掴んだ。

「分かった。話してやるが、その前に服を着ろ」

真剣な表情の斑尾に、季麗は、奥歯を食い縛りながら手を離した。
パチンと、指を鳴らして、服を着ると、斑尾は、雪椰達を連れて、居間に向かった。

「あれはなんだ」

ちゃぶ台を挟み、季麗と斑尾は、向き合うように座った。

術刻ジュコクだ」

「…術刻…」

「季麗ちゃん。分かるように説明してよ」

「…棘が巻き付いたように、文字が、蓮花の体に焼き付いた痕があった」

雪椰達が驚いた顔をして、視線を向けると、斑尾は、哀しそうに目を細めた。

「あれは、蓮花が傷を負った時のだ」

「なぁ…術刻ってなんだ?」

隣にいる影千代に、小声で聞く羅偉に、斑尾は、呆れたように首を振った。

「術刻とは、特殊な墨と和紙から作った巻物を用いて、術を行い、文字と共に焼き付ける事で、その術の効果を継続させる事だ」

「どれくらい、継続されるのですか?」

「巻物の種類で違いはあるが、短くて一日。長くて十年以上継続出来る」

「その目安は、どうやって見極めるんだ?」

「濃さだ。蓮花の場合、後一ヶ月くらいだろう」

「あの痣は、一ヶ月も消えんのか…」

肩を落とした季麗を見つめ、斑尾は、溜め息をつくと、立ち上がった。

「あれも女だ。あんな醜い痣など、お前達には、見られたくなかっただろう」

「俺は…どうしたら…」

「忘れる事だ。アイツの為にな」

居間の襖を開け、横目で、季麗を見下ろし、斑尾は、静かに廊下に出た。
部屋に向かうと、部屋の前で、人の姿になった亥鈴と理苑が、待ち構えていた。

「そんなに、蓮花様の事を教えて良いのか?」

「仕方ない。奴らも、知る権利がある」

「あまり教え過ぎて、彼らが、破滅に向かわなきゃ良いんですけどね」

二人と並び、襖を開けると、暗くなり始めた縁側で、菜門と並んで座る背中があった。

「…で、何故か、哉代にだけは、バレてしまって、行くのでしたら、あれもこれもと、次から次に、色んな物を持たせようとするんですよ」

「まるで、お母さんみたいですね」

「そうなんですよ。それで、そんなに持って行けませんって言うと、男が何を言うんですかって、お説教が始まるんです」

「本当に、お母さんなんじゃないですか?」

「やめて下さいよ。あんな口うるさい母なんて、耐えられません」

溜め息をつく菜門は、困っているようでもあるが、何処か嬉しそうでもあった。
その様子に、クスクス笑うと、菜門は、頬を膨らませた。

「笑わないで下さいよ。深刻な悩みなんですから」

「でも、菜門さん楽しそうです」

「そうですか?まぁ。前よりは、壁がなくなって、楽しいですね」

その横顔は、本当に楽しそうで、話を聞いていると、その楽しさが伝わり、菜門との話に夢中になっていた。
その日の夕飯には、雪椰達の手土産が、沢山使われていた。

「…美味しい」

「お前は。そればっかり食うな」

「いいじゃん。好きなんだから」

「阿呆。他のもちゃんと食え」

斑尾と言い合いながらも、美味しさに頬を緩ませ、食事を進めた。
食後のデザートとして、菜門が持ってきた桃が出され、その瞳が、子供のように、キラキラと輝いた。
斑尾の手元にある器に向かい、隣からフォークを刺そうとする。

「行儀悪い」

その手を軽く叩かれ、ぶっ垂れながらも、目の前の器から、桃を口に放り込む。

「そんなに、桃が好きなのか?」

「ふひ」

「汚い」

果汁が口から出そうになり、口元を押さえると、斑尾が、ティッシュ箱を突き出した。
それを引き抜き、口の周りを拭いていると、季麗は、手元の器から、そっと桃を移した。

「やる」

「やった。ありがと」

ニッコリ笑うと、隣から盛大な溜め息が聞こえた。

「甘やかすな」

「良いじゃん。くれるって言うんだから」

口に桃を放り込んで、横目で、斑尾を見上げると、斑尾も、横目で見下ろしていた。

「なに」

「太るぞ」

「失礼な。太んないし」

「どの辺がだ」

脇腹を摘まもうとする斑尾の手を叩き落とし、斑尾の分を口に放り込む。

「あ!お前!」

「自分が悪いんでしょ~」

最後の桃に、フォークを差そうとすると、横から奪われ、斑尾の口の中に消えた。

「サイテー」

「先にやったのは、お前の方だ。お前が悪い」

「よろしくぅ~」

空になった斑尾の器に、空の器を重ね、素早く立ち上がり、縁側から自室に戻った。
斑尾は、溜め息をつきながら、器を持ち、台所に向かった。
そんな斑尾のやり取りに、季麗は、誰にも気付かれないように、溜め息をつき、居間から出て、夜空に輝く月を見上げながら縁側を歩いた。

「なに?」

庭の片隅で、月を見上げている背中に、季麗は、気付かれないように、静かに近付いたが、気配を感じ取り、振り返りもせず、声を掛けられ、小さな溜め息を零した。

「お前こそ、何してんだ」

「なんとなく、月が綺麗だなって」

隣に立った季麗も、月を見上げた。

「里の方が、もっと綺麗に見える」

「そっかぁ…」

横顔をチラッと見た季麗は、視線を落とした。

「すまなかった」

「なにが?」

「風呂のことだ。お前も女なのに、俺は…その…」

「季麗も、反省なんてするんだ」

「本当に悪い事をすれば、俺だって、反省くらいする」

「全くしないと思ってた」

「お前の中の俺は、一体、どんな奴なんだ」

「ん~…我儘で、自意識過剰で、天の邪鬼で、口が悪くて…」

「もう良い」

肩を落とす季麗を横目で、チラッと見てから、目を閉じた。

「でも、優しくて、思いやりがある…そんな感じかな?」

月明かりを横顔に受け、ニッコリ笑うと、季麗は、ボーッと惚けたような顔をしていた。

「季麗?」

首を傾げると、季麗は、顔を反らした。
その頬は、ほんのり桃色になってる。

「…なに?照れてる?」

「照れてなどいない」

「そう?ほっぺ赤くない?」

「赤くない」

「じゃ、こっち向いてみ?」

「イヤだ」

「なんで?」

「気分だ」

「やっぱ、照れてるんだ?」

「だから照れてなどっ!!」

近付いていたとも知らず、勢い良く、振り向いた季麗の顔は、更に赤くなった。
その姿に、ケタケタと、声を上げて笑い始めると、季麗は、ムッとして背中を向けた。

「怒っちゃったかな?」

「怒ってない」

不器用な季麗の背中に、小さく笑った。

「そっか。じゃ、おやすみぃ~」

横を通り過ぎ、自室向かい、振り返って、季麗に、ニッコリ笑うと、すぐに障子を閉めた。
季麗は、その場に屈んで、顔を隠し、自分の中に生まれた熱が、収まってから、足早に、与えられた部屋に向かった。

「…全く。あんな事したら、逆に可哀想ではないか」

「だって、変に落ち込まれるよりいいじゃん」

季麗がいなくなってから、縁側で、熱燗と少しのおつまみを置き、二人だけの月見酒を始めた。

「それで?これからどうする」

月を見上げたまま、お猪口を傾け、一口、酒を口に流し込む。

「出来れば、視察的な感じで、里に行ってみたいかな」

「ならば、白夜達を向かわせれば良い」

「白夜達を向かわせたら、無理しそうじゃない?」

斑尾も同じように、月を見上げたまま、お猪口を傾けた。

「確かにな」

「阿華羽や、紅夜を行かせるには遠いし。亥鈴は目立つし。酒天は違うこと頼んでるし。あと動けるのは、雷螺ライラと斑尾くらい?」

「理苑は、どうだ?」

「また迎えに行かなきゃなくなるよ?」

理苑に視察を頼んだ時、あの様相と人当たりの良さで、周りに、多くの生き物が集まり、視察どころか、帰れなくなってしまい、結局、迎えに行ったことがあった。

「二度手間になるから、理苑に行かせるなら、自分が行った方が早いよ」

「それもそうか…どうしたもんかな」

チビチビと舐めるように、酒を呑みながら、月を見上げ、様々な思考を巡らせ、考えてみたが、良い案は浮かばなかった。
結局、その夜は、何も決められないまま、眠りについた。
次の日の朝には、雪椰達は、里に戻った。
その後、仕事をしながらも、刺した人物の事を探っていたが、その人物が誰なのかすらも、分からないまま、半年の時が流れた。
その夜も、部屋で仕事をしていると、庭の溜め池から、水飛沫を上げながら、覇稚が現れ、障子を乱暴に開けた。

「どうかしました?」

覇稚は、頬を強ばらせ、青ざめていた。

「…覇稚さん?」

「すま…な…い…」

覇稚の目から涙が溢れ落ち、倒れ込むように、膝を着くと、溜め池から、部屋に向かい、蔦のような影が飛んで来た。
その影を避け、視線を向け、助けようと手を伸ばしたが、覇稚は、拘束されてしまった。
部屋中の物を薙ぎ倒しながら、影が、何度も襲い来る。

「蓮花!!」

斑尾や白夜達が、半妖の姿に変わり、その影に向かって行こうとしたが、覇稚を盾にされ、逃げ回る事しか出来なかった。

「愉快ですねぇ」

影が動きを止めると、聞き覚えのある声が聞こえ、白い布を頭から被った人影が現れた。

「何とも愉快ですねぇ。妖かしを盾にされ、何も出来ず、逃げ回る…まさに、愉快ですよ」

「この!!」

白夜が怒りに任せ、その人影に向かって行くが、覇稚を捕らえている影が叩き落とした。

「白夜!!」

鋭く尖った影が、白夜の体を貫こうとすると、理苑が、結界を張って防いだ。

「くっ!!」

しかし、理苑の結界にも、ヒビが入り始めた。
浴衣の袂から護符を取り出し、壁も何もない空間に貼り、手を翳すと、文字が蒼白い光を放つ。
手を押し当てると、護符と共に空間が歪み、その中から、冥斬刀を引き出し、理苑の所に走った。
冥斬刀を突き出すと、影は、その場から離れ、別の影が迫り来る。
冥斬刀の刃で防いだが、庭に向かって、弾き飛ばされてしまった。

「蓮花!!」 

地面に打ち付けられたが、痛みを耐え、体を起こすと、斑尾が、庇うように前に立つ。

「愉快。愉快ですよ。護り人、夜月蓮花。憎き人の子」

人を嘲笑うように、高らかな笑い声を上げ、庭に出て来た人影に、斑尾は、歯軋りをして叫んだ。

「お前は誰だ!!何が目的だ!!」

「おや。忘れてしまったのですか?斑尾」

ゆっくりと頭の布が外され、現れた顔に、斑尾は、目を大きくさせた。

巳幸ミサキですよ。貴方の旧友のね」

ニッコリと笑った顔は、美知と一緒に亡くなったはずの斑尾の友人、その者だった。

「久しいですね。斑尾」

「巳幸…お前…死んだんじゃ…」

「えぇ。死にましたよ?それがどうしたのです?それよりも…神獣である貴方が、愚かな人の子に仕えるなんて、気でも狂いましたか?」

斑尾の目付きが、鋭くなった。

「お前…巳幸じゃないな」

巳幸が、無表情になり、斑尾を見下ろした。
斑尾と睨み合っていると、巳幸は、肩を揺らし、ニッコリと笑って、顔を上げた。

「さすが、あの気高き神獣、斑尾。こんなにも、そっくりなのに」

「巳幸は、人を愚かと言わん。巳幸アイツは、人を愛していた」

笑っていた顔が歪み、奥歯を食い縛った。

「愛だの…恋だの…くだらない。そんなくだらん事を言ってるから、巳幸は死んだんだ」

周りに、黒い靄が立ち込め、覇稚を捕まえている影が、大きく膨れ上がった。
立ち上がり、印を結んで冥斬刀を振り抜き、熱を加えた風を起こした。
その風で、巳幸そっくりの男が、目を瞑っている間に、慈雷夜が、覇稚を助け、裏山へと走り、その場から逃げ出した。
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