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二十一話

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目を覚ますと、八蜘蛛と妃乃環によって、準備が整えられ、結界強化を行い、全てが終わってから、縁側で風を浴び、斑尾の膝の上で、微睡んでいると、大きなアクビが出た。

「疲れたなら寝るぞ」

父親のような斑尾に、優しく頭を撫でられ、静かに頷き、布団に戻った。
斑尾は、動物の姿になろうとしたが、それを拒むように、その袂を掴んだ。

「蓮花…」

首を振ると、斑尾は、鼻で溜め息をつきながら、優しく微笑んで、人の姿のまま、隣に寝転んだ。

「…歌って…子守唄…」

ウトウトする中で、おねだりをすると、斑尾は、鼻で溜め息をつき、ゆっくりと、子守唄を歌い始めた。
優しい声色の中、暖かな斑尾の腕に抱かれ、ゆっくりと目を閉じ、小さな幸福を感じながら、安らぎに身を落とした。

「…斑尾…大好き…」

無意識の中で、本音を呟いた。

「…我もだ。我も大好きだぞ。蓮花…」

しっかりと寝てしまい、斑尾の本音は届かず、額に、そっと触れた唇にさえ、気付くことはなかった。
次の日。
目を覚ました時、斑尾の姿はなく、洗面所に向かうと、近くにあった洗濯カゴをひっくり返し、その上に乗って顔を洗った。
小さな体では、何かと不便だが、そんなことを言っても、何も変わらない。
諦め半分で、台所に向かうと、帰ったはずの菜門がいた。

「おはようございます」

ニッコリ笑う菜門を見上げ、首を傾げると、クスクスと笑った。

「今朝早くに帰って来たんですよ」

「そう…斑尾は?」

「さぁ。僕が来た時には、何処かに出掛けた後のようでしたが」

「何時?」

今度は、菜門が首を傾げた。

「何時に来たの?」

質問の意味を理解し、菜門は、壁に掛けてある時計を確認した。

「二時間くらい前ですね」

「そっか。ありがとう」

「蓮花さん」

何もなかったかのように、部屋に戻ろうとしたが、呼び止められ振り返ると、菜門は、ニッコリ笑って、椅子を引いた。

「朝食。まだですよね?」

「でも…」

菜門がいるということは、季麗達もいる。
斑尾のいない状況で、季麗達と一緒にいるのは抵抗があった。

「大丈夫ですよ。一人にしてしまうのは、忍びないですが、蓮花さんには、ここで食べてもらいますから」

「でも…それじゃ…皆が…不満なんじゃ」

そんな不安を口にすると、菜門は、優しく微笑んで、視線を合わせるように屈んだ。

「大丈夫です。皆で話し合って決めたので。蓮花さんは、安心して下さい」

驚きと喜びが、同時に込み上げた。

「言い出したのは、皇牙と季麗なんですが、羅偉や影千代も、同じ事を思ってたらしくて、ここに来て一番に決まりました」

皇牙は、そんな感じがあったが、まさか、季麗や羅偉までもが、そんな風に考えていたのは意外だった。

「…ありがと」

ニッコリ笑うと、菜門の頬が桃色になり、更に、嬉しそうに目を細めた。

「いいえ。どういたしまして。それでは、座ってもらえますか?」

「うん」

急いで椅子に座る姿は、本来の子供、そのものだ。
菜門は、目を細めてから、テーブルに玉子焼きや味噌汁を並べた。

「どうぞ」

「頂きます」

手を合わせてから、味噌汁を啜り、玉子焼きや煮物などを口に運んだ。

「あ。起きたんだね」

そこに、皇牙が食器を持って現れた。

「おはよ」

「おは…よう」

「じゃ、ゆっくりね?」

皇牙は、流しに食器を置くと、さっさと台所を出て行った。

「それじゃ、僕も、居間の方に行きますね?食べ終わったら、そのままにしてて下さい」

菜門も、台所から出て行ったが、食事を続けた。
時計の針が、時を刻む微かな音がするだけで、無音になり、八蜘蛛や慈雷夜達の気配もせず、寂しさが込み上げた。
そんな孤独感が食欲を削り、半分以上が残っている皿を見下ろしたまま、箸を止めた。
これが当たり前だと、これが普通なのだと、大人は、割り切って生活しているが、子供は、そんな風に割り切れない。
普段と見える景色の違うだけで、まだ六つの子供であると、痛感してしまい、次第に、気持ちまでもが、子供に戻してしまう。
全てをそのままにして、居間に向かい、入口から、そっと中を覗き見ると、影千代が、一人で本を読んでいた。

「食い終わったのか」

じっと見つめると、影千代も見つめ返したが、すぐに本に視線を戻した。

「菜門なら、庭で洗濯干してるぞ」

「…何…読んでるの?」

視線を向けた後、自分の手元を見てから、本を持ち上げ、本背表紙を見せた。

「…人間世界の…見聞録?」

「あぁ。最近、里で流行ってるらしい。葵にススメられた」

そのタイトルに興味が湧き、ソロソロと、影千代に近付き、脇から覗いてみた。

「近年の人間は、事ある毎にぐろーばる化と称し、国外文化を取り入れようとする傾向があり、その…」

書かれている内容に、夢中になり、無意識の内に、影千代の膝に手を乗せ、身を乗り出して読んでいた。

「面白いか?」

「うん。よく書けてると思う」

「そうか。読んでみるか?」

影千代に、本を差し出されたが、首を振った。

「まだ、読み途中でしょ?」

「読み直すから良い」

「…ありがと」

影千代から本を受け取り、その背中に寄り掛かって読み始めると、一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに無表情に戻り、溜め息をつきながらも、そのまま座っていた。

「影千代。蓮花さんを知りませんか?」

テーブルに残されていた朝食を発見し、菜門が居間に顔を出すと、影千代は、自分の背中を指差した。
首を傾げながらも、影千代の背中を覗き込むと、本を広げたまま、スヤスヤと昼寝をしていた。
その姿に、菜門は、クスクスと笑った。

「笑ってないで、なんとかしてくれ」

「はいはい。ちょっと、待ってて下さいね」

一度、居間を出て、タオルケットを持って戻って来る。

「ゆっくりですよ?」

影千代が、ゆっくり背中を丸め、隙間が出来ると、菜門が手を差し込んだ。

「そのまま、ゆっくり離れて下さい」

影千代が、離れると、座っていた座布団を二つ折りにして、それを枕代わりに寝かせ、静かにタオルケットを掛けた。
一切、起きない様子に、菜門と影千代は、クスクスと小さく笑った。

「お疲れ様でした。大丈夫ですか?」

「あぁ。多少、肩は凝ったが問題ない」

「呼べば良かったのに」

「真後ろで寝てるのに、大声出せないだろ」

「それもそうですね」

「菜門。昼飯…」

「シィーーーーー!!」

二人が、同時に、唇に指を当てると、羅偉は、口を手で覆った。

「なに?どうしたの?」

菜門が指差した先を見て、皇牙は、納得したように頷くと、横に屈んだ。

「無邪気だねぇ。ホントに、子供みたいだよ」

「本当に子供なんですよ」

縁側から現れた雪椰は、そっと皇牙の隣に座った。

「成長しないってことは、今の蓮花さんは、六つの時のままなんですよ」

雪椰が、哀しそうに目を細めると、羅偉が首を傾げた。

「だけどさ。コイツ、普通に生活してたじゃん?成長しないってことは、そんな生活も出来ないんじゃねぇの?」

「羅偉ちゃん。俺ら、いつから大人?」

「いつって…学問所の卒業からだろ」

「なら、蓮花ちゃんも同じじゃない?」

学校を出てしまえば、人も妖かしも、大人として扱われる。
本来は六つであっても、この世では三十路間近で、学校なんて、とっくに卒業している。
本人の時が止まっていても、周りの時が流れていれば、当たり前に始まる。
その波に乗らなければ、逆に怪しまれ、病気だと疑われてしまう。

「私達の寿命と、人間の寿命は、天と地程の差があり、人間が、寿命を全うして、黄泉に向かう中、私達は生き続ける。それと同じなんですよ」

「そっか。じゃ、コイツは、周りが大人になるから、自分も大人のフリしてるのか」

「そうじゃなくて、自分を大人だと思って、生活してるってことだよ。だから、体が小さくなれば、見える景色の違いで、本来の蓮花ちゃんになってる。ってことでしょ?」

皇牙の説明で、雪椰は、優しく微笑み頷いた。

「蓮花さんは、大人であって子供なんです」

「なんか、ややこしいなぁ」

「お前と同じ、小鬼だと言うことだ」

「小鬼じゃねぇ!!」

「シィーーーーー!!」

季麗の挑発に、大声を出した羅偉は、急いで、自分の口を塞いだ。

「これくらいで騒ぐな。起きてしまうだろ?小鬼が」

羅偉を挑発する季麗を睨み、影千代は、溜め息をつき、菜門と皇牙は苦笑いを浮かべた。

「季麗。凍らせて池に沈めますよ?」

雪椰は、微笑んでいるが、背中に寒気が走る程、目が怒っていた。
それからは、皆、小声で話をし、なるべく音が発たないように動き、静かに過ごした。

「…か…れ…か…れん…れんか…蓮花」

斑尾の声に誘われ、目を開けると、優しい微笑みがあった。

「…おかえり」

「ただいま。寝るぞ」

「うん」

斑尾に抱っこされ、部屋に戻り、一緒の布団で寝る。
その次の日も、体は戻らず、斑尾達も仕事に追われ、家にいるのは季麗達だけだった。
昔の恐怖が消えた訳ではないが、季麗達の気遣いが、それを和らげ、彼等の優しさが、安心感を与えた。

「蓮花。団子食うか?」

影千代の背中に寄り掛かり、本を読んでいると、羅偉が、団子の乗った大皿を持って来た。

「みたらし?」

「あぁ。食うか?」

「うん」

本を床に置き、影千代の背中から離れ、ちゃぶ台に向かって座ると、大皿が置かれた。

「頂きます」

口に入れると、しょっぱさと甘さが程良い感じで、食欲を刺激する。

「おいしい~。手作り?」

「そう。俺が作ったんだ」

「でも、餡は、菜門さんでしょ?」

「まぁな」

「だよね。影千代さんもいる?」

「いらん」

自分の持つ団子を差し出すと、影千代は、そっぽを向いて呟いた。
その頬は、ほんのり桃色になっている。

「そっか。おいしいのに」

「あれ?美味しそうなお団子だね」

「うん。羅偉が作ったんだって」

「へぇ。小鬼が」

そこに季麗も来て、ニヤリと笑った。

「珍しいこともあるもんだ」

「季麗!!」

「なにが?何が珍しいの?」

「さぁ?俺は、分かんないな」

季麗を睨んでる羅偉の代わりに、皇牙に聞いてみたが、はぐらかされてしまった。
そんな中、菜門が、色々な菓子を乗せたお盆を持って来た。

「色々出てきたんですが、食べますか?」

そちゃぶ台に、それらが広げられた。

「いいの?」

「えぇ。皆で食べましょう。皇牙。雪椰を呼んできて下さい」

「分かった」

皇牙に呼ばれ、雪椰も、居間に来る頃には、羅偉や影千代も、ちゃぶ台の菓子を食べていた。

「あ!!季麗!!俺の大福!!」

「誰も、お前のなどと言っておらんだろ」

「影千代ちゃん。煎餅ばっかり」

「皇牙は、プリンばかりだ」

子供より子供っぽい大人の中で、好きな物を食べるのは気が引ける。

「どうぞ」

菜門さんは、菓子を渡してくれる。

「ありがと」

「筒羊羮もあるんですね?」

菜門から受け取った菓子を食べながらも、その名前に、目を輝かせた。

「蓮花さん。お好きでしたね?どうぞ」

「ありがと。おいしい~」

雪椰が取ってくれた筒羊羹を食べ始め、頬が緩むと、両隣の二人は、お茶を啜ってニッコリ笑った。

「蓮花ちゃんって、小さくても可愛いね~」

皇牙の呟きに、二人も、同意するように頷いた。

「本当ですよね」

「可愛らしさに、凛々しさもあって、子供ながらに美しい。そんな感じですね」

「…やめてよ…恥ずかしい…」

三人に見つめられ、気恥ずかしさで、頬が熱くなる。

「良いじゃん。本当に可愛いんだから」

三人の視線から、逃れるように、下を向きながらも、食べるのを止めず、ひたすら、目の前に広がる菓子を食べ続けた。
そんな時間を過ごし、夕方に、斑尾が帰ってくると、ずっと後を引っ付いて歩く。
それから二日後。
体が元に戻り、外に出歩く事も、仕事も出来るようになり、今までと同じ、日常を取り戻したと思っていた。
だが、その日常は、すぐに崩れ落ちた。
季節の変わり目。
冷たい風が吹き抜け、雨の降る日が増え始めた。
あれから、季麗達は、家と里を往き来していて、目まぐるしい日々を送っていた。
時々、朱雀達から手紙が届き、里の近状報告と里での出来事が綴られていた。
その手紙を読む度、月蝶の影響がないのを知り、心底、安心していたが、未だに、捕まえることが出来ずにいた。
その日も、朱雀から手紙が届いた。

「ねぇ。この月下の日和ってなに?」

隣でテレビを観てる季麗に聞くと、六人は大きく頷いた。

「もう、そんな時期か。早ぇな」

「そうですね」

首を傾げていると、菜門が、ニッコリ笑った。

「月下の日和とは、鎮霊祭と同じような行事ですよ」

亡くなった妖かしに敬意を表し、提灯に詩を乗せて、空に飛ばす行事。
里では、毎年、この時期になると、沢山の提灯が空を飛ぶ。

「その光景は、本当に儚くて、美しいんだよ」

雪椰の説明と皇牙の様子で、想像することが出来たが、朱雀の手紙には、それを行う時だけでも、族長達を帰還させるようにと、書かれていた。
それは、彼等の仕事なのだが、この我儘な族長達は、言うことを聞いてくれない。

「それって一晩だけ?」

「飛ばすの自体は、一晩だけだけど、準備とかあるから、実質二日くらい掛かるよ?なんで?」

「なんか、その期間だけ、君らを帰してくれって」

「朱雀の奴。余計な事を」

「帰んないの?」

「俺らがいなくても、篠達がいれば大丈夫だよ」

朱雀達は、彼等の扱いを良く分かっている。

「でも、そうゆう行事は、族長っていなきゃダメじゃないですか?」

「大丈夫だって」

正論をいくら言っても、彼等の反応は、朱雀達とあまり変わらない。
それならば、少し言い方を変えれば、良いだけだ。

「そっか。見てみたかったのになぁ~。残念」

わざとらしく溜め息をつくと、六人の態度が、ガラッと変わった。

「それって、いつだっけ?」

「二日後だってさ」

「そういえば、その時、丁度、用事がありました」

雪椰が切り出すと、季麗達も、口々に帰ると言い始め、さっきまで、帰らないと言ってたのが嘘のようだ。

「なんだ。皆、帰るんだ」

「あぁ。丁度、用事があってな」

「そっか。大変だね」

さっさと自室に戻り、朱雀に、経緯を説明した上で、彼等が帰還することを手紙に書き、庭先にある池の前に屈み、水面に手を翳した。
水面に波紋が広がり、それが落ち着くと、ゆっくりと覇稚が顔を出した。

「あいよ」

「いつもすみません。朱雀さんに、お願いします」

「おうよ」

手紙を受け取り、覇稚は、静かに戻って行った。

「おい」

部屋に戻ろうと、縁側に足を乗せたところで、季麗が声を掛けた。

「教えてやる」

意味が理解出来ず、首を傾げると、季麗は、鼻で溜め息をつき、腕組みをした。

「俺が、月下の日和を教えてやると言ってるんだ」

天の邪鬼な季麗は、一緒に行きたいが、素直に言えない。

「用事があるんでしょ?無理しなくていいよ。修螺とか、姫ちゃんに教えてもらうから」

「用事など、すぐに…」

「別に、季麗じゃなくても、皇牙さんや菜門さんに教えてもらえばいいし」

季麗の眉間に眉が寄り、不機嫌な顔になった。

「と言っても、二人も忙しそうだし。季麗の用事が、早く終わったら教えて?」

季麗に近付き、上目使いに見上げると、その頬は桃色に染まり、照れてるように、そっぽを向いてしまったが、口元は、ニヤけるのを我慢しているのが、よく分かる程、ふにゃふにゃと動いていた。

「仕方ない。連れてってやる」

季麗から離れ、ニッコリ微笑む。

「有難う」

満足したようで、季麗は、片頬を引き上げて、ニヤリと笑った。

「蓮花ちゃ~ん」

そんな時、部屋の襖をノックして、皇牙の声が響いた。

「それじゃ」

季麗に手を振り、部屋に戻ると、襖を開けた。

「今、大丈夫?」

「大丈夫ですよ。何か?」

「明日って、なんか予定ある?」

「んと~。とりあえず、いつも通りですけど。どうしてですか?」

こっちもかいとツッコミたくなるのを堪え、わざと首を傾げながら聞けば、皇牙の表情が明るくなる。

「なら、明日、一緒に里に行かない?」

「里に?なんでですか?」

「月下の日和で、飛ばす提灯の準備。一緒にやろうと思ってさ」

ニコニコする皇牙の笑顔に、有無を言わさぬ圧を感じる。
そんな皇牙の笑顔は、断りづらいが、ちょっとした意地悪をしたくもなる。

「でも、一応、仕事あるんですよね~」

「そっか~。ん~…どうしようかな…」

予想に反して悩み始めた皇牙に、更に、意地悪をしたくなるが、あまりやり過ぎると、嫌味になってしまう。

「じゃ、仕事が早く終わったら、一緒にやりましょうか」

ニッコリ笑うと、皇牙も、嬉しそうに微笑む。

「って言っても、さっき、季麗に誘われたので、どうなるか分からないんですけどね」

「季麗ちゃんが?」

「えぇ。教えてやるって」

一瞬、無表情になった皇牙に、首を傾げようとした時、雪椰がやって来た。

「皇牙。抜け駆けですか?」

「のつもりが、季麗ちゃんに先越されちゃった」

皇牙がニッコリ笑って、視線を向けると、雪椰の顔色が変わった。

「そうですか」

ニコニコと笑ってはいるが、雪椰から、冷たい冷気が流れ出る。

「雪椰ちゃん」

冷たさで足元から寒くなり、足同士を摩っていると、皇牙が、雪椰を突っついて、それを指差した。

「失礼しました。大丈夫ですか?」

雪椰の冷気は止まったが、まだ少し寒いが、誤魔化すように、苦笑いを浮かべた。

「ところで、何かご用ですか?」

「はい。しかし、その前に、季麗に用事が出来ました」

雪椰の用事も、月下の日和が云々の約束だろう。
更に、季麗の用事も、その事なのは、容易に予測出来た。

「俺も。季麗ちゃんに、用事が出来ちゃった。それじゃね」

ニコニコと笑っているが、殺気と冷気を振り撒いて、二人は、廊下を戻って行った。

『長者組は、怒っと怖ぇから気を付けろよ?』

雪椰、皇牙、菜門の三人は、自分や影千代よりも、年上だと教えられ、更に、普段は、穏やかで優しいが、怒らせると怖いと、前に、羅偉が言っていた。

「…笑ったまま怒ってれば怖いね」

廊下を曲がった二人には、聞こえないように呟き、静かに襖を閉め、一人になってから、溜め息をつき、仕事を始めた。
雪椰と皇牙が、季麗の部屋に向かう途中で、菜門と出会した。

「…てな訳でね」

「なるほど。では、その件に関しては、皆で話し合いましょう」

「そうですね」

菜門が羅偉と影千代を呼びに行き、皇牙と雪椰は、季麗を部屋から引っ張り出した。

「季麗。なんのことか。分かってますよね?」

三人の向かいに、季麗を挟んで、影千代と羅偉が座ると、菜門が、ニコニコと笑いながら、首を傾げて聞いたが、考えようともしなかった。

「さぁな」

「季麗。蓮花ちゃんの所に行ったよね?」

呼び捨てにする皇牙の顔は、微笑んでいるようで、目は怒っていたが、季麗は、なんてことないように鼻で笑った。

「さっき行ったぞ」

「蓮花さんと約束しましたね?」

雪椰の一言で、両脇の二人は、状況を理解した。

「抜け駆けかよ」

「そんなもんはしてないぞ?」

「蓮花ちゃん本人が言ってたんだけど?」

「アイツがねだったのだ」

「蓮花さんは、そんなことする方じゃないですよ?」

「アイツも、やっと俺の魅力に気付いたのだろう」

「魅力云々の問題じゃないですよね?」

訳の分からない押し問答は、聞いてるだけで、馬鹿らしくなる。
そんな四人の会話に付き合わされる羅偉と影千代は、うんざりした様子で、密かに溜め息をついた。

「そういう、お前らは、何しに蓮花の所に行ったのだ」

季麗の反論で、囃し立てていた雪椰達が、押し黙り、互いに視線を合わせた。

「お前らだって、蓮花と約束をしに行ったんじゃないのか?」

抜け駆けだと騒いでいたが、指摘されると、三人は視線を泳がせた。

「それを俺だけが、悪いような口ぶりで言うのは、ちょっと違うんじゃないか?」

季麗の言い分に、両脇の二人は、更に溜め息をついた。

「ですが、一番に誘いに行ったのは、季麗じゃないですか」

「俺じゃなかったら、皇牙が、先になっただろ」

「それは、そうかもしれないけど…」

「何してる」

そんな状況に、帰ってきた斑尾が、電気が金光と点いてる居間に顔を出した。

「抜け駆けだの、なんだのと、季麗と三人が、無駄な押し問答してたところだ」

影千代の説明で、斑尾は、盛大な溜め息をつき、長者組の三人を見下ろした。

「阿呆。お前らが、そんなで、どうするのだ」

「すみません」

斑尾に叱られ、シュンと肩を落とす三人から、季麗に視線を移し、両脇の二人も見つめてから、更に、大きな溜め息をついた。

「稚児でもあるまい。全員で、連れ行けば良いだろ」

「ですが、里に戻れば、バラバラになってしまいます」

「約束しとかないと、蓮花ちゃんと過ごせないんだよね」

また雪椰達が、口々に不満を言い始め、斑尾の苛立ちが積もるに積もり、限界を超えた。

「いい加減にしろ!!」

斑尾の怒鳴り声は、家中に響き渡り、慈雷夜や八蜘蛛が、人の姿となって現れた。

「どうかしましたか?」

「外にも、響いてたわよ?」

「すまん。実はな…」

斑尾から説明されると、二人も、溜め息をついて、蜘蛛の姿になった。

「あまり騒がないで頂戴。近所迷惑よ」

「すまん」

二人が天井裏に消え、斑尾は、フゥ~と息を吐き出して、六人に、顔を向けると、額に手を当てた。

「そんなことをやってる暇があるなら、さっさと寝て、明日に備えろ」

天井裏に消えた二人が、居間から出て、部屋に向かう斑尾の肩に降り立った。

「さっきは、すまんかったな」

「とりあえずは、理苑の結界で、抑えられていますが、限度があるのを忘れないで下さい」

「分かっておる…そういえば、蓮花はどうした」

「もうお休みになられてますよ」

「起こしてしまったか」

「理苑が、気を利かせてくれたわよ」

「そうか。すまん」

「私らじゃなくて、理苑に言うことね」

「あぁ。休んでたところ、すまなかった」

「いえ。事情が事情ですから」

「そんな事より、どうするのかしら?」

「蓮花の事だ。里の奴にでも、頼まれたんだろ」

「そうであっても、彼らの事です。蓮花様が行かなければ、戻らずに終わるでしょう」

「だな」

「でも、仕事があるから、一緒に行く事は、出来ないんじゃない?行くとしたら、蓮花様が一人で向かわれてしまうわよ?」

「だな」

「良いのですか?」

「何がだ」

「蓮花様をお一人にして」

「仕方ないだろ」

「しかし…」

「アイツは、子供かもしれんが、この世では、良い年した大人なんだ。深く関わりすぎるのも良くない。好きにさせてやれ」

そんな風を言っているが、斑尾の横顔は、一緒に行きたいのを我慢し、強がっているのを物語っていた。

「強がっちゃって…」

「何か言ったか」

「いいえ?何も」

小さな呟きさえ、斑尾は、逃そうとしなかったが、八蜘蛛は、それを誤魔化して、また天井裏に向かった。
慈雷夜も、同じように天井裏へと消え、大きな溜め息をつき、襖を開けると、静かな寝息が聞こえた。
その寝顔に、斑尾は、安心したように微笑み、姿も変えず、横になり、静かに目を閉じた。

「心配なくせに」

「仕方ないですよ。私達と違い、斑尾は、素直になれないのですから」

「…そうね」

そんな斑尾を静かに見下ろし、八蜘蛛と慈雷夜は、それぞれの寝床に向かった。
雀の囀りが聞こえ、斑尾は、静かに目を開け、目の前にある寝顔に、優しく微笑み、体を起こし、押し入れに入ってる箪笥を開けた。
タオルを取り出し、洗面所に向かい、服を脱ぎ捨てると、引き締まった体が露になった。
無駄な肉が全くない背中は、見た目よりも華奢だが、ゴツゴツとして男らしい。
頭からシャワーを浴びると、その背中をいくつもの筋が流れ落ちていく。
シャワーを止め、髪を掻き上げ、フゥ~と息を吐き出し、乱暴に、体を拭いて、着替えを済ませて、洗面所を出ると、八蜘蛛が、脱衣所の前で待っていた。

「ずいぶん早いのね」

「こんな時もある」

乱暴に頭を拭きながら、部屋に向かう斑尾を見送り、八蜘蛛も、シャワーを浴びに、浴室へと消えた。
それぞれが、出勤の準備をしてる中、斑尾は、一足先に事務所に向かった。

「今日は早いな」

普段よりも早く出勤した斑尾に、亥鈴と理苑が、ニヤリと笑うと、ムッと不機嫌な顔になったが、仕事を始めた。
出勤して来た八蜘蛛や慈雷夜達も、密かに笑っていたが、白夜と流青は、そんな斑尾の様子に、少し怯えていた。

「おはよう」

事務所内が、バタバタと慌ただしくなり、忙しさに紛れて、誰もが普段通りに戻った。

「蓮花。もう帰って良いぞ」

デスクの時計を確認すると、もうすぐ十二時になるところだった。

「まだ十二時じゃん。早すぎでしょ」

「アイツらの里に行くんだろ?帰さなきゃ煩くなる」

イライラし始めた斑尾の様子に、首を傾げると、ニッコリ笑った理苑の手が、肩に乗せられた。

「約束したんですよね?なら、行ってあげないと可哀想ですよ?」

「でも…」

「蓮花さんは、出来ない約束をするんですか?」

「しない。出来ないなら、約束なんてしない」

「ならば、斑尾が行けと言っているんですから、今の内に行って下さい。こちらが、煩くなってしまいます」

理苑を睨む斑尾を見つめ、首を傾げながらも、帰り支度を始めた。

「それじゃ、あとはよろしく」

退社すると、斑尾は、自分のデスクで、頭を抱えるような仕草をして、盛大な溜め息をついた。

「自分が言った事ですよ?」

「分かってる。男に二言はない。外回りついでに、昼に行ってくる」

書類を突っ込んだ鞄を持ち、事務所を出て行く斑尾を見送り、理苑は、溜め息をついた。

「まったく。素直じゃないねぇ」

困った顔の理苑に、妃乃環が声を掛けた。

「そうですね。そんなに落ち着かないなら、あんなこと言わなきゃ良いのに」

「ホントだよ」

二人で溜め息をつき、疲れた様子で、昼食を摂りながら、自分達の仕事を再開した。
事務所を出た斑尾は、近くのコンビニで、おにぎりとお茶を買い、公園のベンチで、一人で寂しい昼食を摂っていた。

「お前も、面倒な男だな」

外回りに出ていた亥鈴が隣に座ると、缶コーヒーを開け、斑尾に突き出した。

「いらん」

お茶を取り出した斑尾に代わり、亥鈴が、それを一口飲むと、おにぎりにかぶり付く横顔を盗み見た。

「いい加減素直になれ。頑固すぎるのも問題だぞ?」

「…我は、アイツの片腕になった時から、想いを全て捨て去ったのだ。今更、そんなこと出来ん」

想いを捨て去った。
それが、嘘だと分かる程、斑尾の表情は、暗く、苦しみに歪められた。
そんな斑尾を横目で見つめ、亥鈴は、困ったように苦笑いを浮かべ、それ以上何も聞かず、ただ流れ行く風に髪を揺らした。
十二時ちょっと過ぎ、帰宅の戸を開けた。

「ただいま~」

バタバタと足音を発てながら、真剣な顔の季麗達が走り寄った。

「なに!なに!?どうしたの?」

物凄い勢いの五人に驚き、後退りすると、皇牙に肩を掴まれた。

「ちょっと痛…」

「誰と行く」

「……はぁ!?」

季麗達は、こんなにも、くだらない事を朝から話し合っていたが、全く決まらなかった。

「それで、私に、決めさせようと?」

「蓮花さんが選んだのなら、誰も文句言いませんから」

「俺と行くよね?」

「何を言う。俺が先だぞ」

「それは、無効になっただろ」

「そうです。わざと、蓮花さんに言わせたのですから認めません」

「とりあえず、皆で…」

「「「「「却下!!」」」」」

五人の声が重なり、その勢いに、再び後退りした。

「そんな必死にならなくても…」

「大体、お前が悪いんだろ」

「私!?なんで私?」

羅偉の一言で、矛先が向けられた。

「お前が、誰も選ばないからだ」

「そうだよ。そりゃ、陰陽師の力で、契約出来ないかもしれないけどさ」

「恋人になるくらい出来んだろ」

何故、その発想になったのかは、置いといたとしても、突拍子もない発言は、思考を停止させるには充分だ。

「…な何?訳分か…」

「だって、そうでしょ」

「里の事を後回しにしてでも、傍に居座り続ける」

「その理由くらい、お前ならすぐに分かるだろう」

「それは…えっと…なんて言いますか…」

そんな風に言われても、何とも言えない。
結局、それは、彼等自身のことであって、他人が口を出せることではない。

「もう止めましょう」

庇うように菜門が、迫り来る五人を止めながら間に立った。

「とりあえず、里に向かう時は、全員で行くとして、あちらでは、仕事を終わらせた順で、ご一緒するとことにしましょう。分かりましたね?」

背を向けている菜門が、どんな表情をしてるかは分からないが、季麗達は、頬を引き攣らせながら、無言のまま頷いた。
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