黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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十一話

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篠は、険しい顔付きのまま、夜空に浮かぶ、月を見上げた。

「そんな里だったら…皇牙様は、こんなにも、苦しまなかっただろうな」

「気にしてないと思いますよ?」

寝ている皇牙を見つめ、小さく微笑んだ。

「どちらかと言えば、幸せだと思います」

「何故だ」

「だって、あの寝顔を見たら、そう思いませんか?」

笑って寝ている皇牙を見つめ、篠は、ゆっくりと頬を緩めた。

「そうだな」

そんな篠の横顔を見て、微笑んでから、お猪口を傾けた。

「…しかし不思議だ」

羅雪に、首を傾げると、哉代が、納得したように頷いていた。

「お前の話を聞いてると、その風景や相手の考えが、見えるような気がする」

「それに、気付かぬ内に、話に引き寄せられてしまう。本当に不思議な人間だ」

優しい表情の朱雀達に、気恥ずかしくなり、酒を一気に呑んで、お猪口を空にすると、葵が、自分の持つ徳利から酒を注いだ。
微笑みを浮かべ、お猪口に口を着けると、庭から、小さな囀りが聞こえた。
朱雀達と一緒に、庭の方に視線を向けると、縁側に、小鳥が現れ、小首を傾げていた。

「鳥?」

「珍しい。こんな時間に」

「確かに」

「見た事ないですね?」

見た事のない小鳥に、朱雀達は、首を傾げていた。

智呂チロ?」

小鳥は、チチっと鳴き、嬉しそうに、小さく飛び跳ねた。

「どうしたの?」

見つめながら、首を傾げると、小鳥の体が、小さく震え、翼を広げながら、ボンと音を発て、白い靄を上げると、子供が抱き付いた。

「ちょ!!危ないよ」

智呂は、顔を上げ、口をパクパクと動かした。
涙を浮かべ、喉に触れ、擦るような仕草をしてから、膝に顔を埋め、声なく泣いた。

「あ~…なるほどね。智呂。顔上げて?」

顔を上げた智呂の喉に、そっと触れ、小さな蒼白い光が放たれ、術を解除すると、静かに消えた。

「これで大丈夫」

頭を撫でながら、優しく微笑むと、智呂は、喉に触れ、大粒の涙を流し、大声で泣き始めた。

「失敗したんだ?ずっと我慢してたの?」

抱き付いたまま、何度も頷く。
その小さなおカッパ頭を優しく撫で続けた。

「…なんなのだ…」

「その子は一体…」

「村の子です。智呂。もう泣かないで?」

涙を袖で拭きながら、智呂は、小さく頷き、朱雀達を見ると、慌てたように、後ろに回り、背中に引っ付くように、隠れてしまった。

「すみません。人見知りが激しくて」

苦笑いしていると、隣に座る哉代が、そっと智呂を見下ろし、その視線に、気付いた智呂は、背中に抱き付き、顔を隠した。

「ホント、すみません」

「いえ。可愛らしいじゃないですか」

哉代は、優しく微笑んだ。

「妖かしの子か?」

「いえ。半妖です」

朱雀達は、何度も頷きながら、物珍しそうに、後ろにいる智呂を見つめていた。
人を壁にして、智呂は、何度も、朱雀達を覗き見している。

「それにしても、その年で、化けられるなんて、凄いですね」

「里の子は、出来ないんですか?」

「そのくらいの子は、まだ、化けられませんね。化けられても、体の一部だけだったりします」

智呂と視線を合わせて、パチパチと、何度も瞬きをした。

「なんだ。馬鹿にしてるのか」

「違います。村では、このくらいから、皆、化けていたので、全く、違和感がなかったので。そんなに難しいの?」

「最初だけ。体の一部だけ、変える方が難しいよ?」

いつもの可愛らしい智呂の声が、そう告げると、朱雀達は、顔を見合せた。

「そうなのか?」

「だって、全部、変えるなら、何にも考えずに、ただ集中すれば、変わるけど、一部だけってなると、その部分に集中しなきゃ、いけないから難しい」

「あ。そっか」

智呂と朱雀達は、首を傾げた。

「今日、少しだけですけど、雪人族の子と遊んだんです。その時、村の子となんか違うなって、思ってたんですよ」

「何が違うの?」

「里の子は、集中力があるけど、村の子は、集中力が散漫」

「蓮ちゃん。それ酷いよ」

「そう?」

クスクス笑うと、智呂は、プ~っと、頬を膨らませて睨み上げた。

「ごめん。ごめん。そんな怖い顔しないで」

優しく頭を撫でると、智呂は、頬を桃色にして、照れ笑いした。

「ところで、それは、誰に教わるんだ?」

茉に視線を向け、智呂は、腕に引っ付いた。

「指南所」

智呂の小さな声に、篠が首を傾げた。

「指南所?それはなんだ?」

智呂は、顔を隠してしまった。

「術指南所と言って、週に二度、寺で術を学ぶ事が出来るんです。村の子は、そこで術を習います」

「学問は、学ばないのか?」

「学問は、普通の子と同じ学舎に通い、術だけを習うような形です」

「妖かしや半妖だけか?」

「人も習えます」

「普通の人でも、術を使えるのか?」

「人が習いに来るのは、体術です」

「もしかして、蓮花さんも、そこに?」

「はい。私の場合は、妖かしや半妖の子たちと一緒でしたから、使い手としては、そんなでもなかったですけど」

苦笑いすると、智呂が、勢いよく、頭を上げ、顔を近付けた。

「そんな事ない!父ちゃんも母ちゃんも言ってた!蓮ちゃんは村一番の使い手だって!それに…師範も、自分より、蓮ちゃんの方が、凄いんだぞって、言ってたもん」

驚きで、瞬きを何度もしたが、真っ直ぐに見上げる智呂の瞳は、真剣だった。

「だから、わっち、蓮ちゃんよりも強くなる。それで、蓮ちゃんみたいに、大切なモノ、全部守る」

智呂の瞳には、強い意志が宿っている。
それを見つめていると、村の子達を思い出し、懐かしくなる。

「そっか。じゃ、私は、もっと強くなろ」

「え~」

「だって、皆に負けたくないもん」

「意地悪」

また頬を膨らませた智呂の頭を撫でて、ニッコリ笑うと、智呂も、ニッコリ笑い、抱きついて頬擦りをした。
それを朱雀達は、優しく微笑みながら、見つめていた。
その後、智呂も、朱雀達に慣れ、村や里の話をしながら、酒が進み、楽しい時間を楽しんでいた。
だが、智呂の大きなアクビで、お開きとなった。
智呂と一緒に布団に入り、その日は、ぐっすり眠った。
次の日の朝。
雪椰達に智呂を紹介し、雪姫が遊びに来ると、三人で、話をしながら、折り紙やあや取りをして、静かに過ごした。
昼過ぎに、酒天が様子を見に来た。
部屋の中で過ごすのも、退屈になり、雪姫の母親に、了解を得て、里を散策することになり、屋敷の外に出ると、羅偉と出会し、一緒に行くことになった。
智呂と雪姫に手を引かれ、酒天と羅偉が、その後を追うようにして、公園にやって来た。
その時、何処からか声が聞こえ、その声に混じり、微かに鼻を啜るような音も聞こえた。
顔を見合わせてから、その声がする方に向かい、公園の茂みに隠れ、路地裏にいた子供達を見付けた。

「出てけよ!」

体の大きな男の子が、体の小さな男の子を突き飛ばし、その子は、尻餅を着いてしまった。

「アイツら!」

出て行こうとした羅偉の腕を掴み、酒天に視線を向けた。

「酒天。アレやってみよう?」

酒天が、首を傾げるのを見て、溜め息をついた。

「ほら。ホタル達が、何かやらかした時にやってたじゃん」

少し考えてから、酒天は、ニヤリと笑った。

「んじゃ、やってみっか」

「智呂は、二人といてね」

ニッコリ笑い、頷いた智呂の頭を撫でて、酒天と共に、いじめられている男の子の後ろ側に、素早く回った。
酒天が木の上に乗り、頷くのを確認してから、手を合わせ、靄を作り、小さな風を起こして、木々の葉を小さく揺らしながら、それを鬼族の子達の方に流した。
驚いた子供達が、周りを見渡す。

「でぇじょぶか?」

静かに木の上を移動し、いじめられていた子の上から、本来の姿になった酒天が、声を掛けると、男の子は、肩を震わせた。

「んなに怖がんなよ。おめぇの為に、わざわざ、出て来たんだからよぉ」

「なっ!なんだよ!お前!」

木の上から飛び降り、子供達の間に屈んで、いじめていた男の子達に向かい、ニヤリと笑った。

「んな事より、おめぇら、強ぇのか?」

「あ!当たり前だろ!俺は、純血の…」

「関係ねぇ」

酒天の顔から、笑みが消えた。

「強さに血族なんざぁ関係ねぇ。強ぇ奴ってのはなぁ、弱ぇもんにゃ手ぇ貸して、自分より強ぇ奴に向かってくもんよ。おめぇらみてぇに、自分より、弱ぇ奴を痛め付けるようなこたぁ…しねぇんだよ!!」

酒天が声を張り上げると、いじめていた子達の肩が、ビクッと小さく揺れた。

「純血だろうが、半妖だろうが、んな事やってる奴が、この世で、一番弱ぇんだ。んな奴ぁ…喰っちまうぞ」

目が大きく開かれ、口元だけに、笑みを浮かべながら、立派な八重歯を見せ、口が開かれると、本当に喰われるんじゃないかと、錯覚してしまう。
そんな酒天に見つめられたら、村の子供でさえ、震えながら涙を流し、二度と同じことはしない。
だが、ここは、妖かしの里。
何度だって、同じことをするだろうが、少しの間は、大人しくなるだろう。
その証拠に、恐怖で涙を浮かべた男の子達は、酒天に背中を向けて走り出した。
泣きながら、逃げて行くのを見送り、動けなくなって、座り込んでいる男の子に近付いた。

「大丈夫?」

涙目で、頷いた男の子を立たせ、服に付いた砂を払っていると、智呂が酒天に走り寄った。

「酒天スゴい!」

「おぅよ。アレくらい、どって事ねぇけどな」

「わっちも出来るか?」

「その内、出来るようにならぁ」

二人が、そんな風に話している中、男の子は、智呂をずっと見つめていた。

「名前は?」

「…修螺シュラ

急に振り返った智呂に、修螺が、小さい声で答えた。

「わっちは智呂。よろしくな?」

修螺が頷くと、雪姫が、智呂と並んだ。

「私、雪姫。ねぇ、一緒に遊ぼ?」

「でも…」

「大丈夫!また、あの子らが来たら、酒天や蓮ちゃんが、追い返してくれるよ。だから遊ぼう!」

修螺の手を掴み、智呂が、引っ張るように、茂みから、抜け出て行くと、雪姫も、その後を追って、走って行った。

「元気だねぇ」

「婆臭くいなぁ~」

「そんな事ないもん。酒天の方が爺じゃん」

「そらそうよ。おらぁ、蓮花様より、長生きだかんな」

酒天とくだらない事を言い合いながら、智呂達が、遊んでいる方に向かい、茂みから進み出た。
遊具で遊ぶ智呂と修螺を見つめ、隣の羅偉が呟いた。

「…どうしたら…皆で…笑って暮らせんだ…」

「酒天!遊ぼう!」

「へいへい」

羅偉が、真っ直ぐ修螺を見つめていると、智呂に呼ばれ、酒天が離れた。
羅偉と並んで、智呂達を見つめた。

「笑って暮らすには、その分、苦労するんだよ」

智呂達の笑い声に混じり、風に乗った声は、とても小さかったが、羅偉には、聞こえていた。

「辛くて、苦しくて、哀しくて、泣いて、叫んで、苦労を知る」

だからこそ、他者の痛みが、分かるようになる。
生きる痛みを知り、生きる苦しみを感じ、生きる哀しみを思う。
それが分かれば、どんなモノに対しても、優しく、暖かく接することが出来るようになる。

「君が苦労した分、君も、君の周りも、笑って暮らせるようになるよ。だから、今は、辛くても、いつか、必ず君の願いは叶う」

笑顔を向けると、羅偉の頬が緩み、ゆっくりと笑みを浮かべ、智呂達の方に視線を戻し、そこに溢れる笑い声を聞き、そこに溢れる笑顔を見つめた。
それから、思う存分遊び、屋敷に戻ろうとすると、智呂が修螺の手を掴んだ。

「修螺も一緒行こう」

「え…でも…」

「帰らなきゃないのか?」

「そうじゃない…けど…」

「なら、行こう!」

また智呂に手を引かれ、修螺は、困ったように、苦笑いしながらも、嬉しそうに目を細めていた。
途中で皇牙と一緒になり、屋敷に戻ると、雪姫の母親が、おやつを用意していた。
縁側に座り、お茶を飲みながら、硝子の器に盛られた綺麗な水羊羹を食べ、のんびりしていると、雪椰がやって来た。

「また一人増えてましたね。こんにちは」

「こん…にち…は」

羅偉が、修螺の頭を乱暴に、撫で付けた。

「んとに、なよっちぃな」

「仕方ないよ。そんな乱暴にしないの」

修螺を庇うと、羅偉は、ムッとして、そっぽを向いて、ぶっ垂れてしまった。

「ところで、この子は、どうしたんですか?」

「いじめられてたんです」

雪椰も、目を伏せ、少し哀しい表情をした。

「それで、智呂が気に入っちゃって。連れて来ちゃったんです」

苦笑いすると、皇牙は、修螺の頭を優しく撫でた。

「智呂ちゃんは、優しいんだね」

「まぁな」

「んな、なよっちぃ奴の何処が、良いんだよ」

「だって、わっちと同じだから」

足をブラブラさせながら、パクパクと、水羊羹を口に運ぶ智呂を見て、羅偉が、驚いたように目を大きくした。

「お前…半妖?」

「へぇ。智呂ちゃん半妖なんだ」

智呂が頷くと、雪姫は、感心したように頷いた。

「風起こすの上手だから、妖かしだと思ってた」

「僕も」

修螺も驚き、雪椰達も、ただ呆然としていた。

「わっちなんて、まだまだ。指南所の師範も、半妖だけど、スゴいんだ。こ~~~んな、おっきな竜巻作れるし、自由自在に操れるし、竜巻を作りながら、池の水を巻き上げて、竜巻と水柱を操ったり、雷落としたりして、とにかく、すんごいんだ!」

身振り、手振りを交えながら、智呂は、興奮したように話した後、その光景を思い出したように、目を細めてから、ゆっくりと瞬きをした。
その瞳には、強い光が宿り、真っ直ぐ前を見つめた。

「わっちも、そうなりたい。だから、もっと…も~~~っと、修行して、もっともっと上手くなって、もっともっと強くなるんだ」

満面の笑みを浮かべた智呂を見つめ、雪椰達は、優しく微笑み、雪姫と修螺は、少し暗い顔をした。

「智呂ちゃん…スゴいね」

雪姫の呟きに、智呂は、首を傾げた。

「私は、ただ人間界に行きたいってだけで、何の努力もしてないよ」

「夢があるなら、今から頑張れば良い」

雪姫は、智呂に視線を向けて、首を傾げた。

「長く生きられるんだから、今からでも遅くない。ちゃんと、目標があるなら、それに向かって、頑張ってみれば良いんだよ」

智呂がニコッと笑うと、雪姫は、頬を弛めて優しく微笑んだ。
そんな中、酒天は、肩を小さく震わせ、笑い出してしまうのを必死に堪えていた。

「良い事言ってるのに、笑うなんて、酷いなぁ~」

皇牙が、溜め息をつくと、酒天は、涙目になりながら、視線を向けた。

「酒天。そんなに笑ったら、可哀想でしょ」

「だってよぉ。偉そうな事言ってぇ、全部、受け売りじゃねぇか。おめぇは、どんだけ俺が好きなんだぁ?」

「…え?じゃ、コイツの師範って…」

「俺だ」

親指で、自分を差した酒天を見て、羅偉は、口をあんぐりと開け、皇牙は、目を大きくさせた。

「半妖…なの?」

「おぅよ。立派な半妖さ。どうよ?驚いたか?」

ニヤリと笑いながら、酒天が、得意気な顔を向けると、修螺は、何度も頷いた。
そんな修螺を見て、酒天は、優しく微笑み、その頭に手を乗せた。

「良いか?半妖でも、確かな目標を持って、そこに向かって、地道に努力をすれば、強くなれんだ。自分は、純血だと、そこに胡座をかいて、座り込んでる奴なんかよりも、ずっと、ずっと、強くなれんだ」

「でも…僕、弱いから」

「弱いんじゃない。お前は、お前の気持ちに負けてんだ」

酒天は、修螺の胸に、トンと指を置いた。

「お前は、お前の気持ちに負けてんだ。怖い。痛い。嫌だ。そんな気持ちに負けてんだよ。今は、それでも良い。でもな?お前が、年取って、好きな奴が出来て、そんで、子供が産まれて。そうやって、大事なモノが、どんどん増えてく。そんな中で、何かあって、それを守らなきゃならない時が、必ずある。そうなった時、それじゃダメなんだ。相手に勝てなくて良い。けどな、自分に負けちゃダメだ。どんな、怖くても、どんな、辛くても、絶対、自分には負けないって、思って、お前の一番大事なモノを守るんだ」

黙って話を聞いた修螺は、酒天の指が置かれた胸を見下ろした。

「…んな顔すな。いつか分からぁ」

優しく修螺の頭を撫でながら、優しく微笑む酒天を羅偉は、口元に力を入れ、唇を結んで、見つめていた。

「羅偉。顔が怖いですよ」

羅偉は、肩を叩いた雪椰を見上げた。

「もしかして、僻んでる?」

ふざけた口調の皇牙に、羅偉は、視線を下げた。

「そうじゃねぇよ…同じ鬼なのに、俺は…」

「深く考えない方が良いよ」

羅偉は、視線を向けると、首を傾げた。

「酒天の言ってる事、私が言ったんだから」

「今、バラさねぇでも、良いんじゃねぇか?」

「何言ってんのよ。智呂のこと、小馬鹿にしてたクセに。どんだけ、私の事が好きなのよ」

「でぇ好きだぞ?」

頬を桃色にしながら、意地悪な笑みを浮かべる酒天を横目で、睨み付けると、智呂が顔を寄せた。

「斑尾に言ったら、八つ裂きにしてくれるかな?」

「簡単にやってくれるよ」

智呂の囁きは、酒天にまで聞こえた。

「智呂!ぜってぇ言うなよ!」

酒天は、焦ったように大声を出した。

「え~。どうしよっかなぁ」

「智呂!」

笑いながら、ちょこまかと逃げ回る智呂を必死に、追い掛ける酒天を見て、その場に笑い声が溢れた。
楽しい時間は、あっという間に、太陽が傾き、夕暮れが近付いた。
酒天は、眠ってしまった智呂をおんぶして帰り、雪姫も、母親と一緒に帰って行った。

「…明日も来て良い?」

修螺は、不安そうに眉を寄せていた。

「もちろん」

ニッコリ笑うと、修螺の表情は、明るくなり、頬を桃色にして、嬉しそうに微笑んだ。

「じゃ…また明日ね」

手を振りながら、小さくなる修螺の背中を見送り、夕食の準備が、出来るまでの間、部屋に戻り、酒天に渡された仕事の書類に、目を通していた。
静かに時が流れ、全ての書類に目を通すと、丁度、夕食の準備が出来た。
雪椰達に加え、その日は、朱雀達も同席して、一緒に食事をした。
賑やかな一時が過ぎ、辺りが暗くなると、久々に疲れを感じ、ゆっくり風呂に入ったのだが、湯船に浸かり過ぎてしまった。
熱くて寝られず、熱を冷まそうと、縁側に座り、夜風を浴びながら、空に浮かぶ星を眺めていた。
そこに、帰ったはずの羅偉が現れた。

「何してんだ?」

「涼んでるの。帰ったんじゃないの?」

「あぁ…一旦な」

羅偉が、隣に腰を下ろした。

「出て来て良いの?」

「今日は、屋敷に居れる気分じゃねぇんだ」

暗い顔をしている羅偉から、視線を反らし、庭を見つめた。

「…俺…捨て子だったんだ…」

黙っていると、羅偉は、急に話を始めた。
幼い頃、鬼族の間で、小さないざこざから、二つのグループが対立し、それが原因で、内戦が起きてしまった。
危険を感じた両親は、羅偉を連れ、幻想原に向かった。
そこに、羅偉を隠し、内戦を止める為に、双方の説得に向かった。

「迎えに来るって言ってたけど、来なかった。不安になって、俺、親を探しに、里に戻って来たんだ…でも…」

戻った羅偉を待っていたのは、瓦礫の下敷きになって、冷たくなった両親だった。
破壊された建物。
笑顔の消えた一族。
その目に写し出された全てに、気力を奪われ、羅偉は、フラフラと歩き、両親と別れた場所に戻った。
人形のように、一点を見つめたまま座っていると、偶然、当時の族長が通り掛かり、羅偉を保護し、屋敷に連れ帰った。
子供のいなかった今の両親に、実の子のように育てられ、その優しさと暖かさに、羅偉は、次第に自身を取り戻し、族長である父親に、ある想いを打ち明けた。

『一族が笑って暮らせるように、自分のように、哀しむ子供を救いたい』

『ならば、学問所に通え。そして、お前が族長となれ』

その想いを胸に、羅偉は族長になった。

「…だけど…アイツのこと見てたらさ…俺が…族長で良いのか…分からなくなっちまって…」

羅偉は、自傷気味に鼻で笑った。

「こんな姿、茉やオヤジ達には、見せられねぇ。だから、ちっとだけ、頭冷やしに来たんだ」

羅偉が歯を見せるように、ニコッと笑ったが、その笑顔は、無理をしてるようにしか見えない。

「何やってんだろな?俺。こんなこと、お前に言ったって、何にも…」

「変わらないね」

「だよな」

羅偉は、淋しそうに目を伏せ、哀しそうに眉尻を下げた。

「でもさ。過ぎた時間は、変わらないけど、これからの時間は、いくらでも変えられるでしょ」

横目で見つめ、羅偉と視線を合わせた。

「誰かに言われたからとか、誰かが言ってたとか、それだけで、君は、その道を決めたの?痛みや苦しみを知ってるから、君は、その道に決めたんじゃないの?」

瞳が切なく揺れ、奥歯を噛み締め、拳を握ると、微かに震えていた。
そんな羅偉の姿は、自身を否定され、何も言えない子供のようだ。
本当の子供なら、言い訳をし始めるだろう。
だが、羅偉は、言い訳もしないで、ちゃんと現実を受け止めようとしている。
それは、羅偉が、自身の意志で、その道を選んだ証拠だ。
自身で選んだのだから、逃げられない。
しっかり受け止めて、前に進まなければならないのだ。

「…酒天が言ってたことが、胸に突き刺さったなら大丈夫。君なら、変えられるよ」

自分を信じ、ちゃんと前を見て、もう少し頑張って歩めるように、欲しがっていた言葉をあげると、羅偉の表情が、驚きに変わり、徐々に頬が緩み、頬を赤らめて嬉しそうに微笑んだ。

「…そっか。ありがとな」

嬉しそうな羅偉の表情が、修螺の笑顔と重なり、クスッと笑いが漏れてしまった。

「んだよ!素直に礼言ったのに!笑うなよ!」

「ごめん。何か、さっきの修螺君と重なって、季麗が、小馬鹿にしてる意味が、分かったらおかしくて」

「お前なぁ~」

羅偉の手が伸びて来たが、ヒラリと避けて、部屋に向かった。

「んじゃ。早く帰るんだよ?おやすみ」

何か言いたそうな羅偉を置き去りにし、障子を閉めて、術を掛けてから、布団に入った。
羅偉は、暫く縁側で、夜空に浮かぶ月と星を見上げていた。
次の日。
早々に朝食を終え、書類に、判を押したり、訂正したりと、出来る仕事をやっていると、修螺と雪姫が遊びに来てしまった。

「ちょっと待ってて」

二人を待たせながらも、とにかく仕事を終わらせると、疲れの波が押し寄せ、畳の上にうつ伏せに寝転んだ。

「つ…疲れた…」

「大丈夫?」

「なんとか…」

「本当に大丈夫?」

二人に心配され、背中を優しく、擦られてると、季麗がやって来た。

「何してんだ」

「疲れちゃって」

「なんで、そんなに疲れてんだ」

「溜まるに溜まった仕事で」

季麗は、盛大な溜め息をつくと、傍に屈んだ。

「全く。これだから、人間は、ひ弱だの、非力だの、良くない事ばかり言われるんだぞ」

背中に手を翳されると、その場所が、ポワンと暖かくなり、それが全身に広がる。

「あったかぁ~い」

「少しは楽になったか?」

翳していた手が離れ、起き上がってみると、さっきよりも、体が軽くなっていた。

「スゴ~い。癒し?」

「ただ温めただけだ」

「なんだ」

雪姫と修螺に向き直った。

「今日は何する?」

「あのね?僕…お願いがあるんだ」

「お願い?なに?」

「智呂ちゃんや雪姫ちゃんが、蓮ちゃんに、術を教えて貰いなって」

「なんで?」

「蓮ちゃんは、凄い術の使い手で、教えるのも上手だって。だから、僕にも教えて?」

酒天の話が、修螺に、強い意志を芽生えさせたのを感じ取り、嬉しくて頬を緩め、修螺の手を握った。

「そっか。じゃ、やってみよう」

「はい!」

元気に返事をした修螺を連れ、庭に移動した。

「じゃ、ちょっと打ち込みしてみようか」

「はい!」

そのままの体勢で、修螺は、拳を突き出す。
全く体術を知らないことを理解し、基礎を一つ一つ、手本を見せながら教えると、飲み込みが良く、すぐに基礎を覚えた。

「それじゃ、少しだけ、手合わせしてみようか」

「え…応用とかないの?」

「あのね?体術は、手合わせをしながら、基礎を自分なりに、組み合わせて使うの」

不安そうに、下を向いてしまった修螺の前に屈み、視線を合わせ、その頭に手を乗せた。

「大丈夫。ゆっくりやってみよう。ね?」

修螺がゆっくりと頷いたのを確認して、少し離れた所に立ち、向き直った。

「反撃しないけど、邪魔するから、上手く避けてね?んじゃ、どっからでも、どうぞ」

「はい」

教えた通りに、足を広げ、腰を落として構えると、真っ直ぐ飛んで来た。
しかし、周りを気にする余裕のない修螺は、とにかく、突っ込んで来るだけだった。
片足を引き、腰を落とし、天戒の時と同じように、足を払い、修螺を転がした。

「残念。頭から突っ込んで、他が疎かになったらダメだよ?」

「はい」

今にも泣きそうな顔で、グッと涙を堪えて、震える声で、返事をした修螺に、優しく微笑んで、手を差し出した。
修螺を起き上がらせ、服に付いた砂を払い落とした。

「何が得意?」

「え?」

問いの意味が理解出来ず、首を傾げる修螺に微笑み、繋いだ手を包み込むように、両手で握った。
その手に意識を集め、修螺の内に秘められた力を呼び覚ます。

「…温かい…」

「想像してみて?」

「何を?」

「君が使いたい術を」

包み込まれた手を見つめ、頭の中で、イメージを始めた修螺の体に、ゆっくりと熱が集まり、それを手へと誘う。

「自分を信じて?大丈夫だから」

言葉力を込め、修螺の中で、力を共鳴させ、力を増幅させる。
修螺は、少しずつ自分の力を実感し、嬉しそうに微笑み、目を閉じると、手から、全身に巡る暖かさに身を委ねた。

「…もう大丈夫?」

「はい」

微笑み合ってから、視線を上げ、手招きし、近付いた雪姫を修螺と並ばせた。

「修行は、これくらいにしてさ。少し遊ぼうか?」

その提案に、喜びを現したのは、雪姫だけで、修螺は、少し残念そうに眉を寄せ合い、困った顔をして、視線を下げてしまった。

「前に、姫ちゃんとした遊び。やってみない?」

雪姫は、その仕草の一つも、溢す事なく話し、更に、修螺も、同じ遊びをしてみたいと、変な確信があった。

「はい!!」

修螺は、頬を赤らめながら、嬉しそうに笑って、返事をした。

「よし。じゃ、この前と同じように、池の方に…」

その時、神経を逆撫でするような気配に、肌を真っ黒に焦がすような妖気を感じ、二人を抱え、その場から飛び退いた。
ほんの一瞬でも反応が遅れれば、二人を巻き込んで、この世から消滅していた。
縁側に二人を乗せ、横目で見ると、立っていた場所が、黒く、爛れたように、地面が溶け、そこから黒い煙が上がっている。
その煙の向こう側で、悪妖が、屋敷の方を睨むように立っていた。
その瞳は、正気を失い、意識がない。
魔石に喰われてしまった悪妖だ。

「何者だ!!」

季麗の大声が響き、雪姫の母親が、近くの部屋から縁側に顔を出し、庭の光景に、驚いて目を大きくさせた。

「雪姫!!」

驚きと焦りで、大声を上げた母親に向かい、悪妖は、腕を振り上げ、長く伸びた爪が振り下ろされる瞬間、季麗が間に入った。
その手が悪妖の懐に当てられ、火の玉が放たれた。
至近距離で、放たれた火の玉の勢いが、悪妖を吹き飛ばしたが、その熱風は、辺りに広がった。
二人を抱え、雪姫の母親の所に向かい、三人を包むように結界を張ったが遅かった。

「大丈夫ですか?」

「…は…いっ!」

母親が押さえた腕には、軽い火傷を受けていた。
それを包むように触れ、淡い光を放ち、火傷を治しながら、横目で、後ろに視線を向けると、季麗と対立している悪妖の背から、虫のような羽が生え始めていた。

「大丈夫か!!」

騒ぎを聞き付け、朱雀が近付き、季麗の背中に視線を向けた。

「すみません。あとお願いします」

「え?!あ!!おい!!」

朱雀に、三人を任せ、火柱を上げようと、手を空に翳す季麗の腕を掴んだ。

「だめ」

「今やらなくてどうする!!」

「そんな大技出してどうすんの!!周りを見なさい!!」

後ろの縁側で、朱雀と一緒にいる雪姫と母親の不安そうな顔が見え、季麗は、悔しそうに顔を歪めた。

「なら、どうするば…」

「朱雀さんと一緒に姫ちゃん達を守ってて」

季麗の腕を離し、悲鳴に近い、雄叫びを上げる悪妖を見据えた。

「だが…」

「皆のおかげで、十分、力を蓄えられた。大丈夫。だからお願い。朱雀さん達の所へ」

優しく微笑むと、渋々、季麗は、縁側の方に向かった。
その背中を見つめ、季麗が、結界の近くで、立ち止まるのを確認し、小さく、布を捲るように指を動かすと、そよ風で揺れるカーテンのように、結界が揺れ、季麗を結界の中に閉じ込めた。
どうって事もないのだが、この里では、とても珍しいようで、そこにいた誰もが、驚きで言葉を失った。
そんな季麗達に向かい、小さく微笑み、化け物に変わり続ける悪妖に、視線を戻し、手を合わせた。

「我、御霊よ。黄泉より、我、元に集え。我、意志に舞え」

淡く、蒼白い光に包まれ、その強さが増す。
その時、悪妖は、完全に虫の化け物と成り果て、雄叫びを上げ、空へと飛び上がり、一気に降下して来た。

「蓮花!!」

「誘え。狭間の世界へ」

辺りの砂を巻き上げ、強い風が吹き荒れ、目が眩む程の光が、辺りを包んだ。
季麗達が、目を閉じたのは、ほんの一瞬で、目を開けた時には、結界も、化け物も、庭先から消えていた。
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