黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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二十話

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鳥の姿のまま、池に浮かんでいた理苑は、そのまま死のうとしていた。
薄れる意識の中で、近付いてくる影が見え、理苑は、その影が、遠くに行ってくれることを願った。
だが、影は、そんな理苑を無視するように、何かを必死に探し始めた。

「それが、蓮花様だった」

懸命に大切な物を探し、葉をかき分け、必死になっている姿は、死に逝くことを躊躇わせた。
冷たい水の中、葉で指先を切りながらも、必死になって探し、波間に揺れる姿を見付け、その動きが止まると、理苑は、必死に逃げようとした。

『泣かないで』

優しい声が降り注ぎ、傷付きながらも、暴れる小さな体を抱き締められ、そのぬくもりに、理苑は、次第に落ち着いた。
静かに涙を流す姿は、美しく、理苑を見つめる瞳は、ガラス玉のようだった。
とても暖かく、とても優しい腕の中で、遠のく意識を必死に引き寄せ、その姿を見つめていた時、悪妖が襲って来た。
守りたいくても、体が動かずに守れない。
そこに斑尾が現れ、悪妖を追い払うと、ボロボロの理苑を見て、哀しそうに目を細めた。

『…理苑…』

『知ってるの?』

『…あぁ。かつて、共に里を創った仲間だ』

その瞳から、更に、沢山の涙が零れ落ちた。

『ごめんなさい…人の勝手で…ごめんなさい…』

ボロボロと流れ出る涙を見つめていたが、意識が遠のき、生きたいと願いながらも、理苑は、ゆっくり目を閉じた。

「そして、僕は、蓮花様の手厚い看病のおかげで、本来の姿に戻れるまで回復し、更に、長い時を掛けて、蓮花様は、僕が完治するまで、ずっと側に置いてくれたんだ」

理苑は、一度、村から離れたが、数日後、小さな花を銜えて戻ってきた。

『どうか、貴女と共に生きさせて下さい』

『…ありがとう…ありがとう…』

その時、誰の為でもなく、自分の為に生きることを選んだ理苑に、涙が溢れた。
その姿に、理苑も、涙を流し、互いに、声を震わせながら、契約を交わした。

「それが、すごく、すごく嬉しかった。僕を受け入れて、生きることを許してくれたのが、とっても嬉しかったんだ」

理苑が微笑むと、菜門も、嬉しそうに微笑んだ。

「本当に、蓮花さんが好きなんですね」

「大好きだよ。白夜達だって、蓮花様が大好き。だから、蓮花様の為になることをしたい。蓮花様が望む未来を守りたいんだ」

子供のように笑う理苑を見つめ、菜門は、優しく微笑んでいた。

「知ってる?蓮花様って、本当は、泣き虫なんだよ?前に君達からの手紙をしまってた蔵が、燃やされた時なんか…」

そこから、チビチビと酒を呑みながら、理苑が、嬉しそうに話を始めた。

「ねぇ。君達は、いつから一緒なの?」

「皆、学問所からの付き合いですよ」

「へぇ。なんで仲良くなったの?」

「確か、あれは、菜門様が、馬鹿にされた時でしたよね?羅偉様が…」

次に、菜門や哉代も、学生時代の話を始めた。

「…おい…これって、どうしたら良いんだよ…」

「…とりあえず、頃合いを見て、起きた方が良いんだろうけど…」

「…それまで、このままなのかよ…」

「…我慢しろ…」

スヤスヤ寝ている白夜達と違い、季麗達は、疲れたから横になっただけだった。
そんな時、理苑の話が始まってしまい、起きるに起きられなくなり、寝たふりをしていた。

「…肩痛い…」

「…季麗。我慢です…」

「…雪椰ちゃん。とりあえず、瓦冷やすのやめて。寒い…」

「…すみません…」

「…おい。刀が当たってる…」

「…悪ぃ…」

「…離せ。皇牙…」

「…ごめん…」

ヒソヒソと小声で話してるつもりだが、しっかり理苑の耳に届いていた。

「すみません。ちょっと御手洗いに」

いつまでも、そのままにしている訳にもいかず、理苑は、静かに屋根から飛び降りた。

「お疲れ」

「っ!!…いつから、そこにいたんですか」

指南所の縁側に座り、声を掛けると、一瞬、驚いていたが、理苑は、気まずそうな顔をした。

「ん~?大好きだよって、辺りからかな」

理苑は、頬を桃色に染めて、横を向き、視線だけを向けながら、手で口元を隠した。

「…斑尾は、どうしたんですか」

「佐久に預けてきた」

溜め息をつき、理苑が、静かに腰を下ろすと、屋根の上から、季麗達の声が聞こえてきた。

「あんなに話して良かったの?」

「良いんです」

「あっそ。じゃ、呑み直そ?静かに呑みたい」

理苑と並び、御堂の裏に移動してから、二人だけで、静かに酒を呑み始めると、亥鈴も解放され、三人で、ゆっくりとした時間を過ごしていた。

「おや?」

「先客がいたな」

「お疲れ。二人も呑む?」

暫くすると、慈雷夜と雷螺も来て、斑尾がいないことで、理苑や慈雷夜だけでなく、亥鈴や雷螺までもが、楽しそうに言葉を交わしながら、酒を堪能した。
いつの間にか眠ってしまい、目が覚めて、体を起こすと、理苑達も、周りで雑魚寝していた。
目を擦りながら、理苑達を起こさないように、静かに、その場から離れ、裏山に向かった。

「何処行く」

山に入ると、木の上から目の前に、斑尾が降り立った。

「ちょっと散歩」

「こんな時間に、一人で不用心だぞ?我も行く」

「そのまま?」

人の姿の斑尾は、ムッとしながらも、動物の姿に変わり、並んで歩き始めた。

「何処行くんだ」

「理苑と出会った場所」

指南所に向かっていた時、純白の鳥が、フラフラと、山に向かって飛ぶのを見付け、斑尾と共に追い掛けた。
その蓮池は、初めて村に来た時、叔父に連れられて行った場所でもあった。
気持ちが落ち込んだ時、斑尾と一緒に泣きに行った場所に、理苑が落ちたのは、偶然ではなく、必然だったのかもしれない。
それが理苑であったことも、斑尾のかつての仲間であったことも、運命サダメであったのかもしれない。

「なんだかんだ言って、私の運命って、華月絡みの事が多いよね」

蓮池に着き、その畔に座り、蓮の葉を見つめていると、斑尾は、鼻で笑った。

「そうだな。だが、奴らは、華月でなく、お前自身の運命だったのでないか?」

「でも、元を辿れば、黄泉の事だし。彼らは、私の運命に巻き込まれたような感じだよ。それに、アレだって、華月が取り逃がした人のことじゃん」

斑尾達と里を創り終え、本来の業務に戻ったはずの華月は、この村を創り上げると、そのまま亡くなった。
黄泉の住人となった時に、人が迷い込んだ為、対応が遅れてしまい、禁断の果実を口にした人を取り逃した。

「やっぱり、華月絡みじゃん?」

「厭か?」

「嫌じゃない。今は、華月に感謝してる。斑尾達に出会えた。彼らと過ごせた。何処か一つでも欠けてたら、絶対にあり得なかったから」

何事にも原因があり、それに対処することで、結果が得られる。
華月の子孫であったことが原因であり、その意志を受け継ぎ、歪んでしまった世に対処し、その結果、斑尾達と季麗達との時間を過ごせた。

「…そうだな」

静かな斑尾の呟きを最後に、会話は途切れ、蓮の葉が揺れるのを見つめて、風に吹かれ、葉が擦れ合う音を聞いていた。
静かな時間を過ごしていたが、突然、風が変わった。
何かに恐怖し、それを拒絶するかのような強い風に異変を感じ取り、立ち上がって、神経を尖らせる。

「…良く分かったな」

「誰だ!!」

斑尾の声に応えるように、蓮池の向かい側に現れた影に、無意識の内に力が入る。

「私を知っているのだろう?わざわざ聞くこともない」

「月蝶…貴様、ここまで来ていたのか」

禍々しいオーラを放つ月蝶は、鼻を鳴らし、嫌な笑みを浮かべた。

「お前が、夜月蓮花だな?」

「だったら、なに」

月蝶は、片頬を引き上げ、目を細めた。

「惨めだな。貴様も、そう思わないか?」

子孫に全てを託し、あの世に逝った華月を馬鹿にし、同意を求める月蝶は、強がっているようにしか見えない。

「そう?私には、貴方の方が、惨めに見えるけど」

実際、月蝶は、惨めだった。
助けてくれる友も、仲間もいない。
妖かしに嫌われ、人にも嫌われ、陰陽師の世界から追放され、封印までされてしまった。

「それは違う。奴らが愚かなのだ。掟を重んじる故、みすみす、力を見逃していたのだからな。何がおかしい」

月蝶の話し方に、クククと、喉を鳴らすように笑った。

「失礼。ますます、惨めに見えて、笑えてきちゃった」

「なに」

「だって、貴方は、それでしか自分の存在を表現出来なかった。華月のように、誰にでも慕われる存在が、疎ましくて、羨ましくて…」

今までの笑みが消え、奥歯を噛み締める月蝶を見つめ、笑みを浮かべた。

「だから、そうやって、周りを貶して、自分を正当化して、自分を固持するしか出来ない。貴方は、可哀想な人ね?月蝶」

黒いオーラが、更に大きくなり、冥斬刀を取り出したが、月蝶は、高らかな笑い声を上げた。

「そう言っていられるのも今の内だ。今に、私の方が正しいと思い知る」

笑い声を響かせながら、月蝶は、薄暗い森の中に姿を消した。

「せいぜい、頑張るんだな」

強い風が吹き抜けると、月蝶の気配は消え、穏やかな時間が戻った。

「…戻ろう」

「あぁ」

すぐさま、妖かしの姿になった斑尾の背に乗り、空から村を見下ろし、まだ何も変化のない村に安心しながら、蓬屋に向かった。
静かに離れに戻り、普段着に着替えて、浴衣を羽織る。

「これからどうする」

「白夜や亥鈴達に村の巡回をさせる。それから、出来る限り、皆について歩いて。あと、爺様方や婆様方にも知らせよう」

すぐに斑尾の背中に乗り、慈雷夜や白夜達を起こし、月蝶が現れたことを報せ、二人一組で、巡回に当たらせ、慈雷夜と理苑に、季麗や修螺達を任せ、村で一番の長老の所に向かった。

「爺様。話したいことがあります」

「なんだい?こんな朝早くから」

「実は…」

事情を全て話すと、腕組みをして、悩むように眉を寄せた。

「それは、かなり厳しい状況だな。結界を強めた方が良いか」

「それは、私がやりますから、一つ、お願いがあります」

「ほぉ~。何かな?」

「私が連れて来た妖かしを…」

「見張ってれば良いかの?」

「お願い出来ますか?」

「お安いご用じゃよ」

「それでは、宜しくお願いします」

長老の所から飛び立ち、結界の元となる蓬屋の離れに向かった。
離れの奥には、誰にも見付からない秘密の部屋が存在している。
式神である斑尾達でさえ、絶対、入ることの許されない部屋は、見ただけでは分からない。
ただの壁に、手を翳せば、印が浮かび上がる。
印を切り、光が静まると、斑尾に顔を向けた。

「待っててね?」

「分かった」

ニッコリ笑い合い、観音扉のように開いた壁の中を進む。
毎回の如く、術を行う部屋のような場所だったが、いつもと違い、棚や鏡などはなく、五芒星に蝋燭が立てられ、その中央に浮かぶ護符が、蒼白い光を放つのみ。

「我、御霊よ。黄泉より、我が身に集い、信なる力を示せ」

本来の姿になり、静かに、護符に歩み寄ると、鈴の音色が部屋を満たす。
袂から、新たな護符を取り出し、中央に向けて、それを投げると、宙を舞いながら、護符同士が重なった。
その場に胡座で座り、手を合わせて術を唱える。
何も知らない人が聞けば、お経や念仏のように聞こえるかもしれないが、古きモノには、強大な力が秘められていることもある。
大切な村を守る為、結界だけは、夜月家に伝わる強力なのを張っていた。
元々の護符に加え、更に強い護符を重ね、結界を強めれば、少し時間は掛かるが、一番安全で、確実に村を守ることが出来る。
だが、その間は動くことが出来ない。
その為、この場所には、誰も近付かないように、斑尾に、外を見張らせ、白夜達が村を巡回し、亥鈴が、全ての対応をする。
亥鈴が、対応しきれない場合は、長老や村の妖かし達が手助けをしてくれる。
多くの妖かしに支えられ、救われている。
これも、全ては、多くの命を救った華月の人柄があってのこと。
華月の足元にも及ばないが、この両手に抱えられる程の命を救いたい。
欲に溺れ、力に溺れ、命を喰らう月蝶になど、誰の命も渡さない。
二人の師範に教えられ、その命を賭けて守られた命ならば、師範の為、村の人々の為、斑尾達の為、自分の想いの為に、この村に住まい生きる全てを守る。
そんな強い想いに応えるように、護符の光が強さを増し、半目になり、その光が、集まるのを確認しながら、術を続けた。

「…結波ケッパ…」

小さなつむじ風が起こり、光の波が周囲に広がり、部屋の中に結界を張り、ここから、丸一日掛けて、村全体を覆うように広げていく。
小さな風が、木々の葉や草花を揺らし、結界の強化が始まったのを感じ取った白夜と仁刃は、空を見上げた。

「始まったな」

「えぇ…急ぎましょう」

「あぁ」

薄らと感じる気配を辿り、小さな悪妖を遠くへと追いやる。
白夜達と同様、楓雅と流青も、村の周辺から悪妖を遠ざけ、危険分子を排除していた。

「裏山の方にも、いるっぽいけど、どうする?」

「佐久がいる。ほっとけ」

「だよねぇ~」

その頃の寺では、佐久に変わり、雷螺と酒天が、指導を行っていた。

「よいか。術を使いこなすには、基礎基本をきっちり修得することで、次の術に繋がるのだ。安易に未完成の術は使うな。実戦に使う時は覚悟して使え。弱き己に負けるな」

「はい!!」

雷螺の指導に、半妖や妖かしの子供達は、元気に返事をした。

「いいか。おめぇらは小せぇ。だが、小せぇからって臆するな。小せぇなら動け。動いて動いて動きまくれ。てめぇに負けんな」

「はい!!」

酒天の前に立つ子供達が、大きな返事をすると、酒天と雷螺は、視線を合わせて頷き合った。

「では、各自、修練に励め」

「はい!!」

雷螺の一声で、寺の敷地内で、術の練習や手合わせが始まった。

「…ねぇ。慈雷夜さん。私も練習したいです」

「僕もやりたいです」

指南所の縁側から、その様子を見ていた雪姫と修螺が、慈雷夜の袂を引っ張った。

「私は良いですが、母様方には、聞きましたか?」

「大丈夫ですよ」

「駄目ですよ?ちゃんと、母様方に聞いてからでないと」

優しく微笑む慈雷夜に、二人は、急いで母親の所に向かった。

「ダメです」

「ねぇ。ママ~」

「人のいる所で、術の練習なんかしたら危ないでしょ」

「修螺もダメ。慈雷夜さんだって、毎日毎日、練習に付き合ってたら大変でしょ」

だが、母親達は断固として、首を縦に振らない。

「皆やってるじゃん」

「絶対、危なくないようにするから」

それでも、二人は、必死に食い付いた。

「ねぇ。良いでしょ~?」

「お願い。ね?」

「ダメです。ここは、里じゃないんだから、何かあったらどうするの」

「その辺は、気にしなくて良いぞ」

そこに、裏山の悪妖達を追いやり、佐久が戻ってきた。

「ここじゃ、んな事気にする奴はいない。親達も、怪我を承知の上で、指南所に通わせてんだ」

佐久が優しく微笑んで、二人の頭に手を乗せた。

「子供が離れんのは、寂しいかもしれないが、この子らがしたいって言うんなら、させてやるのも良いんじゃないか?」

佐久と二人を見つめて、母親達は、溜め息をついて頷いた。

「有難う!!ママ大好き!!」

「じゃ行ってきます」

二人は、走って慈雷夜の所に戻り、村の子供達と一緒に術の練習を始めた。

「お師匠様…」

「お前も修行して来たらどうだ」

屋根の上で、二人を見ていた天戒は、その頬を桃色に染めた。

「はい!!行ってきます!!」

天戒も敷地の隅で、修行を始め、その子供達の姿に、季麗や朱雀達も、体を動かしたくなっていた。

「なぁ。俺らもやろうぜ?」

「そうですね…」

「しかし、子供に混じって、俺らがやっても良いのか」

「別に大丈夫ですよ?」

一緒にいた理苑が、ニッコリ笑って答えると、羅偉は、嬉しそうな顔をした。

「我らも、ずっと座ったままじゃ体が鈍りそうだな」

「そうですね。なら、手合わせしますか」

「そうだな。どれ」

亥鈴が、ゆっくり立ち上がると、羅偉が隣に立った。

「それなら、俺とやろうぜ」

片頬を引き上げ、ニヤリと笑う羅偉を見下ろし、亥鈴は鼻で笑った。

「生意気なわっぱには、手加減せんぞ」

「望むところだ」

誰も何も言わないまま、亥鈴と羅偉の手合わせが始まった。

「理苑ちゃん。俺とやらない?」

「良いですよ?お手柔らかにお願いします」

「理苑ちゃんこそ、手加減してね?」

皇牙に誘われ、理苑も手合わせを始め、それを見ていた朱雀達も、手合わせを始めた。

「季麗は、やらないんですか?」

「俺は、そんなことせずとも良いのだ。雪椰は、どうなのだ」

「私は、少し動きたいですね」

雪椰が少し離れた所から、振り返ると、季麗は、鼻を鳴らしながら向かい合うように立った。

「手加減してやる」

「それは、有り難いですね」

季麗と雪椰の手合わせが始まり、残された菜門と影千代は、視線を合わせ、ゆっくり立ち上がり、軽い運動程度での手合わせを始めた。

「んやぁ~、にぎやかになったもんだなぁ」

「だが、彼らのおかげで、子達の意識も高まった」

「んだな。にしても、ありゃやり過ぎじゃねぇか?」

子供達の意欲が高まったのは、事実であったが、羅偉は、何度も大技を繰り出し、手合わせにしては、度を超えていた。

「軽くあしらわれて、頭に血が上ったようだな」

「止めるか?」

「相手は亥鈴だ。心配いらんだろ」

「んだな」

指南所が終わるまで、その光景は続き、夕暮れになると、鎮霊祭の二日目が始まり、季麗達は、村人達と一緒に過ごし、理苑や亥鈴達が村の巡回をしながら、暗闇に紛れて近付く悪妖達を追い払って過ごした。

「…やってくれたな。今に見ておれ」

そんな不気味な声など、誰の耳にも届かなかった。
次の日。
結界を強め終え、元の姿に戻ろうとしたが、戻ることが出来ず、パニックを起こしていた。

「…なんで…散れ…散れ!!散れ!!…ダメだ…」

初めて結界を張った時は、ちゃんと戻れた。
だが、今回は、何度やっても戻らない。

「斑尾…斑尾?」

壁から顔を出し、斑尾を呼んだが、何処かに行っているようだった。

「…どうしよ…」

部屋に行けば、誰かがいるが、部屋に行くまでの間、誰にも見付からない自信がない。
秘密の部屋に戻って、暫く、斑尾を待っていたが、戻って来る気配がない。
覚悟を決め、再び壁から顔を出し、誰もいないのを確認してから、部屋に向かって一気に走り出した。

「わ!!っぶねぇ。大丈夫か?」

やってしまった。
見事に、羅偉の足に、突撃してしまった。

「どうかしましたか?」

羅偉の後ろから、雪椰達も、顔を出した。

「迷っちゃったのかな?」

近付く皇牙から、後退りして離れる。

「それにしても、懐かしい格好ですね」

視線まで屈んだ菜門から、更に、後退りして離れる。

「あぁ。鈴の音も良い」

影千代の手から、逃れる為に、更に退る。

「年頃になったら、いい女になりそうだ」

イヤな笑みを浮かべた季麗から視線を反らし、足元を見つめた。

「お前。名前は?」

「おいくつですか?」

「一人なの?」

「ここに住んでるんですか?」

雪椰達の質問攻めに、一切声を出さずに、ただ足元に視線を向け、この場から逃げ出す瞬間を狙った。

「どうする?」

「とりあえず、母屋の方に連れて行こうか」

全員が立ち上がったのを見計らい、雪椰達の足元を縫うように走り出した。

「あ!待て!!」

デジャブを感じながらも、とにかく、部屋に向かって一直線に走った。
だが、簡単に追い付かれてしまった。

「イヤ!!離して!!」

襟を捕まれ、羅偉に、ぶら下げられた。

「なんだ。喋れんじゃん」

「離してよ!!」

叫んでも、暴れても、羅偉は、離してくれない。

「羅偉。それは、あまりにも可哀想ですよ?」

「あ?あぁ悪ぃ」

雪椰が苦笑いすると、羅偉は、ゆっくり腕を下ろしていく。
宙に浮いた足が床に着いた瞬間、また走り出そうとしたが、羅偉の手が、また襟を掴んで、走り出せなかった。

「大丈夫?」

心配したように顔を近付けた皇牙の鼻が、ヒクヒクと動き、冷や汗が背中を伝った。

「…君。蓮花ちゃんと仲良しなの?」

皇牙が首を傾げるのを見つめ、全身から血の気が引き、背筋が凍り付く。

「…ら…」

「ん?なに?」

「斑尾ーーー!!」

大声で、斑尾を呼んだ。

「…もしかして…」

「蓮花!!」

声を聞き付けた斑尾が、人の姿で現れ、その胸に飛び付いた。

「大丈夫だ。もう大丈夫だ」

「斑尾ちゃん」

驚いた顔をしてる季麗達を他所に、皇牙は、真剣な顔をして聞いた。

「その、蓮花ちゃんでしょ?」

「そんな…そんなはずありませんよ。蓮花さんは、もうすぐ三十路で…」

「その通りだ」

菜門の声を遮り、斑尾は、立ち上がった。

「なんで、そんな姿に」

「これが本来の蓮花だ」

斑尾に抱かれながら、視線を向けると、五人は、口を半開きにしていた。

「本来って…どうゆう事だよ」

「事情は説明する。ついて来い」

抱かれたまま、部屋に戻り、斑尾の膝の上に座ると、季麗達は、向かい合うように座った。

「蓮花は、華月の意志を受け継いだ時から、時の流れを忘れ、その時のままで、止まっているのだ」

「どうゆう事だ」

黄泉の世界には、時の流れが存在しない。
死者にとって、時間とは、不要なモノであって、無駄なモノだから、存在する意味がない。

「それと、どう関係あるの?」

護人となった者は、その任を請け負った瞬間から、黄泉の世界に留まることも多く、時の流れがあっては、体が対応しきれない為、時の流れが消えてしまう。
現世にいる間は、年齢相応の姿になることが出来るが、それは、護人となった者の力によって、保たれているだけのことで、本当に成長してる訳ではない。

「この村の結界を強化して、かなりの力を消耗した蓮花は、回復するまで、この姿のままだろう」

「だが、前回に力を使った時は、大人の姿だった。何故、今は、子供の姿なのだ」

「あの時は、現世での姿のまま、力を使い、見姿を保てなくなる前に、お前達に助けられたから、気付かなかっただけだ。結界を強化するには、あれ以上の力が必要になる為、本来の姿に戻らねばならなかった」

「でも、それは、黄泉の姿でしょ?どうやって、この世で、その姿になるの?」

「黄泉の世界より、御霊を呼び寄せ、本来の姿を呼び起こす」

「そんなこと出来るの?」

「護人は、この世に在って、この世に無い存在。御霊を呼び寄せることくらい容易い」

納得したように、頷いてる季麗達と違い、皇牙は、優しい笑みを浮かべた。

「ところで、今の蓮花ちゃんは、いくつなの?」

「六つだ」

皇牙は、納得したように、頷いていたが、季麗達の顔は、引き吊っていた。

「六つで護人に…そんな小さい頃からやってたんだ。偉いね?蓮花ちゃん」

ニッコリ笑い、顔を近付けた皇牙から、視線は反らさなかった。
だが、元々、大柄の皇牙との体格差があり過ぎ、恐怖を感じ、斑尾の胸に擦り付いてしまった。

「まだ怖いか」

「まだとは、どうゆう事だ」

「それは…その…」

影千代が眉を寄せ、斑尾が、言い淀んでいる間、ずっと、皇牙と見つめ合った。

「…何かあったのかな?」

「…襲われた…」

斑尾を見上げ、小さく頷くと、その眉間にシワが寄ったが、バレてしまったのなら、もう何も隠すことはない。

「華月の意志を継ぐ、少し前、ここに宿泊してた男の人が、この離れに忍び込んだの。その時は、迷っただけだと思ったの。でも違かった」

その男は、幼い子供を狙う変態だった。
母屋にも、同じくらいの子供はいたが、多くの大人がいて、手が出せずにいた時、離れに向かうのを見られ、後をつけられていた。
もう夜も遅い時間だった為、布団に入ろうとした時、部屋に忍び込んだ男が襲ってきた。
あまりにも、突然過ぎて、頭の中が真っ白になったが、恐怖と危険を感じ取り、抵抗を試みるも、体格差があり過ぎ、完全に、押さえ付けられてしまった。
その男が、妖かしだったならば、いくらでも方法はあった。
だが、男は人間だった為、何も出来ず、口を塞がれ、声も出せず、涙を流すしか出来なかった。
何度も、頭の中で、斑尾を呼び、助けを求めた。
そんな異変を感じ取った斑尾が、急いで戻って来てくれたおかげで、その男の行為は、未遂に終わったが、その時の恐怖が未だに、記憶に残っている。

「…蓮花。もう良い」

無意識の内に、手を握り締めていた。
優しく頭を撫でられ、その暖かさに安心すると、睡魔が襲って来た。

「…ごめんね?変な事聞いちゃって」

眠気と戦いながら、皇牙の声に、首を振り、ボーッとしていると、頭上から、優しく、甘い声色で、暖かな子守唄が降り注ぎ、夢の世界へと誘った。

「…本当に、時が止まってるんだな」

「あぁ」

スヤスヤと眠り始めると、斑尾は、羅偉の呟きに、心底、愛しそうに目を細めた。

「こんな子供を襲うなんて…何を考えてるんだ」

「そうですね」

「斑尾ちゃんは、その時、傍にいなかったの?」

「…母屋で、蓮花の叔父と呑んでいた」

「何してんだよ。んな奴がいたら、離れんじゃ…」

「羅偉」

羅偉の言葉を遮り、季麗は、首を横に振った。

「そんな奴だと知っていたら、ここに泊まることも出来なかったはずだ。だが、それを何処で知れた」

影千代の言葉に、羅偉は、グッと言葉を飲み込んだ。

「だから、斑尾さんは、ずっと側にいるんですね」

菜門の問いに頷き、また子守唄を口ずさみ、その歌声は、空高く上り、吹き抜ける風に乗って、屋根の上にいる理苑達に届けられ、更に、母屋にいる叔母達の所にも届けられた。

「懐かしいですね。斑尾の子守唄」

「あぁ」

「理苑と亥鈴は、聞いたことあるんだ」

「散々聞かされたな」

「えぇ。それこそ、飽きるくらいに」

「へぇ。そんなに歌ってたんだ」

「斑尾にとっては、蓮花様が、この世の全てだからな」

「確かにね」

クスクス笑う理苑達の声は、斑尾の歌声によって消され、季麗達にさえ、届くことはなかった。
夕暮れが近付き、空がオレンジ色に染まり始め、その暖かな光に包まれ、斑尾は、小さな溜め息をついた。

「そろそろ、帰らなければならんな。どうしたものか…」

「確かに」

「なんでだよ」

「蓮花ちゃんが、このままだと、まずいでしょ」

「だから、なんで」

「蓮花ちゃんは、この世だと、三十路前の大人でしょ?それが、一気に子供に戻ってたら、皆、どう思う?」

「それこそ、悪妖の餌食になりかねない」

皇牙と影千代の説明で、羅偉は、何度も頷き、腕組みをした。

「それに、こちらには、修羅や雪姫もいます。大人であっても、二人のお母さん達は戦えません」

「戦うにしても、こちらは、大技が使えん」

季麗達が、唸るように考え始めると、菜門が静かに手を挙げた。

「仁刃さんは、幻術は、使えないのですか?」

「一応、修得はしております」

蛇の姿になり、柱を滑り降りて、菜門に答えると、皇牙が手を叩いた。

「そっか。仁刃ちゃんが、幻術で、蓮花ちゃんの姿を隠せば良いんじゃない?」

「それは無理だ」

斑尾が、きっぱり否定すると、皇牙は、首を傾げた。

「どうして?」

「私の幻術は、そんなに続かないんです。続いたとしても、三十分くらいです。少し休めば、使えるのですが、何回も使えません」

振り出しに戻ったように季麗達が、唸り始めると、雪椰が手を叩いた。

「それなら、こんなのは、どうでしょうか?」

雪椰の提案に、斑尾は、仁刃に視線を向けた。

「どうだ?出来るか?」

「なんとか」

「なら、やってみるか。亥鈴」

話を聞いていた亥鈴は、妖かしの姿になり、離れの前にいた。
そんな亥鈴に、斑尾は、鼻で笑い、牛車に皆で乗り込み、佐久の所に向かった。

「まず、一度目です」

寺の敷地に降り立ち、慈雷夜達と一緒に修羅達を乗せ、後から、急いで戻って来た朱雀達を乗せた。

「あれ?蓮ちゃんは?」

「久々の里帰りで、疲れたらしく、暫く休んでから帰るそうだ」

仁刃の幻術によって、その姿は、周りに見えなくなっていた。

「そっか。残念」

肩を落とす修羅達からは、斑尾と理苑の影になり、見えにくい所で、毛布にくるまっていた。
その側に、朱雀達の荷物が置かれ、更に隠され、誰にも気付かれることなく、亥鈴は飛び立った。
その後も、季麗達や斑尾達の配慮と仁刃の幻術によって、修羅達に、気付かれることなく、自宅に戻ることが出来た。

「頼んだぞ」

「あぁ」

その日は、季麗達も、朱雀や修羅達と共に里に帰った。

「彼らに救われたねぇ」

「あぁ」

「でも、あの機転は、族長だったから、思い付けたことだよね」

「そうね」

「土産の影だなんて、族長じゃなきゃ、分かんないよな」

長老達や里への土産を買い、遅れて来るのを知っていて、その影になる所に隠す。
それが、雪椰の提案だった。

「亥鈴が戻り、蓮花が目覚め次第、ここの結界も強めるぞ」

「分かった。準備しとくわね」

「頼む」

部屋に向かうと、一度、長座布団に寝かせ、布団を敷いて移動した。

「今は、ゆっくり休め」

その呟きが、耳を掠め、夢の中でも、その暖かさに、頬を緩ませながら、亥鈴が戻るまで、斑尾の暖かさに浸って、ぐっすりと眠った。
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