黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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六話

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すぐに寺に向かおうとした雪椰達は、それぞれの長老から、里に残ることを言い渡され、座敷わらしとして、人に幸福を与えるはずの菜門までもが、里に留まり、族長の仕事をしていた。
それぞれの屋敷で、それぞれの日々を送っていると、時折、吹き抜ける風に、頬を撫でられ、空を見上げていた。
その頭の中には、充実していた寺での記憶が浮かんでいたが、その風と共に、散り散りに流れゆく白い雲のように散った。
淋しくも哀しい現実に、季麗達は、大きな溜め息をついていた。
その姿を見る度、多くの妖かし達が、不思議そうに首を傾げていた。
季麗達は、人と関わったことで、その強さを知り、儚さに心を寄せていた。
無力であっても、努力を重ね、非力であっても、信念を抱いて生きる。
それが、真の強さであることを季麗達は、自然と理解していた。

「…では、始めましょうか」

様々な種族の妖かしが集う里だからこそ、多くの問題や現状の確認の為、定期的に族長会議が行われる。
この日も、会議が終わり、それぞれの屋敷へ向かう途中だった。

「蓮花…元気してっかな…」

その目を細め、淋しそうな顔をしながら、羅偉が呟いた。
その一言で、他の五人の表情も曇った。

「あれから、一週間くらいか」

「ちゃんと、食べてるんでしょうか」

「悪妖に襲われてないかな」

「そうですね…心配ですね」

その呟き達は、空しく響き、空へと消えていく。

「…くそっ…何故、アイツは、文の一つも寄越さんのだ」

辛い思いを隠すように、季麗が、何気なく、そう吐き捨てると、菜門の目が輝いた。

「そうです!それです!季麗!」

「なんだよ。何が、どうしたってんだ?」

急に声を上げた菜門に驚き、羅偉が、首を傾げたが、他の四人は、何かを気付き、納得したように頷いた。

「そうか」

「そうゆう事ね」

「さすがは、季麗ですね」

「当然だ」

「どうゆう事だよ」

羅偉は、理解しきれていない様子で、更に首を傾げた。

「まだ分からんか。これだから、子鬼は困るのだ」

「んだと!!」

季麗に小馬鹿にされ、羅偉が、顔をしかめながら、大声を出すと、皇牙が、その肩を叩いた。

「俺らから、蓮花ちゃんに文を送るんだよ」

「そうゆう事か。でも、どうやって送るんだ?茉達には頼めねぇし」

羅偉の疑問に、季麗達は、悩むような仕草をしたが、今度は、雪椰が、ニッコリ笑った。

「覇稚に頼みましょう」

「そうですね。では、今から五時間後、幻想原ゲンソウガハラの入り口で、落ち合いましょう」

六人は、大きく頷き合い、それぞれの屋敷に戻ると、部屋に入るなり、すぐに手紙を書き始めた。
その筆は、迷うことなく、文字を綴り、多くの想いと願いが込められた。
その後、誰にも気付かれないように、こっそりと屋敷を抜け出し、里の外れにある幻想原に向かった。

「旦那方。良いんですか?こんなことして。長老様方に見付かったら…」

「良いんだよ」

「そうだ。俺らは、何も知らされてないのだ。これくらい、どってことない」

「俺らが、何も聞かずに、手を引けなんて言われて、素直に従うと思ってる?」

「しかし…しかしですぜ?皇牙の旦那。旦那方に、もしもの事がありゃ…」

「覇稚。貴方は、私達に脅されて、仕方なくやったと言えば良いんです」

無表情の雪椰は、目を細めて、覇稚を睨んだ。

「わ分かりやした。分かりやしたよ。行きゃ良いんでしょ。行きゃ…一つ、聞いても良いですか?」

幻想原の前を流れる川に入り、雪椰達に背を向けた。

「どうして、そんな、その女に肩入れするんです?」

素直な覇稚の疑問に、雪椰達は、互いに視線を合わせると、改めて、その背中に視線を向けた。

「彼女が、素敵だからです」

優しく微笑む雪椰達を見て、覇稚は、彼等から、暖かなモノを感じ、静かに川に潜った。
それから、毎日、手紙を書いては、その場所に行き、覇稚に、手紙を託し、送り続けた。
それが、彼等の日課になり、返事よりも、自分たちの事を書くのが楽しくなり、手紙を送れるだけで、嬉しさを感じていた。
相手を想い、綴る言葉の中には、自分達の周りには、言えないような事も書いた。
それが、彼等の活力となり、族長としての仕事にも、喜びを覚えたある日。
いつものように、幻想原に向かう為、静かに屋敷を抜け出した。
そんな彼等を静かに追う朱雀達の姿があった。

「では、今日も、お願いしますね」

「女から返事も来ねぇのに、旦那方も、よく飽きやせんね?」

「お互い様だ」

「毎日、毎日、すまねぇな」

「良いって事です。それで、旦那方のお気が済むんでしたら、俺は、本望でっせ」

「ありがとう」

手紙を渡し、川に消える覇稚を見送り、淋しそうに微笑む雪椰達の横顔を月明かりが照らす。
その横顔に、何も言えず、立ち去る朱雀達は、複雑な表情をしていた。

「辞めさせるべきなのでしょうか…」

「でも、皆様のあんな顔を見たら…」

「強く言えませんね…」

「なんとすれば…」

「お困りですか?」

そんな時、女とも男とも言えない声が響き、朱雀達は身構えた。

「誰だ!」

「人間の女に、自分の主を奪われ、さぞ、お困りでしょう」

「誰だ!姿を現せ!」

幻想原の茂みから、黒い影が飛び出すと、朱雀達を捕らえ、引きずり込んだ。

「貴方達に力を、闇の力をお貸ししましょう。お代は…貴方達の未来です」

その声が響き渡ると、朱雀達の悲鳴が響き渡り、闇の鼓動が動き始めた。
その日から、朱雀達の姿が消え、一族総出で、探し回っていた時だった。
里の空を飛ぶ亥鈴の姿を見付けた雪椰達は、淡い期待を胸に抱き、急いで、里の中央にある屋敷向かった。
だが、雪椰達の期待は、目の前に現れた楓雅達によって砕け散った。
楓雅達が、それぞれ、黒い塊を雪椰達に向かい、突き飛ばした。

「これは、一体なんですか?」

「我らが、主に無礼を成した輩だ」

亥鈴の声に反応したように、黒い塊から時任達の顔が現れると、雪椰達は、驚きながら呟いた。

斬馬キリマ

都磨トマ

八百音ヤオネ

苦楽クガク

「兄さんまで…なんて…なんて事をしてくれたのですか!!」

雪椰の怒鳴り声で、鬼族以外の一族は、目を吊り上げ、怒った顔をした。

「自分のした事が分かってるのですか?苦楽」

「人を…蓮花アイツを襲うなど、天狗族の風上にも置けん。都磨」

「八百音。よくもやってくれたな」

「斬馬。どうゆう事か、説明してもらうよ?」

「兄さん…分かってますね?」

「我らは失礼する。行くぞ」

楓雅達が、亥鈴の背中へと飛び乗る中、白夜は立ち止まった。

「もう…やめてくんねぇか」

それが何を示しているのかは、分からなかったが、白夜の背中からは、哀しみが溢れていた。

「白夜。やめよ」

「良い機会だろ!…蓮花様の…あんな姿…もう…見たくねぇよ…」

雪椰達に向き直った白夜の表情は、睨み付けるようで、それでいて、哀しそうな目をしていた。

「お前らからの文を見る度、蓮花様は苦しんでんだ。お前らの文を読む度、哀しんでんだ。蓮花様が、どんな人か、分かってんだろ?もう、蓮花様を苦しめるなよ」

その言葉は、雪椰達の胸に深く突き刺さり、哀しみが沸き上がった。
それだけを言い残し、白夜は、背中を向けて、亥鈴の背中へと飛び乗った。

「すまない。だが、白夜の言葉は、我ら一同が思い、持ち合わせる言葉モノだ」

真っ直ぐに、雪椰達を見下ろす亥鈴は、静かに頭を下げた。

「失礼する。さらばだ」

飛び立った亥鈴達の背中を見送り、雪椰達は、哀しみに目を細め、拳を握り、打ち寄せる切なさを耐えた。
それから、彼等は、普段と変わらず、族長の仕事をしながら、朱雀達を探していた。
だが、そこには、活力が感じられなかった。
何を考えているかも分からず、ただ仕事をしている。
その姿は、まるで、糸で吊るされた操り人形のようだった。
抜け殻と化したように、何も出来ず、心の真ん中に、大きな穴が開いたように、全てが空しく、ただ長い時の中の一部を無難に過ごす。
そんな生活も、一ヶ月が過ぎ、未だ、朱雀達が、見付からずにいたある日。
雪椰達は、幻想原の前を歩いていた。
喜びを感じていた時の事を思い出すと、辛く、哀しみが増す為、雪椰達は、そこを避けていた。
だが、その近くで、朱雀達を見たとの情報が入り、付近を探す事になったのだ。

「くそ…なんで、ここなんだよ」

「もしかしたら、私達の後を追って、ここに来たのかもしれませんね」

「とにかく、今は、アイツらを探す事が先決だ」

「そうだな。哀しみになら、帰ってから、いくらでも浸れる」

「二人は、強いんだねぇ」

「私も、そう思います」

無駄口を叩きながら、朱雀達を探していると、幻想原の茂みから、影が現れた。

「哉代!」

それは、今まで探していた朱雀達だった。

「そんな所にいたのか」

「探しましたよ?」

「皆、心配したんだからね?」

「本当に手の掛かる奴らだ」

「そんな所で、何をしてる」

雪椰達が声を掛けても、朱雀達は、何の反応もしなかった。

「おい!聞いてるのか!」

季麗が怒鳴っても、反応しない。
その代わりに、変な声が聞こえてきた。

「…い…くい…憎い…人間が…主が…憎い…憎い…」

「なんだ…コイツら」

「様子がおかしい」

「憎い…にくい…ニクイ…ニクイニクイニクイニクイ!!」

朱雀の手から、火の玉が放たれた。
菜門が、急いで、結界を張ると、火の玉はぶつかり弾け飛んだ。
上がる煙幕から、鉤爪を着けた腕を振り上げ、篠が飛び出し、降り下ろされたが、それを避けた。
雪椰に向かって、羅雪は氷の柱を飛ばし、茉は羅偉に向かい、雷を落とし、葵が起こした刃の風が、影千代を襲い、朱雀の放つ火の玉が季麗に向かう。

「どうなってやがんだ!!」

「分かりません!!」

「篠!!やめるんだ!!」

「一旦下がるぞ!!」

一斉に、後ろへと飛び退き、距離を取ると、朱雀達は、ユラユラと、体を揺らし、何かに憑かれたように、更に、雪椰達に襲い掛かる。

「ぐはぁ!!」

鉤爪を避け、咄嗟に出された皇牙の拳が当たると、篠は声を上げ、その体が揺れた。

「あ!ごめん。大丈夫?」

篠に、近付こうとした皇牙に向かい、鉤爪が振り抜かれ、それを寸前の所で避けた。

「どうしたら良いんだ」

小さい頃から、共に技術を磨き、共に育った朱雀達を傷付けることが出来ず、雪椰達は、成す術がなかった。

「季麗様!!」

そこに同じように、朱雀達を探していた一族が、騒ぎを聞き付け、駆け寄ってきた。

「来るな!!」

離れた所で立ち止まった一族に、雪椰は、振り返らずに叫んだ。

「長老様を呼んで下さい!!」

「しかし!!」

「早くしろ!!」

駆け付けた者の中から、それぞれの種族が走り出し、長老達を呼びに向かうと、それを追うように、朱雀の火の玉が放たれた。
それを雪椰の氷の柱が掻き消し、残っていた者達は、雪椰達を手助けするように、それぞれの術を朱雀達に向ける。

「里に入れるな!!」

そう叫びながら、必死に押さえ込もうとしたが、その術を物ともせず、朱雀達は、目に映る妖かしを次々に襲った。
ボロボロになりながらも、朱雀達の里への侵入を防いでいたが、気力も体力も限界だった。
だが、朱雀達の勢いは、変わらなかった。

「化け物か…」

朱雀の火の玉が、一族に向かうと、菜門は結界を張り、それを防いだが、すり抜けた葵の風の刃が、その脇腹を引き裂いた。

「菜門!!」

雪椰達が、菜門の所に駆け寄ると、羅雪の氷の柱が、その場に向かって放たれた。
それぞれの族長の名前を呼ぶ、叫び声が木霊し、砂煙が上がり、視界が遮られた。
そこにいた誰もが諦め、哀しみの眼差しで、立ち込める砂煙を見つめていた。
落ち着き始めた砂煙の中、雪椰達の前に、一つの影が揺れた。
立ち込めていた砂煙が、完全に消え、その姿に、その場にいた全ての妖かしは、驚きを隠せずにいた。

「蓮…花…」

大きな槍のような刀を手にし、氷の柱を防ぎ、雪椰達を背にして、朱雀達に向かって立つ。

「お前…どうやって…」

横目で、倒れている菜門を確認し、傷口から、魔石の気配を感じ、顔をしかめた。

「我、言の葉に誘われし式達よ。我、名の元に集え」

風が舞い上がり、囲むように、斑尾達が姿を現した。

「時間をちょうだい」

「御意」

白い靄に包まれ、白夜達が、半妖の姿になると、朱雀達に向かい、走り出した。
その背中を見送り、刀を肩に担ぎ、雪椰達に向き直る。
久々に見る雪椰達の顔は、ずいぶん、窶れているようだった。
周りを見渡し、倒れている妖かし達の傷口を確認してから、目を閉じて、打ち寄せる哀しみを押し込んだ。
刀の柄で、地面を叩くと、そこから、蒼い光が四方に広がり、負傷した妖かし達を包み込む。
その体に光が溶け込み、強さを増すと、傷口に集まる。
片手の指を立てて、胸の前に置き、刀を振り抜くと、光が弾け飛び、蝶のように、ヒラヒラと宙を舞った。
周囲の妖かし達から、魔石の気配が、消えたのを感じ、静かに目を開けた。

「紅夜。阿華羽。妃乃環」

白い靄を上げながら、三人の式神が現れた。

「お願い」

「御意」

妃乃環達は、負傷した妖かし達の所に向かうのを横目で見送り、雪椰達に近付き、痛みに苦しむ菜門を見つめた。

「ごめん…」

小さく呟き、片膝を着いて、菜門の傷口に手を翳すと、包み込むような光が溢れ、その光が消えてから手を離した。

「…あれ?」

体を起こした菜門が、見下ろした傷口は、完全に塞がっていた。
その脇腹を見て、雪椰達は、驚いた顔をして、視線を向けた。

「お前は…一体…」

「長老様方から、聞いてないの?」

季麗の呟きに、首を傾げると、首を振った。
そんな雪椰達に申し訳ないような、気恥ずかしいような、そんな気持ちになり、少しだけ微笑んだ。

「私は、この不祥事を招いた元凶です」

「元凶って…」

「全て、私のせいなんです」

静かに立ち上がると、雪椰達も、同じように立ち上がった。

「皆さんの欲している力とは違う。特別な力が、私の中にあります」

目を伏せ、彼等から視線を反らした。

「陰陽師。妖かしと対抗する力を持つ人の血族。相反する二つの力が、混在する私は、この世の理を狂わす歯車なんです」

目を閉じてから、ゆっくりと、雪椰達を見つめた。

「皆さんの欲する力は、元々、黄泉世に存在していた禁断の果…」

「ちょっと待て!!」

羅偉の大声に、パチパチと、何度も瞬きをした。

「黄泉世ってなんだ」

「黄泉の世界」

「何処にあるんだ」

「この世とあの世の狭間」

「なんで、お前が知ってる」

「陰陽師だから」

「なんで、お前が陰陽師なんだ」

「その血族だから」

「なんで、ここにいんだ」

「魔石の気配がしたから」

「魔石ってなんだ」

「黄泉世の怨念を吸い上げて、結晶化したモノ」

「どうやってここに来た」

「斑尾に乗って」

「それはなんだ」

冥斬刀ミョウザントウ

「どうし…」

次々に、羅偉の質問に答えていると、雪椰が、その肩を叩いた。

「とりあえず、その辺は、後にしましょう。蓮花さん。さっきの話を聞かせて下さい」

「あ…はい。えっと、皆さんの欲する力は、元々、黄泉世に存在していた禁断の果実で…えっと…んと…」

どう説明するか、何を話すか、どう話せば理解しやすいかをちゃんと考え、頭の中に準備していた。
だが、羅偉の質問で、それらの順序が崩れてしまった。

「…忘れた…」

口から滑り出た言葉に、雪椰達の体が、足を滑らせたように傾いた。

「一番肝心な所を忘れるとは…阿呆としか言いようがない」

「まぁ。蓮花さんらしいんですけどね」

「でも、今回は、そうも言ってらんねぇだろ」

「確かに、羅偉の言う通りですね」

「小鬼に言われちゃ立つ瀬ないぞ」

「蓮花ちゃん。思い出せないかな?」

「うぅ~…斑尾~」

最初は、頬を膨らませていたが、雪椰達に、本当の事を言われ、何も言い返せなくなり、後ろにいる斑尾に視線を向けて、助けを求めた。

「そうゆうのは、慈雷夜や亥鈴達の得意分野だ」

「慈雷夜~」

「無理です」

朱雀達の動きを封じようと、蜘蛛の糸を張り巡らせている慈雷夜に即答され、亥鈴を見上げた。

「亥鈴~」

「自分で、なんとかしなさい」

その場を見下ろしていた亥鈴に、冷たく突き離すように言われ、空に顔を向けた。

「りお~ん」

「はいはい」

側に現れた理苑の袖を掴んで、じっと見上げると、やれやれと、困った顔で、鼻で小さな溜め息がつかれた。

「仕方ないですね」

頭を撫でる理苑に、斑尾は、ムッとし、眉間にシワを寄せた。

「甘やかすな」

「良いじゃないですか」

理苑は、雪椰達に向かって立った。

「我は、理苑。我、主、蓮花様に代わり、我からお話しさせて頂きます」

理苑は、優しく暖かな声で説明を始めた。
黄泉世とは、死者が必ず還るべき世界。
この世と、あの世の境にある世界。
黄泉の世界に集う死者は、そこで、その心の奥に潜めた想い、所謂、心残りを置いて、転生へと旅立つ。
その想いが、強ければ強い程、死者は、黄泉の世界に留まり、強い心残りを持つ者は、強い力で黄泉の世界へと引き込まれる。
黄泉世の入り口は、本来、空高くにあり、生者が向かうことは出来なかったが、大昔、あちらこちらで、怪しい儀式が行われ、多くの生命が奪われていた時代の流れに因って、多くの場所で、黄泉へと繋がる路が開かれてしまった。

「神隠しと言われる現象は、偶然、その路を渡り、黄泉の世界に迷い込んでしまった者が、その幻想的な光景に、神の領域に、足を踏み入れたと錯覚し、広まった噂に、尾びれが付いてしまった話なんです」

ニッコリと笑い、指を立てる理苑の話に、雪椰達は、大きく何度も頷いた。

「理苑」

「はいはい。話を戻します」

そして、黄泉の世界には、生きたいと願った者達の想いを掬い上げ、それを力と変える禁断の果実があった。
しかし、一人の人間が、黄泉の世界に迷い込み、偶然にも、その果実を見付けてしまった。
誘うような甘い香りが漂い、瑞々しく熟れた果実に惑わされ、その人間は、それを口にしてしまった。

「蓮花様からする香りは、その果実の香りなんです」

「何故、その果実の香りが、人間からするのですか?」

「禁断の果実は、食した者の血に根を張り巡らせ、その血の中に、実るようになったからです。だから、蓮花様の香りに誘われ、この艶やかな肌に惑わされてしまう。式となれば、全く気にならないのですが、普通の妖かしは、同じ空間にいるだけで、正気を失ってしまうんですよ」

何度も頷く雪椰達を見て、理苑は、得意気な顔をしていた。
その時、近くまで吹き飛ばされた流青が、うつ伏せのまま背中を丸めた。

「流青!!」

急いで駆け寄り、その体を支えると、流青は、その痛みに顔を歪めた。

「蓮花…様…アイツら…かなり…喰われてる…」

朱雀達の方に視線を向けると、雄叫びに似た声を上げ、ボロボロの白夜達に襲い掛かった。

「理苑。続きは、結界を張りながらお願い」

刀を握り締め、朱雀達に向かって走る。

「やれやれ。そんな器用じゃないですから。斑尾。亥鈴。あとは任せましたよ?」

大きな翼を羽ばたかせ飛び立ち、理苑が、空に向かい、手を翳すと、大きな光の壁が、周囲に広がり、負傷した妖かし達や雪椰達をすっぽりと包み込んだ。
それを見つめ、亥鈴は、大きな溜め息をついた。

「黄泉の世界には、もう一つ、その禁断の果実と同じように、特殊な力を宿したモノがある」

「魔石ですね?」

「確か、怨念を吸い上げて、結晶化したモノだよね?」

静かに頷く亥鈴を見上げ、影千代は、首を傾げた。

「それを手に入れると、どうなるのだ」

「あ~なるのさ」

負傷した妖かし達の手当てを終え、妃乃環達が、雪椰達の側に立ち、朱雀達に視線を向けた。

「魔石は、悪き闇、邪な心に住み憑き、その霊を喰い、住み憑いた者の力を増幅させる。だが、その怨念に因って、喰われた者は、その魔石に引き込まれ、最後には、己を忘れ、未来を捨て、全てを破壊する」

雪椰達は、驚きながらも、納得してたように頷いた。

「助けられるのですか?」

不安な顔をした菜門に、亥鈴は、ハッキリと答えた。

「完全に喰われてしまった者は、主の力を持ってしても救えぬ」

雪椰達は、地面を見つめ、悔しそうに唇を噛んだ。

「だが、奴らなら、まだ間に合うかもしれん」

斑尾の言葉に、雪椰達は、一斉に顔を上げた。

「どうゆう事だ」

「完全に喰われてしまった者は、この世に存在しない化け物に成り下がる。だが、奴らは、まだ己の姿を保っている。奴らの御霊が、まだ、その身に存在している証拠だ。まだ、己の姿を保っている者ならば、魔石を取り除きながら、その御霊を呼び覚まし、浄化することで、救うことが出来る」

斑尾は、朱雀達の方に視線を向けた。

「蓮花にならば、それが出来る。その哀しき運命サダメを背負ったアイツになら…」

雪椰達も同じように、その背中を見つめた。

「蓮花ちゃんの背負う運命…」

「可哀想な子なのさ。あの子は」

皇牙の呟きに、妃乃環が、静かな呟きを返した。

「相反する二つの力が、一つの体に宿っている。本来なら、投げ出しても仕方ない」

妃乃環を見つめ、首を傾げる雪椰達を見下ろし、亥鈴は、静かに目を閉じて語り始めた。
禁断の果実を口にした人間は、妖かしの里を訪れ、当時の族長達と契約を交わした。
それが、あの契約だ。

「自分達が、妖かしの道具となる代わりに、その身を守らせた。それは、お主らも知っているであろう」

「あぁ。古くから族長となった妖かしは、特別な力が覚醒しすると、その人間を嫁がせた」

「だが、実際は、力を与えるだけで、子を成すと言う契約は、存在していなかった」

「どうゆう事ですか?」

最初は契約通り、覚醒した特別な力を持つ人間を守るだけだった。
だが、いつしか、族長となった妖かしの中に、邪な心を持つものが現れた。
運悪く、特別な力が覚醒してしまい、その人間は、邪な心を持った妖かしに襲われ、子を身籠った。
そして、生まれてきた半妖は、純血の妖かしよりも、強い力を持っていた。

「その事から、特別な力を持つ人間と子を成すという契約が、生まれてしまったのだ。だが、時が流れ、人々の中には、この話を知る者は、いなくなってしまい、いつしか、我ら、妖かしだけの常識となったのだ」

「そうだったんですね…」

「だが、契約を持ち掛けたのは人間の方だ。自業自得だろう」

「そうさ。でも、それは、人と妖かしの認識の違いでしかないんだ」

慈雷夜に支えられ、白夜が近付くと、その後ろから、楓雅や仁刃もやって来た。

「それを正していれば…蓮花様は、あんなに辛くなかったんだ」

「どうして?」

皇牙の問いに、誰も答えず、ただ視線を反らして、唇を噛み締めていた。

「…そうなった時、我らは、逃げ出してしまった」

沈黙を破り、斑尾は、視線を上げて、雪椰達を見据えた。

「お前達に、未来を創る…その覚悟はあるか」

真剣な顔付きの斑尾に向かい、雪椰達が大きく頷いた。
斑尾は、里を見つめ、過去を思い出しながら、その苦しみを噛み砕くように話した。
妖かしが、人々の間で、疎まれ、嫌われ、避けられていた時代。
その現実を重く受け止め、哀しみが沸き起こった三匹の妖かしが、人々と話をしようとしたが、誰にも聞いてもらえなかった。
現実の厳しさに、心が折れそうになった時、一人の人間の男が現れ、三匹の話を聞いた。
その男は、三匹の想いを受け止め、三匹と共に、人々に、その真意を説いて回った。
そんな一人と三匹の姿に、人々の中にあった妖かしに対する考え方が、次第に変わり始めた。
しかし、悪妖に因って、住む場所を奪われ、愛するモノを失った人間達もいた。
三匹にとって、その現実が哀しく辛いモノだった。
そんな哀しみに浸る三匹に、男は、優しい笑みを浮かべた。

『哀しき者達が、笑って暮らせる場所を創ろう』

男は、三匹と共に、哀しみを抱える全ての生命が、笑って暮らせる里を創った。

「…それがココだ。元の名は、妖人ヨウニンの里」

斑尾が視線を戻すと、羅偉が首を傾げた。

「ヨウニン?」

「妖かしと人が共に笑い、共に暮らせる場所…そんな里にしたくてな」

懐かしむように、目を細めた斑尾に、季麗は、鼻を鳴らした。

「まるで、自分が名付けたような口ぶりだ」

「名付けたんだよ」

白夜の言葉に、雪椰達は、驚きで目を大きくさせた。

「斑尾、理苑、亥鈴。彼らが、里を創った妖かしです」

雪椰達は、斑尾を見つめた。

「蓮花の式となった妖かしは、我らと共に、この里に暮らしていた妖かし達だ」

亥鈴が、斑尾の話を引き継いだ。

「そして、蓮花様の祖先である華月様は、我らと共に里を創った男だ」

斑尾達から告げられた事実は、雪椰達にとって衝撃的だった。

「華月って…?」

そんな中で、羅偉は、理解しきれていない様子で、小声で隣に立つ雪椰に聞いた。

「一度、習ったはずですよ?」

「いつだよ」

「夜月華月。心優しく、穏和でありながら、その胸には、しっかりとした芯があり、助けを乞えば、どんなモノでも、分け隔てなく、手を貸す陰陽師。だが、その身分を隠し、各地を巡り歩いていた男だ」

コソコソと話をしていた羅偉と雪椰を見つめ、亥鈴が、説明すると、斑尾は、溜め息をついた。

「何を学んでいたのだ」

「すみません。羅偉は、文学が苦手でして…」

「文学は、死ぬまで持ち続ける事の出来る財産であって、それを蔑ろにするようでは、里の未来を考える者として…」

「斑尾」

説教を始めようとした斑尾に、亥鈴が声を掛けた。

「説教は後にしろ」

ムッとする斑尾を他所に、亥鈴は、雪椰達を見下ろした。

「華月様と出会ったのは、巡り歩いていた時だ」

「何故、各地を巡り歩いていたんだ」

ムッとしていた斑尾が、その説明をした。

「周りには、己を知る旅をしていると言っていたが、それは、仮の姿であり、本来は、黄泉世の護り人として、各地に開いてしまった黄泉世の入り口を巡っていたのだ」

「黄泉世って、さっき、話していた黄泉の世界の事だろ?」

羅偉が、得意げな顔をすると、斑尾は、目を細めて、優しく微笑んだ。

「そうだ」

「護り人って?」

皇牙の疑問に、亥鈴が答えた。

「黄泉の世界を護る陰陽師だ」

「そんな者がいながら、何故、迷い込んだ人間が、禁断の果実を口にした」

溜め息混じりの影千代の呟きに、斑尾は、目を細めた。

「護り人であっても、陰陽師であることには変わらない。陰陽師とは、その内に秘めた力を使うことの出来るだけで、人間であることに変わりはない。その本質は、キチッと習ったのであろう」

「えぇ」

「そちの小鬼はどうだ?分かるか?」

小馬鹿にしたように、亥鈴に言われ、羅偉は、ムッとしながらも、大人しく頷いた。

「蓮花様には、特別な力が二つ混在している。それが、何を意味してるか…分かるか?」

それまで黙っていた楓雅から、雪椰達は視線を反らした。
そんな中で、皇牙だけは、真っ直ぐ楓雅を見つめた。
そんな皇牙を見つめ返し、楓雅は、フッと優しく微笑んだ。

「お前は、分かりそうだな。だが、その哀しみまでは分かるまい」

その微笑みが消え、楓雅の目付きが、鋭くなった。

「共に里を創った者の力と、それを狂わせた力」

斑尾達の表情は、厳しく、哀しみが溢れていた。

「その哀しみ、苦しみが分かるか」

斑尾の言葉は、雪椰達の背中に重くのし掛かった。
言葉にするのは、簡単だが、本人以外の者が、それを口に出して良いのだろうか。
斑尾は、そんな複雑な表情をした雪椰達を見つめた。
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