黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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五話

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一瞬だけ、見下ろした先には、雪椰と同じように、外に出てきていた羅偉、影千代、皇牙、季麗、菜門の姿が見えた。
その表情は、哀しさを携え、胸の疼く苦しみで歪んでいた。
それからは、振り返らずに前だけを見つめた。

「宜しいのですか?」

「これでいいのよ」

「淋しそうですよ?」

「大丈夫。皆がいる」

それからは、誰も何も言わなかったが、その横顔は、淋しいと物語っていた。
彼らとの生活が、あまりにも楽しく、あまりにも充実していた。
だが、それを続けることは出来ない。
それが、現実であって、それをねじ曲げることは出来ない。
自分の決めた道を自分で進む。
現実や運命を変える勇気を持ち合わせていない。
だから、彼らとの時間を胸の奥に仕舞い、ただ真っ直ぐに歩くだけしか、出来ないのだ。
あれから、彼等が居なくなり、広い家は、静かになったが、自然と淋しさを感じることはなかった。
菜門が来る前、寝込んだ祖母を看病をしながら、斑尾達と過ごしていた頃に戻った。
しかし、その目には、彼等の残像を浮かべていた。
台所に立つ菜門。
庭で修業する天戒。
それを縁側で見守る影千代。
花の世話をする雪椰。
斑尾と散歩に出れば、皇牙や季麗の姿が見え、部屋で仕事をしていれば、襖や障子が揺れると、羅偉の姿が、浮かんでは消えてを繰り返した。
そんな残像で、日に日に、食欲が衰え始め、丸一日、何も食べないこともあった。
気分転換に、図書館に来ていた。
適当な本を探していると、近付く足音に、淡い期待が生まれたが、それは、相手の声によって、打ち崩されてしまった。

「何をお探しですか?」

黒髪で鋭い目付きの彼は、最近、この図書館で働き始めた時任トキトウ
何かと、声を掛けてくる。
彼は、自分を人間だと、周りに思わせているが、実際は、妖かしである。
しかし、何か事を起こす訳でもない。
あまり気に掛けなくても、大丈夫だろうと、甘く考えていた。

「ん~…出来れば、暇な時に読めそうな本が良いんですけど」

「なら、これなんて良いと思いますよ?」

返却された本の中から、ミステリー小説が差し出された。

「ちょっと、怖いかもしれませんが、私のオススメです」

「どうも」

「あの。お仕事の方は?」

本を受け取ると、時任に、微笑みながら聞かれ、眉を寄せた。

「一応、今は落ち着いてます」

「そうですか。あの…食事でも、どうですか?」

わざとらしく、謙虚な態度の時任に、微笑みを浮かべる。

「そうですね。その内」

「前も、そう言ってましたよね?」

これまでも、何度か、食事に誘われたが断っていた。
この日の時任は、何故か、食い下がった。

「仕事が落ち着いてるなら、今夜にでも、どうですか?」

「すみません。落ち着いてますが、ない訳じゃないので」

その時、強い殺気を背中に感じ、横目で確認した。

「なぁ。あんたが夜月蓮花か?」

群青色の髪をオールバックにした柄の悪い男も妖かしだ。
殺気を隠す事なく、振り撒いている男を睨むと、時任は、庇うように間に立った。

「また貴方ですか。斬島キリシマさん。いい加減にして下さい」

斬島と呼ばれた男は、時任を睨み付けた。

「良いじゃねぇか。俺が何をしようと」

「ここは図書館です。本を愛する者が集う場所。そう言った事は、他の場所でして下さい」

「うるせぇ。黙ってろ」

睨み合う二人を背に置いて、渡された本を持って、その場を離れ、貸し出しの手続きを済ませると、さっさと、図書館を出た。
家に向かっていると、今度は、目の前に占いの出店が現れた。

「そこの方。お一ついかがですか?」

長いベールを被り、口元を隠しているが、声色で女であることが分かり、妖力が隠しきれていない。

「結構。急ぎますから」

その前を通り過ぎる。

ワザワイが降り掛かる。お気を付けて」

水晶に手を翳す女妖に、微笑みを浮かべた。

「ありがとう。そうするわ」

それだけを言い残し、足早に自宅を目指す。

ーほっとくのか?ー

ー良いのよ。今は、何もしてこないからー

ただ真っ直ぐに、前を見て歩き続ける。

「…厄なら、もう降り掛かってる」

石段を上りながら呟いた。
その言葉は、風に乗って、空へと上り、跡形もなく消え去った。
次の日。
日用品の買い物に、ドラッグストアに来ていた。
人の姿の斑尾と一緒に、カートを押しながら、洗剤やボディーソープなどを入れていると、急に現れた男とぶつかった。

「すみません」

「いえ。こちらこそ」

銀髪を揺らす色白の男。
見た目は、雪椰に、そっくりだが、妖力を感じられない。

「それでは」

深く考えず、男に頭を下げ、その場から立ち去り、買い物を済ませると、家に帰り、その後も、別に何の変わりもない生活を続けた。
そんなある日。
庭の手入れをしていて、元気のない勿忘草の為に、肥料を買いに、花屋に来ていた。
肥料を持って、会計に行くと、いつもと違う男が出てきた。

「いらっしゃ…貴方は…」

それは、先日、ドラッグストアでぶつかったあの男だった。

「あの時は、すみませんでした」

「いえ。こちらこそ」

エプロンに付けてるネームプレートに視線を向けると、その男は、ネームプレートを持ち上げた。

「初めまして。笹原ササハラです。お名前、お伺いしても宜しいですか?」

「夜月です」

「近くなんですか?」

「えぇ」

支払いをして、肥料の入った袋を持とうとすると、後ろから、人の姿になった斑尾が、それを持った。

「行くぞ」

「あ!ちょっと!!」

袋を持って、さっさと、出て行く斑尾を追って店を出た。

「どうしたの?急に」

「何がだ」

「そんな格好して。いつもなら、お店の前で待ってるのに」

「別にいいだろ」

そんな斑尾を見上げながら、首を傾げた。

「気にするな。気紛れだ」

「ちょ!やめてよ」

空いている手で、頭を撫でられ、斑尾の腕を叩こうとして、空振りした。

「阿呆」

人を小馬鹿にするように笑った斑尾に、腹が立ち、何度も殴ろうと、拳を振り回したが、全て避けられ、その度に頭を軽く叩かれた。

「もういいだろ。さっさと、帰るぞ」

最後に頭を撫でると、斑尾は、隣を寄り添うように歩いた。
それが、楽しくて、嬉しくて、恥ずかしくて、子供の頃に戻ったように、斑尾の手を握って歩いた。
その日を境に、斑尾は、人の姿でいる事が多くなり、その代わり、一緒に、風呂に入る時間がなくなった。

「ねぇ。なんで、その姿なの?」

「気分だ」

何度、聞いても、斑尾は、本当の理由を教えてはくれない。
そんな日々を過ごしていたある日の夜。
魔石の所在を探っていた白夜が、近況報告に戻ってきた。

「あっちは、変わりないぜ?気配は、感じるんだけど見付からない」

「そっか…引き続き、お願いね?」

「御意」

白夜が去ろうとした時、庭にある小さな溜め池から水飛沫が上がり、白夜と斑尾が身構え、慈雷夜も姿を現した。

「よっこらしょっと」

しかし、そこから出てきたのは、間抜け面の妖かしだった。

「…なんだ?あれ」

「さぁ?」

「河童…でしょうか?」

気の抜けたように話す斑尾達の声に、その妖かしは、視線を上げた。

「あぁ?あ!お前!夜月蓮花か!?」

「え?そうだけど…貴方は?」

「俺は、河童の覇稚ハチだ。アンタに、文を預かってきたぞ」

覇稚が、懐から手紙を取り出しながら、近付いてきた。

「手紙?誰から?」

「旦那方だ」

「旦那!?旦那って誰」

「あんだ?旦那は旦那だ。これが季麗の旦那で。こっちが羅偉の旦那。影千代の旦那。雪椰の旦那。菜門の旦那に、皇牙の旦那だ」

それは、彼等からの手紙だった。

「返事書いたら、呼んでくれりゃ、届けてやらぁ。んじゃな」

覇稚は、手紙を押し付けると、溜め池に飛び込んで帰って行った。

「…一体、なんだったんでしょ」

「さぁ?」

「…蓮花…」

覇稚に押し付けられ、手に握る手紙を見つめ、久々に聞いた名前に、胸の辺りがざわつき、無意識の内に、顔を歪めてしまっていた。
それを斑尾達は、哀しそうに見つめていた。

「へっぶし!!」

唐突に出たくしゃみに、我に返り、斑尾達を見ると、クスクスと笑った。

「お前のくしゃみは、相変わらずだな」

「仕方ないでしょ」

「蓮花様。おじさんっぽい」

「うるさい」

「おじさんと言うより、おばさんですね」

「おばさんじゃないもん」

「三十路のくせに」

「皆もっと上じゃん。へっぶし!」

またくしゃみをすると、斑尾達に、ケタケタと笑われ、頬を膨らませた。

「さて、中に入りましょう。白夜は、そろそろ、行った方が良いんじゃないですか?」

「あぁ。蓮花様、風邪引くなよ?」

「ありがと。行ってらっしゃい」

走り去る白夜を見送り、部屋に入り、障子を閉めた。
パソコンを置いている低い机の前に座り、渡された手紙をキーボードの上に置いた。
内容の予想は、出来ていた。
だが、実際、何が書かれているか分からない。
意を決して、手紙の一つを手に取り、開いた。

《元気にしてるか?》

予想は的中した。
どの手紙も、心配している旨が書かれていた。
それだけでなく、最近の自分たちの事、里での事、思い出など、多くの言葉が綴られていた。
その言葉、一つ一つを最後まで読み、胸の中に仕舞っていた淋しさが、波のように打ち寄せた。
机の引き出しに、その手紙を仕舞い、フゥ~と、息を吐き出してから、そのまま仕事を始めた。
打ち寄せた淋しさを胸の奥に追いやり、そこに鍵を掛ける。
どんな事があろうとも、その鍵を開けないと、強く、自分の中に誓って、それからを過ごす。
しかし、その日から、毎日のように、彼等からの手紙が、送れられてくるようになり、日に日に、それぞれの手紙が増えていき、引き出しに仕舞いきれなくなってしまった。
彼等からの手紙を小さな箱に入れ、庭の隅、小さな蔵の中に、それらを仕舞って鍵を掛けた。
そんな手紙を受け取るようになったある日。
仕事が行き詰まり、どうしようもなくなり、人の姿をした斑尾を連れ、影千代たちと行ったあのショッピングモールに向かっていた。
電車の中で、はしゃぐ子供に、天戒の姿が重なり、息苦しくなる。
そのまま電車を降り、歩いていると、急に、強い風が吹き、舞い上がったチラシのような物が、顔にぶつかった。

「んぐふ!」

「何やってんだ」

斑尾に、チラシを取ってもらうと、頭の上に、何か落ちて来る気配を感じ、二人で上を見上げた。

「ぬお!」

物凄い勢いで落ちて来たのは、鉢植えだった。
自分の周りに、光の壁を作りながら、その場からずれて、コンクリートに叩き付けられ、無惨にも、砕け散った鉢植えを見つめた。

「なんで…」

「分からん。だが、用心した方が良い。帰るぞ」

「うん」

斑尾に手を引かれ、出てきた改札を戻り、電車に乗り込んで帰宅した。
その後も、外に出れば、何処からか、色んな物が飛んできて、間一髪のところで、それを避ける事が増え、極力、外出を控えた。
だが、出掛けなければならない時は必ずある。
先日、借りていた本を返しに、図書館に向かった。
とにかく、色々な物が、飛んでくるのを避けながら、建物の前で、斑尾と別れ、足早に図書館に入り、カウンターに向かうと、そこには、時任が座っていた。

「こんにちは。もう読み終わったんですか?」

「えぇ」

「また、何か借りますか?」

「いいえ。もう帰ります」

「そうですか…」

返却して、図書館の出入り口に向かうと、時任が、追い掛けてきて呼び止めた。

「夜月さん」

振り返ると、時任は、わざと恥ずかしそうな仕草をした。

「今から休憩なんですけど、おしょ…」

「あ!れんちゃん!!」

時任の声を遮り、元気な子供達の声が響き、走り寄ってきた。

「走っちゃダメよ」

「はぁ~い。ねぇ。えほん、よんでよ」

「ん~…暇だし。いいよ」

「やったーー!!」

「静かにしたらね?」

「はぁ~い」

子供たちに、手を引かれ、絵本コーナーに向かいながら、横目で、後ろを見ると、時任は、無表情で、こちらを睨んでいた。

「これ、よんで?」

「こっちよんでよ」

「分かった。分かったから。順番に読んであげるね?」

渡された絵本を読み始め、子供達と楽しい時間を過ごしていたが、それは、長く続かなかった。

「火事だーーー!!」

二つ目の絵本を読んでいた時、その声が館内に響き渡り、混乱が起こった。

「こっち」

大人達の間を縫って、子供達を外に出すと、奥の方に走っていく文香の背中が見え、その背中を追った。

「文香!!」

振り返った文香に走り寄った。

「どうしたの?」

「奥に人が!!」

「一人じゃ危ないよ?」

「でも早くしないと!!」

「だからって、一人じゃダメだよ」

「でも!!」

「文香!!」

焦っている文香の肩を揺らし、その目を見つめた。

「焦ってたら、助けられる人も助けられなくなるよ?まずは、落ち着いて?周りを見て?そのまま行ったら、文香も帰れなくなるよ?」

奥から、流れ込んでくる煙に視線を向けると、文香も、一緒に煙を見つめた。

「私も行く」

涙目になりながら、頷いた文香に、ニッコリと微笑んだ。

「ハンカチとかない?」

「あります」

「それで、口と鼻を覆って。行くよ?」

口元を覆った文香の手を引いて、浴衣の袖を口に当てながら、奥へと進んだ。
咳き込む文香を気にしながら、人影を探したが、そこにはなかった。
職員の通用口まで、辿り着き、ドアを開けると、そこに、煙の根源があった。
通用口の前で、何かが燃え、その煙が、館内に流れ込んでいた。
通用口の横にあった消火器で、その炎を消すと、煙は、ゆっくりと消えた。

「…なんだったの…」

「本…だね」

消火剤にまみれ、真っ黒に焦げた本の残骸を持ち上げると、タイトルが見え、それは、さっき返却したばかりの本だった。

「ひどい!!誰がこんな事!!」

「まぁ。今は、分からないよ。とりあえず、館長さんに話して、警察に通報した方が良いかな」

「はい」

文香が走り去るのを見送ると、強い風と共に、背後に気配を感じ、振り返ろうとした時、何かが頬を掠めた。
髪が、ハラハラと舞い、顎の所に出来た小さな傷から、赤い雫が、滴り落ちた。

「蓮花!!」

浴衣の袖で、その傷を覆うと、空から、斑尾がやって来て、白い靄を上げながら、人の姿になると隣に立った。

「大丈夫か?」

「うん。大丈夫。少し切れただけだから」

「どれ」

斑尾に傷を見せると、安心したように息を吐いた。

「しかし、一体、どうしたのだ?」

「分からない。でも、誰かが仕組んだ事みたい」

指差した先を見て、斑尾は、顔をしかめた。

「ひどいな」

「でも、誰も怪我してないみたいだから、良いんじゃない?」

「そうだな。お前も無事で良かった」

斑尾は、心底、安心したように笑っていた。

「髪が切れてしまったな」

残念そうに、斑尾が触れた襟足に、横目で視線を向けた。

「本当。綺麗に、スパッと切れてるね」

斑尾と同じように、襟足に触れてから、ニッコリ笑った。

「でも、髪なら伸びるし。大丈夫だよ」

「そうか…」

微笑み合っていると、バタバタと、足音が聞こえ、その場から離れ、誰にも気付かれないように、妖かしの姿になった斑尾の背中に乗って、急いで帰宅した。
図書館の騒動の次の日。
斑尾とプランターや鉢植えの配置替えをしていた。

「これは、どうするんだ?」

「ん~…あそこに置こうかな」

斑尾から、プランターを受け取り、日当たりの良い所に持っていくと、何かが、目の前に投げ込まれた。

「ひっ!!」

「どうした!!」

不意に出てしまった声に、反応した斑尾が、走り寄ると、視線の先を見た。

「っつ!!」

そこには、無惨な姿の蛙の死体が転がっていた。
暫くの間、それを見つめ、徐々に、落ち着きを取り戻し、持っていたプランターを脇に置いた。

「…可哀想に」

「蛇に噛み殺されたようだな」

斑尾も、いつもの調子に戻り、二人で、片膝を着いて、蛙を見下ろし、静かに、手を合わせ、目を閉じた。
蛙を拾い上げ、庭の片隅に、そっと、埋めてあげてから、また手を合わせる。

「ごめんね。おやすみ」

早々に、配置替えを終わらせ、部屋に戻った。
それから、二日後の夜。
今後の事を話し合う為、白夜達を呼び戻し、部屋で話をしていた。

「いい加減、何か、手を打った方が良い」

「移動順序は?」

「全くバラバラ」

「そっか。予測して追うのは、無理だと考えて。何か、気になった事は?」

「特には」

「それに、全く、使った形跡もないの」

「それは、それで変よね?」

「確かにな。持ったら使いたくなるのが、魔石アレの特徴だからな」

「一つ。気になる事がございます」

「なに?」

「魔石の気配が、日に日に、小さくなってるような気がします」

「小さくなってるのに、使った形跡がないの?」

「はい」

腕組みして悩んでいると、何処からか、焦げたような臭いがしてきた。

「何か作ってるの?」

「いんや。全く」

「まさか!!」

斑尾の呟きに、白夜達も、何が起こっているのか、予測が出来たようで、部屋から飛び出した。

「…ふっ!!」

玄関で燃え広がる炎から、妖力が感じられ、図書館の時のような、普通の消火では、どうにもならない。
その炎の中に、親友の顔が浮かび、眠っていた恐怖が目を覚ました。
唯一、人間で仲の良かった美千ミチが、死んでしまった時の記憶が鮮明に蘇る。
大学の時、美知と出会った。
心優しい美知は、強い霊感があり、斑尾や白夜達を一目で、妖かしだと言い当てられ、事実を話した。
それでも、美知は、避けることなく、逆に、慕ってくれた。
斑尾達の話をすると、美知は、笑って聞いてくれた。
それが嬉しくて、美知を慕った。
それから、美知は、良き理解者となり、親友となった。
そんな美知との時間は、居心地が良く、大切なモノだった。
そんな大学生活も短くなり、美知と卒業旅行をした。
その最終日。
最後に向かった飲食店で、火事が起こった。
それは、悪妖が起こした火事だった。
妖力が練り込まれた炎は、人には、消せす事が出来ず、その炎に巻き込まれ、美知は亡くなった。
美知を助けようと、斑尾の古くからの友人も、一緒に亡くなってしまった。
美知や斑尾の友人には、気にするなと言われたが、その事件で、深く傷付き、哀しみの闇に落ち、立ち直るまで、かなりの時間を費やした。

「…か!…んか!…蓮花!」

斑尾の声で、現実に引き戻され、目の前で、白夜達が、必死に、炎を消そうとしていた。

「庭にも炎が上がってるぞ!!」

「庭…っ!!」

その場から走り出し、近くの居間から庭に飛び出し、蔵を覆って、燃え上がる炎を見付けた。
蔵の中には、父母、祖父母の遺品や古い書物、更には、雪椰達からの手紙が仕舞われている。
迷う事なく、印を結び、溜め池から水柱を引き上げ、燃え盛る炎へと向け、それを丸ごと包み、炎を消した。
急いで、走り寄り、蔵の扉に、手を掛け、抉じ開けようとしたが、炎と水の勢いで、蔵自身が歪んでしまい、びくともしなかった。

「いや…」

「蓮花」

「いや…」

「蓮花」

「いや!!」

「蓮花!!」

斑尾が、背中から抱き締めた。

「落ち着け…」

斑尾に抱きすくめられ、低い声に、我に反った。

「大丈夫だ。まだ間に合う。大丈夫だ」

斑尾の声が、焦りを削ぎ落とす。

「お前が、それでは、何もならない。落ち着け」

斑尾の体温が、不安を消し去る。

「我らがいる。頼れ」

流れる涙も、そのままにして、何度も頷いた。

「離れるぞ」

「ん」

斑尾に手を引かれ、導かれるように、蔵から離れると、玄関の炎を消し、駆け付けた白夜達が、蔵を開けようとした。
だが、歪んだ蔵を開けるよりも、壊した方が良いとなり、白夜達は、中身を傷付けないように、蔵を壊し始めた。

「ここで待ってろ」

「うん」

斑尾の手が離れ、不安になり、自己嫌悪に陥りそうになった。

「大変な事になりましたね」

「ひどいもんだ」

「理苑…亥鈴…」

両隣に、二人が立つと、苦笑いしていた。

「大丈夫ですか?」

「うん」

「無理をなさるな」

「ごめんなさい」

うつ向くと、亥鈴の溜め息が零れた。

「我も、あちらを手伝う。理苑。頼んだぞ」

「はいはい」

蔵の方に行く亥鈴の背中に視線を向けると、必死に、白夜達に指示を出しながら、蔵を取り壊してる斑尾の姿が、視界に入った。

「手の方は、大丈夫ですか?」

自分の手のひらが、軽く火傷をしているのに気付いた。

「大丈夫」

手から視線を外し、真っ直ぐ、蔵の方を見つめた。

「どうすんですかね?」

「捕まえるよ」

怒りが沸き上がり、拳を握るのを横目で見た理苑は、頬を上げて、ニヤリと笑った。

「お手伝いしますよ?」

目を閉じて、首を振る。

「私がやる」

地を這うような低い声に、理苑は、やれやれと、両手を上げて首を振り、取り壊される蔵を見つめた。
それから、二日後の早朝。
まだ空も薄暗く、多くの人が、夢の中にいる頃、部屋に四つの影が蠢いた。
体の違和感に、ゆっくりと目を開けた。

「やっと、目を覚ましたね」

時任が、ニコニコと笑い、見下ろしていた。
その後ろには、斬島と呼ばれていた男、占い師に化けていた女妖、笹原が、ニヤニヤと笑っていた。

「これが特別な力」

「同じ空間にいるだけで、誘われるような香」

「良い匂いだわ」

「これで、アイツに勝てる」

それぞれが、好き勝手言っていると、時任が、鼻先まで顔を近付けた。

「僕らは、全員、妖かしなんです。これから、貴女の力を貰いますね?」

「別にいいけど、出来るの?」

その言葉に、時任達の顔付きが厳しくなったが、すぐに嫌みな笑みを浮かべた。

「よく、そんな事言えますね?貴女は、今、僕の毒で動けないんですよ?」

「ふぅ~ん。そうなんだ」

不思議そうな顔をして、首を傾げた時任達に、ニヤリと笑い、布団から手を出して見せた。

「動けるよ?」

驚いた顔をして、互いに視線を合わせる時任達に向かって、手のひらを向けた。

「ほら」

「でも、人が、妖かしに敵うはずが…」

突き出していた手に拳を作り、人差し指だけを立てて見せる。

「もう一ついい?」

人差し指と中指を立て、時任達を払う仕草をすると、部屋の中に、風が巻き起こり、その体が、障子と共に庭へと吹き飛んだ。
ゆっくりと起き上がり、首を鳴らしてから、縁側に向かう。

「非力な人でも、妖かしに対抗する術を持つ者はいる」

突然の事で、愕然としている時任達を前髪の隙間から見下ろした。

「今までの事は、貴方達の仕業?」

「だったら、何だって言うんですか?」

引き吊った笑みを浮かべながら、立ち上がった時任は、懐から何かを取り出した。

「こちらには、これがあるんです」

それは、先日、図書館で切り落とされた髪だった。

「特殊な方法で、貴方の力を取り出しました。これで、僕らは…」

「だったら、何だって言うの?」

手を翳すと、時任の持つ髪が、生き物のように動き始め、腕に絡み付き、驚いた顔をした時任は、髪を振り落とした。
それを見ていた笹原達も、それぞれ髪を捨てた。

「さすが、妖かしと言えば良い?でも、それだけじゃ、多少、頭の良い人と同じ事」

地面に落ちた髪は、時任達の足に絡み付き、体を伝い上っていく。

「貴方達は、人を甘く見すぎなのよ。そこの妖かしも」

指先を林に向けてから、それを引き出すように、手のひらを自分に向けると、林から一匹の妖かしが、時任達の所まで放り出された。

「何が目的?」

体の自由を奪われながらも、巻き付く髪を払い落とそうと、必死に術を使うが、その術を物ともせず、体に巻き付き、胸の辺りまで這い上がった。

「くそ!!なんなんだ!!」

「人でも、その術を身に付けてれば、これくらい出来る。目的はなに?」

顔をしかめながら、時任達は、ただ睨んでいた。

「答えなさい。何が目的?」

それでも、何も答えない時任達に苛立ち、手を翳し、ゆっくりと握り始めると、髪は、その体を締め付けていく。

「っく!!」

「答えろ。目的はなんだ」

低くなった声が響き渡り、更に、締め付けていく。

「貴様に…関係…ない…」

「何故、力を欲する」

笹原の呟きに、次の問いをする。

「うる…せぇ…人の…くせに…」

「何を恐れる」

斬島の暴言に、恐れを感じた。

「っく!!恐れ…など…ない」

「何を夢見てる」

女妖の強がりに、願いを口にする。

「離…せ…低俗…風情が…」

「何を望む」

林から引き出した妖かしの愚弄に、心の声を漏らす。

「貴女に…何が…分かる…自分を…隠す…貴女に…僕らの…思いが…分かる…のです…か…ね…」

時任の言葉に、巻き付く髪の力を弱めた。

「僕らを殺しても、結局、貴女は、道具として使われる。貴女の思う彼らの道具となるんですよ」

「特別な力」

「所詮は人だ」

「妖かしの道具に過ぎない」

「腑抜けな奴らが、使わぬなら、俺達が使ってやる」

時任達の言葉は、その力を己の欲望に使おうとしているのを示していた。
胸の奥に押し込んでいたモノ達が溢れ、その寄せて来る波に、拳を握り、小さく震わせる。

「有り難く思え。愚かな人」

「馬鹿にするな」

時任達を睨み付け、手を合わせる。

「己の欲を満たす者に、力を与えるくらいなら、彼らの為に…大切なモノの為に、死んでやる!!」

目を閉じ、言葉にタマシイを込めて、吐き出していく。

「我、御霊よ。黄泉より、我、元に集え。我、意志に舞え」

時任達に巻き付いた髪が、意志を宿し、膨れ上がる。

「っく!!…僕らを殺しても…意味は…」

「殺さない」

目を開け、感情のない偽の笑みを浮かべれば、その顔から血の気が引いていく。

「死んで逃がす程、私は、優しくないよ?」

大きく膨れ上がった髪が、黒い影となり、その頭上に立ち上がる。

「邪心に満ちたその身を捕らえよ!!」

影は、悲鳴を上げる隙も与えることなく、時任達を飲み込んだ。

「終わったか」

隠れていた白夜達が、姿を現し、斑尾が隣に立った。

「亥鈴、白夜、流青、楓雅、仁刃。彼らを里へ送って」

「良いのか?」

「彼らは妖かし。妖かしは、妖かしの理に従わせるのが筋でしょ。それに…」

庭に背を向け、部屋に向かって、印を結んで切ると、壊れていた障子が、元に戻った。

「私には、彼らを罰する資格なんてない」

振り返らずに、部屋へと入り、障子を静かに閉めた。
その背中は、悲痛に満ち、悲鳴を上げてるようで、白夜達の心に、深く突き刺さり、哀しみに、顔を歪ませてしまっていた。
それを知らず、部屋の真ん中で、黒く焦げた箱に入った雪椰達からの手紙を見つめ、膝の上に拳を握った。
結局は、時任達の言った通り、道具としてしか、彼等の力になれない。
祖先の意志を継いだ時から、この世の理を守る為の存在になった。
それを強く後悔するのは、初めてで、対応することが出来ない。
彼等の真意が知りたい。
飾り立てた言葉ではなく、彼等の言葉で、彼等の声で、その心が知りたい。
こんなにも、悩み、迷い、苦しむのは、何年振りだろうか。
その時、静かに襖が開き、斑尾が、静かに隣に膝を着いた。

「…どうすれば良い…」

悲痛な心の叫びを呟き、静かな部屋に響かせた。

「私はどうすれば良い…私は何をしたら良い…皆の為に…自分を捨てた私に…何が…出来る…」

その呟きを黙って聞く斑尾の膝に、顔を埋めた。

「憎い。あの時の私が憎い。この身が憎い。この血が憎い。誰も救えぬ。何の力にもなれぬ。私は…私が憎い」

「そんなことない。お前は、この世の全ての力になっているのだ。そんな自分を責めるな」

斑尾の大きな手が、頭を優しく撫でる。

「この世を守ることは、我らや、彼らを守ること。それは、お前の選んだ未来の為。我らが、真に願った未来だ」

頭上から、優しい斑尾の言葉が降り注ぎ、胸の蟠りが、少しずつ溶け始める。

「皆、小さなお前に、全てを任せたのだ。お前の思うようにすれば良い。それが、我らの願いだ。それが、我らの存在する意義だ。お前の為なら、我らは、この身を尽くしてやる。だから、お前は、お前であれ」

優しく抱き寄せられた斑尾の腕は、凍らせていた心を溶かす。

「我の小さき主。大切な主。心優しき主。どうか、その苦しみを我に分け与えよ」

溢れる涙を隠すように、斑尾の膝に顔を押し付けて、声を殺し、打ち寄せる心の波に身を寄せる。

「…寝てしまったのね」

眠りに落ちたのを気遣うように、小さな声で話す影は、天井から、斑尾の横に降り立った。

「あぁ」

「ずいぶん、重いモノを背負わせてしまったね」

斑尾の目が、哀しみに染まる。

「斑尾…何故、式となったの?そんなに大切なら…」

「我は、我の大切なモノを守りたい。それだけだ」

溜め息をつき、目を閉じた斑尾を置いて、影は、また天井へと消えた。

「…愚かね…斑尾…」

その声だけが響き、それっきり、部屋は、無音となり、寝息と斑尾の呼吸音が、溶け合い、消えていった。
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