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七話
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流青が言ってた通り、朱雀達の霊は、魔石にかなり喰われていた。
だが、不思議なことに、その姿は、初めて会った時のままだった。
朱雀達から、放たれる術を避け、距離を詰めようとするが、篠の鉤爪に拒まれる。
冥斬刀で、それを受け止め、御霊を呼び起こす為、手を伸ばすも、朱雀や羅雪の術で、拒まれてしまう。
冥斬刀を振るいながら、朱雀に走り寄るも、哉代の結界で、阻まれてしまう。
更には、葵の風の刃が吹き乱れ、茉の雷が轟く。
ー…しい…ー
朱雀達の術を避けていると、微かに、聞こえた声に、走り来る篠に意識を集中した。
ー苦しい…助けて…ー
鉤爪を避ける瞬間、雷を放つ茉が視界に入り、意識を向けた。
ー…助けて…羅偉様…ー
朱雀や葵からも、救いを求める御霊の声が、ハッキリと聞こえた。
後ろに飛び退き、動きを止め、静かに朱雀達を見つめ、ゆっくりと息を吐き出す。
力を送り込んだ冥斬刀に陰陽太極図が浮かび、蒼白い光を放ち始めた。
「我、御霊よ。黄泉より、我、元に集え。我、意志に舞え」
霊を込めた言葉に、反応するように、冥斬刀の光が強まり、地面に五芒星が浮かび上がり、光を放つ。
その場に立ち、朱雀達が光の中に入るまで、冥斬刀を構えたまま、待ち続けた。
篠の鉤爪が頬を掠めた時、最後に、哉代が、光の中に足を踏み入れた。
冥斬刀の柄を地面に着けると、光の筋が、朱雀達を捕らえ、その動きを封じた。
静かに目を閉じ、冥斬刀の柄を地面に着けたまま両手で持つ。
「邪心に蝕まれし御霊。我、言の葉に誘われ、大いなる意志を解放せよ」
朱雀達の体から、黒い靄が立ち上がる。
「我、御霊よ。悪き闇を捕らえよ」
朱雀達を捕らえていた光が、黒い靄を絡め、風を巻き起こしながら、空へと舞い上がる。
冥斬刀の刃先を空に向け、頭上、高くに持ち上げると、靄に絡まる光が輝きを増す。
ゆっくりと目を開け、朱雀達を見つめると、何も映らない哉代の瞳から、一筋の涙が頬を伝い、地面に向かって落ちていく。
冥斬刀を振り下ろすと、強い風が吹き乱れ、眩しい程の光が、全てを包み、弾け飛んだ。
周囲に、ハラハラと、光の破片が舞い落ち、朱雀達は、その場に倒れた。
肩で息をしながら、朱雀達が、苦しみから解放されたのを見つめ、冥斬刀を地面に刺すと、小さな旋風が起こった。
渦巻いた風と光が、冥斬刀を包むと、護符へと姿を変え、ヒラヒラと舞い降りるのを捕まえた。
「茉!!」
羅偉が茉へと走り寄ると、季麗や影千代達も、それぞれ、朱雀達に走って行く。
「ずいぶん、ボロボロだな?」
足元に来た斑尾を横目で見下ろし、黙ったまま、前に視線を戻した。
周りには、亥鈴や白夜達も集まり、朱雀達に走り寄った雪椰達の背中を見つめた。
「…申し訳…ございません…季麗様…」
その時、朱雀の声が聞こえ、その体が揺れているのに気付き、雪椰達は、その場に、立ち尽くしたまま見下ろした。
朱雀達は、地面に倒れたまま、肩を揺らして涙を流していた。
「皇牙様の…顔に泥を…塗ってしまい…なんと…お詫びすれば…」
申し訳なさが、滲み出る朱雀達を見つめ、雪椰達は、溜め息をついた。
「何を気にしてるのですか?自分を失っていたのですから、仕方ない事ですよ?」
「ですが…妖かしであるのに…人間に救われるなど…一族の恥さらしです…」
朱雀の言葉には、人間に助けられた悔しさが滲んでいた。
「…優しかった…」
仰向けに倒れ、それまで黙っていた哉代が、空を見つめたまま、静かに呟く。
「闇の中へと墜ちそうになり…悶えていた時…聞こえた優しい声に導かれ…暖かな光に包まれ…救われたと思った…助かったと思った…でも…悔しい…」
哉代の目から、大粒の涙が流れると、菜門も一滴の涙を流した。
「…人間を…守って…あげなければ…ならないのに…」
彼等は、初めての恐怖を味わった。
目には見えない闇の力の前では、どんなに強靭な肉体を持ち、多くの妖力を兼ね揃えていても、抗うことが出来なかった。
それが、己を非力だと感じさせ、ただただ逃げ惑う中で、無力感が生まれた。
更には、必死に逃げても、少しずつ、削り取られていく感覚に、激しい恐怖が襲った。
爪や髪が抜かれ、指を一つずつ切り落とされ、皮膚を剥がされていくように、少しずつ己の肉体を奪い取られていく。
そんな錯覚が芽生える程の恐怖。
それから逃れる為、彼等は、救いを求め、形振り構わず、必死に叫んだ。
そんな時、差し伸べられた手が、誰であるかなど、構ってられずに、彼等は、無我夢中で、その手を掴み、引き上げられた。
闇の力から解放され、救われたことに安堵したが、その手が人間だったことで、それを素直に受け入れられない。
高貴な妖かしだと、己を誇示していた彼等だからこそ、余計に素直になれない。
だが、それは違う。
彼等には、本当の強さがある。
季麗達を支え、何があろうとも、絶対に、その存在を守る。
その想いが、ちゃんと彼等の中にはあった。
それが、魔石の浸食を遅らせていた。
それに気付ければ、彼等は、真の強者になれるのだが、育った環境が環境なだけに、気付いても認められない。
「自分を責めないで下さい。僕が悪いんですから」
「いえ…自分が悪いんです…弱い自分が…」
「哉代。もうやめなさい。貴方を追い込んだのは、僕なんですから」
そんな状態でも、互いを想い合って、似たもの同士の二人が、自分が悪いのだと、主張し合う姿に、クスッと笑った瞬間、全身の小さな傷から痛みが走り抜けた。
「…馬鹿にしてるのか」
顔を歪め、砂だらけの顔を上げた朱雀達を見つめた。
「馬鹿になんかしてないですよ。ただ、似た者同士なんだなって。ね?」
斑尾を見て、同意を求めたが、それを無視された。
「そうですね」
「まるで兄弟みたい」
ムッとしていると、仁刃と流青が優しく微笑んだ。
「皆さん、強かったですよ」
「やめろ…これ以上…恥を晒す気か」
顔を歪めながら、朱雀達は、フラフラしながらも起き上がった。
「違いますよ。事実ですから」
「だが…俺らは…お前に…」
「皆さんが強かったから、救えたんですよ」
雪椰達に支えられる朱雀達に、ニッコリ笑った。
「私なんかより、ずっと、ずっと強いですよ」
驚いたように、目を大きくさせた朱雀達の表情が、次第に柔らかくなり、斑尾達の表情も優しくなった。
「ところで蓮花様。傷の治りが遅いみたいだけど、どうしたんだい?」
そんな穏やかな雰囲気になり、安心した矢先、妃乃環の言葉で、斑尾の目付きが変わった。
「あ~いや~その~。うん。なんと言いますか、ちょっと、時間掛かるかな~。みたいな?」
「どうゆう事だ」
「え~っと、今ので、かなり力を使っちゃったみたいで、そっちまで、手が回らない?みたいな感じ?」
「お前は馬鹿か!だからちゃんと食えと言ってたのだ!」
「だって、そんな暇なかったし」
「嘘をつくな!時間ならあっただろ!」
「気分じゃなかったし」
「気分で食わん奴がいるか!馬鹿者!」
「そんな怒んなくても良いじゃんか。頑固爺」
「おまっ!!こっちは心配してんだぞ!!」
「痛!!ちょっと!!怪我人なんだからやめてよ!!」
「何が怪我人だ!!自分の管理も出来ない奴が怪我人面するな!!この馬鹿者が!!」
「いっ!!尻尾で叩くな!!」
「うるさい!!少しは考えろ!!」
「ちゃんと考えてるし!!」
「何処が考えてるのだ!!」
「痛!!ちょっと!!痛いってば!!」
傷を叩く斑尾の尻尾や前足を払い除けながら、言い合いを始めると、亥鈴達は、苦笑いし、朱雀達は、唖然としていた。
「だから!!痛いのよ!!」
「うるさい!!黙れ!!」
「アンタがやめれば黙ってあげるよ!!」
ひたすら続く不毛な言い合いを見つめ、雪椰達は、静かに笑っていた。
「僕達も、あんな風になりたいですね」
菜門の呟きは、大声に掻き消されたが、哉代には、しっかりと聞こえていた。
「そうですね」
二人の呟きは、雪椰達にも聞こえていて、ボロボロになっている朱雀達を見下ろし、静かに微笑み合っていた。
暫くは、言い合いをしていたが、流石に疲れて眠くなり、瞼を擦った。
「もう疲れたよ」
「何甘ったれた事言っている!!」
「斑尾。その辺にしときな」
妃乃環の声に、斑尾が、亥鈴達の方に視線を向けた。
「流石に飽きてきたよ」
「それに、蓮花様だって、疲れてるんだし」
「早く帰って、寝かせてあげましょう」
「お前らが甘やかすから!蓮花が弛んでいくのだぞ!」
「良いではないか。蓮花様あっての我らだ。それに、ここにいては、お前の苛立ちが収まらんだろ?」
ニヤリと笑う亥鈴を見上げ、グッと、言葉を飲み込んだ斑尾を見てから、雪椰達に視線を向けた。
「それじゃね」
ニッコリ笑い、背中を向けようとした瞬間、体が思考と関係なく振動し、力が抜けていく。
口から赤い筋が伝い落ち、脇腹の辺りに違和感を覚え、生暖かな感覚が服を伝う。
ゆっくりと、そこへ、視線を向けた。
「憎き人の子。長年の怨み。受け取れ」
低い声が遠くから聞こえ、腹を貫いていた鋭い刃先が引き抜かれた。
口から、真っ赤な血を大量に吐き出し、倒れながらも、横目で、後ろに視線を向けた。
頭から被った白い布を汚しながらも、不気味な笑みを口元に携えている。
「蓮花!!」
白い靄と共に、人の姿に変わった斑尾が、倒れる体を抱き止めた。
「蓮花様!!」
「愚かな人の子。哀れな人の子。その姿、愉快。愉快」
白い布を被った影は、高らかな笑い声を上げて、茂みの方へと姿を消した。
「待て!!」
「追うな!!」
「でも!!」
「追ったところでどうにもならん。まずは、蓮花を連れ帰る事を考えろ」
抗議しようとした白夜達が、奥歯を噛み締め、茂みに背を向けると、斑尾は、静かに赤く染る体を抱き上げた。
「ここには、誰も近付けるな。もちろん、お前達も近付いてはならん」
突然の出来事で、その場に立ち尽くしている雪椰達に、背を向け、斑尾が、亥鈴の背中に飛び乗ると、全員が、その背に飛び乗り、何も言わずに飛び去った。
「佐久の所に向かうぞ」
「分かった。飛ばすぞ!」
亥鈴が加速すると、その姿は、雪椰達でさえ、目で追えない程になった。
「蓮花…逝くな…蓮花…」
斑尾は、願いを呟き続けた。
幼少期に過ごした村の高台に建つ寺に向かい、敷地内に降り立った。
亥鈴の背中から飛び降りた斑尾は、大声で叫んだ。
「佐久!!佐久はいないか!!佐久ーー!!」
「なんだ。騒々しい」
寺の中から、出てきた住職のような男は、斑尾達の状態を見て、表情が険しくなった。
「来い」
佐久の背中を追い掛けるように、斑尾、白夜、流青、仁刃、楓雅が走り出し、本堂の裏手、小屋のような場所に向かった。
渡り廊下を駆け抜け、佐久は、その小屋の戸口を乱暴に開けた。
そこは、術を行った部屋と同じような部屋だった。
「寝かせろ」
部屋の中央に、斑尾が、静かに降ろすと、その場に座り、白夜、仁刃、流青、楓雅が、その周りを囲うように立った。
「使え」
佐久が一本の巻物を投げ、斑尾に渡すと、白夜達は、目を閉じ、手を合わせた。
その体が、白い光を放つと、床を伝い、斑尾の体も光を放ち、巻物を広げた。
「我、心髄成る者。我、力を以て、その力を誘え」
あの時と同じように、巻物の文字が抜け出た。
「我、主の血となれ。肉となれ」
文字が茨のように焼き付き、体が蒼白く光輝くと、流れていた血が止まり、光が消えた。
「何があったかは、聞かないでやるが、あんま無理させるなよ」
「あぁ…すまなかったな。佐久。今度、旨い酒でも飲ませてやる」
「あぁ」
再び亥鈴に乗り、今度は、家に向かい飛び立った。
家に着いた時には、日が暮れ、暖かな光が注ぎ込まれていた。
布団の傍らに、斑尾は、ずっと座っていた。
「斑尾。アンタも休んだらどうだ?蓮花様は、アタシが看てるから」
静かに、部屋に入ってきた妃乃環が、声を掛けたが、斑尾は、首を振って答えた。
「いや。大丈夫だ」
そんな斑尾に、妃乃環は、溜め息をついた。
「斑尾~。アンタまで、倒れちまったら、一体、誰が蓮花様を叱るんだい」
「我は叱り役か」
「当たり前じゃないか。アンタ以上に、蓮花様を想ってる奴は、アタシらん中にもいやしないよ」
「叱る事なぞ、お前達にも出来る。別に我でなくとも…」
「何言ってんだい!アンタだから、蓮花様も、あんな風に言えんのさ。アンタじゃなきゃ、蓮花様は、あんな風に言わないよ」
斑尾は、横目で妃乃環を見上げ、すぐに視線を戻した。
「…不安になるのだ…」
目を閉じて、斑尾は、胸の奥に仕舞い込んでいた想いを吐き出した。
「長きに渡り、蓮花と共に生き、これからも、蓮花と共に生きると誓った。だが、蓮花には、お前達もおる。多くのモノがある。全てを護ろうとする蓮花と、全てを捨てた我。そんな蓮花と、そんな我が、共に生きても良いのだろうか。我は、蓮花の側にいても、良いのであろうかと…そう思うのだ…」
目を開けた斑尾の指先が、まるで硝子細工を扱うように、その頬に触れた。
その姿を妃乃環は、哀しそうに目を細めて見つめ、盛大な溜め息をついた。
「んな事言ったら、アタシらだって、そう思うさ。でもね~。アンタは、蓮花様の筆頭だろ?それを選んだのは、蓮花様であって、他の誰でもないんだよ」
「だが…」
「蓮花様が選んだんだ。いつまでも、んな事言ってんなら、筆頭なんて辞めちまいな」
斑尾は、膝の上で、拳を握り、小さく肩を揺らした。
「嫌なんだろ?なら、んな泣き言、言ってんじゃないよ」
妃乃環が、斑尾の肩を強く叩いた。
「蓮花様を想ってんなら、ちゃんと休みな。そんで、蓮花様が起きたら、思いっきり、叱っておやり」
隣に座った妃乃環を見て、斑尾は、溜め息をつきながら立ち上がった。
「頼んだぞ」
「あいよ」
斑尾が部屋から出て行くのを見送り、妃乃環は、溜め息をついて、布団に視線を向けた。
「ホント…二人して素直じゃないんだから…」
妃乃環の呟きが、流れ込んだ風に溶け、遠くへと消えていく。
妖かしの里から戻ってから、二日が過ぎたが、斑尾は、人の姿のまま、布団を見つめて座っていた。
「…なんだい?アンタ達」
その時、庭で洗濯を干している紅夜が、誰かに呼び掛けるような声を出した。
「蓮花ちゃんの見舞いがしたくてさ」
覚えのある声が聞こえ、斑尾は、鼻で溜め息をついた。
「蓮花様なら、まだ起きちゃいないよ。帰んな」
「一目、見れれば良いんです。お願いします」
「何言ってんだい。そんな事したって、蓮花様は、起きないだから、時間の無駄だよ。帰んな」
押し問答が始まり、斑尾は、大きめの溜め息をついてから、縁側に顔を出した。
「頼むよ。少しだけで良いんだ」
そこには、雪椰達が、腰に手を当てた紅夜と向かい合っていた。
「だから、起きちゃいないんだよ。アンタらだって、暇じゃないはずだろ。帰んな」
斑尾は、静かに縁側に出て、胡座で座ると、その様子を見つめた。
「起きてなくても良い。頼む」
雪椰達が頭を下げると、紅夜は、盛大な溜め息をついて、腕組みをした。
「しつこいねぇ。どうして、そこまですんだい。アンタらにとって、蓮花様は、特別な力を持つ小娘の一人なだけじゃないか」
雪椰達の肩が揺れ、静かに、頭を上げると、その手に拳が握られた。
「最初はそう思ってた。でも、今は違う。アイツが…蓮花が、色んな事を教えてくれたんだ」
羅偉の声に強さが宿る。
「本当の強さを見せてくれた。だから、少しでも礼がしたい」
影千代の言葉に嘘はない。
「里では、見る事の出来ない美しいモノを見せてくれた」
季麗が初めて本音を語った。
「蓮花ちゃんのおかげで、心底、笑えたんだ」
皇牙の声色に優しさが宿る。
「蓮花さんとの思い出が、もっと欲しいんです」
雪椰の目に懐かしさが写る。
「少しでも、力になりたいんです」
菜門から強い意志が感じられる。
「だから…お願いします!」
揃って一斉に頭を下げたが、紅夜は、絶対に首を縦には振らない。
「そんな事言ったって、蓮花様は、かなりの痛手を負って…」
「おい」
斑尾が声を掛けると、紅夜は、視線を向けた。
「なんだい」
「入れてやれ」
斑尾の言葉に、紅夜は驚きで目を大きくさせ、雪椰達は、喜んだように笑顔を浮かべて視線を上げた。
「良いのかい?」
「あぁ」
「だって、蓮花様は…」
「さっさと入れ」
紅夜の声を遮り、斑尾は、肩越しに、親指で部屋を指し、雪椰達を呼び入れた。
「ありがとうございます」
雪椰達は、ゾロゾロと部屋に姿を消した。
「斑尾…アンタ…」
「どうするかは、奴ら次第だ」
立ち上がった斑尾に、紅夜は、盛大な溜め息をついてから、洗濯を素早く干し終え、庭から離れた。
障子を閉めると、斑尾は、布団を挟んで、雪椰達と向かい合って座った。
「蓮花…」
羅偉が手を伸ばすと、その手首を斑尾が掴んだ。
「触るな。引き込まれるぞ」
予想以上の力で、掴まれた手首を振り、羅偉が、手を引っ込めると、菜門が首を傾げた。
「引き込まれるとは、どうゆう事ですか?」
斑尾は、鼻で溜め息をつき、腕組みをした。
「蓮花の体には、術の力で、活力の吸収率を上げている。式神でない妖かしが、少しでも触れれば力を奪われる」
「そんなの気にしないよ?」
首を傾げた皇牙に、斑尾は、更に溜め息をついた。
「直接触れれば生死に関わる。普段なら、多少は、大丈夫かもしれんが、今の状況では、布一枚挟んだところで、何の意味も成さん」
「普段とは、どうゆう事だ?」
素直に疑問を口にした季麗に、斑尾は眉間に触れた。
「体質なのだ。蓮花は、無意識の内に、周りから少しずつ活力を吸収している。だから、極力、素肌に触れさせないのだ」
「だから避けてたのか」
納得したように、影千代が呟くと、斑尾は視線を下げた。
「それよりも、里の方はどうだ?あの場所には、誰も近付いていないか?」
「はい。誰も入れないように、結界を張りましたから大丈夫です」
菜門の答えに、斑尾は目を細めた。
「そうか。奴らはどうだ?」
「羅雪達でしたら、しっかりと、反省し、今まで以上に仕事をしています」
雪椰の笑顔に、斑尾は肩を軽く震わせた。
「そうか。その後、何か異変はないか?」
「今のところ、何もないようだ」
目を細めた影千代に、斑尾は、安心したように、鼻から息を吐き出した。
「ならば、一目蓮花も見た。話も聞いた。後は、我らに任せて、お前たちは帰れ」
「イヤだ」
羅偉の言葉に、斑尾の顔色が変わった。
「これ以上何がある」
「確かに、俺らは、君達みたいに、蓮花ちゃんに何かしてあげる事は出来ない」
「なら、帰って…」
「だが、側にいる事は出来る」
雪椰達は、真っ直ぐ、斑尾を見つめた。
「とても、非力かもしれません。でも、僕達は、蓮花さんが、目を覚ますまで、帰るつもりはありません」
「俺達が出来る事をしたい。蓮花の為に。俺達自身の為に」
強い意志を宿した雪椰達の瞳が、斑尾を見据えた。
そんな雪椰達を見つめて、斑尾は、昔の事を思い出していた。
そんな斑尾を見つめていた雪椰達は、それぞれ、視線を合わせ、不思議そうに首を傾げた。
「少し、昔の話をしよう」
斑尾は、目を閉じ、当時を鮮明に思い出しながら、静かに語り始めた。
それは、亥鈴との出会いだった。
当時の亥鈴は、全てが嫌になり、自暴自棄になっていた。
そんな亥鈴の心を動かしたのは、斑尾と共に立っていた一人の人間だった。
「その人間は、妖かしの姿であった亥鈴に対しても、物怖じせず、ハッキリと物を言っていた。その姿に、亥鈴は、少しずつ心を開いていった」
「なぁ…今の話に出てくる人間って、蓮花の事じゃね?」
羅偉は、斑尾の話を聞きながら、隣の雪椰に、そっと話し掛けた。
「ですね。ですが、菜門すら知らない時の話みたいですよ?ほら」
こっそりと、雪椰が指差した先の菜門は、真剣な表情で見つめ、斑尾の話を聞いていた。
次第に、亥鈴は、己を取り戻し始めた。
そんな時、悪妖が目の前に現れたが、迷うことなく、亥鈴を連れ、その場を逃げ出した。
『何故、逃げるのだ』
『…私ね?誰も、傷付いてほしくないの。自分の為に消える命は、もういらないの』
その時、亥鈴は、自分の知っている心優しき人間の面影が重なって見えた。
暫くの間、共に過ごすと、亥鈴の心に願いが生まれた。
『人の子よ。頼みがある』
『なに?』
『我を式神とし、主となって欲しい』
『…ごめんね』
断られた事で、亥鈴の心には、哀しみが打ち寄せ、他の妖かしが仲良く並ぶ姿に、孤独が押し寄せた。
それ以来、亥鈴は、避けるようになってしまった。
そんな時、悪妖が亥鈴を襲った。
抵抗をしなかった亥鈴の前に、背中が現れ、その悪妖達を追い払った。
『…何故、我に構う。何故、我の為に戦ったのだ』
哀しそうに目を細め、苦しそうに眉尻を下げる亥鈴に向かい、ニッコリ笑った。
『君の為じゃないよ。自分の為。私は、私が関わったものが、沢山、生きていて欲しいの。もう泣きたくない。だから、私は、君にも生きて欲しい。私の我儘なの』
花が咲くように笑う姿に、亥鈴は、瞳を揺らし、呆れたように微笑んだ。
『…我も生きたい。だが、それは、お主と共に生きれねば、意味がないのだ』
大きな背中を丸め、必死に視線を合わせる亥鈴の瞳は、とても澄んでいた。
『お主の傍で、お主と共に生きる時間が欲しい。これは、お主の為ではない。我の勝手な我儘なのだ』
『そんなの屁理…』
『我は、お主の我儘で、今まで生かされたのだ。ならば、我も、我儘を言っても良かろう?』
『それは…』
『我は、お主の式神になりたい。式神となって、お主と繋がりを持って生きたいのだ。お主の我儘で生かすのならば、その責を負い、我の我儘を聞き入れるべきではないか?』
『う~~~。もう!!分かったよ』
『感謝するぞ。心優しき人の子よ』
『…君って、結構、我儘なんだね』
『互様だ』
亥鈴と笑い合う背中には、隠しきれない程の喜びが溢れていた。
斑尾は、静かに目を開け、視線を落とし、優しくも、呆れたような微笑みを浮かべた。
「その時から、コイツは阿呆だった。だが、そんなコイツに、我らは惹かれ、集ったのだ。だから、お前達の気持ちも、分からなくはない」
「なら!」
喜んだように笑った雪椰達を見据え、斑尾は、強い口調になった。
「しかし、それとこれとは、話が別だ。我らは、コイツの為なら、共に死ぬ覚悟がある。それは、我らには、コイツ以外に何もないからだ。だが、お前達には…」
「里も一族も大切です。それでも、僕らにとって、蓮花さんも、大切なんです」
菜門は、真っ直ぐ斑尾を見つめ返した。
「あれも、これもと言っては、その内、自分の首を絞める事になる」
「そうなってでも、俺らは、後悔したくないんだ」
羅偉は、真剣な顔付きで斑尾を見据えた。
「後悔など、その時にならなければ分からん」
「今、蓮花から離れれば、必ず後悔する」
影千代は、無表情のまま、斑尾を見つめた。
「何故、そんな事が言えるのだ」
「それくらい、俺らは、蓮花ちゃんを想ってるからだよ」
皇牙は、呆れたような表情で斑尾を見た。
「今の感情に流され、コイツの側にいれば、必ず違う後悔に襲われる」
「それでも、今、蓮花さんの側にいなかったら、私達は、もっと、後悔します」
雪椰は、口元に力を入れて、斑尾に視線を向けた。
「だから…」
「捨てなければならない想いもあるのだ!!」
急に怒鳴るような大声になった斑尾に、雪椰達は、怯える様子もなく、ただ、じっと見つめていた。
「良いじゃないか」
静かに襖を開け、紅夜から事情を聞いた妃乃環が顔を出した。
「蓮花様が目覚めるまで、置いといておやりよ」
「しかしだな…」
「それに、彼らがいた方が、アンタも張り合いが出んじゃないのかい?」
「こんな奴らになぞ…」
「それに、今のアンタは、純粋に蓮花様を好いている彼らを僻んでるようにしか、見えないよ」
「何故、彼らを僻まなければならんのだ」
「そりゃ、素直に好きだと言える彼らが、羨ましいからだろうねぇ」
「おまっ!何を言う!そんなこと羨ましいなどと…」
「へぇそうかい。んじゃ、アンタ、蓮花様を好いちゃいないんだね?」
「そうゆう訳では…」
頬が真っ赤になった斑尾を見て、妃乃環は、喉を鳴らすように笑った。
斑尾は、ムッとして、勢い良く立ち上がった。
「我は、責任なぞ取らんからな」
「いいさ。蓮花様には、アタシから言っとくよ。斑尾が嫉妬して、怒鳴り散らしてたから、彼らを泊めてたってね」
意地悪な笑みを浮かべる妃乃環に背を向け、斑尾は、乱暴に障子を開けた。
「何処行くんだい?」
「飲みだ!」
バチンと音を発てて、障子を閉めた斑尾は、妖かしの姿になって、空を飛んで行ってしまった。
「ホント、素直じゃないんだから」
「あの…僕達は、どうしたら…」
部屋に入り、独り言を呟くと、菜門に、声を掛けられ、妃乃環は、雪椰達を見て笑った。
「好きにすれば良いさ。但し、蓮花様が目覚めるまでだよ」
「有り難う御座います!」
妃乃環の了承を得て、雪椰達は、嬉しそうに笑って、頭を下げた。
戻ってきてから、菜門は、寺の仕事をしながら、族長の仕事もこなす、日々に戻り、常に、忙しそうに動き回っていた。
雪椰達も、寺で生活しながら、それぞれの族長としての仕事をしていた。
「たまには、童子のように、家事くらい手伝いな」
紅夜の一声で、雪椰達も、家事を手伝い始めた。
雪椰と皇牙は、元々、器用だった為、菜門が教えると、すぐに出来るようになった。
羅偉は、大雑把な上、不器用だった為、失敗ばかりして、時々、紅夜や妃乃環に笑われ、顔を真っ赤にしていた。
意外なことに、影千代と季麗は、完璧に出来ていて、菜門が教えることもなかった。
「彼らを見てると、飽きないねぇ」
「そうだねぇ。特に小鬼なんて、最高じゃないかい」
それぞれが寝床に戻り、妃乃環と紅夜は、その日を振り返り、眠りに落ちるまで笑っていた。
そんな日々を過ごし、五日が経った昼過ぎのことだった。
ゆっくりと、目を開けると、居眠りをしてる斑尾が視界に入った。
斑尾を起こさないように、そっと、部屋から抜け出し、亡霊のように、ユラユラと廊下を進み、居間の襖を開けた。
「…蓮花!」
そこにいるはずのない雪椰達に、首を傾げ、視線をずらして、裁縫をしていた妃乃環を見つめた。
「お腹空いた」
妃乃環の隣に座って、書類を広げていた菜門が、ニッコリ笑った。
「なら、僕が作りますよ」
「アンタ一人じゃ無理だよ」
立ち上がった妃乃環を見上げ、菜門は首を傾げた。
「紅夜を呼んできておくれ。蓮花様は座ってんだよ?」
縁側に出て行く菜門の背中を見つめたまま、小さく頷くと、妃乃環は、雪椰達を見下ろした。
「アンタらも手伝いな」
雪椰達が、ちゃぶ台に広げていた書類を片付け、妃乃環と一緒に居間から出て行くのを見送り、縁側に、ユラユラと揺れるように向かい、柱に寄り掛かって目を閉じた。
雪椰達と妃乃環が、台所に移動して、暫くすると、菜門が、台所に顔を出し、少し遅れて、紅夜も小走りで現れた。
「さてやるよ。玉ねぎ」
「豚肉、出しておくれ」
妃乃環と紅夜に言われた通りに、雪椰達は、冷蔵庫から次々に食材を出した。
「米炊いどくれ」
「それが終わったら、味噌汁作っておくれ」
菜門も言われた通りに、お米を炊き、味噌汁を作っていく中、妃乃環たちは、次々に料理を作り、テーブルの上に置いた。
「おい。作り過ぎじゃねぇか?」
「これくらい、ペロッと食っちまうよ」
「でも、作り過ぎだと思うな」
「そうですね」
「これが、女の腹に消えるはずがない」
「まぁ。良いじゃないですか。残れば、夕飯に回しましょう」
「今の蓮花様を甘くみんじゃないよ?」
ニヤリと笑った妃乃環を見て、雪椰達は首を傾げた。
「んじゃ運ぶよ。アンタらは、こっちを持っとくれ」
料理の盛られた大皿を雪椰達に持たせ、妃乃環が炊飯器、紅夜が味噌汁の入った鍋を持って、居間へと向かう。
「蓮花様!」
風に当たり、気持ち良く、日向ぼっこをしていると、焦ったような妃乃環の声が聞こえ、ゆっくり目を開け、静かに視線を向けた。
だが、不思議なことに、その姿は、初めて会った時のままだった。
朱雀達から、放たれる術を避け、距離を詰めようとするが、篠の鉤爪に拒まれる。
冥斬刀で、それを受け止め、御霊を呼び起こす為、手を伸ばすも、朱雀や羅雪の術で、拒まれてしまう。
冥斬刀を振るいながら、朱雀に走り寄るも、哉代の結界で、阻まれてしまう。
更には、葵の風の刃が吹き乱れ、茉の雷が轟く。
ー…しい…ー
朱雀達の術を避けていると、微かに、聞こえた声に、走り来る篠に意識を集中した。
ー苦しい…助けて…ー
鉤爪を避ける瞬間、雷を放つ茉が視界に入り、意識を向けた。
ー…助けて…羅偉様…ー
朱雀や葵からも、救いを求める御霊の声が、ハッキリと聞こえた。
後ろに飛び退き、動きを止め、静かに朱雀達を見つめ、ゆっくりと息を吐き出す。
力を送り込んだ冥斬刀に陰陽太極図が浮かび、蒼白い光を放ち始めた。
「我、御霊よ。黄泉より、我、元に集え。我、意志に舞え」
霊を込めた言葉に、反応するように、冥斬刀の光が強まり、地面に五芒星が浮かび上がり、光を放つ。
その場に立ち、朱雀達が光の中に入るまで、冥斬刀を構えたまま、待ち続けた。
篠の鉤爪が頬を掠めた時、最後に、哉代が、光の中に足を踏み入れた。
冥斬刀の柄を地面に着けると、光の筋が、朱雀達を捕らえ、その動きを封じた。
静かに目を閉じ、冥斬刀の柄を地面に着けたまま両手で持つ。
「邪心に蝕まれし御霊。我、言の葉に誘われ、大いなる意志を解放せよ」
朱雀達の体から、黒い靄が立ち上がる。
「我、御霊よ。悪き闇を捕らえよ」
朱雀達を捕らえていた光が、黒い靄を絡め、風を巻き起こしながら、空へと舞い上がる。
冥斬刀の刃先を空に向け、頭上、高くに持ち上げると、靄に絡まる光が輝きを増す。
ゆっくりと目を開け、朱雀達を見つめると、何も映らない哉代の瞳から、一筋の涙が頬を伝い、地面に向かって落ちていく。
冥斬刀を振り下ろすと、強い風が吹き乱れ、眩しい程の光が、全てを包み、弾け飛んだ。
周囲に、ハラハラと、光の破片が舞い落ち、朱雀達は、その場に倒れた。
肩で息をしながら、朱雀達が、苦しみから解放されたのを見つめ、冥斬刀を地面に刺すと、小さな旋風が起こった。
渦巻いた風と光が、冥斬刀を包むと、護符へと姿を変え、ヒラヒラと舞い降りるのを捕まえた。
「茉!!」
羅偉が茉へと走り寄ると、季麗や影千代達も、それぞれ、朱雀達に走って行く。
「ずいぶん、ボロボロだな?」
足元に来た斑尾を横目で見下ろし、黙ったまま、前に視線を戻した。
周りには、亥鈴や白夜達も集まり、朱雀達に走り寄った雪椰達の背中を見つめた。
「…申し訳…ございません…季麗様…」
その時、朱雀の声が聞こえ、その体が揺れているのに気付き、雪椰達は、その場に、立ち尽くしたまま見下ろした。
朱雀達は、地面に倒れたまま、肩を揺らして涙を流していた。
「皇牙様の…顔に泥を…塗ってしまい…なんと…お詫びすれば…」
申し訳なさが、滲み出る朱雀達を見つめ、雪椰達は、溜め息をついた。
「何を気にしてるのですか?自分を失っていたのですから、仕方ない事ですよ?」
「ですが…妖かしであるのに…人間に救われるなど…一族の恥さらしです…」
朱雀の言葉には、人間に助けられた悔しさが滲んでいた。
「…優しかった…」
仰向けに倒れ、それまで黙っていた哉代が、空を見つめたまま、静かに呟く。
「闇の中へと墜ちそうになり…悶えていた時…聞こえた優しい声に導かれ…暖かな光に包まれ…救われたと思った…助かったと思った…でも…悔しい…」
哉代の目から、大粒の涙が流れると、菜門も一滴の涙を流した。
「…人間を…守って…あげなければ…ならないのに…」
彼等は、初めての恐怖を味わった。
目には見えない闇の力の前では、どんなに強靭な肉体を持ち、多くの妖力を兼ね揃えていても、抗うことが出来なかった。
それが、己を非力だと感じさせ、ただただ逃げ惑う中で、無力感が生まれた。
更には、必死に逃げても、少しずつ、削り取られていく感覚に、激しい恐怖が襲った。
爪や髪が抜かれ、指を一つずつ切り落とされ、皮膚を剥がされていくように、少しずつ己の肉体を奪い取られていく。
そんな錯覚が芽生える程の恐怖。
それから逃れる為、彼等は、救いを求め、形振り構わず、必死に叫んだ。
そんな時、差し伸べられた手が、誰であるかなど、構ってられずに、彼等は、無我夢中で、その手を掴み、引き上げられた。
闇の力から解放され、救われたことに安堵したが、その手が人間だったことで、それを素直に受け入れられない。
高貴な妖かしだと、己を誇示していた彼等だからこそ、余計に素直になれない。
だが、それは違う。
彼等には、本当の強さがある。
季麗達を支え、何があろうとも、絶対に、その存在を守る。
その想いが、ちゃんと彼等の中にはあった。
それが、魔石の浸食を遅らせていた。
それに気付ければ、彼等は、真の強者になれるのだが、育った環境が環境なだけに、気付いても認められない。
「自分を責めないで下さい。僕が悪いんですから」
「いえ…自分が悪いんです…弱い自分が…」
「哉代。もうやめなさい。貴方を追い込んだのは、僕なんですから」
そんな状態でも、互いを想い合って、似たもの同士の二人が、自分が悪いのだと、主張し合う姿に、クスッと笑った瞬間、全身の小さな傷から痛みが走り抜けた。
「…馬鹿にしてるのか」
顔を歪め、砂だらけの顔を上げた朱雀達を見つめた。
「馬鹿になんかしてないですよ。ただ、似た者同士なんだなって。ね?」
斑尾を見て、同意を求めたが、それを無視された。
「そうですね」
「まるで兄弟みたい」
ムッとしていると、仁刃と流青が優しく微笑んだ。
「皆さん、強かったですよ」
「やめろ…これ以上…恥を晒す気か」
顔を歪めながら、朱雀達は、フラフラしながらも起き上がった。
「違いますよ。事実ですから」
「だが…俺らは…お前に…」
「皆さんが強かったから、救えたんですよ」
雪椰達に支えられる朱雀達に、ニッコリ笑った。
「私なんかより、ずっと、ずっと強いですよ」
驚いたように、目を大きくさせた朱雀達の表情が、次第に柔らかくなり、斑尾達の表情も優しくなった。
「ところで蓮花様。傷の治りが遅いみたいだけど、どうしたんだい?」
そんな穏やかな雰囲気になり、安心した矢先、妃乃環の言葉で、斑尾の目付きが変わった。
「あ~いや~その~。うん。なんと言いますか、ちょっと、時間掛かるかな~。みたいな?」
「どうゆう事だ」
「え~っと、今ので、かなり力を使っちゃったみたいで、そっちまで、手が回らない?みたいな感じ?」
「お前は馬鹿か!だからちゃんと食えと言ってたのだ!」
「だって、そんな暇なかったし」
「嘘をつくな!時間ならあっただろ!」
「気分じゃなかったし」
「気分で食わん奴がいるか!馬鹿者!」
「そんな怒んなくても良いじゃんか。頑固爺」
「おまっ!!こっちは心配してんだぞ!!」
「痛!!ちょっと!!怪我人なんだからやめてよ!!」
「何が怪我人だ!!自分の管理も出来ない奴が怪我人面するな!!この馬鹿者が!!」
「いっ!!尻尾で叩くな!!」
「うるさい!!少しは考えろ!!」
「ちゃんと考えてるし!!」
「何処が考えてるのだ!!」
「痛!!ちょっと!!痛いってば!!」
傷を叩く斑尾の尻尾や前足を払い除けながら、言い合いを始めると、亥鈴達は、苦笑いし、朱雀達は、唖然としていた。
「だから!!痛いのよ!!」
「うるさい!!黙れ!!」
「アンタがやめれば黙ってあげるよ!!」
ひたすら続く不毛な言い合いを見つめ、雪椰達は、静かに笑っていた。
「僕達も、あんな風になりたいですね」
菜門の呟きは、大声に掻き消されたが、哉代には、しっかりと聞こえていた。
「そうですね」
二人の呟きは、雪椰達にも聞こえていて、ボロボロになっている朱雀達を見下ろし、静かに微笑み合っていた。
暫くは、言い合いをしていたが、流石に疲れて眠くなり、瞼を擦った。
「もう疲れたよ」
「何甘ったれた事言っている!!」
「斑尾。その辺にしときな」
妃乃環の声に、斑尾が、亥鈴達の方に視線を向けた。
「流石に飽きてきたよ」
「それに、蓮花様だって、疲れてるんだし」
「早く帰って、寝かせてあげましょう」
「お前らが甘やかすから!蓮花が弛んでいくのだぞ!」
「良いではないか。蓮花様あっての我らだ。それに、ここにいては、お前の苛立ちが収まらんだろ?」
ニヤリと笑う亥鈴を見上げ、グッと、言葉を飲み込んだ斑尾を見てから、雪椰達に視線を向けた。
「それじゃね」
ニッコリ笑い、背中を向けようとした瞬間、体が思考と関係なく振動し、力が抜けていく。
口から赤い筋が伝い落ち、脇腹の辺りに違和感を覚え、生暖かな感覚が服を伝う。
ゆっくりと、そこへ、視線を向けた。
「憎き人の子。長年の怨み。受け取れ」
低い声が遠くから聞こえ、腹を貫いていた鋭い刃先が引き抜かれた。
口から、真っ赤な血を大量に吐き出し、倒れながらも、横目で、後ろに視線を向けた。
頭から被った白い布を汚しながらも、不気味な笑みを口元に携えている。
「蓮花!!」
白い靄と共に、人の姿に変わった斑尾が、倒れる体を抱き止めた。
「蓮花様!!」
「愚かな人の子。哀れな人の子。その姿、愉快。愉快」
白い布を被った影は、高らかな笑い声を上げて、茂みの方へと姿を消した。
「待て!!」
「追うな!!」
「でも!!」
「追ったところでどうにもならん。まずは、蓮花を連れ帰る事を考えろ」
抗議しようとした白夜達が、奥歯を噛み締め、茂みに背を向けると、斑尾は、静かに赤く染る体を抱き上げた。
「ここには、誰も近付けるな。もちろん、お前達も近付いてはならん」
突然の出来事で、その場に立ち尽くしている雪椰達に、背を向け、斑尾が、亥鈴の背中に飛び乗ると、全員が、その背に飛び乗り、何も言わずに飛び去った。
「佐久の所に向かうぞ」
「分かった。飛ばすぞ!」
亥鈴が加速すると、その姿は、雪椰達でさえ、目で追えない程になった。
「蓮花…逝くな…蓮花…」
斑尾は、願いを呟き続けた。
幼少期に過ごした村の高台に建つ寺に向かい、敷地内に降り立った。
亥鈴の背中から飛び降りた斑尾は、大声で叫んだ。
「佐久!!佐久はいないか!!佐久ーー!!」
「なんだ。騒々しい」
寺の中から、出てきた住職のような男は、斑尾達の状態を見て、表情が険しくなった。
「来い」
佐久の背中を追い掛けるように、斑尾、白夜、流青、仁刃、楓雅が走り出し、本堂の裏手、小屋のような場所に向かった。
渡り廊下を駆け抜け、佐久は、その小屋の戸口を乱暴に開けた。
そこは、術を行った部屋と同じような部屋だった。
「寝かせろ」
部屋の中央に、斑尾が、静かに降ろすと、その場に座り、白夜、仁刃、流青、楓雅が、その周りを囲うように立った。
「使え」
佐久が一本の巻物を投げ、斑尾に渡すと、白夜達は、目を閉じ、手を合わせた。
その体が、白い光を放つと、床を伝い、斑尾の体も光を放ち、巻物を広げた。
「我、心髄成る者。我、力を以て、その力を誘え」
あの時と同じように、巻物の文字が抜け出た。
「我、主の血となれ。肉となれ」
文字が茨のように焼き付き、体が蒼白く光輝くと、流れていた血が止まり、光が消えた。
「何があったかは、聞かないでやるが、あんま無理させるなよ」
「あぁ…すまなかったな。佐久。今度、旨い酒でも飲ませてやる」
「あぁ」
再び亥鈴に乗り、今度は、家に向かい飛び立った。
家に着いた時には、日が暮れ、暖かな光が注ぎ込まれていた。
布団の傍らに、斑尾は、ずっと座っていた。
「斑尾。アンタも休んだらどうだ?蓮花様は、アタシが看てるから」
静かに、部屋に入ってきた妃乃環が、声を掛けたが、斑尾は、首を振って答えた。
「いや。大丈夫だ」
そんな斑尾に、妃乃環は、溜め息をついた。
「斑尾~。アンタまで、倒れちまったら、一体、誰が蓮花様を叱るんだい」
「我は叱り役か」
「当たり前じゃないか。アンタ以上に、蓮花様を想ってる奴は、アタシらん中にもいやしないよ」
「叱る事なぞ、お前達にも出来る。別に我でなくとも…」
「何言ってんだい!アンタだから、蓮花様も、あんな風に言えんのさ。アンタじゃなきゃ、蓮花様は、あんな風に言わないよ」
斑尾は、横目で妃乃環を見上げ、すぐに視線を戻した。
「…不安になるのだ…」
目を閉じて、斑尾は、胸の奥に仕舞い込んでいた想いを吐き出した。
「長きに渡り、蓮花と共に生き、これからも、蓮花と共に生きると誓った。だが、蓮花には、お前達もおる。多くのモノがある。全てを護ろうとする蓮花と、全てを捨てた我。そんな蓮花と、そんな我が、共に生きても良いのだろうか。我は、蓮花の側にいても、良いのであろうかと…そう思うのだ…」
目を開けた斑尾の指先が、まるで硝子細工を扱うように、その頬に触れた。
その姿を妃乃環は、哀しそうに目を細めて見つめ、盛大な溜め息をついた。
「んな事言ったら、アタシらだって、そう思うさ。でもね~。アンタは、蓮花様の筆頭だろ?それを選んだのは、蓮花様であって、他の誰でもないんだよ」
「だが…」
「蓮花様が選んだんだ。いつまでも、んな事言ってんなら、筆頭なんて辞めちまいな」
斑尾は、膝の上で、拳を握り、小さく肩を揺らした。
「嫌なんだろ?なら、んな泣き言、言ってんじゃないよ」
妃乃環が、斑尾の肩を強く叩いた。
「蓮花様を想ってんなら、ちゃんと休みな。そんで、蓮花様が起きたら、思いっきり、叱っておやり」
隣に座った妃乃環を見て、斑尾は、溜め息をつきながら立ち上がった。
「頼んだぞ」
「あいよ」
斑尾が部屋から出て行くのを見送り、妃乃環は、溜め息をついて、布団に視線を向けた。
「ホント…二人して素直じゃないんだから…」
妃乃環の呟きが、流れ込んだ風に溶け、遠くへと消えていく。
妖かしの里から戻ってから、二日が過ぎたが、斑尾は、人の姿のまま、布団を見つめて座っていた。
「…なんだい?アンタ達」
その時、庭で洗濯を干している紅夜が、誰かに呼び掛けるような声を出した。
「蓮花ちゃんの見舞いがしたくてさ」
覚えのある声が聞こえ、斑尾は、鼻で溜め息をついた。
「蓮花様なら、まだ起きちゃいないよ。帰んな」
「一目、見れれば良いんです。お願いします」
「何言ってんだい。そんな事したって、蓮花様は、起きないだから、時間の無駄だよ。帰んな」
押し問答が始まり、斑尾は、大きめの溜め息をついてから、縁側に顔を出した。
「頼むよ。少しだけで良いんだ」
そこには、雪椰達が、腰に手を当てた紅夜と向かい合っていた。
「だから、起きちゃいないんだよ。アンタらだって、暇じゃないはずだろ。帰んな」
斑尾は、静かに縁側に出て、胡座で座ると、その様子を見つめた。
「起きてなくても良い。頼む」
雪椰達が頭を下げると、紅夜は、盛大な溜め息をついて、腕組みをした。
「しつこいねぇ。どうして、そこまですんだい。アンタらにとって、蓮花様は、特別な力を持つ小娘の一人なだけじゃないか」
雪椰達の肩が揺れ、静かに、頭を上げると、その手に拳が握られた。
「最初はそう思ってた。でも、今は違う。アイツが…蓮花が、色んな事を教えてくれたんだ」
羅偉の声に強さが宿る。
「本当の強さを見せてくれた。だから、少しでも礼がしたい」
影千代の言葉に嘘はない。
「里では、見る事の出来ない美しいモノを見せてくれた」
季麗が初めて本音を語った。
「蓮花ちゃんのおかげで、心底、笑えたんだ」
皇牙の声色に優しさが宿る。
「蓮花さんとの思い出が、もっと欲しいんです」
雪椰の目に懐かしさが写る。
「少しでも、力になりたいんです」
菜門から強い意志が感じられる。
「だから…お願いします!」
揃って一斉に頭を下げたが、紅夜は、絶対に首を縦には振らない。
「そんな事言ったって、蓮花様は、かなりの痛手を負って…」
「おい」
斑尾が声を掛けると、紅夜は、視線を向けた。
「なんだい」
「入れてやれ」
斑尾の言葉に、紅夜は驚きで目を大きくさせ、雪椰達は、喜んだように笑顔を浮かべて視線を上げた。
「良いのかい?」
「あぁ」
「だって、蓮花様は…」
「さっさと入れ」
紅夜の声を遮り、斑尾は、肩越しに、親指で部屋を指し、雪椰達を呼び入れた。
「ありがとうございます」
雪椰達は、ゾロゾロと部屋に姿を消した。
「斑尾…アンタ…」
「どうするかは、奴ら次第だ」
立ち上がった斑尾に、紅夜は、盛大な溜め息をついてから、洗濯を素早く干し終え、庭から離れた。
障子を閉めると、斑尾は、布団を挟んで、雪椰達と向かい合って座った。
「蓮花…」
羅偉が手を伸ばすと、その手首を斑尾が掴んだ。
「触るな。引き込まれるぞ」
予想以上の力で、掴まれた手首を振り、羅偉が、手を引っ込めると、菜門が首を傾げた。
「引き込まれるとは、どうゆう事ですか?」
斑尾は、鼻で溜め息をつき、腕組みをした。
「蓮花の体には、術の力で、活力の吸収率を上げている。式神でない妖かしが、少しでも触れれば力を奪われる」
「そんなの気にしないよ?」
首を傾げた皇牙に、斑尾は、更に溜め息をついた。
「直接触れれば生死に関わる。普段なら、多少は、大丈夫かもしれんが、今の状況では、布一枚挟んだところで、何の意味も成さん」
「普段とは、どうゆう事だ?」
素直に疑問を口にした季麗に、斑尾は眉間に触れた。
「体質なのだ。蓮花は、無意識の内に、周りから少しずつ活力を吸収している。だから、極力、素肌に触れさせないのだ」
「だから避けてたのか」
納得したように、影千代が呟くと、斑尾は視線を下げた。
「それよりも、里の方はどうだ?あの場所には、誰も近付いていないか?」
「はい。誰も入れないように、結界を張りましたから大丈夫です」
菜門の答えに、斑尾は目を細めた。
「そうか。奴らはどうだ?」
「羅雪達でしたら、しっかりと、反省し、今まで以上に仕事をしています」
雪椰の笑顔に、斑尾は肩を軽く震わせた。
「そうか。その後、何か異変はないか?」
「今のところ、何もないようだ」
目を細めた影千代に、斑尾は、安心したように、鼻から息を吐き出した。
「ならば、一目蓮花も見た。話も聞いた。後は、我らに任せて、お前たちは帰れ」
「イヤだ」
羅偉の言葉に、斑尾の顔色が変わった。
「これ以上何がある」
「確かに、俺らは、君達みたいに、蓮花ちゃんに何かしてあげる事は出来ない」
「なら、帰って…」
「だが、側にいる事は出来る」
雪椰達は、真っ直ぐ、斑尾を見つめた。
「とても、非力かもしれません。でも、僕達は、蓮花さんが、目を覚ますまで、帰るつもりはありません」
「俺達が出来る事をしたい。蓮花の為に。俺達自身の為に」
強い意志を宿した雪椰達の瞳が、斑尾を見据えた。
そんな雪椰達を見つめて、斑尾は、昔の事を思い出していた。
そんな斑尾を見つめていた雪椰達は、それぞれ、視線を合わせ、不思議そうに首を傾げた。
「少し、昔の話をしよう」
斑尾は、目を閉じ、当時を鮮明に思い出しながら、静かに語り始めた。
それは、亥鈴との出会いだった。
当時の亥鈴は、全てが嫌になり、自暴自棄になっていた。
そんな亥鈴の心を動かしたのは、斑尾と共に立っていた一人の人間だった。
「その人間は、妖かしの姿であった亥鈴に対しても、物怖じせず、ハッキリと物を言っていた。その姿に、亥鈴は、少しずつ心を開いていった」
「なぁ…今の話に出てくる人間って、蓮花の事じゃね?」
羅偉は、斑尾の話を聞きながら、隣の雪椰に、そっと話し掛けた。
「ですね。ですが、菜門すら知らない時の話みたいですよ?ほら」
こっそりと、雪椰が指差した先の菜門は、真剣な表情で見つめ、斑尾の話を聞いていた。
次第に、亥鈴は、己を取り戻し始めた。
そんな時、悪妖が目の前に現れたが、迷うことなく、亥鈴を連れ、その場を逃げ出した。
『何故、逃げるのだ』
『…私ね?誰も、傷付いてほしくないの。自分の為に消える命は、もういらないの』
その時、亥鈴は、自分の知っている心優しき人間の面影が重なって見えた。
暫くの間、共に過ごすと、亥鈴の心に願いが生まれた。
『人の子よ。頼みがある』
『なに?』
『我を式神とし、主となって欲しい』
『…ごめんね』
断られた事で、亥鈴の心には、哀しみが打ち寄せ、他の妖かしが仲良く並ぶ姿に、孤独が押し寄せた。
それ以来、亥鈴は、避けるようになってしまった。
そんな時、悪妖が亥鈴を襲った。
抵抗をしなかった亥鈴の前に、背中が現れ、その悪妖達を追い払った。
『…何故、我に構う。何故、我の為に戦ったのだ』
哀しそうに目を細め、苦しそうに眉尻を下げる亥鈴に向かい、ニッコリ笑った。
『君の為じゃないよ。自分の為。私は、私が関わったものが、沢山、生きていて欲しいの。もう泣きたくない。だから、私は、君にも生きて欲しい。私の我儘なの』
花が咲くように笑う姿に、亥鈴は、瞳を揺らし、呆れたように微笑んだ。
『…我も生きたい。だが、それは、お主と共に生きれねば、意味がないのだ』
大きな背中を丸め、必死に視線を合わせる亥鈴の瞳は、とても澄んでいた。
『お主の傍で、お主と共に生きる時間が欲しい。これは、お主の為ではない。我の勝手な我儘なのだ』
『そんなの屁理…』
『我は、お主の我儘で、今まで生かされたのだ。ならば、我も、我儘を言っても良かろう?』
『それは…』
『我は、お主の式神になりたい。式神となって、お主と繋がりを持って生きたいのだ。お主の我儘で生かすのならば、その責を負い、我の我儘を聞き入れるべきではないか?』
『う~~~。もう!!分かったよ』
『感謝するぞ。心優しき人の子よ』
『…君って、結構、我儘なんだね』
『互様だ』
亥鈴と笑い合う背中には、隠しきれない程の喜びが溢れていた。
斑尾は、静かに目を開け、視線を落とし、優しくも、呆れたような微笑みを浮かべた。
「その時から、コイツは阿呆だった。だが、そんなコイツに、我らは惹かれ、集ったのだ。だから、お前達の気持ちも、分からなくはない」
「なら!」
喜んだように笑った雪椰達を見据え、斑尾は、強い口調になった。
「しかし、それとこれとは、話が別だ。我らは、コイツの為なら、共に死ぬ覚悟がある。それは、我らには、コイツ以外に何もないからだ。だが、お前達には…」
「里も一族も大切です。それでも、僕らにとって、蓮花さんも、大切なんです」
菜門は、真っ直ぐ斑尾を見つめ返した。
「あれも、これもと言っては、その内、自分の首を絞める事になる」
「そうなってでも、俺らは、後悔したくないんだ」
羅偉は、真剣な顔付きで斑尾を見据えた。
「後悔など、その時にならなければ分からん」
「今、蓮花から離れれば、必ず後悔する」
影千代は、無表情のまま、斑尾を見つめた。
「何故、そんな事が言えるのだ」
「それくらい、俺らは、蓮花ちゃんを想ってるからだよ」
皇牙は、呆れたような表情で斑尾を見た。
「今の感情に流され、コイツの側にいれば、必ず違う後悔に襲われる」
「それでも、今、蓮花さんの側にいなかったら、私達は、もっと、後悔します」
雪椰は、口元に力を入れて、斑尾に視線を向けた。
「だから…」
「捨てなければならない想いもあるのだ!!」
急に怒鳴るような大声になった斑尾に、雪椰達は、怯える様子もなく、ただ、じっと見つめていた。
「良いじゃないか」
静かに襖を開け、紅夜から事情を聞いた妃乃環が顔を出した。
「蓮花様が目覚めるまで、置いといておやりよ」
「しかしだな…」
「それに、彼らがいた方が、アンタも張り合いが出んじゃないのかい?」
「こんな奴らになぞ…」
「それに、今のアンタは、純粋に蓮花様を好いている彼らを僻んでるようにしか、見えないよ」
「何故、彼らを僻まなければならんのだ」
「そりゃ、素直に好きだと言える彼らが、羨ましいからだろうねぇ」
「おまっ!何を言う!そんなこと羨ましいなどと…」
「へぇそうかい。んじゃ、アンタ、蓮花様を好いちゃいないんだね?」
「そうゆう訳では…」
頬が真っ赤になった斑尾を見て、妃乃環は、喉を鳴らすように笑った。
斑尾は、ムッとして、勢い良く立ち上がった。
「我は、責任なぞ取らんからな」
「いいさ。蓮花様には、アタシから言っとくよ。斑尾が嫉妬して、怒鳴り散らしてたから、彼らを泊めてたってね」
意地悪な笑みを浮かべる妃乃環に背を向け、斑尾は、乱暴に障子を開けた。
「何処行くんだい?」
「飲みだ!」
バチンと音を発てて、障子を閉めた斑尾は、妖かしの姿になって、空を飛んで行ってしまった。
「ホント、素直じゃないんだから」
「あの…僕達は、どうしたら…」
部屋に入り、独り言を呟くと、菜門に、声を掛けられ、妃乃環は、雪椰達を見て笑った。
「好きにすれば良いさ。但し、蓮花様が目覚めるまでだよ」
「有り難う御座います!」
妃乃環の了承を得て、雪椰達は、嬉しそうに笑って、頭を下げた。
戻ってきてから、菜門は、寺の仕事をしながら、族長の仕事もこなす、日々に戻り、常に、忙しそうに動き回っていた。
雪椰達も、寺で生活しながら、それぞれの族長としての仕事をしていた。
「たまには、童子のように、家事くらい手伝いな」
紅夜の一声で、雪椰達も、家事を手伝い始めた。
雪椰と皇牙は、元々、器用だった為、菜門が教えると、すぐに出来るようになった。
羅偉は、大雑把な上、不器用だった為、失敗ばかりして、時々、紅夜や妃乃環に笑われ、顔を真っ赤にしていた。
意外なことに、影千代と季麗は、完璧に出来ていて、菜門が教えることもなかった。
「彼らを見てると、飽きないねぇ」
「そうだねぇ。特に小鬼なんて、最高じゃないかい」
それぞれが寝床に戻り、妃乃環と紅夜は、その日を振り返り、眠りに落ちるまで笑っていた。
そんな日々を過ごし、五日が経った昼過ぎのことだった。
ゆっくりと、目を開けると、居眠りをしてる斑尾が視界に入った。
斑尾を起こさないように、そっと、部屋から抜け出し、亡霊のように、ユラユラと廊下を進み、居間の襖を開けた。
「…蓮花!」
そこにいるはずのない雪椰達に、首を傾げ、視線をずらして、裁縫をしていた妃乃環を見つめた。
「お腹空いた」
妃乃環の隣に座って、書類を広げていた菜門が、ニッコリ笑った。
「なら、僕が作りますよ」
「アンタ一人じゃ無理だよ」
立ち上がった妃乃環を見上げ、菜門は首を傾げた。
「紅夜を呼んできておくれ。蓮花様は座ってんだよ?」
縁側に出て行く菜門の背中を見つめたまま、小さく頷くと、妃乃環は、雪椰達を見下ろした。
「アンタらも手伝いな」
雪椰達が、ちゃぶ台に広げていた書類を片付け、妃乃環と一緒に居間から出て行くのを見送り、縁側に、ユラユラと揺れるように向かい、柱に寄り掛かって目を閉じた。
雪椰達と妃乃環が、台所に移動して、暫くすると、菜門が、台所に顔を出し、少し遅れて、紅夜も小走りで現れた。
「さてやるよ。玉ねぎ」
「豚肉、出しておくれ」
妃乃環と紅夜に言われた通りに、雪椰達は、冷蔵庫から次々に食材を出した。
「米炊いどくれ」
「それが終わったら、味噌汁作っておくれ」
菜門も言われた通りに、お米を炊き、味噌汁を作っていく中、妃乃環たちは、次々に料理を作り、テーブルの上に置いた。
「おい。作り過ぎじゃねぇか?」
「これくらい、ペロッと食っちまうよ」
「でも、作り過ぎだと思うな」
「そうですね」
「これが、女の腹に消えるはずがない」
「まぁ。良いじゃないですか。残れば、夕飯に回しましょう」
「今の蓮花様を甘くみんじゃないよ?」
ニヤリと笑った妃乃環を見て、雪椰達は首を傾げた。
「んじゃ運ぶよ。アンタらは、こっちを持っとくれ」
料理の盛られた大皿を雪椰達に持たせ、妃乃環が炊飯器、紅夜が味噌汁の入った鍋を持って、居間へと向かう。
「蓮花様!」
風に当たり、気持ち良く、日向ぼっこをしていると、焦ったような妃乃環の声が聞こえ、ゆっくり目を開け、静かに視線を向けた。
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