10 / 34
十話
しおりを挟む
哀しみに満ちる雪椰達の姿を見てられなくなり、朱雀は、雷螺に向き直った。
「何故、死ぬのだ」
「二心一体は、術者と、その術を請け負う者が、互いを強く想い合う事で、成り立つ術」
術を請け負った者の体に、術者の精神が移され、その精神を通して、術者の力が、請け負った者の体に流れ込む。
請け負った者の精神は、術者の精神を支え、その体は、流れ込む力を受け止めなければならない。
そうして、力を増幅させ、どんな強者も、相手にする事が出来るが、互いに、力の制御が出来なくなり、二心一体をしている間、術者の力は、止めどなく、請け負った者へと、流れ込み続ける。
「早く倒せれば、何の問題もない。だが、長く続ければ、無意識の内に、己の命を削り始める。そうなれば、術者も請け負った者も…」
「何故だ」
雷螺の説明を黙って、聞いていたが、季麗が呟き、顔を上げると、亥鈴達を睨むように見つめた。
「何故だ!!何故そんな危険な術を使わせる!!主を止めるのも式であるお前らの役目ではないのか!!お前らは!!蓮花を…」
「何が分かる」
亥鈴の声が季麗の声を遮り、流青は、目を伏せた。
「僕らだって、あんな事、やらせたくないよ」
楓雅は、拳を震わせた。
「変われるなら、変わりたい」
仁刃は、困った顔をした。
「置いて逝かれるくらいなら、自分の命を差し出しますよ」
慈雷夜は、視線を反らした。
「でも、蓮花様の哀しむ顔は、見たくありません」
理苑は、ニッコリ笑った。
「我らは、蓮花様に笑っていて欲しいんです」
「だからって…こんな事…」
朱雀が呟くと、妃乃環は、溜め息をついた。
「一番辛いのは、斑尾自身さ」
植物のような化け物の蔦を避け、何度も、冥斬刀を振るう斑尾の背中を見つめ、亥鈴達は目を細めた。
「己を殺し、己を隠し、大切な者の大事なモノを守る為、大切な者の命を燃やす為の器となる。それがどれ程、辛く、苦しく、哀しいか。だが、斑尾は覚悟した。斑尾が、覚悟を決めたのに、我らが、それを受け止めずにどうする」
亥鈴達は、打ち寄せる哀しみの波に耐え、押し寄せる苦しみに身を染め、ただ、その命を削り、冥斬刀を振るう斑尾の背中を黙って見つめた。
「…ませんか?」
同じように黙って、斑尾を見つめていた菜門が、亥鈴を見上げた。
「何か出来ませんか?」
「我らが何も出来んのだ。お前らが、何か出来る訳…」
「ここは…俺らの…里だ…」
地面に手を着いて、黙っていた皇牙は、ゆっくりと立ち上がり、フラフラと歩き出した。
「何かしなくちゃ。蓮花ちゃんが頑張ってるのに。ただ、それを見てるだけなんて、そんな無責任なこと出来ないよ」
ゆっくり近付き、皇牙は、ハンモックの傍で立ち止まった。
「…蓮花ちゃん。君から貰った力、使わせて貰うね?」
そう囁いた皇牙の手が、ゆっくりと伸ばされる。
「やめろ!!」
皇牙の左手が、引き寄せられるが、足を踏ん張り、その体に触れないように耐えた。
「触れなければ…良いんでしょ?」
皇牙は、必死に手を翳し、自分の力を流し込んだ。
そんな皇牙の姿に、暗い顔をしていた雪椰達は、フッと頬を緩めて、ゆっくりとハンモックを囲んだ。
「皇牙ばかり、良い格好させんぞ」
「一人で無謀なことするな」
「そうだぞ。俺らにもやらせろよな」
「お手伝いしますよ。皇牙」
「全く。貴方は、無茶し過ぎですよ?」
皇牙と同じように、手を翳すと、雪椰達も、引き寄せられそうになるが、触れないように、必死に、足を踏ん張って耐えた。
雪椰達の翳す左手から、自分達の力が、流れ出て行くのを感じ、ハンモックの上で淡い光が溢れ始めた。
「…特別な力…」
突然の事に、亥鈴達が唖然としていると、篠の呟きが、淡い期待を持たせた。
「どうゆうことだ」
「彼女が倒れる直前、皆様に、特別な力の結晶を植え付けたんです」
「何故、知っているのですか」
「皇牙様に聞きました」
二心一体をする前、雪椰達が胸を押さえ、膝を着いた時、駆け寄った篠に、皇牙は、事情を説明していた。
その為、篠だけは、皇牙の中にある力の欠片を知っていた。
それを聞いた朱雀達も、淡い期待を抱き、必死に、足を踏ん張って、力を注ぐ、雪椰達の背中を見つめた。
放たれる光が強さを増し、引き寄せられる力が強くなると、静かになり始めていた鼓動が、少しずつ速さを取り戻した。
止めどなく溢れる特別な力は、雪椰達が、願えば願う程、その力を与え、頬に赤みを帯び始めた。
しかし、足元が滑り始め、徐々、に、菜門の手が、その頬へと、引き寄せられた。
「菜門!踏ん張れ!」
ぶっきらぼうながらも、羅偉の声が菜門を励ます。
だが、どんなに踏ん張っても、その手は、引き寄せられ、菜門は、顔を引き吊らせた。
「「「「「菜門!!」」」」」
皇牙達の声が重なる中、覚悟を決めた菜門は、目を閉じた。
その時、暖かな光と共に、その手を握られ、ゆっくりと、目を開けた。
「れん…」
「暖かい」
菜門の手に、頬擦りすると、生命の鼓動が伝わる。
赤みがありながら、冷たい頬には、菜門の手の暖かさが心地好い。
雪椰達の顔を順番に見て、皇牙の手を掴んで、ゆっくりと体を起こした。
「蓮花ちゃん…」
「有難う」
地面に足を着け、立ち上がり、ニッコリ笑い、斑尾の背中を見つめ、胸の前で手を合わせた。
その体を包む光が、強さを増し、横目で視線を向ける斑尾に、ニッコリ微笑んだ。
斑尾の口元が、安心したように、弧を描き、冥斬刀の刃先を地面に向けた。
姿勢を低くし、顔の前に、二本の指を立て、目を閉じると、冥斬刀に光が宿り、刃の中央に、陰陽太極図が浮かび上がった。
化け物の二本の蔦が、斑尾の体に迫り来た瞬間、冥斬刀を振り抜くと、その蔦は、薙ぎ払われ、光の筋が、化け物のに巻き付いた。
化け物の動きを封じ、両手で持った冥斬刀の柄を地面に着けると、大きな五芒星が、化け物の足元に現れた。
「「悪き闇よ。黄泉の世界へ還れ」」
声が重なり、辺りに響き渡ると、光輝く地面から、柱が立ち上がり、化け物を捕らえた。
雄叫びのような唸り声を上げた化け物は、光と共に、五芒星の中へと沈んだ。
その光が消え去り、冥斬刀を地面に刺すと、体を包んでいた光が消えた。
冥斬刀も護符に戻り、それを掴んだ斑尾が駆け寄ってきた。
「大丈夫か」
「なんとかね」
肩で息をしながら、苦笑いすると、斑尾は、安心したように、優しく微笑んだ。
「彼らのおかげだよ」
振り返って、後ろに視線を送ると、斑尾も、一緒に、雪椰達に視線を向けた。
「そうか…我、主を救ってくれたことを感謝する」
斑尾が、深々と頭を下げると、屋敷の中から、長老達が飛び出し、雪椰達の前に立った。
「とんでもございません。我らこそ、里を救って頂き、感謝してもしきれません」
「俺らだって、貢献したんだから労えって。な?」
羅偉が小さな声で呟いたが、長老達には聞こえ、一斉に、バッと雪椰達に向き直った。
「族長ならば、あれくらのこと当然であろうが」
「お前達だけでは、今頃里はお仕舞いじゃ」
「お力を借りたのだぞ」
「大体、あんな無茶が出来たのも、お二人のおかげなのだぞ」
「それを自分の力だと言わんばかりに。もっと謙虚にせい」
「お前達も礼を言わんか」
苦笑いしながら、その光景を眺めていると、意識が遠のき、体が後ろに傾いた。
「蓮花!!」
「大丈夫だ」
それを見た羅偉が、焦ったように叫ぶと、抱き止めた斑尾は、静かに微笑んだ。
「眠っただけだ」
静かな寝息を発てながら、ぐっすりと眠るのを見下ろし、斑尾が、優しく前髪に触れると、亥鈴達も、優しく微笑んでいた。
「全く。ホントに手の掛かる子だよぉ」
「そうは言っても、我らが主。致し方ないことよ」
「まぁ。何処でも寝ちゃうのは、治して欲しいよね」
「治るもんなら、もう治ってら」
「確かに」
亥鈴達が、ケタケタと笑う中、雪椰達は優しく微笑み、朱雀達は困った顔をし、斑尾は、安心したように微笑んでいた。
三日後の昼。
家でも、佐久の寺でもない。
見た事のない天井が広がり、体を起こし、誰も居ない部屋の中を見渡した。
「斑尾?」
呼んでも返事がなく、ボーッとする頭を掻いていると、何処からか、啜り泣く声が聞こえた。
そっと障子を開け、庭園のような庭の片隅で、膝を抱えて泣いている女の子を見付けた。
庭に下り、その子に近付く。
透き通るような白い肌に、白銀の長い髪が、小刻み揺れている。
雪人族の子供だ。
「どうしたの?」
声を掛けると、女の子は、目元に涙を溜めたまま首を傾げた。
「お姉ちゃん、誰?」
「私は…」
好奇心に満ちた瞳を見つめ、少しだけ、悩むような仕草をした。
「ん~…色々かな」
「色々?」
「うん。呼ばれ方が違うんだよねぇ」
「例えば?」
「人とか、人間とか、人の子とか」
女の子は、驚いたような顔をした。
「お姉ちゃん人間なの?」
「そうだよ」
「すご~い。私、初めて本物の人間に会った」
「里の外には、出ないんだ?」
「ママが、危ないから、もっと大きくなってからにしなさいって」
女の子は、哀しそうに肩を落とすと、また鼻を啜り始めた。
「さっきから泣いてるけど、どうしたの?何かあった?」
「雪が、上手く、降らせられないの」
「雪?…分かった。それで、男の子に馬鹿にされたんでしょ?」
女の子の大きな瞳が、更に大きくなり、驚いた顔になった。
「すご~い。なんで分かったの?」
キラキラと、目を輝かせる女の子と向き合うように屈んで、溜め息をついた。
「やっぱり?大体、何処の世界でもいるんだよねぇ。自分が出来て、他の子が出来ないと馬鹿にする男の子。そのくせ、コツとかやり方とか、教えてくれないんだよね」
「うん。何回も、教えてって、言ってるのに、自分で考えなって、教えてくれないの」
「それで?哀しくて泣いてたの?」
女の子は、視線を外し、考えるような仕草をした。
「…違う。悔しくて、泣いちゃったの」
女の子の強い意志を感じ取り、優しく微笑んだ。
「じゃ、その男の子、驚かせちゃおうか?」
「どうやって?」
「あの池を見ててね?」
少し離れた所にあった溜め池を指差し、女の子が視線を向けたのを横目で確認し、パチンと指を鳴らした。
ポコッと、音を発てながら、水面が揺れると、女の子は、驚いて視線を戻した。
「まだだよ?ほら」
二本指を立てて、下から上に動かすと、水面が小さく跳ねた。
「すごい…すご~い!!」
目を輝かせる女の子は、可愛らしく、嬉しそうに笑った。
「ちょっと遊ぼうか」
首を傾げたのに、クスッと笑うと、女の子は、プクッと頬を膨らませた。
「ごめんね?あの池から上がる雫を凍らせるの。的当てみたいに」
「でも…私、そうゆうの下手っぴだから」
「大丈夫。雫を出すのは、私だから。信じて?」
不安そうな顔をしながらも、頷いた女の子と池に近付いた。
「それじゃ、いくよ?水面に集中。集中」
水面を見つめ、集中し始めた女の子を見つめ、少し大きめの雫を上げた。
「えい!!」
上がった雫は、一瞬で凍り、池の中へと返った。
「出来た…出来た!」
「スゴいじゃん。もっとやる?」
「うん!!」
楽しくなった女の子は、雫を次々に凍らせた。
気付かれないように、雫の大きさを徐々に小さくしたが、女の子は、百発百中で、全ての雫を凍らせた。
「じゃ、最後は水柱を出すよ?出来るだけ、凍らせてみよう」
「はぁ~い」
元気に返事をした女の子に、ニッコリ笑って、手を合わせてから、池に向かって翳し、水柱を立ち上げた。
「やぁ~!!」
女の子が、水柱に手を向けると、見事に、天辺まで凍らせてしまった。
「お~。ホント、すんごいねぇ」
「エヘヘ~」
照れたような、得意気な顔をして笑う女の子に、ニッコリ笑ってから、高く聳え立つ氷の柱を見上げた。
「こんなにスゴいんだから、絶対、雪も降らせられるよ」
「ホント?」
「本当。今すぐじゃなくても、絶対、降らせられるようになれる。そしたら、遊びにおいでよ。色んな所連れてってあげるから」
「ホント?ホントにホント?」
「ホント。お約束」
小指を立てて、女の子の前に出すと、女の子も小指を絡めた。
「よし。人間界に来る時は、ちゃんと言ってね?」
「絶対言う!!」
笑いながら、手を繋いで、屋敷の方に戻り、縁側に腰掛けて、氷の柱を見つめた。
「お姉ちゃんのお名前は?」
「蓮花。貴女は?」
「雪姫」
「じゃぁ…姫ちゃんって、呼んで良い?私は、蓮ちゃんで良いからね?」
「うん!蓮ちゃんは、なんで、ここに居るの?」
「気付いたら、そこで寝てたんだよね」
寝ていた布団を指差すと、雪姫は、布団が敷いてある部屋を覗き込んだ。
「姫ちゃんは?」
「ママが、ここで働いてるから、待ってるの」
その時、バタバタと慌てたような足音が聞こえ、二人で視線を向けた。
雪人族の女の人と皇牙が、廊下を走って向かって来た。
「蓮花ちゃん!!」
「雪姫!!」
「ママ~」
雪姫が手を振ると、雪姫の母親は、怒ったように眉を吊り上げた。
「ダメでしょ。人様に迷惑掛けちゃ」
「迷惑だなんて、思ってないですよ?」
シュンとなった雪姫の肩を抱くと、雪姫の母親は、驚いたように、口を半開きにした。
「蓮花ちゃん。急に、起きちゃダメだよ。三日も寝てたんだから」
「それなら大丈夫です。前みたいに、怪我した訳じゃないので」
「だからって…」
「それに、起きたら誰も居ないし。ちょっと不安だったし。でも、姫ちゃんがいたから楽しかった」
「私も!蓮ちゃんとの的当て、楽しかった」
二人で、ニコニコと微笑み合うと、雪姫の母親と皇牙は、苦笑いして、それ以上、何も言わなかった。
「そうだ!見て見て!」
雪姫が、氷の柱を指差すと、二人は、驚いたように目を大きくさせた。
「水柱を姫ちゃんが凍らせたんですよ。スゴいですよねぇ~。あれくらい出来るんだから、きっと、雪だって、降らせられますよね?」
ニッコリ笑い、雪姫の母親に、視線を向けると、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに、優しい微笑みを浮かべた。
「そうですね」
そんな母親を見て、雪姫は、頬を赤らめた。
「ねぇ。やってみたら?」
「でも…」
「大丈夫。やれば出来る。ね?」
ウィンクをすると、雪姫は、口をギュッと結んで、庭に降り、少し離れた所に立った。
「姫ちゃん。集中。集中」
手を合わせ、ニコニコと微笑むと、小さく頷いた雪姫は、手を合わせから、空に向かって集中した。
小さな両手を空に翳すと、小さな雪が、ハラハラと舞い、頬を掠めた。
「出来た…出来たぁ!!」
喜んで飛び跳ね、ダイブして来た雪姫を優しく抱き止め、その頭を撫でた。
「やったね?これで、皆、驚くよ」
ケタケタと笑っていると、降る雪を見つめ、雪姫の母親は、唖然として呟いた。
「出来なかったのに…なんで…」
「力の使い方ですよ。姫ちゃんの場合、力があっても、何かに集中するのが、苦手だったんじゃないかな?」
嬉しそうに笑う雪姫を見下ろし、ニッコリ笑った。
「それを覚えちゃえば、簡単だもんね?」
「蓮花ちゃんは、さすがだね」
皇牙を見上げ、力が上手く扱えなかった時の記憶が浮かんだ。
「私だって、最初から上手く出来た訳じゃないですよ」
抱き付いている雪姫を見下ろし、その小さな背中に腕を回した。
「どんなに頑張っても、力が上手く使えなかった。姫ちゃんよりも大きかったけど、いつも失敗してた」
抱き付く雪姫に、優しく微笑んでから、遠くを見つめた。
「水面を揺らしたいだけなのに、水柱が立ったり、少し風を起こしたかっただけなのに、強風になったり…それが嫌で、力を使わなくなった時もあった」
「どうして、使えるようになったの?」
首を傾げながら、優しく微笑む皇牙を見つめ、恩師の顔を思い浮かべた。
「師範のおかげ」
皇牙が、首を傾げるのを見て、ゆっくりと目を閉じ、師範の笑顔を思い浮かべる。
「体術は、心を落ち着け、精神を研ぎ澄まし、集中する事で、相手の動きに対応する。それを完全に身に付けた時、師範に言われて、力を使ってみたら、コツを掴んで、今では、自由に使えるようになった。だから、師範のおかげです」
それを黙って聞いていた雪姫に、キツく抱き締められた。
「人の世界では、他者と違う事をすれば、変人だと言って、避けていく」
雪姫の頭を抱き、静かに目を閉じ、胸の奥に、溜め込んでいたことを吐き出す。
「ただ、ちょっと違うだけで、避けられてしまう。人の世界とは、とても冷たい。そう思うと、妖かしや動物と居る方が、楽しくて、暖かくて、居心地が好かった…唯一、人で仲良くなれた友だちも失い、空しさに押し潰されそうになった。でも…だからこそ、誰も失いたくない。何も失わないように笑って、私に出来る事をしたいの。私の為。死んだ友や師範の為に」
師範が、亡くなっているのを知り、皇牙は、何も言わず、雪姫の母親と一緒に、雪姫の暖かさに浸っているのを見つめた。
布団の敷いてある部屋に隠れ、雪椰達も、その話を聞いていた。
暫くすると、降る雪の量が、多くなり、雪姫の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
目元に沢山の涙を溜め、唇を噛んで、雪姫は首を振った。
「蓮ちゃん…可哀想…」
哀しさに飲み込まれ、雪姫の力が、暴走し初めている。
ゆっくりと微笑みを浮かべ、雪姫を膝の上に乗せる。
「哀しい時は、ぜ~んぶ、まとめて、お空にぶっ飛ばしちゃおう」
二本指で、円を描くと、大量の雪を巻き上げ、空へと舞い上げる。
一度、拳を作り、パチンと指を鳴らすと、辺りに、轟音が響き、晴れ渡る青空でも見える程に、大輪の花が咲き、キラキラと、雪に光を反射させ、幻想的な景色を生み出す。
それを見上げ、声も出さずに拍手をする雪姫に、ニコニコ笑っていると、隠れていたはずの雪椰達も、縁側に出て、花火を見上げていた。
「すっげぇ…」
驚きのあまり、羅偉は、そう呟いた。
その声は、思いの外、大きかった為、雪姫と一緒に視線を向けていた。
影千代が、羅偉の頭を軽く叩いた。
「阿呆」
「悪ぃ」
雪姫と二人で、ケタケタと声を出して笑うと、雪姫の母親に怒られ、雪姫と視線を合わせて、ペロッと舌を出し、クスクスと小さく笑った。
「それじゃ、私達は、これで失礼します」
「え~」
雪姫が不満の声を上げると、雪姫の母親は軽く頭を叩いた。
仲の良い親子の様子は、とても微笑ましく、自然と頬が緩む。
「暫くは、ここにいるから、またおいでよ」
「ホント?」
「雪姫!」
「良いじゃないですか。完治して、自分で戻れるようになるまでは、帰してもらえないでしょうし。話し相手になってもらえたら、凄く嬉しいですし。ね?」
ニッコリ笑い、首を傾げると、雪姫の母親は、一瞬、言葉を詰まらせ、ふぅ~と息を吐き出し、雪姫を見下ろした。
「騒いじゃダメだからね?」
「はぁ~い!!それじゃ。蓮ちゃん、また明日ね」
「明日ね~」
母親に連れられ、手を振る雪姫に、手を振り返し、遠ざかる背中を見送った。
「蓮花さん。夕飯は、どうしますか?」
「食べる」
振り返れば、そこには、優しくて暖かな微笑みがあった。
優しく微笑む雪椰達に、微笑みを返し、囲まれるように並んで歩き、和室に向かった。
襖を開けると、沢山の料理が用意されていた。
そのどれもが美味しく、終始、ニコニコと笑いながら、その料理に舌鼓を打った。
「食後の甘味は、どうする?」
一緒に食事していた皇牙の手には、綺麗な硝子の器に盛られた桃があった。
「食べる!!」
子供のように、目を輝かせると、皇牙は、頬を赤らめながら、ニッコリ笑い、器を差し出した。
それを受け取り、一つ口に入れると、缶詰とは違う食感と風味に、頬が綻んでいく。
「蓮花さん。ビワは、お好きですか?」
菜門は、熟したビワの実が、盛られた器を見せた。
「食べたことないです」
桃を頬張りながら、小さく首を振ると、菜門は、ニッコリ笑い、器を桃の隣に置いた。
「甘くて、美味しいんですよ?」
「へぇ」
「蓮花。饅頭食うか?」
饅頭が乗った皿を持って、ドカッと隣に、羅偉が腰を下ろした。
「食事の後の饅頭は、流石に厳しいのでは?羊羮は、どうですか?」
硝子の皿に乗せられた羊羮を持って、雪椰が菜門の隣で膝を着いた。
「饅頭も羊羮も変わらん。水菓子はどうだ?」
季麗が、菜門の肩を押して、ゼリーを突き出した。
「あのさ。いくら、三日間、寝てたからって、そんなに食べれないんだけど」
桃を完食し、ビワを食べ始めると、影千代が、腕組みをした。
「前回の事があって、こうなったんだ。責任を持って、ちゃんと食え」
「いやいや。あの時は、怪我したから、あれくらい、食べれましたけどね?通常は、こんなもんな訳ですよ。これでも、結構、いっぱいですし。ムリです」
「なら、これも無理か」
影千代は、後ろから、ラベルが貼られていない一升瓶を取り出し、揺らした。
「それは別」
「酒は呑むのかよ」
「もち。地酒大好き」
親指を立てながら、饅頭を口に放り込んだ。
「あれ?あんまり甘くない」
「ビワと桃が甘かったから、そう感じないんじゃない?」
「そっか。でも美味しい」
ワイワイ騒ぎながら、デザートを完食すると、影千代は、何度も瞬きした。
「見事に食い切ったな」
「なんか、結構食べれました」
自分の胃袋に驚き、腹を摩っていると、皇牙が、お猪口を差し出した。
「呑むんでしょ?」
「頂きます」
お猪口を受け取り、徳利から注がれた酒を口に入れると、花のような爽やかな香りと共に、甘さが口いっぱいに広がった。
「美味しい~」
幸せな気持ちになり、目を細めると、皇牙は、得意気な顔をした。
「人狼族特製の地酒だからね」
「へぇ」
「こっちも呑んでみろよ」
空になったお猪口に、羅偉が注いだ酒を口に含むと、舌が、ビリッと痺れた。
「辛い」
「鬼酒は、辛口だからね」
「種族で違うんですか?」
「鬼酒、狐酒、天酒、狼酒、雪酒。それぞれの種族で、味も香りも違うよ?因みに、さっき俺が注いだのが狼酒」
何度も頷き、次々に、注がれる酒を呑んだ。
「菜門さんの所は、そうゆうのないんですか?」
「あるにはあるんですけど、かなり強いんですよ」
初めて知る事が多く、何度も頷いていた。
「しかし、俺らと一緒になって、呑んでいるのに、あまり酔ってないな」
顔色一つ変えることなく、一緒になって呑んでいるのに、今更、気付いたらしく、雪椰達は、首を傾げた。
「そういえば、そうですね?」
「あ~。えっと、多分、爺様方に散々付き合わされたから、慣れてるんだと思います」
「それもそれで恐ろしいな」
「捕まったら終わりだよぉ。爺様方が、潰れるまでは、絶対、離さないから」
その時の記憶が、一瞬、浮かんで見え、ブルっと肩を震わせると、羅偉と皇牙は、ケタケタと、大きな声で笑い、雪椰と季麗は、クスクスと小さく笑って、菜門は苦笑いし、影千代は溜め息をついた。
それから、色々な話をして、笑いながら飲み続け、真夜中になると、静かに、襖を叩く音が、部屋の中に響いた。
「皆様。そろそろ、お開きに…」
朱雀が襖を開けると、そのまま、固まってしまった。
「ごめんなさい。もう寝てしまいました」
周りで雑魚寝をしている雪椰達から、視線を移し、苦笑いすると、朱雀達は、溜め息をついた。
「全く。これでは、族長としての威厳が…」
「怒らないで」
気持ち良さそうに、寝ている雪椰達を見下ろし、そっと、皇牙の前髪を整えた。
「きっと、私の為に、色々と動き回ってくれたんだと思います。族長の仕事もあるのに。だから、怒らないであげて下さい」
微笑みながら、静かに目を閉じると、布が擦れる音がして、朱雀達は、それぞれの主の所に、片膝を着いた。
「楽しめましたか?」
哉代を見つめ、ゆっくり頷くと、朱雀達も、嬉しそうに目を細めた。
「夢の中で、宴の続きでもしてるのでしょうか?皆様、ずっと、笑ってらっしゃいますね」
気持ち良さそうに、寝息を発てながら、楽しそうに微笑む雪椰達を見下ろし、朱雀達は、クスっと小さく笑い、微笑んだ。
「しかし、強いんだな?」
茉に向かって、首を傾げると、朱雀が溜め息をついた。
「酒だ」
納得して頷き、苦笑いを浮かべた。
「爺様方に、散々、付き合わせられたので、慣れてるんだと思います」
「じじ様方?貴方のお祖父様方は、もう…」
「村の爺様方ですよ」
イマイチ理解出来ず、朱雀達は、首を傾げた。
「祖母が倒れて、一人になった私を引き取ったのは、父の兄である叔父。その叔父が居たのは、小さな村だったんです」
「あ~。そういえば、そんな話してたな」
「お前を引き取るとは、優しい人なんだな」
「興味があるのでしたら、お聞かせしますよ?おつまみ程度に」
お猪口を傾ける仕草をしながら、ニコッと笑うと、一瞬、雪椰達を見下ろしてから、それぞれに視線を合わせて、フッと鼻で笑った。
「皆様のようにはならないぞ」
「お手柔らかに」
朱雀達が、部屋から出て行くのを見送り、雪椰達の輪から、そっと抜け出し、縁側の近くで、夜空を見上げていると、哉代と篠が、毛布を持って来た。
「手伝いますね」
一人一人に毛布を掛けると、一枚余り、篠に返そうとした。
「それは、アンタのだよ」
首を傾げると、哉代が、顔を寄せてきた。
「夜風で、蓮花さんが、体調を崩されたら、良くないと言って、篠が、一枚余分に持って来たんです」
「哉代!」
ヒソヒソと小声で話していたが、篠には、聞こえていた。
ちょっと怒ったような口調になった篠に、哉代は、意地悪な笑みを浮かべた。
「知られては困りますか?」
「そうじゃないが…言うなら、耳打ちじゃなくて、ハッキリと言え。気分悪い」
「おやおや。ならば、女の体に、夜風は、毒だと言っていたのも、言えば良かったですかね?」
「哉代~」
二人のやり取りが、面白くて、クスクスと、肩を揺らして笑うと、篠は、乱暴に頭を掻いた。
「仲…良いんですね?」
「まぁな」
「長い付き合いですから」
「どれくらいなんですか?」
「妖学問所からだ」
膝に毛布を掛け、縁側の近くに座り、二人と話をしていると、葵が、大量の徳利を持って、戻って来た。
「ヨウガクモンジョ?」
言葉にしてみたが、分からず、首を傾げた。
「妖かしの学舎だ。季麗様達も通われてた」
お猪口を持って来た羅雪の説明で、ほろ酔い気分の雪椰が、その当時の話をしていたのを思い出し、手を叩いた。
「あ。それ聞きました。学生の時からの付き合いなんだって。皆さんもですか?」
「えぇ。似たり寄ったりの主ですから、お互い、苦労しますね?って、声を掛けたら、こんな感じです」
羅雪からお猪口を受け取ると、哉代が、徳利を持って隣に座った。
「そんなに、長く居れるなんて、羨ましいです」
「ただの腐れ縁だ」
自分のお猪口に酒を注ぎ、茉は、一気に呑むと、次の酒を注いだ。
「良いじゃないですか。同じ境遇の者がいるってことは、苦労を分かち合える友がいるってことですから」
酒を口にして、微笑みを浮かべ、苦笑いしながら、酒を口にする朱雀達から、視線を反らし、夜空を見上げた。
「この里は、私がいた村と似ていて、とても懐かしいです」
「似ていてる?」
視線を合わせ、不思議そうな顔をする朱雀達に、ニコッと笑ってから、目を閉じ、村の風景を思い出しながら、村のことを語り始めた。
山間の小さな村は、緑豊かで、石畳が敷かれ、とても風情がある。
そんな村の片隅で、叔父は、小さな旅館の長女だった叔母と結婚をし、共に、その旅館を営んでいる。
叔父夫婦に引き取られることになり、斑尾を連れ、村を訪れると、その緑の多さに、心を癒され、村の人々に驚いた。
悪い事をすれば、親子など関係なく叱られ、辛い事があれば励まされ、良い事をすれば誉められる。
村全体が、家族のようだった。
「親兄弟がいなかった幼い私には、それが、とても嬉しくて、村での生活は、とても幸せでした」
「本当に、良い所なんですね」
「えぇ。だから、村の爺様方や婆様方は、村の子供を自分の孫のように扱い、成人すると、何かと誘われて、倒れるまで、呑ませるんですよ」
「倒れるまで!?」
「えぇ。一度、捕まると、倒れるまで、帰してくれません。おかげで、体が慣れてしまいました」
「無茶苦茶な爺さん達だな」
「そうですね。まぁ慣れてしまうと、大半は、対応出来るんですけど、唯一、絶対に敵わない爺様が一人いるんです」
「人ながら、天晴れだな」
「人じゃないんです」
お猪口を傾けるのを見つめ、朱雀達は首を傾げた。
「人じゃない?」
「妖かしなんです」
驚きで、目を大きく開き、口を半開きにしている朱雀達に、小さく微笑んだ
「村は、多くの妖かしと人間が、仲良く暮らしています。だから、村には、沢山の半妖の子供がいるんです」
「誰も、何も言わないのか?」
「言いません」
「何故だ。種族が違えば、文化も習慣も…」
「文化や習慣が違えば、一緒に暮らしてはいけないのでしょうか?」
篠の言葉を遮り、真っ直ぐ朱雀達を見据えた。
「文化や習慣が違えど、この世に生きる者同士、分かち合えない事はありません。互いが歩み寄り、互いが理解し合えば、それで良いのでは?己の持つ時間を共に過ごしたい。そう願った者同士を他者が、否定する意味があるのですか?大切に想い合う者同士に、他者が口を出す権利が、この世にあるのでしょうか?」
愛し合っている者を種族の違いで、引き裂くような事をすれば、哀しみが生まれ、憎しみが広がる。
ならば、限られた時間の中で、一分一秒でも、愛する者と幸せな時間を過ごさせる。
それが、村の人達の想いであり、考え方だ。
だから、村の人は、何があっても、いつも笑っている。
それが、真の幸福なのだ。
「人であろうが、妖かしであろうが、幸せの形は一つじゃない。だから、どんな形でも、多くの物が互いを想い合い、幸福を感じられるのならば、それで良い。それが、村に住まう者達の考えです」
寝ている皇牙に、ゆっくりと視線を向けると、朱雀達も同じように、雪椰達を見つめた。
「素敵な村ですね」
哉代の呟きに、朱雀達が、ゆっくりと頬を緩めた。
「何故、死ぬのだ」
「二心一体は、術者と、その術を請け負う者が、互いを強く想い合う事で、成り立つ術」
術を請け負った者の体に、術者の精神が移され、その精神を通して、術者の力が、請け負った者の体に流れ込む。
請け負った者の精神は、術者の精神を支え、その体は、流れ込む力を受け止めなければならない。
そうして、力を増幅させ、どんな強者も、相手にする事が出来るが、互いに、力の制御が出来なくなり、二心一体をしている間、術者の力は、止めどなく、請け負った者へと、流れ込み続ける。
「早く倒せれば、何の問題もない。だが、長く続ければ、無意識の内に、己の命を削り始める。そうなれば、術者も請け負った者も…」
「何故だ」
雷螺の説明を黙って、聞いていたが、季麗が呟き、顔を上げると、亥鈴達を睨むように見つめた。
「何故だ!!何故そんな危険な術を使わせる!!主を止めるのも式であるお前らの役目ではないのか!!お前らは!!蓮花を…」
「何が分かる」
亥鈴の声が季麗の声を遮り、流青は、目を伏せた。
「僕らだって、あんな事、やらせたくないよ」
楓雅は、拳を震わせた。
「変われるなら、変わりたい」
仁刃は、困った顔をした。
「置いて逝かれるくらいなら、自分の命を差し出しますよ」
慈雷夜は、視線を反らした。
「でも、蓮花様の哀しむ顔は、見たくありません」
理苑は、ニッコリ笑った。
「我らは、蓮花様に笑っていて欲しいんです」
「だからって…こんな事…」
朱雀が呟くと、妃乃環は、溜め息をついた。
「一番辛いのは、斑尾自身さ」
植物のような化け物の蔦を避け、何度も、冥斬刀を振るう斑尾の背中を見つめ、亥鈴達は目を細めた。
「己を殺し、己を隠し、大切な者の大事なモノを守る為、大切な者の命を燃やす為の器となる。それがどれ程、辛く、苦しく、哀しいか。だが、斑尾は覚悟した。斑尾が、覚悟を決めたのに、我らが、それを受け止めずにどうする」
亥鈴達は、打ち寄せる哀しみの波に耐え、押し寄せる苦しみに身を染め、ただ、その命を削り、冥斬刀を振るう斑尾の背中を黙って見つめた。
「…ませんか?」
同じように黙って、斑尾を見つめていた菜門が、亥鈴を見上げた。
「何か出来ませんか?」
「我らが何も出来んのだ。お前らが、何か出来る訳…」
「ここは…俺らの…里だ…」
地面に手を着いて、黙っていた皇牙は、ゆっくりと立ち上がり、フラフラと歩き出した。
「何かしなくちゃ。蓮花ちゃんが頑張ってるのに。ただ、それを見てるだけなんて、そんな無責任なこと出来ないよ」
ゆっくり近付き、皇牙は、ハンモックの傍で立ち止まった。
「…蓮花ちゃん。君から貰った力、使わせて貰うね?」
そう囁いた皇牙の手が、ゆっくりと伸ばされる。
「やめろ!!」
皇牙の左手が、引き寄せられるが、足を踏ん張り、その体に触れないように耐えた。
「触れなければ…良いんでしょ?」
皇牙は、必死に手を翳し、自分の力を流し込んだ。
そんな皇牙の姿に、暗い顔をしていた雪椰達は、フッと頬を緩めて、ゆっくりとハンモックを囲んだ。
「皇牙ばかり、良い格好させんぞ」
「一人で無謀なことするな」
「そうだぞ。俺らにもやらせろよな」
「お手伝いしますよ。皇牙」
「全く。貴方は、無茶し過ぎですよ?」
皇牙と同じように、手を翳すと、雪椰達も、引き寄せられそうになるが、触れないように、必死に、足を踏ん張って耐えた。
雪椰達の翳す左手から、自分達の力が、流れ出て行くのを感じ、ハンモックの上で淡い光が溢れ始めた。
「…特別な力…」
突然の事に、亥鈴達が唖然としていると、篠の呟きが、淡い期待を持たせた。
「どうゆうことだ」
「彼女が倒れる直前、皆様に、特別な力の結晶を植え付けたんです」
「何故、知っているのですか」
「皇牙様に聞きました」
二心一体をする前、雪椰達が胸を押さえ、膝を着いた時、駆け寄った篠に、皇牙は、事情を説明していた。
その為、篠だけは、皇牙の中にある力の欠片を知っていた。
それを聞いた朱雀達も、淡い期待を抱き、必死に、足を踏ん張って、力を注ぐ、雪椰達の背中を見つめた。
放たれる光が強さを増し、引き寄せられる力が強くなると、静かになり始めていた鼓動が、少しずつ速さを取り戻した。
止めどなく溢れる特別な力は、雪椰達が、願えば願う程、その力を与え、頬に赤みを帯び始めた。
しかし、足元が滑り始め、徐々、に、菜門の手が、その頬へと、引き寄せられた。
「菜門!踏ん張れ!」
ぶっきらぼうながらも、羅偉の声が菜門を励ます。
だが、どんなに踏ん張っても、その手は、引き寄せられ、菜門は、顔を引き吊らせた。
「「「「「菜門!!」」」」」
皇牙達の声が重なる中、覚悟を決めた菜門は、目を閉じた。
その時、暖かな光と共に、その手を握られ、ゆっくりと、目を開けた。
「れん…」
「暖かい」
菜門の手に、頬擦りすると、生命の鼓動が伝わる。
赤みがありながら、冷たい頬には、菜門の手の暖かさが心地好い。
雪椰達の顔を順番に見て、皇牙の手を掴んで、ゆっくりと体を起こした。
「蓮花ちゃん…」
「有難う」
地面に足を着け、立ち上がり、ニッコリ笑い、斑尾の背中を見つめ、胸の前で手を合わせた。
その体を包む光が、強さを増し、横目で視線を向ける斑尾に、ニッコリ微笑んだ。
斑尾の口元が、安心したように、弧を描き、冥斬刀の刃先を地面に向けた。
姿勢を低くし、顔の前に、二本の指を立て、目を閉じると、冥斬刀に光が宿り、刃の中央に、陰陽太極図が浮かび上がった。
化け物の二本の蔦が、斑尾の体に迫り来た瞬間、冥斬刀を振り抜くと、その蔦は、薙ぎ払われ、光の筋が、化け物のに巻き付いた。
化け物の動きを封じ、両手で持った冥斬刀の柄を地面に着けると、大きな五芒星が、化け物の足元に現れた。
「「悪き闇よ。黄泉の世界へ還れ」」
声が重なり、辺りに響き渡ると、光輝く地面から、柱が立ち上がり、化け物を捕らえた。
雄叫びのような唸り声を上げた化け物は、光と共に、五芒星の中へと沈んだ。
その光が消え去り、冥斬刀を地面に刺すと、体を包んでいた光が消えた。
冥斬刀も護符に戻り、それを掴んだ斑尾が駆け寄ってきた。
「大丈夫か」
「なんとかね」
肩で息をしながら、苦笑いすると、斑尾は、安心したように、優しく微笑んだ。
「彼らのおかげだよ」
振り返って、後ろに視線を送ると、斑尾も、一緒に、雪椰達に視線を向けた。
「そうか…我、主を救ってくれたことを感謝する」
斑尾が、深々と頭を下げると、屋敷の中から、長老達が飛び出し、雪椰達の前に立った。
「とんでもございません。我らこそ、里を救って頂き、感謝してもしきれません」
「俺らだって、貢献したんだから労えって。な?」
羅偉が小さな声で呟いたが、長老達には聞こえ、一斉に、バッと雪椰達に向き直った。
「族長ならば、あれくらのこと当然であろうが」
「お前達だけでは、今頃里はお仕舞いじゃ」
「お力を借りたのだぞ」
「大体、あんな無茶が出来たのも、お二人のおかげなのだぞ」
「それを自分の力だと言わんばかりに。もっと謙虚にせい」
「お前達も礼を言わんか」
苦笑いしながら、その光景を眺めていると、意識が遠のき、体が後ろに傾いた。
「蓮花!!」
「大丈夫だ」
それを見た羅偉が、焦ったように叫ぶと、抱き止めた斑尾は、静かに微笑んだ。
「眠っただけだ」
静かな寝息を発てながら、ぐっすりと眠るのを見下ろし、斑尾が、優しく前髪に触れると、亥鈴達も、優しく微笑んでいた。
「全く。ホントに手の掛かる子だよぉ」
「そうは言っても、我らが主。致し方ないことよ」
「まぁ。何処でも寝ちゃうのは、治して欲しいよね」
「治るもんなら、もう治ってら」
「確かに」
亥鈴達が、ケタケタと笑う中、雪椰達は優しく微笑み、朱雀達は困った顔をし、斑尾は、安心したように微笑んでいた。
三日後の昼。
家でも、佐久の寺でもない。
見た事のない天井が広がり、体を起こし、誰も居ない部屋の中を見渡した。
「斑尾?」
呼んでも返事がなく、ボーッとする頭を掻いていると、何処からか、啜り泣く声が聞こえた。
そっと障子を開け、庭園のような庭の片隅で、膝を抱えて泣いている女の子を見付けた。
庭に下り、その子に近付く。
透き通るような白い肌に、白銀の長い髪が、小刻み揺れている。
雪人族の子供だ。
「どうしたの?」
声を掛けると、女の子は、目元に涙を溜めたまま首を傾げた。
「お姉ちゃん、誰?」
「私は…」
好奇心に満ちた瞳を見つめ、少しだけ、悩むような仕草をした。
「ん~…色々かな」
「色々?」
「うん。呼ばれ方が違うんだよねぇ」
「例えば?」
「人とか、人間とか、人の子とか」
女の子は、驚いたような顔をした。
「お姉ちゃん人間なの?」
「そうだよ」
「すご~い。私、初めて本物の人間に会った」
「里の外には、出ないんだ?」
「ママが、危ないから、もっと大きくなってからにしなさいって」
女の子は、哀しそうに肩を落とすと、また鼻を啜り始めた。
「さっきから泣いてるけど、どうしたの?何かあった?」
「雪が、上手く、降らせられないの」
「雪?…分かった。それで、男の子に馬鹿にされたんでしょ?」
女の子の大きな瞳が、更に大きくなり、驚いた顔になった。
「すご~い。なんで分かったの?」
キラキラと、目を輝かせる女の子と向き合うように屈んで、溜め息をついた。
「やっぱり?大体、何処の世界でもいるんだよねぇ。自分が出来て、他の子が出来ないと馬鹿にする男の子。そのくせ、コツとかやり方とか、教えてくれないんだよね」
「うん。何回も、教えてって、言ってるのに、自分で考えなって、教えてくれないの」
「それで?哀しくて泣いてたの?」
女の子は、視線を外し、考えるような仕草をした。
「…違う。悔しくて、泣いちゃったの」
女の子の強い意志を感じ取り、優しく微笑んだ。
「じゃ、その男の子、驚かせちゃおうか?」
「どうやって?」
「あの池を見ててね?」
少し離れた所にあった溜め池を指差し、女の子が視線を向けたのを横目で確認し、パチンと指を鳴らした。
ポコッと、音を発てながら、水面が揺れると、女の子は、驚いて視線を戻した。
「まだだよ?ほら」
二本指を立てて、下から上に動かすと、水面が小さく跳ねた。
「すごい…すご~い!!」
目を輝かせる女の子は、可愛らしく、嬉しそうに笑った。
「ちょっと遊ぼうか」
首を傾げたのに、クスッと笑うと、女の子は、プクッと頬を膨らませた。
「ごめんね?あの池から上がる雫を凍らせるの。的当てみたいに」
「でも…私、そうゆうの下手っぴだから」
「大丈夫。雫を出すのは、私だから。信じて?」
不安そうな顔をしながらも、頷いた女の子と池に近付いた。
「それじゃ、いくよ?水面に集中。集中」
水面を見つめ、集中し始めた女の子を見つめ、少し大きめの雫を上げた。
「えい!!」
上がった雫は、一瞬で凍り、池の中へと返った。
「出来た…出来た!」
「スゴいじゃん。もっとやる?」
「うん!!」
楽しくなった女の子は、雫を次々に凍らせた。
気付かれないように、雫の大きさを徐々に小さくしたが、女の子は、百発百中で、全ての雫を凍らせた。
「じゃ、最後は水柱を出すよ?出来るだけ、凍らせてみよう」
「はぁ~い」
元気に返事をした女の子に、ニッコリ笑って、手を合わせてから、池に向かって翳し、水柱を立ち上げた。
「やぁ~!!」
女の子が、水柱に手を向けると、見事に、天辺まで凍らせてしまった。
「お~。ホント、すんごいねぇ」
「エヘヘ~」
照れたような、得意気な顔をして笑う女の子に、ニッコリ笑ってから、高く聳え立つ氷の柱を見上げた。
「こんなにスゴいんだから、絶対、雪も降らせられるよ」
「ホント?」
「本当。今すぐじゃなくても、絶対、降らせられるようになれる。そしたら、遊びにおいでよ。色んな所連れてってあげるから」
「ホント?ホントにホント?」
「ホント。お約束」
小指を立てて、女の子の前に出すと、女の子も小指を絡めた。
「よし。人間界に来る時は、ちゃんと言ってね?」
「絶対言う!!」
笑いながら、手を繋いで、屋敷の方に戻り、縁側に腰掛けて、氷の柱を見つめた。
「お姉ちゃんのお名前は?」
「蓮花。貴女は?」
「雪姫」
「じゃぁ…姫ちゃんって、呼んで良い?私は、蓮ちゃんで良いからね?」
「うん!蓮ちゃんは、なんで、ここに居るの?」
「気付いたら、そこで寝てたんだよね」
寝ていた布団を指差すと、雪姫は、布団が敷いてある部屋を覗き込んだ。
「姫ちゃんは?」
「ママが、ここで働いてるから、待ってるの」
その時、バタバタと慌てたような足音が聞こえ、二人で視線を向けた。
雪人族の女の人と皇牙が、廊下を走って向かって来た。
「蓮花ちゃん!!」
「雪姫!!」
「ママ~」
雪姫が手を振ると、雪姫の母親は、怒ったように眉を吊り上げた。
「ダメでしょ。人様に迷惑掛けちゃ」
「迷惑だなんて、思ってないですよ?」
シュンとなった雪姫の肩を抱くと、雪姫の母親は、驚いたように、口を半開きにした。
「蓮花ちゃん。急に、起きちゃダメだよ。三日も寝てたんだから」
「それなら大丈夫です。前みたいに、怪我した訳じゃないので」
「だからって…」
「それに、起きたら誰も居ないし。ちょっと不安だったし。でも、姫ちゃんがいたから楽しかった」
「私も!蓮ちゃんとの的当て、楽しかった」
二人で、ニコニコと微笑み合うと、雪姫の母親と皇牙は、苦笑いして、それ以上、何も言わなかった。
「そうだ!見て見て!」
雪姫が、氷の柱を指差すと、二人は、驚いたように目を大きくさせた。
「水柱を姫ちゃんが凍らせたんですよ。スゴいですよねぇ~。あれくらい出来るんだから、きっと、雪だって、降らせられますよね?」
ニッコリ笑い、雪姫の母親に、視線を向けると、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに、優しい微笑みを浮かべた。
「そうですね」
そんな母親を見て、雪姫は、頬を赤らめた。
「ねぇ。やってみたら?」
「でも…」
「大丈夫。やれば出来る。ね?」
ウィンクをすると、雪姫は、口をギュッと結んで、庭に降り、少し離れた所に立った。
「姫ちゃん。集中。集中」
手を合わせ、ニコニコと微笑むと、小さく頷いた雪姫は、手を合わせから、空に向かって集中した。
小さな両手を空に翳すと、小さな雪が、ハラハラと舞い、頬を掠めた。
「出来た…出来たぁ!!」
喜んで飛び跳ね、ダイブして来た雪姫を優しく抱き止め、その頭を撫でた。
「やったね?これで、皆、驚くよ」
ケタケタと笑っていると、降る雪を見つめ、雪姫の母親は、唖然として呟いた。
「出来なかったのに…なんで…」
「力の使い方ですよ。姫ちゃんの場合、力があっても、何かに集中するのが、苦手だったんじゃないかな?」
嬉しそうに笑う雪姫を見下ろし、ニッコリ笑った。
「それを覚えちゃえば、簡単だもんね?」
「蓮花ちゃんは、さすがだね」
皇牙を見上げ、力が上手く扱えなかった時の記憶が浮かんだ。
「私だって、最初から上手く出来た訳じゃないですよ」
抱き付いている雪姫を見下ろし、その小さな背中に腕を回した。
「どんなに頑張っても、力が上手く使えなかった。姫ちゃんよりも大きかったけど、いつも失敗してた」
抱き付く雪姫に、優しく微笑んでから、遠くを見つめた。
「水面を揺らしたいだけなのに、水柱が立ったり、少し風を起こしたかっただけなのに、強風になったり…それが嫌で、力を使わなくなった時もあった」
「どうして、使えるようになったの?」
首を傾げながら、優しく微笑む皇牙を見つめ、恩師の顔を思い浮かべた。
「師範のおかげ」
皇牙が、首を傾げるのを見て、ゆっくりと目を閉じ、師範の笑顔を思い浮かべる。
「体術は、心を落ち着け、精神を研ぎ澄まし、集中する事で、相手の動きに対応する。それを完全に身に付けた時、師範に言われて、力を使ってみたら、コツを掴んで、今では、自由に使えるようになった。だから、師範のおかげです」
それを黙って聞いていた雪姫に、キツく抱き締められた。
「人の世界では、他者と違う事をすれば、変人だと言って、避けていく」
雪姫の頭を抱き、静かに目を閉じ、胸の奥に、溜め込んでいたことを吐き出す。
「ただ、ちょっと違うだけで、避けられてしまう。人の世界とは、とても冷たい。そう思うと、妖かしや動物と居る方が、楽しくて、暖かくて、居心地が好かった…唯一、人で仲良くなれた友だちも失い、空しさに押し潰されそうになった。でも…だからこそ、誰も失いたくない。何も失わないように笑って、私に出来る事をしたいの。私の為。死んだ友や師範の為に」
師範が、亡くなっているのを知り、皇牙は、何も言わず、雪姫の母親と一緒に、雪姫の暖かさに浸っているのを見つめた。
布団の敷いてある部屋に隠れ、雪椰達も、その話を聞いていた。
暫くすると、降る雪の量が、多くなり、雪姫の顔を覗き込んだ。
「どうしたの?」
目元に沢山の涙を溜め、唇を噛んで、雪姫は首を振った。
「蓮ちゃん…可哀想…」
哀しさに飲み込まれ、雪姫の力が、暴走し初めている。
ゆっくりと微笑みを浮かべ、雪姫を膝の上に乗せる。
「哀しい時は、ぜ~んぶ、まとめて、お空にぶっ飛ばしちゃおう」
二本指で、円を描くと、大量の雪を巻き上げ、空へと舞い上げる。
一度、拳を作り、パチンと指を鳴らすと、辺りに、轟音が響き、晴れ渡る青空でも見える程に、大輪の花が咲き、キラキラと、雪に光を反射させ、幻想的な景色を生み出す。
それを見上げ、声も出さずに拍手をする雪姫に、ニコニコ笑っていると、隠れていたはずの雪椰達も、縁側に出て、花火を見上げていた。
「すっげぇ…」
驚きのあまり、羅偉は、そう呟いた。
その声は、思いの外、大きかった為、雪姫と一緒に視線を向けていた。
影千代が、羅偉の頭を軽く叩いた。
「阿呆」
「悪ぃ」
雪姫と二人で、ケタケタと声を出して笑うと、雪姫の母親に怒られ、雪姫と視線を合わせて、ペロッと舌を出し、クスクスと小さく笑った。
「それじゃ、私達は、これで失礼します」
「え~」
雪姫が不満の声を上げると、雪姫の母親は軽く頭を叩いた。
仲の良い親子の様子は、とても微笑ましく、自然と頬が緩む。
「暫くは、ここにいるから、またおいでよ」
「ホント?」
「雪姫!」
「良いじゃないですか。完治して、自分で戻れるようになるまでは、帰してもらえないでしょうし。話し相手になってもらえたら、凄く嬉しいですし。ね?」
ニッコリ笑い、首を傾げると、雪姫の母親は、一瞬、言葉を詰まらせ、ふぅ~と息を吐き出し、雪姫を見下ろした。
「騒いじゃダメだからね?」
「はぁ~い!!それじゃ。蓮ちゃん、また明日ね」
「明日ね~」
母親に連れられ、手を振る雪姫に、手を振り返し、遠ざかる背中を見送った。
「蓮花さん。夕飯は、どうしますか?」
「食べる」
振り返れば、そこには、優しくて暖かな微笑みがあった。
優しく微笑む雪椰達に、微笑みを返し、囲まれるように並んで歩き、和室に向かった。
襖を開けると、沢山の料理が用意されていた。
そのどれもが美味しく、終始、ニコニコと笑いながら、その料理に舌鼓を打った。
「食後の甘味は、どうする?」
一緒に食事していた皇牙の手には、綺麗な硝子の器に盛られた桃があった。
「食べる!!」
子供のように、目を輝かせると、皇牙は、頬を赤らめながら、ニッコリ笑い、器を差し出した。
それを受け取り、一つ口に入れると、缶詰とは違う食感と風味に、頬が綻んでいく。
「蓮花さん。ビワは、お好きですか?」
菜門は、熟したビワの実が、盛られた器を見せた。
「食べたことないです」
桃を頬張りながら、小さく首を振ると、菜門は、ニッコリ笑い、器を桃の隣に置いた。
「甘くて、美味しいんですよ?」
「へぇ」
「蓮花。饅頭食うか?」
饅頭が乗った皿を持って、ドカッと隣に、羅偉が腰を下ろした。
「食事の後の饅頭は、流石に厳しいのでは?羊羮は、どうですか?」
硝子の皿に乗せられた羊羮を持って、雪椰が菜門の隣で膝を着いた。
「饅頭も羊羮も変わらん。水菓子はどうだ?」
季麗が、菜門の肩を押して、ゼリーを突き出した。
「あのさ。いくら、三日間、寝てたからって、そんなに食べれないんだけど」
桃を完食し、ビワを食べ始めると、影千代が、腕組みをした。
「前回の事があって、こうなったんだ。責任を持って、ちゃんと食え」
「いやいや。あの時は、怪我したから、あれくらい、食べれましたけどね?通常は、こんなもんな訳ですよ。これでも、結構、いっぱいですし。ムリです」
「なら、これも無理か」
影千代は、後ろから、ラベルが貼られていない一升瓶を取り出し、揺らした。
「それは別」
「酒は呑むのかよ」
「もち。地酒大好き」
親指を立てながら、饅頭を口に放り込んだ。
「あれ?あんまり甘くない」
「ビワと桃が甘かったから、そう感じないんじゃない?」
「そっか。でも美味しい」
ワイワイ騒ぎながら、デザートを完食すると、影千代は、何度も瞬きした。
「見事に食い切ったな」
「なんか、結構食べれました」
自分の胃袋に驚き、腹を摩っていると、皇牙が、お猪口を差し出した。
「呑むんでしょ?」
「頂きます」
お猪口を受け取り、徳利から注がれた酒を口に入れると、花のような爽やかな香りと共に、甘さが口いっぱいに広がった。
「美味しい~」
幸せな気持ちになり、目を細めると、皇牙は、得意気な顔をした。
「人狼族特製の地酒だからね」
「へぇ」
「こっちも呑んでみろよ」
空になったお猪口に、羅偉が注いだ酒を口に含むと、舌が、ビリッと痺れた。
「辛い」
「鬼酒は、辛口だからね」
「種族で違うんですか?」
「鬼酒、狐酒、天酒、狼酒、雪酒。それぞれの種族で、味も香りも違うよ?因みに、さっき俺が注いだのが狼酒」
何度も頷き、次々に、注がれる酒を呑んだ。
「菜門さんの所は、そうゆうのないんですか?」
「あるにはあるんですけど、かなり強いんですよ」
初めて知る事が多く、何度も頷いていた。
「しかし、俺らと一緒になって、呑んでいるのに、あまり酔ってないな」
顔色一つ変えることなく、一緒になって呑んでいるのに、今更、気付いたらしく、雪椰達は、首を傾げた。
「そういえば、そうですね?」
「あ~。えっと、多分、爺様方に散々付き合わされたから、慣れてるんだと思います」
「それもそれで恐ろしいな」
「捕まったら終わりだよぉ。爺様方が、潰れるまでは、絶対、離さないから」
その時の記憶が、一瞬、浮かんで見え、ブルっと肩を震わせると、羅偉と皇牙は、ケタケタと、大きな声で笑い、雪椰と季麗は、クスクスと小さく笑って、菜門は苦笑いし、影千代は溜め息をついた。
それから、色々な話をして、笑いながら飲み続け、真夜中になると、静かに、襖を叩く音が、部屋の中に響いた。
「皆様。そろそろ、お開きに…」
朱雀が襖を開けると、そのまま、固まってしまった。
「ごめんなさい。もう寝てしまいました」
周りで雑魚寝をしている雪椰達から、視線を移し、苦笑いすると、朱雀達は、溜め息をついた。
「全く。これでは、族長としての威厳が…」
「怒らないで」
気持ち良さそうに、寝ている雪椰達を見下ろし、そっと、皇牙の前髪を整えた。
「きっと、私の為に、色々と動き回ってくれたんだと思います。族長の仕事もあるのに。だから、怒らないであげて下さい」
微笑みながら、静かに目を閉じると、布が擦れる音がして、朱雀達は、それぞれの主の所に、片膝を着いた。
「楽しめましたか?」
哉代を見つめ、ゆっくり頷くと、朱雀達も、嬉しそうに目を細めた。
「夢の中で、宴の続きでもしてるのでしょうか?皆様、ずっと、笑ってらっしゃいますね」
気持ち良さそうに、寝息を発てながら、楽しそうに微笑む雪椰達を見下ろし、朱雀達は、クスっと小さく笑い、微笑んだ。
「しかし、強いんだな?」
茉に向かって、首を傾げると、朱雀が溜め息をついた。
「酒だ」
納得して頷き、苦笑いを浮かべた。
「爺様方に、散々、付き合わせられたので、慣れてるんだと思います」
「じじ様方?貴方のお祖父様方は、もう…」
「村の爺様方ですよ」
イマイチ理解出来ず、朱雀達は、首を傾げた。
「祖母が倒れて、一人になった私を引き取ったのは、父の兄である叔父。その叔父が居たのは、小さな村だったんです」
「あ~。そういえば、そんな話してたな」
「お前を引き取るとは、優しい人なんだな」
「興味があるのでしたら、お聞かせしますよ?おつまみ程度に」
お猪口を傾ける仕草をしながら、ニコッと笑うと、一瞬、雪椰達を見下ろしてから、それぞれに視線を合わせて、フッと鼻で笑った。
「皆様のようにはならないぞ」
「お手柔らかに」
朱雀達が、部屋から出て行くのを見送り、雪椰達の輪から、そっと抜け出し、縁側の近くで、夜空を見上げていると、哉代と篠が、毛布を持って来た。
「手伝いますね」
一人一人に毛布を掛けると、一枚余り、篠に返そうとした。
「それは、アンタのだよ」
首を傾げると、哉代が、顔を寄せてきた。
「夜風で、蓮花さんが、体調を崩されたら、良くないと言って、篠が、一枚余分に持って来たんです」
「哉代!」
ヒソヒソと小声で話していたが、篠には、聞こえていた。
ちょっと怒ったような口調になった篠に、哉代は、意地悪な笑みを浮かべた。
「知られては困りますか?」
「そうじゃないが…言うなら、耳打ちじゃなくて、ハッキリと言え。気分悪い」
「おやおや。ならば、女の体に、夜風は、毒だと言っていたのも、言えば良かったですかね?」
「哉代~」
二人のやり取りが、面白くて、クスクスと、肩を揺らして笑うと、篠は、乱暴に頭を掻いた。
「仲…良いんですね?」
「まぁな」
「長い付き合いですから」
「どれくらいなんですか?」
「妖学問所からだ」
膝に毛布を掛け、縁側の近くに座り、二人と話をしていると、葵が、大量の徳利を持って、戻って来た。
「ヨウガクモンジョ?」
言葉にしてみたが、分からず、首を傾げた。
「妖かしの学舎だ。季麗様達も通われてた」
お猪口を持って来た羅雪の説明で、ほろ酔い気分の雪椰が、その当時の話をしていたのを思い出し、手を叩いた。
「あ。それ聞きました。学生の時からの付き合いなんだって。皆さんもですか?」
「えぇ。似たり寄ったりの主ですから、お互い、苦労しますね?って、声を掛けたら、こんな感じです」
羅雪からお猪口を受け取ると、哉代が、徳利を持って隣に座った。
「そんなに、長く居れるなんて、羨ましいです」
「ただの腐れ縁だ」
自分のお猪口に酒を注ぎ、茉は、一気に呑むと、次の酒を注いだ。
「良いじゃないですか。同じ境遇の者がいるってことは、苦労を分かち合える友がいるってことですから」
酒を口にして、微笑みを浮かべ、苦笑いしながら、酒を口にする朱雀達から、視線を反らし、夜空を見上げた。
「この里は、私がいた村と似ていて、とても懐かしいです」
「似ていてる?」
視線を合わせ、不思議そうな顔をする朱雀達に、ニコッと笑ってから、目を閉じ、村の風景を思い出しながら、村のことを語り始めた。
山間の小さな村は、緑豊かで、石畳が敷かれ、とても風情がある。
そんな村の片隅で、叔父は、小さな旅館の長女だった叔母と結婚をし、共に、その旅館を営んでいる。
叔父夫婦に引き取られることになり、斑尾を連れ、村を訪れると、その緑の多さに、心を癒され、村の人々に驚いた。
悪い事をすれば、親子など関係なく叱られ、辛い事があれば励まされ、良い事をすれば誉められる。
村全体が、家族のようだった。
「親兄弟がいなかった幼い私には、それが、とても嬉しくて、村での生活は、とても幸せでした」
「本当に、良い所なんですね」
「えぇ。だから、村の爺様方や婆様方は、村の子供を自分の孫のように扱い、成人すると、何かと誘われて、倒れるまで、呑ませるんですよ」
「倒れるまで!?」
「えぇ。一度、捕まると、倒れるまで、帰してくれません。おかげで、体が慣れてしまいました」
「無茶苦茶な爺さん達だな」
「そうですね。まぁ慣れてしまうと、大半は、対応出来るんですけど、唯一、絶対に敵わない爺様が一人いるんです」
「人ながら、天晴れだな」
「人じゃないんです」
お猪口を傾けるのを見つめ、朱雀達は首を傾げた。
「人じゃない?」
「妖かしなんです」
驚きで、目を大きく開き、口を半開きにしている朱雀達に、小さく微笑んだ
「村は、多くの妖かしと人間が、仲良く暮らしています。だから、村には、沢山の半妖の子供がいるんです」
「誰も、何も言わないのか?」
「言いません」
「何故だ。種族が違えば、文化も習慣も…」
「文化や習慣が違えば、一緒に暮らしてはいけないのでしょうか?」
篠の言葉を遮り、真っ直ぐ朱雀達を見据えた。
「文化や習慣が違えど、この世に生きる者同士、分かち合えない事はありません。互いが歩み寄り、互いが理解し合えば、それで良いのでは?己の持つ時間を共に過ごしたい。そう願った者同士を他者が、否定する意味があるのですか?大切に想い合う者同士に、他者が口を出す権利が、この世にあるのでしょうか?」
愛し合っている者を種族の違いで、引き裂くような事をすれば、哀しみが生まれ、憎しみが広がる。
ならば、限られた時間の中で、一分一秒でも、愛する者と幸せな時間を過ごさせる。
それが、村の人達の想いであり、考え方だ。
だから、村の人は、何があっても、いつも笑っている。
それが、真の幸福なのだ。
「人であろうが、妖かしであろうが、幸せの形は一つじゃない。だから、どんな形でも、多くの物が互いを想い合い、幸福を感じられるのならば、それで良い。それが、村に住まう者達の考えです」
寝ている皇牙に、ゆっくりと視線を向けると、朱雀達も同じように、雪椰達を見つめた。
「素敵な村ですね」
哉代の呟きに、朱雀達が、ゆっくりと頬を緩めた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる